「ふぅ・・・食った食った。まったく・・・俺ら二人しかいないんだから、あんな豪勢な料理、出さなくていいのにな」
「なにいってんだよー。すばるん。だって・・・・・・初同棲日・・・だし。イワイだって」
「・・・・・・そうだな」
恥ずかしくてそれ以上は答えようが無かった。真帆も俺も視線を外し、頬を赤らめている。
でも、ホントに料理は豪華で高級食材を使っているというのが素人目にもハッキリと分かるほどだった。
しかも明らかに二人分を遙かに超えた量が出てきて、胃の中に詰め込むのがやっとだ。でもまぁ、それだけ祝福されてるってことだから、感謝しないとな。
「それじゃ、また後に真帆の部屋にいくよ」
ちょっと準備があるのでいったん自室に帰ることにした。その後は、真帆の部屋で団らんの時を過ごすつもりだ。
ガチャ
ドアを開くと、そこは闇が支配する空間になっていた。唯一、窓から差し込む月光が、俺にスイッチの在処を教えてくれる。
「っと。確かここら辺の壁に、スイッチが・・・」
まだ慣れない部屋なのでうろ覚えだけど・・・手を差しのばそうとしたとき
「っ!!」
激しい光が一瞬、部屋を襲った。どうやら雷が落ちたらしい。まったく、心臓に悪いな。
なまじ広い部屋だと恐怖感が格段に違う。それに、窓も大きいし・・・
「えっ・・・・・・」
窓の先、バルコニーに目をやった。俺はその目を疑わずには居られなかった。
「とも・・・か」
その先にいたのは、紛れもない、慧心学園初等部6年、湊智花だった。ウソだろ・・・・・・なんでここに智花が。
ありえない光景を目の前に、俺は体を動かす事が出来なかった。
ギィィ
智花は静かに窓を開けると、ゆっくりと歩いてきた。冷や汗が流れる。智花の纏う空気に、どうすることも出来ず・・・・・・
「昴さん・・・・・・」
立ち尽くす俺に、放たれる言葉。智花のその唇が、夢ではない事を俺に教えてくれる。
「智花・・・」
名前を絞り出すのが精一杯だ。それ以上は言葉が出てこない。
「昴さん・・・・・・昴さん、いいましたよね。『智花は俺のパートナーだよ』って・・・・・・私は昴さんの隣に居たらダメなんですか?」
智花の瞳から、一筋の涙が流れる。が、表情は無表情なままだ。二撃目の稲妻が光る。一瞬、青白く映し出す智花に俺は戦慄した。
「智花・・・それは・・・その・・・・・・」
「昴さん、私に言いましたよね。冬の星座を見に行こうって・・・・・・もう、それも叶わないんですか?」
一歩一歩、確実に近づいてくる智花。月明かりに照らし出されたその表情は悲しみで満ちていた――
・・・・・・
あのとき、修学旅行で風雅さんに「許嫁にならないか」と言われたときから、俺は真帆の事しか見えていなかったのかもしれない。
女バスの練習も、真帆ばかりを目で追っていた。
俺は・・・確かに真帆の事が好きだ。でも・・・・・・それ以前に、俺は女バスのコーチなんだ。
それなのに何だ。智花をここまで追い詰めて・・・小さい女の子をここまで悩ませて。
俺は・・・・・・
・・・・・・
「智花・・・・・・」
智花の正面に立ち、その顔を見つめる。二つの涙が筋となって、くっきりと見えた。
「俺は、智花の、いや、女バスみんなのコーチ失格かもしれない」
「っ・・・昴・・・さん」
智花は少し顔を上げ、目を見開き、俺を見た。少しの困惑が混じった目が俺を射止める。
「俺は、修学旅行の時から・・・・・・真帆のことしか見えてなかったのかもしれない。
いや、真帆の事ばかりだ。だから、練習に関しても、女バスのみんなに迷惑かけていたと思う。
智花にも不安がらせて・・・・・・ここまで来させて・・・・・・ホント、俺ってバカだよな」
