何をするにしても一緒にいるのは当たり前で、やたらと腕や腰に抱きつき、つついてみたりちょっかいを出したがる。  
エスカレートして挙句の果てには耳を甘噛みされたり、おでこにちゅーされたり。  
 
最初の違和感は、昼ごはんの時だった。  
十人以上座れそうなだだっ広いテーブルで隣同士の席、それも満員電車の中でギューギューに詰め込まれた時のようなひっつき具合。  
せっかく広いんだからゆったり向き合って食べよう、と提案するも『まーまーいーじゃん!』と手や腕が当たって食事するのに支障が出るくらいの近さに迫ってくる。  
 
宿題をやる時だって俺に問題文を読ませたり、その最中にニコニコしながら耳たぶやほっぺをつんつんしては幸せに浸っていた。  
この無防備っぷり。無意識のうちに近くにいるこの距離感。まるで『無垢なる魔性』袴田ひなたさながらのものだ。  
 
普段はこのような甘い空気を出すことなど滅多にない、どちらかというと腕白でいたずらっ子ともいえる真帆。  
それが、一体何故……彼女の中の何が、このような行為に至らせたのだろう。  
 
「そうか、よく考えたら…」  
 
彼女が普段何を感じ、どんな環境で一日一日を過ごしているのか……考えを巡らせてみる。  
 
家がお金持ちで、心を許せる友達がいて、いつもメイドさん達に見守られてる……とはいえ、世界的に有名なファッションデザイナーである父親とは中々こういった時間を取れないのかもしれない。  
 
もちろん真帆の父親だって、最大級の愛情を娘に対して注いできたのだろう。  
 
娘がほしがったものはなるべく買い与えるようにする。  
仕事の時間を割いて、可愛い娘が寂しい思いをしないように遊ぶ時間を作る。  
忙しい中で、精一杯のことをしてきたに違いない。  
 
しかし、それ以上にここのお嬢様……真帆は、人を愛したい、人から愛されたい───要は寂しがり屋なのだ。  
 
友達とはいえ、所詮は他人である女バスの皆にあれだけの愛情をふりまける真帆なのだから、生まれてからずっと側にいてくれた親への想いはもっとすさまじいものなのだろう。  
でも今日の俺と真帆みたいに、実の父と二人でゆっくりと過ごす時間が中々とれない。  
彼女の小さな身体の中に、父に対する爆発寸前の愛情を持て余していたのだとしたら………その溜まりに溜まった気持ちをぶちまけるかのような、今日の俺への接し方にも納得がいく。  
 
もちろんこんな乱暴とも呼べるくらいの愛なんて、誰にでもぶちまけられるものじゃない。  
 
父と同じくらいに、自分が信頼してて、同じくらい相手も自分のことを信頼してくれていること。  
父と同じくらいに、思う存分甘えられて、同時にその人の喜ぶことなら何でもしてあげたいと思える相手であること。  
父と同じくらいに、大好きで、相手も自分のことを大好きでいてくれていると信じられる相手。  
 
それが……もしかしたら、俺だったのかもしれない。  
 
 
じわり、と胸の奥からあたたかいものが溢れる感覚。  
 
何故だろう。  
真帆にそこまで想われていることを思うと………涙が出そうになるほど嬉しくなる。  
 
もちろんこの仮説が正しいと決まったわけじゃない。  
でも今日一日の真帆を見てきた俺には、それ以外に考えられないのだ。  
そうとしか思えないし……出来るなら、そう思われていると信じたい。  
 
「……ははは」  
 
ふと、自嘲するような笑みがこぼれる。  
バスケ一辺倒だった自分が、他人から信頼されることくらいで感動するようになるなんて……とてもじゃないけど信じられなくて、おかしかった。  
 
