(しまった……)  
己の判断の甘さを呪いながら、麻奈佳は気を急がせる。  
あの未有が、あんなあっさり諦めるはずが無かった、と。  
 
手洗いに行くと麻奈佳に伝えたのを最後に、未有は姿を消していた。  
それが、何を思っての行動なのか。麻奈佳には想像がついていた。  
 
「……あのおてんばめぇ……わがままも大概にしときなさいよ……!」  
 
小言を吐きながら、麻奈佳は思考を張り巡らせた。  
男性というものに対して苦手意識を持っている未有が、男とバッタリ出会いそうな場所に行くはずがない。  
ならば、と。麻名佳は女子更衣室のドアを開いた。  
 
 
「あれ……?麻奈佳さん、どうしたんですか?」  
 
即座に投げられる、愛莉の言葉。  
麻奈佳の目に映るのは、慧心の女子ミニバスチームのメンバー。  
呼吸を整えてから、麻奈佳は尋ねた。  
 
「あのさ、未有がどこいるか、知らない?」  
 
「おー。ひな、しってるよ」  
その返答は早かった。麻奈佳も目線で続きを促す。  
それに対して、ひなたはいつもの笑顔を崩さずに言った。  
 
「みゆはまだ、このがっこうにいるよ」  
 
全身の力が抜け、崩れ落ちるような感覚に襲われる麻奈佳。  
しかし、ひなたの発言によって、麻奈佳はひとつの答えを得る。  
 
「……うーむ……ここじゃないか……当てが外れたなぁ」  
 
天使のような外見と心をもつひなたが、このような答えを返すということは、  
本当に知らないのだろう、と踏んだのだ。  
 
「ごめん、ありがと」  
 
謝礼の言葉を贈ると、麻奈佳はドアを閉めて立ち去る。  
 
 
 
その答えが、間違いとも知らずに。  
 
 
足音が聞こえなくなった時。  
呟くように、愛莉が言った。  
 
「……麻奈佳さん、行ったみたいだよ」  
 
それが口から出るとほぼ同時に、誰も手をかけていないロッカーが開く。  
中から出てきたその人物こそが、麻奈佳の探している人物だった。  
 
「ふぅ……心臓、とまるかと思った」  
 
そう言いながら、未有は先程まで自分の身を隠していたロッカーを閉める。  
「ありがと、ぽやぽやぴんく」  
「ぶー。ぽやぽやぴんくじゃありません。ひなです」  
印象だけで作られた即興のあだ名に、ひなたは不快感を表す。勿論、真心からの物では無いだろうが。  
 
「でも、これからどうするの?」  
「決まってるでしょ!あんたたちの話が本当なら、あいつはよくわかんない奴らに連れて行かれたんでしょ!?  
そいつらをとっちめてあほリボン、そして試合を取り返すのよ!」  
愛莉からの問に、未有は拳をつきだして答えた。  
それを聞いて、かげつはため息をつく。  
 
「あの……藍田さん、でしたっけ?  
多分無理だと思います。だって、真帆先輩がどこに誘拐されたかもわかってないんですから」  
 
その制止の声さえも、未有の思いを止めるものにはならなかった。  
 
「証拠が無いわけじゃないんでしょ!? さっきまで追ってた奴もいるって……あ」  
 
その最中、思い出したように静まる未有。  
誰かが口を開く前に、再び喋り出した。  
 
「今戻ってきた奴が何か知ってるかもしれない!」  
「おー?たけなか?」  
ひなたの相槌に、勢いを止めず「そう!」と未有が返す。  
 
「とりあえずそいつに話をふっかけてみるのよ!」  
 
 
 
 
男子更衣室のベンチに一人座り、夏陽は悪態をつく。  
「……畜生」  
 
その脳裏に映るのは、「助けて」と叫んだ時の真帆の姿。  
こんなところにいていいはずが無い。でも、ここから出ても何もできない。  
そんな自分の無力さを、ただ悔やんでいた。  
 
