辺境の地、バルハラント。  
騎士団領とを隔てる山々を越えた先、突如目の前に広がったのは広大な雪原。  
どんよりと灰色の雲が覆う空を反射して辺りは昼間だというのに薄暗く、彼方には空と同じ色をした海が見える。  
雄大だがどこか物悲しい雰囲気を漂わせた景色に、誰もがしばらく口を閉ざす。  
 
「何だか、寂しい風景ね」  
 
バタバタと吹き荒れる風に流される髪の毛を押さえながら、クローディアはポツリとそう漏らす。  
彼女が住み、育ってきた緑豊かな森に比べれば、さぞかしこの土地は侘しい物に映るのだろう。  
 
「…話には聞いていたが。まさかここまでとは、な」  
「かー、寒ぃ寒ぃ!これで暖冬なら、いっつもはどうだってんだ。お前ぇら、よくこんな辺鄙なとこに住んでんな」  
 
フード付きの外套の前を合わせて寒いを連呼するホークに、シフは困ったように苦笑いを浮かべる。  
 
「こんな所でも、住めば都ってね。これでも良い所もたくさんあるんだよ」  
 
都会の喧騒とは無縁だし、金銭や権力争いといった薄汚くきな臭い話題とも縁遠い。  
目新しい物はこれといってないが、海の幸に山の幸、何より村で作られる地酒は絶品だ。  
村に着いたら目一杯振舞ってやるよ、そう言ったシフにホークは口をへの字に曲げて肩をすくめた。  
 
「はん、どうだかねぇ。こんな僻地のド田舎だ、期待せずに待ってるさ」  
「なんだい、酷い言いようだね。アル、あんたからも言ってやっておくれよ。バルハラントも捨てたもんじゃないってさ」  
「そう、アルベルトはバルハル族の村に行った事があるのよね。…ねえ、アルベルト?」  
 
ザクザクと凍った雪を踏みしめながら歩き続けていたクローディアが、一人遅れがちになっていたアルベルトの様子を伺うように振り返る。  
その顔が、寒さにではなく驚愕によって凍りついた。  
 
「きゃああああっ!」  
 
突然響いた悲鳴に、先を歩いていたシフ、グレイ、ホークの三人が武器に手をかけて一斉に身構える。  
 
「クローディア!」  
 
三人の目の前で、クローディアの体がゆっくりと崩れ落ちてゆく。  
そして、その体越しに現れたのは。  
 
「ア…アル?」  
 
今まさにクローディアを襲った長剣を構え、アルベルトは微動だにしない。  
が、信じられないといった風に震える声で呼んだシフに、肩がピクリと反応した。  
ゆらりと顔を上げたその目は、今の空をの色を映しているかのように暗く濁っていて。  
ゾクリと背中を這い上がってきた悪寒に、シフは思わず体を震わせる。  
 
「一体どうしちまったんだい、こんな…」  
 
そうシフが言い終わるよりも早く、グレイはアルベルトの背後へと回り込むと、渾身の力を込めて彼の後頭部を刀の柄で殴った。  
その突然の行動に、シフは批難の声を上げる。  
 
「グレイ!何て事するんだいっ!」  
「みね打ちだ、心配するな。それに今のアルベルトが正気じゃ無い事ぐらい分かるだろう」  
 
それとも、斬られてやるつもりだったか?  
刀を鞘に納めてシフを睨み付けると、グレイは雪原に伏したアルベルトの腕を掴んで引きずり起こす。  
強い衝撃に目を回してはいるが、しばらくすれば回復するだろう。  
そしてホークに抱えられたクローディアに駆け寄ると、傷の程度を確かめた。  
 
「…大丈夫だ、気を失ってはいるが傷は浅い」  
 
そう言ったグレイに、シフはほぅ、と胸を撫で下ろす。  
 
「だけど、何だってアルがクローディアを攻撃するんだい?」  
 
正気じゃなかったとすれば、操られていたと考えるのが妥当か。  
しかし近くに魔物の気配は無かったし、術法が発動した形跡も無い。  
 
「いや、アルベルトを打った時、何かが動く気配を感じた。  
 術や技で操るのではなく、直接相手に憑依するタイプの魔物とは考えられないか?」  
「そんなやつ、いるのか?」  
「さあな。だがここは未開の地だ。確認されてない新種や突然変異種がいてもおかしくはないだろう」  
「だとしたら、厄介だねぇ。仲間の姿を真似るならまだしも、本人そのものじゃ攻撃のしようがないじゃないか」  
 
