「はぁ……」
ベッドの中、一人でずっと考え続けてる。昼間の、あの事を。
「事故、よね。事故」
真帆はただ寝ぼけてただけだし、どっちにもキスしようなんて意思はなかった。
だからあれは事故以外の何ものでもないし、事故である以上あれはノーカウントで良いはず。
私も真帆も、ファーストキスはまだ失われていない。これは明白。
だから悩んでいるのは、その事じゃない。
「事故なんだから、早く忘れないと……」
キスなんてしちゃったせいで、真帆と顔を合わせられなくなった。
今日あの後、目を覚ました真帆とお喋りしたんだけど、途中でハズかしくなって、眼を逸らした。
「絶対ヘンに思われただろうなぁ……」
失敗だった。あの場で平静を装う事が出来ていれば、明日以降会っても、大丈夫だったと思う。
けど、真帆が違和感を覚えてしまっていたら、こっちがいつもどおりでいる事は尚の事難しくなる。
せめて、明日は普通に振る舞わないと。取り返しがつかなくなる前に。
妙な緊張を覚えながら、私は眠りに就いた。
次の日。学校の教室。
「なーなーサキー!」
「…………」
脱力した。ホントにいつもどおりに、真帆が話しかけてきたから。
そうよね、真帆相手に、杞憂だった。
「どうしたの、真帆?」
相手がいつもどおりなら、私もなんとかいつもと同じにやれる。そのくらいの余裕は、一晩寝て持ち直す事が出来た。
「んっとさ、ちょっとコレ読んでみて」
「?」
そう言って真帆が差し出してきたのは一冊の薄い本。……ううん、家庭用のプリンタで印刷されてるみたいだから、Web上のマンガか何かかもしれない。
けど、そう。マンガだった。真帆が好きなアニメのキャラが表紙の。
絵の雰囲気からして、多分公式のじゃない。いわゆる同人誌だと思う。
……正直、この辺りでイヤな予感はしてた。
「…………」
恐る恐る、ページを捲っていく。
私達より少し下の、魔法少女の女の子が、仲間である金髪の女の子と話をしている。
なんか、やたら二人の顔の距離が近い気がするんだけど。
「…………」
「あっ、閉じんなって! オモシロくないかもしんないけど、こっからが本題なんだから!」
そうはいっても、ホント悪い予感しかしないんだってば。
文句を言いたかったけど、ここでヘタな反論をしたら後々の逃げ道を自分で潰してしまいかねない。
仕方なく私は、ページを捲る。
……魔法少女二人が、唇と唇を合わせていた。
「〜ーーっ!」
「なっ、ヘンだろっ? なんでこの二人、女の子どーしでチューしてんだろ?」
『チューしてんだろ?』じゃないわよ! なんてモノ見せてくれてるのよ、色々な意味で!
そう。いつもならまだしも、今の精神状態でよりにもよって真帆にこんなのを見せられるのは、衝撃が大きい。
「……なんでかしらね。まぁ外国ではあいさつ代わりにキスするって事もあるらしいから、深い意味はないんじゃない?」
なんとか平静を装って、無難な答えを返す。読んでる時にヘタに慌てなくて、本当に良かった。
「ふーん、そんなもんなのかー」
真帆の疑問はそれで晴れたのか、それ以上は何も訊かずに本をカバンの中に仕舞う。
どうしてもっていうほど気になってる事でもなかったらしい。よか――
「けどやっぱオカシイよなー、女の子どーしでチューするなんて。ありえないって」
「――ッ!」
『ありえない』
……何故か、真帆のその言葉が、胸に重くのしかかった。
幾らなんでも気にし過ぎでしょ私。
何度も結論付けたとおりアレはただの事故だし、そもそも真帆はキスした事を覚えてすらないだろうし。
私だって別にそういう気はないんだから、今の真帆の感想なんて、何の関係もないし。
「ほらー、みんな席に着け―。ホームルーム始めるぞー」
「あっ、みーたん来た! んじゃまた後でな、サキ!」
「ええ。またね」
……けど、万が一。
事故とはいえ、真帆と私がキスしてしまった事を知ってしまったら。
……真帆は、どう思うんだろう。
やっぱり、気持ち悪い、とか。
それで、私と絶交するとか……はさすがに言い出さないだろう。
真帆だって、私にそんな意図がなかった事は分かってくれる。
けど、快くは思ってくれないんじゃないだろうか。
それで嫌われるまではいかなくても、お互いがぎこちなくなったりしたらどうしよう。
イヤだ。そう、強く思った。
「あー、今日もレンシュ―つかれたー!」
それなら、あの事が絶対にバレないようにしないといけない。そう心がけて、一日を過ごしてゆく。
部活が終わって、今はみんなでシャワーを浴びている。
「そーいやアイリーン。またおっきくなってないかー? ムネ」
「ええっ!? そ、そんなことないと思うけど……」
「おー、確かめてみるー」
真帆の言葉を皮切りに、全員の関心が愛莉の胸にいく。
「やあああっ! やめてひなたちゃん!」
「おーおっきくなってる。いつもさわってるひなが言うんだから、まちがいないです」
愛莉のもとに乱入したひなが、いつものように愛莉の胸を堪能しているんだろう。見えなくても判る。
「うぅ……ホントなんだね。差がどんどん開いてく……」
「ダメよトモ。バスケと同じよ、諦めたらそこで試合終了なんだから」
「う、うん。ありがとう紗季」
それは正直、自分に言い聞かせるための言葉でもある。
