執行猶予、という言葉がある。
もちろんそうでない場合も多々あるだろうが、大雑把に言ってしまえば、期間内に他の刑事事件を起こさなければ懲役が免除される、というものらしい。
あの日、真帆の家で一日執事として過ごしてもう三日になる。
色々と人前では言えないこともあったが、どうにか丸く収まったみたいで無事、平穏な世界に戻ることが出来た。
尤も、昨日まで真帆から貰った夏風邪で寝込んでいたのだが……それくらい、どうってことはない。
今日は久々に女バスのメンバーに会える。
そういえば真帆の体調はもう大丈夫だろうか。真帆ともあれっきり会っていないので、元気になってくれていればいいのだが。
しかし………その時の俺にはまだ理解出来ていなかったのだ。
その三日間が、いわゆる俺の執行猶予期間であったということを。
※
思えば今日は皆どことなくおかしかった。
ことあるごとに気まずそうな顔をしたり、何か不自然な笑い方だったり。
真帆に至っては目を合わせようとせず、話をしている途中もしきりに下を向いて、もじもじと耐えているような様子だった。
何か後ろめたいことでもあるのか、それとも俺が何かしたのだろうか。
オマケに『今日は皆用事があるので、いつもよりニ時間早く練習を終わらせてください』ときたもんだ。
ちょうどいい。
余った時間を利用して、今日のこの空気について説明してもらおう。
尋ねる相手は………うーん、やっぱり皆のことを一番客観的に把握しているであろう紗季が適任か。
それに今日一番おかしかった真帆のことについても、幼なじみの紗季なら何か知っているかもしれない。
よし、それでいこう。この件についてはとりあえず後回し。
今は練習、練習。少しでも皆が上手くなれるように、俺も頑張らないと。
……そんな楽観的な考えをしているうちに、今日の練習時間───つまり、俺の執行猶予期間は終わってしまったのだ。
一つ付け足すとするならば……今回、俺の執行猶予には免除というものがなく、たとえその期間中に刑事犯罪を犯してなかったとしても、必ず実刑判決が下される……ということくらいか。
「はい、じゃあ今日の練習はこれでおしまい。皆お疲れ様!」
ありがとうございました、とまばらな返事が聞こえてくる。
うむ、やっぱりどこかおかしい。皆いつもは『ありがとうございました!!』とまるで謀ったかのようにピッタリと、大きな声で返事が返ってくるのだが。
よし、じゃあ次の仕事だ。
紗季を呼び止めて、皆の今日の様子について───
「───っと」
練習中の真面目な空気も、それが終われば何のその。
皆一瞬でただの小学生女子へと戻り、和やかな雑談に花を咲かせているものだ。
……普段なら。
しかし今日に限っていえば、今だに皆その場から立ち退こうとはせず、むしろ練習の時以上の緊迫した空気で五人全員がじーっと俺を見つめていた。
「……えっと、皆どうしたんだ?何か相談でも───」
「長谷川さん。今から少し、お時間を頂いてもよろしいですか?」
一歩、前に踏み出して進言してきたのは紗季だった。
この張り詰めた空気の中でも怖じ気付くことなく、そのつり目を普段の五割増鋭くとがらせて、真摯な目で見つめてくる。
正直……こういう空気は嫌いじゃない。
皆毎日、本当に真剣になってバスケに取り組んでいる。個々から相談は受けることはあっても、チームの皆が一斉にこういう時間を要求してくるのは中々ないことだった。
ポジションか、練習内容か、それともこれからの慧心学園女バスの方向性についてのことか。
あぁ、熱い空気だ。
思わずバスケプレーヤーとしての血が騒いでしまう。
「あぁ、うん。大丈夫だよ。幾らでも付き合ってあげる」
「ありがとうございます。それでは───」
ぺこり、と行儀よく頭を下げて、要件に移る。
「この間、一日執事として真帆の家に行ったそうですが……一体どういうつもりだったんですか?」
「……え?」
完璧に予想外の質問だった。
しかし『どういうつもり』と抽象的に聞かれても答えようがない。
「えっと、『どういうつもり』って……どういうこと?」
「まだ分かりませんか、長谷川さん」
ますます目を鋭くさせて、俺に迫ってくる紗季。
その目で見られていると、何だかこちらが悪いことをして怒られているような気分になる。
周りもそれを感じているようで、逃げ出しこそしないものの皆怯えたような表情をしている。
「長谷川さん。私は、コーチとして、一人の人間として、貴方のことをとても信頼し、尊敬しています。それは私だけじゃなく、皆も同じ気持ちだと思います。
でもだからこそ……この要件に関して、見過ごすわけにはいかないんです」
「う…うん」
よく見れば、ナイフのような紗季の目が少し憂いを帯びているのが分かる。
自分に言い聞かせるように、一言一言をしっかりと発する紗季。
浅くだが深呼吸をし、気持ちを整え………核心をつく、言葉のナイフを突き出した。
「あの日………風邪を引いた真帆と一緒の布団に入って、熱にうなされ意識ももうろうとしている真帆にキスをしたそうですが……これは一体どういうことなんでしょう?
