長谷川さんに相談した、そして真帆にキスしてしまった翌日。
「真帆、その……昨日はゴメンなさい」
「いいって。てゆーかそんな改まって謝られると思い出しちゃってハズいじゃん」
とにかく、真っ先にやるべきなのは真帆に謝る事。
「それに、あんなの事故みたいなもんじゃん。サキが謝る事じゃねーだろ」
「そうかもしれないけど、でも、ゴメン」
真帆自身にそう言われても、やっぱり謝らないと気が済まない。
けどこれ以上謝っても、真帆が却って困ってしまう事も分かる。
「あーもう! 謝るのはそれで最後な! 次謝ったらなんか罰ゲームさせるから!」
「ふふっ、ありがと、真帆」
真帆が怒ってくれたおかげで、収めどころが出来た。
長谷川さんに相談して、前向きに考える事が出来るようにはなった。
『どうしよう』ってオロオロしているよりも、まずは真帆に謝ろう。
自分のこの気持ちと、正面から向き合ってみよう。そう思った。
けれどやっぱり、すぐに結論を出して良い問題じゃない、とも思った。
もう少しだけ、答えを出すための時間が欲しい。
それは、簡単に得られるものだと思った。
「サキ! こっちだ、パス!」
「ふふっ、りょうかい!」
学校や部活中でも、もう自然に接する事が出来る。
昨日までみたいに、ヘンに肩肘を張る事もない。
『知られたらキラわれる』っていう恐怖が、なくなったからだと思う。
そして今までどおりに真帆と話せる事を実感すればするほど、その安心感は増してゆく。
理想的な循環が、生まれていた。
「よっしゃーシュート決まったー!」
「きゃっ!? ちょっと真帆、はしゃぎ過ぎ!」
さすがにシュートを決めて抱きついてきた時はドキッとしたけど、
「良い形だぞ、二人とも!」
「ありがとうございます、長谷川さん」
「すばるんがみっちり叩き込んでくれたんだから、こんくらいトーゼンだって!」
私達を褒めてくれた長谷川さんに、ちゃんとお礼を言えた。
うん、大丈夫。しばらくはこのままで。
焦らずに、ゆっくりと考えていけばいい。
……そう、思っていた。
けれど翌朝、それは唐突に裏切られる。
「えっ? お前三沢が好きなの!?」
「バカっ! 声がデカいって!」
「――!?」
全くの、同感。おかげで廊下にいた私にまで、聞こえちゃったじゃない。
まだ朝のホームルームも始まる前。先に来ていた男子達の会話が、偶然耳に入ってしまった。
「悪い悪い。けど、三沢かぁ……」
「なんだよ、なんか文句あんのか?」
声のボリュームを下げる男子。けど私は、気になってドアに耳を当てて、会話に意識を集中させる。
どうしても、気になってしまったから。
「いや、別にないって。俺も見た目はカワイイと思うし」
「……別に、見た目だけで好きになったワケじゃねーよ」
男子の中にも、真帆の事が好きな人間がいる。
……もし。
「で、告白とかはすんの?」
「こっ告白って、お前……!」
彼らが言うように、誰かが真帆に告白したら。
そしてもし、真帆がそれに頷いてしまったら。
自分勝手な話だけど、嫌だって思った。スゴく。
「おはーっ! なにやってんの、サキ?」
「!? ま、真帆……」
考え事に意識を奪われていたせいで、本当に気づく事が出来なかった。
真帆の声を聞いて、教室の中の気配も変わる。噂の本人が現れたんだから当たり前か。
「なんでもないわ。気にしないで」
先に教室に入ろうとドアを開ける。
「……真帆」
「ん? なに?」
「今日の放課後、時間ある?」
ただ、教室に入る前に一言。真帆に言っておかないといけない事がある。
約束を、しておかないと。
「んー? 今日は部活もないし、ダイジョーブだよん」
確かに今あった事は、私の『今はまだ大丈夫』っていう期待を裏切った。
けれど、だからこそ確信できた。
「そう。それなら、放課後に体育館裏までお願い」
やっぱり私は、真帆の事が好き。大好き。他の人には、絶対渡したくない。
これだけ強い想いだと分かったなら、もう躊躇わない。
授業中は、一昨日までと同じように緊張しっぱなしだった。
けど今回のは、秘密にし続ける為じゃない。むしろその逆。
真帆に気持ちを伝えるプレッシャーで、ずっとドキドキしていた。
「ゴメンね、こんな所にわざわざ呼び出しちゃって」
「それはべつにいーけどさ。なにをするのか教えてよ。よく考えたらそのへんのトコ、ゼンゼン聞いてなかった」
いつもどおりな真帆に思わず苦笑い。そういえば、話してなかった。
「とても大事な話があるの。教室じゃ、人のいる所じゃ、ちょっと出来ないような、話」
今ここまで来ても、やっぱり怖さはある。
真帆に受け入れてもらえなかったら、どうしようって。
