「泰にぃ、あのね。お願いがあるの」
この春に高校を卒業し、施設を出て三ヶ月。
三兄妹の末っ子であり、今はひとり施設に残り高校に通う妹が、数週間ぶりに俺のアパートに尋ねてきたと思うと、開口一番にこう言った。
「しーとえっちして?」
思わず俺の耳は、「CとHCT」と聞き取った。
「ダメ?」
…ダメじゃないけど。本心を言えばむしろ願ったりかなったりだけど。
「いや、ダメだろ」
と自分に突っ込み。
ぽろりと本音が出そうになった自分に焦る。
「んもー」
顔を顰め、濡れた髪を大きなタオルで乾かしながら隣に腰掛ける静奈。
しかも恋人達のムードを盛り上げる、手触りの良い準シルクシーツのベッドの上、だ。
『見るだけでいいから』と若い愛人にそそのかされてヴィ●ン直営店に連れて行かれる不倫オッサンよろしく、静奈の『この際、雰囲気を味わうだけいいから』という言葉に折れてラブホに連れて来た俺は、たぶんその時点で負けだった。
後戻りできなさそうな予感に、俺は頭を抱えてうつ伏せにベッドへ横たわる。
「じゃあ泰兄はカノジョとラブホにきても何にもしないわけ?そんなわけないでしょ」
それ以前に、お前カノジョじゃねーじゃん。妹じゃん。
とはなぜか言えないヤマシイ気持ちを持ってる俺。
それどころか、ちょっと嬉しいなんて思ってたりして。
兄貴でも他の男でもなく、まず初めに俺のところにきてくれたことを。
ああ悲しき男の性。
「往生際が悪いなあ。しーはもう処女なんてイヤなの!協力してよ、泰兄」
協力といえば聞こえはいいが、犯罪に巻き込まれてるだけだろ、俺が。しかも一方的に。
「処女はイヤ…ってだいたいお前まだ高一だろ。処女でいいんだよ処女で」
「だって周りの友達はみんなもう体験済みなんだよ!」
「ヒトハヒト、ワレハワレってよく兄貴が言ってんぞ」
「なにその呪文。泰兄だって中三で童貞捨てたくせに」
「ちょ、お前がなんでそんなこと知ってんだよっ」
焦りながら顔を上げると、そこには薄っすら濡れた唇。長い艶髪から滴り落ちる水滴。
「泰にぃのことならなんでも知ってるもん」
なんて、小悪魔な微笑み。
静奈が羽織るバスローブの胸元に覗く、思わず指が吸い寄せられそうになる桃色の肌。
あーやばい。
これは本格的にやばい。
「……ねぇ、泰兄はえっちしたくないの?しーが相手じゃ魅力ない?」
片手の指先だけを絡めて、甘えん坊な上目遣い。
シャンプーの香りが悩ましく鼻腔をくすぐる。
たぶん五十パーセントは天然で、残りの五十パーセントはどうすれば兄達を思い通りにできるのかを自然に身につけてしまった、この…。
「小悪魔」
「なによぉ」
目のやり場に困る、というよりもある種の危険を感じ、俺は勢いよく枕に顔を押し付けた。
魅力がないわけがない。むしろ俺には魅力がありすぎて困るんだよ。
兄貴、すいません。
もともと知性とか理性とかそういう人間的成分が人様に比べてだいぶ欠けている俺は、なんかもう色々とダメそうです。
いや、もう確実にダメだ。
ラブホについてきてる時点でダメだったんだから。
つか、なんでここまでついてきちゃったんだ、ダメ人間泰輔。
……そうだ。
結局は若い愛人にブランド物を買わされる不倫オッサンのように、俺は薄々分かってたんだよ。
どうせ最初から惚れてる女に敵うわけがないと。
そんなことを思いながらも、なんだかもう思考がとろけ始めてきている。
酸素が欠乏して、思考回路が鈍足化してる。そして判断力が低下するという悪循環。
「……泰にー、それ死んじゃうって」
「むしろこのまま殺してクダサイ」
「だーめ」
そっと枕を抜き取られると、数十秒ぶりの新鮮な空気が肺をいっぱいにする。
上半身を起こすと、唇が重なりそうなほど近いところに静奈がいた。
触れ合う二人の吐息はすでに熱を持っている。
「じゃあ、キスだけでいいから」
「キスだけ?」
「うん」
「キスだけ…」
「うん、キ・ス・だ・け」
我が妹ながら脱帽する。
こいつは将来、とんでもない魔性の女になりそうだ。
よい子は決してまねしてはいけません。コイツのことも、……俺のことも。
「……じゃ、いっか」
なんて、静奈の腰を引き寄せて、俺は遠慮なく唇を重ねた。
もちろんキスだけで終わるわけがない。