「昴くん。まほまほと一緒に暮らさないかい?・・・・・・二人のための別荘はこちらで用意するよ」
「え?」
真帆のお父さんである風雅さんから言われた一言。それは俺にとって、晴天の霹靂とも言えるべきことであった。
事の始まりは10月の小学生たちの修学旅行での事だ。風雅さんがいろいろ画策したことがあり、真帆と婚約者にならないかと持ちかけられた。
そのとき俺は・・・・・・正直言って、うれしかった。真帆のことを何度も意識したことがあったし、なにより元気な小学生はいい。
・・・・・・それで婚約者になったわけだ。智花はなぜかそれ以来、朝練に来てくれなくなったけど。
とまあ、そんなこんなで、俺は何度か三沢家にお邪魔したし、うちにも何度か風雅さんが来たこともある。
メイドを従え我が家に行進していく様はホントに異様な光景だっけけど・・・・・・
ほぼ、両家公認となったわけだ。同時に、俺には真帆を幸せにするという、重大な使命が両肩に重くのしかかってくるわけだが、それも真帆となら出来ると確信している。
で、今回は俺らの為に風雅さんが数ある別荘を貸してくれるということになった。勿論、俺らには学校があるので、本邸に近いところにある別荘だそうだ。
「あはは・・・・・・最近のまほまほと昴くんを見てると本当に夫婦みたいでね。次はやっぱり同棲かなと思ってね。嫌かい?」
「そんな、とても・・・嬉しいです。ぜひ、お願いしたいです!」
あまりの嬉しさに担任にも見せないような90度の礼をする。真帆とどんな生活が待ってるのだろうというワクワクで胸がいっぱいだ。
「昴くん・・・ところで、聞きたいことがあるのだけど、最近、身の回りで妙な事は起こってないかい?」
「妙な事・・・ですか?・・・いえ、何もありませんけど」
礼を直すと、神妙な面持ちで風雅さんが俺に問いかけてきた。特に以前と変わったことは無いので、否定する。何かあったのだろうか?
「・・・そうか、なら、いいんだ」
そう返すと風雅さんは、いつもと違った表情で遠くを見ていた。俺はそこで少し類推するが、本当に何も思い浮かばない。
強いて言うなら・・・練習後、真帆といつも一緒に下校していることだろうか。何故か視線を感じる事が多いような・・・・・・
まぁ、大したことじゃあないだろ。それに何かあったら、俺が真帆を守るしな!
「おっと、そろそろ行かなくては。それじゃ、失礼するよ。昴くん。また入居については、くいなの方から聞いてくれ」
「はい。わかりました。楽しみに待ってます」
颯爽と後ろに結んだ長髪をなびかせながら去っていく。何度も会っているけど、ホント若いなと想う。まぁ、ある意味、うちの親父も若いか。
「さて、そろそろ練習に行くか」
風雅さんに呼び出されたのは放課後のことなので(くいなさんが学校に迎えに来てくれた・・・勿論、学校で噂になってるだろうから、明日が大変だ・・・)これから慧心学園で練習だ。
体育館の鉄扉を開けると真帆達5人が準備運動をしているところだった。
「おー、おにーちゃん。こんにちは」
「こんにちは、ひなたちゃん・・・それにみんなも」
とてとてと小走りに近づいてくるひなたちゃんの後に、他の子たちが歩いてくる。
「長谷川さんっ。さっそく練習はじめましょっ」
「ふふ、今日は準備万端ですよ」
「昴さん。今日もよろしくお願いします」
「よっしゃー!キアイ入れていくぞー!!」
皆、それぞれに練習の決意を露わにする。みんなヤル気に満ちあふれていて、こっちが圧倒されそうだ。いや、小学生のパワーは何者にも勝ると言っても過言ではない。
さて、練習を開始するか・・・・・・ん、智花の表情が暗いような・・・俯いて何か言いたそうにしているような・・・
「智花、どうかしたかい?」
「ふえっ・・・・・・いえ、何でもありません」
「そうか?気分が悪いなら、ちょっと休んでてもいいぞ」
「本当に・・・大丈夫ですから」
か弱い声を押し出して、ボールを取りにいってしまった。なんだろ・・・あの智花がスランプに陥ったとは思いにくいけど、後からちょっと聞いてみるか。
