丘にそびえ立つ、広大というよりは巨大な敷地。
重厚かつ荘厳な雰囲気の漂う正門。それがより一層、俺の中の緊張感を高めている。
「お待ちしておりました、すばるんさま」
敷地内に足を踏み入れると、待ってましたとばかりに超高級リムジンのお出迎え。
最初に姿を表したのは、三沢家が誇るパーフェクトメイド、久井奈さん。
数日前……一日執事としてこの家を訪れた時と、同じ状況だ。
思い出すのは、一日というにはあまりに壮絶だった執事体験の数々。
普段は見せない真帆の甘えきった態度、嬉しそうな顔、そして……高熱にうなされ、苦しそうに顔をしかめている彼女。
執事としての責務を軽んじた俺の行いが、昨日の練習後の騒動に発展してしまい、結果として女バスメンバー全員に迷惑をかけてしまったこと。
その罪悪感が、そのままプレッシャーとなって俺の心にずしりとのしかかっている。
ただ……唯一の救いとなったのは、紗季のあの言葉。
『真帆……あぁ見えても、さっき長谷川さんが言ったような甘え方なんてそうそう誰にでもするもんじゃないんです。
ううん、真帆があそこまで他人に対して心を許した行動をしたのは、もしかしたら初めてかもしれない。自分のお母さんにだって、あそこまであからさまに甘えた接し方はしてなかったはずです』
思い返せば、昨日……メンバー全員と話した際に、度を超えた甘えっぷりを暴露されたことに怒ってはいても、唇にキスをしたことに対しては……真帆は怒りの感情を見せていなかった気がする。
それはただ単に恥ずかしかったのか、それともこちらに気を遣って……いや、彼女はそういった行為に対して、自分が少しでも気に入らなければ真っ先に糾弾する方だろう。
要は、まだまだ分からないことだらけ。
真帆が一体俺に対して、どういう気持ちを抱いているのか。
そして俺が、真帆に対して一体何を思っているのか。
昨日……別れ際に、一対一で話し合う場を持ちかけてくれた紗季には本当に感謝している。
ここまで来てしまったら、第三者からの気遣いや理解よりも、本人たちだけでじっくり話し合った方がよっぽど早い。
もちろん出来たら、この騒動がうやむやになってしまう前……つまり、早ければ早い方がいいに決まっている。
可能性として……じっくりと話し合うような機会がなく、なし崩し的に普段の練習を続けていたら……ひょんなことがきっかけで、関係にヒビが入ってしまうことも十分にありえる事態だったと思う。
冷静沈着、視野の広い紗季のことだ。彼女もそれをちゃんと分かっての提案だったんだろう。
改めて、紗季は状況把握や心理把握の力に長けている、ポイントガードというポジションにピッタリの存在だと再認識させられる。
気持ち的には俺自らが名乗りを上げて、二人っきりになれる機会を作りたかったところなのだが……被疑者である俺が『また真帆と二人きりになりたい』などと言ってしまえば、『やっぱり真帆といかがわしいことを…』と再度疑いをかけられ、更に話がややこしくなったのは確実。
場もまだ完全に落ち着いた訳ではなかったし、とてもじゃないが……疑われている立場であった俺が、話を切り出せる状況ではなかった。
つまり、今日のこの機会は紗季の状況判断によって初めて成り立ったもの。
もしかしたら真帆と心を通わすことの出来る、最後のチャンスかもしれない。
このチャンス……決して無駄にするわけにはいかない。
紗季のためにも、真帆のためにも、俺のためにもだ。
何があっても、今回の騒動にケリをつけてやる。
深呼吸を一つして覚悟を決めると、颯爽とリムジンに乗り込んで三沢家の本館を睨んだ。
※
見たことも着たこともない、ぴっかぴかでまっさらな衣装。
コーチとして彼女たちと過ごすようになってから、予期せぬ事態にも大分免疫がついてきたが……さすがに今回ばかりは、さっぱり予測がつかない。
再びこんがらがってくる頭の中。
「お似合いですよ、すばるんさま」
俺の入り乱れた心などつゆ知らずといった顔で、いつもの百点満点な笑みを浮かべる久井奈さん。
衣装から伝わってくる緊迫感が、ますます俺の冷静な思考を奪ってゆく。
あの後………リムジンに乗り込み、三沢家の本館に案内された。それまではよかった。
今日はどういう風に話を持って行こうか、真帆は果たして俺を許してくれるだろうか。
そんなことを考えているうちに、予期せぬ事態が発生した。
てっきり真帆の部屋へ向かうものだと思っていたら、見たこともない別室へと連れていかれる。
そこに用意されていたのは………一言で言うなら、スーツ。
ただし、普通のサラリーマンが着用しているようなものではない。白を基調とした、どちらかというと社交パーティのような華やかな場で使われるようなものだった。
十中八九、ファッションデザイナーである彼女の父親が作らせたものだろう。
溢れんばかりの高級感。
それと同時に、違和感も感じる。
スーツでありながら、スーツでないような………とにかく変わっていて、あまり見ないスーツだということだ。
おまけにこの服を着る用に命じたのは、他でもない真帆本人らしい。
一体、どういった意向でこのスーツを着るよう命じたのだろう。
何かのドッキリか、嫌がらせか、それとも仮装パーティーでもするつもりなのか。
いやでも二人で仮装パーティーなんてあり得ないし、真帆に嫌がらせをされるようなことは………うん、多分ないと思いたいんだけど。
でもイタズラやサプライズなら、真帆は喜んでしそうだなぁ……
そんなこんなを考えているうちに、今度こそ真帆の部屋の扉が見えてきた。
他の部屋の扉に比べると、もう一つ派手で分かりやすい塗装になっている。
ゴージャスな扉。訳の分からないスーツ。まるで発表会やお芝居の舞台に登場する前のようで、不思議な重圧を感じる。
そこに元々併せ持っていた覚悟やらプレッシャーやらトラウマやらが合わさって、気づけば手汗がヤバいことになっていた。
「……………?」
───ちょっと待て。よく思いだせ。
俺が最初に慧心学園女バスのコーチとして体育館に入った時……彼女はどんなサプライズを用意していた?
