「昴さん! 頑張ってください」
「すっげー! いおりんはっえー!」
「おー、おにいちゃんがんばれー」
「え、えっと、長谷川さん、ふぁいとです」
「葵さん、一条さんって一体何者なんですか?」
「わたしも、プレイするのは今日始めて見るけど……これは……」
外野の女性陣の声が響く。万里だけは黙って、まるで睨むように戦況を見つめている。
合同練習の休憩時間。
コートの中には、俺と一条さんの二人が対面していた。
「くっ!」
「はっ!……ふぅ、これは、届きませんでしたか」
俺のスクープシュートが、ゴールを揺らす。
5ゴール先取制の、これが5ゴール目、つまりは俺の勝利なのだけど、とても勝った気にはなれなかった。
今日は初日ということもあって、全員の連携とフォーメーションを作り上げることに時間を割いた。
そのため、ポジションがほぼ固定される俺と万里はそれほど運動量が多くなかった。
またパス出しや飲み物の買出しなどの補助をしてもらった一条さんも疲れはほとんどなく、その流れから遊び程度のつもりで俺と一条さんの1on1勝負が発生した。
その勝負は、すぐに遊び程度なんていう域を超えた真剣勝負になった。
一条さんの運動能力は想像以上、というよりも異常だった。
バスケの経験はほとんどないと事前に本人も言っていたとおり、細かい技術はなくシュートも稚拙、ドリブルも一応ボールをついて走れると言った程度のもの。
ただし、瞬発力に始まり反射神経に跳躍力、さらにはボディバランスや握力といった基礎的な身体性能は俺とは比較にならなかった。
ディフェンスでは、抜いてもシュートを打つまでに追いついてくるし、オフェンスではボールを放って自分で拾いゴールに叩き込むという荒技を連発してきた。
追いかけっこになるとほぼ勝ち目がないので、俺はやや引いて守る羽目になり、体躯の差で苦手となるゴール下の勝負が多くなってしまった。
最終的に、切り札であるスクープシュートまで使ってなんとか勝利を収めたものの、次やれば勝てるかどうかあやしい。
「年甲斐もなく申し訳ない、流石ですね長谷川君、これだけ熱中した勝負は久しぶりです」
「い、いえ、こちらこそ、ありがとうござい、ました」
おまけに、この体力。こちらは少し息が上がっているのに、まったく疲れたそぶりすら見せない。
一条さん、もしかしてかなりのスポーツマンだったりするのだろうか?
「さて、引き続き練習に励んでください、私は勝負前にレクチャーしていただいたドリブルやシュートの基礎練習でもやっています、隅っこでやりますから邪魔はしませんよ」
なにかを聞く前に、一条さんは足早にコートの端まで行ってしまった。
しかし、残り時間はバスケの練習をするのか……今の勝負でバスケを気に入ってくれたのなら、それはとても嬉しいかもしれない。
「さて、休憩終わりっと、すばるんまたビシバシいこーぜ!」
「ん、ああ、そうだな、じゃあ次は……そうだな、紗希にポイントガードに入ってもらって、俺はシューターの位置になってみるか」
そう言って、紗希にボールを渡す。
試合では、おそらくまともにマッチアップできるのは俺と万里のみ。ほぼレギュラーで出てもらう予定の智花も高さが厳しいし、葵ですらもしかすると危うい。
ほぼ確定の4人に加えて、さらに誰か1人は女子バスケ部から出てもらう必要がある。戦力で言えば大きく劣ってしまうことは間違いないだろう。
その穴を補うための苦肉の策として、真帆と紗希と愛莉とひなたちゃんを4人で1人として計算して状況に応じて出し入れする。
「愛莉と俺と紗希がオフェンス、葵と智花と万里がディフェンスで頼む」
「はい、では行きますよ長谷川さん」
ゴール下のポジションの奪い合いは、万里が当然のごとく制する。出来れば少しくらいは愛莉にも粘ってほしいところだけれど、そこは仕方ないと割り切る。
俺のマークには葵、負けるつもりはないけれど俺の癖をよく知っている分、なかなかやりにくい相手だ。
そして紗希には、智花――
「紗希、パス出すことばっかり考えてると足が止まっちゃうよ」
「くぅっ」
結局、紗希は何も出来ないままボールを奪われた。
智花と紗希の間にはまだまだ大きな差がある。付け焼刃ではあるが、実力差がある相手との経験がいまはなによりも必要だった。