「なはは、なんか体育館裏っていう場所といいサキのセリフといい、告白みたいじゃん」
それでももう、決めちゃったから。私はやっぱり、この場で言う。
何度も何度も口を開いては閉じて、唇を湿らせて。
たった一言言うのが、すごく難しい。
「真帆、それで、正解」
「へ……?」
「告白するために、真帆をここに呼んだの」
私の言葉に、真帆はとても驚いた顔になって、そのまましばらく止まっていた。
けど少ししたら正気に戻って。
「あ、アハハ……冗談キツいってサキ。大体あたし達、女の子どーしじゃん」
苦笑。その笑いにこもった想いが読めなくて、不安になる。
単に戸惑っているのか、あり得ない事を言っている友人の正気を疑っているのか。
「女の子同士でも、好きになっちゃう事があるのよ」
「あ、あたしだって、そりゃサキのコトはスキだよ。だけど……」
分かってる。私も、真帆も。
私と真帆の言ってる好きの意味が違うって事も、真帆が私の言葉の意味をちゃんと理解している事も。
「もちろん私だって、真帆の事は親友だと思ってる。友達として、大好き」
それだけは、真帆に誤解してほしくない。
初めから”そういう”好きで、ずっと真帆の事をそんな風な眼で見てたわけじゃないって。
だから、普段だったら照れくさくて言えなかった事も、言う。
こんな場面だから、今更っていう開き直りもあるけど。
「でもね、今の私にはそれ以外の好きっていう気持ちもあるの」
「ハァ……。なぁサキ」
溜め息を一つ吐いて、真帆の低い声。
思わず身体が緊張してしまう。
「それさ、本気で言ってんの?」
「っ――!」
真帆のその言葉は、私の耳に、やけに冷たく届いた。
やっぱり真帆は、私の告白を嫌がってる。
……当然よね。ずっと一緒にいた、友達だと思っていた女の子が、告白してきたんだもの。
ドン引きするのが、普通だと思う。
「…………」
真帆の問いに、迷う。
今ならまだ、冗談だって言えば引き返せるかもしれない。
もう、退いた方が良いんじゃないか。
このままだと、友達ですらいられなくなる。
……けれど、そんな逡巡はもう今までに何度もした。
『真帆は、紗季の気持ちを聞いても、嫌ったりヘンな眼で見たりは絶対にしないから』
それに、長谷川さんは真帆を信じていた。
私だって、信じてる。私が二重の意味で好きになった子は、そんな冷たい子じゃない。
「……本気。真帆の事が、好き」
だから私は、やっぱり頷く。真っ直ぐ真帆の眼を見て。
「…………」
真帆は頭をかいた後、私の方に歩み寄ってくる。
目と鼻の先に真帆の顔。表情は真剣そのもので、感情が読めない。
「んー……ぅんっ」
「えっ……むぅっ?」
そして小さく唸ったかと思うと、いきなり私の唇に自分の唇をぶつけてきた。
一秒なのか一分なのか一日なのか。ドキドキして、時間の経過が意識出来なくて、本気で判らなかった。
とにかく、どれくらいか経ってから、真帆が唇を離す。
「えっ、えっ? なに!? 何なの!?」
「アハハッ! スッゲーパニくってんな、サキ!」
慌てふためく私を見てひとしきり笑った後、
「んー……」
またさっきと同じように小さく唸ってから。
「うん、やっぱりイヤなカンジとかはしないな!」
唇に手を当てながら、頷いた。
「ま、真帆……?」
「あたしもさ、サキが寝ボケてあたしにキスした時から、なんかヘンなカンジなんだよ」
一昨日。私にとっては一番の悩みの種になった出来事。当然、真帆にも影響があったみたい。
「よく分かんないけど、そーいうのもアリかなって。サキとなら、さ」
その言葉に、私は喜ぶべきなんだろうか。それとも、悲しむべきなんだろうか。
私となら、一緒に手探りで新しい関係になるのも良い。
親友が求めている事なのだし、自分自身も嫌なわけじゃないから、別にそれで良い。
表面上の結果は同じでも、二つは全然違うもので。
もし後者なら、私は真帆が頷くのを止めないといけない。
「よく分かんないって、そんないい加減な……」
「カン違いすんなよ」
けど逆に、私の言葉が真帆に遮られる。
「ショージキ、サキ以外とこんなコトはあんまやりたくない。相手がサキだから、いいかなって思ったんだぜ?」
私はそれに逆らって尚も口を挟もうとしたけど、やっぱりやめる。
その必要がなくなったから。欲しかった答えを、真帆がもう話してくれたから。
「分かったわ。ありがとう、真帆」
だから私も、素直に真帆に頷く。これからゆっくりと、色々考えていこうって。
この瞬間から、私と真帆は今までの友達同士とは違う関係になった。
求めていた恋人同士ともちょっと違う、あいまいで不思議な関係に。