一体長谷川さんは……どういうつもりで、そのような行為に及んだんですか?」
白い世界。
頭が、思考回路が根っこから一点の曇りもなく真っ白になった瞬間だった。
そう、俺は完璧に見誤っていたのだ。
この子たちの情報網、あるいは伝達速度の速さというものを。
「え、えっと…はは。何で紗季がそのことを」
「そんなことはどうでもいいんです」
ぴしゃり。
扉を締め切るがごとく、俺の質問を寸断する紗季。
「それよりも質問に答えてください。返答次第では……たとえ長谷川さんを傷つけることになろうとも、私は真帆を守ることに全力を尽くします。
一切の容赦はしませんので、そのつもりで」
ぎゅっ、と手を握りしめて、強く俺を睨みつける。
その身体はわずかにだが震えているのがわかった。
彼女にとって、俺は……バスケ以外にも色んなことを教えてくれる、いわば頼れるお兄さんのような存在なのかもしれない。
でも……だからといって、その存在に親友を傷つけられようものなら、たとえその頼れるお兄さんを切り捨てることになろうとも、何がなんでも守ってみせる。
何を失うことになろうとも、どんな犠牲も厭わない。
家族を守る、父のような。
子供を守る、母のような。
親友を守る、友のような。
そんな瞳だった。
「……うん、分かった。話すよ」
もう口先で誤魔化せるような相手じゃない。
真実を知るため、親友を守るため、この子が目いっぱいにまで張り巡らせたセンサーは、きっと少しの嘘だって敏感に察知し、見破ってしまうに違いない。
ましてや今は可愛い教え子である五人が相手。俺を信頼してくれている皆のためにも、その信頼を裏切るような回答は決して出来ない。
それならば………もういっそのこと全てをぶちまけて、誠心誠意話してしまうこと。
今の彼女たちに分かってもらうには、それしか手段は残されていなかった。
※
体育館の中で、座り込む姿が六つ。
そのどれもが真剣な顔をして、何かに取り組んでいるように見えただろう。
練習が終わってからもう十五分が経過しようとしている。
ようやく俺は、あの日……真帆の家で起こった一部始終について話し終えることが出来た。
バスケの練習をして、汗を流したこと。
次にゲームをして、二人で盛り上がったこと。
昼ごはんを二人で美味しく食べたこと。
その時あたりから、真帆が俺にひっついてくるようになったこと。
二人で一緒に夏休みの宿題に取り組んだこと。
その過程で、真帆に執事として問題文を読むという仕事を課せられたこと。
晩ご飯を食べて、お風呂に入ったこと。
風呂上がりに髪の毛を梳かしてくれとお願いされ、ブラッシングしているうちに真帆が眠ってしまったこと。
そして……夜中に真帆が風邪を引いてしまい、その看病をしたこと。
今日一日、異常なまでに俺にべったりひっついてきた真帆。
父が忙しく、中々会う機会がもてない真帆は、そのフラストレーションを俺にぶつけているのではないかと、自分なりに推察したこと。
熱にうなされて精神的に参っていた真帆をもっともっと安心させたくて、添い寝をしてやったこと。キスをしてやったこと。
他人に話をされることで客観的に自分のやった行為を認識できたのか……真帆は一度も顔をあげることなく、ひたすら顔を真っ赤にして聞いていた。
あー……ゴメンな、真帆。でもこうでもしないと、きっと皆分かっちゃくれないだろ?
