玄関に入ると、やけに賑やかな空気が俺を出迎えた。その雰囲気に嫌な予感を覚えつつも、リビングへ上がる。  
「あ、昴さん。お邪魔してます」  
「智花、いらっしゃい」  
 ペコリと頭を下げたのは智花だ。練習の後、すぐにうちへ来たのか、薄っすらと汗ばんでいて色っぽい。  
 なぜ智花がここにいるのか……答えは聞くまでもなく、鍋にカレーをかき集めている小さい悪魔が原因だ。  
 篁美星……母さんの妹で、俺の叔母に当たる。身長は150センチそこそこで、二十四歳。しかしながら、母さんの作ったカレーを抱えて満面の笑みを浮かべている姿は、せいぜい高校生ぐらいにしか見えはしない。  
 これでいて、慧心女バスの顧問にして、智花達の担任だというのだから驚きだ。正直、世も末だと思う。  
 テーブルを見てみると、来ているのは智花だけではなく、女バスメンバー全員がやってきていた。俺は無言で、疑問の目をミホ姉に向ける。  
 含みを持たせた笑みに、嫌な予感が走る。  
「なーなー、すばるん! 次の試合が決まったってきーたぞ!」  
「真帆、食べながらしゃべるな、黙ってろっ! ――でも、私も次の試合のこと、気になります。本当に、決まったんですか?」  
「おー、ひなも試合たのしみだよ、おにーちゃん」  
「つ、次の試合こそ、わたしも力になってみせますっ」  
 いっせいに顔を上げて、キラキラした目で俺を見つめてくる女バスメンバーズ。……いや、しかしまだ俺はまだなにも言ってなかったはず――――。  
 途方にくれて、智花のほうを見ると、苦笑しながら種明かしをしてくれた。  
「美星先生が、次の試合が決まったことを、練習が終わった時に教えて下さったんです」  
「ナイショにしてたなんて水くせーぞすばるんっ。でも、次の試合かー、楽しみだな!」  
「だからあんた行儀が悪いっていつも言ってるでしょ!」  
 そうか……ミホ姉が、次の試合が決まったことをみんなに伝えてくれたんだな。  
 みんながこんなに嬉しそうにしてくれるのなら、練習試合の場を設けてくれる学校を探したことは間違っていないのだろう。  
 ミホ姉を見ると、慈愛を思わせる笑みを浮かべている。そうだ、ミホ姉はみんなが喜ぶところを見たかっただけに違いない。もしかすると、俺ともそれを共有させたかったのかもしれない。  
 感謝すべきなのだろう……いや、しなければいけない。だけど、正直今回ばかりは間が悪かったとしか言いようがない。  
 
「ミホ姉、ちょっといいか」  
「ん、なんだー、昴」  
「こっち来て」  
 そう言って俺は、ミホ姉をリビングの外へと連れ出した。  
「なんだよ、昴。はっ……まさかあんた、禁断の三親等に目覚めたとか言わないよね?」  
「んなわけあるか! だから、次の試合なんだけど……」  
 俺の深刻な口調に、ミホ姉が真剣な顔になる。  
「相手が、雅小なんだよ」  
「…………あー」  
 それだけで全てを察したのか、ミホ姉は天井を仰ぎ見た。  
「智花か」  
「そういうこと」  
 この場で言ってしまってもいいのだろうかと、目で質問する。  
 ミホ姉は――――頷いた。  
「今さら、ウソでしたなんて言えないじゃん? ま、智花のサポートは任せるから、頑張って」  
「なっ……無責任なこと――――ったく」  
 ミホ姉はリビングへ戻ってしまったので、これ以上話を続けるわけにもいかない。  
 仕方が無いか――俺は覚悟を決めることにした。  
 談笑しながら、智花も……みんなも、輝かんばかりの笑顔を振り撒いている。次の試合に対する期待、仲間と過ごす時間、そんな、色んな素敵な瞬間全てがない交ぜになるからこそ、こんなに美しい笑顔を浮かべるのだろう。  
 だけど、少なくとも智花の笑顔を曇らせる一言を、今俺は持っている。  
 正直、挫けかけた。無邪気な笑顔を前にして、こんな役目を負いたいなんて言うやつがいるだろうか。――いるわけがない。  
 それでも、俺は口を開く。  
「次の試合のことだけど――再来月の三週間後の日曜日、十月十日が試合日だ。相手は雅小――硯谷女学院と同じで、大会では毎回好成績を残している」  
 案の定、というべきか。それほど盛り上がった反応はない。  
 気まずそうにお互い顔を見合っているところから察するに、智花の事情は全員が知っている様子だ。いや、だからこそ、みんなはここまでチームに強いこだわりを見せているんじゃないか。  
 小学生にとって、トラウマになりかねないほどの傷を負った時、それと向き合うのは凄い勇気のいることではないだろうか。  
 いや、大人でさえも、自分の傷と直接向き合うことは恐ろしいのだ――だって、俺がそうだったんだから。  
 俺だって、無理強いをしたいわけじゃない。試合を取りやめにしてほしいと智花が言うのなら、俺も、みんなも、別の機会を探そうと言うはずだ。  
 でも、試合をしたい、勝ちたい――――みんな、強くそう思っているはずだ。俺も含めて、バスケで勝つことをみんなが望んできたはずだ。  
 それを知っている智花が、嫌だからやめてくれ、なんて言えるわけがないだろう。  
「すばるん! どーして雅小なんだよ!」  
 非難の言葉を浴びせてくる真帆に、俺はなにも言えない。  
 知らなかったとはいえ、傷口を抉るような真似には違いがないんだし。  
 決断、させてやらなければいけないんだろうな……。  
「智花」  
「は、はい……」  
「嫌ならまだ、試合を取り消すことも出来るけど……どうする?」  
 にわかに、リビングを沈黙が支配した。  
 気まずい空気が場を満たす。  
 そんな中、ミホ姉だけが顔をニヤつかせて、カレーを貪り食っている。  
「わ、私……」  
 唇を震わせて、智花が呟く。  
 息を整えるように深呼吸して、吸って、吐いて、胸に両手を置いて。  
 ――――そして、言い切った。  
 
