幕間2  
 
ギリッ… ギリッ… ギリッ…  
 
擦れるような音が響く。  
ぼんやりとした魔法の灯りが灯る室内に、断続的に響く音。  
妖しい光を投げかける魔法の灯りに、一つの人影が映し出される。  
 
ギリッ… ギリッ… ギリッ…  
 
歯軋り、一目で高級と分かるドレスを端麗に着飾り、どこか妖艶な雰囲気を漂わせる妙齢の女性の唇。  
音はそこから発せられていた。  
 
ギリッ!  
 
一際強く歯軋りを鳴らすと、手にした水晶球を指が白くなる程に握り締める。  
閉じていた目がゆっくりと開かれていく。  
サーナイア・スレム。キーンブルグ領主トールメイラー・スレムの夫人として容姿端麗な非の打ち所のない女性。  
だが、開かれたその目は彼女を知っている者から見れば驚く程血走っていた。  
領民の前で見せる淑女とは似ても似つかぬその姿は、夜叉か羅刹か…  
 
ドン!!!  
 
空いている手で傍らの机を叩く。いや、もはや殴ると形容したほうがいいと思える勢いで手袋に包まれた手を振るう。  
鬼気迫る表情で水晶球を見つめ、地獄の底から響くような声を絞り出す。  
 
「…そう… そんな風に愛されたのね、リアラ…」  
 
ギリッ!  
 
「私を励ましてくれたその口で、そんなにも淫らであさましい声をあの人の前で上げていたのね…」  
 
ギリッ!  
 
「私を見つめていたその瞳で、そんなにも潤んで媚びた瞳をあの人に向けていたのね…」  
 
ギリッ!  
 
「私と一緒に水浴びをしたその身体で、そんなにも淫乱で妖艶な痴態を晒してあの人を誘惑したのね…」  
 
ガンッ!!!  
 
「リアラリアラリアラリアラリアラァーーーーーー」  
 
パチン!  
 
「気はすんだかね…」  
「…ええ、大丈夫よ…」  
指を弾く音と共に、暗闇から黒いローブを纏った魔術師、否、邪術師-黒翼鳥が現れる。  
同時にかけられた声に息を整えながら言葉を返すと、赤い血が流れる唇に指を添える。  
「娘の方の準備が出来たので伝えにきた。それとこれが完成したので渡しておこうと思ってな。」  
そう言うと、懐から細長い宝石箱のような物を取り出す黒翼鳥。  
それを先程サーナが叩いていた机に置くと、感情の篭らぬ瞳でサーナを見据える。  
「あとは、それだな。別に壊してもいいが、編集作業は結構な手間がかかる。  
無駄は嫌いな性質なのでな。壊される前に渡してもらいたい。  
…まぁ、儀式が遅れてもいいと言うのなら私は別に構わんがね。」  
虚ろな視線をサーナが持つ水晶球に注ぎつつ、赤い口元に笑みを浮べる黒翼鳥。  
「あら、私は別にこれを壊そうなんて思っていないわ。ただ、とっても素敵な物を見てしまったせいで  
少し興奮してしまっただけ… …そう、ただそれだけよ。」  
指を滴る赤い血を陶然とした表情で舐めあげながら、  
まるでそれが宝物のように手にした水晶球を捧げ持つサーナ。  
「だってこれは、私の親友リアラの最高の舞台を整える為に、必要な物なんですもの…   
そんな大切な物を壊すなんて、私にはできないわ。」  
愛おしそうに、血のついた舌で水晶球を舐めあげるサーナ。  
その瞳は潤み、上気した顔は陶酔の表情を浮かべている。  
その姿だけを切り取るなら、それは神に供物を捧げる巫女の如き絵になるだろう。  
或いは、悪魔に生贄を捧げる悪魔の使徒か…  
しばらくの間、一つの絵画のように動きを止めていたサーナは、不意に表情を崩し  
自身を鑑賞していた観客に視線を戻すと、捧げ持っていた水晶球を鑑賞者に差し出した。  
「さぁ、舞台を整えて頂戴。私の大好きな親友、リアストラ・ヘイル、  
そしてその娘メノミリア・ヘイルの為の最高の舞台を!  
愛すべき二人の親子が生まれ変わる最高の舞台を用意して頂戴。」  
「…承知した…」  
冷笑をその薄い唇に浮かべながら、恭しく水晶球を受け取ると  
闇に溶け込むように部屋の奥に消えていく黒翼鳥。  
 
その姿を満足そうに見つめるサーナ。  
やがて完全にその姿が闇に消え去ると、そのままベッドサイドにある机に向かう。  
そのまま机に歩み寄ると、先程黒翼鳥が置いた箱をその手で撫であげる。  
「…待っていてリアラ。あなたが一番喜ぶ贈り物を用意していくから…  
あなたと私、そしてあの人の… 全てを結ぶ最高の贈り物を…」  
机に置かれた細長い箱。  
その箱を手に取ると、両手で捧げ持つように顔の前に持ち上げる。  
目の高さまで持ち上げたそれを、しばらく目を細めて見つめるサーナ。  
じっと… 箱を見つめ続ける。  
まるで一体の彫像がそこに出来たかのように、箱を掲げた姿勢のまま動かないサーナ。  
魔法の明かりに照らされたそれは、神が創った芸術の如き美しさを湛えてそこに存在する。  
否、創りあげたのは悪魔か… それとも…  
…と、その肩が小刻みに震え始める。  
 
「…ふふふふふふふふふふふ…」  
笑っていた。身体の内側から抑えきれぬモノが噴出すように、低く、低く、殊更に低く…  
木霊する。サーナの口から発せられる笑い声が、魔法の灯りに照らされた室内を埋めていく。  
その声に共鳴するように壁に照らされた影が、小刻みに妖しく揺れ動く。  
「…ふふふふふ… うふふふふふふふふふふふふ…」  
サーナの端正な唇は横に開き、月の祝福を受けた人々の微笑みよりも妖しい笑みを形作る。  
歪められた唇の上にある瞳は、愛おしむように掲げられた箱を見つめ続ける。  
極限まで細められた瞳は心を写し取ったかの如く、暗く濁っていた。  
まるで、空に浮かぶ黒の月の歪みを瞳に湛えるかのように…  
「…リアラ…」  
部屋に満ちていた笑い声が唐突に止む。いまだ反響して木霊している声に被さるように、  
「さぁ、宴を始めましょう、リアラ… 古いあなたの罪を浄化して、  
新しいあなたに生まれ変わらせる宴を…  
あなたと、あなたの大切なメノアと共に、私の本当の親友リアストラ・ヘイルの誕生を祝う宴を…」  
陶然とした表情でそう呟くと、掲げていた箱を大事そうに胸元に抱えるサーナ。  
宝物のように抱えた箱を手袋をした手で撫で上げると、灯り続ける光に暗い笑みを映し、  
瞳の色と同じ闇に消えていった。  
 

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