そして、約束の日曜日。早めに起床した俺は、準備万端で出発の時を待っていた。
「……なんだか、そわそわしてくるな」
まだ、集合予定の10時まで時間はあるのだが、どうにも落ち着かない。
「うふふ。すばるくん、そんなに気になるのなら少し早いけれど先に行って待っていればどうかしら?」
そう言いながら、俺に弁当の入った箱を渡してくる母さん。二段積まれたやや大きめの重箱。これを持って今日1日歩き回らなければならないというのは、早くも気が重くなりそうだ。
結局、母さんの好きにさせた俺が悪いので反論のしようもないが。
「そうするよ。切符も買っておけばいいし」
帰りに箱を詰めて背負えるようにと容量に余裕のありそうなリュックを装備し、丁寧に風呂敷に包まれた重箱を手に持って玄関に向かう。
「それじゃ、いってらっしゃい」
楽しそうに手を振る母さんに軽く応じ、俺は家を出た。天気は快晴、ピクニックにはぴったりの日和だ。
左腕に疲労を感じつつも駅に到着すると、ひとまず俺は目的の駅までの切符を買い求める。大人用のものを1枚と、子供用を2枚。ああ、本当に俺はいまから小学生とデートをするんだなという事実を噛み締める。
時計を確認してみれば、まだ30分以上もある。ひなたちゃんのおっとりとした性格からして、そんなに早く来るとは思えない。なので、休憩できそうなベンチを探して辺りを見回していたのだが。
「あれって……」
ショートカットの女の子が、ロングヘアーの女の子の手を引いて駅に向かって歩いてきている。間違いなく、かげつちゃんとひなたちゃんだ。
「やあ、2人とも。けっこう早かったね」
きょろきょろと視線を泳がせている少女たちに近づき、声をかける。
驚いたように俺を見上げるかげつちゃんは半袖のチェックシャツにホットパンツ、膝上までのソックスという元気一杯の格好。にこにこ笑顔で挨拶してくれるひなたちゃんは、純白のワンピースの上に薄い上着を羽織っている。
どちらもとても似合っており、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたほどだ。
「長谷川コーチこそ。もしかして、お待たせしてしましましたか?」
「おー、待った?」
「心配しなくても大丈夫だよ。俺もさっき来たばかりだし」
片手しか空いていないのがもどかしいが、ひなたちゃんとかげつちゃんの頭を順番に撫でる。この子たちと出会ってからというものの、この手の動作がもはや自然なものとなってきている。
ひなたちゃんなんかはとても気持ちよさそうに受け入れてくれるだけに、俺としても変にやりがいを感じてしまっている。
「あ……、わわっ……」
なんだろう。撫でているかげつちゃんの顔が、茹で上がったように赤い。もしも、熱でもあるのに無理してやって来たのなら大変なことだ。俺は素早くかげつちゃんの額に手のひらを当てて、異常がないか確認する。
――あれ? なんともないな。
「ぶー。おにーちゃん、かげとだけながい。ひなも、もっとしてほしい」
「長谷川コーチ! な、なんでもないですから。ちょっと、撫でていただいてびっくりしただけで」
可愛らしく頬を染めて、上目遣いにかげつちゃんは俺を見てくる。その仕種がなんだか小動物みたいで、俺の保護欲は激しく揺さぶられている。無垢なる魔性、これはきっと姉妹で受け継いでいるとしか考えられない。
「あ、ああ。なにも言わずに撫でちゃってごめんね? 今後は気をつけるから」
「いえ、いいんです! わたしも……、嬉しかったので」
いかん。これ以上かげつちゃんだけに心を傾けているとひなたちゃんの機嫌が悪くなりかねない。下手をすれば延々と続きそうなやりとりを切り上げ、俺は2人を連れて駅構内へと向かうことにした。
「おにーちゃんのお膝のうえ、ゆらゆらする」
「ね、姉様……」
どうやら数駅先の目的地につくまでのひなたちゃんの遊び場所に、光栄ながら俺は選ばれたようだ。俺の膝の上に乗って電車の揺れに合わせて左右に動くひなたちゃん。その度に鼻先に長い髪が触れてちょっとこそばゆい。
幸いなことに車両は空いており、向かいの席のおばさんなんかは俺たちの様子を微笑ましく見守ってくれている。やっぱり知らない人からみれば、仲のいい兄妹とでも思えてしまうのだろうか?
