もしも数日前の自分が見たならば、おまえは何をしているんだと  
戸惑うばかりであったに違いない。  
状況が状況であるからこそだと自分に何度も言い聞かせる。  
でなければ今、肩に抱えた筋者を放棄してしまいそうだった。  
見事な般若を背負ったその男は、眼帯とヘルメットが  
妙に似合っている。鼻には青痣と、口角から顎へと伝う血潮が目立った。  
遠目に見るとはっきりしなかったが、息のかかるほど傍に至れば、  
体中にも無数の傷がついている。古傷もいくつか混じってはいたが、  
多くは今しがたつけられたものだろう。  
 
真島吾朗。  
 
名前と簡単な来歴だけは把握していた。実物を見るのは  
初めてだったが、かなり名の知れた男だ。今では組を割り、  
自分の会社を築いていたはずである。  
狭山薫は柄本医院を目指しながら、周囲に目を配った。  
上半身裸の、一目でやくざとわかる男を、若い女が  
引きずるように歩いている。いくら『眠らない』神室町とはいえ、  
注目を集めてしまうのは必至だ。薫は裏道を時折選びながら、  
かけられる声を手帳で振り払った。  
「……派手にやらかしたもんだな」  
階段を上ると、煙草を口に挟んだばかりといった風情の柄本が出迎える。  
免許を有しているのだかは知らないが、いい医者であることは  
少ししか接していない薫にも感じられた。  
薫から真島を、引き剥がすようにベッドへ寝かせる。  
気を失っているようにも、ただ目を閉じて休んでいるだけにも見えた。  
柄本が体のあちこちに触れると、時折口元が歪んだ。  
「アバラがいくつかいってやがる」  
さして珍しくもなさそうに、柄本がいった。命に別状はないようだ。  
薫は人間として胸を撫で下ろし、かすかに呻く真島の声に  
意識をやった。  
簡単な処置を済まそうとした柄本の腕へ、彼の手がかかる。  
 
「医者は……好かんなあ」  
この状態でまだ、この男は冗句をいう暇があるというのだろうか。  
薫は半ば呆れながら、首を横に振った。  
「いってる場合か。いくらあんたが頑丈でも、  
骨はちゃんとくっつけなきゃ治らねえぞ」  
まるで子供に言い含めるような言葉を選びながら、  
柄本は容赦なく処置を施していく。その手つきは手早く、  
雑に見えるが精確だった。  
警察の救護班にもこんな人間はいないだろう。薫は内心  
舌を巻きながら、その様を眺めた。  
「あんた、もういっていいぞ」  
柄本は振り返ることもなく、彼女に言い放つ。  
手は相変わらず彼から離れない。薫ははっとしたように  
顔を上げ、応えた。  
「まだ彼に、聞くことがあるのよ」  
いっておきながら、何をきくのだと思った。  
資料で嶋野組との関係や東城会での立場、桐生との関わりは  
把握している。だが薫は、それでも何かを尋ねるべきだと思っていた。  
柄本は薫の迷いに気づいたように、目をじっと合わせてから  
沈黙した。手は止まっている。  
「……じゃあせめて、そっちの部屋で待っててくれ。  
さすがにこいつも男だからな」  
念のため、下半身の処置をするのだ。薫は察すると、  
気まずそうに顔を背けた。そのまま部屋を出ると、扉を閉める。  
以前にも座ったことのある革張りの応接セットは、  
組事務所にありそうな代物だった。薫は内ポケットから  
煙草を取り出しながら、ゆったりと火をともす。  
ようやく落ち着いた、気分だった。  
だが心は晴れきらない。自問自答ばかりがめぐっている。  
しかもどうやら、その答えを出せるのは、奥で  
処置を受けている、あの男だけのようだった。  
 