あの時は確かメイド……なら今回は?
でもどう見たって執事の服ではないし、あの時のように初対面なわけでもない。
それならば、あのおてんばでお金持ちのお嬢様である彼女は、一体どういう手を使ってくるだろうか。
「真帆さま、すばるんさまがいらっしゃいました」
考えもまとまらぬうちに、ノックをしてから一言、扉の向こうに声をかける久井奈さん。
すると中から『はいはーいっ!』という明るい声が聞こえてきた。
ゆっくりと扉が開かれる。
扉から五メートルほど離れた地点で、発表会の前のようにシャキッと背筋を伸ばして立っている真帆が、そこにいた。
服装は───ひらっひらのたくさんついた、俺のスーツと同じく純白の色で仕立ててあるドレス。
やっぱり仮装パーティーか?
それとも、この衣装に何か特別な意味があるのだろうか?
うーん、やっぱり金持ちのお嬢様の考える事は全然理解出来ない……
『ぱぱぱぱーん・ぱぱぱぱーん♪』
───と、俺の思考を突き破るように、どこからともなく聞こえてくるBGM。
高らかに鳴り響くファンファーレ。だが次第に、誰もが聞いたことがある……というより、誰もがあるイベントを想像してしまう、強烈なイメージのあの曲だということが分かってきた。
───結婚行進曲。
もう一度、俺の着ているスーツをじっくり眺めてみる。
……。
…………。
………あ。
これってよく見たら、スーツじゃなくてタキシードじゃん。
顔を上げて、目の前の少女の服装をよーくチェックしてみる。
……。
…………。
………うん。
あちらさんの服は、ウエディングドレスですね。
……。
…………。
……………えっ?
「久井奈さん、これって……!!」
「申し訳ありませんが、これにて失礼させて頂きます。すばるんさまが入室された後は、何人たりとも部屋に入れるなとの指示を頂いておりますので」
ばたん。かちゃり。
扉が閉められ、外側から鍵をかけられる。
えっと………もしかして、ハメられた?
じゃなくて、とりあえず、真帆にこのサプライズの理由を───
考えているうちにファンファーレが終わり、曲が一番盛り上がる場面に切り替わる。
───背後から、何かが迫り来る空気。
「すぅううううぅばああぁるうううううううううううん!!!!!!」
「うわぁあぁ!!!!!」
振り返ると、そこには………卸したてのウェディングドレスをはためかせ、獲物に襲いかかる狼のごとく猛烈なダッシュで迫ってきている真帆の姿。
当然避けきれるはずもなく………
「───がはっ!」
「すばるんすばるんすばるんすばるんすばるん!!」
受け止めきれずに後ろへ倒れ込む俺。
胸板にぐり!ぐり!ぐり!ぐり!と穴を開けんとばかりに顔を擦りつけてくる真帆。
「ちょっ、うおっ!こらっ!やめなさい!」
「へっへーん、どうだすばるんまいったか!!!」
倒れこんだ俺の上に馬乗りになったまま、ニカッとしたり顔の笑みを向けてくる真帆。
……うん、話をどう持って行くとか最終的にはどういう方向にとか色々展開を考えていたが、やっぱ無理だ。
お金持ちのお嬢様の考えるサプライズなんて、俺の想像の遙か上をいっている。
平凡そのものである一般人の俺が、お嬢様育ちである真帆の行動パターンを予測するのは相当難儀なんだということがよく分かった。
特に今は彼女のホームグラウンド。
どんな仕掛けやトラップが振って湧いてくるか分かったもんじゃない。
「参った!まいったから!とりあえずどきなさい!」
「やーだよーっだ!にひひっ♪」
もういっそのこと、彼女の言動を予測するという行為自体をやめてしまおうか。
無駄なことは考えず、ひたすら平常心をキープする方向に切り替えた方がいいのかもしれない。
価値観の違いやスケールの違いはその人が育ってきた環境そのもの。それを今すぐに埋めることなんて不可能だ。
ならば、ひたすら意識を内面に集中させて、動じない仏のような心で挑むこと。それが正解なのかもしれない。
……早くも疲れてきた俺が、どこまでそれを維持できるか微妙なところではあるけど。
何とか心の城壁を立て直す。
だが彼女は、やっとのことで対応策を編み出せた俺を………安心させるヒマも、休ませるスキも与えないつもりらしい。
目の前の真帆の表情が、急に憂いを帯びたものになる。
かと思ったら、どんどん真帆の顔が近づいてきて───
「すばるん………ちゅーっ!」
「んんっ………んんんんんん!?!?!?」
息ができない。
唇を纏う、熱い感触。
同時に頭の中が真っ白になって、何が起こっているかも分からなくなって……
五秒という時間を費やしてようやく、俺は真帆にキスされているという事実に気づく。
持てる全てを出し尽くして、全身全霊を込めた、いかにも小学生……といった感じのキスだった。
………いや、他の小学生とキスしたことなんてないから分からないんだけどね。
「ちゅっ、ぷあっ、ちゅっ……」
「ちゅ、ちゅうっ、ぷは!ちょっ、真帆っ!やめ───んんっ!」
パチパチと思考回路がショートしているのが分かる。
ウェディングドレス姿で抱きつかれただけでもパニックになりかけていたのに、追い打ちをかけるような、唇と唇を合わせたキスの応酬。
あの日……熱を出した真帆を少しでも安心させてやりたい、という思いで放ったキスを、まるでやり直しとでも言わんばかりに強烈に求められる。
いやでもキスったって、外国じゃあキスは挨拶みたいなもんらしいから………その、海外旅行の経験も豊富でお嬢様育ちな真帆はそんな感覚だったりするんだよ。
ってゆーかそう思わせて下さい。色々と混乱している今の状態でキスの意味とか考えちゃうと頭がふっとーしそうになるよぉ!
