遂にこのときが来てしまった。緊張しながら、俺はゆっくりと運命の階段を一歩一歩のぼっていく。いや、天国への階段と言うべきだろうか・・・・・・  
 心臓が高鳴るのを確認した。そりゃそうだ。緊張しまくっているのだから。かろうじて手足を動かしているのが実情だ。  
 俺は今、慧心学園の教室を目指して歩いている。面談が行われる予定の、智花達の教室だ。あと数十メートル。  
時間にしてものの一分で到着するだろう。ああ、これはバスケ試合のとき以上の緊張だな。一分の間に何が出来るのだろうか。  
 一応、フォーマルな格好をしてきたので、襟を正したりしてみる。うん、これなら大丈夫・・・・・・じゃないな。そんなことで気が紛れる訳がない。  
 なぜなら、俺は人生を大きく左右しかねない選択を数分後に迫られているからだ。  
 こんな状況に追い込まれているのは、二日前に俺が風雅さんに返答したこと――許嫁が心の中で決まっているということ。を口から告げてしまったのだ。  
 流石にこれ以上ウジウジするのは男としてどうかと思うし、それになによりあの子達が今のままの中途半端な状態ではかわいそうだというのもある。  
 そして二日間、真剣に答えを模索してきた。学校でも、家でも。ずっと考え続けてきたのだ。  
そのせいか、学校で葵に変な目で見られたけど。よっぽどおかしい顔をしていたらしい。  
 てか、葵もそわそわしていたな。なぜだか知らないけど。  
 とにかく今はあの子達の事だ。それ以外のことは一時的に頭から追い出さなければならない。そう、バスケのことも。  
 そんなことを考えていると、遂に教室の前に辿り着く。  
 俺は深呼吸をすると、ドアを引く手に力を込めて開いた――  
 
「失礼します」  
 開いた瞬間、普段は絶対に見せないような90度近い礼を繰り出す。まずは第一印象が大切だ。ここで躓くと、後々大変な事になる。  
 ・・・・・・しかし誰も返答をしない。しんと静まりかえっている。  
 数秒間、頭を下げても何も反応がないので、流石に不審がって頭を上げる。  
「って、ミホ姉」  
 そこに居たのはミホ姉・・・・・・だけだった。一人、椅子に座って、面白そうなものを見つけたかのような表情で俺を見ている。  
「にゃはは! なかなか面白かったぞ。お前の渾身の礼」  
「・・・・・分かってて黙っていたな」  
 教室前での深呼吸や、気合いを入れてきた事が全て水の泡になったような脱力感に襲われた。  
 
「昴。お前が来るの早すぎるのが悪いんだぞ。ほれ、まだ20分もある」  
 ふと教室の時計を見てみると、確かに約束の時間まで20分ちょいあった。流石に大事な面談だから保護者の方たちも早く来ると思ったんだけどな。  
 まぁでも、ミホ姉は担任で初対面ではないし、そんなに緊張する間柄じゃないのかもな。そこら辺はよく分からないけど。  
「それにしても・・・・・・やっぱり緊張してるみたいだな。むふ、このロリコンが」  
「ったりまえだろ。俺とあの子達の人生が決まるんだぞ? 緊張しない方がおかしいって。それに俺はロリコンじゃない」  
 いつものように否定をするけど、流石に小学生の許嫁だしな。苦しい言い訳かもしれない。  
 ミホ姉はおもむろに立ち上がり、ふと窓から外を見た。そこには二人の小学生の男女が仲よさそうに歩いていた。  
「なあ昴。私も複雑な気持ちなんだ」  
 先ほどとは打って変わって、ぽつりと呟くような声で話し出す。  
「担任っていうのはな、どの教え子も可愛いもんなんだ。それこそ、やんちゃなガキでもな。そんな中から選べっていうのは昴がどの子を選ぶにしても、つらい思いさせちゃうからな・・・・・・」  
「ミホ姉・・・・・・」  
 ごめんミホ姉。心の中でそう呟いた。そうだよな。俺はそういうものを背負って、いまここにいるんだ。  
 でももう決めたんだ。じっくりと、真剣に考えてだした結論が俺の胸にある。  
「ミホ姉、俺は・・・・・・」  
ガラッ!  
俺のとき以上の勢いでドアが開かれる。そこに立っていたのは、白いスーツに赤いバラを胸元に携えた――  
「風雅さん!?」  
「やあ昴君。元気かい?」  
 真帆のお父さんである風雅さんがいつものように颯爽と現れた。ちょっと額に汗が一筋流れていたので、多分急いできたのだろう。  
流石に教室の前まで車でくる訳にはいかない。  
「ええ・・・・・・風雅さんも急いで来たんですか?」  
「ああ、普段あまり体力を使わないせいか、門からここまで歩いてくるのも大変でね。いやはや、お見苦しいところを見せてしまった」  
 内ポケットから取り出した高そうなハンカチで額をぬぐう。  
「本当はヘリを屋上につけて、ここまで来ようかと思ったんだがね。まほまほに止められてしまってね。いつもの事ながら親バカだとおもうよ。ははっ」  
「「・・・・・・」」  
俺とミホ姉は口を開けたまま立ち尽くすしかなかった。ヘリを学校の屋上に着陸させるって・・・・・・金持ちだということを再度確認した。  
 
