智花がグッと、小さくガッツポーズを作る。
恐ろしいまでの超絶技巧だ。敵のドライブを止めるためには、重心を落として脇を抜かれないよう、広くスタンスを取らねばならない。つまり、その一瞬だけ、大きい相手も小さくなるということなのだ。体が伸びきった状態では、ディフェンスなんて出来るわけもない。
今、智花は俺の重心が十分に下がるタイミングを見計らって宙へと飛んだ。
それだけでも凄いのに、さらにバックロールをフェイクとして、そのままシュートへ移行するタイミングといい、不安定な状態からのボールコントロールといい、長い滞空時間といい、舌を巻くことばかりがたった今、俺の目の前で起こってしまった。
唖然としている俺を尻目に、初めて俺から得点したことを智花は無邪気に喜んでいる。……おいおい、そんなプレイ、俺はやったことがないぞ。
しかし、大事な問題が一つだけある。
「智花、そのシュートの成功率は?」
「あ、えっと…………ごめんなさい、あんまり高くは……」
「とりあえずあと十回、そのシュートを試してみようか。実戦レベルで使えるか、試しておかないといけないから」
智花は頷き、俺はボールを手に取った。
シチュエーションも変えて、バックロールからのジャンプシュートを十回試してみる。右サイドから、左サイドから――――繰り返し智花はシュートを放ち、成功率を算出する。
――結果は、最悪。
それも絶望的だ。
十本中、決まった回数は零。先ほど決まったのは、単なるまぐれからだったらしい。これではとてもじゃないが、実戦では使うことができない。最後の山場で、このシュートに賭けるだけの博打を打つなどというカードを、絶対に俺は切ることができないのだ。
しかも、このシュートは体力の消耗が激しいらしい。十本シュートを打っただけで、智花はもう息を切らしている。
その結果に落ち込みを隠せない智花であるが、俺はむしろいい結果に終わったと思った。
「何回も練習して、初めて成功率が上がるんだよ、智花。それに、やっぱり一番大事なのは基本なんだ。例えば俺が智花にこのシュートを試合で使っていいと言ったとして、その試合が劣勢だった場合、智花はどうするかな?」
「…………このシュートで試合をひっくり返さないといけない、と思うと思います」
「なら、しばらくこれはお預けだ。練習に付き合ってもいいけど、あくまで基本に忠実であることが大事だからね」
「はい」
智花は肩を落として落ち込んでしまうが、その様子があまりにも惨めだったので、俺はつい安請け合いをしてしまった。
「智花が初めて俺から得点できた記念に、なんでも一つだけ、智花の言うことを聞くよ。とはいっても、俺に出来る範囲のお願いが嬉しいけど」
「ほ、本当ですかっ?」
「ああ、本当さ。なにがいい?」
そこで智花は少し考え込むと、意を決したように顔を上げて口を開いた。
「夜に……夜にまた、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「ははっ、いつでもいいよ」
思えばこの時、こんな約束をしなければよかったのだろう。そうすれば、危ない橋を渡ることもなかったのに……。
その後の智花の様子といえば、おかしいところばかりだった。夕食の味噌汁をこぼしてしまったり、なにもないところでつまづきかけたり、挙句の果てには棚の角に頭をぶつけてうずくまっていたなんてこともあった。
随分と落ち着きがないなと思いつつも、転びかけた智花が俺の腰にとっさに抱きついてきた時なんかは部屋であったことを思い出したりなんかもしてしまい、こちらの心拍数まで跳ね上がってしまった。
ようやく就寝時間が近づいてきた頃には無駄に心臓をどきどきさせながらも、俺は自分の部屋に智花の布団を運び込んでいた。
午前中のことを思い返せば気まずい事限りないが、一緒に寝たいという智花のお願いで家に泊めてしまった手前、致し方ないだろうと自分に言い聞かせる。
……やはり、ベッドに寝るのは智花のほうがいいだろうか。いやしかし、男の寝たベッドに寝かせるというのも問題があるような気がするが……どうしたものか。俺は別に構わないんだが、智花的には俺の寝たベッドというのは嫌ではないのだろうか。
うーむ、困った。…………そう思っていたら、ちょうど智花が風呂を出たらしく、部屋の扉を押し開けて中に入ってきたようだ。
「おっ、智花。ちょっと聞きたいんだが――――――――――っ!?」
な、ななななななんて格好をしていらっしゃるんでしょうか智花さんっ!?
