「これで、よし……と。あ、出血の割には、傷口も小さいですから大丈夫そうですね」  
 
止血に使ったティッシュを捨てながら、紗季が安心したように呟く。  
 
「……自分じゃ良くわからないんだけど……」  
「……ほら、こんな風に」  
 
紗季が折り畳み式の鏡を持ち出して、俺に見せてくれる。  
こういう時すぐに鏡が出せるっていうのは、やっぱり女の子なんだなって思う。  
 
鏡に映る傷跡は、たしかに一つ一つは小さいものの、歯全体で噛まれているから、  
傷が歯形状に並んでいて、結構大規模になっている。  
今は血が滲む程度に治まっているが、これは後から痛くなるぞ。  
とはいえそれも自業自得だ。  
 
「紗季。ゴメン。ホントにごめんな。紗季の気持ちも考えずに、あんなことしてしまって。  
 それなのに傷の手当までしてくれて。ありがとう。そして本当にすまない」  
「……本当にまったく、どうしようもない人です、長谷川さんは。いきなり舌を入れてくるなんて、  
……女の子をいったいなんだと思っているんですか……」  
「ごめんっ! 紗季とキスしていたら、すごく興奮しちゃってさ、……つい舌をいれたくなっちゃったんだ……」  
「私と……キスして……興奮して?」  
「うん。そう」  
 
素直に頷く俺に、紗季は紅い顔をさらに赤らめて俯いた。  
 
「……そういうことでしたら……今回は特別に許してあげます。  
……それに、私も長谷川さんにケガさせちゃったし……。……本当にもう大丈夫ですか、そのキズ?」  
 
心配そうな紗季の瞳に、俺は慌てて、場を取り繕うように冗談を言う。  
 
「いや、大丈夫だって。こんなの、舐めてりゃすぐ治るって」  
「……舐める?」  
「そう。舌だけに舐めてれば治る――って、どーやって舐めるねんっ!」  
「…………」  
「…………」  
 
……いかん。すべった。  
 
「……舐めれば、治るんですか?」  
 
……しかも、やばい方向にすべったっぽい。  
 
紗季が熱っぽい視線を俺に送ってくる。  
 
「私がケガさせちゃったんだから、……私が責任をとるのが、当然ですよね」  
「まてっ! 紗季! 今のは冗談だ。つまんなかったけどジョーダンなんだ! だから――」  
「長谷川さん、目を閉じて、舌を出して、そのままじっとしていてください」  
 
あうっ、なんかどこかで聞いたセリフ。  
立場が逆転してしまった……。  
 
顔を紅くしたままジリジリと近づいてくる紗季に、俺は一応、意志確認を試みる。  
 
「あのー、紗季は、こういうの嫌じゃなかったの?」  
「別にいきなりだったから驚いただけで……嫌ってわけでは……  
 そ、それに、これは傷を治すための治療行為なんですから、好きとか嫌とかそんなの関係ないです!」  
 
ごめん。だから俺にはわからないって、そのツンデレ文学。  
つーかこれ、俺、舌噛まれ損じゃね?  
 
「……目はとじなきゃ……ダメ?」  
「は、恥ずかしいから駄目に決まってます!」  
 
俺は仕方なく、目をつむって傷だらけの舌を突き出す。すると、紗季の熱い息がかかり、  
彼女が顔を寄せてくるのがわかった。  
 
「じゃあ、血が出ているところ、舐めてあげますね。……長谷川さんは、動いちゃ駄目ですよ」  
 
そう釘を刺すと、紗季は、緊張した様子でゆっくりと口を近づけ、  
俺の舌の傷口を、そっと自分の舌で舐め始めた。  
 
「……ぺちゃ……ぺちゃ……ぺちゃ……」  
 
俺の舌を紗季が舐める音が部屋に響く。  
紗季の熱い舌が、俺の舌の傷跡を癒すように、丁寧に這わされ、  
彼女の唾液がじんわりと傷口に沁み込んでいく。  
 
それだけで痛みが嘘のように引いていき、頭の中がぼぅっと麻痺してくる。  
彼女が舌をひと舐めするごとに、俺の理性がぞろりと剥がされる……そんな気さえする。  
 
俺はまったく動かず、あえて舌の痛みに意識を集中させることで、なんとか理性の決壊を食い止めていた。  
 
「……んっ……んっ……んっ……」  
 
最初は緊張でガチガチだった紗季だが、だんだん慣れてきたのか、動きが大胆になってきて、  
明らかに傷がない部分にも舌を這わせ始めた。  
粘膜と粘膜がこすれ合う感触に、何度も酔いしれそうになるが、その度に自分自身を諌める。  
 