「紗希、そんなに昴さんを目で追ったらどこにいるかすぐわかっちゃう、ディフェンスの私から昴さんは見えないんだから、そこを有効に使って」
プレイ中でも智花から紗希へのアドバイスが飛ぶ。
俺も葵のマークをうまくはずしきれない、パスの出し手と受け手のタイミングが上手く合わない。
智花にボールを奪われないようにするのに必死で、とてもタイミングまで調整する余裕は紗希にはない。まいった……もしかしたらこの練習は早すぎたのかもしれない。紗希にも真帆と同様シューターとしての活躍を期待したほうがいいか。
そう思った時、チームの3人目が本来の持ち場を放棄して走り出した。
「紗希ちゃん!」
「っ! 愛莉!」
紗希の後ろにまわった愛莉がパスを受け――
「長谷川さん!」
俺に高いパスを送る。
「よし!」
高さは葵より俺に分がある、パスは難なく通った。
マークを左右の揺さぶりでふり、そのままの位置でジャンプシュート。
スパッと気持ちのいい音がした。
「よっし! えらいぞ愛莉、よく状況判断できた」
「あ、ありがとうございます、長谷川さん!」
「いや、ねぇ、昴、成長を喜ぶのはいいんだけどさ、今のって実戦で使える?」
愛莉の頭を撫でながら喜んでいた俺に、葵が半眼で言ってきた。
まぁ、ボールもらいに行かなければパスが出せないのでは、ポイントガードは務まらない。
「すいません長谷川さん、もう一度、もう一度お願いします、今度はちゃんとパスを出してみせます」
紗希自身それはわかっていたようだ。そして、やる気もまだ充分ある。
いまのはシューターである俺へのパスを意識した練習だったが、この際もっと視野を広げてもいいかもしれない。
「真帆! ひなたちゃん! ちょっとこっちに入ってくれるかな?」
別のゴールで黙々とシュート練習に打ち込んでいた2人を呼び寄せる。
ディフェンスに真帆、オフェンスにひなたちゃん。
マークを外しにくく、ポイントガードへのディフェンスも執拗で早い。
逆にこの状態でもパスを出せるようになれば、試合でもこのフォーメーションは有効になるかもしれない。頑張ってくれよ、紗希。
□視点変更 〜 一条伊織
練習開始から一週間。
小学生の成長速度というものは実に恐ろしい。
まず永塚紗希。
まだまだ粗はあるものの、パス出し役としてボールのキープ力と視野の広さが格段に上がっていおり、長谷川智花の速さにも対応しつつある。
次いで三沢真帆。
はじめは高いゴールと重いボールに戸惑いがあったようだが、現時点でシュートだけならば充分戦力になるレベルに成長した。
さらに香椎愛莉。
彼女の場合最大の武器は慣れだろう。大学生かそれ以上の体躯を持つ兄と常にゴール下に配置され続けた結果、大きい相手とのポジション争いへの恐怖心が薄れている。
ダークホースは袴田ひなた。
主に練習しているのはドリブルからのシュート、どちらも永塚紗希や三沢真帆には遠くおよばないが、彼女のドリブルはとにかく低く、もし相手をするとなれば実は一番やりにくいのではないかとさえ思える。
そして長谷川智花。
あれは別格だ。全身のバネといい負けん気の強さといい、長谷川昴以上の天性を持っている。バスケットボールという競技の特性上、身長の低さだけはやや気になるが、むしろその欠点すらも伸び白に見えてしまう程の輝きをもっている。
さらに意外なことに高校生の3人もこの短期間で上達している。
基礎練習に加えて、皮肉なことに私の存在が彼らの成長に一役買ってしまったようだ。最近では、私を練習相手に立てられることが多く、技術ならともかく単純な速さ負けや力負けに対して対策を講じられつつある。
こちらも基礎を吸収させてもらっているので断るわけにはいかないが、なんとも大きな誤算だ。
地域振興バスケット大会まであと3週間。
組み合わせの発表まであと2週間。
せめてそれまでは、この状況を続けさせてもらおう。素人の私には、学ぶべきところはまだまだ多い。
彼らの内部を崩しにかかるのは、もう少ししてからでいい、早すぎると修復する時間を与えることになる。
□視点変更 〜 篁美星
他に物音がない家の中で、携帯電話のコール音が鳴る。
3コール目で、相手が出た。
「あー、昴? どう? 特訓順調? ん、そうか、ならよかった……ん、ああ、ところでさ、一条さんって人まだ来てるの?
