「みんな、整列!」  
 翌日は普通に部活があった。昴さんや真帆と顔を合わせるのは正直辛いけど、私だけ練習を休むわけにもいかない。  
 愛莉やひなたは何も知らないんだから尚更。  
「えっと、今日は……」  
 さすがに昴さんは大人だ。何もなかったみたいにいつもどおり練習メニューを説明してゆく。  
「あっ……」  
「っ……」  
 そうでも、なかった。私と眼が合ったら思わず声が漏れちゃったみたい。  
「? どうかしましたか? 長谷川さん」  
「い、いやなんでもないよ」  
 それでも、慌てながらも取り繕う。愛莉やひなたには心配をかけないように。  
 やっぱり優しいな、昴さん。  
「…………」  
 ふと自分がとってもちっぽけに見えた。  
 昴さんも真帆も紗季も、きっと意識してそう振る舞えばいつもどおり練習が出来る。  
 いつもの部活の空気をここに生みだす事ができる。  
 それを、私だけが出来ない。そもそも私が原因で、今も本当は気まずい空気になってる。  
 私がいなければ、今日も本当に何の憂いもなく練習が出来てたんじゃないかって。  
   
「おー、おたのみー。智花ー」  
「えっ?」  
 ギリギリで気づいてひなたが投げてきたボールを受け止める。  
 えっと、なんの練習って言ってたっけ。辺りを見回して練習内容を確認する。  
「智花ちゃん? どうしたの?」  
 止まってしまった私に、心配そうに声をかけてくる愛莉。  
 どうしよう。愛莉に心配かけちゃった。  
「ゴメン、大丈夫」  
 一言謝って、紗季にパスを送る。  
「…………」  
 何も言わずにパスを受け取って、シュートを決めてくれた。  
   
「いくよ、愛莉!」  
「うん、智花ちゃん!」  
 しばらく練習を続けてたら、普通に動けるようにはなった。  
 モヤモヤとした気持ちは変わらなかったけど、それでも。  
 私の出したパスが通って、愛莉がマークを外しつつ受け取る。  
「させるかっ!」  
 真帆が愛莉に追いついて、プレッシャーをかけてくる。  
「愛莉、こっち!」  
 私と紗季が同時に走り出す。  
 愛莉がどっちにパスを出すのか、これで咄嗟には判断しづらいはず。  
「おー、ひなが止めます」  
 結局ひなたは、私の方をマークしてくる。  
 その瞬間、紗季は自分の得意なシュートポジションに陣取った。  
「っ……!」  
 真帆がそれに気づき、紗季へと意識を向けた瞬間、  
「智花ちゃん!」  
 愛莉は敢えて、マークのついてる私の方にパスを送る。  
「おー、いかせない」  
 私からボールを奪おうとプレッシャーをかけてくるひなた。  
 ここばっかりは、正直賭けになるけど……  
「……はっ」  
「ありゃりゃ〜っ?」  
 ドリブルのモーションを一瞬だけ取ってひなたの意識をまいた直後、パスを送る。  
 紗季の方に、じゃない。そこは既に真帆がマークしてる。  
 
 私がパスを送ったのは、この瞬間に前へと出てきた……  
「えいっ!」  
 ……愛莉。ボールを受け取って、そのままシュートを決めてくれた。  
「ナイスシュート、愛莉! 智花もいいフェイクだったぞ!」  
 昴さんの声。褒めてもらえた。  
 ただそれだけの事なのに、それがとても懐かしく思えた。  
 別に昴さんにずっと褒められてないというわけじゃない。きっとこの二日間が、すごく長く感じられたから。  
「ありがとうございます、昴さん!」  
 私も、心から昴さんにお礼を言う事ができた。  
 少しだけ、何かが戻ってきた気がした。  
   
   
   