「私、みんなとバスケがしたいんです!」  
 
「にゃはは。よく言った、智花」  
 ミホ姉が、スプーンを握った手を掲げた。  
「ついでに、前の学校にも決着つけてこいよ、智花」  
 スプーンを智花に向けて、ミホ姉が言う。  
「いい機会じゃんか、智花。きっちり勝って、仲直りしてこいよ」  
「みーたん! でも、もっかんが前の学校でなにがあったか知って――」  
「真帆。優しくするだけが優しさじゃないよ。あんたらもそう。それともなに? 智花のこと、腫れ物だとでも思ってる?」  
 厳しい声。決して叱責しているわけではない。けれども、思わず身を竦めてしまうような、静かな迫力がある。  
 真帆はなにも言わずに、唇を噛み締めた。紗季も、あいりも、ひなたちゃんも、浮かない表情のままだ。  
 その空気を変えたのは――智花だった。  
「み、みんなして暗くなってどうするの。ほら、次の試合もみんなで頑張ろうよ! みんな一緒、でしょ」  
「……そうね。ま、やるからには勝ちましょう。結構力もついてきたし、ワンサイドゲームにしてやるわ」  
「わ、わたしも頑張るよっ。絶対勝とうね!」  
「おー、みんないっしょ」  
 口々に声を上げるみんなに、沈痛な面持ちだった真帆は困ったように俺を見る。素直に、次の試合が決まったことを喜んでもいいのか――そう、問うている気がした。  
 俺が頷くと、安心したように真帆が微笑む。  
「よっしゃー! 次の試合はぜってー勝つぞ! 明日から特訓だな!」  
「だからあんた、行儀が悪い! 椅子の上に立つなバカ!」  
 どっと笑い声が上がり、今度こそ食卓は本当に笑顔で包まれた。  
 
 ミホ姉からのツテを使って手に入れた雅小の試合を録画したDVDを見ながら、俺は作戦を練った。  
 正直、個人技は光るものがあるとは思えない。レギュラー全員が平均的な選手で突出した才能もなければ、トリッキーな作戦を用いるわけでもない。  
 その強さの秘訣は、やはり頭の紫ちゃんだろう。前半はゾーンとラン&パスで実力の低さを底上げし、終盤にハーフコートプレスでオフェンスを殺す――どちらかというと、走るバスケだ。  
 しかしながら、これが一番怖いタイプだ。オフェンス力はついてきたとはいえ、ディフェンスのフォーメーションは未だ発展途上。硯谷や男バスのように点取り屋が一人であればいいのだが、雅小は全員が点を取りに来る。  
 智花や真帆、紗季ならばマッチアップで守れないこともないだろうが、正直愛莉やひなたちゃんには荷が重いのではないだろうか。  
 また、愛莉に匹敵するガードが雅にも一人いることも難題の一つだ。さすがに愛莉ほどではないとはいえ、パッと見160センチ半ばはあるだろう。  
 ゲームメイク力が抜群の紫ちゃんも、個人としての実力は言っては悪いが凡庸だ。ゲームの主導権を紗季が握れるかどうかに勝敗はかかってくるだろうな。  
 これまで以上に相性の悪いチームだが、負けることばかり考えていても仕方がない。出来る限りの対策を立てて、残りの練習時間を有効に使っていかなければ。  
 