今日も来てる? うん、そっか、うん……ねぇ、明日私も見に行っていい? え? あっはっは、別に他意はないよ、そんじゃ、またねー」
まだ何か言っている甥っ子を無視して電話を切った。
目の前に開いた、パソコンのディスプレイを見つめる。
「今日も、来てる、か」
表示されているのは、一条伊織の情報。
調べてみれば、あっけなく見つかった。確かに、見たことがある名前だった、当時の地域新聞か何かに載っていたのかもしれない。
「七芝高校出身、大学に進学後、就職……就職先は」
スクロールした画面には、むしろそここそが主題であると、大きなフォントで書かれていた。
「プロ野球……ドラフト下位とはいえ本物の、日本で一二を争うくらいに稼げる競技のプロ選手」
そして、最終行にはただ一行だけ、その末路が書かれていた。
20XX年自由契約。実働3年。
つまり、一条伊織はついこの間クビになった。
自由契約になったプロ選手が母校に就職先の斡旋を頼む、プロアマ規定だとか面倒なものはあるらしいが、一般的には間違ったやり方ではないはずだ。
「でも、昴たちに味方して、その就職活動は駄目になった……」
そう、駄目になったはずだ。
ならば、なぜ一条は一週間もバスケットの手伝いなどしているのか。
野球選手は前年の給料に応じて翌年も税金を納付しなければいけないらしく、収入がなくても膨大な税金をもっていかれる、つまり一条にとって来年の収入確保は死活問題であるはずだ。
「なんだろう、なにかがおかしい」
もしかしたら、昴並のお人よしである可能性もある。それであればいい、けれど、別の意図でバスケの練習に参加している可能性もある。
確かめなければ、直接会って、その人物を見極める必要がある。
□視点変更 〜 長谷川昴
「つまり、昴君と万里君ではそもそも身体の作りが違います、いっそのこと別の生物とでも考えた方がいいでしょう」
「な、なるほど」
練習後、一条さんに誘われて近くの喫茶店に入った。
子どもたちは先に帰したし、万里も愛莉と一緒に帰り、葵も女の子をあまり遅くまで連れまわすわけにはいけないので帰ってもらった。
話の内容は主に身体の作り方に関して、一条さんも俺と似たアスリート体型で万里のように筋肉質でないため、この話はなかなか得る物が多い。
練習の合間にも面白い話を聞くことは出来たけど、やはり一度腰をすえて話してみてよかった、特にトレーニングの方法や鍛える時に何を意識すればいいのかなどフィジカル強化に関しては教えられることが多い、この人は本当にすごい。
「あの、すいません一条さん、あまり人の過去を聞くべきではないのかもしれませんけど、その、一条さんって、何かスポーツをされていたんですか?」
聞いておきながら、なんだか自分の間抜けさに呆れた。
何もしてないわけがない、あの身体能力は鍛えに鍛え上げられたものだ。
おそらく、学生時代は名のある選手だったんだろう。
「ええ、実はつい先日までプロ野球に所属していました、契約はまぁ今年度いっぱいまでですが」
返ってきた答えは想像以上だった。
「へ? プ、プロ? プロ野球って、あのテレビとかでやってるプロ野球ですか?」
「はい、そのプロ野球です、もっとも、私はほとんどテレビに映る機会はありませんでしたが」
それならば、あのずば抜けた運動神経も頷ける。
競技は違えど、この人ははるかに高いレベルで競ってきたアスリートなんだ。
「え、えっと、すいません」
「なぜ謝るのですか?」
「なんだか、今まで随分気安く声をかけてて、バスケの練習まで手伝ってもらって、一条さんがそんなすごい人だったなんて」
「昴君が気にするようなことはなにもありません、今まで通りで結構ですよ」
「あ、その、ありがとうございます」
落ち着いた微笑みでそう言われ、なんだか照れくさくなってしまった。
コーヒーを飲んで、少し時間を置く。
「それにしても、小学生たちはすばらしいですね、たった一週間で見違えるほど成長している」
「え、ええ、本当にコーチ冥利に尽きます」