人間って変わるものなんだな。  
俺を変えてくれた女バスメンバーの皆には感謝しないと。もちろん俺に顧問になってくれと勧めてくれたミホ姉にも改めて感謝だ。  
 
人の気持ちに鈍感だと言われ続けた自分だが、それも随分改善されたのかもしれない。  
 
 
「───お待たせすばるん!戻ってきたぜっ!」  
「おう、早かったな。まだ十分も経ってないんじゃ──────ぶはあっ!?!?」  
 
バァン!!!  
感傷にひたっているところに勢い良く扉が開かれ、敵に宣戦布告を告げるかのごとく叫ぶ真帆……………だったのだが。  
 
「ななななっ、なっ───」  
「へへへっ、すーばるぅーーーん!!!」  
「ばっ!それはまずっ………がはあっ!!!」  
 
だだだだだだだっ、とダッシュ一番、こちらへ走ってきたかと思うとスピアーの勢いで両手を広げ、頭から突撃!  
見事、俺の胸元へ突き刺さり、今はぐりぐりと額を押し付けている三沢製お嬢様ロケット。  
 
「すばるんすばるんすばるん!!」  
「おいバカやめろっ!一体何があった!そうか熱か!熱でもあるのかっ!?」  
 
それが……何の変哲もない、ただのタックルなら『あぁ、またか』で済んだところだが───  
 
「くふふ、あえてゆーなら『すばるんにオネツ』みたいな?」  
「みたいな、じゃなーーーいっ!いっ、いいから……」  
 
一呼吸置いて、今の真帆の状態を把握する。  
濡れて室内のライトを反射し、キラキラと黄金のように輝く髪。シミひとつない、ぷりっぷりの肌。  
 
そして、それ以上に眩しく輝く……太陽のような、笑顔。  
 
 
………ではなく!!!  
 
「今すぐに服を着てきなさいっっっ!!てゆーか後生ですから服を着てきてくださいお願いしますっっっ!!」  
「ゴショーってなんだよ、すばるんお坊さんだったのか!」  
「和尚じゃない!後生っ!!!」  
 
今、真帆が装着しているのは下着のみ。男らしく言うならパンツ一丁。  
 
そんな格好の真帆がコアラの赤ちゃんよろしく抱きついてくる現状。ふふ、いっそこのまま抱きしめてコアラの親子ごっこでもやろうか……いやそれは確実に死亡フラグなのでやめておこう。  
 
ダメだ、あまりの急展開に頭がついていっていない……。  
てゆーか先日の夏祭りでパンツ見られて恥ずかしいだの、責任取れだのほざいてたのはどこのどいつだ!  
 
ちなみに今の俺が身に纏っているのは半袖半パン、極めてラフな服装である。  
そんな中にあっても真帆の身体の熱さが伝わってきて、特に胸のあたりに見える桜色の突起などは───  
 
 
がりがりがりっ!!  
 
「〜〜〜っ!」  
 
思わず右手の親指を人差し指で引っ掻いて、理性を取り戻そうとする。  
鋭い痛み。しかし行動自体が地味だったためか、今の行為は真帆に見抜かれないで済んだようだ。  
 
「まー今日すばるんはシツジとしてほんとーによく仕えてくれたかんなー!これは頑張ったすばるんにご褒美〜なんちって。ほれほれ〜とくとみるがよい!」  
 
改めて無い胸を張り、自慢気に腰に手をあてる真帆。  
 
これは…正直厳しい。というか反則に近い。  
幾ら小学六年生でつるぺたボディで女性的魅力に欠ける身体をしていたとしても、今の俺にとって真帆は……かけがえのない、大切な存在として定義されたばかりなのだ。  
 
無邪気なしぐさに女の子特有の柔らかい身体、彼女の中にある純粋な想い。好意。愛情。  
寂しがり屋な彼女が少なからず自分を慕ってくれているのだろう、という表現しようのない嬉しさ。  
 
より真帆のことを愛おしい存在だと確認しなおしたこの精神状態で、ほぼ全裸で抱きついてこられるとなると……色んな意味で厳しい。  
 
俺だって───俺だって、健全な高校一年生。それなりの欲求は持っている。  
ただでさえ俺にとって彼女は、元気で明るく、仲間思いでめちゃくちゃ大好きな女の子だっていうのに…………  
 
 
 
……………あれ?  
 