敵だと判っていても、見知った姿を攻撃するのは誰だって躊躇うし戸惑う。  
嫌なところを突いてくるなんて、敵も存外に賢くなってきたもんだと苦々しく思う。  
 
「とにかく、先を急ごう。…グレイ、あんたはクローディアを頼んだよ」  
 
そう言ってアルベルトを抱き起こそうとした、ちょうどその時だった。  
 
「シフ、危ねぇっ!」  
 
何事かと振り返る間もなく、強い力に突き飛ばされてシフは雪の上に倒れ込む。  
そして慌てて起き上がった鼻先を、ちっ、と刀の切っ先が掠めた。  
 
「ホーク!?」  
「…ああ、今度は奴らしいぜ」  
 
ごくりと喉を鳴らして、ホークは片手斧を構える。  
その目の前では、グレイが刀を構えたまま必死に何かと戦っていた。  
 
「くそっ、何かが、入ってきやがる…!」  
 
じわりじわりとどこからか侵入してくるそれは、徐々に体の自由と意識を蝕んでゆく。  
その「何か」を堪えるように片手で顔を覆うと、グレイは何度も大きく頭を振って正気を保とうとする。  
しかしその意思とは裏腹に、握った刀の先は絶えずシフを捕らえていて。  
確実に間合いとタイミングを計っているから、どちらも一瞬たりとも気が抜けない状況が続く。  
 
「ぐ、ああああっ!なめる、なぁっ!」  
 
そう叫んでグレイは予備に帯刀していた短剣を掴むと、ガッ、とそれを自分の影へと突き立てた。  
その時だった。  
ぎゃぁ、と何も無い空間から悲鳴が聞こえて、次の瞬間ゴボリとグレイが口から血を溢れさせる。  
多量のそれはボダボダと落ち、真っ白な雪の上へと赤い染みを広げてゆく。  
 
「グレイ!」  
 
シフが悲痛な声を上げ、駆け寄ろうとするのが見えた。  
そんな彼女の腕を掴んでホークが止める。  
そして何かを問い掛けるように見つめてきた彼に、グレイは微かに笑って一つ頷いた。  
 
「俺を斬れ、シフ!」  
 
とんでもない言葉に、シフの体が強張った。  
 
「なっ、何馬鹿な事言ってんだいっ!そんな事出来るわけないだろう!」  
「俺なら大丈夫だ。だから…!」  
 
ゲホッ、と大きく咳き込むと、喉の奥に溜まった血がまた口から流れ落ちる。  
思わず口元を覆った手のひらに、べっとりと付いた真っ赤な血。  
ぎゅ、とそれを覆い隠すように握り込むと、グレイは腹に力を込めて叫んだ。  
 
「早くしろ!そんなに長くはもちそうもない…っ!」  
「だけど、そんな事したらあんたは!あたしには、出来…」  
「頼む、俺はあんたを傷付けたくはない!」  
 
このまま全てを奪われたら、自分はまず真っ先にシフを殺すだろう。  
それだけはどうしても避けたかった。  
自分がシフを傷付ける、そう思っただけで得体の知れない感情に眩暈さえ覚える。  
 
「シフ」  
 
ポン、と肩に両手を置かれて、シフは体を弾ませる。  
 
「グレイはあんたを信じてる。だからあんたも奴を信じてやれ。  
 なに、奴が簡単に死ぬようなタマかい。全力でやんな」  
 
そうだろう?と片目を不器用に瞑ると、グレイは少し引き攣ったような笑みを浮かべて頷く。  
それを確認すると、シフは観念したように大きく息を吐き、グッ、と唇を強く噛んだ。  
 
「…歯ぁ、食い縛っときな」  
 
ガシャリと重い剣を構えると、明らかにグレイの体が本人以外の何者かの力で強張った。  
ともすれば逃げようとする体を必死に堪えて両手を広げると、グレイは渾身の力で叫ぶ。  
 