「……んっ…………」  
 
とはいえ、俺は舌を突き出しただけで紗季とは唇も合わせていないので、  
口から覗く部分だけを舐めている彼女はちょっとやりづらそうであった。  
 
いったん舌を離すと、紗季は恥ずかしそうに目を反らしながらも、おねだりをしてくる。  
 
「あの……少し舐めにくいので、……ちょ、ちょっとくらいなら、長谷川さんも動いても構いませんよ」  
「そういう言い方されると、ホントにちょっとしか動かないけど、いいの?」  
 
真顔で返すと、紗季は怒ったような恥ずかしいよな、とにかく顔を真っ赤にしたまま、  
俺に「いじわる」とでも言いたげな視線を向ける。  
……そして、観念したようにぼそぼそと小さな声で呟く。  
 
「……長谷川さんが、さっきしたかったように動いていいです……。あっでも……」  
 
紗季は俺を上目遣いに見つめ、  
 
「初めてだから、や、やさしく、してくださいね」  
 
と、潤んだ瞳で言った。  
 
「…………」  
 
……紗季、そのセリフは危険だ。  
そんなことを言われて、言葉通り優しくしてくれる男なんて、ほんの僅かしかいないぞ。  
後は全部、獣と化す。  
もちろん俺は――  
 
「…………っ!」  
 
俺はわざと舌の傷口を噛んで、痛みを呼び戻す。舌先に走るズキンとした鋭い痛みが、俺を人へと戻してくれる。  
 
「……わかったよ、紗季。……やさしく……するよ」  
 
俺は残った自制心のブレーキを最大限に踏みつつ、彼女の頬に手を添えた。  
 
「……んっ――!」  
「……ん……」  
 
再び唇を重ね合わせて、今度はゆっくり舌を侵入させると、  
紗季の舌に触れ、彼女の様子を見ながら絡ませていく。  
 
「…………んっ……んっ……」  
「……れろ……んちゅ……れろ……」  
 
紗季が嫌がるような素振りを見せればすぐに止められるよう、ゆっくりと、ゆっくりと。  
しかし、そんなゆっくりねっぷりとした口内の交わりは、俺の脳内を急速に沸騰させていった。  
 
キスだけでもヤバかったのに、こうやってベロベロと絡めあうのはさらにヤバイ。  
いつもクールで真面目でしっかりした印象の紗季が、こうして熱心に、情熱的に、俺に舌を絡めてくる。  
先ほど紗季に舐められていた時の何倍もの感触が、舌を通じて俺の脳を直に襲う。  
 
ブレーキなんてさっきからキュルキュルいったまま空回りだ。  
今俺を支えているのは、舌に残る僅かな痛みと、また噛まれるかもしれないという  
無理やり思い出させた恐怖心のみである。  
 
それがなかったら、俺はきっと、この子を――  
 
「…………ぷはぁっ!」  
 
その行きつく先に思い当った俺は、慌てて紗季から唇を離した。  
――と、離れた俺の唇を追うように、紗季がすっと体を寄せてきた。  
 
「さ、紗季っ……んぷっ!」  
 
紗季はがっしりと俺の首に腕を回すと、ぎゅっと抱きつき、唇を重ねた。  
そして、激しく、舌を絡めてくる――!  
 
ちょ――やさしくって言ったの自分だろっ!?  
 
紗季は舌使いは技巧もへったくれもない、ただただ俺を求めてくるだけの熱烈なものだった。  
その瞳はとろけきって、完全に焦点を失っていた……。  
それだけではない。  
ぐいぐいと押し付けられてくる幼い肢体が――それでも女を感じさせる部分が――  
これでもかというくらい、俺の体に密着してくる。  
そして彼女の長い髪からぶわっと立ち上ってくる芳香。  
まるで彼女の発情に呼応するかのように、その香りはオスの心を昂らせる、甘く、蠱惑的なものであった。  
 
――味覚――視覚――触覚――嗅覚――その4つが同時に俺に襲いかかってきた。  
 
その瞬間、俺の体の中で警告音がけたたましく鳴り響いた!  
 