『大好きな女の子』って、小学六年生に対して今の発言は何気にまずくないか??  
これっていわゆる『LikeじゃなくてLove』ってやつだよな……???  
いやいやいや、そんなこと言ったら真帆だけじゃなく、女バスメンバーに対しては全員同じ想いを───いやだから、異性としてではなくですね……。  
 
 
「さーさーすばるん、はやく歩くんだ!」  
 
予期せぬサプライズによって親心と異性への感情がぐちゃぐちゃになり、思考回路のドツボにハマっていく俺の手をぐいぐいと引っ張る真帆。  
 
「あ、歩くって、一体どこに…?!」  
 
胸がざわざわする。嫌な予感しかしない。  
あの世か?あの世なのか?ゴートゥーヘブンなのか?  
 
「どこって………お風呂に入ったんだから、次はベッドに行くに決まってるじゃん!もちろん今日は一緒に寝るんだかんなっ!」  
 
案内先は………何のことはない、ただのリアルヘブンでした。  
いやむしろ地獄という表現の方が正しいか……………ってそんなことはどうでもよくて!!!  
 
「ダメ、ダメダメダメダメダメだって真帆!!一体どういうつもりなんだ!っていうかどうしてこんな流れになった!!」  
 
一歩、また一歩とリアルヘブンもとい地獄の三沢ワールドへと引きずられていく。  
 
頭の中に走馬灯のように浮かぶのは、頬をほんのり紅く染め、シーツを一枚だけ羽織って『いいよ、すばるんになら…あたしを全部あげるから…』なんて悩ましい表情でささやく真帆の姿。  
はは……文字通り、地獄までお供しますよお嬢様……ってか。  
 
 
……いや、俺まだ死ぬ気ないから。  
 
「こらっ、ベッドまでって一体どういうつもりなんだ!それがどういう意味か───」  
 
もうなりふりかまっていられない。掴まれた手を振りほどき、彼女の肩をがっしと掴んで説得する。  
 
ここが運命の分かれ道だ。  
真帆が一体何を考えているのかさっぱりだが、これで何かしらの有効な説得ができなければ俺は死ぬことになるだろう……色んな意味で。  
 
そんな俺をはてな顔で見つめながら、すっと左腕を差し出す真帆。  
 
「ほぇ?髪梳かしてもらおーと思ったんだけど……これってそんなにダメなことなの?」  
 
差し出された手に握られていたのは、何の変哲もない髪ブラシ。  
そうだよな、まさか小学六年生の女の子が、そんな意味でベッドに行こう、なんて言い出すはずがないもんな……  
 
……はは……つまりこれって、俺の早とちり───  
 
 
「ぐああーーーーーっ!!!」  
「どうしたすばるん!お腹でも痛いのか!?そんならあたしがさすってやんよっ!とぉーーーっ!!」  
 
自分の思考がいつの間にか腐っていたことに悶絶しながら、思わずベッドにダイブする俺。  
そんな俺を追うようにして同じくベッドにダイブする真帆。  
好機とばかりにひっついてくる真帆を懸命に引き剥がす俺。  
 
ということで、期せずして二人仲良くベッドインしちゃいました☆  
ふははははー、何故だろうなー、白い花びらが舞い散る天界が見えるぜ!  
 
 
……やだ俺まだ死にたくない……もう家に帰りたい………。  
 
そんな俺の悲痛な思いをよそに、ベッドにぽすんと腰掛けて、俺に背を向ける真帆。  
目の前にキラキラと輝く、栗色の大草原が広がる。  
 
「じゃーすばるん、あたしの髪の毛……サラサラにしてね」  
 
手持ち無沙汰な右手にぽん、と両手で丁寧に渡されるブラシ。  
男にしか理解してもらえないのかもしれないが……何気にその渡され方一つでもドキッとくるもので、ましてやいつも快活そのものである真帆のような女性から控えめにそう言って渡されると……なんかもう、色々ヤバいのだ。  
 
……いや、『女性』って……そういう意味ではないんだよ?そうだよな、俺っ?!  
 