「それじゃ、各自ペアになって―――」
今日の練習は一段とハードだった。みんな体力がついてきたので、技術を中心とした指導になったから、難易度がグッと上昇する。
相変わらず智花、それに真帆以外の二人(ひなたちゃん除く)もちょっとそわそわしてたような。
修学旅行が終わって、センチなんだろうかという疑問も紗季の「いえ、ホントになんでもありませんから・・・多分、来週にはいつも通りだと思いますよ」という言葉で打ち消された。
うーん。紗季が心配ないと言うなら、彼女の事だしホントに大丈夫なのだろう。
今日も真帆と一緒に下校する為に、校門の前で待ち合わせをしている。俺の方が着替えが早いので、いつも俺が10分くらい待つ。
待っている間もちょっとだけ真帆の事を考えてしまう。それだけ真帆は俺の中で大きくなっていったんだなと、再確認した。
「すばるーん。おまたー」
「おっ、今日も時間通りだな。偉いぞ」
「むー。いつまでも子供扱いしてー。あたしたち・・・その、イイナズケなんだし、さ」
頭をナデナデする俺を、ちょっと恥ずかしそうな上目遣いで見つめる。そんなオンナを感じさせる瞬間が、俺の心をまた一段と熱くする。
「そ、そうだな。じゃあ、今度からはお迎えの・・・き、キス」
「うわわわーー!!なんでもないよっ!い、行こう。すばるん」
両家公認という立場が俺を大胆にさせるのか、それとも元々そうなのかは分からないが、凄い事を口走ろうとしていたな・・・・・・俺。真帆はテレたままだし。
「お、おう。行こうか」
校門の前、二つの影が寄り添い、オレンジ色の大地を切り裂いていった。
「それにしても、今日のシュート、見事だったぞ」
「ほんとう?あはっ、さっすが!すばるんはあたしの事わかってるね」
ドキッ、とした。小学生がこんなに可愛いと思うのは、やっぱり真帆だからだろうか。
しばらく他愛のない会話をしながら歩く。ちょうど坂を下りた交差点のところで、ひとつの影を確認した。
「くいなさん・・・」
「おー、やんばる。どしたん?」
くいなさんが道影から、そっと姿を現した。いつも無表情なくいなさんだが、今回はちょっと表情が明るい。
「昴さま・・・まほまほさま・・・・・・お二人にご連絡がありまして・・・・・・実は別荘の件ですが、明日より入居可能なように手配しました。それで、お二人のご意向を伺いたいのですが・・・・・・いかがなさいましょう?」
えっ。もう。くいなさんが仕事早いのは前からだが、今日の今日だぞ!?いくらなんでも早すぎる。
感心していると、横の真帆の目が輝きだし、
「明日からだって!!さっそくにゅうしょってヤツしよーぜ!すばるん!」
真帆、入所は刑務所だぞ・・・・・・ともかく、真帆は乗り気のよう。俺も、すぐに入居したいが、葵や同好会のメンバーには、どう説明したらいいかを悩んでいた。
まぁ、母さんやミホ姉に関しては問題ないだろうけど、流石に学校にバレるのはマズいだろうな・・・・・・
「わかりました。是非、明日から入居したいです。真帆も喜んでいるようですし」
「了解しました。引っ越しの件は全てこちらで手配しますので、ご心配なく・・・・・・と、そうでした。これをお渡ししておきますね」
くいなさんが取り出したのは、立派な文様の入った鍵。コテコテの装飾がしてあって、いかにも高そうだ。
「これは・・・・・・?」
「別荘の鍵です。昴様にお渡しします。明日はそれを使ってお入りくださいませ・・・あと、その鍵は複製不能なので、なくしたりしませんよう・・・・・・」
手渡された鍵はずっしりと重く、鍵先には特殊な細工がしてあるようだ。ホログラムみたいに反射している。なるほど、複製できそうにない。
「ありがとうございます。くいなさん・・・・・・ここまでしていただいて、その、なんといったらいいか・・・・・」
「いいんだよーすばるん!やんばるはあたしらの幸せを願ってるんだって」
「・・・・・・恐縮ながら」
もう、なんと言っていいのか・・・本当に感謝という言葉だけでは語りきれない。沢山に人に支えられて本当に俺は幸せ者だなと痛感した。