「ちゅうっ、ちゅぱっ……れろっ」
「………??」
次に感じたのは、今までになかった感触。
耳の当たりや頬が、何かにくすぐられているような感覚………
それは決して嫌な感じなどではなく、まるで春の風に吹かれているような心地良さだ。
「ちゅるっ、ぺろ、れろーっ………ちゅっ、ちゅっ」
「……なぁ真帆。俺って、そんなに美味しいのか?」
「うーん、美味しいってゆーか、シアワセってゆーか。にひひ〜」
………状況を説明しよう。
一通りキスし終えた真帆は、無反応な俺に飽きたらしく、頬やこめかみの辺りを舌でなめたりキスしたりして暇を潰していたらしい。
ただこれ、小学生の暇の潰し方としては激しく間違ってますよね。そもそも小学生はここまで情熱的なキスしないですよね。
というか、あり得なくないか、このシチュエーション。
「だからいーよね……だいすきっ、すばるんっ……ちゅっ、ぺろ……」
「……えっ?まほっ、んんんっ!」
思わず耳を疑う。
確かに今、この子……『大好き』って言ったよな……。
数日前だったらその言葉も、もう少し納得して聞けただろう。
『日頃お世話になってるコーチのことが好きになっちゃったのか』という風に。
ただ、今となっては理解不能……むしろ、その言葉の意味が分かって言ってるのかと聞きたくなる衝動に駆られる。
なにせ相手は数日前に、不可抗力という言葉じゃ説明がつかないくらいの、限りなくグレーな判断基準においてファーストキスを奪った男なのだ。
……いや、違うか。
この子の言う『大好き』は身内に対して抱くようなものだ。
まだこんな幼い子が、恋愛感情で『大好き』だなんて言うわけがない。
……それも違う気がする。
幾ら『大好き』とはいえ……身内に対して、タキシードを着せてウェディングドレスで待機したりするような結婚式サプライズをするだろうか。
それにこの情熱的なキス……とても身内にするようなものには思えない。
そもそも論点は『どういう好きか』じゃなかった。彼女が自分を好いてくれている理由……理由……りゆう───
───分からない。
真帆が、一体何を思って、どういう考えでこんな行為をしているのか、俺には、もう───
「ちょっ、ぷは!まてっ、待つんだ真帆っ!」
目まぐるしい場の変化に、とてもじゃないけど耐えられそうになかった。
痛がられてしまいそうなくらいの力で彼女の肩を掴み、ガバッと持ちあげて一旦距離を取る。
強攻策。
力任せにひっぺがす、男である俺に残された最後の手段だった。
「ぺろっ、っはっ!何だよすばるん!もっともっとキスしたいんだよぅ……」
そう言いながら、俺の静止を振り切ってもう一度唇を近づけてくる。
これだけ手に力を入れていれば、それなりに掴まれている肩が痛むはずだ。
なのに、痛みなど関係ないとばかりにキスを求めてくる。
何故かは分からないが、色んな意味で危機的状況に追い込まれていることだけは確かだった。
「なぁ、真帆!ちょっと話をしよう!」
「今更話すことなんかないって、ふへへ〜。あたしはすばるんが大好きだし、すばるんもあたしのこと、好きだよね……?」
「バカっ!嫌いな訳ないだろっ!!!」
「じゃーいーじゃんっ。すばるぅーん、きーすー」
蜂蜜のようなあまーくとろけた声で、キスの続きを乞う真帆。
───その聞き方は反則を通り越して卑怯の部類です、真帆さん。
会話の流れ的にも、貴方の甘い声質的にも。
ぞわぞわと反応する男としての本能。
思わず唇を尖らせ、彼女に迫ろうと身体が動く。
だが目を閉じ、意識を内側に集中させて───すんでのところで思いとどまることが出来た。
……まだだ。
まだ俺は大丈夫。
この場における、俺の最大の目的。それを果たすくらいの冷静さは、まだ何とか残ってる。
「……そうじゃなくってさ。俺は一応、真帆に……謝りなおすくらいの気持ちでここに来たんだ。
なのにいきなりタキシード着せられて、結婚行進曲で、べろんべろんチューされて……俺には真帆が、何を思ってこんなことをしているのか、全然分からないんだ」
ここまで、今日の真帆についての疑問点。
こっからは……真帆の本心に問いかける質問だ。
「なぁ、こんなことを聞くのは失礼なのは分かってるんだけど……本当に『好き』って言葉の意味、分かってるか?