「今だ、やれっ!」  
「てりゃぁぁっ!」  
 
振り下ろした剣がグレイを捕らえ、両腕を広げた体を斜めに切り裂く。  
その瞬間、もぞりとグレイの影が動き、ガサガサと地を這うように黒い物体が雪原を移動する。  
そして剣の先が完全に体から離れると、呆然としているシフを残してグレイは身を翻して影を追い、  
深々と手にしていた刀を突き刺した。  
 
「がっ、は…っ!」  
 
しばらく暴れていた影がようやく動かなくなったのを確認すると、グレイは刀に縋りつくように両膝を折る。  
口からはまた大量の血が溢れ、肩から腰にかけた傷は一刻の猶予も許さない程に深かった。  
 
「グレイ、グレイっ!」  
 
泣き出しそうな、そんな彼女らしからぬ声で何度も叫ぶのが聞こえる。  
横抱きに抱えられ彼女の膝に凭れ掛けさせられた時、ドクンと一際痛んだ傷にグレイは小さく呻き声を上げて眉を寄せた。  
 
「グレイ、あんた…」  
 
震える声で名前を呼ばれ、少し困ったようにグレイが表情を曇らせる。  
安心させたくて笑ってみせようとした瞬間、襲ってきた激痛と鮮血を溢れさせた傷口。  
乾き切らない血で汚れた手をゆるゆると上げて、その指先がシフの頬に届くか届かないかの所でグレイは辛そうに息を吐いた。  
 
「…ありがとう、シフ。お陰であんたを傷付けずに済んだ」  
 
ヒュウヒュウと鳴る喉でそう告げると、伸ばされた手を握ってシフが首を横に振る。  
その唇は戦慄き、何度も言葉を出そうとしては飲み込むを繰り返す。  
 
「大丈夫。俺は大丈夫だ、シフ……」  
 
喉に張り付いた血の所為で、はっきりと聞き取れたかは判らなかったが。  
握られた手を優しく振り解き一瞬だけ頬を撫でると、突然糸が切れたようにパタリと力を失って落ちた。  
 
「…グレイ?おい、しっかりしな!グレイ!」  
 
信じられないと、シフが何度呼んでも何度揺さぶっても、閉じられたグレイの瞳は開かない。  
 
「っ、グレイーっ!!」  
 
ぎゅう、とグレイの体を抱き締めて叫んだシフの声が、雪原に吸い込まれて消える。  
ツンと鼻の奥が痛んで、喉はカラカラで、頭の中は真っ白で。  
隣に立ったホークを、シフは呆然と見上げる。  
 
「大丈夫だ、って言ったろ?」  
 
そしてグレイを覆った、暖かく優しい月の光。  
 
「もーちっとの辛抱だ、踏ん張りな」  
 
そう言って続けざまにムーンライトヒールを詠唱すると、突然グレイがパチリと目を覚ます。  
ぎょっと目を剥いたシフを他所に、グレイは自分の体をざっと確認し、盛大なため息を吐き出した。  
 
「…回復遅いんだよ、おっさん」  
 
じろりと睨んできたグレイに、ホークは折角水を差さずにいてやったのによ、と舌を出す。  
 
「そりゃ悪かったな。ま、そんだけの減らず口が叩けりゃ平気そうだ。上手くいって万々歳ってか?」  
「途中、ヒヤリとはしたけどな。結果オーライだろう」  
「終わり良ければ全て良し、か。死にかけた奴にしては前向きな考えだな」  
「信じてくれる人がいるんだ、裏切れないだろう?」  
 
そう言って苦笑いを浮かべたグレイに、シフは訳が判らず二人の顔を交互に見つめる。  
そんな彼女に笑うと、ホークは空を指差して見せた。  
 
「こんな天気なのに、奴の影だけがやけに濃かった。それにさっき影を攻撃した時に、グレイ自身にもダメージがあったろう?  
 それで何つーか、ピンときたんだよな」  
 
おそらく敵はグレイの影から侵入して、同化する事で相手の体を乗っ取る。  
だからグレイを攻撃すれば奴は必ず逃げ出す、そう踏んだのだ。  
そしてその勘は見事的中した訳なのだが。  
 
「唯一の誤算と言えば、シフが本気でグレイを斬ったって事ぐらいだわな」  
 
当初の予定はこうだった。  
まずシフがグレイを攻撃して、寸止め、逃げ出した敵をグレイとホークが追い掛けて、倒す。  
それがシフが本当にグレイを攻撃した為、急遽ホークはグレイの回復のための詠唱に入ったという訳で。  
 
