「はっ!ふっ!はっ!」
右の貫き手。左のトーキック。更に敵からの反撃を左のエルボーで叩き落す。
モンスターの身体を貫くような連撃が繰り出される。
「とどめっ!」
ゴキリ、と鈍い音、すさまじい断末魔の叫び声と共に、右の拳がヌエの顔面にめり込んだ。拳が抜かれ、もがいていた獣の動きも止まった。
エレンは、ツヴァイク近郊の森林で、来る日も来る日も戦いに明け暮れていた。
シノンの仲間たちとロアーヌのパブで別れてから数ヶ月。ユリアンもトーマスも、そしてサラでさえ、自分達で目的をもってそれぞれの道へと歩き始めた。
だが、自分といえばどうだっただろうか。目的らしい目的は無かった。エレンがロアーヌを離れたのは、まだ見つからない自分の目的を探すためであった。
しばらくは、ランスへ向かうハリードと行動を共にしていた。
急にいなくなってしまった仲間たち。声をかけても返事の無い、今までに体験したことの無い孤独感。
ハリードは、そんなエレンの寂しさを埋めてくれる存在だった。自信たっぷりで頼りになる彼に、惹かれていたのを感じていた。
だが、彼は去った。一枚の置手紙をベッドサイドに残して。彼もまた、目的のある旅路の中途であったのだ。
再び襲い来る孤独感。隣に誰もいないことの寂しさ。村にいた頃は、男勝りで、性別を問わず誰からも頼りにされていたエレン。
村という小さな社会の中、ユリアンを始めとして、思いを寄せてくる男も少なく無かった。
妹のサラを守り続ける中で、自分は強い人間だ、と思い込んでいた。
一人になった今、エレンは、今まで自分はこんなにも他人との関わりを求めていたのか、とショックを受けずにはいられなかった。
そんな寂しさ、孤独感を振り払うように、エレンは魔物との戦いに身を投じるようになった。精神を研ぎ澄まし、目の前の敵に全神経を集中して、戦う。
日ごとに身体の動きも良くなり、自分が高まっていく感覚は、悪いものではなかった。
ロアーヌで別れたみんなは、今頃どうしているだろうか。トーマスは、サラは。
『なぁエレン、ちょっと遊びに行こうぜ』
『今度の週末、船を見に行かないか』
そして、ユリアンは。
「・・・考えるな」
エレンは頭を振った。考えれば、戦いに迷いが生じる。
「グオオオオオオオオオオォォゥゥ」
三種重なったおぞましい咆哮。三首の魔獣、ケルベロスだ。先ほど屠ったヌエの血の匂いをかぎつけてやってきたのだろうか。
考える間も無く、エレンの方へ飛び掛ってくる。
「やっ!」
頭を狙ってくる。地に伏せて交わし、腕で身体を支えて蹴り上げた。狙いは横隔膜だ。呼吸を乱した所で一気にケリをつけようとエレンは判断した。
「ゴフッ・・・ゲ・・・グ・・・」
狙い通り、呼吸器官にダメージを受けたケルベロスは何とか体を支えつつもよろめいている。
こういった獣相手ならば首を狙うのが常套手段。しかし、三つも首を持つケルベロスが相手だとあまりいい作戦には思えなかった。
ならば、次に狙うは心臓だ。
「はあぁぁぁっ!!」
頭に殴りかかると見せかけてフェイントをかけ、身体の下に滑り込み、両足で思い切り宙へ蹴り上げた。
「流星蹴り!」
打ち上げられた空中から重力に引かれて落下を始めるケルベロスの、ガラ空きになった胸部をめがけて、地面を蹴った。
右足に爪先に意識を集中し、足の親指に力を込めた。
「グガ・・・アガアァァ・・・・!!」
狙い通り、胸部に蹴りがめりこんだ。膝の下辺りまでがケルベロスの身体に埋まり、ボキボキをあばらを砕く音が右足から伝わってくる。
地面に落とす衝撃で、更にダメージを与えるつもりで、足は抜かなかった。
そのまま空中でひっくり返し、ケルベロスを背中側から地面に落すと同時に、自らを着地の衝撃から守るクッションとした。
ドスン、と、大きな荷物を落とした時のような音。めりこんだ足を引っこ抜くと、自分の足の形に胸部が大きく凹んでいた。
「・・・ふう」
額を流れた汗をぐいと腕でぬぐった。こんな短時間に強力な魔獣を二体も相手にしたのは久しぶりだった。
短時間の戦闘ではあったが、エレンは息があがっている自分に気づく。
その時だった。
「うあっ!!!」
後から、何か鋭いものに右のふくらはぎを貫かれた感触。同時に、強いしびれと痛みが脊髄を走った。
「くっ・・・油断したっ!」
後を振り向くと、空中には大きな鳥の姿。逆光で一瞬見えなかったが、紫色の巨大な翼が、それがグリフォンである事を物語っていた。