それに……俺の身が滅ぶだけならいいが、下手に嘘でもつこうものなら、皆の居場所である女子バスケ部やミホ姉にまで迷惑がかかっちまう。
大丈夫だよ、皆本当にいい子たちなんだから。
真帆はなんも悪いことしてない。もし咎められるのだとしたら……それは俺だけだ。
「……話は分かりました」
ふーっ、と長いため息をついて、肩を撫で下ろす紗季。
皆の緊張も幾らかとけたみたいで、『そ、そうだよね……長谷川さんが理由もなくそんなことする訳ないもんね』とか『おー、おにーちゃん、やさしいなー』とか、口々に雑談しているのがわかる。
それにしても……長い十五分だった。試合なんかより余程緊張したかもしれない。
「皆、ゴメンな。何だが誤解させちゃったみたいで……」
「でも、まだ納得できない点が幾つかあります」
紗季の発言により、張り詰めた空気に逆戻り。
先程よりは幾分か鋭さの消えた、しかし依然として真実を探求する探偵の目をしたそれが、俺をじっと見つめてくる。
「まず一つ。幾ら髪の毛を乾かさずに寝たといっても、そんな急に高熱を出してしまう……というのは少し無理があると思います。真帆の身体は昔から丈夫だったし、少なくとも長谷川さんが執事をやる日までは健康そのものだったはず。
口では上手く表現できないのですが……何か腑に落ちません。その辺りはどう思いますか、長谷川さん」
相変わらず真摯な眼差しで、こちらを穴が開くほど見つめてくる。
あー……それ、聞かれちゃいましたか……。
やっぱりダメだ。
他の子は皆素直で、もちろん紗季も素直でいい子なのだが、それ以上に冷静沈着、場を見る能力に長けているこの子にまやかしは通用しない。
「ふあっ、な…なんだよすばるん!」
真帆……ゴメンな。
真帆の立場を守るため、なるべくなら話さずにいようと思った部分なんだけど……どうやら話さないといけなくなっちゃったみたいだ。
俺は立ち上がり、今だに俯き加減な真帆の後ろに立つと、彼女の両耳にゆっくりと手のひらを押し当てる。
せめて彼女の耳には聞こえないように……今の俺が出来る、最大限の配慮だ。
「それは……真帆なりのもてなしだったんだろうと思う。二人きりで気が抜けていた、ってのもあるかもしれないな───」
真帆が不思議そうな目でこちらを見ている。
普段なら、わめき散らして耳栓替わりになっている俺の手を一刻も早く引き剥がそうとするだろうが、今日は大人しくされるがままにいてくれた……もちろん、抗議の目でこちらを見てはいたけれど。
「───お風呂から上がって部屋に戻ってきた真帆は、着てなかったんだよ……服を。正確にはパンツ一枚しか。今日一日執事として仕えてくれたお礼に『見せて』あげる、だってさ。
はは、その気持ちは有難いんだけどなー……ちょっとズレてるんだよな、真帆の『ごほうび』は…。俺も何とか服を着てもらおうとしたんだけど……それで、結局そのままクーラー付けた部屋で布団もかぶらず寝ちゃったもんだから」
途中まで話して………ふと、他の四人の顔を見やる。
紗季は『はーーーっ』と何ともいえない表情でため息をつき、愛莉はあわわあわわと慌てふためき、信じられないといった様子。
ひなたちゃんは相変わらずボーッとしているが、智花は『パンツ一枚で、昴さんの前で…』と驚愕を隠せないようだった。
一気に集中する、皆の視線。
その先にいるのは………もちろんこの話題の中心人物である真帆。
「……へっ?な、なんだよみんな……!すばるん、一体みんなにナニ話したんだ!」
「……真帆……あんた、あんたねぇ……!」
すっくと立ち上がり、真帆に向けてずんずんと歩み寄って右の拳を振りあげる紗季。
狙いは恐らく真帆の後頭部。その気迫に押され、思わず真帆の耳から手を離して距離を置く俺。
三秒後……ガンッ、と鈍い音がした。
いわゆる鉄拳制裁というやつだ。
「───ったいなー!いきなり何すんだよサキ!」
「うるさい黙れこのバカ真帆っ!アンタっ……あぁもう、そりゃ風邪も引くわ……はぁ……」
もちろん真帆に確認を取っていない以上、俺の言ったことが真実であるかどうかなんて紗季にも分からないはず。
