公園での一件から、一週間ちょっと経った。  
 さすがにそれだけ経てば、状況にも慣れてくる。  
 今はもう、真帆と一緒にいてもいつもと変わらず過ごす事が出来る。大体は。  
「うぅ……」  
 ただずっと気を張り続けているのは事実で、最近はずっと疲れっぱなし。  
 今日も授業中だけは何としても寝ないように頑張ったけど、さすがに限界。  
 いつもは楽しみにしている部活だけど、今日ばっかりはなくて助かった。  
 すぐに帰って、早めに休みましょう。  
   
 ……………。  
 ………。  
 ……。  
   
「ありゃ? サキ?」  
 いつの間に寝ちゃったんだろ。机の上で腕を枕にしてサキが寝息を立ててた。  
 まーよく分かんないけど最近つかれてたみたいだし、今日もじゅぎょーだけはマジメに受けて、力尽きたんだろーな。  
「くふふ、サキの寝顔をおがめるコトなんてそんなにないからなー」  
 いつもは澄ましたカオのサキが緩んだカオをしてるレアなシーン。  
 どうせならしっかり見とこ。  
 そう思ってあたしは、みんなが帰ってく中、一人教室にのこった。  
 勿論もっかん達は声をかけてくれたけど、あたしがメンドー見るからって言ったら、みんな納得して帰っていった。  
「ふだんおっかないサキさんも、こーして見るとカワイーもんだなー。うりうりっ」  
 指でサキのほっぺをツンツンしてやる。  
「んっ……」  
 くすぐったそうに頭を少しだけふるサキ。  
「これオモシロいな。うりうりうりーっ」  
「もぉ、真帆〜……」  
「ヤバッ、おき――えっ?」  
 なんでか、両側のほっぺがサキの両手にはさまれる。  
 いつの間に手を移動させたんだ!? っていうか――  
「ん……っ」  
「へっ? ……んむっ!?」  
 なんで顔を思いっきり近づけてんだ!? おかげで口と口がくっついちゃったじゃん!  
 いや、っていうかコレ、ひょっとしてチューしちゃってる!? あたしとサキが!?  
「ぴちゅ、んっ……」  
 あ、ようやくはなしてくれた。まったく、いくらなんでもねぼけすぎだろ。  
「さっサキ……?」  
「…………」  
 女の子どーしなんだぞ? なのにきっキスするなんて……。  
 おかげでまだドキドキして、顔だってスッゲーアツくなっちゃってるじゃん。  
 うぅ、ナニ考えてんだよ、サキのヤツ。  
「ま、ほ……」  
「う、うん……」  
 もう一度あたしの名前をよんだサキは、今度はちゃんと、目を覚ましてた。  
   
   
   
「ま、ほ……」  
 ウソウソ……! 私、なんて夢見てたんだろう。  
 真帆と二人、広いベッドで一緒に横になってて。真帆が私のほっぺにちょっかい出してきて。  
 私は真帆に、キスをして……。もう言い訳のしようもないくらい、ソッチな夢で。  
「う、うん……」  
 でも問題は、その夢を見た事自体じゃない。  
 目の前にあった真帆の赤く染まった顔と、戸惑ってるような声。  
 そして唇に残ってる確かな感触で、確信した。  
 私、寝ぼけて、真帆に、キスしちゃった……?  
 
 前回とは真逆の立場。あの時の真帆も寝ぼけてて、だからアレは事故。  
 今回のだって、私はただ寝ぼけてただけ。  
 ……でも、事故って言えるの? これ。  
 私はなんだかんだで、ずっと消す事が出来ないままでいた。  
 真帆と今以上の、友達以上の関係になりたい。真帆と、キスしたいという思いを。  
 ううん。隠す事が出来るようになっただけで、思いはむしろ強くなっている。  
 その思いがあんな夢を見せたんだとしたら、今回の事は、事故って言えるのかしら。  
「……ゴメン」  
 頭の中が上手くまとまらない中で、なんとかその言葉だけ絞り出す。  
 そのまま席を立って、走って教室を出た。  
 真帆は、追いかけてこなかった。  
   
「長谷川さん、今お時間よろしいですか?」  
『うん、大丈夫だけど。どうしたんだ? 紗季』  
 家に帰ってから、私は長谷川さんに電話をかけた。  
 ご迷惑だというのは解っていたけど、私一人で考えても良い方法なんて何も浮かばなかった。  
 誰かに相談したい。そう思った時に、真っ先に頭に浮かんだのが長谷川さんだった。  
「実は私、今とある悩みを抱えているんです」  
『悩み、か。うん、俺で良ければ相談ぐらいには乗るよ。大した力にはなれないかもしれないけど』  
「いえっ、話を聴いていただけるだけでも! ありがとうございます!」  
 電話口じゃイミはないけど、習性で頭を下げてしまう。まぁ良いか。  
「それで、なんですけど、先週の日曜日……」  
 そして私は、長谷川さんにこの一週間で起きた全てを話し始めた。  
 下手に隠したりしたら、却って長谷川さんを混乱させてしまうかもしれないから、本当に包み隠さず。  
   