―交換日記(SNS)02― ◆LOG DATE 9/20◆  
 
『しあいきまったー! 勝つぞー!  
まほまほ』  
 
『みんな、頑張ろうねっ。  
あいり』  
 
『おー、かったらあいりのおっぱいもんでいい?  
ひなた』  
 
『お、おっぱいはお願いだからやめて……。  
あいり』  
 
『おー? じょうだんだよ?  
ひなた』  
 
『ひなた冗談キツい。ところで智花、雅小ってどんなチームなの?  
紗季』  
 
『ごめんなさい、今どうなってるかはちょっと……  
湊智花』  
 
『あー、いや。そっか、分かんないか。ま、長谷川さんならきっといい作戦、見つけてくれるさ。私らは指示に従って練習頑張ろ。  
紗季』  
 
『あたしの力みせつけてやるぜ! 紗季なんかにゃまけねーからなっ。  
まほまほ』  
 
『おー、みんないっしょ!  
ひなた』  
 
 当面の課題は、パス&ランの対策だ。智花を筆頭に、真帆、紗季、愛莉、ひなたちゃんと全員が得点力のあるチームである反面、ディフェンス力は雀の涙なのだ。  
 実際、パス回しでかき回されたら、マンツーマンでは確実に対応ができないだろう。だからといって、ゾーンディフェンスをしいたとしても、付け焼刃ではどうにもならないはずだ。  
 それでも、敵のシュートが入る確率を下げることは出来る。  
 雅小の恐ろしいところは、確実に相手を誘導して、レイアップのための隙間を作り出すところだ。個人技の差を、チーム力で大幅に底上げしているのだ。  
 ゾーンを崩すのはわけがない。硯谷にも使ったように、全員でプレッシャーをかけながらシュートにつなげていけばいいのだから。  
 しかし、現状パス&ランに対する対策は、ゾーンとプレスぐらいしか浮かばない。そして、体力の消耗が激しいプレスよりも、なるべくならゾーンのほうが確実性と体力の温存という意味では優れているだろう。  
 そう結論を下した俺は、葵に手伝いを求める。俺を含めて五人、なんとか集まれば練習のしようもあるだろう。  
 
 その日、慧心女バスの練習を見るのは、俺だけではなく葵に柿園、御庄寺――そして竹中と、ちょうど五人の頭数がそろっていた。  
 いつものように柔軟、パス、フットワークの練習を終えると、あとはひたすらゾーンの練習だ。  
「柿園っ」  
「ほいきたっ」  
 パスを出すと同時に、柿園が真帆と智花を抜いてフリースローラインの中へと切り込む。とっさにポスト下に立っていた愛莉が反応するが、それは間違いだ。  
 左サイドの深いところでひなたちゃんと対峙している竹中にパスを出すと同時に、柿園と御庄寺が右サイドでパスを求める。竹中はそれには反応せずに、ダックインする俺にパスを出す。ひなたちゃんと愛莉が反応するが、その時にはもう遅い。  
 俺の手から放たれたボールはバックボードに跳ね返り、そのままリングへと収まった。  
 真帆と紗季が肩を落とし、智花や愛莉、ひなたちゃんはそろってため息をつく。  
「なんで止められないんだよーっ!」  
「バーカ、さっきから動きすぎだっての。ゾーンの意味ないじゃん」  
「うっせーナツヒ! なあすばるん、どうすりゃいいんだよー!」  
 俺達がやっているのは、ゾーンの中でももっとも基本的な二対三のゾーンディフェンスだ。ゴール下に三人、その前に二人が並んでゴールを守る。  
 配置として、前衛右が真帆、左が智花。後衛中央が愛莉、右にひなたちゃん、左に紗季だ。  
「竹中の言う通りだ。確かに前衛は運動量が多いと言ったが、さすがにあれは動きすぎだ。さっきの場合、智花は柿園を、真帆は俺をマークすればよかったんだ。そうすればパスは竹中か葵に出るから、ひなたちゃんは竹中へのパスカット。紗季は御庄寺につくべきだったんだ」  
 そう言うと、葵がさらに付け足した。  
「私にパスが通った時は、ゴール下に切り込む可能性も高いから、その時はディナイしながら愛莉ちゃんがつけばいいのよ。ボールを奪うことじゃなく、点を入れさせないことが最優先だから、覆いかぶさるようなディフェンスだけでも君なら凄い効果があると思うな」  
「は、はいっ。ありがとうございます!」  
 問題点は、やはりというか、真帆とひなたちゃんか……。体力がついてきたとはいえ、ひなたちゃんの身長はディフェンスでは圧倒的に不利だ。そして真帆は血気が盛んなせいで、無駄な動きが多すぎる。  
 けれども、文句を連ねても始まらないだろう。葵にはとりあえず協力してもらうとして、柿園や御庄寺、竹中にも、予定が合う日は付き合ってもらえるよう約束を取り付けた。  
 試合までの三週間で、必ずゾーンを完成させてみせる!  
 