ただ……長い付き合いである彼女には、分かってしまったんだろう。これでもかというほどリアルに想像出来てしまったのだろう。
……半裸の姿で俺に迫る、いたずらっ子の目をした親友の姿が。
他の三人も嫌な想像しか頭に浮かばなかったのだろう。
心底微妙な顔をして、生ぬるい視線を真帆に送っていた。
「はぁ……わかりました。そうですよね、よく考えたら真帆に風邪をうつされたせいで、この前コーチをお休みしてたんですもんね。
ただ、もう一つ……疑問に思う点があります」
一を話せば八か九は理解できてしまう、紗季のこの現状把握能力は素直にスゴイと思う。
しかし次が本チャン、とでも言わんばかりに深く深呼吸をし、また名探偵の顔に戻る。
「幾ら真帆が風邪を引いて、熱を出して、精神不安定だったとしても……添い寝や額にキスまでは百歩譲っていいにしても、唇にキスをするのはいかがなものかと……。
長谷川さんにも分かりますよね?ファーストキスが、女の子にとってどれほど大切なものなのか……そして長谷川さんが、その場の空気で簡単に、女の子の唇にキスをしてしまうような人には、とても思えないです。思いたく、ないです……」
ふと見ると、この緊迫した場において冷静沈着を貫いてきた紗季が、今日一番揺らいでいるような表情をしていた。
自分の信頼出来る人物が、そんな外道だったとは思いたくない……信じたくない。逆に言うなら、それほどにまで俺のことを信頼してくれている、ということなのだろうか。
そして三日前、俺がキスをした人物の顔を表情は───今までにないほど、紅く染まっていた。
あぁ、やっぱり初めてだったんだ。
薄々分かっていたことだ。
この行いだけは………許されない、罪の行為であることを。
俺は真帆に向き合い、両手をついてひざまずく。
最大級の謝意をもった、誠心誠意の土下座だった。
「───ごめん、真帆。謝って許されるもんだいじゃないのは分かってる。でもそれでも謝らせてほしい。
ただ……苦しんでる真帆を少しでも楽にしてやりたい。そう思ってやったのは本当なんだ。本当に……本当なんだ」
「……すばるん」
「……長谷川さんは、たとえば真帆じゃない他の女性が相手だったとしても、今回の真帆のような状況になってしまえば、同じようにキスしてしまうんですか……?」
苦虫を噛み潰したような顔で、そう呟く紗季。
紗季の言う通り。まったくだ。ぐうの音も出ない。
「……俺なりに、真剣に考えたつもりなんだ。それに真帆が、俺をすごく好いてくれている、っていうのが伝わってきて、それが嬉しくって……。
真帆に抱きつかれたり、耳たぶ噛まれたり、キスされたりしたのを思い出して……それなら真帆がしてくれたことを同じように返してあげれば、真帆が安心してくれるんじゃないかって───」
───あっ。
思わず口に出して、そう呟く。
それと同じくして、『すすすっ、すばるんっ!』と戸惑いと羞恥の入り交じった声が飛んだ。
声の主は探すまでもない───真帆だ。
空気が一転して、真帆を問い詰めるようなものに変化する。
「……………」
「……………」
「……………」
そう。
出来ればこの部分は、さっきのパンツ一枚で迫ってきたことと同じくらい皆には伏せておきたかった部分だった。
だから説明する時もあえて『ずっとひっついてきて』とか、『甘えモードで』くらいのぼかした表現で抑えておいたのに。
あの真帆の甘えようが尋常じゃなかったことくらい、俺にだって分かっていた。
もちろん真帆自身だってそれは理解していたのだろう。
だからこそ……具体的な内容を話してしまえば、真帆が皆から軽蔑されてしまうかもしれない。
そう思って、必死になって伏せておいたのに……。
………それに、もう一つ。
今の言い方だと恐らく皆は、先にキスをしたのは真帆からだ、という風に捉えてしまっただろう。
それ自体に間違いはない。間違いはないんだ。ただ……
紗季の目が、名探偵のそれから捕食者の目に変化する。
ターゲットは……彼女の幼なじみ、真帆。
瞬間、空気が氷のようにつめたく冷えていくのがわかった。
───ヤバい!!!