自分の考えを、一つ一つ絞り出す。俺は・・・・・・きっとこれから女バスのみんなに、沢山あやまらなくちゃならない事、あるんだろうな。そして真帆には、もっと。
ガバッ
逡巡を重ねていたとき、腰に何か鈍い感覚を得た。下を見下ろしてみると、智花が俺の腰に抱きついていた。強い力で、ぎゅっと。
「昴さん・・・わたし・・・・・・昴さんが遠くに行っちゃうのがイヤです」
顔を埋めたまま、嗚咽を吐き出すような声を出す。普段の、エースとしての凛々しい智花はそこには無かった。
「でも・・・・・・真帆に嫌われちゃう。昴さんを奪ったって・・・私、どうすればいいのか分からないんです・・・・・・」
「智花・・・」
我慢をさせていたんだな。智花に。ずっと。思えば、今の女バスのみんなと出会えたのは智花がいたからだ。
智花が、俺のハートに火を付けてくれたから、俺は今、ここにいる。なのに・・・
「あーっ!このロリコン野郎!湊に何してるんだ!!」
「こ・・・・・・の・・・昴っっーーー」
勢いよくドアが開かれると同時に、仲良く二つの怒号が襲いかかってくる。竹中と葵・・・・・・?意外なメンツで驚き、俺は言葉を失う。
「ふえっ・・・・・・みんな?」
智花も驚いたのか、ドアを見て目を丸くしている。その二人の奥から現れたのは・・・
「ほえっ、もっかんまで、なんでみんな来てるのー」
真帆だ。それにくいなさんも居る。俺たちは互いに見つめ合って、状況が読めていない様子だった。実際俺も何がなんだか分からない。
「真帆・・・?それにくいなさん、みんな、どうしたんですか・・・?」
俺は疑問をそのまま口にする。
「っ!」
「もっかん!」
智花は俯いたまま、部屋の外へと走り去ってしまった。涙を他の人に見られないように。ということだろうか。弱い自分を見せたくない、ということだろうか。
すぐに智花を追いかける真帆。って、俺がボーっとしてる場合じゃない。
「昴さま・・・お待ちください」
追いかけようとする俺の腕をくいなさんが握る。・・・なにやらくいなさんに考えがあるようだ。智花の事は真帆に任せておけということなのだろう。
そうなら・・・俺は待ってみよう。それで、智花の心の傷を少しでも埋められるなら。
何度曲がり角を曲がっただろう。昴の部屋を飛び出してとにかく走り続けた。これだけ走っても廊下が延びているこの屋敷も凄いが。
「もっかん!」
全力で走る智花の後ろから走ってくる真帆。女バス随一の体力で徐々にその差を埋めていく。
「もっかん!話」
呼びかけても、逃げていく智花。そして遂にその差が。
「もっかん!」
肩を掴み、かけっこは終わった。互いに息を切らすふたり。ようやく、智花が顔を上げ、その口を開く。
「真帆・・・・・・私どうしたらいいか分からないよ」
「もっかん・・・・・・」
真帆は普段見せないような、真剣な表情で智花に向き合った。二人の間には静まりかえった空気が流れるのみだ。追いかけてくる人影はない。
「昴さんが真帆の許嫁になったって聞いて、昴さんが遠くに行っちゃいそうで。
でも、真帆も昴さんも、今の私の居場所を作ってくれた大切な人で・・・・・・私・・・ダメです。一人で悩んで・・・こんな姿、みんなに見せて」
「もっかんはダメなんかじゃない!」
廊下の遙か先まで聞こえるような声で叫ぶ真帆。少しずつ、真帆と智花の距離が縮まっていく。真帆が歩み、智花が立ち止まる。
「あたしたちが浮かれてたからさ・・・もっかんに心配かけてゴメン!」
思いっきり直角に頭を垂れる真帆。その勢いでツインテールが激しく波打つ。
「上手く言えないけどさ・・・もっかん、すばるんはあたしだけのものじゃないよ。サキやアイリーン。ひなた、もっかんみんなのものだよ。
それにすばるんは・・・その、イイナズケって言われてるけど、あんまし先のこと、実感なくてさ、はは」
