「どぉ?準備できてる?」  
ここは「ランブルローズ」闘技場の地下、  
華やかに闘姫たちのバトルを盛り上げるべく演出の極みを施したリング周りの施設とは異なり  
この辺りは一回り温度が低い印象さえ受ける。  
そこに設けられたとある部屋の扉を開けて入ってきたのは、「ランブルローズ」出場選手の一人でもあり、  
正体不明のレスラー・レディーXの秘書兼、看護婦を自称するアナスタシアであった。  
白味を帯びたナース服をモチーフとしたコスチュームが、彼女の褐色の肌の上で絶妙なコントラストを生み出している。  
 
「はっ、いつものように被暗示性を高めるための薬剤と睡眠薬を投与してあります」  
「ありがとう、下がっていいわ」  
アナスタシアが先に部屋の中にいた、白衣とマスクを身につけた男性に指示を与えると、彼は速やかにその部屋を退出した。  
「さてと……今日のオペはジュードーガールね。私のテクニックであなたを作り変えてあ・げ・る」  
そう言ってアナスタシアが妖艶な笑みを浮かべて見下ろしたストレッチャーの上には、  
髪を青のリボンでまとめたまだ幼さの残る顔立ちの少女、  
アナスタシアと同じ「ランブルローズ」にエントリーしている選手の一人である藍原誠が、一糸纏わぬ姿で横たわっている。  
「ランブルローズ」参加選手の中では小ぶりな方といえる胸の辺りが、呼吸のリズムに合わせて静かに上下している。  
 
「うふふふふ……」  
部屋の壁際に置いてあった手術用の投光機を引き寄せ光が誠の顔に当たように位置を調整すると、  
アナスタシアは誠を乗せたストレッチャーの上に軽く腰を下ろしてから投光機のスイッチをオンにした。  
「誠……起きて……誠」  
急に当てられた光に反応したのか、眠っているはずの誠が僅かに体を捩った。  
「誠……でも体は起こしちゃダメ……目が覚めるのはあなたの意識と感覚だけよ……」  
アナスタシアがそう言うと誠の体は元の通り、呼吸に合わせて静かに上下する胸を残して微動だにしなくなる。  
「誠……私の声が聞こえるかしら」  
白い手袋を脱ぎ去った褐色の掌が、アナスタシアの声に反応して頷いた誠の顔の上を優しく撫でていく。  
「誠……今からあなたは私の声しか聞こえない……  
 私の声には逆らうことができない……  
 私の声があなたのすべてになるの……いいわね?」  
艶かしい口調で語りかけるアナスタシアの声に、誠のチャームポイントである厚めの唇から声が漏れる。  
「……ハイ」  
 
「誠ったら……今日も負けちゃったわね。何か悩みでもあるのかしら?」  
「……」  
それまで安らかだった誠の表情が、アナスタシアの言葉に一瞬曇る。  
「よかったら話してくれないかしら……この部屋にはあなたと私しかいない……  
 そして私は看護婦……患者の秘密は守るわ。だから何も気にすることはないのよ……」  
もっともらしい理由を並び立てるまでもなく、今の誠はアナスタシアの声には無条件で従うのだから  
彼女の一言で誠は自分からその悩みを語り始めるであろう。  
だが、親身で献身的な看護婦を演じることによってさらに相手の心の扉を開いていく、それがアナスタシアのテクニックだった。  
 
「ジブン……疲れちゃったんです」  
「そう、疲れちゃったの。一体、どうしちゃったのかしら?」  
相手の言葉を受け止めて反復してやる。これも彼女の技法の一つである。  
「みんなが……ジブンに期待している……金メダリストとしてのジブンに……」  
「期待しているって……何を?」  
「金メダリストは絶対に反則なんてしない……常にクリーンなファイトを見せてくれるんだ、って……」  
「そう……そうよね。立派な金メダリストさんが反則なんてしたら、ファンのみんなは驚いちゃうわね」  
「ジブン……そんなみんなの期待に答えながら、ここまでガンバってきました……でも……」  
「でも?」  
そこで一旦、誠の言葉は途切れてしまった。まるでそこから先を口にすることを自ら憚るかのように。  
「どうしたの、誠?さぁ……心を開いて……あなたの本心を私に教えてちょうだい……」  
屈みこんで、曇った表情を浮かべる誠に自らの顔を寄せると、アナスタシアは誠の耳にそっと息を吹きかけた。  
「あぁ……っん」  
それを受けて、誠は切なげな吐息を漏らしながら頭を振った。  
 
