火曜日の早朝。  
 いつものように智花が訪ねて来た。ただし、今日は練習ではなく、俺の部屋での作戦会議がメインだ。  
 早朝にやるようなことではないように思うが、放課後は合同練習で部活の繰り返しなので、智花と2人で話しあえる時間が朝くらいしかなかったのだ。  
 
「でも、いいんでしょうか、やはり葵さんや、同じポイントガードの紗季と話した方が」  
「そうでもないよ、葵とだと同じような意見ばかりになるし、紗季は申し訳ないけれどまだバスケの知識が浅い」  
 
 とりあえず、考えられるだけの組合せを列挙していき、その中での最適な割り振りを考えて行く。  
 
「本来なら、智花にも思い切りプレイすることだけ考えてもらいたかったんだけどね」  
「いえいえ、私のことならお気になさらず……その、昴さんに頼っていただけるなら、すごく嬉しいです」  
「ありがとう、本当に智花にはお世話になりっぱなしだな」  
「いえいえ、そんな」  
   
 と言いながら両手をわたわた動かす智花を見て、ふとあることに気が付いた。  
 
「あれ? 智花、そのリボンって」  
「あ、き、気づいていただけましたか……はい、新しい……リボンです」  
 
 今度は急に動きがとまって、じっとこちらを見つめてきた。  
 うん、いままでの赤いリボンも良く似合っていたけど、今度のオレンジ色のリボンもとてもよく似合っている。  
 
「いいね、よく似合ってる、とっても可愛いよ」  
「ふぇ!? あ、ありがとうございます! その……とっても、嬉しいです」  
 
 嬉しそうに智花が返事してくれる、それだけでこちらもなんだか嬉しくなってしまう。  
 特に最近になって、俺と智花はバスケに関しての会話が徐々に減ってきている。  
 代わって増えているのは、今のようなささいな、けれどとても嬉しくなるようなやりとり。  
 
 たぶん、これは智花と同じチームで練習することが増えたからなのだと思う。  
 お互いのプレーに関しては、既に口に出さなくとも伝わるようになっている。  
 そして、なによりも、ささいなおしゃべりが凄く楽しく感じられるからなのだろう。  
 
「えーと、絶対必要なのは高さ対策だけど、相手がどのくらい高いかまだわからないからなぁ」  
「そうですね、オフェンスでは愛莉以外は低さで勝負するしかないですけど、問題はディフェンスですね」  
「うん、基本的に愛莉頼みになるだろうね、代わりにオフェンスでは真帆と紗季とひなたちゃんを順次交代して攻め方を偏らせないようにしないと」  
「せめて、私も愛莉くらい……とはいかなくても、葵さんくらい身長があれば……どんな景色なんだろうなぁ、背が高い人の目線って」  
「ん? そうだな、相手からの視点も体感してみるといいかもな、智花、ちょっとごめん」  
「ふぇ!? す、昴さん!?」  
 
 智花の両脇に掌を添えて、ひょいと持ちあげて、立ち上がった。  
 
「ほら、これでちょうど俺と同じくらいかな、どう見える?」  
「ふぇえええ、え、ええと、す……昴さんのお顔が」  
「まぁ、向かい合ってる、からね、うん」  
 
 あまり考えずやってしまったが、なんというか、この体勢って実はすごくきわどいのではないだろうか。  
 持ち上げられた智花の体は自由が利かず、顔は俺の顔から30cmも離れてない位置にあり、両手から伝わるやわらかい感触が……やけに心臓の鼓動を早くする。  
 
「あ、あの、その」  
「……、うん」  
 
 なにが「うん」なのか自分でもわからない。  
 ただ、智花は可愛いなぁ、とかこのまま下ろすのはなんだか惜しいとか、そんなことが頭の中を支配していた。  
 
「っと、ごめん、す、すぐに下ろすね」  
「ふぇ、は、はい」  
 
 あわてて、智花を床まで下ろした。これ以上接触していると、色々とまずい。  
 小学生にそんなセクハラまがいのことを、そもそも休部になった理由が部長と小学生との問題なのだから、同じ轍を踏みかねない。  
 