「昴、あれはいいの?」  
 帰り道で、葵がそう言った。  
「あれってなんだ?」  
「……分かってるくせに」  
 わざとしらばくれる俺に、葵はため息をついてみせた。  
「プレス対策もしとかないとでしょ。あの子達、潰されちゃうと思うけど」  
「あー、それな……教えないことにした」  
「どうして?」  
 怪訝そうに訊ねる葵。  
 でも、それに関しては、もう答えを俺は出したんだ。  
「前半でリードして、あとはボールを守る。逃げ切れるかどうかが、勝敗を決するよ」  
「……そっか」  
 感慨深そうに葵は呟いた。  
「どうした?」  
「べ、別に。……その、頑張ってね」  
 ……へっ、頑張るのは俺じゃねーだろ。  
「頑張るさ、きっと」  
 俺はそう言って、空を見上げた。  
 
―交換日記(SNS)03― ◆LOG DATE 9/22◆  
 
『あー、もうっ。ナツヒむかつくー!  
まほまほ』  
 
『あれはあんたが悪いでしょ。……にしても、結局一発も止められなかったし。難しいわね、ゾーンって……。  
紗季』  
 
『でも、有効なディフェンスだから、覚えておいて損はないと思う。使えるディフェンスがあるのとないのとじゃ、凄く違うし……。  
湊智花』  
 
『そうだよね。わたしたち、もっと強くなれるよね!  
あいり』  
 
『おー。ひなも負けない。ひなはたいりょくないから、うんと走る。  
ひなた』  
 
『……そうね。ま、みんなで頑張りましょっか!  
紗季』  
 
『なんだよ、めずらしくヨワキじゃん! しみったれがもっとしみったれになってるぞ!  
まほまほ』  
 
『うっさい、黙れ!  
紗季』  
 
 試合二日前、ゾーンもなかなか様になってきた。  
 まだまだ粗い部分もあるが、それでもミニバスでは十分通じるほどに洗練されてきている。  
「葵っ!」  
「うんっ」  
 右サイドから左サイドへと、葵にパスを出す。すかさず智花と真帆のダブルチーム。中へと竹中が入るが、葵のダブルチームをすぐさま解除して智花が竹中についた。  
 葵から左サイドの奥にいる柿園へとパスするが、マッチアップしていたひなたちゃんにパスカットされる。  
 段々と、慧心のゾーンができあがってきた。まず、プレス気味に智花と真帆がゾーンでゴール前を守る。あえて左サイド奥の守りを薄くして、ボールが渡ったらひなたちゃんのファウルトラップでボールを奪う。可能ならば、ひなたちゃんの手でパスカットをしてもいい。  
 その間、愛莉と紗季は右サイドへの注意を怠らない。特に愛莉は、内側へ入り込んできた敵をディナイしながらシュートを妨害する大役を担っているのだ。  
 葵とも1on1をさせて、当たり強さを身につけてきた今の愛莉なら、センターとして立派に活躍するに違いない。来るべき試合を前に、俺は今から興奮して眠れなさそうだ。  
「ラスト一本!」  
 センターにいる俺から、右サイドの御庄寺へとパスが出る。すかさず紗季がマッチアップする。パスを出すと同時に俺は中へと切り込むが、真帆と智花のスクリーンで入り込むことができなかった。  
 御庄寺から葵へとパスが走る。すかさず、智花と真帆のダブルチームが組まれるが、その前にダックインしていた御庄寺に再びパスが帰った。その前には、鉄壁のセンターが待ち受ける。  
 ディナイする愛莉を前に、左サイドの竹中にパスが回る。右サイドにゾーンが寄っているが、心配ない。マッチアップするひなたちゃんを竹中が抜くが、ファウルトラップに引っ掛かる。  
 完璧なファウルトラップだ。本番で審判が取ってくれるかどうかは分からないが、雅の攻撃はレイアップ中心。愛莉にポスト下を任せれば、十分に止めてくれるはずだ。  
 今までにない仕上がりで、俺達は試合を迎えられることだろう。  
 
 

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