「おー。かげ、交代」
「ええっ!?」
一駅分俺の膝の上を独占していたひなたちゃんがゆったりとした動作で降りると、かげつちゃんにそう勧めた。
かげつちゃんはどうすればいいのかわからない、困ったような目で俺を見る。まあ、積極的にスキンシップをとってくるひなたちゃんならともかく、これが普通の反応だと思う。
「俺はかまわないし、よければ座ってくれるかな?」
羽多野先生のリードしてあげなさいという言葉を思い出し、自分なりに助け舟を出してみる。
「あの、それでは失礼します」
恐る恐るながらも、かげつちゃんは俺の方に体重を預けてくれる。その挙動の端々に緊張が伝わってくるようで、なんとかしてあげたいとは思うんだけど。
「かげつちゃん、もっとリラックスしてくれていいんだよ?」
「は、はい!」
うーん。これはもう少し時間がかかるかもしれないな……。
そんなことを繰り返している間に、俺たちは目的の駅で電車を降りる。
「ここだね」
そこから数分歩いて動物園の入り口に到着。
「れっつごー」
上機嫌のひなたちゃんを微笑ましく思いながら、俺は後を追った。
「さて、まずはどこに行こうか?」
入り口で確保しておいたパンフレットを広げながら、俺は2人に話しかける。こういった施設を巡るにしてもセオリーみたいなものがあるのかもしれないが、彼女たちに任せておくのがベストだろう。
俺から受け取ったパンフレットとしばしにらめっこをしていたひなたちゃんとかげつちゃんであったが、どうやら決まったようだ。
「ひな、おさるさんが見たい」
「よし、ならあっちだな」
ひなたちゃんのリクエストに応えて、まずはそこから。地図に従って園の中を歩いていく。その途中にも様々な動物たちがおり、ひなたちゃんたちは興味津々という風である。
「おさるさん、いっぱい」
「すごいですね、姉様!」
俺の目の前にある猿山には、相当数の猿がたむろしている。数匹だけであれば可愛らしくもあるのだろうが、これだけいると一種の迫力のようなものを感じてしまう。
テレビで映像を見てもこうは思わないだろうし、これが本物を生で見ることの醍醐味ってやつかな。
「あ、見てください姉様。赤ちゃんがいますよ」
「おー。かわいい」
かげつちゃんが見つけた親子連れの猿を、ひなたちゃんが目を輝かせて観察している。その内に親猿が子猿の毛づくろいをし始め、なかなか癒される構図となっている。
「ひなたちゃん、なにしてるんだい?」
見ればひなたちゃんは近くにあったベンチに腰掛け、背負っていたリュックからなにやら取り出している。
「お絵かきする。おにーちゃんも、する?」
彼女が手にしているのは紙と色鉛筆。
「そういえば、ひなたちゃんは絵が得意なんだよね」
「はい。姉様とっても上手なんですよ。今日は色々な絵が描けるから、すごく楽しみにされてました」
ひなたちゃんの事を、自分のことのように嬉しそうに話してくれるかげつちゃん。
「かげも、いっしょにしよ?」
姉の小さな手からお絵かきの道具を受け取り、かげつちゃんもベンチに座る。
「ありがとうございます、姉様! あ、長谷川コーチはどうされますか?」
「うん。俺は2人の描いてるところを見学させてもらおうかな」
今回はひとまずその様子を見守ることにしよう。また機会があれば絵の描き方を教えてもらえばいいし、今はのんびりとした時間を満喫させともらおうか。
腕の時計を確認してみればもうちょっとで11時といったところだ。絵が描き終わったところでお昼休憩にすればいい具合になるんじゃないかな。
時間というのは思った以上に早く過ぎ去ってしまうもので、絵を描いている2人と喋っているとあっという間に12時だ。
「おー。おさるさんの絵、できた」
「へえ、やっぱり上手いこと描けてるなあ」
