比良井駅でストリートライブを終え、幽霊マンションの十三階へと上っている途中、  
健一たちは重そうな荷物を抱えた刻也に出くわした。  
「こんばんは。八雲さん」  
「その声は、絹川君かね。ごきげんよう」  
 刻也は結構疲れた声で振り向きもせずに答える。十三階まであと少しだが、それまでは  
刻也一人でこの荷物を抱えてきたはずだ。見たところ木製の本棚のようで多少傷がついている  
ところから、おそらく「沼」で拾ってきたものだと分かる。  
「えっと、シーナも一緒ですけど、良かったら手伝いますよ」  
 刻也が両手に抱えた本棚はわりと幅のあるタイプで階段を塞いでしまっている。刻也も  
自分が通行を阻害していることに気付いたらしく、踊り場まで来たところで本棚を床に降ろし  
肩を休めた。そして刻也が何か言いかけようとした矢先、シーナが面倒くさそうに口を開いた。  
「放っとけって。別に健一がその本棚を使うわけじゃないだろ」  
「む……言われなくてもそうするつもりだった」  
 また厄介なことを、刻也とシーナのやりとりを聞いていて真っ先に思い浮かんだ感想は  
それだった。協力すればすぐ終わることなのに、仲が悪いからなのかシーナは手を貸そうと  
はしない。  
「別にシーナは手伝わなくたっていいよ。俺が好きでやることなんだし」  
「いや、これは私一人で運ぶ。君も先に上りたまえ。私は邪魔だろうからな」  
 
 刻也もすっかりムキになってしまったようだ。こうなったら意地でも一人で運ぼうとする  
だろう。  
 先に階段を上ろうとしていたシーナが健一を急かすが、健一だってこのまま刻也を置いて  
先にいくつもりはなかった。健一は黙って本棚を抱え上げると一人でそれを運ぼうとし、  
それを見た刻也が慌てて手を貸す。  
「健一君、私は一人で大丈夫だといったはずだ。手伝われる義理はない」  
「別に、八雲さんのためとかそういうんじゃないです。僕はなにか人の役に立てるのが  
嬉しいだけだって前にもそう言いましたよね」  
「なんか俺一人が悪者みたいじゃんかよ」  
 シーナが両腕を胸の前で組んだままむくれる。態度はともかく、重い荷物を運ぶのに  
シーナの力を借りるつもりはなかった。シーナが先に行こうとしないので健一が先頭に  
なって階段を上る。そして本棚の一方を支えながら刻也が続き、最後尾がシーナという  
順番で狭い階段を上っていく。以前洗濯機を運んだときは二人がかりでもしんどかったが、  
今回はちょっと持ちにくいだけでそれほど重くはなかった。とはいえ、手を引っ掛ける  
ところがない分、余計に腕の筋肉を使うので階を一つ上るたびに結構体力を消耗する。  
ようやく残り一階となったところで健一は本棚越しに、怪しい目つきをしているシーナを  
見た。あれは絶対よくないことを考えている眼だ。健一は思わず制動をかけてしまい刻也が  
つんのめる形になる。その隙を突いて、両手の人差し指を合わせたシーナが勢いよく腕を  
突き出した。  
 
「とりゃっ、必殺七年殺しっ!」  
 健一からは死角になっていてその瞬間は見えなかったが、シーナの咆哮と刻也の  
短い呻き声が聞こえた瞬間もう駄目だなと目を瞑った。シーナの浣腸が狙い定めた場所に  
勢いよく突き刺さったらしく、刻也はバランスを崩し落下する。それに引っ張られ健一も  
階段から転落。一番下にいたシーナはもちろん下敷きになり、三人一辺に階段から  
転げ落ちた。  
「あいたたた……」  
 落ちた拍子にどこかで頭を打ったらしい。頭を擦りながら顔をあげると、外れて床に  
落ちた眼鏡を掛け直す刻也の姿が視界に映った。俯いているし、眼鏡が反射しているので  
表情が窺えない。しかし怒っているのは間違いないだろう。やや間があって廊下に低い声が  
響き始めた。  
「窪塚君、人にはやって良いことと悪いことがある……」  
 眼鏡を手で押さえながらなぜか刻也は健一の方に顔を向けている。だが、なんだかその  
様子に違和感がある。眼鏡がずれているとはいえ、刻也の顔立ちがいつもと違う気がする。  
「えっと、八雲さん?」  
 自分の口から出てきたのは、あまり聞きなれない高い声、一瞬遅れてそれが日奈の声だと  
気がつく。  
「いてて、なにも落っこってくることはねーだろ、本当」  
 
