翌日はよく晴れた。待ちに待った練習試合が、ついにやってきたのだ。智花と朝練をこなし、みほ姉の車で慧心へと向かった。
一度学校へ集まり、そこから雅小へと行くのだ。アウェーでの試合となるが、ここ二週間ほどは5対5のオールコートでの練習も少なからず出来たのだ。自信を持って試合に臨んでも、いいはずだ。
横目で智花を伺うと、少し緊張した様子ではあるものの、気負ったりしている様子はない。
「お、智花。結構大丈夫そうじゃん。ま、頑張れよ」
そう言ってみほ姉が智花の背中をいつも押してくれるのは、コーチとしてもありがたい。
力強く智花は頷き、前を見据える。
その視線の先には、ゴールポストが見えているのだろうか。
慧心に着くと、すでにみんなは集まっていた。
「もっかん、みーたん、すばるん、おっはよーっ!」
「にゃはは。よー、真帆、元気かー?」
「うっさい真帆、あんま騒ぐなっ。おはよう、智花。おはようございます、長谷川さん、美星先生」
「おー、ともか、おはよう。おにーちゃんも、おはよう」
「みんな、おはようございますっ」
本当に、みんな賑やかで、いいな。
「よし、じゃあみんな、行くか!」
俺が声をかけると、みな一様に頷く。うん、頼もしいぞ。
こうして、俺達は雅小へと出発するのだった。
雅小へ到着し、俺達は学校の門をくぐった。
「慧心のみなさん、アップをどうぞ」
あちらの監督にそう促され、俺達はコートを一枚借りてアップを開始する。隣のコートでは、すでにアップを終えた雅小バスケ部の面々が、思い思いに体をほぐしたり、ドリンクを飲んだりしている。
その中で、特に四人の女の子がこちらを凝視していた。紫ちゃんを含めて、全員が六年生だろう。智花もそれに気づいたのか、少しばかり肩が強張った。
「もっかんっ。そんなきんちょーするなって!」
「智花がそんなに固くなってどうするのよ。そんなんだと……」
と、紗季が智花の耳元で、なにかをごにょごにょと耳打ちをした。すると、途端に智花の顔が赤く茹で上がる。
「智花、どうかしたか?」
「い、いいからアップしましょう、昴さんっ。ほら、パス回しからだよね、みんな位置についてっ」
「……紗季、いったいどんな手を使ったんだ?」
と紗季に訊ねてみても、とぼけてしまう。
なんとなく釈然としない気持ちになりながらも、俺は智花達のアップを見守った。
コート中央で挨拶を交わし、いよいよジャンプボールの時となった。ルールは、男バス戦でのそれに則ったルールにさせてもらっている。
ポジションは、智花がシューティングガード、真帆がパワーフォワード、紗季がポイントガード、ひなたちゃんがスモールフォワード、そして愛莉がセンターだ。
ジャンプサークルに入る愛莉の、堅い表情。ジャンプ力、ボールコントロールも鍛えてきたんだ、今ならこの界隈の小学校では敵無しのはずだ。
ひなたちゃんと真帆がフロントコートに、智花と紗季はバックコートの中で待機している。真帆はジャンプシュートにますます磨きがかかっている。
不敵な笑みを口元に浮かべながら、ひなたちゃんとアイコンタクトを取る。ドリブルを鍛えてきたひなたちゃんは、将棋でいえば桂馬のようなものだ。
トリックスターとして、才能を開花させつつあるはずだ。
そして、智花と紗季。紫ちゃんと智花の視線が一瞬交錯するが、そこにトラウマの影はない。
二度、三度、確かめるように息を吸って、吐いて、そして吸った。持ち前のセンスと圧倒的な意欲、練習量は、俺が断言してやってもいいが、智花に敵うものはいないだろう。
海の合宿で体力もつけた。これ以上伸びないと思ったところで、まだまだ伸びる……それが湊智花というアスリートだ。
紗季の観察眼と沈着さは、女バス内でも群を抜いている。俺の弟子だと言ってもいいだろう。徹頭徹尾、冷徹な指示を下す紗季は、このチームの司令塔で、中心人物だ。
目立った特技はないが、鋭い観察眼はチームの粗を探り出す。地味なようでいて、実は一番怖いタイプのプレイヤーではないだろうか。
笛が、主審の口元へ近づけられる。――さあ、試合開始だ!