 家に帰ってしばらくの間は、なにもせずゴロゴロしてた。  
 バスケをしてる間はもっかんも普通にやってたからあたしもムズかしいことを考えずに済んだ。  
 帰ってきてからも、昨日ほど落ち込んではない。  
 それでもなにかをやる気にだけはなれなくて、もうベッドの中に入ってた。  
「……ってなカンジだった」  
 そんな時、サキから電話があった。  
 昨日の事を聞きたいって。そう言ってきた。  
『そう……これといった進展はなしね』  
 だから正直に、ぜんぶ話した。あたし一人じゃどうすればいいかわかんないから。  
 サキなら、なにかアドバイスをくれるんじゃないかって。  
 情けないなぁ。最近サキに頼ってばっかの気がする。  
「すばるんにもっかんのコト、話しちゃった方がいいのかな?」  
 あたしの方から提案できるのは、それだけ。やっぱりこうなっちゃった以上、すばるんにも教えといた方がいい気がする。  
『……どうかしら。今長谷川さんに話しても、かえって混乱させちゃうかもしれないわ』  
「そ、そうかな?」  
『ええ。その場その場でフォローしていく方が、致命的な事態にならない分良いかもしれない』  
 そ、相談しててよかった。一人で先走ってたらタイヘンなことになってたかも?  
『え? なに?』  
「ん……?」  
 電話のむこうのサキの声。なんだろ? むこうに誰かきたのかな?  
『あっ、えっとゴメンなさい。お、お母さんが部屋に来たのよ』  
「そっか。電話、切った方がいいかな?」  
『平気よ、大した用事じゃなかったから。それより真帆、私の方からいくつか訊きたい事があるんだけど』  
 サキの声がスゴく真剣なものになった。  
 今までも真剣じゃなかったワケじゃないけど、今ヘタなコト言ったら殺されちゃうんじゃないかってくらい。  
「な、なに?」  
『大切な事だからよく考えて答えて。まず一つ目。真帆は慧心の女子バスケ部は好き?』  
 よく考えて答えてって言われたけど、こんなの考える必要ない。  
 どう考えたって、これしか答えがないんだから。  
「だいすき。すばるんもサキも、もっかんもひなもアイリーンも、みんなが一緒にガンバってるところだもん」  
 だから即答。迷いなくキッパリ言った。  
『…………』  
 少しだけ間が空く。エンピツでなにか書いてるような音がした。  
 紙にメモでもしてるのかな?  
『じゃあ二つ目の質問。真帆は今の女バスは好き?』  
「それは……」  
 なんでだろ。『今の』って言葉が付いただけなのに、即答できなくなった。  
 今の女バス。今日の練習。  
 後半はけっこうシゼンに練習できてたけど、はじめの方はスゴくぎこちなかった。  
 
 もっかんやすばるんと、どういう風に接していけばいいのかゼンゼンわかんなかった。  
 ずっとあんなカンジで練習が続いていくんだったら。  
 ……ちょっと、ううん、かなりイヤだなぁ。  
「……今だけは、あんまスキじゃない」  
 なやんで、結局ショージキに話す。今サキにウソをついちゃったら、きっとあたしは誰にもホントのコトを言えない。  
『そうね。その原因はきっと、この間の事件のせいでトモとの間にギクシャクとした空気が流れてるから』  
「わかってるって、そんなの」  
 いまさらなに言ってんだ、サキのヤツ。  
『長谷川さんと真帆が恋人同士でい続けようとすると女バスの空気はこのまま』  
 そう思ったけど、やっぱりサキに口をはさむコトができない。  
 それをやっちゃいけないって、なんとなくわかったから。  
『もう一度女バスを大好きな場所にする一番早い方法は、二人がただのコーチと教え子に戻る事』  
 そしてサキのしてきた質問は、とんでもないものだった。  
『それらを踏まえた上で最後の質問。真帆は長谷川さんと女子バスケットボール部、どっちの方が大切?』  
 どっちかを選ばないといけない。そう言ってきた。  
「…………」  
 たしかに今の状態でもっかんをなっとくさせる方法はゼンゼン思いつかない。  
 みんなのコトを考えたら、あたしがあきらめるのが一番いいのかもしれない。  
 だけど。それでも。  
「どっちも大切。片方だけなんて、ヤダ」  
『ワガママね。みんなのために身を退くとか、そうじゃないなら何を失っても長谷川さんと一緒にいるくらい言えないの?』  
 サキの声が冷たい。こんなコトを言ったんだから、あきれちゃったのかも。  
 だけどあたしが一方的にあきらめるのは不公平だと思ったし、なにより……  
「あっさりどっちか選んじゃったら、かえってもっかんやみんなに失礼だと思うもん」  
 あたしがそのどっちを選んでも、きっとどっちも失くしちゃう。  
 とりあえず、もっともっともがいてからじゃないと。  
『……真帆』  
「……え?」  
 電話の向こうから聞こえてきた声におどろく。  
 今までのと違う。サキのじゃない声。っていうかこの声は……  
「も、もっかん!? な、なんでっ!?」  
『驚かせてゴメンね、真帆。ホントはずっと、紗季の部屋にいたの』  
 ってコトは今までの会話もぜんぶ聞こえてたのかな。  
 いや、途中まではかくじつにサキが電話してたんだから、ほとんどの話は聞こえなかったハズ。  
『……なんて思ってるだろうけど、ノートにアンタの言葉を書き起こしてたからバッチリ会話を把握してるわよ』  
 うわぁ、あの時の音ってそーいうことだったのか! えげつないぞ、サキさん!  
「な、なんだってそんなコトしたんだよぉ」  
 受話器をわたした音が聞こえた後、もっかんの方にきいてみる。  
『真帆の気持ちを知りたかったの。でも直接訊いたら遠慮して本音を言ってくれないかもしれないから』  
 あたしの本音。それを聞いたもっかんは、どう思ったんだろう。  
『真帆も、同じなんだよね。昴さんが好きだって気持ち』  
「……うん」  
 それにだけは、ゼッタイに頷かないといけない。  
 もっかんと同じくらいすばるんのコトがスキだから、すばるんにキラわれたって思った時涙が止まらなかった。  
 すばるんの恋人になりたいって思った。キスしたいって思った。  
 ほかの女の子と仲良くしてるのを見ると、オモシロくなかった。  
『そうだよね。私も真帆も、同じ。私が昴さんと恋人同士になってたら、きっと真帆が悲しい思いをしてた』  
「…………」  
 それはつまり、今もっかんがスゴく悲しい思いをしてるってコトで。  
 わかっちゃいたけど、実際に本人に言われるとやっぱりキツい。  
 だけど、フシギと謝らなくちゃいけないとは思わなかった。  
 もっかんにヒドいコトしてるって思ってはいるけど、なんでだろ。  
『それならあとは、昴さん、かな』  
 もっかんの声が、昨日のとはちがうから、かな。少しだけ安心できた。  
「そだな。すばるん、だ」  
 つぎの話し合いは、すばるんの言葉を聴いてくれる。ゼッタイ。  
 だからきっと、コレはつぎでおわり。  
 