「あんたもやらしい言い方するなあ」  
目元を消毒されながら、真島は笑みを浮かべた。  
手元が狂うと叱られてもその表情は変わらない。  
食えない男だと柄本は思った。  
「仕事柄、しないほうがいいことはすすめねえだけだ」  
保冷剤をあてがい、軽くテーピングをした。これで明日には  
だいぶ、腫れがひいているはずだ。柄本は処置を確認すると、  
鼻へと関心を移した。  
「わしの体があかん、みたいな言い方やめや」  
へらへらとしていたが、さすがに患部をいじくられると  
一瞬顔が強張る。真島は長く息を吐くと、小脇に抱えさせられた  
ヘルメットを撫でた。  
「余計な口出しをするつもりはないが……  
ただ、さほど強くねえぞ」  
薫のことをさしているのだ。  
女が何かを躊躇い、戸惑う様を見抜けないほど、二人は青くない。  
真島はそれに何かを返すこともなく、やはり口を歪めてみせただけだ。  
柄本はあらかた作業を終えると、真島を寝台から下ろした。  
薫の待つ応接間へ案内する。そちらのベッドへ導くと、  
柄本は自分の鞄を肩に提げた。  
「悪いが、包帯と消毒液が切れた。しばらく空けるが、  
大人しくしてろ」  
真島に諭すと、柄本は薫にじゃあ、とだけいって  
出ていってしまった。止める間もなく、薫は溜息をついて俯いた。  
そして既に短くなった煙草からのぼる紫煙の奥、真島を見据える。  
「……なんや姉ちゃん。わしに惚れたか」  
「無駄口は聞かないでっていったはずよ」  
彼なりの、何処まで本気かわからない台詞を、  
薫はあっさりと打ち払った。真島は気持ちよさそうに  
笑い声をたて、更に薫に詰め寄る。  
「じゃあ桐生ちゃんか」  
ついに煙草をもみ潰し、薫が立ち上がった。その瞳の奥には、  
表現しきれない色が浮かんでいる。  
真島は笑みを崩さず、首を少し傾げてみせた。  
 
「それ以上余計なことをいったら、公執でパクるわよ」  
「おおこわ」  
寒気を感じたとでもいうように、真島は自分を抱き締める。  
そうして薫の逡巡を揺さぶり、言葉を待った。  
「……あなたのことは、調べがついているわ」  
ほつれた髪が頬に張り付いている。疲れの見える頬は、  
薄くおしろいが乗っている程度のようだ。  
「顔色悪いで」  
思ったことを口にしただけなのだが、きっと薫は睨みつけてくる。  
真島は肩をすくめた。  
「あなた、だいぶやんちゃみたいね。だけどそれだけじゃない」  
真島の目が鋭くなる。薫は目端にみとめながら、続けた。  
「なのに……どうして、あなたひとりで?」  
読めないが男気のある男、桐生はそういっていた。  
道化のように見せているパフォーマンスとは裏腹に賢く、  
大胆な男であるとも。  
薫にはそれが解せなかった。呼ぼうと思えば昔の仲間や  
自分を慕う人間を使うこともできたはずなのだ。  
しかしそうしなかった。  
「ああ、それか」  
真島は鋭さを隠すように首を回し、応える。  
「……せやな、しいていうなら……かっこええやろ? ひとりのほうが」  
「ふざけないで」  
薫がぴしゃりと遮ると、真島はやれやれと顔を背けた。  
「しゃあないやろ。約束やってんもん」  
ふてくされたようにいうと、真島はゆっくりと立ち上がる。  
ヘルメットは戻さず、手袋も置いたままだ。裸足なのにも関わらず、  
彼がそれを気にする様子はない。  
「あれは、俺の約束や。他の誰でもない。  
せやから、わしが守るしかないやろ」  
目の前にしゃんと立たれると、激しい威圧感をおぼえた。  
それは今、脅すような旗色を含んでいない。だが、  
そこに『在る』ということが、弱者を排除するには十分すぎるのだろう。  
薫は目を細めながら、ソファから立ち上がった。  
「お話にならないわ」  
ここで話を終わらせなければ、更に心の靄が広がる気がした。  
そしてそれは『やくざ』だの『面子』だのを越えた先にある、  
何かのせいだとわかったからだった。  
背を向けた薫の腕を、真島が強く掴んだ。  
「何すん……」  
振り返った彼女の唇が塞がれる。不意を突かれ、  
簡単にソファへと倒された。真島の膝が薫の腿を締め付け、  
抵抗力を完全に奪っている。両腕は素早く、片手におさめられていた。  
何が起きたのか把握し、舌を噛み千切ろうとしたときには、  
既に彼の口が離れていた。  
「情報料や、姉ちゃん。世の中そう甘くないで」  
真島の眼には、残虐ともいえる光が宿っている。  
肌を貫くような狂気に、薫は肌を粟立たせた。  
 