「───わ、わかった!サラサラにしてやるからなっ!」  
「おーっ、頼むぜすばるんっ!サキなんかにゃ負けねーぞっ!!」  
 
同じ長髪仲間である紗季の名前をあげ、元気よく両こぶしを突き上げる彼女。  
いやいや何とも微笑ましい光景だ……………パンツしか身につけていないことを除けば。  
 
とりあえずベッドの上で胡座をかき、すこぶるご機嫌な彼女の長い髪と向きあう。  
持っていたバスタオルでわしわしと拭きとりながら、そっと髪にブラシを押し当てる。  
 
まだ少し水気が残っているためか、引っかかることもなくするするとブラシを通すことが出来る……今までに味わったことのない快感だ。  
そういえば、母さんがいつもニコニコしながら楽しそうに自分の髪をブラッシングしていたような……こんな単調な作業の何が楽しいのか全く理解不能だったが、今ならその気持ちも分かる気がする。  
 
ましてや今俺の目の前にあるのは、ツヤツヤすべすべサラサラな、モデルやアイドルだって死ぬほど羨ましがりそうな栗色の髪。  
 
「……きれいだな……」  
「にししっ、ありがとーすばるんっ」  
 
思わず率直な感想を漏らす。  
そんな俺を見上げるようにして、満開の花のような笑みを向けてくる真帆。  
 
……だからその表情は反則なんだって!  
こっちは不意打ちばっか喰らってて精神状態が色々ヤバいんだから!  
 
少し油断すれば無防備な笑顔が飛んでくる。全く、油断も隙もありゃしないんだから…。  
 
俺は心の葛藤と壮絶なバトルを繰り広げながら、何とか真帆の長い髪を丁寧にくまなくブラッシングする。  
十五分経っただろうか、いや三十分かかっただろうか……まどろみに近い、今日一番のゆっくりとした至福の一時であった。  
 
 
そして、ブラッシングされていた当の本人といえば……。  
 
「……むにゅ……えへ、すばるぅーん……」  
「おい、終わったぞ……真帆───」  
 
起きろ、と言おうとして……やっぱりやめた。  
この、陽だまりの中で昼寝している猫のような彼女の睡眠を妨害するのは…何よりの罪に思えたのだ。  
 
そのうちぽすん、と俺の方にもたれかかってくる真帆。  
 
安心しきった寝顔。脱力しきった上半身。そしてほぼ全裸。  
 
「…………………………」  
 
一瞬だけ頭によぎった考えをブンブンと振り払い、彼女の寝顔を見つめる。  
規則的な寝息と、それに伴い微かに揺れる小さな身体。  
 
……可愛いな。素直にそう思った。  
 
問題はほとんど服を身につけていない今の状態だが……こう安心しきった顔をされては、ほんの僅かな邪な気持ちもすっかり萎えてしまう。  
もちろん最初から手を出すつもりなんて毛頭なかった。だから───  
 
「……おやすみ、真帆」  
 
小さく呟いて、彼女の頬に手をやる。  
まるで娘を愛おしく思う父親のような気持ちで、その頬や頭を撫でてあげることにした。  
 
まずほっぺたに手をやり、その頬をむにむにとつまんでやる。  
弾力と共に「ふぇ…」という寝言のような寝息が聞こえた。  
いつも顔いっぱいに表情を咲かす顔が、俺の指先ひとつで形を変えているのが何ともおかしい。  
 
次に手のひらをよせ、その肌の感触を楽しむ。  
湯上がりたまご肌という言葉があるがまさしくその通りで、肌触りがよく何時間だって撫でていたくなるほっぺただった。  
 
その次は顎だ。  
健康的なシミひとつない肌色に、するっとした角が一つ。  
その輪郭を撫でていると、無意識に俺の手をゆるく掴んで顔を寄せてくる真帆。  
深い眠りに落ちている飼い猫を撫でているような気分だ。  
 
最後にふにふにと耳たぶをつまんでやる。  
少し産毛の生えた、これまたいつまでも触っていたくなる耳たぶだ。  
普段あれだけ元気に騒いでいる彼女だが、柔らかい部分はちゃんと柔らかいのだ。  
 