「それで、まだ他の保護者達は来ていないのかな」  
「はい、まだみたいです」  
 時計を見たらあと15分くらいだ。そろそろ来始める頃だろう。  
「あっ! すばるん。おひさー」  
 などと考えていると、真帆が元気よく手をあげながら教室に入ってくる。うむ、相変わらず元気でよろしい。  
「真帆・・・・・・元気にしてたか?」  
「うんっ! もうゲーム10回クリアするくらい元気だったさー。あれ? すばるんはちょっと・・・・・・寝不足?」  
 うっすらと目の下に残るクマをみて判断したのだろう。たしかにちょっと寝不足だ。機能は本当に眠れなかった。  
「うん、実は夜中じゅう、真帆の事を考えていて寝不足なんだ」  
 真帆の耳に口を近づけ、小声で言う。  
「わっ、や、ヤメロヨ・・・・・・く、くすぐったいぞ」  
 ぼんっ、という擬音が聞こえてきそうなくらい、一瞬で顔を赤くする。  
俺もこんな冗談が言えるくらいリラックスしてきたということか。確かにさっきよりは緊張していない。心臓の鼓動がいつも通りだ。  
「あらあら、一番かと思いましたら、先にきていましたのね」  
 突如、緊張感を打ち払うような柔和そうな声が聞こえてくる。この声の主は智花のお母さんの花織さんだ。  
それに連れ添うように智花がちょこんとひっついている。  
「花織さん、お久しぶりです・・・・・・それに智花も」  
 ぺこりとお議事をする。本当は湊家いお邪魔した際に会っているのだが、礼儀として。  
「こちらこそ。それにしても今日の昴さん、なんだか素敵ね。智花より私はいかが?」  
 ぶぶーっ!  
 と、コーヒー飲んでたら絶対吐いてたぞ! いま!  
「ふえっ! お母さん?」  
「か、花織さんっ!」  
「ふふ、冗談ですよ。私には忍さんという伴侶がいますもの」  
 花織さんの場合は冗談とは思えないから困る。この人、本気で言ってそうだよ。  
「はは・・・・・・そうですよね」  
 
 まったく・・・・・・心臓に悪い。これ以上、負担をかけたら本当に病院行きになりそうだ。  
「す、昴さんっ! お元気でしたかっ」  
「ああ、元気だったよ。ちょっと寝不足だけどね」  
 そういうなり欠伸が出そうになるが、そこはぐっと堪える。智花達の前でそんなのんきな所を見せてはいられない。  
「そうなんですね。わ、私も実は眠れなくて・・・・・・その、昴さんの事を考えていたら・・・・・・」  
「・・・・・・ありがとな、智花」  
「ふえっ?」  
 不意にそんな言葉が口から漏れた。全く意識していなかったので、俺自身も驚いたくらいだ。  
「い、いや。なんでもない。気にしないでくれ」  
 慌てて訂正する。重大な決断を迫られている前にそんなことをいってはいけないと思ったからだ。  
 わたふたする智花の横から、保護者達がぞろぞろと入室してきた。改めて時計を確認すると、約束の時間の5分前だった。  
「よし、それじゃ始めるか!」  
 全員が教室の入ってきた瞬間。揃うまで暇そうに足をブラブラさせていたミホ姉が立ち上がり、拳を握りしめて気合いを入れる。  
「俺、出てってた方がいいか?」  
「何いってんだ? 女バスの事についての保護者面談なんだから、お前も居るのが当然だろ?」  
「・・・・・・わかったよ」  
 高校生がこの場にいるのが場違いな気がしてそういったのだが、あっさりとミホ姉に却下された。仕方ない。  
本当は許嫁発表の時だけ居たかったのだが、少しでも保護者たちのことを知っておこう。  
 
 教師と生徒、保護者が互いに向かい合う位置ではなく、全員が円になって座るようだ。  
一人ずつではなく、全員と意見交換をしようと言うことなのだろう。なるほど、ミホ姉らしい、リラックスできる形だ。  
「えー。それじゃ、今日は皆さん、女バスの保護者面談にお集まりいただきありがとうございます。今日は普段の――」  
 挨拶からいよいよ面談が始まる。普段のミホ姉とは違った真剣な表情で語る様子は、正に教師といった印象を受ける。  
 ・・・・・・ミホ姉って、本当に教師だったんだな。なぜだか知らないが、ずっと胸の中にあった、ひっかかりのようなものが取れたような気がした。  
 といっても精悍な顔つきをしていたのは最初だけで、あとはアットホームな雰囲気で意見交換をしていた。  
バスケを始めてから勉強に集中するようになったとか、恋する乙女のように顔にツヤが出てきたとか、そんな内容のことを話しあっている。  
 結構仲が良いんだな。しょっちゅう会っていて、気が知れた仲間みたいだ。その様子を眺めながら、ふとそんなことを思った。  
 