「ちっ違う!今のは───」
「……真帆。今の長谷川さんの話は本当?」
くるり、と首だけを回転させて真帆の方を見やる紗季。
座っている真帆を、立ち上がり超高圧的オーラを以て見つめるその姿はさながら修羅か羅刹のようであっただろう。
「あ……えっと〜……あ、あはは〜……」
疑問から確信へ。
真帆のその返答は、まさしくそれを裏付けるものだった。
確かに嘘をついているわけじゃない。もちろん真帆だって。
でも、でも───
何とか言葉を紡ぎ出そうとする。
おかしい。言葉を発しているはずなのに、ぱくぱくと餌を待ってる小鳥のような動きしか出来ない。
紗季の発している怒りのオーラは、俺の言葉を根こそぎ奪っていく。
───全ては、『氷の絶対女王政(アイス・エイジ)』の名のもとに。
「……真帆。何かみんなに、言わなくちゃいけないこと……あるわよね?」
「っ、だ、だって……あたしだって、すばるんをヒトリジメ出来たのが、うれしくって……」
「黙れ」
短い言葉に込めた、氷のように冷たい、怒りの雷。
しかし真帆の身を貫き、一切の発言をさせないようにするには十分だった。
「ふ、ふふふ……あーもう分かりました。分かっちゃいました。私。つまりこういうことですね、長谷川さん。風邪を引いて熱出したのも、キスするようなことになったのも、全てはコイツが自らまいた種であると」
「いや、その……違うんだ。お、俺っ」
「あはは、いいんですよ長谷川さん。無理にこんなヤツをかばったりしなくても」
「ちょっ、くるひいくるひいくるひい!ギブ、ギブだってサキっ!」
正面で真帆と対峙していたかと思うと、一瞬で後ろに回り込み、左手一本でスリーパーホールド。
しかも俺と会話しながら。なにこれこわい。
事実、他の三人が泣きそうな目でその様子を眺めていた。
俺だってもう泣いてしまいたい気分だ。色んな意味で。
「───ねぇ真帆。私たちがどれだけ心配したか分かってる?今までこれだけお世話になってる長谷川さんを疑って、
それでもあんたのために心を鬼にして問い詰めていた私たちの気持ちが、あんたに分かる?分からないよね?分からないわよね?」
「らめ、ほんとにくるひぃのっ!サキ、サキっ!」
「長谷川さんがこんな裏切りに近い行為をするなんて信じられなかった。でも親友が言うんだったら間違いないって。
でも……でも、長谷川さんがそんなことをする人だって、信じたくなくって、でもあんたは私が守らないと……って。
真帆、私昨日、中々寝つけなかったんだよ?どれだけ泣いたと思ってるの?聞いてる?ねぇ───」
あぁ───あの技は、すごく見覚えのある技だ。
確か某国民的アニメの一つで、幼稚園児である主人公が、いつも母親に叱られる時にされていた───
「───聞いてるか、って、言ってるでしょうがあああああぁっ!!!!!」
「んぎゃあああああああああ!!!!!!!!」
フィニッシュホールド。
拳を両こめかみにあてて、スクリューするだけのシンプルかつ誰にでも出来る、しかし効果は絶大な……いわゆる、グリグリ攻撃。
ちなみに派生技として、両中指だけを立てて回転させるピンポイントバージョンも存在するが、あまりオススメは出来ない。実用性がありすぎて。
その後の俺たちは、もう大変だった。
四人がかりで止めに入るも、中々二人を引き剥がせない。真帆が泣き出したって、紗季は一向に攻撃の手を緩める様子はなかった。
どうやら紗季の怒りは相当のものだったらしい。
真帆はマジ泣き、紗季だってしまいには半泣きの状態で、事態の収集に三十分を費やし、気がつくとあれからもう一時間が経過していた。
それから……しばらくして。
「皆さん………お騒がせしてしまって、本当にスイマセンでした」
「みんな………その、ゴメンなさい。心配、かけちゃって……」
平謝りする二人の姿が、そこにあった。
さすがにコンビが長いせいか(いや、漫才の話じゃないんだよ?)、お互い分かり合うのも早いらしい。
深々とお辞儀した二人が顔を上げると、紗季が今度はくるっと身体を回転させて、泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「あと………長谷川さん。本当に……本当にっ、スイマセンでしたっ!普段あれだけ色々お世話になっておきながら、私はなんて失礼な発言を……!