雅―0 慧心―0
愛莉の手によって弾かれたボールは、真っ直ぐにひなたちゃんの手へと渡った。
雅はといえば、すぐさま3―2ゾーン――ポスト前に二人、その前に三人のゾーン――を作り上げる。最初からマンツーマンディフェンスをする気はなさそうだな。
「紗季、じっくり行け!」
俺がそう声をかけるまでもなく、紗季は行動に移っていた。
手早く指示を出すと、ボールを持ったひなたちゃんが左サイドからドライブで切り込んで行く。
三人がかりで潰そうとしてくるが、その後ろにいた愛莉へとバックパス、左サイドに守備が偏っていたため、右サイドの真帆へと愛莉がパスを出した時には、既にゴールは真帆の射程圏内だ。
ところが、雅のセンターがそのシュートを阻み、たちまちのうちにボールをバックコートに運ばれてレイアップを決められてしまった。
「甘いじゃない、智花ぁ? こんなんで、うちに勝てると思ってるの」
「――っ、負けない」
愛莉からのスローイングで、ボールは紗季に。じっくりと、ゾーンの粗を探るように緩いドリブルで相手コートに入る。
「紗季、なにもたもたやってんだ!」
という真帆の声を無視。先制されて逸るのも分かるが、じっくりと落ち着けないのか、お前は。
この3―2ディフェンス、正面からの攻撃にめっぽう強い。が、陣形の特性上左右からの攻撃には効果を発揮しにくいという難点がある。
「智花!」
早くも紗季がPGとしてのセンスを見せ付けてくれる。右サイドから、ゾーン正面にいる智花へと紗季がパスを出す。それを智花がドライブで正面から抜けようと見せかけ――そしてバウンドパスでさらに右の深いところで待ち構えていたひなたちゃんにボールが渡る。
低い切り込みでダックイン、低速ながらも確実に相手の脇をすり抜けて、ほぼゴールの真下から擦るようなシュートを繰り出す。驚くべきバランス感覚と、練習によって鍛えられたコントロールが生み出すアーチは、ほとんど垂直だ。
リングを、ボールが通る音が微かに聞こえる。
「やったね、ひなたちゃんっ」
「おー、ともかと、さきのおかげ」
しかし、喜びを分かち合う暇は無い。ランガン主体の雅オフェンスは、驚くべき速度でレイアップをあっさり決めた。
「遅い鈍いダルい欠伸が出るってのクソビッチ」
外からのシュート力がある子がいない分、そこを狙い打とうと思ったんだが、やはり紫ちゃんという小さな軍師はそう簡単に弱点を突かせないつもりだな。
紗季へとボールが渡り、試合は再開した。なだらかなドリブルで全体を俯瞰している辺り、動揺の心配はなさそうだ。
左コーナーに控えるひなたちゃんにパスが渡る。3―2ゾーンは、インサイドやコーナーからの攻撃には弱い……正しい判断だ。再び、地を這うようなドリブルでローポストへと入り込むと、再びシュートが決まる。
そして再び、スローインからのランガン攻撃だ。しかしこれは真帆がスティールしてシュートを放つが、運悪くリングを外れ場外へ。
紫ちゃんにボールが渡り、速いパス回しで再びレイアップを決められてしまう。
攻撃力は互角……となれば、あとは守りをどうしていくかだ。
「愛莉ちゃんっ」
智花の手から、ミドルポストへと潜り込んでいる愛莉へとパスが渡る。
「うんっ」
「させないよ!」
愛莉の前に雅のセンターが立ちはだかる。が、それは失策だ。圧倒的な丈が足りていない。
紗季へと渡り、真帆、ひなたの順でパスが通る。インサイドで活躍する小さなシューターは、再びほぼ垂直なアーチを作りだした。これで6‐4になり二点差だ。
今のところ、雅のランガンを一度も止められていない。圧倒的な体力と運動量があればこその戦法であるが、それゆえについていくのに一苦労でもあるのだ。
案の定、速いパス回しとダッシュ力で瞬く間に自陣へと切り込まれてしまう。
――だけど、紫ちゃんは知らないだろうな。ダッシュ力だけならうちの部で随一のおてんば娘がいることを。
「取ったぁ!」
「しまっ――」
真帆が背後から追いついてボールを奪い、そのまま切り替えしてレイアップを決める。これで同点だ。
再び雅ボールで始まる。しかし、紗季の指示が雅の勢いに水を差した。
「愛莉はインサイドで守って! 外からのシュートはまだ一本もないから、ポストで守り切れるはず! ひなと真帆はサイドに注意、私がつなぎをするから智花は上がってすぐに攻撃に切り替えれるように準備してて!」
その指示を受けて、それぞれが持ち場へと駆け出した。レイアップを阻まれる格好となり、明らかに雅のオフェンスの動きが鈍る。
そんな隙を見せれば、たちまちうちのエースに飲み込まれてしまう。
「ッ――」
こんな風に、ね。
ネットが揺れる。これで逆転だ。
その後も雅は成績が振るわず、最終的に二桁の点差をつけて慧心学園バスケ部が勝利した。
初めてのランガン相手のゲームだったが、なかなかいい経験になったのだと思う。なぜなら、みんなが晴れやかな笑顔で勝利の喜びを分かち合っているからだ。
――一人を除いて。
「智花」
そんな少女に、俺は優しく声をかける。
「昴……さん?」
「話したいことがあるのだろう?」
「…………」
苦杯を舐めた相手に対して取っていい態度は、二つしかない。何も言わずに勝利だけを手にするか、口先だけでも相手の健闘も讃えるかのどちらかだ。
そして、相手の健闘を讃えるという選択肢を勝者は選んではいけないことになっている。なぜか? そういうものだからだ。
だから智花は、最後の決心がつかないでいる。
そこに、雅ちゃんがやってきた。
「ありがとな」
「……雅ちゃん?」
「有意義な試合に対するお礼だってのバーカ」
拳を作って、紫ちゃんは智花の頭を軽く小突いた。
「つっても、うちはあんたのこと認めんからな? 絶対、絶対に認めない。あんたの居場所はもうここにはなくって……そこなんでしょ?」
「……うん」
「じゃ、次会う時には因縁はなし。選手としてコートに立とう、約束ね」
「……うんっ」
決してわだかまりは消えたわけじゃないだろう。
けれども、それでも智花が浮かべているのは笑顔だった。
大丈夫だ、問題ない。
智花が隣に立つ。その手をキュッと握った。一瞬の驚きと、数瞬の間があって、雨上がりに咲いたような、美しい笑顔が智花の顔に咲いたのだから。
そして俺達は、五分後にはいつものようにみんなにからかわれることだろう。
けれど、けれども――。
俺は小さな少女の大きな願いを、聞き届けたい思いで胸がいっぱいになるのだった。