 皆より少し遅れてシーナらしき人物が身を起こす。床に落ちた野球帽を目深に被り直すが  
、なんだかいつもと違って似合ってない。そしてふと、何かに気付いたように健一の方を  
指差す。  
「くわーーーーー!」  
「おわっ」  
 突然、シーナが奇声を上げたので何事かと思う。  
「どうしたの、シーナ?」  
「お、おお、俺がいる!?」  
「?」  
 健一は首を傾げるが、シーナのその言葉で唐突に違和感の正体が解ける。  
目の前の野球帽を被った人物はシーナだとばかり思っていたが、よく見ればそれは眼鏡を  
外し、野球帽を被った刻也だったのだ。どうりで似合ってないはずだなと納得する。  
そして、その横を見れば眼鏡を掛けた健一の姿がある。  
「あれ?」  
 つまり、自分の目の前に健一の姿がある。眼鏡を掛けてはいるが普段から鏡で  
見慣れている自分の顔を今更見間違えるはずがない。  
「えっと、つまりどういうことでしょう?」  
「お前は一体誰だっ!」  
 野球帽を被った刻也が叫ぶ。それは何だかシーナが言いそうな台詞に聞こえる。  
「えっと、絹川健一だけど」  
 質問の意味がいまいち理解できないながらも、聞かれればつい答えてしまう。そこに  
刻也のものらしき台詞が続く。  
「君は、どう見ても窪塚君だが」  
「えっ?」  
「なんとなく状況が掴めてきたが、だとすれば厄介なことになったものだ。まったく、  
君があんなことをするからだ」  
 そう言って眼鏡を掛けた健一が抗議の言葉を向けたのは、他ならぬ野球帽を被った  
刻也自身だった。  
 
「それで、いったい何がどうなってんだよ?」  
 1301のソファに腰掛け、全員で顔を見合わせる。健一たちのほかに綾と冴子もその場に  
揃っていた。刻也が十三階の住人全員に声を掛けたのだ。そしておもむろに健一の姿を  
借りた刻也が自分たちの身に起こった出来事を話し始める。  
「つまりだ、我々は階段を落ちた拍子にお互いの記憶や人格といったものが入れ替わって  
しまったらしい。以前にも綾さんの人格が全くの別人になってしまったことがあったが、  
今回はそれに輪をかけてややこしい」  
「はいっ、質問」  
 綾が元気良く挙手をする。  
「……なにかね」  
 
 溜息混じりの声で発言を許可されると綾は言った。  
「管理人さんみたいな喋り方をする健ちゃんも新鮮でいいねっ」  
「さて、状況の説明を続けるが……」  
「無視されたっ」  
 綾はショックを受けたような仕草をするが、まあ今の発言は無視されても仕方がないと  
思う。  
「改めて自己紹介をせざるを得ないようだね。私は八雲刻也だ。皆には絹川君に見える  
だろうがね。さて、君も名乗ってみたまえ」  
「えっと、絹川健一です……けど」  
 皆が興味津々といった表情で、健一の顔を覗き込む。なんだかいつもと目の高さが違う  
せいで自然と上目遣いになる。身体はシーナだが、野球帽は被らず手元に置いてあるので、  
外見だけで言えば日奈に近いのかもしれない。  
「俺はシーナだ。謎のミュージシャンってことでヨロシク」  
 最後にシーナが自分の名を告げるが、実際には刻也が喋っているように見えた。  
「分かりやすくまとめると、私が絹川君の身体になり、絹川君は窪塚君の身体に、そして  
窪塚君はよりによって私の身体に入ってしまったわけだ」  
「なんだ、俺のときだけやけに不満そうじゃねえか」  
 シーナが八雲の声で文句を言う。今は野球帽を脱ぎ、眼鏡をかけている。そうしていると  
、いつもどおりの刻也に見える。  
 