「あんた関西の出やろ。無理して東京者の言葉なんか  
使わんでええって」  
薫の耳元で、真島は低く囁いた。脚はがっちりと閉じたまま、  
彼女の自由を奪っている。わざと顔を覗き込んでやると、  
冷厳に眉をたわめた薫と対面した。  
「離しいや、ほんまにパクるで」  
これで満足か、という表情で薫はいった。咽喉の奥で笑いを  
噛み潰していた真島が、愉快そうに頷いてみせる。  
「それでええ。女は、気ぃ強うてなんぼや」  
それだけいうと、彼女の白い首筋へと歯を立てた。襟元から  
見え隠れする位置に赤く、痣が残る。腕はその間も激しくもがき、  
脚は蹴り上げるような動きを繰り返した。  
不意に真島の手に力がこもった。そちらの痛みに  
彼を睨みつけると、包帯まみれの顔で返してくる。  
 
「今のあんたはな」  
 
真島の声色が変わった。  
 
「見えるもんも、よう見えへん」  
 
精神を直接掴むような眼光だった。薫が一瞬ひるんだ  
そのとき、真島の指先が腰を這う。嫌悪感に体を波打たせながら、  
薫は唇をかみ締めた。聞き慣れた金属音がすると、  
既に薫の両腕は手錠に縛られていた。  
鞄を提げるフックにでも引っ掛けられたのだろう、  
真島の両手が自由になっても薫の上半身が起こされることはなかった。  
「どういう――」  
怒りに上気した薫にも、真島は答えなかった。  
豊かに張りだしている彼女の乳房を、ほぐすように揉んでいる。  
それから、じらすようにボタンをはずしていった。  
ひとつ、ふたつと薫の目を見据える。その瞳は狂気の中にありながら、  
誰よりも清い世界に生きるもののようにも見えた。  
真島の言葉が、目が、脳裏に、現実に巡っている。  
薫はちらちらとまるで途切れないフラッシュバックでも  
見せられている気分だった。  
真島の手は、下着の上から巧みに薫を楽しみはじめた。  
いつか桐生が購入してきたものだった。  
若い弾力に満ちた豊乳は、彼の指を拒むように押し返す。  
感じてなるものか。  
薫は非情な侵略者の陵辱に耐えようと、目をかたく閉じた。  
 
「ほらな」  
肋骨の辺りに、真島の指を感じた。  
薫は下着をずりあげられる感覚に寒気をおぼえ、  
歯を軋らせる。  
「なあんも見えへん」  
薫は反論せんと口と目を開いた。だが真島の指先が  
屹立しはじめた乳頭をつまみあげると、途端に力は奪われてしまう。  
ベージュの蕾をこするように転がしながら、真島は彼女をいたぶった。  
「……っく」  
女の弱点を突かれ、薫はついに呻き声を上げた。  
苦しげにも聞こえるそれにはしかし、裏打ちされた色が  
覆いかぶさっている。拭いきれない獣欲をとらえると、  
真島は更に責め苦を与えていく。  
まるで彼女を罰するような手つきだった。  
ぐりぐりと力任せにしていたかと思えば、急にやさしく  
――それこそ愛しい女にするように――扱いはじめる。  
その緩急に薫は、男の慣れを感じた。  
「ふ……う」  
顔を背け、二の腕のシャツを噛んだ。悔しさと情けなさが  
心を支配している。  
真島がそれ以上、言葉をかけてくることはなかった。  
もがき疲れはじめ、薫の脚から抵抗力が落ちる。  
「なんや、もうしまいか」  
試すような口ぶりに、薫は再び真島を見据えた。  
彼女の全力の抵抗にも、動じる様子は一切ない。  
この男の化け物じみた体力に、薫は畏怖さえおぼえた。  
「……女に不自由してんのかいな」  
せめてもの皮肉だった。唾を飛ばしてやってもよかったが、  
下手に刺激する気にはなれなかった。こういった経験が  
なかったわけではない。これまでは相手が隙を見せた  
その瞬間、鮮やかに形成を逆転して逃れてきた。  
 
