ルナルサーが  

プロローグ  

ピチャーン… ピチャーン…  

何処からか水が漏れているのか、はたまた水が滲みだしてしまうほど  
水源の近くにあるのか、堅牢な石造りの牢獄に天井から水が滴る。  
そしてそれは、その部屋にいる一人の女性の顔に落ちていく。  

ピチャーン…  

「う…。」  
やがてそれが女性の眠っていた意識を目覚めさせていく。  
「ここは…?」  
徐々にだがうっすらと目を見開き、辺りを見回す女性。汚れのせいか少しくすんだ茶色の頭を振って意識をはっきりさせる。  
「私は確かメノアと一緒にキーンブルクに来て、そして… はっ! メ、メノアッ!!!」  
地下牢の女性−リアラ−は、最愛の娘の事を思い出し、そして娘がここにはいない事を悟った。  
「メノア! メノアァ!!! 何処? 何処にいる…」  
逸る気持ちを抑え、ともかくもメノアを捜そうと立ち上がる。  

 

ジャラ…  

「はうっ!」  
部屋を捜そうとしたリアラの動きが止まる。手首に圧し掛かる圧力を感じて、リアラは自分の手首を見る。そこには…  
「…手錠…」  
明かりさえない薄暗い地下牢の中、手首に嵌った手錠だけが銀色に怪しく光っていた。  
そして手錠の先には鎖が伸び、背後の石壁に開いた穴の中に繋がっていた。  
「何故、こんなことに…」  
鎖は余裕があり、手を床につけても少し余裕があるくらいだった。だが、部屋を歩こうとすれば、邪魔になる。ましてや娘を捜そうとすれば…  
「私はアンディさん達と一緒にお城の中に… そこに…」  
暗闇の中でリアラは必死に気絶する前の事を思い出そうとした。最愛の娘を捜す為にも、今自分がどういう状況にあるのか? まずは  
それを把握しなければならない。  
「隠し通路から城に入って… 右に曲がって… 左に曲がって… そうしたらそこに黒いローブの…」  
「そこで私と出会ったのだよ、リアストラ・ヘイル」  
「!!!」  
突然の声にリアラは顔を上げた。いつの間にかリアラの前に一つの顔が浮かんでいた。否、顔が浮かんでいるのではない。  
「貴方は!」  
「こうやって顔を会わすのは二度目かな… もっとも、先程はすぐ眠ってもらったがね…」  

 

ボッ… ボッ… ボッ…  

暗闇の中から黒いローブを纏った魔術師、いや邪術師−黒翼鳥−が進み出てくる。  
それと時を同じくして彼の周囲に炎が浮かび上がる。  
そしてその炎は、壁に設置された松明に向かい松明に火を点ける。  
「改めて自己紹介をしよう。我が名は黒翼鳥… この街の平和を守る者だ。」  
鎖に繋がれたリアラの前にまで来た黒翼鳥は、悠然とした仕草でリアラを見下ろす。  
「お前達は恐れ多くもティーグ公王来訪のこの時に、城に忍びこようとした。  
折りしも、公王閣下のご滞在中に城に不法侵入とは…  
その罪、間違いだったでは済まされぬぞ…」  
見上げたリアラの顔に自分の顔を近づけ、鋭い目で詰問する黒翼鳥。  
「ち、違います! 確かに城に入った事は認めます。しかし、これには訳が…」  
「黙れ…」  
黒翼鳥の目が細まる。瞬間、リアラは体から何かが抜けていく感覚を味わっていた。  
「かはっ… はっ… はっ…」  
「ふん、これ以上は持たんか… ならば…」  

体内に沸き起こる急激な喪失感と、体の変化に喘ぎ続けるリアラをよそに、黒翼鳥は一方の壁に近づいた。  
慣れた動作で壁に出来た出っ張りを押す。すると、黒翼鳥の足元から台がせり上がってきた。  
「ふん…」  

カチッ…  

未だ蹲っているリアラを一瞥した後、おもむろに机のボタンを押した。  

ガララ…  

「ああっ!」  
鎖のこすれるような音と共に、リアラの手首の手錠に繋がれていた鎖が壁の穴に吸い込まれていく。  
鎖は次々に穴に吸い込まれていき、やがてリアラの腰が座った状態から中吊りになっていく。  
「…この辺か…」  