「ねえねえ、冴ちゃんは分かった?」  
「はい。何となくですけど」  
 綾の問いかけに冴子は控えめに頷く。そういう綾もすでに相対関係を把握しているよう  
だった。外から見れば意外と分かりやすいのかもしれない。健一としてはいまだに良く  
分からなかったりするのだが、とりあえず自分自身の姿に向かって呼びかけてみる。  
鏡に向かって話しかけているような不思議な気持ちだった。  
「えっと、八雲さん……ですよね。元に戻るにはどうすればいいんでしょうか」  
「私に分かると思うかね?」  
 いつだったか前にも聞いたことのある台詞だなと思った。そういえば刻也はこの十三階の  
存在も深く追求することなく受け入れていたし、綾が記憶喪失になったときもわりと動じる  
ことなく受け入れていたような気がする。長く十三階に住んでいるせいもあって意外と  
順応性が高いのかもしれない。  
「他に何か質問はあるかね?」  
 刻也がそう言うと今度は冴子が手を挙げた。  
「三人とも、学校やアルバイトはどうするつもりなの?」  
 少し間を置いて、刻也が深刻な表情で話し始めた。  
「問題はそこなのだよ。実は明日、バイトが入っているのだが、この間バイトの人間が  
辞めたばかりでね、どうしても休むことができないのだ」  
 
 刻也にしては珍しく途方に暮れた様子で額に手を当てて俯く。なんせ今刻也の身体に  
入っているのはシーナなのだ。もともと事故のきっかけを作ったのもシーナだし、普段の  
行動からして頼りになりそうもないと判断したのだろう。  
「それで提案なのだが、バイトには代役を用意したということにして私が行こうかと思って  
いる。これはもともと私の都合だし、それが筋だろう。問題は絹川君に明日用事があるか  
どうかなのだが」  
 話が自分に振られてしまったので健一としてはどうしたものかと考えてしまう。健一も  
明日は外せない用事がある。かなり前から千夜子とデートをする約束をしてしまっている  
のだ。そのためにストリートライブを休むという告知も出してあるし、千代子も明日の  
お弁当を用意するといって張り切っていた。  
「でも、まあ僕の場合は本当に個人的な用件ですし、千夜子ちゃんには申し訳ないけど  
デートはキャンセルしても構いませんけど」  
 刻也が本当に困っているようだったので健一はそう提案してみたが、これには刻也が  
断固として首を振った。  
「いや、そういうことは絶対にやめて欲しい。君は個人的な用件といったが、  
事情を知らない大海君からしてみれば一方的に約束を破られたと感じるだろう。  
それは君にとっても彼女にとっても気の毒なことだと思う。妥協することはない。  
君は行くべきだ」  
 なぜだか刻也はムキになって喋っている感じだった。いつだったか彼女関係のことで  
綾たちにからかわれたときと雰囲気が似ている。  
 
 しかし、確かに刻也の言うことは筋が通っている。自分は千夜子との約束を軽く考えすぎ  
ていたのだろう。千夜子の一途さに甘えて、シーナや冴子のことばかり考えてしまっている。  
 
千代子とは直接関係のない刻也でさえあんなにも真剣に考えてくれているというのに。  
僕に恋愛は向いてない―――健一は改めてそう痛感せずにはいられなかった。  
 
健一が黙り込んでしまったことで、場には気まずい沈黙が取り残された。  
ややあって刻也が思い出したように言う。  
「まあ、さっきはああ言ったが、現在君の身体を所有しているのは私だから、結局行くのは  
私ということになってしまうな」  
「要するにそれはあれか、俺にはバイトの身代わりさせておいて、自分だけデートを  
楽しもうって魂胆かチクショー!」  
 刻也の姿を借りたシーナが立ち上がって叫ぶ。そのリアクションは周囲の状況からかなり  
浮いていたが、それでもさっきまでの沈黙はなかったように皆が言葉を取り戻した。  
「そんなつもりは断じてない。それより君はどうなんだね。君にはなにか用事などは  
ないのかね」  
「俺は特にないけど、家に帰らないと佳奈ちゃんが心配する」  
 シーナは掛け慣れない眼鏡なんて掛けているせいか、さっきからしょっちゅう眼鏡を  
抑えたり、ずらしたりしている。お陰でレンズには指紋が沢山ついていた。  
「なるほど、家族が心配しているとなると、帰らないわけにはいかないな」  
 