本当になんてお詫びすればいいのかっ……この償いは、どんなことをしてでも……!」
「いいっていいって!本当に!全然気にしてないから!皆と仲直り出来ただけで、俺は十分だし!」
罪悪感にかられっぱなしの紗季を何とかなだめようとするのだが、中々頭をあげようとしない。
しまいにはしゃがみ込んで、土下座までしてしまいそうになるのを抑えるので精一杯だった。
……言えないよな。今更、唇にキスしたのは俺の方だったなんて。
どうする……真帆に謝るのは当然だとして、せめて紗季にだけでも───
ふと、周りを見渡す。
どの顔を見ても、何とかこの場が収まってくれたことに心底一安心。そう書かれてあるのが一目瞭然だった。
むしろ安心しすぎて、逆に今度は他の三人が倒れてしまいそうな様子だ。
───ダメだ。
紗季と真帆しかいないならともかく、他の皆まで巻き込んでしまうわけにはいかない。
とにかく今日は早めに家に帰って、英気を養ってもらうしかないか……。
本当に、二時間早めに練習を切り上げてもらうよう頼まれて正解だった。この辺りの時間配分も流石は紗季といったところか。
「……じゃあ今度こそ、今日はこれでおしまい。軽率な行動で心配をかけてしまって、本当にゴメンな。
明日は練習も休みだし、各自ゆっくりと休息をとっておくこと。特に今回のこの騒動は皆にもハードだっただろうし、一人だとケアしきれないようなら連絡を取り合ったり、俺に電話してきてもらっても構わない。とにかく、しっかり心と身体を休ませて───」
「───長谷川さんっ!」
と、この騒ぎの渦中の一人である紗季が、勢い良く手をあげた。
今回の話し合い初期のような緊迫した空気ではないものの、何かを決意したような……そんな表情だった。
「なんだい、紗季?」
「私………長谷川さんに、一つお願いがあるんです」
お願い。
このシチュエーションは、出来事の発端となった場面と激しくデジャヴでトラウマをくすぐられる思いだが……今の紗季から、それほど切迫したオーラは感じない。
きっと悪いものじゃないはずだ。うん、そうに違いない。
「お願いって…?」
「明日なんですけど……何か予定とか入ってますか?」
「いや、特に入ってないよ……大丈夫だ」
まだ腑に落ちないことがあるのだろうか。
それとも……あぁ、もしかしたら今回の件のお詫びでもしたいのかもしれない。
確かに紗季にとっては、コーチである俺に対して色々とあらぬ疑いをかけてしまい、詫びても詫びても詫びたりないのだろう。
真面目な性格だもんなぁ……ならここはむしろ、付き合ってあげてもいいかもしれない。
今日のことについてもちゃんと補足が出来るし、謝りなおすことが出来る。俺にとっても一石二鳥だ。
「それでしたら───」
「うん。で、どこに集まろうか?」
「はい?あっ、いえ、私ではなくてですね───」
どうやら俺の予想は見事に空振りだったらしい。
何か最近こんなことばかりな気がする……やっぱり俺が他人の心情を慮ろうなんて、ハードルが高いのだろうか?
……でも、『私じゃない』って、どういうことだろう?