どんなものかとひなたちゃんの絵を覗き込んでみると、しっかりと特徴がとらえられている。俺がもし一緒に描いていたとすれば、比較するのも失礼なものとなっていただろう。
「わーい。おにーちゃんに、ほめられた」
「かげつちゃんのも、見せてもらっていいかな?」
「どうぞ。姉様のように上手くはありませんが……」
なるほど、かげつちゃんの言うように少々不恰好なところもあるかもしれない。それでも穏やかな雰囲気はしっかりと伝わってくるし、謙遜する必要なんてないんじゃないかな。
「そんなことないって。俺はよく描けてると思うよ」
「は、長谷川コーチにそう言っていただけると嬉しいです」
「それじゃ、開けるね」
2人が道具を片付けるのを待って、現在は予定通り昼休憩。園内を移動している途中に目をつけておいたテーブルスペースに3人で陣取り、母さんから預かってきた重箱を中央に置く。
2段になっている中身を順番に開けてみると、唐揚げや卵焼きといった定番のおかずに加えて、俵型のおにぎりがきっちりと並べられている。
「わあっ、すごく美味しそうです」
「おー。なゆ、さすが」
「そう? なら運んできた甲斐があったよ」
これをずっと持っているのはなかなか腕にくるものがあったのだが、これだけ喜んでもらえたなら疲れも吹き飛んでしまいそうだ。
俺は袋から出した割り箸と紙皿を彼女たちに渡し、胸の前で手を合わせる。
「いただきます」
こうして一緒にしていると、本当に家族みたいで。
「ひな、たこさん食べる」
「この卵、とても美味しいです。長谷川コーチのお母様、料理がすごくお上手なんですね」
ずっとこのままでいたいって、俺はそう感じてしまう。
「おにーちゃん。あーん、して?」
「えっ、ああ」
恥ずかしながら、一瞬自分の世界に入ってしまっていたみたいだ。なかなか箸をつけようとしない俺を心配してか、ひなたちゃんは唐揚げを1つつまんで口の前に持ってきてくれる。
「食べて、おにーちゃん?」
「あ、あはは……」
逃げるようにちらりとかげつちゃんの方に目を動かすと、その皿の上にはひなたちゃんと同じく唐揚げが準備されている。しかもその表情は、どこか決意に満ちたものだった。
これを一度でも受け入れれば後の展開がどうなるかなど俺にも容易に想像できる。再度、2人の顔を目の動きだけで交互に確認する。
「くっ……。あ、あーん……」
俺の選んだ道は、潔く降伏することだった。口を開けるとすぐに、ひなたちゃんの差し出す唐揚げの味が口内に広がる。うん、美味しい。
「わ、私のもどうぞ、長谷川コーチ……!」
「い、いただきます」
こうなったら、最後まで付き合ってみせるさ。自分で選んだことなんだから、やり遂げるしかない。それに……。
「え、えへへ……」
「おにーちゃん。つぎはどれがいい?」
こんなに嬉しそうな顔をしてくれるんだ。頑張りたくなるのも、男として当然だろう。
「あ、おにぎりはどうでしょう、姉様」
「おー。そうする」
そして俺は、少女の笑顔だけを希望に、この試練を戦い抜いたのであった――。
「ふう……。もう限界だよ……」
「ひなも、ごちそうさま」
「ごちそうさまでした、長谷川コーチ!」
若干焦燥気味の俺に比べて、ひなたちゃんとかげつちゃんはお昼ご飯を終えて元気が補充されたようだ。激しい運動はしたくないが、ちょっと動いて胃の消化を促進したい気分である。
重箱をリュックに収納すると、ようやく両手を空けて歩くことができるようになった。この後は、時間が許す限りいろいろな場所を見て回ろうということになった。
「おー……」
ふと、ひなたちゃんの歩みが止まる。どうかしたのかとその視線の先をたどると、そこには一組の親子がいた。ひなたちゃんより小さな女の子が父親と母親の間で、離れないようにしっかりと手を握っている。