 それが一番の問題かもしれなかった。健一や刻也は十三階で暮らしているが、日奈には  
帰る家がある。それはつまり待っていてくれる家族がいるということだった。他人なら  
いざ知らず、肉親ともなると日奈の様子の変化には気付くだろう。正直に事情を打ち明けた  
ところで人格が入れ替わったなんて話は受け入れがたいだろうし、そもそも十三階の  
存在自体、他の人間には理解できないだろう。  
「あれ、そうすると僕は日奈さんの家に行かないと駄目ってことですよね」  
 時刻はすでに十一時近い。急いで帰らないと前のように佳奈が心配して日奈のことを  
探し回っているかもしれない。事態が呑み込めるようになると同時に、大変なことになって  
しまったという意識がようやく芽生えてきた。  
「落ち着きたまえ。とりあえず絹川君、君は着替えてくるといい。明日、学校が終わったら  
もう一度ここへ来て話し合おう」  
「えっと、それじゃあ今日は失礼します」  
 できることなら元に戻る方法を最優先に模索したいところだが、その方法が分からない  
以上は次善の策をとるしかない。それつまり周囲に変化を悟られないように日奈として  
振舞わなければいけないということだ。  
 健一は1305のドアを開けた。ヤクザの事務所のような一室に日奈の今日着てきた衣服が  
畳んで置かれている。そこで健一ははたと動きを止める。着替えをするとなると一旦は  
サラシを解いて裸にならなければならない。それにブラジャーだって身につけなければ  
ならないだろう。その行為は男として問題があるという以前に、日奈の裸を目にしてしまう  
ということでもあった。家族にばれないようにするというのも結構ハードルが高い。  
 
改めて考えてみると、三人が三人とも結構な災難に見舞われている気がする。  
「健一、入るぜ」  
 着替えるのを躊躇っていると、外から1305の扉が開けられた。入ってきたのはシーナだ。  
「なんだ、まだ着替えてなかったのか。早くしろよ、本当」  
「そんなこといわれても、女物の服を着るのなんて初めてだし」  
 以前、蛍子に服を借りたときに「女装癖でも持ったか」というようなことを言われたが、  
まさか自分が本当に女装する日が来るとは思っても見なかった。  
「服なんて男も女も大して変わらねえよ。手伝ってやるからとりあえず脱げって」  
 シーナがそれを言ってしまっては終わりだとも思うが、健一は仕方なく目を瞑って服を  
脱ぎ始めた。意識してはいけないと思いつつも、背後に立たれ衣服を脱いでいるところを  
じっと見つめられていると思うと、鼓動が高まってくる。上着を脱ぎ、胸に巻いていた  
サラシをぎこちなく解いていくと、布地が淡く色づいた敏感な部分に擦れて思わず溜息を  
漏らしてしまいそうになる。ズボンも脱ぎ、下着一枚の姿になったところでシーナがすぐ  
近くに立ち、両腕を頭の上に上げさせられた。なんだか一段と無防備になったような気が  
して、心臓の音がドキドキと破裂しそうなくらいに大きくなっていくのを実感する。  
細い紐が二の腕の辺りをくすぐり、シーナの手が後ろから胸をぐいぐいと掴んで押し上げて  
くる。我慢できなくなって思わず健一は声を上げた。  
「ちょ、シーナ。何を……」  
「なにってブラジャーを着けてやってんだよ。知らないわけじゃないだろ。それとも自分は  
外すほう専門ってことなのか?」  
 
 ずいぶんな偏見と誤解に満ちている台詞だが、声を出したときに目も開けてしまったため、  
もろに日奈の胸を見てしまい言葉が出なくなった。  
「ほら、ホックも留めてやったぜ。さっさと着替えなきゃダメだぜ」  
「あ、ああ」  
 健一は自分でも何だか良く分からない頷きを返しながら、半ばやけになって折り畳まれた  
スカートを引っ掴んだ。後は足を通して履くだけだ。ここまでくれば後はひどく簡単なこと  
だった。普段どおりに上着を着て振り向く。  
「終わったよ」  
「そんじゃ送ってくぜ、もう夜も遅いからな」  
 シーナの言うとおり、時刻はもうすぐ夜中の十二時になろうとしていた。  
 