「――紗季! ストップ! ストップ!! ダメだっ、しっかりしろ!?」  
 
俺は恥も外聞もなく、力任せに紗季の体を引き離しにかかった。  
それでも俺を求めようとしてくる紗季の体をガクガクと揺さぶって、  
どうにか正気を取り戻させようとする。  
 
「紗季っ、紗季っ! おいっ、しっかりしろ! 俺が誰だかわかるか!?」  
「………………ふぁ……ふぁせぐぁわ……しゃん?」  
 
まだ目に焦点は戻ってきていないが、とりあえず動きを止めた紗季が呂律の回らない声で呟く。  
 
その時の彼女の顔は――  
 
頬を紅潮させ、瞳はとろけきって、半開きの口元からは俺とも彼女のともつかない唾液がだらしなく垂れていた。  
 
そこに垣間見えたのは『小学生の女の子』ではなく明らかに『女』の貌であった。  
 
俺は首筋にゾクゾクと震えくるのを抑えられなかった。  
それは恐怖心からきたものか、それとも――。  
 
「よしっ。いいか、紗季。もうおしまい、もう終わったんだ。だから、向こうに戻ろう、な?」  
 
口元をティッシュで拭いてやりながら、幼子に言い聞かせるように言うと、紗季はしばらくぼーーーっとした後、  
こくん……とことさらゆっくり首を縦に振った。  
そして俺に支えられながら、ベッドから降り、ヨタヨタと壁際に移動、ぽすんと腰を下ろした。  
 
あ、危なかった……。  
人間って、本当にヤバイ時には、体全体から警戒信号を発するんだな……。  
それにしても――紗季、君、俺の中で最要注意危険人物に認定。  
……危険だ。あまりに危険すぎる。  
 
これは確かに、誰かがちゃんとした性的知識と、その制御方法を教えてあげないと……将来とんでもないことになりそうだ。  
 
 
それにしても……。  
智花、真帆に続き、紗季まで脱落か……。  
冷静に考えてみると、自分の部屋で女の子3人が骨抜きになってるって凄い状況だ。  
……もっとも小学生3人を骨抜きにしたって、男として誇りになるどころか、社会的レッテルが貼られただけだが。  
 
「……ん? ――って、真帆と智花、寝ちゃってるじゃん……」  
 
よくよく見ると、智花は壁に体を預けたまま、そして真帆は智花の膝を枕にして、ぐーすか寝入っていた。  
どーりでさっきから静かだったわけだ。  
まあ、午前中いっぱい運動して、お昼を食べた後だったからな。ぼーっとしてしまっていたら、そのまま寝てしまっても無理はない。  
 
しかもおまけに――。  
 
「……おーい、愛莉―っ」  
「…………」  
 
何もしていないはずの愛莉が、目を見開いたまま呆然としていた。  
よぉーく耳をすましてみると  
 
「……きす……した……きす……したで……さきちゃん……すばるさんを……おそって……」  
 
と、どうも先ほどの紗季の行動に面喰ってしまったらしい。  
……うん。その気持ちは、俺も痛いほどわかるぞ、愛莉。  
 
ということはこれで脱落者は4名。ほぼ全滅といった感じか……。  
……つまり、この『お勉強会』もどうやらここでお開きらしい。  
 
……よかった。一時はどうなることかと思ったが、なんのことはない。  
結局、俺は一度もイカされることのないまま、この人生最大の危機を乗り切ったわけだ。  
 
……ふっ、なんだかんだ言っても、やはり所詮は小学生。キスひとつでこうもあっさり陥落とは、不甲斐ない。  
 
……ま、とにかく、お開きと決まったからには、彼女たちをこんなところで寝かせておくわけにはいかない。  
ちゃんと客間に運んで、布団で寝かせてあげないと体を痛めてしまう。  
 
そう思って、とりあえず智花に膝枕してもらっている真帆から運び出そうと、その体に近付いた時――  
 
――むんず。  
 
俺の服の裾を、何者かが引っ張った。  
 
……あれ? おかしいな? 今この部屋に起きている人間なんて、俺以外には……おれいがいには……。  
 
「…………」  
 
……俺が首をギギギ……っと回し、ゆっくりと振り返ると、そこには――  
 
「おー、おにーちゃん、つぎは、ひなのばんだよ」  
 
ひなたちゃんが、俺の裾を両手で握り、ニッコリと微笑んでいた。  
 
 
 

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