もしかして、それを見て寂しくなってしまったのかと俺は考えてしまう。
「ひなも、おててつなぎたい」
どうやらそれは杞憂だったようで安心したのだが、そういう気持ちがなかったわけではないのだろう。
「手、つなごう。かげつちゃんも、ね?」
「おー。さんせい。みんないっしょが一番です」
俺が手のひらを広げると、ふんわりとひなたちゃんは手を重ねてくる。
「よ、よろしくお願いします!」
かげつちゃんも畏まりながらだが、しっかりと握り返してくれる。
2人の温度を一気に近くで感じることで、これがデートだということを思い出させてくれる。
「おにーちゃんの手、あたたかい」
「な、なんだか、ドキドキします……。長谷川コーチは、こういうことにも慣れていらっしゃるんですか?」
「まさか。俺だって、かげつちゃんと同じだよ」
情けなくも俺が正直にそう答えると、かげつちゃんはほっとしたように表情を緩める。
「おにーちゃん、どきどき。ひなも、どきどき」
「あはは……。ひなたちゃんもそうなんだ」
彼女のことだからもっと余裕があるのかと思ったが、そうではないみたいだ。
手をつないで歩いていると、それまでなんとも思っていなかった部分が気になってくる。強く握りすぎていないか。手汗は大丈夫だろうか。
そんな感じにそわそわしながらも散策を楽しんでいたのだが、やがて隣のひなたちゃんの様子がおかしいことに気づいた。なにかを探すように視線が泳いでいるし、足取りも重い。
「ひなたちゃん、大丈夫か!? もし、気分がよくないのなら……」
俺の言葉に、ひなたちゃんは首を左右に振る。大事ではないようだが、それなら一体……?
「ひな、おトイレいきたい」
「た、大変だ……!」
彼女の仕草から察するに、あまり猶予はないだろう。俺は辺りを見回し、案内の看板を探す。
「あった! よし……。ひなたちゃん、乗って!」
この状態のまま、ひなたちゃんを走らせるわけにはいかない。俺は思い切って、彼女をおんぶしていくことにした。ひなたちゃんが乗ったことを確認して、かげつちゃんに声をかける。
「ごめんねかげつちゃん。ちょっと走るよ?」
「は、はい! 頑張ります!」
頷くかげつちゃんの手をしっかりとつかんで、スタート。最短距離で到着できるように目でルートを計算する。増え始めた人ごみをフットワークでかわしながら、足を動かす。
かなり本気で走っているのだが、かげつちゃんは息を切らしながらもついてきてくれる。もう少しだけ、我慢してくれ……。
「あそこですっ! 長谷川コーチ!」
「行くよ、ひなたちゃん!」
数メートル先に入り口が見える。俺たちはそこまで駆け抜け、ひなたちゃんを降ろす。
「おー。いってきます」
素早くお手洗いの中に消えていくひなたちゃんを見送って、ようやく安堵の息を吐く。
「はあっ……。間に合って……、よかったです」
膝に手を置いて、かげつちゃんは息を整える。結構無茶をさせてしまったから、そうなるのも無理はない。
「ふう……。でも、よくついてきてくれたよ」
「は、はい……。て、手を、離したくなかったので……」
うつむき加減にかげつちゃんが呟くように話す。もしかしなくても、今日最もドキッとした瞬間だった。
「かげつちゃん……」
「わ、私もおトイレ行ってきます!」
あっという間に、残されたのは俺1人となった。仕方なく、2人が帰ってくるのを待つ。
「おにーちゃん、かげ、ごめんなさい」
戻ってきて開口一番、ひなたちゃんが謝罪を口にする。俺だけでなく、かげつちゃんも走らせてしまったことを気にしているのかもしれないな。
「俺は全然気にしてないよ。それより、今度はもっと早く相談してね?」