「わし好みのええ女が、なかなかおらんだけや」  
今度は真島が、面倒そうな言い方をする番だった。  
それはただ表情を打ち消しただけにも見えたし、  
物にでも相対するかのような態度にも似ている。  
薫はじわじわと、真島に絡めとられはじめていた。  
手負いの相手と油断したのが間違っていたのだ。薫は己の甘さを叱咤した。  
そして意識を他へぶれさせそうになるたび、  
真島は新しい愛撫を開始する。首筋の傷痕から鎖骨、  
乳房と舌がのたくっていった。先ほど見つけた薫の弱点を  
唇がとらえ、左右に振ってはなめ上げる。  
口ひげが膨らみ始めた乳暈をくすぐっては、薫の性感を刺激した。  
「……くう……ああ」  
声を殺そうと、必死に抗った。しかし場数は真島のほうが上のようで、  
彼がその手を緩めることはない。ついに薫の唇から、  
かすかながら甘い声が漏れた。  
「ええ声、出るやないの」  
いけず、とでも続きそうなおどけた口調だった。  
しかし真島の目から感じるものはもっと冷たく、酷薄なものだ。  
薫はまるで、蛇でも睨まれたように体を硬くした。  
真島の舌技は練磨されたものだった。素人女だろうと  
玄人女だろうと、この快楽に逆らうことができるのは  
よほどの不感症だけだろう。  
まして薫は、何も知らない少女ではないのだ。  
男と寝たことは勿論、抱かれるようにしたことも  
抱くようにしたこともある。  
しかしそれは、あくまで同意の上でのみの経験だ。  
このように一方的な愛撫で、体をくねらせたことはなかった。  
「あふ……っ……ああ、んん」  
鼻にかかった嬌声を搾り出すように、真島は乳首を吸い上げた。  
勢いよく解放してはこねくりまわし、小さな穴を抉るようにつつく。  
薫はなす術もなく、逃れる力さえ奪われ、ただ喘いだ。  
「やめ……」  
思考は既に、本能へと傾き始めている。  
理性は薫のプライドを懸命に支えたが、女の悦びが  
体の芯を走ってくるのだ。それ以上、言葉らしい言葉を  
発することはできなかった。  
 
脚を閉じさせたまま、ついに真島はベルトへと手をかけた。  
さすがに下腹部へその支配が広がろうとすると、  
薫の脚がばたつく。  
「なんや姉ちゃん、まだ元気やんな」  
簡単なバンド形式のベルトはあっさりと引き抜かれ、  
テーブルにのせられる。真島にがっちりと押さえ込まれた今では、  
それを奪って攻撃を仕掛けることもできないだろう。  
少々乱暴にホックを揺さぶられ、へそに刻まれていたしわがぶれた。  
上下そろいの下着が少し、顔を出す。うっすらと  
桃色に染まった腿の付け根はいまだそのショーツに覆われ、  
汗ばんでほのかなにおいを醸している。  
女のにおいだった。真島は目を細めると、  
しゃあないなとでもいいたげに笑う。  
折り目のついたスラックスを無造作に、足首まで引き摺り下ろす。  
ダイヤの形に脚を開かせ、肉づきのよい恥丘を眺めた。  
膝蹴りでも飛んでくるかと真島は構えたが、  
予想以上に薫の体は喜悦に緩んでいるらしい。  
スラックスを思い切ってひき脱がせると、彼女は咽喉の奥で  
ひっと声を詰まらせた。  
恐怖ではない。  
女の体は、期待を擡げはじめているのだ。  
真島の両手が、足首をしっかりと掴む。こんなにも  
傷にまみれ、体中が疲労で軋んでいるだろうに、  
何処からそんな握力を引き出しているのだろうか。  
真島の手は振りほどこうにも、  
『どうすれば人間の力を殺せるのか』を知りきったものだった。  
まだ年若い薫とは年季が違う、といったところだ。  
その上、今の薫に残された力は予想以上に残っていない。  
真島のテクニックと万力のように動かない圧倒的な力、  
そして己の手錠。それらに封じられた女体は理性を裏切り、  
本能に身を委ねる。  
何より薫が戸惑ったのは、どんな形であれ彼の支配を許したのは、  
その瞳のせいだといえた。  
 
深い黒色。よく見ると鳶色の混ざったそこには、  
妖しげな狂気が滲んでいる。口づけできるほど傍で、  
あの眼差しを向けられたなら、たとえ他の誰であっても  
屈してしまうに違いないだろう。  
薫はしかし、それにも抗うだろう男を知っていた。  
たとえ鼻先に凶器を突きつけられ、幾度打ち倒され、  
すべての四肢をもぎとられたとしても、あの男ならばきっと屈しない。  
あの、桐生一馬という男なら。  
だが真島の眼には、それだけでは片付けられない何かがあった。  
桐生にもない、どうしようもなく複雑な色彩。  
それは桐生が相対したとしても  
見切れない――つまりそこが『読めない』――部分なのだろうと思った。  
 
