「この辺、かな……?」  
「ひゃんっ! すばるん! そこはダメだって!」  
「ご、ゴメン!」  
 そうだよな。いきなりこんなトコロを攻めるわけにはいかない。  
 危うく今まで慎重に事を進めてきたのが台無しになるところだった。  
 だけどそれなら、何処からいくべきだろうか。  
 ……ん? あるじゃないか。良い場所が。  
「……よし」  
「す、すばるんっ? ちょっ、まさか……!」  
 俺の手が目指す先に気付いたのか、真帆の表情が変わる。  
 白い土台の上に乗っかってる、サクランボ。  
「大丈夫だよ、心配しないで」  
「イヤイヤイヤ! そういう問題じゃねーってわああああっ!」  
 それに触れた時。真帆の叫び声を聴いて。  
 俺は自分が重大な過ちを犯した事を悟った。  
「なんてコトしてくれんだよぉ! すばるんのバカぁっ!」  
 奪ってしまったのだ。  
 ただ一つだけの事を考え続けていて、それ以外を考えられなくなってしまってて。  
 そのせいで真帆を傷つけてしまった。  
「ホントゴメン! どうお詫びすれば良いか……!」  
 もう取り返しはつかないけれど、それでも何かの形でお詫びしないと。  
 もう、なくなってしまったのだから。サクランボは。  
 そう――  
   
「楽しみにとっといたんだからなー、てっぺんのサクランボ!」  
 さっきまで目の前の巨大パフェの頂点に乗っかっていた、真っ赤なサクランボは。  
 ファミレスの一角。俺と真帆が座る席には、それはもう大きなパフェが君臨してらっしゃるのだ。  
 スペシャルゴージャスプリンセスパフェ。店員さんが復唱する際赤面するんじゃないかってくらいどうかというネーミングのメニューなんだが、  
 ムダに修飾が多い名前は伊達ではなく、そのボリュームたるや通常のパフェの約四倍。  
 正直、とても二人で食べる代物じゃない。  
 それこそ普段なら、部員の五人みんなで挑んで、俺はそれを傍から眺めつつ、コーヒーでも啜ってるだろう。   
 けれど今日は、真帆と二人だけでここに来ている。  
 よって俺もこの巨塔を切り崩す戦いに参加しないといけないし、援軍もまた望むべくもない。  
「ぬー……まぁ、すばるんだから許してやんよ! それよかすばるん! 左まかせたぜ!」  
 なんだかよく分からない理由だけど許してもらえた。  
「うん、了解」  
 なら、今は職務を全うする事にしますか。  
 このパフェ、ただでさえバカでかい器に入ってる上にその容量さえも超えてクリームやらフルーツやらが盛り込まれてる。  
 最初のうちは良いがすぐにバランスが悪くなってくる。  
 少しでも妙な部分をスプーンで取り除いてしまえば、それだけで大崩落を起こしかねないのだ。  
 的確に、真帆の指示通り左側からクリームを掬い取る。  
 俺の身体の全てが目の前の敵に対して撤退を要請するまでの間は、彼女の力になるつもりだ。  
 そう。既に七割が白旗を揚げている現状でも。  
 
 そもそもの始まりは、一週間前に遡る。  
 いつも通りに部活を終え、後始末をしている最中。  
「そういえば真帆、あんた今日の小テストもロクに答え書かずに提出したでしょ」  
 その日の授業であったらしい、漢字の小テストの話題が出た。  
「なんで知ってる!? まさかクラスいいんちょーサキ様ともあろう者がカンニング!?」  
「そんなワケないでしょ。プリントを回収する時に、チラッと見ただけよ」  
「むー。だってわかんねーだもん、しょがねーだろ」  
「ちゃんと日頃から勉強してれば全然分かんないって事はないでしょ」  
「毎日ベンキョーとかゼッタイムリ! せめてなんかゴホービでもあれば……おっ?」  
 その時の、名案を思いついたと言わんばかりの真帆の表情に、正直イヤな予感しかしなかった。  
 なんとなく、矛先が俺に向く気はしたから。  
「なーすばるん! もしあたしが次の小テストで満点とれたらさ、来週の日曜にどっか連れてってよ!」  
「え?」  
 だから予想外だったのは、真帆の要求がそんな、なんでもないことだった事。  
 正直、もっとムチャなお願いをされるかと思っていたから。  
「別に、いいけど」  
 だからあっさりと、俺は頷いた。そう。あまり深く考えずに。  
   