深い紅色をしたスリップを一枚肩からかけているだけで、その下に下着類を着用している様子はない。しかもちょっと透けちゃうデザインだったり、際どい部分の肌色が見えていたりで、なんというか、その………………非常にアダルトな感じに仕上がっている。
ましてや、女子小学生が着用しているという背徳的な光景に、俺の頭が不覚にも茹で上がりそうになってしまったのだ。
「へ、へへへへへへ変……でしょうかっ?」
「変じゃないけど倫理的問題があったりなかったりあったりするからちょっとそれはまずいんじゃないでしょうか智花さんっ!?」
「ひ、昼間はちょっと頭がボーっとしていたので、今度は冷静な状況で昴さんと色々できたらと思ったんです!」
なにを仰る智花さん。
今日の智花はとことんまで気が狂っているようだ。
「そ、それでだ、智花。ベッドで寝るのと、布団で寝るのと、どっちがいい?」
苦し紛れに話題を変えると、智花は少し考え込んだ様子を見せてから、ベッドを見て、布団を見て、もう一度ベッドを見た。
「昴さんと一緒なら、その――どちらでも」
「じゃあ、俺が布団で寝るから、智花はベッドで寝てくれ」
それにしても、よかった。智花がベッドは嫌だと言って布団で寝たら、俺が逆に申し訳なくなってしまうもんな。そう思いつつ、俺が部屋の電気を消そうとしたところで、智花が口を開く。
「あの……」
「ん? なんだ、智花」
「その、なんでもお願い、一つだけ聞いて下さると昴さんは仰いました、よね?」
神妙な顔つきでそう切り出されては、俺も思わず居住まいを正してしまう。…………心なしか、部屋の空気も張り詰めたような気がする。
二度、三度と智花は深呼吸して、少し逡巡した様子を見せてから、そのお願いをとうとう口にした。
「私、昴さんとお付き合いがしたいですっ」
――――――――――――――――へ?
今のは聞き間違いだろうか。
いや、そんなはずがない。智花は今、俺とお付き合いしたいと――――なんですとっ!?
「それって、つまり?」
『か』か『こ』で始めないでくれ、頼む!
しかし無情にも、次の智花が発した言葉は『か』から始まった。
「か、彼氏彼女の関係になりたいんですっ!」
ちょっと頭が状況に追いついていない。
まさか、いきなり小学生に告白されるなんて誰も思わないだろう? 兎の耳が四本あるのと同じくらい、びっくりするところなのだろう。実際、俺は兎の耳が四本あると聞かされた時よりもびっくりしている。本当にあるのかどうかというのはさて置いてだが。
だけど、俺の言葉を逆手に取って、こういう告白の仕方はずるいのではないだろうか。それに、仮に智花が俺と歳が近かったとしても、智花は俺の教え子なのだ、俺が智花と付き合えばあまりよろしくないなんてことは、誰の目にも明らかだろう。
上手に反応できない俺に、さらに智花が言葉を重ねてきた。
「や、やややっぱりこんなの卑怯でした、ずるいことでした、ごめんなさいっ。今のお願い、その、取り消しとかできますでしょうか……?」
「あ、ああ、いいよ、うん。取り消ししても大丈夫だよ」
そう答える俺の声にもあまり力がないようだ。
「じゃ、じゃあ、やっぱり一緒のお布団で寝てもらうというお願いに変えても構いませんか?」
むう、さっきよりも難易度は落ちたから、別に構わないけれど――仕方がない、俺は頷く。
試合前に、お互い凄く恥ずかしいことをした気分だ……。