「あの、昴さん、ありがとうございました」  
「い、いや、まぁ、参考になればいいけど」  
 
 智花の顔が赤い、たぶん俺の顔も赤くなってる。  
 まぁ……いやな気は、まるでしないのだけれど。  
 
 
 □視点変更 〜 一条伊織  
 
「くっ……おぉっ……」  
 
 完璧に、二日酔いだ。  
 頭が割れるように痛む。  
 おそらく、午後には少しはましになってくれる、と思いたい。  
 
「一体、わたしは、昨日どこでなにをして、どうやって帰ってきましたか」  
 
 おぼろげな記憶は、途切れ途切れでまともに思い出せない。  
 
「くぅ、とりあえず安静ですね、いまだけは無職のありがたみを享受すると、しますか」  
 
 バスケットの練習への参加は難しいが、どうせ他にやることもない、行っておいた方がいいだろう。  
 それまでになんとかしようと、水と薬を飲んで床へ戻った。  
 
 そのせいで、重要なことになかなか気がつけなかった。  
 
 結局、起き出せたのは、バスケットの練習が始まるギリギリの時間。  
 
「鞄が……ない?」  
 
 昨日まであった鞄が、どこにも見当たらなかった。中の書類ごと。  
 
 
 □視点変更 〜 長谷川昴  
 
 放課後。  
 今日は女バスの練習がないので、全員に公園に集合してもらった。  
 ちなみに、ミホ姉も同席。どうやら昨日うまく一条さんに会えたらしく親しげにコートの端で話しをしている。  
 一条さんは今日は体調不良ということで、練習には不参加。パス出し等簡単な補助だけをしてもらう予定だ。  
   
「……ところで智花、紗季はどうしたんだ?」  
「いえ、私もわからないんですが、なんだか随分気にしてますよね、美星先生と一条さんのこと」  
 
 準備運動の最中、紗季に気づかれないようこっそり智花に聞いてみる。  
 先ほどから紗季はしきりにコートの端、ミホ姉と一条さんを気にしている。  
 
「ああ、もしかして……見ようによってはそう見えるのか」  
「ふぇ? 何かわかったんですか?」  
 
 5人の中では、特に大人びた印象のある紗季のことだ。  
 親しげに話す大人の男女というものが、ある種気になっても仕方ないのかもしれない。  
 
「ま、ミホ姉に限ってありえないとは思うけど、でも一条さんは悪くない選択だよな」  
 
 まだ二週間程度の付き合いしかないけれど、頼っていい大人がいる、そう実感させてくれるだけの度量が一条さんにはあった。  
 
「? ええと、昴さん?」  
「いや、まぁ気にするようなことでもないと思うよ」  
 
 などと話しているうちに準備運動終了。  
 さて、大会まで二週間と少し、まだまだ俺たちは強くなれるはずだ。  
 
「よし、今日はチームと個人練習に分けたいと思う、チーム練習は万里と葵と愛莉と紗季、俺と智花と真帆とひなたちゃんは、シュートの練習だ」  
 
 全体に呼びかけて、各自の本日の強化点をメモした用紙を渡していく。  
 授業中に考えているせいで、少々学生の本分がおろそかになりがちだが、今回だけは葵と一成の全面協力もあって、むしろ成績はよくなるかもしれない。  
 
(そう上手くは、いかないだろうけど)  
 
 練習でも早速予定外なことが起きている、一条さんの不参加だ。  
 智花たちの練習には俺たちがあたればいいのだが、逆に俺や万里には手ごろな練習相手がいない。  
 特に高さで万里に張り合えるのは一条さんしかいないため、練習の幅がぐっと狭くなってしまう。  
 
「無償で手伝ってもらってるんだ、無理は言えないしな」  
 
 横目で一条さんを見ると、相変わらずミホ姉と笑顔で会話している。  
 それもミホ姉が一方的に喋るのではなく、きちんと対話が成立して穏やかな感じだ。  
 
「なんだか、意外だな……ミホ姉も、一条さんも」  
 
 案外、本当に気が合うのかもしれないな、あの2人。  
 
 
 
 □視点変更 〜 篁美星  
 
「鞄ですか、私も見てないですね」  
「そうですか、昨日の店にも問い合わせてみたのですがないようでして、いや困ったものです」  
「大事なものが入っていたんですか?」  
「いえ、そこまで重要というわけでもないんですが……」  
 