不意に開かれる扉。  
夏陽が振り向くと、そこには見知った姿があった。  
 
「……おかえり、夏陽」  
 
永塚紗季。女バスの6年生にして、真帆の、そして夏陽の幼馴染である少女。  
彼女は夏陽に微笑みを見せ、その隣に腰を下ろす。  
 
「……なんだよ。美星から俺の監視してろって言われたのか?」  
少し不機嫌そうに反応する夏陽に、紗季は視線を合わせずに答えた。  
「半分正解。もうひとつはね、ちょうどあんたに尋ねたいことがあったから」  
「……え?」  
不意を突かれた声を出す夏陽。  
それと同時に、再び男子更衣室の扉が激しく開く。  
 
「っ……!」  
その先頭に立つ、夏陽には見覚えの無い少女。  
何故か口ごもっているその姿に、夏陽は疑問符を浮かべる。  
 
一方で。少女こと藍田未有は、  
初めて見る「同年代の男子」という生物に、どう声をかければいいかわからずにいた。  
 
見かねた夏陽が、先に声を掛けた。  
「お前、誰……」  
その瞬間、未有が幽霊でも見たかのように叫ぶ。  
 
「いぎゃあああああ!喋ったああああああ!……ぶっ!?」  
 
「あんまり大きな声出しちゃうと、麻奈佳さん、気づくよ……?」  
その口を、後ろに立っていた愛莉が塞ぐ。  
さらにその背後からぞろぞろと女バス組が現れ、全員入った所で扉を閉めた。  
 
状況を推測し、理解しきった紗季がため息をつく。  
そして、夏陽に振り向いて言った。  
 
「……彼女は硯谷のキャプテン、藍田未有よ。  
硯谷だと男子との接触が無いらしいから、こんなことになってるけど」  
 
その言葉を頭に入れ、数秒して理解する夏陽。そして、更なる疑問点が浮上する。  
 
「で、その硯谷のキャプテンが、なんでここに?」  
 
「え……えあ……う……」  
が、当の未有は顔を真赤にして表情を変化させながら口ごもるばかり。  
 
見ていられず、愛莉が口を出した。  
「竹中くん、さっきまで犯人追ってたんだよね?  
それで、何かヒントになりそうなもの見つけなかったかって、聞きに来たんだよ」  
 
その言葉を聞いて、夏陽の目がかっと見開かれる。  
「お前ら……もしかして、真帆を探しに行く気なのか?」  
そう言いながら立ち上がり、一歩詰め寄る夏陽。  
それに反応して、未有の身体が一歩下がる。  
「ひっ……」  
さらに詰め寄って、言った。  
 
「俺の知っている事はなんでも言う。真帆を助けてやってくれ……!」  
 
そして、頭を下げる夏陽。  
きょとんとする未有、しかし、すぐに強気な顔に戻ると、言葉を返した。  
 
「わかった、約束する。だから、あんたの知っている情報そして場所、全部教えて!」  
 
顔を上げる夏陽。そして、紗季の方へ振り向く。  
それに対し、紗季は目をつぶり、微笑んで答えた。  
「私がみーたんから頼まれたのは、あんたが私の目の届かない所に出て行かない様にすることだったし」  
本当は、自分も探しに行きたい。その本心がくっきりと見えていた。  
 
それに頷いて答える夏陽、そして再び未有の方へ振り向く。  
懐から携帯電話を取り出し、地図のアプリケーションを開く。その中の一つの建物にポインタをあわせ、口を開いた。  
 
「ここが、俺が最後に言った場所だ。もともと真帆を攫った奴らの基地だったみたいなんだが……  
ここに真帆のメイドやってる人が殴りこみ掛けたみたいで、今は「集会所」って所に集合場所を変えたらしい」  
 
そう言いながら、次は久井奈聖の握っていた紙を広げる。  
 
「そしてこの集会所なんだが……これについては俺もよくわからない。  
だけど、さっきのアパートの部屋を探せば、もしかしたらわかるかもしれない。だけど、  
もっと良い手段がある」  
 
液晶の中のポインタが移動し、その最寄りの病院で止まる。  
「俺達は倒れていた久井奈さん……真帆のメイドさんを、ここに搬送してもらったんだよ。  
多分まだ久井奈さんはここにいる。久井奈さんはもっといい証拠を握ってるかもしれないんだ……」  
 
「つまり、その久井奈って人に聞けばわかるかもしれない、ってこと?」  
言葉を繋げるように、発される未有の言葉。  
それに力強く頷く夏陽。そして携帯電話を画面を切り替え、言葉を続ける。  
 