キスするくらい相手のことが『好き』って、どういうことなのか……真帆は、ちゃんと分かってやってるのか?」
『父親の代わりに、愛情をぶつける相手が出来た』。
幾ら寂しがりな彼女といえど、そんな理由で、こんなにも気持ちの込められたキスを受け続けることは……許されないはずだ。
俺の中にだって、一応のキスの定義くらいはある。
相手を一人の人間として、心から愛情を注ぐことの出来る人物であること。
そして、相手がそれを快く受け止めてくれること。
多少心が許せるからといって、むやみやたらにしていいものでは決してない。そう思うのだ。
……もちろん、数日前にその定義を破り、真帆にキスをしたのはこの俺だ。
その本人がこんなことを言っても、説得力がないことは分かっている。
でも、だからといって彼女まで、誰にだってキスしてしまうような人間にはなってほしくなかった。
俺みたいな道の踏み外し方は、絶対にしてほしくなかった。
「………あのさ、すばるん……こんだけネツレツにアピールしてんのに……すばるんには、あたしの気持ちが伝わんないの……?」
返ってきたのは───潤んだ瞳。悲しそうな表情。
貴方が好きで仕方がない。愛してる。
それを目いっぱい込めたのに、相手はそれを感じてはくれなかった───そんな表情だった。
まほまほさんの反則技パート2。
無理無理、無理でーす。こんなんに勝てるわけありませーん。
「………そりゃあ、分かる、けど」
いや、分かる。
どうしても確認はしておきたかったため、今みたいな手順は踏ませてもらったけど……分かるよ?伝わってくるよ?
でもさ、そもそもどうして真帆が……そこまで俺のことを好いてくれるのか、その理由が分からない。
俺は彼女にとって、単なるバスケのコーチ……よくて、頼りになるお兄さんレベルのはずだ。
それも不慮の事故とはいえ彼女のパンツを見てしまい、不快な思いをさせた償いとして一日執事を全うするはずが、自分の不注意で風邪を引かせてしまい、あまつさえそれにかこつけてファーストキスを奪ってしまったような男である。
そんな男の一体どこに惚れる要素があるのか………好いてくれている人物にこんな気持ちを抱くのは不躾だが、本当に理解出来ない。
「じゃあさ……聞かせてくれ。真帆は、何で俺のことをそこまで好きになってくれたんだ?」
理由なんてない。
でも、『好き』という気持ちだけでは相手が納得出来ないことを、真帆は理解したのだろう。
気持ちを切り替えるためか、深く深呼吸をすると……彼女らしい、ハキハキとした口調で答え始めた。
「……すばるんがいなかったら、毎日楽しくバスケなんて絶対にできなかった。
そりゃーくやしい思いもたまにはするけどさ、でもここまでバスケや女バスのみんなのことを好きになれたのは、すばるんのおかげだから」
答えているのは、先程のようにキスにとらわれた彼女じゃない。いつも通りの真帆だ。
だけどその中に、力強さを感じる。
俺と同じく、何らかの『覚悟』を決めた……そんな表情だ。
「あたしたちがピンチの時、すばるんは絶対に助けてくれた。あたしたちにこんなにネッシンにコーチしたって、何の得だってないのにさ。ワガママ聞いてくれたり、一緒に遊んでくれたり……ホント、わけわかんねーヤツ!って感じ」
素直な、俺に対しての想いだった。
紛れも無い、自分の正直な気持ちだった。
「……でも、ウソじゃなかった。風邪引いてすっごくくるしー思いしてたあたしを、すばるんは一生懸命カンビョーしてくれた。不安で不安でどーしよーもなかったあたしのために、キスまでしてくれた。
その時に思ったんだ。すばるんは、バスケのコーチってだけじゃない。あたしのことをすっごく大切に思ってくれているんじゃないか、って……。
それがわかってさ………嬉しかったんだよ?ものすっごくさ!」
潤んだ彼女の瞳が、ぱあっと電球のように輝く。
本当に嬉しかった。貴方がいてくれて本当によかった。その気持ちが眩しいほどに伝わってくる。
「だからあたしは……あたしだって、そんなすばるんが好き。大好き。
細かいことはわかんないけどさ、それだけは……ホントに、ホントだよ?」
言い終わって、にひっ、とはにかんだような笑みを浮かべる真帆。
彼女らしい、これ以上なく真っ直ぐで、純粋な愛の告白だった。
……そうか。
確かに俺は、女バスのコーチに就任してからいくつか道を間違えもしたし、その中には取り返しのつかないこともあった。
それでも……彼女たちのことを考えて、少しでもバスケが上手くなるように、皆が楽しく過ごせるように、そう思って行動したのは本当で、真実だった。
そして───あの日だって。
少しでも熱で苦しんでいる真帆が楽になるように。真帆のために何かしてあげたいという思いは間違いなく俺の中にあったのだ。
でもその思いが、こんなにもストレートに彼女に伝わっているなんて……全然想像していなかった。考えもしなかった。
「……真帆……」
じわ、と目頭が熱くなるのを感じる。
ぶつけられた想いが俺の魂をこれでもかというほど打ちのめし、溢れたものが俺の目尻から一筋伝わるのが分かる。
俺はこの時……恋や場当たり的な感情とは違う、本当の心からの愛を、まだ小学六年生である彼女の中に見た気がする。
いや……幼き故、ここまで純粋に人を愛せるのかもしれない。
間違いない。
この子は、真帆は、本当に………俺のことが、好きなんだ。
バスケしか取り柄のない、コーチとしても人間としてもまだまだ未熟で失敗ばっかりの、こんな俺のことを………好きでいて、くれるんだ。
「………でさ。すばるんは……どう?
こんなことされて、迷惑……?