 辺りはごく一般的な一戸建て住宅の立ち並ぶ住宅街だった。夜中なので人通りはほとんど  
ないが大体どの家にも明かりが灯っている。  
 健一は自分の帰る先が幽霊マンションではないということに、ひどく不安を感じていた。  
いつぞや千代子の家族と食卓を共にしたときに感じた温もりの格差。ホタルとの関係が  
両親に発覚して以来、絹川家は完全に崩壊してしまっている。日奈として家に帰れば当然、  
そこには家族が待っているわけで、両親や双子の姉に当たり前のように温かく  
迎え入れられたとき、自分は思わず泣き出してしまうかもしれない。それは自分とホタルが  
関係を持つよりもっと昔の、1303のもととなった家で暮らしていたときの自分の姿と  
重なってしまい、そうしたとき自分はきっと泣くだろうし、相当凹むよなあと思う。  
 
「えっと、シーナの家ってこっちだったんだ」  
 気分を紛らわせるつもりで健一は呟いた。  
「別に俺の家っつうかなんつうか」  
 独り言の延長みたいな健一の言葉に、シーナは曖昧な返事をする。どうもシーナの中では  
この先はあくまで日奈の家であり、自分の家ではないというふうになっているらしかった。  
シーナだって1305という居場所を必要としている以上、なんらかの事情はあるはずだ。  
健一はそれを詮索しないと決めていたが、このまま先へ進めばきっと色々なことが分かって  
しまうんじゃないかという不安がある。そう思うと何だか余計に落ち込んでしまう。  
「まあ、母さんはあんまり細かいこと気にしないだろうけど、佳奈ちゃんに会ったら  
遅くなってごめんって謝っておいてくれよな」  
 シーナが本気で心配そうにしているので、健一は大きく頷いてみせる。  
自分と接しているときの佳奈はおっかない印象だが、日奈に対してはきっと優しいのだろう。  
 
シーナがあんなにも恋焦がれている相手なのだ。怒るのはきっと心配している気持ちの表れ  
で、そう考えるとシーナと佳奈はお互いにもっと距離を縮めても良いような気もする。  
佳奈はシーナのことを知らない。シーナは今一歩踏み出せずにいる、そんな感じだ。  
だからその橋渡しをするのは、きっと自分の役目だ。  
「心配しなくても大丈夫だって、我が家に帰ったつもりで振舞うからさ。前にも言ったけど  
、シーナのこと応援するから。だから俺も頑張ってみるよ」  
「健一ってテンション低いけどいい奴だな。それにしたって佳奈ちゃんと一つ屋根の下で  
過ごせるなんてすげえ役得だよなあ。おっと家はここだ」  
 シーナが足を止めた。そこはこれといって特徴のない普通の民家だった。玄関先には  
明かりが灯っていて、なんだか近づくのを躊躇ってしまう。  
「んじゃ、また明日な」  
 シーナはそれだけ言ってさっと踵を返す。シーナとしてもこの場に長く留まっているのは  
辛いことのようだった。  
 遠ざかるその背を見送って、健一は玄関に向かって一歩を踏み出す。 今の健一が  
帰るべき場所は1303でも、本当の自分の家でもなく、目の前の此処にしかない。せめて  
覚悟はしておこうと気持ちを引き締めながら、健一は日奈から預かった鍵を鍵穴に  
差し込んだ。  
 
「た、ただいま」  
 初めて訪れた場所でそんな台詞を吐くのは妙な感じがした。しかし、奥の部屋から  
佳奈が姿を現したので、ぼんやりともしていられない。  
「お帰り。ずいぶん遅かったじゃない?」  
 佳奈は怒ってますと言わんばかりの口調で詰め寄ってくる。半ば予想していたことだが、  
雰囲気に気圧され健一はしどろもどろになってしまう。  
「う、うん。たまたま友達と会っちゃって。ついでにそこまで送ってもらったの」  
 あらかじめ考えていた言い訳とはちょっと違ってしまった。佳奈は全然納得してない  
様子で言い訳の続きを促す。  
「あ、えっと遅くなっちゃってごめんね」  
 日奈だったら恐らくこう言うだろうと意識して、用意していた台詞を押し出す。素直に  
謝ったことで佳奈はようやく怒りを和らげ、健一を重圧から解放する。  
「まあ、無事に帰ってきたんだからいいけど。それでその友達って男?」  
「えっと、男みたいな人」  
 うっかりそう答えてしまってから、自分でもなんだそれは、と心の中でツッコミを入れる。  
 
けれども佳奈は笑って納得してくれ、それ以上追及はされなかった。  
「なるほど、男みたいに逞しい女の子なわけね」  
「う、うん」  
「でもダメだよ。日奈ちゃんは可愛いんだから、こんな時間まで出歩いていたらどんな目に遭  
 
