破壊女神サイヴァが自らの小指から生み出した
息子エロールの手によって打ち倒されたのは遥か昔の事─
永い戦いを終え、ようやく平和が訪れたが、その代償はあまりにも大きかった。
創造神マルダーが作り上げたマルディアス。
かつては生命があふれ、活気に満ちあふれていたその世界は
戦いの犠牲となり、ほぼ全てが壊滅していた。
あぁ、なんて事だ。
これではサイヴァの目論見どおりとなってしまったではないか。
我々は一体、何のために戦ってきたというのだ。
マルダーを始めとした多くの神は、この世界に絶望し
また新たな世界で神として君臨するために、マルディアスを捨てた。
ただ、二人の神を除いて。
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乾き、戦いの残骸が残る大地の上で、一人の女神が俯き、座り込んでいた。
かつてはつややかで、乳白色の美しかったその肌も
酷く傷つき、赤い腫れまで見える。
腕に抱えた稲穂も、彼女が胸に抱けば黄金の輝きを見せていたが
今では茶色く枯れかかっていた。
「ニーサ」
凛と透き通ったその声に、名を呼ばれた女神は顔をゆっくりと上げた。
荒れ果てた大地の肌を、風がいたぶるように流れると
銀に輝く美しい髪が、彼女の視界を横切った。
「エロール…?」
破壊女神サイヴァを倒した英雄。
そして、自分の母を裏切り、母を倒した息子─光の神、エロール。
そんな彼が、ニーサの前に立っていた。
「泣いて…いるのですか?」
「…泣いてなんかいないわ」
ニーサはそう答えながら顔を伏せるが、
真珠のような涙の粒は、雫となって大地に零れ落ち、乾いた土へと吸い込まれていった。
以前は彼女が悲しみで涙を零せば、そこから芽が生え、美しい花が咲き、甘い果実が実り
それらが彼女を慰め、笑顔をもたらせていた。
だが、今の荒れ果てた大地にそのような力などあるはずも無く。
また、今の彼女にも慰めをくれる者も居ないのであった。
「…エロール…貴方が貴方の母を裏切って
私たちの側についたか、私、知っているわ」
「…どのような理由と?」
「貴方は、この世界が欲しかったのでしょう?
貴方が生まれた時は、まだマルディアスも美しい世界だったから…
そうでしょう?エロール」
悲しみと行き場の無い怒りに満ちた表情で、ニーサは涙で濡れる瞳をエロールへとぶつけた。
「えぇ、その通りです。私はこの世界を自分のものにしたかったのです」
整ったその表情をひとつも変えず、エロールは答えた。
それを聞くと、あぁやはり、とニーサは嘆いた。
「…そう、でも見て?」
白く細い腕を伸ばして、ニーサはエロールにマルディアスの大地を見せる。
「こんな荒れ果てた世界、誰が欲しがるのかしら?
皆、マルディアスのために戦った。
けど、永い戦いですっかり世界は壊滅してしまったわ。
…あぁ…お父様も、兄弟も、皆行ってしまった。
壊滅してしまった世界など、要らないって言って」
彼女の瞳からは、涙が止まる事も無く流れ続けた。
「貴方もそうなのでしょう?
荒れ果てた世界なんて、欲しくないのでしょう!?
さぁ!行ってしまって!お父様と同じように他の世界へ行ってしまって!
そうして私の前に、二度と姿を現さないで!!」
ヒステリックに叫びながら、ニーサは手で顔を覆い、泣き叫んだ。
それは、大地を荒らされた悲しみと、親兄弟に捨てられた悲しみ。
そして、目の前に居る男への怒りだった。
…だが─
「…いいえ。私はこの世界へ残ります」
マルディアスを欲した男は、意外な答えを口にしたのだ。
「私、は─確かにこの世界を望んでいました」
エロールは腰をかがめ、ニーサの顔を覆い隠す彼女の手を握って退けさせ
驚きを隠せていない彼女の瞳を見つめた。
「…生まれて初めて目にしたこの世界。
それはそれは本当に美しかった…。
そしてこの大地にも、私は心を奪われた」
「この…大地…?」
エロールの言う内容に、いまいち理解できないニーサは
彼の言葉をおうむ返しする。
「しかし、戦いが続き、世界が傷いて大地も傷つき、悲しみで涙を流した。
…私はその光景を見ているのが辛かった。嫌でした。
だから私は母を裏切りました。私は守りたかったのです」
「母を裏切ってまで、手に入れた世界を…
大地を、どうして捨てる事が出来ましょう?」
ニーサを手を握ったまま、エロールは言葉を続けた。
「私は、愛してしまったのです。
この世界を、大地を。大地の女神、ニーサ、貴女自身を」