カチッ…  

リアラの腰が中吊りになってきたのを見計らった後、黒翼鳥は再び台のボタンを押した。  
すると鎖の巻き取りは止まり、リアラの腰を半分浮かせた状態で固定された。  
「はっ… はっ… はっ…」  
中腰にされたリアラは、先程の不可解な現象の後遺症もあるのか苦しそうに息をしながら、  
再び目の前に移動してきた黒翼鳥に向けて、萎えかけた気力を振り絞り視線を向け訴えかけた。  
「お願い…です。わ、私達が城に入ろうとした事は…認めます。  
…で、ですが、これには理由があるのです。どうか…は、話を…」  
体の不調が続く中、リアラは必死に自分達の状況を話し始めた。  
「ほう、先程の『脱水』は少し強めにかけたんだが… まだそんな目が出来る気力があるとはな。」  
だが、そんなリアラの様子を面白がるように、  
黒翼鳥は必死に事情を話そうとするリアラをひとしきり眺めた後、おもむろに台に置いてあった長い縄状の物を手に取った。  
それを弄びながら乾ききった口で必死に説明と嘆願を続けるリアラの前に立つと、  
手の内の縄を揺らしながら静かな口調で口を開いた。  
「この部屋は罪人を詮議する為の部屋だ。もっとも、通常の罪人用ではなく少々特殊な罪人用の部屋なのだよ。  
例えば… ザノン残党の容疑者であるお前のような者達のな。」  
「なっ! 私はちがっ…」  

バシィ!!!  

「!」  

バシィ! ビシィ!! バチィ!!!  

「はっ ふっ あぁ!!!」  
縄状に見えた物は鞭であった。精巧に、そしてなにより実用的に造られたそれが中吊りのリアラの服を切り裂き、  
その下のほっそりとした体に赤い蚯蚓腫れの跡を残していく。  
赤い糸が体に刻まれる度、苦痛に歪んだリアラの口から悲鳴が漏れる。  
まるで、黒翼鳥の鞭のダンスに合わせて踊るパートナーの様に奇妙なリズムをつけて…  
「くくっ… どうだ? 認める気になったか? 自分の罪を。」  

バシィ!  

「ああぁ! …わ、私は本当にザノン残党なんかじゃ…」  
「ふっ… 最初は誰もがそう主張する。だが、最後には…」  

 

ビシィ!!  

「どうだ? 痛いだろう? 認めれば楽になれるぞ。」  
「わ、わた… ち、ちが… はぅっ!」  
「ふん、これでもか。」  

バチィ!!!  

「はぁーーーーーーーーー!!!」  
一際大きく振りかぶった鞭がリアラの赤糸だらけの体に吸い込まれると同時に、  
リアラは、甲高い絶叫をあげて顔をだらんと下げた。  
だが、必死に下げた頭を上げようとしてもがく。  
そして自分の事情を話そうと、なんとか口を開けようとしていた。  
「ふむ、中々根性のある… さしずめ、『母の愛』と言ったところかね。これなら、これから少しは楽しめそうだな。」  
黒翼鳥は、そんなリアラの姿を見ると実に楽しそうに後ろを振り返りながら、  
松明の火の届かない隅の暗がりに向かって言葉を紡いだ。  
すると、元々そこにいたのか、一人の人物が暗がりから歩いてきた。  
成熟した豊満な体つきをした青いドレスの女性は静かに、だが優雅に暗がりから出てくると黒翼鳥の隣に並ぶと口を開いた。  
「気絶したの?」  
「いや… 気力で気を保っているが、痛みを感じないように脳が自ら働きを抑制している、と言ったところか。  
意識はあるが把握は出来ないという具合だろう。」  
「そう。」  
その女性−サーナは、黒翼鳥から鞭を受け取ると焦点の合っていない目で必死に言葉を紡いでいるリアラの前に立つと、  
グイッと、リアラの顎を鞭の柄で上げさせながら覗き込む。  
「私が判るかしら? リアラ…」  
それまで、意味不明になりかけの言葉を紡いでいたリアラの目の焦点が合いはじめる。  
「貴方はっ!」  
「久しぶりね、リアラ…。」  
そう言ってサーナは鎖に繋がれたままのリアラの頬を愛おしそうに撫で摩る。  
「本当にお久しぶり。リアラ…」  
「サ、サーナ… わ、私は。」  
混乱しているリアラの頬を撫でていたサーナは、無残にも赤く糸だらけのリアラの体を愉悦の表情で眺め回した。  
これを、自分の現状を説明する機会ととったのか、  
リアラは鎖をガチャガチャ言わせながらも必死にサーナに向かって喋りだした。  
「サ、サーナ。聞いて! 私は確かに貴方の城に侵入したけど、それは別に貴方達に危害を加える為じゃ…」  
必死のリアラの嘆願を目を細めて聞いていたサーナは、横で控えていた黒翼鳥に向かい唐突に口を開いた。  
「どうかしら? この子の事は?」  
「ふむ、ここに入れる前に投与しておいた霊薬で、感覚器官の感度を数倍に引き上げている。  
並の苦痛等でも地獄の苦痛になるはずだが…良く耐えている。これならば、調教のしがいがありそうだ。」  
「サーナ?」  
自分を言葉を無視して横の魔術師と話し始めたサーナを、リアラは訝しむ様に見上げた。  
そんなリアラを無視するかの様にひとしきり黒翼鳥と何かを話し終えたサーナは、不意にリアラの方を向いた。  
そしておもむろに、静かなそれでいて何か楽しい事を堪えているかの様な深い目を光らせた。  
「リアラ… これから貴方に躾をするわ。ちゃんとしていれば、そして私の言う事に従っていれば何も怖い事はないわ。」  
「躾…?」  
「躾は最初が肝心だ。下の者がしっかりと己の立場を理解するために…」  
「そうよ、リアラ。貴方は今の自分の立場が判るかしら? 聡明な貴方の事だから言わなくても判るわよねぇ…」  