「まさかあそこで本当に斬るとは、思いもよらなかったぜ」  
「全くだ。斬り所があともう少しずれていたら、即死だったな」  
 
カラカラと笑い合う二人に、ようやく事情が飲み込めてきたシフはかぁっ、と頬を紅潮させる。  
 
「…なぁっ?あっ、あたしがどんな思いで!!」  
「「あ」」  
 
突然勢いを付けて立ち上がったシフに、二人同時に声を上げた。  
支えを失ったグレイは必然的に後ろへ倒れ込み、全身に走った鈍痛に声にならない叫びを上げる。  
 
「うわーっ!大丈夫かい!?」  
「……あーあ、とどめだな、こりゃぁ」  
 
いくら術で回復したとはいえ、この傷だ。  
強い衝撃が加われば痛いだろうし、気絶もするだろう。  
そのままクタリと伸びてしまったグレイに、ご愁傷様とホークは手を合わせる。  
そんな彼を睨むと、シフは噛み付くようにホークに食って掛かった。  
 
「なんだい、あたしが悪いってのかい!大体、そんな作戦があるんなら教えてくれたっていいじゃないか。  
 だったらこんなに深い傷を負わせる必要も無かったんだ!」  
「教えたら意味が無いだろが。ついでに、俺らも相談して決めたわけじゃねぇ。それくらい、推して量れや」  
「そんなの判るもんかい!」  
「しっ!黙んな!」  
 
そう言ってシフの口を手で覆うと、ホークは慎重に辺りの様子を伺う。  
まだまだ言い足りないのかモゴモゴと唸っていたシフも、その只ならぬ様子に全神経を研ぎ澄ませる。  
 
「…囲まれてるね」  
「ひぃ、ふぅ、みぃ……、ちぃっ、団体さんのお出ましだ」  
 
気配を窺っただけでも、ざっと数十はいるだろうか。  
今の騒ぎと血の匂いを嗅ぎ取って集まってきた獣や魔物が、ぐるりとシフたちの周囲を囲み始める。  
それに苦々しく舌打ちすると、ホークは片手斧の柄に手を掛ける。  
 
「面倒な事になりやがったな」  
「ま、やるしかないようだねぇ」  
 
前髪をかき上げて、シフははぁっ、とため息をついた。  
抱え上げたグレイをそっとアルベルト等と固めて横たえると、シフは三人を背にして大剣を構える。  
その反対側を、ホークが守る。  
 
「アイコンタクトなんて、あたしにゃ無理だからね」  
「はなっから期待してねぇよ、そんなの」  
「ああ言えばこう言うねぇ。あたしは気が立ってんだ、手加減しないよ」  
「そりゃお互い様だ。期待してるぜ」  
「はん、よく言うよ」  
 
そう言ってにやりと笑うのと、獣が地を蹴るのと、ほぼ同時。  
いつ終わるとも判らない戦いの火蓋が、切って落とされた。  
 
 
どれだけの時間が経過しただろう。  
もうかなりの数のモンスターを屠ってきたような気がするのに、敵の数は減るどころか増えているような錯覚にさえ陥る。  
周りには獣や魔物の死骸が散乱し、二人も決して無傷ではなかった。  
が、想像以上に長引く戦闘に、しばらくこう着状態が続いていた。  
 
「シフ、どれだけの数を倒したよ?」  
「さあね、覚えているもんかい。確か、50近くまでは記憶しているんだけどねぇ」  
「そうかい。俺は60までは数えたんだがな」  
 
背中合わせにそれぞれの武器を構え、傍らには地に伏したままの三人の仲間達。  
ぐるりと周囲を敵に囲まれた状況で、二人は集中力を途切れさす事無く話し続ける。  
 
「ホーク、あんたまだ走れそうかい?」  
「さあ、どうだか。なにせこちとら熱帯生まれの海育ちだ。陸の上となると、からっきしでね」  
 
肩で大きく息をしながら、ホークは自嘲気味の笑みを無理やり顔へ浮かべる。  
そんな彼を横目で睨むと、これ見よがしに盛大なため息を吐き出した。  
 
「…はぁ、情けないねぇ。何が、コーラルシーにその人ありと謳われたキャプテンだい。聞いて呆れるよ」  
「おう、言ってくれるじゃねぇか。走れるに決まってるだろ、畜生が。地の果てまでだって走り切ってやるってんだ」  
「言ったね。その言葉、しっかり肝に銘じておきな」  
 