「さて皆さん、ここでコーチである昴くんから重大な発表があります」  
 突如、すっと立ち上がった風雅さんが手をたたき、その場に静寂をもたらした。  
 いよいよか。いよいよこのときが来たか。もう覚悟は出来ている。  
「昴くん」  
「はい」  
 俺は立ち上がると、一つ咳払いをした。  
「皆さんがご存じの通り、僕は女バスの子たちから許嫁を選ぼうと思っています。未熟者の僕が皆さんの大切な娘さんを選ぶなんて、とても身に余る光栄な事だと思います」  
 ここで一区切り、深呼吸をする。  
「それで、僕なりに考えて、考えて・・・・・・真剣に考えた結果。僕は5人全員を許嫁にしたいと決めました。」  
 刹那の沈黙。そしてざわめきだす教室。当然だ。普通に考えてそんなことが許されるとは思っていない。  
娘を全員下さいと言っているのだ。常識的に考えたら反対するのがスジっていうものだろう。  
「ちょっ、昴。お前、自分が何言っているのか分かってるのか?」  
 あの非常識なミホ姉までもが慌てて聞き返してくる。  
「ああ、俺の気持ちは変わらない。5人全員を幸せにする。それだけだ」  
 力強く、再度、決意表明をする。何度も考え直した結果だ。やっぱりみんなを幸せにしないといけない。俺にはその使命がある。  
 5人の小学生がこちらをみてそれぞれの反応を見せる。  
「昴さん・・・・・・」  
「おー? ひな、おにーちゃんと一つになれる?」  
「そ、そそんな、長谷川さんと一緒に・・・・・・」  
「昴さんと一緒にお好み焼きが・・・・・・」  
「すばるんと一緒に居られるんだ」  
 うん。どうやら女バスメンバーは喜んでいるようだ。あとは大人だが・・・・・・  
「長谷川さん、5人全員なんて・・・・・・無理なの、ご存じでしょう?」  
「うっ・・・・・・」  
 ごもっともな意見だ。反論されるのを分かっていても、全員を幸せにするという決意に負けたのだ。  
その自分の想いをぶつけただけだ。それに対しての具体的な方策など・・・・・・俺には無い。  
 さて、どうしようか。このまま返してくれそうにもないし。  
「昴くん。良く言った。他の4人を犠牲にしても、二人だけの幸せなんて得られないものだしね。あい分かった。その件に関しては僕に任せてくれませんか? 皆さん」  
 風雅さんが立ち上がり、納得したかのように頷いて言った。  
 ざわめきは一瞬で収まり、風雅さんが言うのなら・・・・・・ということになった。  
 結局最初から最後まで風雅さんに任せてしまった。  
 
「風雅さん。ありがとうございます。なんとお礼を言っていいか・・・・・・ただの高校生の俺が無力なばかりに」  
「いやいや、いいんだよ。正直、そういう結論を出すなんて思っても居なかったけど、昴くんらしいしね。後の事は任せてくれ」  
「はい、必ず幸せにします!」  
「出来ればうちの真帆を贔屓してくれると嬉しいんだけどね」  
 耳元に口を近づけ、ぽそりと言う風雅さん。  
「えっ・・・・・・」  
「ははっ。冗談だよ。冗談」  
「・・・・・・」  
 冗談に聞こえなかった。まったく・・・・・・相変わらず何が本音なのか分かりづらい人だなぁ。  
真帆以外の一人を選んでいたら今頃この世にいなかったのかもしれない。それくらい本気だった。  
 
 面談はそこで終わり、とりあえずは今後の事は風雅さんに一任することになった。  
 それから数日、普段と変わらない日常を過ごしている。女バスメンバーも特に変わったところはなく、いつもどおりの練習だ。  
 しかし・・・・・・本当に5人と許嫁なんて出来るのか? いくら風雅さんとは言え。  
 あの人のことだから、任せろというなら本当になんとかするだろうが、不安がないといったら嘘になる。  
「昴ー、よそ見してないでちゃんと問題に集中する!」  
「はい・・・・・・すみません」  
 そして俺は今、自室で勉強しているのだが、何故か横に葵が居る。  
というか帰ってきたらリビングに普通にいた。母さんの作ったデザートを食べながら。  
 あまりの溶け込みっぷりに一瞬目を疑ったが本物の葵だった。  
「なあ葵、なんでここに居るのかそろそろ教えてくれてもいいだろ?」  
「う、うっさい。昴は問題だけ解いていればいいの!」  
 ずっとこの調子で機嫌悪いし。なにか俺が葵にやらかしたのだろうか。  
 うーん。全然思い当たる節がない。冷たくしているわけでもないし、同好会の活動の時も普段通りだった。  
 ここ数日なのだ。ちょうど俺が保護者の前で決意表明したときからかな・・・・・・  
 ともかく、考えても答えが出ることは無いので、今は目の前の問題の答えを出すことにしよう。俺には待つことしか出来ないのだから。  
 
 

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