「お前、ケータイ持ってるか?」  
「い、一応」  
 
返答ともに、未有は携帯電話を取り出す。  
その眼前に、夏陽のメールアドレスが映し出される。  
 
「俺のメールアドレスだ。何か情報が掴めたら連絡してくれ」  
未有は無言で頷き、その英数字の羅列を素早く、間違いなく打つ。  
 
その指の動きがとまる。  
話が一段落着いた、と判断して、紗季が口を開いた。  
 
「で、誰が行くの?流石に一人は無いわね。  
もし何かあった時、連絡の取りようがないじゃ……」  
「だな」  
最もであった。未有もそれを重々承知し、振り返る。  
 
真っ先に動いたのは、最も小さなひなたの腕。  
その顔は、いつもの笑顔のままだ。  
 
「ひな、まほの事がしんぱい。だから、ひなはいくよ?」  
それに、呼応する声。  
「うん……そうだね!わたしも!」  
愛莉の声だった。その目には、揺るぎない信念が宿っている。  
「待ってください、姉様!姉様が行くなら私も……!」  
「かげ」  
かげつの制止の声。それを遮ったのは、姉であるひなたの声だった。  
 
「ひなは、まほの事がだいじ。でも、かげも、みほしも、あいりも、みんなみんなだいじ」  
だからこそ、無闇に危険な目に遭わせたくない。優しい目が、そう語っていた。  
目を合わせ、言葉が出なくなるかげつ。ひなたはもう一度微笑んだ。  
その意思は、傍から見ていた夏陽にも伝わっていた。  
「ひなた……頼むぜ!」  
「おー」  
夏陽の言葉にそう返答し、手のひらを広げて夏陽に向ける。  
意思を汲み取った夏陽は、少し顔を赤くしながら手を打ち合わせた。  
 
その様子を見て、紗季は三人に向けていった。  
「じゃ、言うまでもないと思うけど……  
少しでも危ないと思ったら、絶対に踏み込まないでね。ミイラ取りがミイラになったら笑えないわ」  
「……任せなさい!」  
未有が拳をつきだして答える。反応して、紗季もしっかり頷いた。  
「あと、連絡は随時行うように。真帆を助けたいって思う気持ちは、皆一緒だから。  
……で、どういう道順で慧心から出るか、考えてる?」  
その紗季の問に、再びひなたの腕が挙がる。  
「おー。ひな、ひみつのぬけみち知ってるよ」  
「よし!それじゃ……!」  
「出発、だね!……あ、そうだ」  
思い出したように、紗季の方へ振り向く愛莉。  
 
「もし私達が、犯人の場所見つけたら……美星先生にも連絡しておいてね」  
「ええ、勿論。みーたんも知りたがってるだろうし。構わないでしょ、藍田未有?」  
話を振られた未有は、少し考えた後、ゆっくりと頷いた。  
 
 
「じゃ、準備完了ね!  
なんとしてもあいつを、そして試合を取り戻すのよ!」  
 
 
肩を掴んだ、中年の男。  
その手に物騒な、銀色に光る物があるのを、美星は見逃さなかった。  
 
腕が振りかぶられた瞬間を狙って、美星は男の正面に回りこむ。  
「……んなっ……!」  
 
後ろにいる筈の相手を狙い、その腕が振り回される。が、その美星は既に正面。  
「たあっ!」  
掛け声と共に一歩全身、男の腹部に正拳突きを入れた。  
その体躯からは想像できない、異常な力が篭った拳が、男の体勢を崩す。  
 
倒れこみそうになる男に近づき、静かに言い放った。  
「今ならこれで許してやる。だから、さっき話してた事を聞かせな?」  
その目に宿るのは怒り。教え子に非道を働いた事に対しての憤怒だった。  
言葉も静かではあるが、誰が見てもわかるほど怒りが漏れていた。  
 
その言葉には答えず、男の口元がわずかに緩む。  
行動の理解が出来ず、集中を切らす美星。  
 
その刹那。視界の隅の動く影に気づき、直様後ろに振り向く。  
そこには、鉄パイプを握りしめ、今にも振るおうとする、男の仲間と思わしき人物。  
 
「っ!?」  
 
持ち前の反射神経によっていち早く反応し、男のすぐ横を走り抜けようとする美星。  
 
その判断が間違いだと気づいたのは、  
視界に新たな男が入ってきた時だった。  
 
(三人目……!?)  
 