 

ビシィ!!!  

「かはっ。」  
サーナが振るう鞭が先程の黒翼鳥と同じ様に、いや先程よりも鋭利にリアラの肌に食い込む。  
その衝撃にリアラの意識は遠くなる。  
「己が罪ある者と認める。貴方はどうかしら、リアラ?」  
「サ、サーナ。私はただ会う為にここに来ただけなの。」  
「私も一緒に育った貴方を疑いたくはないわ。…でも、貴方は昔から頭がいいから、何を隠しているか  
しらないわ。…そう、あの人を奪った時のように…」  
「!」  
「いつも貴方に話していたわね。私の運命のあの人。それをいつも貴方は笑顔で聞いてくれていた。  
…でも、その笑顔に裏で貴方は何をしたのか、私が知らないとでも思っているの? リアラ…」  
「あ、あれは…」  
「一夜だけのものだった? 本気ではなかった? でもその一夜であの人の心の中には貴方が刻まれたのよ。  
婚約者である私ではなく貴方が!」  

バシィ!!!  

「ああぁ。」  
「サーナ、私は、私は… 貴方の為を思ってあの一夜だけで…」  
「親友の婚約者と恋に落ち、親友の為を思って身を引く… まるでサーガに出てきそうな素晴らしい  
自己犠牲の物語ね。許されぬ恋、報われぬ愛、祝福されぬ出会い… でもねぇ、リアラ…」  

グイッ!  

鞭の痛みに憔悴しきったリアラの顎を強引に持ち上げて、嫉妬に狂った目を向ける。  
「サーナ… わ…」  
「貴方はただの略奪者よ!」  

ビシィ!!!  

「はうっ。」  
「自己犠牲の精神で私は身を引きました? そんな事で騙されやしない。盗んだのよ!   
奪ったのよ!! 略奪したのよ!!! あの人の心を! 愛を!! 全てを!!!」  

バシッ! ビシッ!! バシィ!!!  

肩に、胸に、腕に、太腿に、サーナの鞭がしなる度、赤い糸が刻まれていく。  
そして赤い糸が刻まれる度、焼かれるような斬られるような衝撃がリアラを打ちのめす。  
「はっ、くっ、あぁーーー!」  
「どんなに言葉で取り繕ったところで、貴方の罪は消えはしないわ。親友の私を裏切った罪。あの人の心を奪った罪。  
貴方が犯した大罪を、これからゆっくり判らせてあげてから堕としてあげるわ…」  
「サ…ナ…」  
「地獄にね。」  

バシーーーーン!!!  

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」  
一際大きく振りかぶったサーナの鞭がリアラの体に食い込む。今まで以上の赤い糸を体に残しながらリアラは絶叫した。  
「あ… う… ぅ…」  
頭の中に、サリカの雷が迸った様な感覚を受けて、リアラは崩れ落ちる。  
ただ一筋に自分を見つめるサーナの視線を受け止めながら、リアラの意識は闇に沈んだ。  

 
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