「――あっ?!」  
不意に薫は声を上げた。脳裏に浮かんだ男のイメージ、  
真島に対する疑問が一気に吹き飛ぶ。  
ショーツの中心へついに、真島の指が伸びたのだ。  
「姉ちゃん、集中せんと。おもろないで」  
面白いのはあんただけや、と口にする余裕もなかった。  
真島はそれだけいうと、薫の割れ目を丁寧になぞりあげはじめたのだ。  
既に潤っていた秘所はくちゅくちゅと淫猥な水音を奏で、  
与えられる悦楽に身をもって応えている。真島はショーツをずらすと、  
はみだしてきた陰毛を指に絡めた。真島の予想よりも濃かったが、  
それによって増幅されたのは落胆ではなく興奮だった。  
「すましてても、こっちはえらいあばずれやな」  
真島は強引にさらけ出させた秘唇へ指をずらした。  
透明な液体を垂れ流しながら、薫は指を拒んだ。  
しかし蜜の理由は決して、単純な防御本能だけではない。  
心のどこかでこの男を、生物学的な男として認めているのだ。  
そしてそれは今の薫に、嫌悪感ではなく性感として伝わっている。  
薫は必死に、理性を振り起こそうとした。そのたびに  
真島の指はクレヴァスをなぞりあげ、敏感な肉芽のシルエットを描き出す。  
せめて、と改めて瞳を伏せようとした瞬間、先刻の言葉が過ぎった。  
――なあんも、見えへん  
薫は唇をかみ締め、真島を見下ろした。双乳の谷間から、  
彼の姿をねめつける。視線に気づき、真島が顔を上げた。  
太ももをぐいと押さえ込み、にいと口角を吊り上げてみせる。  
「やればできるやないか」  
薫はそれ以上、彼と言葉を交わす気になれなかった。  
それは真島の声色が妙な色を含んでいたからだ。さながら、  
できの悪い子供をあたたかく見守っているような、  
そんな口調だった。  
「……っひい!」  
ひときわ高く、薫の声が跳ねた。真島の指がついに、  
花弁を押し広げたのだ。色は甘やかなサーモンピンクで、  
使い込まれている印象はない。真島は奥をのぞき見るように、  
ふっと息を吹きかけた。  
「あっ!」  
その刺激に、女の口は音をたてて開いた。さらさらとした潮流は  
重力に従い、尻の割れ目に向かって進んでいく。  
真島は強引に開いたそこを指でささえたまま、  
徐々に主張し始めた陰核へと目を留めた。人差し指で根を支えると、  
ぐいと力を加える。皮に覆われていた真珠のようなそれは、  
一気に姿をさらけた。  
「あうう」  
薫の声は、その行為がはじめてであることを悟らせた。  
 
セックスといえば適度に体をなぞり、唇をねぶりあい、  
棒を挿しこまれて吐き出され、自分も果てる。  
そういったことしか知らない、女の声だった。  
真島は目を細め、薫の目を見返した。閉じてはいない。  
よく見ると長い睫毛が震えながら、必死に快美に抗おうとしている。  
「きれいな声や」  
一瞬真島の眼差しに、狂気以外のものが宿る。  
あの複雑な色合いだった。薫が戸惑ったか否か、  
それを打ち消すが如く苛烈な指責めを再開する。  
既に彼の瞳に、あの色はない。  
真島の節くれだった指を、はじめこそ一本しか受け入れなかった  
薫の内部はひくひくと痙攣しはじめていた。それが緩み、  
二本、三本と指が増えていく。半ばまでしか果たせなかった侵入を、  
奥までと進めていった。膣の裏側を指の背でこすってやると、  
それまでとは違った反応が返ってくる。慣れた女陰は  
真島を放したがらず、きゅっと締め付けてはうねった。  
むき出しにした陰核と同時に刺激してやると、薫の唇からは  
苦鳴にも似た声が溢れる。  
「っふう、っく……あ、あん、ああ」  
それは真島を拒もうとしても拒みきれない、  
与えられる悦楽の波濤に抗うことのできない女の声だった。  
彼の指はその間にも着実に、心と体を踏みしめていく。  
「くひ……あ、いく、や、いっちゃう」  
薫の口から、反射的な言葉が漏れた。がくがくと身を震わせ、  
宣言通り絶頂に達する。白く濁った液体がとろりと溢れ、  
真島の指に絡んだ。薫の意識は一瞬、本気で真っ白になる。  
不意に真島の指が離れた。薫の足首を片方、ベルトで  
テーブルの脚へくくりつける。抵抗する力はとうに失せていた。  
彼を欲しているとはいえない。だが、彼を否定する気力も奪われていた。  
真島は手術室に一度引っ込み、物音をたててからじきに出てきた。  
その指先には何かがつまんである。  
薫はぐいと顔を上げ、それを確かめた。コンドームのようだ。  
「できても困るのはお互い様、ちゅうこっちゃ」  
ここまでしておいて、何もしない男はいないだろう。  
薫は一瞬でも、彼が諦めてくれるのを期待した自分を嘲った。  
ジッパーを下ろす音に振り返る。真島が自分の股間に、  
手をやっていたところだった。モスグリーンのブリーフから、  
男根が顔を突き出す。長さこそ標準前後といったところだが、  
特筆すべきはその太さだった。雁首との段差もきつく、  
まさしく女泣かせの代物といえるだろう。薫は息を呑み、  
下ぞりの獰悪な鎌首を見据えた。  
 