うか分かんないんだよ?」  
 どうやら日奈の中身と外見が入れ替わってしまったことについては、今のところ気付く様子  
 
もなさそうだ。健一は幾分自信を回復して、堂々と返事をする。  
「うん、気をつけるよ」  
「本当に?」  
「う、うん」  
 しつこく念押しする佳奈に健一としても頷くしかない。  
「なら、いいよ。ただし、今度からはもっと早く帰ってくること。約束だからね」  
 言いたいことを言って気が済んだのか、佳奈は踵を返して階段を上っていく。  
 
佳奈の姿が完全に見えなくなってから、健一は靴を脱いで家にあがり母親がいるらしい  
リビングに顔を出した。  
「ただいま」  
 帰宅を告げるとたった今テレビを見終わったらしい母親がこちらに振り向いた。  
思っていた以上に若くて綺麗なお母さんだった。とても高校生の娘がいるようには見えない。  
「どうしたの、ぼーっとしちゃって。早く着替えてお風呂に入ってきなさい」  
「は、はいっ」  
 健一は慌ててその場を離れ日奈の部屋に向かう。お風呂に入るのは正直抵抗があるが  
ストリートライブの後なので結構汗を掻いてしまっている。このままだと肌がべとべとして  
気持ちが悪いので心の中で日奈に謝罪しつつ、二階の階段を上がる。  
「あれ?」  
階段を上りきったところで健一は足を止める。家の間取りはシーナに聞いてきたのだが  
どうやら忘れてしまったらしい。  
 家の構造は廊下を挟んで左右対称になっており、そっくりな扉が左右についている。  
日奈の部屋は右だったか左だったか。  
 一か八か、健一は思い切って右側のドアを開けた。  
ベッドの上で寝巻き姿の佳奈がCDを聞いていた。こちらに背を向けていたが、かすかな  
物音に気付いたのかぱっと顔を上げる。健一は慌てて佳奈が振り向くより早くドアを閉め、  
左側の部屋に入る。  
「あー、びっくりした。気付かれたかな」  
 
 しばらくドアに顔を寄せて耳を済ませてみたが、CDの音楽が鳴り響いてくる以外は特に  
何の物音もしない。気を取り直して、改めて日奈の部屋を観察してみる。そこはとても  
女の子らしい部屋だった。よく言えば周囲の人間が抱いている日奈のイメージそのままの  
内装。こぢんまりとしたベッドの上にはクマのぬいぐるみやハート柄のクッションが  
置かれている。棚には少女コミックや参考書があって1305とは似ても似つかない。  
日奈の部屋なのに、ぜんぜん日奈らしくない。見かけだけ装った寂しい部屋。  
「だから1305が必要だったんだろうな」  
 部屋を眺めていても、罪悪感が増すばかりなので健一はさっさと着替えを用意し、  
風呂場に向かうことにする。  
 窪塚家の風呂場は狭かった、というより絹川家のそれが広すぎたのだろう。やっぱり  
これくらいが普通の大きさなんだなと確信すると同時に、悔しいと思う気持ちが込み上げて  
くる。結局、父が特別に造らせたという広い浴槽は希望通りに使われることなど無かったと  
いってもいい。これくらいの広さで充分だったはずなのに、父は一体何がしたかったん  
だろう。あの風呂に入ったのはホタルと一緒に使ったのが最後で、もう使われることは  
ないんじゃないかと思う。  
 健一はシャワーの蛇口を捻り、冷たい水に身を打たせる。冷たいはずの雨が熱い。  
「きっついよなあ、本当」  
 誰にも使われることのなくなった広い浴槽を思い出し、健一は一人静かに泣いた。  
 