「姉様が間に合って、よかったです」
俺もかげつちゃんも、ひなたちゃんを責める気なんて微塵もない。
「さあ、つぎはどこに行こうか?」
少しでも多く、この時間を楽しみたい。そう思って俺は2人の手を取る。ぎゅっと握り返してくれる力強さが、俺を安心させてくれる。
結局、時間一杯まで俺たちは初めての"デート"を堪能したのだった。
「ひなたちゃん。今更だけど、誘ってくれてありがとうな」
帰り道、俺はそう切り出した。今回の切欠をくれたのは、言うまでもなくひなたちゃんだ。
「おー。どういたしまして。とうこにも、感謝」
羽多野先生か……。今度会ったら、今日のことを散々質問されそうだな。いや、現段階でも妄想しまくりなのかもしれないが。
「あ、あのさ……」
俺は、2人に言わなければならないことがある。今、この時を逃せばそれを打ち明けるチャンスはなくなってしまうかもしれない。
「おにーちゃん?」
「長谷川コーチ?」
ひなたちゃんの眩しいくらいの笑顔も、かげつちゃんの遠慮がちな甘え方も、俺にとってかけがえのない特別なものになっていた。
彼女たちを愛しいと思う気持ちが、自分の中にはっきりと存在していることも自覚している。
――だから。
「ひなたちゃん、かげつちゃん。俺、2人と一緒にいるのがすごく楽しくて、それで……」
ああ、くそ……。こんな時にうまく言葉が出てこないなんて。情けなさに、顔が紅潮していくのがわかるくらいだ。
「おにーちゃん。ひな、おにーちゃんのことが、大好きです」
きゅっと、ひなたちゃんは両手で包むように俺の右手に触れる。
「わ、私も……、好……き……です」
かげつちゃんは消え入りそうな声を振り絞って、思いをぶつけてくれる。
「うん……。俺も2人のことが、大好き……です」
素直に気持ちだけを伝えようとすると、それまで重かった口が簡単に動いてくれる。
3人揃って、精一杯の告白を終えた俺たちは、誰からともなく笑顔が零れていた。
「おにーちゃん。ちゅーするの?」
「えっ、そ、それはどうして?」
ひなたちゃんの唐突な提案。それを教えたのはおそらく……。
「こいびとどうしはちゅーしていいって、とうこが教えてくれた」
「やっぱりあの人か……。ひなたちゃん。そういうのは、軽々しくするものじゃないんだ」
「は、長谷川コーチは、どなたかとしたことがあるんですか!?」
そうじゃないんだよ、かげつちゃん……。一応その誤解は解いておき、コーチらしく諭す必要があるだろう。
「ひなたちゃん、口でするキスっていうのはとっても大切なことなんだ」
経験のない俺がもっともらしく語ること自体おかしかことなのだが、純粋な少女たちはおとなしく聞き入ってくれている。
「だからね、こんなところですることじゃないんだ」
「おー? おうちでするのはいい?」
「そ、そうなのですか!?」
だめだ。俺の付け焼刃な言葉で興味の塊であるこの子たちを止められるわけがなかった。いくらなんでも、路上で小学生とキスはまずすぎる。即刻通報されてしかるべき行為だ。
「ご、ごめん。それはまた今度、調べておくから! 電車の時間もあるし、急がないと!」
苦し紛れに言い訳を発した俺は、足早に移動を開始する。
「ど、どうしましょう、姉様」
「ぶー。みほしに相談、する?」
ひなたちゃん、それだけは勘弁してください。そんなことを背中で訴えかけながら俺は歩く。きっと俺はいま、最高に弛んだ表情になっているに違いない。それを2人に見られるのが恥ずかしくて、じっと前を向く。
聞こえてくるのは、俺を追いかけてくる2つの足音。やがて、両手に温かな感触が宿る。
楽しかった今日は終わり、やがて明日がやって来る。それはきっと、いままでとは大きく変わっていく。俺はそう、確信していた。