そうよ、私だってまだ諦めるには早いはず。少なくとも真帆よりはあるんだし。
「ホントかヒナ! うーしっ、あたしも参加するっ!」
真帆、より……
「……と見せかけてこっちにらんにゅーっ!」
「って、なんでよ!?」
まったく意味が解らないフェイントで、私の個室に飛び込んでくる真帆。
「いえ、部内No.3のムネを持つサキさんの具合はいかがかと思いまして」
「な、No.3ってアンタ……」
なんでだろう。”部内No.3”っていう言葉だけだと、結構大きいような気がしてしまう。
「スキあり!」
「きゃっ……!」
そんなおバカな事を考えてた所為で、真帆の侵攻を許してしまい、胸を、揉まれてしまった。
「うーん……やっぱりあたしと大して変わんないなー」
「悪かったわね! どうせ私もスットン共和国の住民よ! というか真帆にだけは言われたくないし!」
落胆するくらいなら、最初から触らないでほしい。
「およよ、サキ顔真っ赤だな。どーしたんだ?」
「いきなり胸を揉まれたら、誰だってこうなるわよ……」
無意味にこっちが、ドキドキしちゃうんだから。
声はいかにも呆れてるという色を滲ませて。胸に手を当てる。
案の定、すごい速さでドクドクいってる。
「んじゃ、試しにあたしのムネ触ってみる?」
……だって言うのに、なんでアンタはまたそんな提案してくるのよ。
ドキドキがさらに速くなって、無意識に手が動き始める。
「……いきなりだから、慌てて真っ赤になるの。自分から『触って』って言って触られても、何にもならないでしょうが」
それを何とか押し留めて、それだけ言う。
それだけが、精一杯だった。
シャワーを浴び終えて着替えも終わって、体育館に戻ってくる。
「――ッ」
座っていた私の隣に真帆が来た。
さっきのシャワールームでの事もあって、途端に緊張してしまう。
真帆の方はそんな事には気づきもせず(そっちの方がありがたいけど)、ペットボトルを口許にやって傾ける。
「……おりょ? 水がなくなっちった。なーサキ―、水ちょーだい」
「って言ってる側から奪い取らないでよ。別にいいけど」
幸い私の持ってるペットボトルにはまだ水が結構入ってるし、さっき飲んだばかりだから喉も渇いてない。
ただ、それでも渡さない方が良かったかもしれない。
「んっ、んくっ……」
「……!」
迂闊だった。少し考えれば分かる事だったのに。
真帆が私のペットボトルで水を飲もうとしたら、当然私が口を付けた飲み口に、真帆も口を付けるわけで。
それはつまり……間接キス。
「んっ? どったのサキ?」
けれど何よりも迂闊だったのは、それに動揺しすぎて、つい真帆とペットボトルをジッと見つめてしまっていた事。
これじゃ何かがあるって言ってるようなものだ。
「なっなんでもないっ!」
なのに私は、慌ててそっぽを向いて。ますます真帆に疑念を持たせてしまう。
「アヤシーな! さてはなにか隠してるなー」
「ほっホントになんでもないってば!」
な、なんでわざわざ顔を近づけてくるのよ。
……真帆の事だから特に意識しての行動じゃないんだろうけど、私としてはとても困る。
間近に迫ってる、さっきまで飲んでいた水の所為で濡れて光ってる唇を、どうしても意識してしまうから。
どうしよう。真帆が顔を寄せてくる事なんて、何も珍しい事じゃないのに。
……なんで私、ドキドキしてるんだろう。
「はーい、休憩終わり。みんな集合して」
「おっ、すばるんだ。いこーぜサキ!」
正直、長谷川さんの号令を聞いて、助かったって思った。
「……ええ」
どうにか気持ちを落ち着かせて、それだけ答える。
それから真帆やみんなと合流して、長谷川さんのもとへ集まった。
「ハァ……」
家に帰ってきて、自分の部屋のベッドに力なく倒れ込む。
どうしよう。もうどんなに理屈を並べても否定しきれない。
真帆の事をヘンに意識してる、なんて曖昧なレベルの事じゃない。多分私は、真帆の事が好きになってる。
……ううん、この言い方じゃ今までと何も変わらない。本人に言ったら調子付くだろうし、何より私自身が恥ずかしいから絶対に言わないけど、真帆の事は好きだ。最初から。
けどその好きは、幼馴染として、親友としての好き。
なのに、公園で偶然キスしてしまってから、抱いてはいけないはずの“好き”が生まれてしまっている。
「どうしよう……」
抱いてはいけない。それは常識とか周りの目とか、そういう事だけじゃない。もし真帆がこの事を知ったらどう思うか。
あのマンガにあったように、女の子同士なのに、私が真帆と、キスとかをしたいって考えてるって、知ってしまったら。
『けどやっぱオカシイよなー、女の子どーしでチューするなんて。ありえないって』
他でもない、幼馴染みで親友の、私が。
それは真帆と私が今まで積み上げてきた事へ対する冒涜と、彼女は捉えるんじゃないだろうか。
いや、捉えるも何も実際にそうなのかもしれない。私はキレイに保っていた私たちの友情に、不純物を紛れ込ませてしまった。
「知られちゃダメ、ゼッタイに」
強く自分を戒める。もし知られてしまったら、きっと今の関係にヒビが入る。
そんなのは、絶対にイヤ。真帆と、友達ですらいられなくなるなんて。
その時は、まだ気づかなかった。
『友達ですら』って思ってる時点で、既に私は、真帆とそれ以上になる事を望み始めている事に。