顔をあげ、ペロッと舌をだしてウインクする真帆。更に言葉を綴る。
「そりゃあ、すばるんのことは大切だけどさ・・・・・・それよりもっかんたち女バスのみんなとの絆の方がもっと大切だしな!へへっ。
多分、すばるんも同じ事言うとおもうぜ。『女バスのみんなを犠牲にしてまで、許嫁なんて』って」
「真帆・・・・・・ううん、ありがとう・・・真帆」
涙をぬぐいながら親友の名を二度呼び返す。
「私こそ、昴さんや真帆の事信じられなくてゴメン。きっと、もっと早く打ち明けてたら・・・迷惑をかけることなんて・・・・・・」
「だーかーらー。もう謝るのはナシ!なっ!」
互いに手を取り合い、笑顔を向ける二人。ただ、緩やかな時が、二人の間に流れていった―――
智花たちが出て行って数分経つ。くいなさんの言葉を信じて待つことにしたわけだ、が。
「ちょっと!どういうことよ小学生の女の子と・・・いいなずけなんて・・・・・・昴、小さい女の子が好き・・・・・・なんだ。うぁぁぁぁん」
葵が勢いよく俺を糾弾し始めたと思えば、いきなり跪いて泣き出す。なんだ・・・・・・?それに真帆は小さくなんかないぞ!今や立派なバスケ選手だ。
「ったく・・・・・・葵ねーちゃんじゃ話になんねぇ・・・・・・おい!ロリコン!真帆と許嫁ってどういうことだ!ちゃんと説明しやがれ!」
と、思えば、今度は竹中が俺を糾弾し始める。お前に俺を糾弾する権利などないと何度言わせれば・・・・・・
これ以上、言いがかりされるのもシャクなので、お望み通り、説明することにしよう。それに俺はロリコンじゃない。
「真帆とは、確かに親同士が認めた許嫁という関係だ。でも俺は本当に真帆の事を大切に考えているし・・・・・・それに女バスのみんなもそれ以上に大切さ。
確かに、許嫁と言われて浮かれていた事もあった。でも、智花を見て再確認したんだ。俺の大切な場所はあそこなんだって。だから、俺は女バスのみんなをみんなとの場所を守る」
「・・・っ!じゃあどうするんだよ。その・・・許嫁ってやつは。湊のヤツ、すっげえ悩んでたぞ。あんな湊の姿、見たの初めてだぞ!」
真剣な言葉でぶつかり合う、俺と竹中。こいつ、本当にイイやつだな。ここまでみんなのこと考えてるなんて。はは、俺を糾弾する権利、あるかもな。竹中。
それより・・・これからどうするかだ。女バスのみんなとの場所を守るとは言ったものの、きっと許嫁という関係である以上、完全に以前の関係に戻ることは難しいだろう。
「そ、それは・・・・・・」
俺は答えに窮した。これはもう、真帆との許嫁を・・・解消するしか・・・・・・
「お困りかな。お若い諸君」
爽やかな声が響き渡った。ドアから颯爽と現れたのは――風雅さんだった。
「風雅さん・・・・・・」
「昴君・・・すまん。私が言い出したせいで、こんなことになって・・・・・・」
「いえっ!そんな・・・」
俺の方に歩み寄り、深々と頭を下げる風雅さん。そんな・・・風雅さんは何も悪くないのに・・・
「それで、だ。許嫁は、昴くん。キミが決めたらどうかな。五人の中から、自分にふさわしいと思う人をね。お、そこのポニーテールのお嬢さんもかな」
え・・・・・・
「「ええっーーーーーー!」」
ほぼ同時に、驚きの声が上がる。え、決めろって、どういうこと・・・・・・かな。
「あ、バスケ部の子の両親には了承済みだから心配しないで。全員、『昴くんなら娘を任せられる』って言ってたよ。相変わらず人望あるねー昴君は。ははは」
笑いながらポンポンと肩を風雅さんにたたかれる。ははは、じゃなくて、いや、いきなり言われましてもですね。その・・・・・・どうすれば。
ふと、窓の外を見てみると、半分の月が見えた。それは俺に・・・・・・ひとりのパートナーを決めろという事を暗示しているのだろうか。