「教えて、誠……私だけに……本当のあなたを……」  
顔を寄せたまま間近に彼女の顔を覗き込みながら、アナスタシアは誠に問いかける。  
「悩むことはないわ……本当の自分を解放することは、とっても気持ちのいいことなのよ……」  
「本当の……ジブン…………気持ち……いい……?」  
アナスタシアの言葉を断片的に復唱する誠。  
「そうよ……だから教えてちょうだい……あなたは何を悩んでいるのかしら?」  
「ジブン……クリーンなファイトは、ファイトを通じて相手と心を通わせるための手段だと当たり前のように思ってました……  
 けど……「ランブルローズ」に出場して、イーブル・ローズさんや紅影さんのような戦い方もあるんだと知りました……」  
それを聞いてアナスタシアは体を起こし、微かな笑みを浮かべた。  
(そう……彼女たち、ヒールレスラーのファイトに一種のカルチャーショックを受けたのね。  
 記憶が戻りかけた失敗作や裏切り者のワンちゃんでも役に立つことはあるものね……)  
「それで、誠は……本当の誠はどうしたいのかしら……?」  
再び誠の頬を撫でながら、誠に視線を戻した。  
「ジ、ジブン……ジブンは……」  
言葉に詰まったように同じ単語だけを繰り返す誠。  
「ジ……ジブっ、ジブンは……ぅぁあぁあっ」  
誠の口調が徐々に嗚咽を含んでくると、アナスタシアはいっそう優しく、  
それでいてどこかメスのような冷たさを含んだ口調でその先を促すように告げた。  
「落ち着いて、誠。これはあなたが生まれ変わるための儀式なの。  
 さぁ、己の内に眠る本心を解き放ち、今こそ生まれ変わりなさい、藍原誠!」  
 
 
43 名前:BBD誕生編(6) ◆bWq6CgvhhE 投稿日:05/02/26 23:42:09 ID:Vz6J0OPZ 
「ジブっ、ジブン……誠はぁっ、もっと自由に戦いたいのっ!」  
閉じた瞼から涙の粒が零れ落ちるとともに、ついに誠は自らの心の扉を完全に解き放った。  
―――満足そうに氷の笑みを浮かべる悪魔のナース・アナスタシアの前に。  
 
「よく言えたわね、誠……そうよ、これからはリングの上でも自分の本心を閉じ込めることなく、自由に戦いなさい。  
 そう……あなたの憧れのイーブル・ローズや紅影のように、ヒールで過激な戦い方でね!」  
そのアナスタシアの言葉に、告白を終えて上気した顔で息をする誠の表情がわずかに歪む。  
「ちっ、違います!ジブンの憧れは、零子センパ……うっ!」  
日ノ本零子の名を発しようとした誠の厚めの唇を、アナスタシアのそれが塞いだ。  
アナスタシアの強引なキスに、それから逃れようとする誠の頭を、褐色の両掌が押さえ込む。  
そして2人の口の中ではアナスタシアの舌が誠のそれに絡みつき、口内サブミッションをしかけていく。  
「誠……あなたは本当の自分を解放した。それはとてもとても気持ちのいいこと……  
 でも解き放った自分の本心の命ずるままに戦うことは、もっと気持ちのいいことなの……」  
やがて濃厚なくちづけの後アナスタシアは起き上がり、熱に浮かされたように呆けた顔をしている誠の顔を見下ろしていた。  
「そして……これから生まれ変わる誠のために、私がご褒美としてもっともっと気持ちのいいことを教えてあげるわ……」  
そう言いながらアナスタシアは、ピンクがかったナース服を模したコスチュームゆっくりと脱ぎ終えると、  
リングの上で相手を押さえ込むかのごとく、しかし優しく包み込むように誠の体の上に覆いかぶさっていった。  
 
 
44 名前:BBD誕生編(7) ◆bWq6CgvhhE 投稿日:05/02/26 23:44:12 ID:Vz6J0OPZ 
「おめでとう、誠……いえ、今のあなたの名前はBBDだったわね。いい試合だったわ」  
試合を終えて控え室に戻ってきたレスラーに、アナスタシアが声をかけた。  
「極限まで痛めつけた関節をさらに締め上げてる時のあなたったら、本当に嬉しそうな顔してたわよ」  
「ええ、ジブン……すっかり汚れっちまいましたから……」  
軽く乱れた黒い柔道着の襟を正しながら言葉少なにそう口にしたのは、かつての藍原誠だった。  
しかし今はその幼い顔立ちに似つかわしくない、濃いめのアイシャドウの化粧が施されている。  
頭に巻かれていた青い色のリボンも、対戦相手の血を吸ったかのように真っ赤なものに変わっていた。  
The BBD(Black Belt Demon)という新たな名前を与えられた誠は、粗暴な様子で椅子に腰掛ける。  
「この調子で、次の試合も頑張ってね。……大丈夫、今のあなたは誰よりも強い。  
 そう、あなたのお友達のアイグルちゃんや、あの日ノ本零子よりも……」  
その名前を耳にした途端、誠の眉が吊り上がる。  
「アイグル……レイコ……憎い!……コロス!」  
希望に満ちていた少女の瞳は今や殺気に曇って光を失い、厚めの唇からはかつて心を通わせた友や憧れの先輩たちに対して毒づく言葉が漏れる。  
「あらあら。でも本当に殺しちゃダメよ。彼女たちも私のペットにしてあげる予定なんだから……」  
「かしこまりました……ミス・アナスタシア……」  
淡々と述べる誠に近づき、アナスタシアは投げ出された誠の右足を手に取る。  
そこには悪魔を模したかのような黒い刺青が施されている。  
「覚えておいて、誠……このタトゥーは生まれ変わったあなたの象徴……そしてこのアナスタシアへの忠誠の証……  
 誠……いえBBD、この絶対服従の証がある限りこれからも私のペットとして働いてもらうわね……期待しているわ」  
足の甲に浮かぶ悪魔の紋章を褐色の掌がゆっくりと撫でると、黒い柔道着の少女の唇からは艶を帯びたため息が漏れ始めた。  
 
(了)  
 

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