「…………………………」  
 
もういいだろう。  
 
腕も掴まれてしまった。本人は熟睡中。  
半裸という危うい格好だって、真帆自らがすすんでなったものだ。  
 
ベッドの上に二人きり。  
確かにマズい状況なのかも知れない。  
 
でも今日一日くらいは……こんなまどろみの時間くらいは、共に過ごしても罰は当たるまい。  
 
 
掴まれた手をそのままにして、真帆の隣に並ぶように横たわる。  
願わくばまたこのような至福の時間を過ごせるようにと祈って目を瞑り、もう一度小さく呟く。  
 
おやすみ、真帆……と。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
永遠にも思えた、安らぎの一刻。  
 
まるで犬のような荒い呼吸と、苦しそうな真帆の表情に飛び起きたのは、数時間後のことだった。  
 
 
 
 
※  
 
 
 
 
他人の家の冷蔵庫を躊躇いなく開き、目を皿のようにしてあるものを探す。  
やがてそれがたくさん転がっている一室を見つけると、急いでビニール袋の中につめて水を入れる。  
 
氷枕。  
今の俺が思いつく、最善の策だった。  
 
 
今思えば、当たり前のことだ。  
 
少しでも俺と一緒に居たかったのか……お風呂に行く、と宣言してから数分で帰ってきたということは、着替えの時間なども計算に入れるとほとんど湯船であったまってはいなかったのだろう。  
更にパンツ一枚しか身につけていない状況。  
夏休み真っ盛りでもちろんこの部屋はクーラー完備。  
ただでさえ水に濡れて湯冷めしやすい状態なのに、そこに布団もかぶらずほぼ全裸で無防備に寝ていたら………幾ら真帆のような健康優良児だって、一発で身体を冷やして風邪を引いてしまうに違いない。  
 
そんなことくらい……少し考えれば、誰にでも分かったはずなのに。  
 
「俺は………執事失格だな、真帆」  
 
呟いて、彼女の額に冷水で濡らしたタオルを敷き、両脇に手作りの氷枕を押し当てる。  
首の後ろや脇を冷やしてあげると幾分か熱が下がるらしい。昔、母さんがしてくれたことを必死で思い出す。  
 
主人の健康状態すら満足に慮ってやれないなんて、情けない。情けなさ過ぎる。  
ましてやあれほど自分にとって大切な存在であると宣(のたま)っておきながら、浮かれて今の状況把握すら出来なくなるなんて……視野狭窄なんてレベルじゃない。  
 
「はぁ、はぁ……すばるん、すばるん…っ」  
「ん、どうした真帆?何か欲しいものでもあるのか?」  
「ふあっ、うぐっ……どこ行ってたんだよ、すばるん……ひっく」  
「ごめんな、真帆……俺はここにいるからな」  
 
目の端から涙を滲ませる真帆の小さな手をぎゅっと握りしめる。  
そういえば真帆は、暗がりでも怖がるような怖がりさんだったもんな……。  
 
それに熱にうなされ、精神的にも参ってしまっているのだろう。少し真帆から離れるだけでこの有様だ。  
あぁ……本当に何で気づいてやれなかったのか。悔しくて悔しくて、自分に腹が立つ。  
 
救急箱や薬がどこにあるか分からない以上、自分の少ない知識で最善の策を練るしかない。  
ただ……体温計などがなくとも、今の真帆が高熱で苦しんでいることは一目瞭然だった。  
 
 
とはいえ……これ以上俺に出来ることは何もない。  
看病なんてしたことない自分に思いつく手段はせいぜいこの程度。あとはこのまま悪化するようなら救急車を呼ぶことも視野に入れて、布団をかぶせてやったり汗をふいてやったりする程度だ。  
本当は服も着せてやりたいところなのだが……真帆の服がどこにあるのかさっぱり分からない上、あまり長時間離れると真帆が泣いてしまうのでどうにもならなかった。  
 
後は、これ以上容態が悪化しないようにしながら、久井奈さんたちが帰ってくるのをひたすら待つだけだ。  
 
「……………」  
 
……本当に、そうなのだろうか?  
 