 風呂から上がった健一は自分がひどく体力を消耗していることに気がついた。  
この入れ替わり生活がいつ終わるか知らないが、なんだか全てがどうでも良くなって  
しまって、不貞腐れた気分でベッドに沈み込む。  
「なんだか胸が苦しいな」  
 胸板にクッションを挟んだような息苦しさがある。たしかに日奈の胸は人より大きいほう  
だが、こんなに邪魔なものだとは思っていなかった。やがて健一はその息苦しさが  
ブラジャーを締めていることからくるものだと気付く。  
「そういえば寝るときにブラジャーは外すんだったかな」  
 その話を聞いたのは綾さんだったか、千代子だったか。  
「有馬さんだ……」  
 胸の大きい順に思い浮かべた後で、その話は冴子から聞いたものだったと思い出す。  
冴子は眠れているのだろうか。シーナには1305があるけれど、まさか冴子とHしてたり  
しないよな、と疑ってしまう。  
「なんせシーナだしな」  
 一旦考え始めると不安で堪らなくなってしまう。なんだかムラムラと気分が昂ぶってきて  
芯が疼いてくる。指先で自分の唇の感触を確かめると、それはしっとりと柔らかく、  
いけないと思いつつも、自然に乳房に手が伸びてしまう。視覚は暗闇に塞がれている。  
闇の中で撫でるマシュマロのような肌の感触が、冴子との行為を思い起こさせる。  
「熱くなってる……」  
 
吸い付くような肌だな、と思いながら誘惑がむくむくと鎌首をもたげてきて、  
健一はさらに強く日奈の乳房を揉みしだく。ジンとした疼きが官能を昂ぶらせる。  
シーナを裏切っていると自覚しているが、今更手を止めることもできない。  
中指の先端に固い感触が当たる。乳首が固く張り詰めて感度が高まってきている。  
指先でくりくりと弄くりながら、健一は寝巻きのズボンを引きずり降ろし、もう一方の手で  
ショーツの中を探り、股間の茂みを掻き分ける。日奈にはあまり生えていないようで、  
さわさわとした感触が手のひらをくすぐり、指先にはしっとりと汗を掻き小さく勃起した  
肉芽があたる。健一は指を折り曲げ、細く開いた秘所をそっとなぞってみる。  
「あっ、んっ」  
 思っても見なかったほど深いところまで指先が到達してしまい、健一は思わず声を上げて  
しまう。誰もいないはずの部屋に聞き慣れない日奈の嬌声が響いたことで健一はなんだか  
日奈といけないことをしているような感覚に襲われる。声を押し殺し、きつく目を閉じる。  
思い浮かぶのは暗闇に映える冴子の艶姿でもあり、頬を染めた日奈の俯き顔でもある。  
 いつの間にか、くちゃくちゃと卑猥な熱音を響いかせているのが聞こえ、指の動きが  
ますます滑脱になる。指を引き抜くとちゅぽんっと栓の抜けるような音がして、陰唇が  
収縮する。恥丘の盛り上がりを指で突いたり、割り開いたりしているうちに、脚が  
開いてきて腰が浮いてしまう。秘所を突き出すようなみだらな姿勢になっているのを、  
熱に浮かされた頭で自覚し興奮が高まる。生まれて初めて味わい陶然とした麻薬的な  
快感に頭がおかしくなりそうだ。これ以上、触っていられらない。心はギブアップを  
叫ぶが、指の動きは貪欲に甘い蜜を啜る。クリトリスを爪でくにくにと弄り、摘み上げる。  
溢れ出る潤滑液がたおやかな指先に纏わりついて膣に潜りこむ。肉襞が指をきつく  
締め付け、引き抜かれるたびに抑えられない嬌声が響く。  
「んぁぁっ!」  
温かい液体が伝うように、痺れるほどの快感が下半身を中心に広がってく。  
全身が汗で湿り、部屋中に甘酸っぱい匂いが充満する。行為が終わって荒い呼吸が余韻と  
なって残響する。  
 
「……うぅ」  
 数十分後、健一は日奈のベッドの上で、そんな押し殺した泣き声を上げていた。  
全身を気だるい疲労感が覆っている。肌の火照りはいまだ冷めておらず、その気があれば  
まだまだ続けられそうだったが健一は後悔に責め苛まれてそんな気は起こらない。  
 いつものときと違って声を掛けてくれる優しい相手もおらず、今にして思えば自分は  
ずいぶんと女性の厚意に甘えていたのだと気付かされる。  
 こんなことをしてしまって、明日からシーナにどんな顔して会えばいいのだろう。  
事後処理をした後も、下着の一部が濡れていて気持ちが悪い。健一は枕に顔を押し当てて、  
ジタバタともがいた。  
 とにかく今日したことは日奈には黙っていよう。健一はそう結論付けてもう余計なことは  
考えないようにしようと決めた。それでも目が覚めたときに、どうか全てが元通りになって  
いますようにと願わずにはいられなかった。  
 
続く  
 

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