「……………」  
 月曜日。バスの中。今から慧心学園に向かい、皆にバスケの指導を行う。  
 そう。何の変哲もない俺の放課後のスケジュール。  
 いつもなら流れてゆく景色を見るでもなく見ながら、心を躍らせる。  
 彼女らに次は何を教えよう。また何処かの女バスと試合は出来ないだろうか。  
 今日もまた、何かトラブルに見舞われるのだろうか。けどそれすらも、楽しみだ。  
 そんな感じに。……いつもなら。  
「はぁ……」  
 けど今考えてる事は、そんな明るいものじゃない。  
 どうしても、昨晩見た夢の事が頭を離れない。  
 小学生に。教え子に。……真帆に。俺は、あんな事を。  
『大丈夫。真帆のイヤがる事は、絶対にしないから』  
 しかも夢の中の事とはいえ、あんな事を言っておきながら、俺は最後、真帆の事じゃなくて自分の快楽の方を優先した。  
 苦しむ真帆に構わず。……正直、夢の中の自分をぶん殴ってやりたい。  
 けどきっと、現実の俺にもそれを咎める資格はないだろう。  
 昨晩飛び起きて今までのが夢だと気づいた時。  
 心の中の大半は『なんて夢を見てしまったんだ』と自己嫌悪に覆われた。  
 けどほんの少しだけ、夢である事に落胆した自分がいた。  
 そして、何よりも。  
 ……………。  
 ………。  
 ……。  
「よし、じゃあ今日の練習はここまで。みんな、お疲れ様でした」  
「「お疲れさまでしたっ」」  
 午後六時二十一分。少しだけ早めに、練習を終わらせる。  
 全員といっぺんに接する時と、たとえ二人きりでも基本的にはいつもと変わらず話は出来る。  
 今朝智花といつもどおりバスケをしていた時も最初は弱冠ぎこちなかったけどすぐに慣れる事が出来た。  
 そう。他の四人なら、何の問題もないんだけど。  
「ねーねーすばるん! 見ててくれたっ? あたしの最後のスペシャルシュート!」  
「あ、ああ。見てたよ」  
 さすがに夢に出てきた張本人を相手にいつもどおりでいるのは難しい。  
 無邪気に話しかけてくる真帆の顔を、直視出来ない。  
「なんで眼逸らしながら言うんだよー。さては見逃したなっ、そんなすばるんにはオシオキだー!」  
 タックル。顔を逸らしていた所為で避けられない。  
 痛みとも呼べない衝撃を胸の下に受けて、直後に胸から下に温もりが伝わってきた。  
 激しい運動を繰り返していた直後。普段よりも高い真帆の体温を感じて。  
 密着してるが故にどうあっても無視出来ない、鼻腔をくすぐる彼女の汗の匂いに中てられて。  
 さらに、俺を逃がさないように腰に回された腕の拘束に心地良さを感じて。  
 ……心臓が、ドクドクいってる。  
「あ、あはは……ゴメンゴメン」  
 そう。昨日一緒に出かけて、額とはいえキスをして、昨晩あんな夢を見て。  
 気づいてしまった。この気持ちに。  
 いつの間にか、真帆への見方が変わってきていた。  
 一人の女の子として、意識し始めている。  
 致命的すぎる。まともに顔を合わせる事さえ出来ない。  
 七芝高校男子バスケ部が活動停止を余儀なくされた原因はなんだ?  
 部長の、ロリコン疑惑。  
 そんな冗談みたいな話をいきなり聴かされ、俺の高校生活は危うくその意義の大半を失ってしまうところだった。  
 
