ダイダロスの事件からはや一年が過ぎた。
あんな大事件があったにもかかわらず、
人々は呑気にいつもどおりの生活を謳歌している。
…それを言ったら俺もその一人なんだが。
ただ、変わったことといえば…
「キース、おっはよーっ♪」
そう、そうだ…あの日を境に俺の傍らに出来たこの小さな恋人…
リュキアとの生活だった。
毎朝起こしにきてくれたり、仕事に行きがてらデートしたりと
恋人らしく恋人な日々を送っていたのだが…
「キースってばぁー!おーきーろーっ!」
…これだ。
男というものをわかってくれないのだ。
なんというか、朝起きると仕方ない生理現象というものがある。
だが、変に大人びた態度を取っていてもお子様なリュキアは
「あ、やっと起きたっ!
もぅ、朝ごはんが冷めちゃうよ!
はやくいこっ!」
とベッドから俺を引き剥がしにかかるのだ。
「ちょ、ちょっとしたらすぐ行くからっ」
「むー、わかったけど、はやくしてよねっ?」
よく伝承などには『毛布引っぺがしたら女の子がソレを見て真っ赤になる』
等といった場面が登場するが、リュキアは俺の毛布を引っぺがすほどに腕力はない。
よって、ゆさゆさとされるのだ。
痛い、この無垢さが痛い。
恋人がいるのにああいった行為を別の女性としてはいかんよな、と
その類の付き合いをさっぱり切ったまではいいが、
リュキアはまだちっちゃいのでそういうことしてはいけませんと理性が働く。
断っておきたいが、俺はロリコンではない。
リュキアが好きなのだ。ちっちゃいから否、性格とか、いい所とか。
だからといって、まったくその気がないわけではないのだが…
ともあれ、そういう理由から、
いつかリュキアの方からアプローチをかけてくるまでは待とうと決めたのだ。
「でね、キースってば…って、やっときた、遅いぞーっ」
「悪い悪い、夜更かししちゃってな」
「むー、不良じゃないんだから、ちゃんと寝なさいよ」
「盗賊は不良っていうか悪だと思うぞ、世間的には」
「キースが悪い盗賊じゃないのは知ってるもん」
盗賊は物を盗むから盗賊で、族と付くからには口に出せないこともちょっとはする。
しかし、そんな俺でもこんな風に言ってくれるのは数人だけで。
その中にこの愛らしい恋人がいてくれるのはうれしいことだと思うのだ。
「わ、ちょっ…なでないでよ…」
「ふむ、相変わらずの馬鹿っプルぶりだなキース」
マスターが茶々を入れながら、そっと目配せしてくる。
新しい仕事の依頼がきた、ということだろう。
「お褒めに預かり光栄だな。
で、今度の仕事はなんなんだ?」
「褒めてはいないけれどね」
苦笑しつつ、マスターが朝飯の盆の上にメモを添えて渡してくる。
「なになに…?」
「地図だね」
紙にはどこかの洞窟の見取り図と、最奥に×印が描かれている。
「そこにあるお宝を狙って洞窟に
入っていったパーティーの女性が行方不明になったらしい。
その子がちょっと遠方の貴族の娘だそうだよ。」
「つまり、その女の子を助に行って来いって訳か」
「そういうこと。
貴族のすじだし、報酬も悪くない。どうだい?」
「いいぜ、最近大きな仕事がなくて退屈してたところだったし」
ベーコンをほおばりつつ、ぱたぱたと片腕を振りながら答える俺。
だが、そこに視線が突き刺さった。
「キース…ひょっとして、その女の子といい仲になろうなんて考えてないよね?」
ドドドド、と効果音を背負いつつ、リュキアがつぶやく。
「んなことないって、大体俺には――――」
「はいはい、馬鹿っプルぶりはさっきので十分だから」
すっぱりとマスターに切られる俺たち。
「むーっ!あたしもいくっ!」
しかし、その流れを遮って、リュキアは立ち上がり、大声を出して宣言した。
「今回は、女の子がさらわれたってことで、きっとキースだけじゃ
対応しきれないこともあると思うし!あたしもついていく!」
…バランのはずれのスラムをまっすぐに進んだ果ての小さな岩山…
「こんなとこに洞窟とかあったんだな…」
「けっこう大きいね…」
二人を出迎えるように大きく開いた入り口には…
「……入り口って書いてあるな…」
「書いてあるね…」
不自然に立てかけられた怪しさ満点の看板。
しかも洞窟の中にはヒカリゴケが丁寧に植え付けられ、
ほのかに行き先を照らしている。
「人の手が入ってるってことだよな…」
「でも…その人がいなくなったのもここなんでしょ?」
地図を指差してたずねてくるリュキア。
事実そのとおりだし、ここいらにこれ以外の洞窟なんて見当たらない。
「ま、なんにせよ入ってみるか…と、やっぱりついて来るか?」
「とーぜんっ!彼氏の浮気は見逃さないもんっ!」
「浮気、ねぇ…それならそれでもっと魅力あふれるレディにだな?」
「うーるーさーいーっ!」
背中をぽかぽかと叩かれながら、入り口に近づいていく。
軽口は叩くが、心配はしてない。
リュキアにはいつもの魔法がついてるし、
聞いた話によると件のパーティーも