そう言って、シフは僅かに足をずらしてにじり寄ると、ぴたりとホークの背中に張り付いた。  
 
「いいかい、よく聞きな。ここからずっと海に向かって行った所に、大きく張り出した岩山があるだろう?」  
 
シフが顎で指し示した方角を眇めた目で見やれば、確かにそんな箇所がある。  
分かったか?と目で念を押すシフに、分かったとホークは小さく頷く。  
 
「そこを大きく迂回して、しばらく行った所にあたしの村がある。  
 あんたには、この子らをそこまで運んでやって欲しい。なぁに、そんなに遠くはないさ」  
 
気を失っている三人を庇いながら戦うのも、そろそろ限界だった。  
傷の浅いアルベルトとクローディアは別として、グレイはこのまま長引けば命にさえ関わってくる。  
血の気の無いグレイの横顔を見て、シフは苦しげに唇を歪めた。  
 
「で、てめぇはどうするんだ?」  
「あたしは、ここに残る」  
「はあ?ふざけんじゃねぇぞ、てめぇ」  
「二人ともここを離れちまったら、こいつらはあたし達を追ってくる。みすみす村を危険に晒す訳にはいかないよ」  
「だったら俺が残る。それでいいじゃ…!」  
「無理だね」  
 
ホークの言葉を遮って、ぴしゃりとシフは言い捨てる。  
 
「今までの戦い方を見てて、確信したんだよ。…ホーク、あんたは根本的にここでの戦闘に向いてない」  
 
熱帯生まれの海育ち。  
冗談のように聞こえるかもしれないが、それは思いのほか重大だ。  
極寒育ちのシフがジャングルや砂漠といった暑い場所での戦闘に向いていないように、  
慣れない気候、慣れない地形での戦闘は体力の消耗が激しい。  
現に空元気で虚勢は張ってはいるものの、ホークの足は鉛のように重く、雪に自由を取られている始末だ。  
痛いところを突かれたホークはぐっと言葉に詰まると、それでも「しかし」と声を上げる。  
 
「女のお前を残して行けってのか!?馬鹿野郎、俺はそんな…!」  
「しかしも、かかしもないよ!あんたがいちゃ、はっきり言って足手纏いなんだ!ぐだぐだ言ってないで、さっさと行きな!」  
 
突然声を荒げたシフに、ホークは驚きのあまり目を丸く剥く。  
しかも叩き付けられた言葉は、彼のプライドを大きく傷付けるもので。  
頭の中で何度かその言葉を反芻してから、何かを振り切るように帽子を毟り取るとガシガシと髪の毛を掻き乱した。  
 
「っ!……ああ、くそったれが!!」  
 
吐き捨てるようにそう咆えて、ホークは構えていた片手斧を腰のホルダーにしまう。  
そして右肩にグレイを担ぎ、左脇にアルベルトとクローディアを抱え込むと、乱暴な足取りでシフの隣へと並んだ。  
 
「おい、そんじゃ俺は行くからな。今更待ってくれなんて泣いて頼んでも遅いぜ」  
 
憮然とした表情で、拗ねたように唇を突き出しているホークに、シフは僅かに笑みを零す。  
その表情が余りにも切ないから、不意に込み上げた泣き出したいような衝動をぐっと堪える。  
 
「村に着いたら、長老のガトを探しな。あたしの名前を出せば、きっと協力してくれる」  
「ああ」  
「…すまないね、大変な役目を押し付けちまって」  
「はっ、こんなの楽勝だね。反対に簡単すぎて泣けてくらぁ」  
 