 練習する昴たちを見ながら、コート端のベンチでとりとめもない話に終始する。  
 私は笑顔で世間話を、そして一条さんもまたにこやかに相槌を打ってくれる。  
 
「にゃははは、なんだか狐の狸の化かしあいみたいですねぇ」  
「さてはて、化かすようなことなどありませんよ」  
「いえいえ、そういう意味じゃないんですけど、人間なんですから秘密の一つや二つくらいあるでしょう」  
「ふむ、そうですね、白状すれば今まさに切羽詰った秘密があります、吐露してしまっても構わないでしょうか?」  
「おお、一体なんですか? わたしでよければ聞き入れましょう」  
「実は、隣に座っている女性が魅力的でして、胸の奥の鼓動が抑えられなくなりそうなんですよ」  
「にゃっははは、それは大変ですね〜、まぁ魅力的なのは仕方ないので慣れてください」  
「ははは、慣れるまでお側にいられるとは光栄です」  
 
 白々しい会話が続く。  
 お互い終始ペースを崩さず自然に、けれど笑顔の裏では別の顔をしている。  
 している、はずだ。  
 
 昨日帰ってから、得た情報を元に状況を整理してみた。  
   
@バスケットボール部が廃部になる  
A廃部を撤回させるために大会での優勝が条件となる  
Bそれらの条件を整えたのはこの一条伊織である  
C一条伊織はそのせいで母校への就職活動を断念  
D一条伊織は元プロ野球選手で来期は無職である  
E一条伊織は無償で昴たちの練習を手伝っている  
F一条伊織は無類の野球好きである  
 
 おかしい、特にEが。  
 @からBとDはもう起こってしまった事実だ、どうにもできない。  
 だが、CとFを加味した結果、どうやってもEだけが異常な行動に思えてくる。  
 わざわざバスケの手助けをして、自分も練習している。  
 どうして? なんのために? もしかして小学生を見るのが好きなロリコン?  
 
「美星さん? どうされましたか?」  
「ん、ああ、いえ、ちょっと一条さんのことを考えてたんですよ」  
「ははは、それはそれは」  
 
 乾いた笑いが響く。  
 原因がつかめない。けれど、たぶん、あと一歩。  
 その原因さえわかれば、この人が味方なのか、敵なのか、わかるはずだ。  
 あわよくば、すべて杞憂で、味方であってほしい。  
 
 
 
 □視点変更 〜 永塚紗希  
 
 私、永塚紗希は悩んでいます。  
 それは昨日拾った一条さんの鞄、とその中の書類の件。  
 考えてみれば、一条さんは長谷川さんの学校に就職活動をしていたので、ああいった書類を持っていても不思議はないはず。  
 本来なら、一条さんに返すのが当然のことなのだけれど。  
 ああいう書類は本来合格者にのみ配られるはずで、他にも部活動に関する校長先生からの委任状などよくわからない書類も一緒に入っていた。  
 
 少し、おかしい気がした。  
 
 だから、私は誰にも言わず、こっそり自分の部屋まで持ち帰った。  
 お父さんとお母さんはダメ、相談しても返しなさいと言うはず、当たり前だけど。  
 長谷川さんも、一条さんを全面的に信頼してる。  
 私も、信頼してないわけじゃないけれど、どうしても一条さんにそのまま返すのは、なにか取り返しがつかないことになる気がした。  
 
 これは、多分エゴ。  
 もしかして長谷川さんに関わることかもしれない、そう思っただけで、私はこういう良くないことも簡単にしてしまえる。  
 
 あと相談できる相手は、みーたんくらいだったのだけれど……  
 
「すっごく親しげに話してる……」  
 
 放課後の練習中、コート端のベンチでみーたんと一条さんはとても親しげに楽しそうに話をしていた。  
 
「もしかして、みーたんも長谷川さん同様に……」  
 
 まさか、嘘から出た真?  
 本当にみーたんが一条さんと?  
 いやいや、それより誰に相談しよう?  
 あ、そうだ、いっそのこと中は見ずに預かってたことにして聞かれたら返すってことに。  
 ……ダメだ、それじゃ何の解決にもならない。  
 