まだ俺にも出来ることはあるはずだ。  
考えろ……今日の真帆が、一体自分に何を求めていたのか。  
 
真帆は何故、自分を一日執事に任命したのかを。  
 
「真帆……」  
 
布団を開き、真帆の隣に滑りこむ。  
いわゆる添い寝というやつだ。  
 
半裸の少女に添い寝するなんて、社会的にアウトだって?  
俺のトラウマ?  
ロリコン疑惑?  
 
そんなことはどうでもいい。  
 
今の俺に出来る最後の手段。  
それは、この愛されたがりで寂しがり屋の少女が少しでも安心出来るよう、身を寄せて精一杯の愛情を傾けてやることだけだ。  
彼女もきっとそれを望んでいるに違いない。その証拠に───  
 
「……すばるんっ!すばるん、すばるんっ」  
 
───ほら。  
 
布団に入ってきたばかりの俺を、腕と足でがっしりとホールド。  
もう二度と離すまいとの勢いで抱きついてくる。  
 
「真帆、真帆っ!」  
 
そのあまりの必死さに煽られたのか、俺も負けじとばかりに強く抱き寄せる。  
灼熱のように火照った身体。彼女の苦しみを少しでも分かち合ってあげたくて、ただただ身を寄せ合う。  
 
潤んだ瞳。緩む頬。  
その表情には安堵が浮かんでいた。  
しかし、依然として額からは汗がふつふつと吹き出し、荒く息を吐き出している。  
 
───もっとだ。  
もっと、彼女を安心させてあげるにはどうしたらいいのか。  
 
「……真帆」  
「ふあっ」  
 
それは何も考えていない、ほとんど無意識のうちの行動だった。  
今日の真帆が俺にしてくれた、最大級の愛情表現の一つ。そのお返しだ。  
 
「本当に、ごめんな。ちゅっ…俺がもっと早く気づいてあげられたら、ちゅぱっ、真帆にこんな苦しい思いをさせずに済んだのに───」  
「ふあっ、はっ、ああっ」  
 
苦しそうな真帆の額に、小さなキスを落とす。  
やがて時計回りにこめかみ、耳の後ろ、ほっぺたへと少しずつ場所を移していく。  
唇から伝わる熱も、しょっぱい汗の味も、全く気にならなかった。  
 
今は少しでも真帆を楽にしてやりたい。その一心だった。  
 
「真帆が元気になるまで、ずっと側にいてやるからな………んっ」  
「んむっ───ちゅっ、ちゅぱっ」  
 
最後に………熱にあえぐその唇に、約束のキスをする。  
唇を離そうとするも、いつの間にか首の後ろに手を回されて離すことが出来ない。  
 
何度も、何度も唇を重ねる。重ねられる。  
二回、三回、四回、五回。  
 
真帆の唇の味は……とても熱くって、甘美なものだった。  
こんなに小さくて幼いのに、そのキスは間違いなく男を虜にして骨抜きにしてしまうものだろう。  
 
そんな情熱と愛情のこもった、爆弾のようなキスだった。  
 
 
どれほどの時間が経過したのか。  
一分だろうか、十分だろうか、それとも一時間だろうか。  
 
気づけば真帆はすーすーと穏やかな寝息を立てて眠っており、眉をしかめることもなく安らかな眠りへと落ちていた。  
どうやら俺の仕事は完了したらしい。今だに汗はにじみ出ているものの、その表情に心から安堵する。  
 
あとはこの子が不安がらないように、朝まで一緒に寝てあげること。  
そう思って俺も、再び瞼を閉じて深い眠りへと落ちていった。  
 
 
 
 
※  
 
 
 
 
拝啓。  
盛夏の候、皆様はいかがお過ごしでしょうか。  
今この時において、私、長谷川昴は人生最大の危機を迎えております。  
 
そう……昨晩、真帆が熱をだして、応急処置をし、彼女が不安がらないように添い寝をして、キスをした。  
それは彼女の寂しがり屋な点や、不安定な心を落ち着かせてあげるための苦肉の策だ。  
 
自分の行いが間違ってるとは思っていない。  
思っちゃいないがっ……!  
 
