ここは、私の家。私が1人で暮らすには、広過ぎる家。
だから戸神さんを呼んで、さみしさを紛らわそうとした。
でも、何回キスをしても何回夜を過ごしても、心は空っぽのまま。
「静奈さん?」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事してて…」
「お茶でも淹れましょうか」
「…お願いします」
身体を動かすと、大きなシャツから戸神さんの匂いがした。
一番好きな匂いのはずなのに、今はなぜか、突き刺さるように痛くて…
膝を抱えて俯くと、蛍光灯の光を反射するフローリングが視界いっぱいに広がる。
それを見るのが辛くて、ぎゅっと目を瞑った。
泰にいがいたこの場所。
ろくな布団も敷かないで、風邪ひいちゃいそうな格好で寝てたっけ。
私がどんなに遅く帰ってきても、いつだって「おかえり」って言ってくれた。
優しくて、哀しくて、弱い人。
いなくなるなんて、考えた事も無かったな。
「ここに置いておきますから、好きな時に飲んでくださいね」
「はい…」
戸神さんだって、泰にいと同じくらい優しい。
私のことを、心底愛してくれている。
幸せになれる条件が数え切れないほどいっぱいある。
でもね、泰にい。
戸神さんと一緒にいると、今までの苦労も涙も忘れそうになるの。
3人で過ごしてきた記憶がどんどん薄れていっちゃうんだよ。
それが怖くて仕方ないの。
「静奈さん、先に休んでもいいですか?」
「はい… あ、 あの、カーテンは閉めてくださいね」
「分かりました」
ざ、とカーテンが閉まった音。
小さく聞こえる衣擦れの音が止んだのを確認して、目を開けた。
揺れる視界の中にフラッシュバックするのは、幸せな日常で。
キャバクラから帰った泰にいが香水の匂いをふりまいているのにイライラした日のこと。
おにいからもらった台本を2人で真剣に読み合わせした日のこと。
戸神さんを好きになって、泰にいをひどく苦しませた日のこと。
でも、どれももやがかかったみたいにはっきりしないんだ。
ただひとつはっきりと思い出せるのは、泰にいの切なげな横顔だけ。
「…っ、」
頭を振って、泰にいの揺れる視線をかき消そうとした。
でも消えてくれなくて、涙ばっかりぽろぽろ零れ落ちていく。
辛くて、苦しくて、カーテンを開けてベッドへと走った。
寝ぼけ眼の戸神さんの上に跨って、ワイシャツを脱ぎ捨てる。
目を丸くしている戸神さんにキスを落として、涙を堪えて声を振り絞った。
「もう一度抱いてください」
「………え?」
「お願いだから…、抱いてください…っ!」
窓の外の空には、孤独な月がぽっかりと浮かんでいた。
しー、お前は戸神と一緒にいろ。まっすぐなあいつが好きなんだろ?
あいつに幸せにしてもらえよ。今までも分も、これからの分も…