 尤も、それがあったからこそ今こうして彼女ら五人と出会う事が出来た。  
 だから、100%丸ごと否定する事でもない。  
 ……違う。重要なのは、そんな事じゃない。  
 気がつけば俺は、水崎先輩と同じ轍を踏もうとしてるんじゃないか?  
「ほら、早く着替えておいで。その、風邪引いたら大変だろ?」  
「ハイハイっと。すばるんへのオシオキもすんだことだし、行ってやるかー」  
 普段なら、今のの何がオシオキなのか解らないところだったけど。  
 今の俺にとっては、これ以上なく効果的なお仕置きだった。  
 芽生え始めた想いを、徒に刺激しないでほしい。  
 勿論、真帆にそんなつもりがないのは解ってる。  
 そうやって無邪気に駆け回って元気を振りまくこの娘に、多分俺は惹かれたんだろうから。  
 けどだからこそ、真帆に普通に接する事が難しくなってゆく。  
   
「じゃみんな、気を付けてな」  
「「ありがとうございましたっ」」  
 体育館を出て、改めて挨拶を交わす。  
 そして俺は一人、マイクロバスへと向かう五人を見送る。  
「あの、長谷川さん……」  
「ん、何?」  
 けど紗季一人だけ、みんなと一緒に歩き出しはせず、俺に話しかけてくる。  
 内心、ドキリとした。やっぱり今日の俺は、何処かぎこちなかっただろうか。  
 いや、ぎこちなかっただろ。特に真帆と話してる時は。  
 ましてや相手は紗季だ。多分、気づいている。  
「……………」  
 それから、当然当事者である真帆自身にも。  
 と言っても、正直今の今までそうは思わなかった。  
 練習中は、そんな素振り全く見せなかったから。  
 けれど今、寂しそうに切なそうに遠くから俺の方を見る真帆に気づいてしまったから。  
 気づいて、それでも視線を合わせ続ける事が出来ない。  
「……………」  
 紗季もまた、振り返って真帆の方を見る。いつもながら、冷静で視野の広い娘だ。  
「……いえ、なんでもないです。私も、失礼しますね」  
 けれど紗季は一切追及をせず、そのまま他の四人と同じく、俺に背を向けて駆けていった。  
   
   
 ―交換日記(SNS)22― ◆Log Date ○/○○◆  
   
『みんな、今日の長谷川さんどう思った?  
  紗季』  
『んーなんてか、ギクシャクしてたな。たぶんはじめてあったトキいじょーに。  
  真帆』  
『そうね。朝昴さんと一緒に練習してた時もちょっと変だった。  
  湊 智花』  
『おー。とくにまほとお話ししてる時、おにーちゃんすっごくヘンだった。  
  ひなた』  
『ひっひなちゃんっ! それは言っちゃ……あうぅ……。  
  あいり』  
『真帆、分かってると思うけどひなは悪気があって言ったワケじゃないからね。  
  紗季』  
『だいj  
  真帆』  
『ダイジョブダイジョブ。なんもきにしてねーって。なんかしんないけどすばるんがあたしとめをあわせてくんなかったのはホントだし。  
  真帆』  
『真帆。少なくともそれは、きっと、気のせいだから。  
  湊 智花』  
『いやだからヘンにきをつかわなくてもいいってー。きっとすばるん、いまごろになってあたしのあふれるミリョクにきづいて、ドキドキしてめをあわせられないだけさー。  
  真帆』  
 
「い、だ、け、さっと」  
 入力し終わって、かきこむ。  
 それにしてもまちがって途中でかきこみとかひさしぶりにしたなーそんなミス。  
「アハハ……まいっちったなぁ……みんなにもやっぱり、そう見えたんだ」  
 あたしの気のせいだって、たまたまタイミングっていうか、そーいうのが悪かっただけだって、思ってたかったんだけどなぁ。  
「いまごろになって、あたしのミリョクに気づいて、かぁ……」  
 ホントにそうだったら、一安心どころかスッゴク嬉しいんだけど。  
 なんか今日の帰りくらいから、頭ん中がドヨーンってしてきて。  
 そんな風には考えられなくなっちゃって。  
「いっつもイタズラばっかしてるから、キラわれちゃったかなぁ……」  
 そんな事ない、そんな事ないって思って、ずっとノドの奥に押し込めてた言葉。  
 言っちゃったら、もうダメになっちゃうって思ったから。  
「あれ……? なんだこれ?」  
 案の定ダメになっちゃったし。  
「なんで泣いてんだ、あたし……?」  
 そんなこと、わかってんじゃん。  
 すばるんにキラわれたかもしれない。  
 そう思ったら、泣きたいくらいに悲しくなった。  
 だから、泣いちゃったんだ。たえらんなくなって。  
   