すばるんは、あたしのこと………ホントはどう思ってるの?」
弱々しい声だった。
強さと優しさを兼ね備えた彼女の瞳が、途端に揺らいでしまう。
先程の、しなやかで力強い彼女はどこへやら。
今度は打って変わって、泣きそうな表情でこちらを見上げてくる真帆が、そこにいた。
……鈍感な俺にもやっとわかってきた。
今の彼女が纏っている、憂いの大部分を占めるもの。
『もし、こんなにも大好きな相手が、自分のことを嫌っているとしたら……どうしよう』。
想いをぶつけることしか知らない小学六年生の彼女。
だが……それが裏切られた時、その想いが強ければ強いほど、自分が受けるショックは計り知れないものだということを、薄々理解していたのだ。
初恋の乙女のような……純粋な想いの反動。
それが彼女の憂いの大部分を占めるもの───『不安』だった。
「俺は───」
……じゃあ、俺は?
俺は真帆のことを、本当はどう思っている?
部内一活発で、元気で、子供っぽくて、でも仲間思いで、いざという時は頼りになって、影の努力を欠かさない───
───違う。
それは、女バスメンバーの一員として見た時の感想だ。
彼女を純粋な一人の人間、三沢真帆として見た時に、自分は何を思うのか。
───いつも俺に元気をくれる存在。
───無鉄砲で目が離せないところもあるけれど、仲間を、そして俺を、本当に大好きだと言ってくれる存在。
───明るい笑顔で俺に接してくれて、その笑顔を見ていると暗い気分もすっかり晴れてしまう、太陽のような存在。
───そんな彼女を守りたい。
───真帆が真帆らしくあれるよう、何があっても守ってやりたい。
───愛されているのなら、それ以上の愛を返してやりたい。
……………なんだ。
俺だって……真帆のことが、大好きなんじゃん。
「真帆っ!」
「ふあっ!」
つっかえ棒の役割をしていた手を開き、覆いかぶさられたままの状態で思いっきり抱きしめてやる。
小さくて細っこい身体。こんなか弱い身体に、こんなにも大きくて純粋な想いが詰まっていたなんて信じられない。
「……俺だって真帆のこと、大好きだよ。
真帆のためだったら何だってしてやりたい。守ってやりたい。そう思う」
「……ほんとーに?今日はシツジにならなくても、いーんだよ?」
彼女らしくない、相手を探るような瞳。
私を励ますためならそんなこと言わなくていいんだよ、とでもいいたげな、臆病な心と相手の気持ちを尊重する想いが入り交じった瞳だ。
だから俺は、彼女が二度とそんな瞳をしないように、しっかりと杭を打ち付けてやる。
「……そんなつもりじゃないって。知らないだろ、俺がどれだけ皆から元気を貰っているか……真帆の笑顔が、どれだけ救いになっているか。
俺だって真帆がいなかったら、ここまでコーチしてないかもしれない。
だから、俺だって……真帆のことが大切で、大好きだ。
元気で、素直で、向日葵みたいな笑顔を俺にくれる。そんな真帆が……大好きなんだ」
嫌うわけがない。嫌いになるわけがない。
こんなにいい子たちを、嫌いなわけがない。
好きすぎて、好きすぎて………彼女たちといる時間は、もはや俺にとって欠かせないものになっているというのに。
呆然としていた目の前の顔にぼっ!と火がつく。
わたわたとせわしなく身体を動かして、数分前に堂々と想いを告げた本人とは思えないほどに慌てふためく。
「な、な、なっ───なんだそれっ!ってゆーか、ヒマワリっ?!?!ひ、ひまわりって……!!
なんだよそれっ!なんだよソレっ!!うぅ〜、ヒキョーだぁ〜〜〜!!」
まさかここまでの言葉が返ってくるとは思わなかったのか、こないだの体育館の時さながらの赤面っぷりで、打って変わって俺から離れようとする真帆。
しかし逃さない。これほどにまで真っ直ぐな愛をぶつけてくれた真帆を、決して逃したくない。
それ以上に真っ直ぐな気持ちを、この小さな少女に返してやりたい。
「ちょっ……やっ、離せっ!はなせってばっ!!やだやだすばるん、見ないで……っ!