 
ふと隣を見ると、意識を失う寸前に見たのと同じ、落ち着いた呼吸と共にすぅすぅと眠っている真帆の姿。  
 
「さすがに、あれはマズかったよな……」  
 
思い返す、昨晩のこと。  
熱い身体に熱い唇。紅潮した頬に吹き出す汗。荒い呼吸をしながら、微笑みを向けてくる真帆。  
その場に流されたとはいえ、仕方ないの一言で済ませられるかというと───激しく疑問である。  
 
どうしてこんなことになったのだろう。  
自分の失態を償うためにこの家に招かれたはずなのに、また一つ己の罪過を増やしてしまったような気も………  
 
 
俺………このあと、どうなるんでしょうね。  
 
次々と浮かんでは消えていくキーワード。  
悲鳴、驚愕、叱咤、激怒……通報。  
 
ダメだ。  
間違いなく俺の人生終わる。  
 
いやでもまだこの通りお姫様は熟睡中だ。  
今のうちに上手く立ち回れるような言葉を考えておかないと───  
 
「すぅ…むにゃ、あ……」  
 
青ざめた顔で見つめる俺。  
ゆっくりと開けられる瞼。  
 
あぁ、神様。  
貴方には血も涙もないのでしょうか。  
 
「……や、やぁ真帆」  
「ん……おはよ、すばるん」  
 
昨日あれほど苦しんでいたのが嘘みたいな、穏やかな表情。  
 
「ど、どうだ?もう身体、しんどくないか…?」  
「……………」  
 
寝ぼけ眼の真帆は、心ここにあらずといった表情で俺を見つめてくる。  
これは……このリアクションは、本当に終わったかも知れない。  
 
「……ふへぇ〜、すぅーばーる〜〜〜ん!」  
「おわ!」  
 
と思った矢先、昨日のひっつき虫モードよろしく抱きついてくる真帆。  
 
「なぁ、ホントに大丈夫か?ゴメンな、俺のせいで……」  
 
もちろん真帆の状態に気づいてあげられなかったというのもあるが、今はまた別の罪悪感が重くのしかかっている。  
とりあえず今の俺に出来ることは、平身低頭心から謝ることのみだ。  
 
「ん〜…?なんですばるんがあやまってんの…?すばるんが一緒に寝てくれたから、一晩で風邪がなおったんじゃん」  
「……え」  
「ありがとー、すばるん。えへへっ」  
 
太陽の微笑みを見せながら、ほっぺにちゅっとキスをしてくる真帆。  
アレか、真帆にとってこれくらいは日常茶飯事なのか?  
 
それとも……熱にうなされていたせいか、昨日俺がキスしたくだりは記憶から抜け落ちてる………なんて、そんな都合のいいことがあったりするのだろうか?  
 
「……いいえ、どういたしまして」  
 
力なく返事をする。  
 
もういい。  
もう何でもいい。  
何事もなくこの朝を迎えられるのならば。  
 
けたたましいセミの鳴き声と、暴力的に照りつける朝の日差しを受けながら……何とか社会的に死ぬことなくこの家を出られることに、深く深く感謝するのであった。  
 
 
 
 
かくして、俺の一日執事体験は幕を閉じた。  
紆余曲折……というにはあまりに壮絶な一日だったが、どうにか無事に陽の目を見ることが出来たことに感動すら覚える。  
 
とにかく真帆の風邪も治ったし、終わってみれば色々と収穫のあった一日だったと思う。  
真帆が普段、俺が思っている以上に自分のことを好いてくれているということもわかったことだし……また明日から、より一層女バスメンバーの皆が上達出来るように頑張ろうと思える。  
 
だから次の日、高熱にうなされて死ぬ思いをしたことなんて何とも思ってない。  
そう、今回の出来事に比べれば───  
 
 
 
 
─交換日記(SNS)─ ◆Log Date 8/○○◆  
 
『どうだった、真帆。長谷川さんの一日執事は。  
  紗季』  
 
『うん、ちょーたのしかったよ!すばるんひとりじめできたし〜…へへっ、こんなことくらいでおこっちゃだめだかんな、もっかん!  
  まほまほ』  
 
『ふぇっ、なんで私がおこるの?!  
  湊 智花』  
 
『そんなこと言いながら、次の練習でどうやって真帆に仕返ししようか本気で考えてるんじゃないのー?まぁボールぶつけるくらいなら私も見逃してあげるけど、靴に画びょうとかあまり分かりやすい仕返しだと、私だってフォローしきれなくなるから……控えめにね?  
  紗季』  
 