先程の2人よりも屈強な肉体を持った男の鉄拳が、美星の顔に飛ぶ。  
鈍い音と共に小さな美星の身体が地面から離れ、掛けられた力に逆らえずに飛んでいく。  
 
それでも受け身を取り、美星は安定した姿勢で着地する。  
見れば、美星は三人に囲まれていた。  
 
そのうちの一人、3人目の男が口を開く。  
「いや……なかなかいい動きだったぜ、嬢ちゃん。  
どうだ?俺らの仲間にならねえか?ま……そうじゃなければ、  
二度と五体満足の身体には戻れなくなるだけだがな」  
 
勧誘のように、脅迫じみたことを話す男。  
それに、美星は答えない。拒否を表していた。  
 
その意思を汲み取って、男たちが歩みを進めた。  
 
一歩目。美星が周りを見回す。  
二歩目。逃げられそうな場所など、何処にも無かった。  
三歩目。男の腕が美星へ伸びる。  
 
その時。  
 
「ふっ!」  
響く掛け声。  
同時に、3人目の男の首に、背後から手刀が放たれる。  
その威力は相当な物で、男の身体が地面に崩れ、動きを止めた。  
 
「何っ……!?」  
 
残りの2人が狼狽えているのを見逃さず、美星は鉄パイプを持っている男の元へ飛び込む。  
そして大きく屈み、  
 
「どりゃあ!」  
 
放たれたアッパーカットは、男の顎に直撃。そのまま気を失って倒れる男。  
そして残りの一人の方へ美星が視線を向けた時、  
男は既にショックで気絶していた。  
 
協力者の方に振り向きながら、美星は呟くように言った。  
「どんだけ豆腐メンタルなんだか。なあ、カマキリ?」  
「……大丈夫か、と尋ねようと思ったんですがね。いまのでその気が失せました」  
 
憎たらしい言い方で、カマキリと呼ばれた男……小笠原が返答する。  
返答の無い美星に、小笠原は続けた。  
 
「しかし、随分と危険な真似をするものです。命あっての物種ですよ、篁先生」  
だが、その言葉は美星の心を穿つ物となった。  
 
「あんた……自分とこの生徒が危険な目にあってるってのに……!」  
先程とは比べ物にならない程鋭い言葉で、怒りの篭った声色が飛ぶ。  
 
しかし、小笠原は表情を変えずに言った。  
 
「そうではありません。  
ただ、慧心の教師は貴方一人では無い。そして、貴方の生徒も彼女一人では無い。  
 冷静になってください。貴方がその身を傷付けなくてもいい道もあったはず。  
そして、貴方はその道を選ぶ義務がある筈です」  
 
流れる沈黙。  
 
打ち破ったのは、美星の方だった。  
「なんか、何やってもあんたにゃ小言ばっか言われてる気もするけど……  
今日だけは感謝しとく。ありがと。おかげで、頭冷えたよ」  
「礼には及びません……と言いたい所でしたが、そんな事を言われるのは初めてなので、  
ありがたく受け取っておく事にします」  
「……ほんっとあんたムカツク」  
この姿こそが、2人のいつもの姿であった。  
 
「そういや、どうしてここに?」  
思い出したように問う美星に、メガネを上げながら小笠原は答える。  
「竹中に同行していた高校生の少年が居たでしょう?彼からです」  
「なるほど」  
適当に相槌を打ちながら、美星は気絶している男たちに目を向けた。  
「あいつらも警察に突き出さないとな」  
「ですね。私が通報します」  
そう言って携帯電話を取り出す小笠原。  
その途中、美星の心を汲み取るように言った。  
「早く助けてあげたいという気持ちはわかります。ですが……」  
「にゃはは、心配ご無用」  
それを茶化すように言う美星だが、小笠原の言う通り、  
その心中は穏やかでは無かった。  
 
直接の手がかりを手に入れられないもどかしさ。  
どうすることもできない自分を悔やんでいる人間が、また一人、ここに居た。  
 

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