天を仰ぐような仕草でおどけてみせてから、小さくため息をついて真顔へ戻ると、ホークは絞り出すように呟いた。  
 
「必ず戻る。だから、それまで絶対くたばんじゃねぇぞ」  
「ああ、分かってる。大丈夫さ、そう簡単にゃくたばりやしないよ」  
 
ごつり、と固めた拳を軽く合わせて、頷き合う。  
その拳が、名残惜しそうに離れて。  
両手に構えた愛用の大剣を握り直して、シフは大きく息を吸い込む。  
 
「じゃあ、いくよ!」  
「おう!」  
 
雄叫びを上げながら、二人が同時に雪の大地を蹴った。  
身の丈程もあるシフの剣がモンスターを薙ぎ倒し、その一瞬の隙を突いてホークが走り抜ける。  
ホークは、一度たりとも振り返らなかった。  
振り返らず、ただひたすらまっすぐ走り去って行く。  
その事に感謝するように一度だけ深く目を閉じると、キッとシフはモンスターを睨み付ける。  
守るべきものが無くなったと同時に、今まで背中を守っていてくれた存在も無くなった。  
死と隣り合わせの、背水の陣。  
それなのに、不思議と心は落ち着いていた。  
 
「さあ、かかってきな!あたしが相手だよ!!」  
 
そう叫んで、シフは少しだけ、笑った。  
 
 
「ったく、どこがそんなに遠くは無い、だ!俺を殺す気か、あほんだらっ!」  
 
ようやく辿り着いた、ガトの村。  
口汚く罵りながら侵入してきた胡散くさい男に、村人達は戸惑いながら集まってくる。  
どさりと担いだ3人を雪の上に降ろして息を整えると、ホークは遠巻きに囲む村人を睨み付けるように見回した。  
 
「おい、長老…ガトってのは、どこのどいつだ!?」  
 
ザワリと騒然となる一帯に、苛々と舌打ちをする。  
憶測や推測なんてどうでもよかった。  
今は一分一秒でさえ、惜しいのだ。  
 
「いるのかいねぇのか、どっちなんだ!」  
「村の民が怯えるのでな。そう咆えないで貰えまいか、客人よ」  
 
ゆったりとした所作で進み出てきた老人が、静かに、しかし有無を言わせぬ威圧感を持ってそう言った。  
その立ち振る舞いから、ホークはこの老人がシフの言っていた長老なのだろうと思う。  
 
「あんたがガトか?」  
「いかにも。して、そちらは……?む、アルベルト殿?」  
 
ガトの目がホークの後ろにいるアルベルトの姿を捕らえ、驚きで僅かに見開かれる。  
 
「ああ、アル坊の知り合いなんだったな。それなら話が早ぇ。俺はバルハルの戦士、シフの仲間のホークってもんだ」  
「なんと、シフとな!?」  
 
今度こそ大きく目を見開いたガトに、ホークは今までの経緯を掻い摘んで説明する。  
雪原で未知の魔物に襲われた事、その所為で三人の仲間が傷付き倒れた事、偶然か必然か敵が大挙を成して襲ってきた事。  
そして今も尚、シフが一人きりで戦っている事。  
 
「つー訳で、俺は今すぐ戻らなきゃなんねぇ。すまんがこいつらの手当てを頼まれてくんねぇか?」  
「あい判った、この者達はワシが責任を持って預かろう」  
「面目ねぇな」  
 
そう言って、ガトは片手を頭上へと上げる。  
すると人垣の中から、数人の屈強な男達が進み出た。  
 
「村の中でも腕利きの戦士達だ。何かの役に立つだろう、連れて行くといい」  
 
その申し出を、ホークは緩く首を横に振る事で辞退する。  
 
「ありがてぇが、それよりも村の守りを固めてくれ。悪いが走るのに必死でな、魔物を引き寄せちまったかもしれねぇ」  
 
ここでこの村が魔物に襲われでもしたら、シフに会わせる顔が無い。  
一人雪原に残ったシフの思いを継ぐ為にも、今ここを無防備な状態にする訳にはいかないのだ。  
 
「なに、ここまで三人を担いで走ってきた事を思えば、戻るのくらいどーった事ねぇよ。  
 それに、シフは俺が必ず連れて戻る。どうか俺を信じちゃ貰えないだろうか」  
 
そう、今は一刻も早くシフの元へと戻らなければならない。  
急く気持ちを堪えてじっと真摯な目で見つめてくるホークに、ガトは力強く頷いてみせた。  
 
「承知した、村には羽虫一匹たりとも入れやせんよ。…ホーク殿、シフをどうかよろしく頼みましたぞ」  
「ああ、任せときな」  
 
差し出されたガトの手を、ホークはぐっと握り返す。  
現役を退いたとはいえ、かつては名うての戦士だったであろう老人の手は、厚く力強かった。  
そしてホークは深々と一礼すると、元来た道を戻るために走り出した。  
 

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