 勿論、来週の日曜は特に予定も入ってないから、真帆と一緒に出かけても大丈夫、くらいの事は考えてた。  
 それに、そのくらいの事で真帆が勉強に少しでも前向きになってくれるんなら、お安い御用だ。  
 それを思えば、この返答を後悔する事はないだろう。  
「「……………」」  
 ……ただ、何故か他の皆が何か言いたげな視線を、その後解散するまでの間向けていた事だけは、少し堪えた。  
 贔屓してるように見えてしまっただろうか。でも、真帆が真面目に勉強してくれる、いい機会だったし。  
 ……………。  
 ………。  
 ……。  
「……ゴメン、もうムリ」  
 まあそんなワケで。  
 以後一週間驚異的な集中力をもって勉強を続けた真帆は見事先日の漢字テストで満点を取り、結果俺と真帆は二人で遊びに出ていた。  
「なんだすばるん、だらしないぞー!」  
 俺と同じくらいの量食ったはずなのに、まるでペースに遅れを見せない真帆。  
 こうやって話をしてる合間にも、スプーンで掬った生クリームを口に運んでる。  
 女の子って、ホントに甘い物が好きだよなぁ。……おっと、それより。  
「ほら真帆。またクリームが口に付いてる。こっち向いて」  
 真帆の頬を両手で挟み、強引にこっちを向かせる。  
「んんっ……」  
 勢いよくパフェを食べる真帆は、当然口の周りを生クリームで汚してもお構いなし。  
 だもんだから、俺が汚れる度にナフキンで口周りを拭ってやってる。  
「……………」  
「ん? どうした?」  
「いやー。いまさらだけどさ、ちょっと嬉しハズカシな場面だなーって」  
 頬を赤く染めながら、ちょっと困ったように笑う真帆。  
   
 で、恥ずかしながらそうやって指摘されて初めて気づいたわけでして。  
 顔を近づけて、見つめ合ってるこの構図に。  
「ごっゴメン!」  
 全く、自分はなんでこういう事にはとんと気が回らないのか。  
 一体何度同じような失敗を繰り返せば……ん?  
「ま、まぁ別に許してやんよ。なんか幸せな気持ちになれたし。もっかんに見られたら怒られそうだけどな!」  
 少し違和感。普段だったら真帆は、このくらいの事じゃ別に動じたりしないんだけど。  
 まぁ、乙女心とは得てして複雑なもの。俺が気づいてないだけで、今までのは無問題で、今回のは恥ずかしかったっていう理由があるんだろう。  
 どっちにしても、悪い事をしちゃったなぁ。折角のお出かけなのに、気分を害するような真似を。  
 これは以降の予定で名誉挽回せねば。  
 
「ねーねーすばるん! こっちとこっち、どっちが好き!?」  
 神はどうやら、俺に随分とハイレベルな要求をしてきたらしい。  
 名誉挽回は、この場でやれと。  
「どっちの服も、真帆にすごく似合うと思うよ」  
 そう。ファミレスを出た後、真帆の希望により俺達はファッションショップを訪れた。  
 ここで気の利いた事でも言えれば良いんだが、ファッションセンスもそこまでなく、口も達者とは言い難い。  
「きひひ、サンキュー!」  
 上機嫌に振り返って、試着室の方に向かおうとする真帆。  
「ってじゃなくて! すばるん的にどっちの方が特にグッとくるか教えてくれよー」  
 けどすぐに思い直したようにもう一度振り返って、質問を重ねてくる。  
 純粋に俺の好きな方を選べって言われても、俺の意見なんて参考になるもんじゃないだろうに。  
 それに何より、  
「いや正直ホントにどっちが良いかなんて分からないよ。どっちの服もとっても可愛いし、真帆の雰囲気にも合ってると思う」  
 片や上から淡い青のキャミソール、白のショートパンツ。  
 動きやすそうなその組み合わせは、いつでも元気一杯の真帆に相応しい。  
 で、もう片方が白を基調にしたシンプルなデザインのワンピース。  
 これもこれで、整った顔をした真帆によく似合うと思う。  
   
 本来相反するはずの服装を両方とも着こなしてしまう。  
 そんな不思議な魅力が、この子にはあるんだと思う。  
「どっちの方がグッとくるかって言われたら、俺は両方グッとくるかな」  
 言った直後に『グッと』という言葉の持つ危険性に気づく。  
 真帆が相手だと、こっちもいつの間にかついフィーリングで言葉を返してしまう。  
「ぶー。ユウジューフダンだなすばるん。まいっか! それなら両方買っちゃおっ」  
 口を尖らせたのは一瞬。すぐににぱっと笑みを浮かべて、試着もしないままに足取り軽くレジに向かう。  
 よく分からないけど、浮かれてしまってるようだ。  
「ストップストップ。一度試着してからじゃないと勿体ないよ」  
 苦笑しながら呼び止める。  
「んっ、そっか。むふー」  
 俺の言葉にピタリと止まり、勢いよく振り向いた真帆の顔は、まさしく悪戯を思いついた、口角を上げた笑み。  
「すばるん一秒でも早くあたしが新しい服着たトコを見たいんだなっ。しょーがないなー、ちょっと待ってろよー!」  
 そして今度は全力ダッシュで試着室へ直行。  
 ……いいか。誤解を解くのは。  
 どうあれちゃんと試着をした上で買ってもらうようにっていう目的は果たしたんだ。  
 それに、真帆の言った事も完全に誤解ってワケでもないし。  
 間違いなく、すごく可愛いだろうな。  
 じきに出てくる教え子の姿を想像しながら、俺はしばらく待つ事にした。  
 
 
 

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