い、今のあたしの顔、絶対ヘンだもん……すばるんにだって、見られたくないんだよぅ……」
そう言いながら、首をか弱く振って何とか俺に表情を見せまいと努力する。
───ヤバい。
何がヤバいって、普段あれだけあっけらかんとしてて取り繕うことのない真帆が、目に溢れそうなくらいの涙をためて、顔を真っ赤にして必死に視線をそらそうとするその仕草……………ハッキリ言って、可愛いって言葉じゃ足りないくらい可愛い。
慈愛を通り越して嗜虐心まで芽生えてしまいそうな、この世にこれ以上が存在するのかと言うほどの可愛さだった。
「真帆っ……ちゅ、ちゅっ───」
「ちゅうっ、はぁ、すば、るんっ───」
だから、キスをする。
彼女が保有している核爆弾並みの可愛さは……俺の理性をいともたやすく破壊する。
言葉なんて要らない。彼女を愛することが出来るなら、自分の立場なんてどうなってもいいとすら思わされてしまう。
「はぁ、真帆っ、ちゅう、ちゅ───」
「あっ、んんっ、ちゅ───」
真帆の顔を両手で挟み込み、乱暴なくらいのキスを浴びせる。
数えきれないほどのキスの嵐。ターゲットは全て唇。
最初こそ何とか逃れようと頑張っていたが、次第にキスを受け入れるようになっていき───そのうち自らキスを求めるようになっていく真帆。
キスの一つ一つに、支配されてゆくような感覚。
意識が白く、遠ざかっていくのを感じる。
例えるなら───広い世界を、あてどもなく彷徨っているような。
夢や幻想、今や昔、見たこともないような場面が脳みその中をぐるぐる回っているような、そんな感じだった。
やがて、すごくあたたかいものに包まれるのを感じる。
愛。想い。ぬくもり。優しさ。そして幸せ。
これ以上ないような満足感、幸福感に支配されて……俺はようやく、真帆とキスをしているこの世界に戻ってきた。
……その間、どれほどの時間が経ったのだろうか。
今の俺に分かるのは、目の前の少女がぴくり、ぴくりと微かに痙攣していること。
それだけじゃない。さっきの自分と同じく、まだ夢を見ているような面持ちで……言い方を変えれば、その反応しかしなくなっているのだ。
唇を離すのが非常に名残惜しいが、そろそろ潮どきか。
後ろ髪を引かれるような気持ちで、ゆっくりと彼女を開放してやった。
「はっ、はっ、あっ……」
「………真帆?」
肩を掴み、彼女の身体を持ち上げて距離を置く。
そこには………息を荒くして、細かく震え、こちらを虚ろな目で見ながら、だらしなく口からよだれを垂らす真帆の姿があった。
「真帆?まーほー?」
「はっ、ひゅっ、はっ……」
………それは、俺にとっても初めての、想いが通じ合ったキスだったと思う。
まさか唇と唇を合わせるだけの行為が、これほどにまで凄まじいものだとは思っていなかった。
唇を合わせあっているだけなのに、二人の身体が溶けて一つになっていくような一体感。心地良さ。幸福感……。
意識なんてとっくに雲の上で、どこか別の世界に旅立っているような……何とも説明し辛いが、とにかく今までに味わったことのない感覚だったのだ。
真帆はこんなになってるし……俺だって下手したら第三者に気付かされるまでトリップ状態で、ずーっとキスを続けていたのかもしれない。
……てゆーか、これほどにまで一体感を感じられるキスは、一生に一度あるかないかというレベルじゃないのか?
だって、キスする度にこれじゃあいつ死人が出てもおかしくないだろ!
接吻死なんて聞いたことないぞ!!
………ともあれ、そう思えるくらいに恐ろしく気持ちのいいキスだったのだ。
「……………」
相変わらず真帆は呆けたまま。
……うん。いっそここは、彼女がこっちに戻ってくるまで抱きしめておいてやろう。
正直、今はとにかく真帆とひっついていたい気分なのだ。
幾ら彼女が身軽とはいえ、腕でずーっと支えているのもしんどくなってきたし、ちょうどいい。
そう思って、真帆の全身を包み込むようにして、優しく抱きしめた瞬間。
「ふぇっ……!すば、るん………っ」
ようやくこちらの世界に戻ってきたのか。それともただの寝言なのか。
俺の名前をつぶやいて……彼女は意識を失った。
※
数日前に見たのと同じ、豪勢なベッドに腰を下ろす。
隣には、すぅすぅと寝息を立てている真帆がいた。
時計を見ると───彼女が意識を失ってから、はや一時間が経とうとしている。
あれだけのことをしておいてよく寝ていられるものだ………まー俺も同罪なんだけどね。
「───んっ……」
ぴくり、と彼女の腕が動く。
どうやら気を取り戻したようだ。
「……ふにゃ。おはよ、すばるん」
「……あぁ、おはよ」
目をごしごしとこすりながら、ようやく眠りから目覚めたお嬢様。
お互いにベッドに腰掛けて、他愛ない話をしながら───今日のこのサプライズについて、色々と話を聞くことが出来た。
何でも今日は、『すばるんへの気持ちを思いっきりぶつけてやる!』が主な目的だったらしい。
やると決めたら猪突猛進、これでもかというほど真っ直ぐなところが非常に真帆らしい。
大きくなってもその一途さは失わずにいてほしいものだ。
ただ、今回の黒幕となったのは……。
「また、紗季か……」
話を聞くと、例のSNSで『明日はちゃんと真帆の気持ちを伝えないと、長谷川さんも迷惑かけたって勘違いしたままになっちゃうよ』的なことを言われたらしい。
あのなー、紗季。そんな風にしたら、このお嬢様はどういう行動に出るか……幼なじみの貴方なら、ある程度想像つくでしょーが。
いや、だからこそこうやって真帆を炊きつけたのか……?