他人である紗季が二人きりになることを望む人物なんて、いるのだろうか……。
「私が二人きりで話をしてほしいと思うのは………真帆の方なんです」
「えっ?!」
「なっ?!」
この提案は予想外だったようで、俺も真帆もぱちくりと目を見合わせる。
他のメンバーもここでなぜ、といった様子でキョロキョロと落ち着かない様子だ。
「……すいません、長谷川さん」
俺の元へかけより、片手を口元に添えて小さく話す紗季。
俺以外には聞かせたくないことなのだろう。紗季が話しやすいように、俺もかがんで紗季の方に耳を寄せる。
「真帆……あぁ見えても、さっき長谷川さんが言ったような甘え方なんてそうそう誰にでもするもんじゃないんです。
ううん、真帆があそこまで他人に対して心を許した行動をしたのは、もしかしたら初めてかもしれない。自分のお母さんにだって、あそこまであからさまに甘えた接し方はしてなかったはずです」
マジか………でも小さい頃から真帆を見てきた紗季が言うのなら、間違いないのだろう。
「だから、もう一度ちゃんと真帆と話をしてほしいんです。どうしてそこまで長谷川さんに心を許せるのか……真帆は、長谷川さんのことを本当はどう思っているのか……ちゃんと確かめてほしいんです」
うーん、一体何がそこまで俺に心を許すキッカケになったのか。
でも正直、そこまで真帆に信頼されるほどのことはしてないと思う。ただ単にバスケのコーチ……ってだけじゃ、あまりにも理由としては弱すぎるよな……。
「真帆!」
「ふぁいっ!」
「明日、真帆の家に長谷川さんが遊びに行くから。今度は執事ではなくちゃんと女バスコーチの長谷川さんとして迎えてあげること。
それから……長谷川さんが来たら、誰も真帆の部屋には入れないよう久井奈さんに言っておきなさい。いい?」
「えっ、えぇえっ!でもぉ……」
「でももだってもないの!明日になったら、全部分かるから……ね?」
優しい姉のような目で、真帆の方をじっと見る。
そんな紗季を見て、決して悪い提案ではなく何か理由があるのだろう……と瞬時に察した真帆は、素直に『わかった』とだけ返事をした。
この有無を言わさぬ空気。周到な手口。まるでミホ姉の生まれ変わりのようで、少しおかしかった。
……。
…………。
……ちょっと待て。
ということは、明日はまたあの大きな家で……いや、あの地雷だらけ(トラウマ的な意味で)の部屋に、真帆と二人っきり……???
「では長谷川さん、今日はこれで……トモ、今晩また電話するから」
「えっあっうん。そ、それじゃあ……昴さん、また……」
「おー、おにーちゃん、またねー」
「その……長谷川さんも、あまり落ち込まないで下さいね……それでは」
「じ、じゃあすばるん、また明日……」
夕焼け空をバックにして、ぞろぞろと体育館を後にする教え子たち。
いやそれはマズい。マズいですって紗季さん。あの部屋は本当に何が起こるか分かんないんで、備えるにしたって備えようがないんですが。
あと、また頭が痛くなってきたんですが。熱がぶり返しそうなんですが。
「あ、あはは……じゃあ皆、また……」
……………とりあえず俺も、帰ってゆっくりしよう。
そして少しでも穏便に明日を過ごせるよう、メンタル面をケアしておかなければ………テンパって変な選択肢を選んでしまえば、今度こそ死ぬハメになりかねない。
前に智花と一緒に見たアニメの曲の一文が、俺の頭にふと浮かんできた。
『一難去ってまた一難、ぶっちゃけありえない』ってね。
ははは……………どうすればいいんだろ、明日。
─交換日記(SNS)─ ◆Log Date 8/○○◆
『やっほーい!みんないきてる?
まほまほ』
『おー、なんとか。
ひなた』
『うん……でも今日は流石にきつかったよね……。本当に、一時はどうなることかと思ったよ。せっかく練習早めに切り上げてもらったのに、まるで居残りで特訓させられた後みたい……。
あいり』
『ひなも、ずーっと今日のことかんがえてたら、頭のなかぐるぐるーってなって、ひさしぶりにおふろでおぼれそーになった。
ひなた』
『私も、今日は何があっても冷静に話をしようと思ってたんだけど……さすがにあんな真実が隠されてたなんて思ってなかったから。ねぇ、真帆?
紗季』
『なんだなんだ、セキニンテンカなんておんならしくねーぞっ。すなおにじぶんのヒをみとめやがれ!
まほまほ』
『そうね。まずはあんたに対する態度の甘さをしっかり反省して、次にあんたが会った時に色んな地獄を見れるよう考えておくわ。忠告してくれてありがとう、真帆。
紗季』
『ぎゃああああああっ!またサキがおこったああああああ!!!たすけてもっかん!!!