魔術を使うのは女の子の専売特許だったと聞いて……
「どしたのキース?」
「ん、いや…リュキアなら平気だろ…行こうぜ」
ぼんやりとした薄闇に踏み込んでいくと、
洞窟特有の湿った土のにおいが出迎える。
「ヒカリゴケ…ちゃんと入ってるね」
「ん…」
どうも、いやな予感がしてくる。
「どうしたのキース?さっきからため息ばっかり」
「いや…なんだか…」
このヒカリゴケに照らされていると、少しずつ不安が強まっていく。
「…むー、やな空気だね…」
俺との間にではなく、この空間にやはり違和感を感じているらしく、
リュキアも少し警戒し始める。
そういえば、未だに一体もモンスターが出てきていないのは…
ねちゃっ
「ひゃっ!」
突然、リュキアが妙な悲鳴をあげる。
「どうした…ってうわっ!?」
なぜ今まで気づかなかったのだろうか。
歩いてきた道を振り返ると、通路をふさぐように壁のヒカリゴケが
長い触手に変化していた。
「こんのっ…!ファイヤー!」
絡み付いてきた触手を焼き払ってリュキアが飛びついてくる。
「キース!このヒカリゴケ…!」
「ああ、擬態ってやつだな!」
通ってきた道は天井からぶら下がって生え出た触手に覆われてしまっている。
「リュキア!とにかく前だ!」
「うんっ!」
おそらくは、下を獲物が通ったときに変化して襲ってくるのだろう。
時折、後方に向かって攻撃をかけながら進んでいく俺たち。
地図から推測するに、この先に開けた場所があるはずだった。
おそらくそこにこの触手どもの本体がいるのだろう。
「はあっ…はっ…」
息が切れ始めてきたころ、ようやく広い場所に出た。
一気に天井が高くなり、触手もその闇の中へ消える。
「い、いっちゃった…のかな…」
さすがに体力的にはちびっ子リュキアたん。
(余談だが、こう呼ぶと三日は許してくれない)
俺たちは警戒しつつも、とにかく息を整える。
「……暗いな」
背後の通路にヒカリゴケがそのまま伸びたような触手があるため、
そこそこ見渡すことは出来なくもないが…広間の端は見えなかった。
「…キース…」
少しおびえた声で、背中に寄り添ってくるリュキア。
「落ち着けって…ライティング頼む」
「う、うん…」
ぶつぶつと呪文を唱え始めるリュキアを横目に、再度確認しておく。
先ほどから追いかけてきていた触手どもは
(俺たちに向かって伸び落ちてきたから
厳密には追いかけられたというか追い詰められたわけだが)
後ろの通路をふさいで蠢いている。
こういう単調な動きをする場合、本体がどこかにいるのが基本だ。
この洞窟にもう手が入っていたのは、それだけ器用で…
『ほほほほほっ!来たわね私の可愛い生贄ちゃんたちっ!』
…狡猾なはずなのだが、突如響いたその声はどこか抜けていた。
「だ、だれよっ…!ライティング!」
壁に反響しまくって所在のつかめない声の主を探すため、
リュキアがライティングを放つ。
『無駄よ…む・だ♪』
だが、放たれた光の玉は炸裂する前に小さくなって…消えた。
「な……っ!?」
驚く俺たちに、高く響く声は含み笑いをしながら告げた。
『今も天井に生えそろっている可愛いマニュラたちが、
あなたたちのエナジーを吸い取っているのよ…抵抗は無駄♪』
…マニュラっていうのかあの触手…
「くっ…だったらキースの剣術で…!」
…無理だ。暗すぎて、離れただけでリュキアを見失ってしまう。
『…オスの方は分かっているみたいね』
「……む、無理…なの?」
背中に不安そうな声。
にっと振り返って答えてやる。
「まあ、なんとかなるって」
『ヲホホホホホ!どうするつもりかしらぁっ!?』
なおも声は響く。
実は考えがないわけでもない。
いくら基礎魔術とはいえ、リュキアほどの魔術師が放ったライティングを
ここまで瞬時に吸収し得るのなら…。
「リュキア…ありったけの魔力をこめて攻撃だ!」
「…人の話きいてた?」
ジト目で返すリュキア。
当然聞いていたし、対抗策も考えた。
小声で話しかける。
「いいから聞けって…リュキア、魔術と魔力には自信あるんだろ?」
「あるけど…撃ってすぐ吸い込まれちゃうんじゃ意味ない…ってまさか」
そう、リュキアの魔力なら、あるいはここの…ええと
「マニュラ?」
そう、マニュラとやらの許容量を超えられるかもしれない。
そうなれば、後は本体を俺が叩くだけだ。
「うん…それくらいしか手はないかも!」
俄然張り切るリュキア。
「今度、ドラゴン狩りか何かで使おうと思ってたけど…」
詠唱を始めると、彼女の周りを魔力の波動が風となって舞う。
俺の知らない詠唱呪文…だが、その雰囲気だけでとんでもない圧倒感がある。
「…出来た…!必殺、龍滅斬『ドラグ・イレイズ』!!」
両腕から発せられた魔力の渦が、一点に集中していく。
とにかくどこでもいいから当てるつもりらしい。
「おわ…っ!」
魔力が集中しきった後で炸裂する、上級魔術の気配。
爆発に備えて、俺は腰を落として身構えた…。