初めて出会った頃の男バスとの試合前と同様か、もしくはそれ以上のスピードで智花達は成長していた。それも、5人全員がノンストップで急速に、比喩ではなしに、1を教えたら3か4くらいは吸収している。
ちなみに、成長速度でいえば実は一条さんも相当なものだったりする、この人の場合少しの基礎さえ身に着ければそれがそのまま必殺の武器になる。
「成長期でもあるんでしょうが、それ以上にあの集中力がすばらしい、昴君彼女たちがなぜあそこまで急激に成長できているか、理由はわかりますか?」
「え、そうですね、やっぱりレベルが高い相手や、ポジションややるべきことが定まってせいか……」
理由を考えながら上げていくが、どれもしっくりこない。そもそもあの集中力はどこから来るものなのか……
「私の意見も概ね同意です、あとこれは私見なのですが、今はあの子たちにはどれだけ成長したかは伝えないほうがいいでしょう、こういうのは気づいたら止まってしまうものです」
確かに、意識してしまうと逆にやりにくくなってしまうかもしれない。
「本当に、あの子たちには感謝してます、関係ないはずの俺の問題に巻き込んでしまって、それなのに精一杯努力してくれて」
「感謝の気持ちは勝ってから伝えるべきでしょう、まだまだ組み合わせも発表されていませんよ」
「ははっ、そうですね、でも……楽観的かもしれませんけど、負ける気はしません」
「……、そうですね、昴君が言うのであればおそらくそれは正解でしょう」
そう言って、一条さんはゆっくりと席を立った。
「失礼しました、思ったよりも長くなってしまいました。妹さんも先に帰っていることですし、晩御飯を待たせてしまっては恨まれそうです」
「い、いえ、それは……」
「会計なら私が出しますよ、ではまた明日」
レジに向かう一条さんの背中を見送る。
なんだか、最後の方で機嫌が悪くなった気がしたけれど、どうしたんだろう?
あ、ミホ姉が明日見に来るってこと伝え忘れた。
……、まぁいいか、大したことじゃないし、もしかしたらミホ姉もプロ選手ってことを知って見てみたいだけなのかもしれないし。
―交換日記―(SNS) ◆Log Date◆
『きょうもあたしたち、またれべるあがったなー! まほまほ』
『おー、おにいちゃんのためなら、ひな、いくらでも頑張れる ひなた』
『それ、一条さんが今日聞いてきたことよね? 集中力がこれだけ持続するのは何か秘訣があるのでしょうか?って。 紗希』
『もっちろん! すばるんのピンチをこんどはあたしらがすくうためだぁ! まほまほ』
『うん、昴さんのために、今度は私たちが力にならないと。 湊 智花』
『あ、そういえば、四月の時と逆なんだね、今度は長谷川さんの部活が危ないから。 あいり』
『アイリーン気づくのがおそいぞ! あのときはすばるんからあたしたちへのラヴぱわーでしょうりしたが、こんどはあたしたちからすばるんへのラヴぱわーでしょうりをもぎとるのだー! まほまほ』
『ふぇ、ふぇぇ、ら、らぶぱわー!? 湊 智花』
『あら、間違えてはいないわよトモ、長谷川さんからの愛情溢れる指導にお応えしなくては。 紗希』
『おにーちゃんへの愛なら、ひな負けないぞー。 ひなた』
『わ、わたしだって、ま、まけないよっ!? 湊 智花』
『わ、わわ、わたしも。 あいり』
『ふっふー、でももっかんはいいのかなぁ? いまのままで まほまほ』
『ふぇ? ど、どういうこと? 湊 智花』
『一条さんに誤解されたままよね? 長谷川さんの妹だって 紗希』
『一条さんが作ってきてくれたフォームチェック用のDVDも、長谷川智花って書かれてたね あいり』
『だ、だって、それはみんなが昴さんたちにまで、言っちゃだめって口止めしたからでしょっ。 湊 智花』
『だーかーら、もっかんがじぶんでていせいしなきゃいけないんだぞ! いもうとじゃなくて、もっとふかいなかになれますって! まほまほ』
『ふ、深い仲なんて、べつに、そんな、私なんて……うー、は、恥ずかしいよぉ 湊 智花』