「ぬわー! もーヤダーっ! なんでおんなじ漢字を何回も書かなきゃいけねーんだっ!」
「まだ始めてから30分しか経ってないじゃない。せめてもう少し頑張りなさい」
早くも耐えきれなくなった真帆が、シャーペンを投げ出そうとするのを止める。
真帆から遊びに行くっていうメールを貰ったのが昨日の事。
それで、1時間くらい前に家に来た真帆は、
『サキサキ! 宿題の漢字カキトリ、写させてよ!』
……なんてフザけた事をお願いしてきた。
勿論そんなお願いに頷くはずもなく、私は急遽真帆と2人の勉強会を開いた。
「うー……そもそもなんでこんなコトになったんだ。あたしのパーペキなプランが……」
「どこが完璧なのよ。私がすんなり見せるワケないし、それに……」
……遊びに来てくれた理由がそんな事だって知って、機嫌良くなるワケないじゃない。
喉まで出かかったセリフを、危うく留める。こんな事真帆に言うのは、ハズかし過ぎる。
「ほら。もうそんなに残ってないじゃない。口動かさずに手動かしていればすぐに遊べるわよ」
「ぬー……」
渋々ながらもまた漢字ドリルと向き合う真帆。これで最後までもってくれれば良いんだけど。
そう思いながら私もまた、算数のドリルを進めていく(漢字をやると真帆が覗きこんでくる)。
「いよっしゃ終わったー!」
勢い良く叫んで漢字ドリルを放り投げる真帆。よっぽど我慢していたんだろう。
「さっ、早く遊びに行こうぜサキっ!」
「少しは落ち着きなさいよアンタ。遊びに行くのは良いけど、そろそろ……」
「紗季ちゃーん。ドア開けてちょうだい」
「ほら来た。待ってて今開けるから」
ドアの向こうから聞こえるお母さんの声に応えて、ノブを捻る。
「お勉強お疲れさま。差し入れ持ってきたわよー」
「おーっ! ケーキじゃん! あんがとサキママ!」
「ありがとうお母さん」
真帆に続いて私の方からもお礼を言って、ケーキが載ったトレイを受け取る。
「いえいえー。二人とも頑張ってねー」
最後まで笑顔のまま、部屋を去るお母さん。
…………。
『ひゃんっ!』
「だから恥ずかしいから転ばないでって言ってるでしょお母さん!」
予想を裏切らず、廊下で転んだらしい。
「イチゴもーらいっ! ――あれっ?」
「甘いわね。アンタがイチゴを狙ってくるのは予測済みよ」
迫ってくる真帆のフォークを、自分のフォークで弾き返す。
行儀が悪いとは思うけど、こうでもしないと真帆からイチゴを守れない。
それに、ちょっとだけど楽しいし。
「ところでさっき言ってた事だけど」
「ほえ?」
イチゴにフォークを刺して安全を確保した後、話を切り出す。
「遊びに行くって話。具体的にどこに行くかとか決めてるの?」
「うんにゃゼンゼン。とにかく外に出て、ベンキョーのストレスを発散させたいなーって」
「ストレス感じるほど長い時間勉強してたワケじゃないでしょうが」
けれどまぁ、そういう事なら。
「公園で良いんじゃない? 近いし、ボールを持っていけばバスケの練習も出来るし」
「そーだな。じゃ、公園にするか」
行き先も決まって、私達はしばらくの間ケーキを食べながら雑談を続けた。
「……それがなんでこんな事になってるのかしら」
「むにゃ……」
公園に着いて、私と真帆は早速バスケの練習を始めた。
大体一時間くらい練習に没頭。そこまでは、予想通りだった。
けど水分補給がてら小休止を入れようと二人でベンチに着くと、真帆はたちまち目を擦り始めた。
そして気が付いたら今の状態。私の肩にもたれかかって、眠ってしまってる。
「なんであのくらいの事でここまで疲れてるのよ」
バスケの、運動量の事じゃない。真帆がこのくらいの運動で疲れるハズないから。
真帆がこんなすぐ眠りこけてしまうほどに疲れている理由は、もっと前の事。
勉強で、頭を使い過ぎたから、だと思う。
「運動と同じで、普段からきちんとやってればそんな簡単に疲れないはずなんだけど」
寝ている相手に不毛だとは思うけど、ジト眼を向けてやる。
「んん〜っ、すばる〜んっ……」
「ハイハイ。長谷川さんじゃなくて悪かったわね」
私達が普段お世話になっているコーチの名前が出てきて、思わず苦笑が漏れる。
それにしても、真帆も随分長谷川さんに懐いてるわね。いや、私も勿論、長谷川さんの事は尊敬してるけど。
「サキにはナイショだかんなー、ヒミツ特訓……」
「ふふっ夢の中で抜け駆け? 私もやっちゃおうかしら」
真帆の寝言がおかしくて、思わず声をかけてしまう。
「くふふー、すばるーんっ……」
勿論真帆に聞こえてるはずもないんだから、返事もなく、真帆の夢は進行してゆく。
この瞬間までは、それを特に何とも思わなかった。
けど直後に私は、後悔の念を抱く事になる。
「うりゃーっ」
なんとか真帆の夢に変化をもたらすか、そもそも眼を覚まさせる事が出来ていれば、こんな事にはならなかったって。
「えっ、ちょっ、真帆……!?」
真帆は勢い良く私に飛びついて、押し倒してくる。
そしてよりにもよって、そのまま覆い被さってきた真帆の顔の下には、私の顔。
「んぎゅっ……」
「んんっ――!?」
真帆の唇と、私の唇が、重なってしまって。
私は、咄嗟に避けられなかった事を後悔した。
その所為で私はこの先、幾つもの感情に思い悩まされる事になるのだから。