『ふぇええぇーっ!!?そんなことしない、しないよっ!!  
  湊 智花』  
 
『おー、ぼうりょくはんたい。ともか、おこっちゃやだよ。  
  ひなた』  
 
『もーひなたまでっ、おこってなんかないってばー!!  
  湊 智花』  
 
『あはは、でもいいなぁ、長谷川さんと二人きりで一日過ごせるなんて。きっと楽しいだろうなぁ……。  
  あいり』  
 
『よーしアイリーン、すばるんにそのムネをもませてやれ!そしてせきにんとってすばるんにイチニチシツジをやらせるんだっ!  
  まほまほ』  
 
『ひ、ひええぇーっ!?そ、そんなのダメだよ…いくら長谷川さんでも、それは……。  
  あいり』  
    
『やめときなさいって、真帆。長谷川さんは責任感の強い人なんだから、いくら事故でも立て続けにそんなことさせちゃったら責任とってコーチやめるとか言いかねないわよ。  
  紗季』  
 
『おにーちゃん、ひなたちのコーチやめちゃうの?ひな、とってもこまる。  
  ひなた』  
 
『とかいいつつ、ひそかにふたりっきりのときにムネをさわらせてすばるんをローラクしようとたくらむサキさんなのであった。  
  まほまほ』  
 
『なっ!黙りなさい真帆!わわわっ、私がそんなことするはずないでしょう!そりゃトモなら、キスくらいはあげられるかもしれないけれど……。  
  紗季』  
 
『ふえぇーっ!?だからなんで私なのっ!?  
  湊 智花』  
 
『おー。ひなもおにーちゃんと、ちゅーしたいぞー。  
  ひなた』  
 
『ひなちゃんも、そんなこと言っちゃだめだよぅ…キスは本当に好きな人としかしちゃいけないんだよ?  
  あいり』  
 
『ひな、おにーちゃんだいすき。しちゃだめなの?  
  ひなた』  
 
『ダメだよひなた、そんな軽々しい好きでキスしちゃ…。  
  湊 智花』  
    
『そうよ、ひな。まぁ長谷川さんが本当に好きなのは……ねぇ真帆?  
  紗季』  
 
『そうだぞヒナ、キスってのは……キス……キス?へっ、あっ、あぁああぁーーーっ!!!???  
  まほまほ』  
 
『おー、どうした、まほ。  
  ひなた』  
 
『えっ、あっうん、なんでもない、なんでもないってば……あはは……。  
  まほまほ』  
 
『……ちょっと、真帆。あんたまさか……。  
  紗季』  
 
『いやいや、してないしてない!すばるんとキスなんかしてるわけねーじゃんっ!!!  
  まほまほ』  
 
『いや、誰もまだキスしたなんて聞いてないんだけど……。  
  紗季』  
    
『ぎにゃーーーっ!!サキにはめられたーーーっ!!  
  まほまほ』  
 
『ふええええっ!!真帆、昴さんとキスしたの?!?!  
  湊 智花』  
 
『えっと、真帆ちゃん……冗談だよね?キスなんて……してないよね。  
  あいり』  
 
『おー、うらやましいぞ、このー、このこのー。  
  ひなた』  
 
『あうぅ……ちがうんだよぅ。あれはであいがしらのジコみたいなもんで……うぅ……。  
  まほまほ』  
 
『ともかく真帆。あんた明日居残り決定。皆ももちろん残ってくれるわよね?  
  紗季』  
 
『おー、どんとこい。  
  ひなた』  
 
『う、うん……昨日なにがあったのか、私も真帆から聞きたいな…。  
  湊 智花』  
 
『真帆ちゃん……話して、くれるよね……?  
  あいり』  
 
『いやいやムリ!ムリだって!!!だれかたすけてーーー!!!  
  まほまほ』  
 
 

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