とりあえず……俺の中の紗季に対しての警戒レベルが、更に急上昇したことは間違いない。
もう彼女の言うことは、何の疑いも持たずに鵜呑みするわけにはいかない。あまりにも危険過ぎる。
いっそ彼女の手のひらでコロコロと弄ばれているような気すらする。
末恐ろしい子だ。
誰がこんな策略家にしたんだ………いや、俺か。
同じポジションとして、ポイントガードのいろはを叩き込んだのは、他ならぬ自分だったっけ……。
だが悪いことばかりではない。
紗季はそれを上手に使いこなすことはあるにせよ、悪用することは絶対にないからだ。
むしろ今回に限って言えば感謝するべきだろう。
彼女のお陰で今日のこの機会は生まれたわけだし、真帆と俺自身の気持ちに気づくことが出来たのだから。
「すばるん、あたし、すばるんが本当に大好きっ」
「……ありがとう。俺だって、大好きだよ。真帆のこと」
……こんな風に、ね。
宣言し合うと、二人して同じタイミングで微笑み合う。まさしく阿吽の呼吸、というやつだろうか。
結婚式さながらの服のままでベッドにゆるりと寝転び、どちらからともなく引っ付きあって、ちょっかいを出し合う。
あぁ………幸せだ。怖いくらいに。
真帆も同じような思いらしく、母の元で気持ち良さそうに眠る子猫のような表情で、こちらに身を寄せてくる。
本当に、可愛いったらない。
……でも、どちらかと言われれば。
「………犬」
「へ?」
「いや、こっちの話なんだけど……部屋に入った瞬間に飛びかかられたり、顔中よだれだらけになるまで舐めまわされたりしたからさ……どっちかっていうと、真帆は犬なのかなーって」
「だーかーらーっ、そうやって言葉に出されるとハズカシーからやめろよっ!!ってゆーか『どっちか』ってなんだ、『どっちか』って!」
「うん。犬かなー、それとも猫かなー、みたいな?」
「『みたいな?』じゃねー!ってゆーかどっちも違うし!あたしは人間だっ!!」
すっかり元気を取り戻したみたいで、動物に例えると不服そうな顔で頬を膨らませる真帆。
でもそれも一瞬のことで、何かを閃いたらしく、ぱあっと瞳を輝かせる。
「そっか!くふふっ、じゃあなっちゃえばいいんじゃん………『犬』に!」
「は………?」
俺の疑問符を置き去りにして、部屋の物置へと消える真帆。
しばらくしてお目当てのものを発見したのか、『あった!』と嬉しそうな声が聞こえてきた。
「……………へっ?」
ぱたぱたとせわしなく戻ってきた真帆を見て、思わず呆気に取られてしまう。
そこにいたのは……何といえばいいのか、とにかく真帆であることに間違いはないのだが、先程とは大きく異なる点が二つ。
まず………彼女の頭に、カチューシャ型の犬の耳が装着されているということ。
次に………彼女の尾てい骨辺りから、フサフサの尻尾がぴょこんと可愛らしく飛び出ていること。
極めつけは、この二品……なんと、真帆の栗色の髪とほぼ同色なため、異様なほど彼女にマッチする。
まるで元から生えてましたと言わんばかりのナチュラルアイテムと化しているのだ。
作ったのは………やはり、世界的に有名なファッションデザイナーである彼女の父親だろうか。
うむ、その名声に違わず中々良い仕事をする方のようだ。
てゆーか実の娘を何だと思ってやがるんでしょうね。
着せ替え人形か、それともリ○ちゃん人形ならぬマホちゃん人形とでも思っているのか。
とりあえず、これだけは言っておこう。真帆パパ、グッジョブ!と………
………いやいやいやいや。ダメだって。おかしいって。
「あとは、首輪をーよいしょっと。はいできた!さーさーすばるん、じゃなかった、ご主人様!今日は何をするわん?」
そう言ってふさふさの尻尾をはためかせ、しゃがみ込んでこちらを向き、満面の笑みを振りまいてくる真帆。
首には、一際目立つワインレッドの首輪がががが。
「………………………………………」
───絶句。
俺はこの場面を形容する言葉を持っていない。
いや、うん、あのね。
俺をすごい好いてくれてるってのはよくわかったんだよ、うん。
君が人一倍サービス精神旺盛な子だ、っていうのもよーく知ってた。
でもね、今……君の格好、ウェディングドレスなの。
そんでね、俺の格好……タキシードなんだ。
そんな俺が、君にわんわんの耳と尻尾、更に首輪まで付けさせて遊んでるとかね、何というか……誰かに見られたら通報される前に卒倒されるレベルだと思うわけ。
あと、もひとつ言わせてもらうならね………君、一応小学生なんだ。
アブノーマルとかマニアックとか、そういうレベルすらなんか色々と超えちゃいそうな領域に達してると思うの。
「ほぉーらーごしゅじんさまー、あそぼーよぅー。わんわんっ」
「ぐうっ!」
そんな俺の苦悩もつゆ知らずと言った感じで、ベッドに腰掛ける俺の膝にちょこんと両手(犬的に表現するなら前足)を乗せ、いかにも遊んでほしそぉ〜な上目遣いを見せる忠犬モードのまほまほさん。
ショージキに言っていいですか。
可愛すぎてやばいです。
脳細胞が除夜の鐘つきみたくぐわんぐわん揺さぶられてる気がします。あっあれは煩悩だっけ。すいません煩悩はむしろ増えてってます。
「───あっ、ゴメンすばるん、忘れてた!」
呆然としている俺をよそに、ふと何かを思い出したのか、もう一度物置の方へとフェードアウトしていく真帆。
ちょうどいい。精神状態を整えるなら今のうち。
まずは深呼吸。すーはーすーはーひっひっふー。よし、まずは何とかあのわんわんグッズを外させないと。
あれは色々と精神的なダメージが大きすぎる。まるでガソリンのたまり場に火のついたマッチを放り込むような、気の遠くなる破壊力を有している。
なるべく穏便に済ませるためにも、まずはあの装備を───
「はいご主人様っ、これで散歩でもするわんっ♪」
繰り返して説明する。
ウェディングドレス。犬耳。犬のしっぽ。
そして薄い色彩の中でひときわ映える、赤の首輪(ただし首が閉まらないようぶかぶかである)。
これだけでも既に役満レベルなのだが、彼女はさらなる高みを目指すべく……最終兵器を持ちだしてきた。
いわゆる……リード。引き綱。
彼女の首輪から垂れ下がる、数メートルの長さのひも。
その持ち手を彼女は、俺に渡してきやがったのでありました。
「………………………」
「……アレレ?ご主人様?ごしゅじんさまー?」
……もう、いいよね?