 二日おきに行われている慧心学園女子バスケットボール部の練習。  
 昨日あったから、今日は休みになっている。  
 そしてその休みの日に、俺と真帆、智花は再び集まった。  
「やっぱりショックは大きかったです。二人が恋人同士だってことを、一番つよいカタチで見ちゃいましたから」  
 最初に一昨日の自分の態度を謝った後、智花は話を始めた。  
 謝らなければならないのは間違いなく俺の方なのに。相変わらず奥ゆかしい子だ。  
「それで二人の関係が今までと違う事を知って、私達のバスケ部が全部変わっちゃう気がして……」  
「…………」  
 微笑みを浮かべながら語る智花。いっそ泣いてくれたら、こっちも謝る事が出来るのに。  
 このままじゃ、下手に謝る事さえできない。  
「……それがコワかったっていうのもあるんですけど。一番ショックだった理由は、もっと個人的なものなんです」  
「え……?」  
 俺を見つめる智花の瞳。思っていた以上に、それはまっすぐで。  
 どんな憂いも感じさせない、綺麗な瞳だった。  
「今になってこんな事を言っても昴さんを困らせるだけですけど、言ってもいいですか?」  
「ああ。何を言ってくれてもいいよ」  
 即答する。安請け合いをしたわけじゃない。  
 せめて智花が言いたいと思ってる事は全部聴く。そう決めていたから。  
「私、昴さんの事が好きだったんです。いえ、今だって大好きです」  
「――っ!」  
 思わず息を飲む。直後に、失敗だったと気づいた。  
 こんな反応をしてしまったら、智花に気を遣わせてしまうじゃないか。  
「や、やっぱり困っちゃいますよね。こんなこと今更言われても」  
「い、いや……!」  
 必死に取り繕いながら、頭の中でアレコレ考える。  
 智花が、俺の事を好きだと言った。  
 この場面でだ。多分、普通の好きって意味じゃないだろう。  
 俺が真帆に抱いている、好きっていう感情と、同じものだ。  
「…………」  
 真帆はさっきからずっと、一言も話さない。  
 どうやら今回の話し合いの中心は、あくまで俺と智花らしい。  
「智花が俺の事をそんな風に思ってくれてたのは、嬉しい」  
 もしそうなら、俺は彼女にどれほど残酷な事をしてきたんだろう。  
 見せつけと言ってもいいようなあの事件。その後の話し合い。  
 そして、今も……  
「だけどゴメン。俺は智花のその気持ちには、応えてあげる事は出来ない」  
 ……こうして智花を傷つける言葉しか吐けない。  
 だけどここで真っ直ぐに頭を下げるのが、俺に出来るせめてもの誠意だと思うから。  
「――っ」  
 智花の瞳に涙が浮かんでる。見てなくてもそれが判った。  
 少し間を置いて、ゆっくりと頭を上げる。智花は、泣けば楽になるだろうにその涙を流さない。  
 ただ、ゆっくりと距離を詰めて、俺の胸に顔を埋めた。  
「……ゴメン、智花」  
 右手で智花の頭を軽く撫でる。  
「良いんです。そうやって真剣に考えてくれる昴さんだから、私も真帆も、好きになったんです。きっと」  
 胸が少しずつ濡れてきている事には気づいている。  
 だけど言わずにいた。気づかないフリをした。  
「ただ、ゴメンなさい。今日だけ、もう少しだけ、こうさせてください」  
「……ああ」  
 もしかすると、却って辛いかもしれない。  
 それでも、智花が望むのならなんだってする。  
 せめて、今日だけは。  
「…………」  
 背中に頭を着けてくる真帆にも、今は気づかないフリをする。  
 三人が三人とも触れ合ったまま、少しの間沈黙が続いて。  
「ありがとう、真帆」  
「ありがと、もっかん」  
 二人のありがとうを、俺は胸と背中で聴いていた。  
 

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