 うー、悩むけど……うん、一条さんにすぐ返すのはやめときましょう。  
 よく考えたら、そうね……こんなこと思うのすごく失礼だけど、一条さんて、すごく私たちにとって有利な人なのよね、無条件で。  
 長谷川さんもヒーローみたいだったけれど、みーたんが、私たちの顧問が連れてきた。  
 けれど、一条さんは違う、まるで登場するのが決まっていたお話の中のヒーローみたいに現れた。  
 
 疑うなんて失礼だけど、なんだか、ちょっとだけ、都合が良すぎる。  
 
 
 
 □視点変更 〜 一条伊織  
 
 二日酔いもだいぶ抜けてはきているが、今日は大事をとって練習には参加しないことにした。  
 それが失敗だった。まさか、篁美星がここにいるとは。  
 やはり今回は欠席して鞄探しに終始すべきだったか。  
 
 鞄の中には七芝高校への採用案内から、今回の件に関する校長の委任状まで一式が入っている。  
 万が一にもなくしてはいけない物なのだが、不思議と、なくなったことによって少し心が軽くなっていた。  
 無論、探しはする、探しはするが、それで見つからなかったら仕方がないではないか。  
 そう、思えて来てしまっている。  
 長谷川昴の影響力が、私にも及んで来ているということか。  
 
「……あまり、よくない傾向ですね」  
「はい?」  
「いえ、見ているだけというのも退屈でして、体を動かしたくなってしまいまして」  
「体調不良なのに、それは確かによくありませんねぇ」  
 
 篁美星と軽口をたたきながら、コート上で練習する8人を見つめる。  
 強くなっている、一週間と少しの短期間で、予想よりもはるかに。  
 目の前の壁を乗り越えるべく、彼らはそれに応じた能力を手に入れようとしている。  
 
(餌を、与えてしまったということか)  
   
 長谷川昴は、運命の女神に微笑まれている。少なくとも私はそう思っている。  
 理不尽とすら思える強運と、それを手繰り寄せるだけの努力。  
 それは目に見ることができない天性。  
 今まであっけなく自分を追い抜いていった理不尽な才能の持ち主たちと、彼は同じ才能を持っている。  
 実際、部活動の休止というアクシデントすらも、力に変えてしまっている。  
 
(コーチとしてのスキルが高い……その理不尽さをチームとして共有できるほどに)  
 
 技術を伝達する技能ではない。その才能を、個人ではなくチームで機能させる、それが長谷川昴の真骨頂。  
 それだけなら、まだいい、どれだけ成長しようとも、まだ予想の範囲ではあった。  
 
(もう一人、理不尽なのがいたか……まったく、私のような持たざる者には眩しすぎる)  
 
 しなやかなスピードでコートを駆け抜けて行く小柄な影。  
 兄妹揃っての天性、ただしその方向性はまったく正反対だ。  
 長谷川智花はエゴイストだ、すべての努力は最終的にすべて自らの進化の糧とする。  
 
 チーム事情で、ボール運びやパス出しをすることも多かったらしいが、今は違う。  
 その役目には、これ以上ないほど最適な相性で長谷川昴がいる。  
 
 いまの彼女は、最高の力を最高の環境で引き出すことが出来る。  
 
「葵さん!」  
「ちょっ、うわぁ」  
「――ッ」  
 
 シュートが決まった。萩山葵を抜き去り、助けに入った香椎愛莉をものともせず。  
 
「あ〜、やられた、智花ちゃんまた速くなってない?」  
「そんな、私なんてまだまだです」  
「いや、いま完璧に抜かれちゃったんだけどね……」  
 
 成長速度は群を抜いている。  
 大会まであと二週間以上もある、これ以上まともに成長させてはいけない。  
 
 やはり、危険を冒してでも彼らの練習に参加したのは正解だった。  
 
 一番初め、彼らと接触したとき感じた通り。  
 このままならば、彼らは勝つだろう。  
 人数や年齢などのハンディキャップは既に消化されている。  
 かといって、他のチームにさらなるレベルアップを期待するのも無理がある。  
 
 答えは単純だ。  
 弱くなってもらうしかない。  
 私でも手の届く位置まで、降りてきてもらうしかない。  
 
 
 

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