「欲しなったか」  
真島の声に、何処からか振り絞った感情を乗せた目で返す。  
それはとろけきっていた意識を打ち払い、薫に、  
いつもの眼力を取り戻させた。  
薫は自由に動く足首をばたつかせてはみたが、  
みだらに踊っているようにしか見えなかった。  
まな板の上の鯉とはよくいったものだが、滑稽以外の何ものでもない。  
動く足を真島の手がとらえた。理性がまたも顔を出したからといって、  
力の差が埋まるわけではない。薫はさっと青ざめ、  
それでも真島をはねつけるように見た。  
「よう見とけ」  
白いゴムの内側から、赤黒い一物の色が透けて見える。  
強引に開かれていたはずの秘部はいまや、  
真島の剛直を受け止めようと吸いつかんばかりだった。  
「あああああっ」  
張り出した雁首が突っ込み、ついに真島は薫の内部へ  
己をおし進めた。はじめはゆったりとさしこんでいたが、  
半ばまで入れたところで一気に貫く。薫の体が大きく反り返った。  
太く熱い鏝のような楔が、胎にいる。  
薫は味わったことのない感触に、背筋を這う寒気すらおぼえていた。  
今はまだ、それを快楽と呼ぶことはできない。  
真島はしばらく動こうとせず、伸縮と弛緩を繰り返す  
薫の内部を楽しんでいるようだった。その掌は  
熟れた果実のような乳房をもみしだき、薫自身の性感を高めているようにも見える。  
掌の中で、硬いものを感じた。乳首が勃起しはじめているのだ。  
真島はそれを合図として、腰を打ちつけはじめた。  
「ひいっ! あん、あ、あっ」  
一気に引き、叩きつける。はじめはこうして揺さぶり、  
彼女の力をねじ伏せるのだ。薫はまだ理性にしがみついているのか、  
体を硬くしている。  
「息、抜いたほうがええで」  
真島はくすぐるように、腰の動きをゆるめた。薫の奥をつつき、  
うねうねと搾り取るように反応する膣を歓迎する。  
具合のよさに眉をひそめたが、太ももの内側に力をこめ、  
真島は己の射精をコントロールした。  
乳房から片手を離すと、秘所へ再び指を伸ばす。  
真島の陰毛にこすれ、尖りきった小豆をとらえた。  
腰の動きにあわせ、リズミカルにこすりたてていく。  
弓なりになった薫の背中に手を回した。真島は肘で  
その体を支えながら、乳首に口づけた。歯で軽くはさみ、  
転がしては吸い上げる。薫はつつかれるのと吸い上げられるのに  
弱いらしい。そのたびに内部がきゅっと真島をはさみこんだ。  
 