まほまほ』
『えっ、私?……でも、ふふ。何だかんだで仲直り出来てよかった。昴さんの無実も証明出来たことだし。
湊 智花』
『……なんかトモだけ、今日あれだけのことがあったのに、全然元気そうね。
紗季』
『うん、ふふ、そうだね……でも、昴さんは理由もなしにキスするような人じゃないって信じてたし、真帆と紗季だって絶対仲直り出来るって信じてたから。
湊 智花』
『おーおー、さすがはホンサイともなるとよゆうたっぷりですなー。あいのパワーはいだいですなー。
まほまほ』
『ふぇっ、な、何でそういう話に………?
湊 智花』
『でも真帆ちゃんは今日一日ずっと変だったよね。長谷川さんとあんな事があった後だから、話し辛かったのは分かるけど……どっか具合でも悪かったの?
あいり』
『へっ?んなわけねーじゃん!たしかにすばるんとはなすのはキンチョーしたけど、べつにヘンだったわけじゃないし!
まほまほ』
『そんなことない。きょうのまほ、すごく変だった。
ひなた』
『真帆………本当に大丈夫?私でよかったら力になるよ?
湊 智花』
『まぁまぁ、自分が一番分かってるようで、意外と分かってないのが本心ってものなのよ。だから今は真帆のこと……そっとしといてあげましょう?
紗季』
『なっ、なんだよなんだよなんだよみんなして!あたしはべつにフツーだったっていってんだろっ!
まほまほ』
『……じゃあ聞くけど、今日長谷川さんと目が合うたびに視線をそらして顔赤くしてたのは何故かしら?
紗季』
『そ、それは……サキのミマチガイだっ。
まほまほ』
『ううん、私も見てたよ。真帆ちゃん、絶対長谷川さんと目を合わせようとしなかったもん。
あいり』
『おー。おまけにすっっごく恥ずかしそうなかおしてた。
ひなた』
『今日の真帆……昴さんからパスされたボール、何回も取りそこねてたよね。ちゃんとパスもらう相手と向き合わないと、取るのは難しいと思うよ?
湊 智花』
『だっ、だからなんともないっていってんだろっ!!!よけいなセンサクすんなっ!!
まほまほ』
『ふぅ……しょうがないわね。じゃあ幼なじみとして、真帆の心の中を通訳してあげる。つまりこういうことよ。真帆は、長谷川さんのことが……。
紗季』
『ばっ、ばっかじゃねーのっ!!!あたしがすばるんのことをスキなわけないだろっ!!!
まほまほ』
『いや、誰もまだ真帆が長谷川さんのことを好きだなんて言ってないんだけど……。
紗季』
『んぎゃああああああ!!!!!またサキにハメられたーーー!!!!!
まほまほ』
『あはは。でも……そうだよね。真帆ちゃんの気持ち、少しだけ分かる気がするよ。苦しんでる自分のために、あそこまでしてくれるなんて……わたしだって、絶対に長谷川さんを好きになっちゃってたと思う。
あいり』
『ひなも、おにーちゃんのこと、だいすき。まほも、おにーちゃんのことすきなんだよね。なかまがふえて、ひなもうれしい。本音をはなすと、なかまがふえるね。ぽぽぽぽーん。
ひなた』
『うー、うぅー!あーもう!わかったよー!あたしだって、すばるんのことがすき!だいすきだっ!!!わるいかこんにゃろー!!
まほまほ』
『おー、おにーちゃんがすきでわるいかー。
ひなた』
『ふふ、それじゃあ明日、その気持ちをしっかり長谷川さんに伝えないとね。じゃないと長谷川さん、きっと真帆に迷惑かけたって誤解したままになっちゃうよ?
紗季』
『あたぼーだっ!!!よぉーしみてろよっ!……ゼッタイにまけないかんな、もっかん!!!
まほまほ』
『ふえっ、何で私……。
湊 智花』
『頑張ってね、真帆。でもあんまりハメを外し過ぎないよーに。私たちに事後報告出来るような内容にしておくこと。わかった?
紗季』
『おうっ!よぉーっし、まってろよ、すばるん!!!
まほまほ』