これってアレだろ、つまり……貴方に支配されたいんです!みたいな、いわゆるプレイっていうか、あはは……。
───ぷつん。
その時、俺の中の何かが勢いよく吹き飛んだ気がする。
「……よーしよしよし。よーく分かったぞー、真帆。さぁ、まずはこっちに来なさい」
「はーい、ご主人様っ!」
渡された持ち手を握り、彼女を手招きする俺。
元気よく前足を上げて、ベッドの上へとよじ登る真帆。
「可愛いわんこの真帆には、ちゅーしてあげないとな」
「わーい、やったー!」
心底嬉しそうに身を寄せ、再びベッドに寝転がって……キスをする。
「んっ……ちゅぱっ、ちゅぱっ」
「ふぅんっ、ちゅ、すばるんっ……」
先程と変わらない、とても心地のよいキス。
だが今回の目的はそこじゃない。
今の彼女は俺の飼い犬だ。
なら、それなりの愛し方をしてやらなくては。
「ちゅっ、ちゅっ……あむっ」
キスを唇から、頬、耳元………そして耳たぶへ。
弾力のある耳を端から端までじっくり味わうようにして、ゆっくりと唇だけで噛んでゆく。
「ひゃいんっ!!?な、ナニしてんだっ、すばるん!」
心底驚いた声で、喘ぎながら叫ぶ忠犬まほまほ。
ふふっ……この程度で驚いていたら、全ての行為が終わる頃には気が狂っちゃうぞ?
「ひゃっ、ちょ……くすぐった、ひうっ」
くすぐったい。確かにそれもあるだろう。
でも……それだけじゃないよな?
彼女をきつく抱きしめているわけでもなく、何かで拘束しているわけでもない今の体勢。
ただ単にくすぐったいだけなら、忠犬モードとはいえ俺を押しのけてでも逃れようとするはずだ。
つまり………この行為に、真帆は少なからず心地良さを感じているはずだ。
左の耳たぶがべとべとになるくらいまで堪能したあと、更に後ろ………以前、部の存続をかけて男バスと試合をする前だったか、本人自らが弱いと発言してたウィークポイントへと唇を移動させる。
「───ひやああああぁっ!!!」
うなじ。
彼女曰く、『ちょ、さわんな、そこは弱点だ!』だそうだが……確かに。明らかに他とは感度が違うようだ。
………やば、なんかコーフンしてきた。
「ひうっ!あっっ!ダメっ、すばるんっ!ソコ、よわいのっ!」
「うん、知ってる。じゃあこれはどうかな?」
「───っっっ!!!」
れろれろれろれろー。
横向きに寝かせ、彼女の背後からうなじを集中攻撃。
速いペースで左右にふってみたり、上下左右、縦横無尽に緩急をつけて舐め回してみたり。
「やあああああああああああああああっ!!!あっ!あっ!!」
びくびくびくびくーっと雷に打たれたかのようにその身を震わせ、抱きしめてやった時にように痙攣する。
「………うん」
弱点ということを差し引いたとしても……すごく、感じやすい子ですよね、この子。
間違いないですよね。
てゆーかそこまで反応してくれると、弄りがいがありますね。
「おーい、だいじょーぶかー、まーほー」
「ああっ、あっ……」
「……しょうがない。返事もないことだし、キスでもして暇潰しするかー」
「!!!!!!!!????????」
ちゅーーーーーっ。
彼女の透き通るように白いうなじを目いっぱい吸う。
今日、この部屋に入ってきた時にされたことを、そのまま返してやる。いわゆる意趣返しってやつだ。
相変わらずよく跳ねる身体を抱きしめて、よーしよーしとふさふさの犬耳を撫でてやる。
あーもーかわいーなぁ。何だよこの生き物。
……ただ序盤から真帆がこの調子じゃ、予定事項が終わる頃には本当にどうにかなってしまいかねない。
彼女の感度は予想以上だ。このシチュエーションのせいもあるかもしれないが、これじゃあ身体がもたないだろうし、少し休憩を挟むか……。
「はあっ、はあっ……す、すばるんっ……」
「だいじょーぶか真帆。ちょっと調子に乗りすぎた」
「ホント、だよっ……心臓飛び出るかと思っただろっ……!」
憤ってはみたものの、本来の勢いはなく、むしろ涙目で強がっている真帆の姿はものすごくそそるものがある。
もっと弄り倒して、彼女のあられもない姿を見てみたい。そう思わせてしまう危険なものだった。
「……でも、くすぐったいだけじゃなかったんだろ?」
「それは……その、うぅ……キスされるのは、好きだし……シアワセな感じも、したけど……でもぉ……!!」
───やっぱりだ。
なら話は早い。
彼女が嫌がらないのなら、ひたすらその方向に攻め倒すまで。
「そういえば、真帆は今……犬なんだよな?」
「そっ、そーだぞすばるん!あたしは今、すばるんのペットなんだわん!チューケンまほ公ってヤツだわん!」
小学生なだけあって回復も早いのか、再び語尾に『わん』をつけ、誇らしげに胸を張る真帆。
その様子にどこか微笑ましさを覚えてしまう俺。
………こらそこ、小学生になんて発言させるんだとか言わない。
そんなもの、今更すぎるでしょーが。
「なら……………犬が着てるのも変な話だし、ぬぎぬぎしようか?」
「へ、何を?」
「服」
「はっ?」
これからもっとスゴイコトになるんだから………ね。