「あっ、あうん、あんん」  
薫の腰が、かすかにうねりはじめている。それを感じると  
真島は、ことさらに腰を打ちつけた。  
もう責めるような言葉は必要ない。真島はただ、  
自分が快楽を得ることに集中した。  
薫の眼差しを感じていた。  
自然と瞼を閉じ、真島は顔を背けた。それでええ、と口元で囁く。  
薫に届くのは肉のぶつかる音だけであろう。だからこそ、  
真島は口にしたのだ。  
最後のストロークに突入した。真島は呻きながら腰を回し、  
薫のとろけきった内部をこそぐように揺さぶっていく。  
「もう、あか、ん」  
薫の唇から涎が伝い、真島の与えた傷痕に辿り着いていた。  
それ以上何かを語らせる気はなかった。真島は思い切り、  
噛み付くようなキスを降らせる。薫の唇を慈しむように貪りながら、  
鼻に抜ける喘ぎを感じた。  
「は……っふ、うう、んううう……!」  
薫の中が震えた。舌を絡めとられたまま、体をぴんと突っ張る。  
「……ふうっ」  
真島もそれに呼応するように、ゴムの内壁へと  
白濁をたたきつけた。呻いただけではあったが、  
真島が眉をたわめて声を漏らしたのは久方ぶりだった。  
体を持ち上げ、彼女から脱する。  
股間のものはまだ少し硬度を残していたが、こすって  
ゴムをそぎ落とすと、管の残滓までを吐き出した。  
 
「……鍵」  
真島は近くのティッシュを拾い上げ、己のものを  
ふき取りながらいった。薫の脇に箱を放る。  
しばらく息を荒げ、薫は天井を眺めていた。  
声に反応して目をあわすと、ぱくぱくと口を開閉させて答えた。  
「……スーツ。内ポケットの、なか……」  
真島はいわれたとおりの場所から鍵を取り出すと、  
薫の両手を解放した。腕時計の少し上に、  
散々抵抗した痣が見られる。暗い悦びがよぎった。  
薫は解放されても、しばらく動かなかった。  
数十分経っただろうか。ゆっくりと身を起こすと、自分で  
処理を施していく。下腹部や胸を簡単に拭い、  
シャツを調えてベルトを締めなおす。やぶれてしまったストッキングは  
はさみで切り、刻んで捨てた。数分を待つと、  
いつもの気丈な薫がそこに在る。真島はそのタフさに感心した。  
彼女の双眸は、まっすぐに真島を見据えている。  
はじめのころにあった迷いは失せていた。宿っているのは  
強い憎しみだろうか、それとも何も感じていないのだろうか。  
ただ、熱っぽく潤んだ眼差しは、来るべき真実から逃げない強さを  
培っていた。  
ベッドで一服する真島に背を向け、薫は何もいわずに扉へ向かう。  
「パクらんのか」  
真島の言葉に、薫の足が止まった。ノブを握った白い手が停止する。  
灰がもう少し伸びたとき、薫が振り返った。  
「しょうもない」  
今度こそ、彼女は止まらなかった。階段を乱暴に降る音が遠く、  
小さくなってやがて失せる。  
真島は灰皿を引き寄せ、煙草を押しつぶした。  
 
窓を見やる。雪がちらついていた。柄本は何処までいったろうか、  
と思った矢先、ドアが開く。外套姿のままの柄本が佇んでいた。  
「派手にやりやがって」  
声に怒りはなかった。どちらかといえば呆れに似た響きを含んでいる。  
情香をかき消すように窓を開き、彼もまた煙草をくわえた。  
「狙っとったやろ」  
振り返ることもなく、真島が返す。柄本は首を振り、続けた。  
「人の診療所で、女犯す患者がいるか」  
「ここにおるで」  
真島は悪戯っぽく笑い、皮肉った。彼自身からすれば  
それは皮肉でもなんでもなかったのだろうが、  
柄本にとっては手のかかる子供と同じだった。  
「授業料、や」  
真島は固く縛ったゴムを、生ゴミの入った箱へ放った。  
「大体こんなん、わしの仕事やないで。桐生ちゃんがやったったらええ」  
肩をすくめ、彼女の『悪役』はおどける。  
「筋違いもええとこや」  
柄本は半分になった煙草を灰皿に預け、  
机に乗っていた日本酒を突き出した。伏せてあった猪口を  
真島に差し出してやる。  
「痛むだろ。麻酔代わりだ」  
何処の話や、と尋ねることはなかった。真島が猪口をつまみあげると、  
柄本がその杯になみなみと酒を注ぐ。  
一気に呷り、窓から夜空を見上げる。  
「――ああ、しんど」  
真島はそれだけいって、かつての弟分と、今、通り過ぎた女を思った。  
 
 
 
筋違い -完-  
 
 

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