   
   
「……行くか」  
 水曜日。足取りは重い。  
 決心は着いたのに。いや、多分だからこそだろう。  
 正直気乗りはしない。けどそうするしかないんだから仕方ない。  
 俺はいつもより少し早めに、体育館の中へと入ってゆく。  
 今日は練習を始める前に、みんなに言わないといけない事があるから。  
 五人には、ミホ姉経由で予め伝えてあるから、既に待機しているか、今いなくてもすぐに来るだろう。  
 
「……あれ?」  
 扉を開いて、見えたのは意外な光景だった。  
 てっきり五人とも揃っているか、まだ誰もいないかのどちらかだと思っていた。  
「紗季、一人?」  
 体育館の中には、まだ制服姿の紗季が一人立っていた。  
「はい。長谷川さんにお話ししたい事があったので、みんなよりも少し早めに来ました」  
 話、か。多分一昨日の事だろうな。  
「何かな? 俺で良ければいくらでも聴くけど」  
『ありがとうございます』と頭を下げて、紗季は話を始めた。  
「一昨日の練習の事ですが、長谷川さん、真帆に何かされましたか?」  
 予想通りの質問。なのに、心構えは出来ていたはずなのに、それでもドキリとする。  
「何もされてないけど。なんで?」  
 ウソは言ってない。何もされてないし、してない。現実の真帆には。  
「いえ、大した事ではないんですけど、練習中一度も真帆の顔を見ようとしなかったので、どうにも気になって。  
 それに会話もなんというか、いつもの長谷川さんとちょっと違う気がして」  
 けどそんな風に空惚けても、何の意味もない。やっぱり。  
 どうせみんなが集まったら言おうとしていた事だ。紗季にだけ一足先に伝えても、問題ないだろう。  
「ごめん。ちょっと考えなくちゃいけない事があって、少し上の空になってたんだ」  
「真帆から顔を逸らしていたのは、何故です?」  
「それは多分、紗季の気にし過ぎだよ。別に俺は、真帆を意識的に避けてたつもりはないし」  
 紗季がそこまで見ていたんなら、これはかなり苦しい言い訳になる。  
 それでも俺にはこう言ってはぐらかすしかない。間違っても本当の事なんて言えないんだから。  
「……そうですか。それで、その考えていた事の答えは出たんですか?」  
 納得はしていないようだけど、紗季はその事を一旦保留してくれたらしい。代わりの質問を投げかけてくる。  
「ああ。今回早めに集まってもらう事にしたのもそれなんだ。本当に勝手な話なんだけど、しばらくの間コーチをお休みさせてもらえないかなと思って」  
 それが俺の出した答え。しばらく彼女たちと、距離を置く。  
 そしてゆっくりと、今後どうするかを考えたかった。  
「お休みですか? あの、どうして……?」  
「情けない話なんだけど、最近勉強が難しくなってきててさ。前に葵に言われた事もあるし、ここらで重点的に勉強しておこうかなって思って」  
 本当なら、すぐにコーチを辞めた方が危険はないんだろう。  
 でもこの場所を手放してしまう決心が、どうしても出来なかった。  
 それに夢を見てニ、三日ならともかく、一週間もすれば落ち着くかもしれない。  
 今ある真帆に対する意識だって、消えてくれるかもしれない。  
 そんな希望的観測もあった。  
「……そうですか。分かりました」  
 紗季は何度も口を開いては閉じてを繰り返した後、そう言って頷いてくれた。  
 さて。これからみんなにも伝えないと。  
 ウソに少しでも説得力を持たせる為に、自然に。  
   
 特に真帆とは、きちんと目を見て話せるように、しないとな――。  
 
 

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