俺の夏休みの楽しみ、汗だくの女バスの子達を穴が開くほど観察している時に事件は起こった。
「昴さん、外が急に暗くなってきましたね」
練習合間の休憩中、体育館の外を指差しながら智花が俺に声を掛けてきた。智花の言う通り、外はもう七時かと言うぐらいに暗かった。けど、原因は分かっている。
「天気予報ではもうすぐ夕立が来るって言ってたからね。急に暗くなったのはそのせいだと思うよ」
「ああ、そうだったんですか。帰るまでにやむといいんですが」
「夕立だから、一時間もすればやむさ。さぁ、外のことは気にしないで練習しよう」
俺は立ち上がり、それぞれ休んでいた女バスの子達に声を掛けた。
ザァァァァァァァァァァァァァ――――
(やっぱり降ってきたな)
俺は少しだけ外を見遣った。バケツをひっくり返したような勢いで雨が降っている。
この暑さだ。これで気温が下がって女バスのみんながラクになるなら大歓迎だけど、湿度だけ上がって余計に辛くなると――
ピカッ。
「うぎゃあああああぁぁっ!?」
俺の思考は突然の悲鳴によって遮られた。練習中の真帆が突然、叫んだ。俺は慌てて真帆とところへ駆けつける。
「どうしたんだ真帆!?」
「長谷川さん、心配いりません。雷が光ったのが怖かっただけですから」
真帆とペアで練習していた紗季がアイガードを上げながら呆れたように言った。そんな紗季の様子など全く気にした風もなく、真帆は涙が溢れそうな瞳で俺を見てくる。
「ねぇすばるん! 雷落ちないよね? 停電なったりしないよね!?」
真帆はどうやら雷よりもそれが引き起こす暗闇の方が怖いようだ。これ以上不安にさせることもないので、俺は微笑みながら口を開いた。
「心配ないよ。慧心は設備がしっかりしているから雷が落ちたぐらいじゃ――」
ピカッ!
ドドーン!!
「ぎゃああっ!?」
「す、すごく近くに落ちたよねさっきの――」
フッ。
「おー。あかりきえたー」
………………。
「うぎゃああああぁぁぁぁぁぁああああぁぁあぁあっ!!!?」
まさかの停電。
近くにいた真帆が明後日の方向に駆け出す気配を感じた。まずい、完全にパニックに陥っている。
「真帆落ち着きなさい!」
「ぎゃああぁぁぁ怖いよぉぉぉ!」
紗季の声も届かず足音が遠ざかっていく。あの勢いで壁や柱にでもぶつかったら大変だ。俺は足音と叫び声を頼りに真帆の方にダッシュした。
「真帆、大丈夫だ! 俺が近くにいるから!」
俺はそう叫びながら駆け寄り、あたりを付けて真帆のいると思われる方向に手を伸ばした。――正解。小柄な女の子の腕を掴んだ。
「ぎゃぁぁぁなんか捕まったぁぁぁ!?」
しまった、余計にパニクらせてしまった。こうなれば強硬手段だ。
「真帆!」
俺は彼女の細い背に両手を回し、そっと抱き締めた。
「ふわっ!?」
「俺だから、もう怖くないから」
「す、すばるん?」
何も見えない暗闇の中、ようやく真帆が我に返ってくれた。
「落ち着いたか、真帆?」
「え、いや、ちょっ、すばるん!?」
「ああ、昴だ」
ちょっとまだ混乱しているみたいだな。俺は優しく抱き締めたまま、真帆の肩甲骨のあたりをトン、トンとゆっくり叩いてあげる。
「ひゃうんっ!?」
「……?」
どうも真帆の反応がおかしいな。もしかしてくすぐったかったんだろうか? 俺はやり方を変え、肩甲骨を叩いていた手に力を込め、ぎゅっと抱きしめてみた。
「はうっ!?」
「…………?」
あれ? こうやれば落ち着いてくれるかと思ったけど、なんだか体を強張らせてしまった。俺はもう一度やり方を変え、肩甲骨のちょっと上から下へと撫でる動作をしたてみた。
チカチカッ……パッ。
「お、良かった。停電復旧したか」
俺は体育館に灯った電灯を見上げながら言った。そして少し離れたところにいる真帆以外の女バスのみんなが無事なことを確認しようとそちらに目を遣り――
『…………』
四人がこちらを凝視していることに気付いた。みんな、真帆のことを、もしかしたら俺のことも心配してくれていたんだろうな。優しい子達だ。
「おーい、真帆は大丈夫だ。みんな怪我はないか?」
俺は真帆を撫で続けながら問いかけた。けれど、智花も紗季も愛莉もこちらを凝視したまま口をパクパクさせている以外はぴくりとも動かない。
「おー。おにーちゃん、だいたん」
唯一動けたひなたちゃんがそう言った。……大胆?
「は、はせ、はせ、長谷川さんが――」
金魚のように口を動かしていた紗季からようやく言葉が出た。
「真帆の胸を!?」
続いて、智花も声を発した。
「うう、長谷川さんはやっぱり小さい方がいいのかな……」
なんだか落ち込んでいるようだけど愛莉の声も聞けた。よかった、三人も怪我とかはないようだ――
…………あれ、さっきなんか智花からおかしな言葉が聞こえた気がしたが。
俺は視線をゆっくりと智花達から目下の真帆へと移す。
まず、真帆の後頭部が見えた。
俺は真帆を正面から抱き締めたつもりだったけど暗くて良く分からず、背後から抱きすくめる形になっていたらしい。
ということは、俺が背中だと思って触っていたのは真帆の前であり。
肩甲骨だと思っていた突起は、その、なんというか、蕾であり。
そして今なお撫でているのは背中ではなく――――
「うわぁっ!? ま、真帆ごめん!!」
慌てて真帆を身体から離し、正面に回り込み頭を下げる。真帆は耳まで真っ赤、ガチガチに固まっていた。
「本当にごめん! そういうつもりじゃなかったんだ! ただ、真帆を落ちつけようと思って!」
「おー。おにーちゃんはおむねを触ると落ち着くの?」
「ひなたちゃんそうじゃないんだ! 俺はあれが真帆の背中だと思って触っていただけで――――あ」
流石の俺でも、それが失言だということに気が付いた。だって、正面の真帆が涙目で俺を睨んでいるから。気のせいか智花と紗季からも剣呑な雰囲気を感じる。
「すばるん!」「昴さん!」「長谷川さん!」
『そこに土下座!!』
「はいぃっ!」
かくして、汗だくの女バスの子達に向かって床に穴が開くほど額をこすり付ける作業が始まったのだった。