   
   
『……というワケなんです』  
「…………」  
 正直、言葉を失った。紗季からの相談は、俺の予想よりも遥かにレベルが高いもので。  
 バスケのコーチという役目すら、至らぬ部分ばかりで自分の未熟さを痛感する日々だというのに。  
『長谷川さん?』  
「……ん、ああ、ゴメン。大丈夫」  
 こんな、大した人生経験もない俺に、的確なアドバイスなんて送れるはずもない。  
『すみません。こんな相談されても、困っちゃいますよね』  
 ただ、今一言だけ、沙季に言ってやれる事ならある。  
 何より、大切な教え子が俺を信じて相談してくれたんだ。何も言ってやれなかったら、それこそ情けないというものだろう。  
「いやいや、それは気にしなくて良いから。それにしても、紗季はエラいな」  
『え……?』  
 受話器の向こうから呆気に取られたような声が聞こえて、少し可笑しくなる。  
「紗季が思ってるとおり、これはちょっと難しい問題だ。だからこそ他人に相談出来ずに、自分の殻に閉じ籠もってしまう人が多いんだ」  
『…………』  
「でも紗季はそうしなかった。ちゃんと勇気を出して、俺に相談してくれた。だから、エラいぞ」  
 不安も大きかっただろう。普段頼りにしているコーチが、自分の悩みを聴いて、自分を拒絶してしまったら、と。  
 だからこそ、まずは彼女を安心させないといけない。俺は紗季の味方だと、教えてあげないといけない。  
『……ありがとうございます、長谷川さん』  
「お礼を言うのは、悩みが解決してからさ。恥ずかしながら、俺もすぐには良い案が浮かばないしね」  
 難しい問題ではある。紗季が抱えてしまった悩みは、他人がこうしろと言って解決する問題じゃないから。  
「紗季は、こういう好きっていう感情は、真帆が初めて?」  
『えっと、はい、多分。……は、あくまで尊敬の念だと思いますし』  
「え? ゴメン紗季。よく聞き取れなかったんだけど」  
『なっ、なんでもないですっ! 気になさらないで下さい!』  
「そう? わかった」  
 なんかやけに慌ててたけど、紗季が気にするなと言うなら気にしないように努めよう。  
「夢の中で真帆とキスした時、紗季はどう思った?」  
『……嬉しかった、です』  
 
 場合によっては自分の欲求が忠実に表れる夢の中。そこで紗季は、嬉しいと思った。  
「……俺も、恋愛経験は豊富ってわけじゃないから、確かな事は言えないけど」  
『……はい』  
 緊張が声から伝わってくる。俺が今から、重要な事を言うと悟ったんだろう。  
「その嬉しいっていう想いが今も消えてないなら、紗季の感情は本物だと思う。  
 それを決定づけた上で、後は紗季自身が決めないといけない」  
 結局、俺自身が出来る事なんてほとんどない。精々が、選択肢がある事を教えてやる事。  
 それと、ほんの少し背中を押してやる事だけ。  
   
   
   
『その気持ちを真帆に伝えるか、今は胸の奥にそっと仕舞っておくか』  
「伝えるか、仕舞っておくか……」  
 それなら、迷う必要なんてない。  
 こんな想いを伝えてしまったら、真帆だって困ってしまうに決まってる。  
 それどころか、話をするだけでもギクシャクしてしまうかもしれない。  
 リスクだらけで、得られるものは一つだけ。  
 それに比べて、後者の方は現状維持という事でもある。  
 もし仕舞ってはいられないほどに気持ちが大きくなったら、その時になって告白する方に気持ちを切り替える事も出来る。  
 いつでも、良いんだ。  
『ただし、一つだけ』  
「はい?」  
『真帆は、紗季の気持ちを聞いても、嫌ったりヘンな眼で見たりは絶対にしないから。みんなを日々見守っているコーチとして、それは保証します』  
 そんな風に考えているところに、長谷川さんが投げかけた言葉。  
『だから、本当に正直な自分の心のままに決めるように』  
「……はい」  
 私は、その言葉を噛み締めるように、ゆっくりと頷いた。  
 

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