「では、昴様、また明日」
「まったねー、すばるん!明日は一緒に別荘いこうなー!!」
手を振りながら迎えの車に向かっていく二人。「ああ、またな」と返事をすると、黒塗りの長方形は闇夜へと溶けていった。
「さてと、帰って母さんに連絡しないとなぁ・・・あとミホ姉」
・・・・・・まぁ、ミホ姉は後日でも大丈夫か。などと逡巡しながら帰路につく。問題は葵だよなぁ・・・
あいつ、妙に鋭いところあるから、隠していられるのも時間の問題だろうなぁ・・・・・・なにせよ慧心学園までついてきたくらいだし。
決断の出来ないまま、俺は家の前までたどり着いてしまった。
「ただいまー」
玄関のドアを開き、リビングへ入ると、芳しいバターの臭いが鼻腔をくすぐった。
どうやら、今日はシチューのようだ。バター入れると美味しいよね。マイルドで。
「昴くん。お帰り。ふふ、今日はちょっと多めに作っちゃった」
「今日はっていうか、今日もだろ?」
「そうとも言うかしら」
この頃、母さんはいつもの――智花が来ていたときの癖で、一人分多めに作っている。それ自体は別に悪いことではないのだが(次の日の朝ご飯になるし)問題は智花が居ない事だ。
割と母さんは楽しみにしてたらしく、来なくなってからは料理をする楽しみが減ったらしい。
真帆は毎日は来れないし、何より、俺らは明日から――
「母さん、実は、話があるんだ」
「なにー?バスケのこと?」
当たらずとも遠からずだな。母さん。
「実は・・・・・・その、明日から・・・・・・真帆と一緒に暮らすことになった」
俺は意を決して言葉を放つ。どんな反応が帰ってくるかは母さん次第だが、とにかく俺は明日からのことを話す。自分の正直な思いを。
「ふふ、知ってるわよ」
「へっ?」
あまりにも意外な反応で素っ頓狂な声をあげてしまった。知ってる・・・だと。エスパーか、母さんは。
「な、なんで知ってる・・・の?」
「さっき、昴くんが帰ってくる少し前にくいなさんがやってきて、昴くんの部屋の荷物、全部もっていっちゃったわよ。ふふ、明日から息子さんをお預かりしますって。礼儀正しく挨拶していったのよ」
なんだと。もう来ていたのか。くいなさん。流石に仕事早すぎだろ・・・・・・って関心してる場合じゃなかった。
「母さん・・・・・・明日から、真帆と一緒に暮らす事したんだけど・・・」
「いいわよ。真帆ちゃんと一緒にラブラブしてらっしゃい。私たちみたいに・・・・・・ふふっ」
「・・・ありがとう・・・・・・母さん」
ホントにこの穏和な性格に感謝するよ。あと、私たちっていうのは恥ずかしいからやめてくれ。いくら父さんが居なくても。
と、ここで重大な事実に気がつく。
「くいなさんがさっき来たってことは・・・・・・俺の部屋って、もぬけの殻?」
「そうよー」
さて・・・・・・どうしようか。最悪、床で寝ればいいけど、この季節はちょっと寒い。といっても他に手段はなく・・・・・・そうだ。
「確か連絡先は・・・・・・あった」
リビングの電話の受話器を取ってボタンを押す。いつも掛け慣れているはずなのに、ちょっと緊張が走る。
「もしもし・・・ミホ姉?実はさ・・・ちょっと話したいことがあってさ・・・・・・今からそっちいっていい?」
「あー、今ちょっと野暮用あるんだが・・・緊急?」
「超、緊急だ。ある意味、ミホ姉の仕事に関わる」
「マジか・・・・・・分かった何とかする。そうだなー、1時間後くらいに来てくれ」
「オッケー。じゃあ1時間後に」
ガチャ
ふう・・・なんとかミホ姉と約束を取り付けることができた。くいなさんもミホ姉の所には言ってないだろうから、俺が言うしかない。
って、明日入居って本当に急だよな。俺としては早いほうが嬉しいけど・・・・・・真帆と一緒にいられて。
「じゃあ、ミホ姉の所、いってくる」
「気をつけてねー。美星ちゃんによろしくー」
手土産として母さんの特製シチューをタッパに詰め、いざ出陣。
秋の寒空の下、俺はかじかんだ手をこすりながら街を歩いていった。