小型のドラゴンやワイバーンですら捕食してしまう、大型の猛禽類だ。
「うっ・・・まずい」
立ち上がることはできたが、グリフォンの速度に追いつける速さでは動けそうに無い。
考えるまもなく、クチバシを突き出してグリフォンが猛スピードで迫ってきた。
「きゃああぁっっ!!」
鋭いクチバシはかわしたものの、体当たりまでは避けきれず、勢いよく吹き飛ばされた。
よろよろと立ち上がるエレンの目の前に、グリフォンが降り立った。
今からお前を捕食すると言わんばかりに、大口を開けて長い舌を突き出した。クチバシの端からは唾液と思われる液体が一筋流れた。
足どころか、腕にまで力が入らなくなっていた。先ほどの衝撃で頭も叩きつけられたのか、視界がグラグラと歪んでいる。
―――――ここまでか。
そんな思いが頭の中を通り過ぎていった。
―――――皆と別れて、ハリードもいなくなって、あたしはこんな森の中で魔物に食い荒らされて死んじゃうんだ。
妹のサラや、他の頼りない男達を守っていた、シノンの村でのあの頃が全くの幻であったように思えた。
―――――さよなら、もう一度みんなに会いたかったよ。
目を閉じながら、エレンは自分の睫毛が濡れていることに気づいた。
「うおおおおおおおおおおおっっ!!」
凄まじい、人間の声と思われる咆哮がビリビリと空気を震わせ、ガチンという金属音が空気中に響いた。
一瞬の後、何かが地面に落ちる音。
「おい!しっかりしろ!」
肩が抱き上げられ、身体が持ち上がり、揺すられる。
朦朧とした意識の中、男の声に目をうっすらと開くと、緑色の髪の毛とオレンジ色のジャケットが目に入った。
視界の端には、グリフォンの首が転がっているのが見えた。
「おい、エレン!生きてるんなら返事しろ!」
「・・・ユ・・・リアン・・・?」
―――――ユリアン?どうしてユリアンがいるの?
ううん、こんな所にユリアンがいるわけが無い。
だってあの時にユリアンとはロアーヌで別れたじゃない。
あの後、ロアーヌのお城でモニカ様を守るんだ、って言って宮中に消えていく背中を見たじゃない。
あぁ、そうか、あたしもう死んじゃったんだ。だからユリアンがこんな所にいるんだ。小さい頃は楽しかったね。
大きくなってから、何度もデートに誘ってくれたね。
一度ぐらい一緒に行ってあげれば良かった・・・。
「おい!頼むから返事をしてくれ!死ぬんじゃない!エレン!」
「ご、ご・・・ごめ・・・んね・・・」
急激に眠くなって視界が真っ暗になる中、エレンはそのまま意識を手放した。
目を覚ますと、ベッドの上だった。身体を起こそうとするが、右足にしびれるような痛みがあって、うまく立ち上がれない。
「あたし・・・生きてる?」
試しに右手で自分の頬をつねってみる。
「あたた・・・痛い」
記憶が途切れ途切れになっているような気がするが、どうやら森から生きて帰ることができたのは確かなようだった。
ベッドからどうにか身体を降ろすと、右足に包帯が巻かれているのが見えた。とりあえず部屋から出て、どこにいるのか確かめないと。
「あ、お目覚めですか」
部屋から外に出ると、中年男性の姿が目に入った。周りの様子から察すると、宿屋の主人だろう。
「あの、あたしいつからここに・・・」
「昨日の4時頃、オレンジのジャケットを着た青年がこちらにいらっしゃって・・・えっと、何て名前だったっけな」
ピンと来た。恐らくユリアンだ。
「今、彼がどこにいるか分かりますか!?友人なんです」
ハッキリとはしていないが、あの時助けてくれてのはユリアンだ。どうしてツヴァイクの森にいたのか、聞かなくては、という思いが、胸の中を駆け抜けた。
「つい先ほど宿屋の外へ行かれました。荷物が置いてあるので後で戻られるでしょうね」
「あ、あ、ありがとうございます!探してきます!」
急ぎたいのに急げない痛みにもどかしさを抱えながらも、エレンは宿屋のドアを開けて外に出た。
様々な思いが胸中をよぎった。
それぞれ目的を探してロアーヌで別れた仲間たち。
それに比べて、目的も無くほっつき歩いているも同然だった自分。
いざ一人になった時に何をしたいのか分からなくなってしまった自分。
もっと強い人間だと思っていた。こんなに人を求めて寂しがるような人間ではないと思っていた。
何も変わっていない、むしろ弱くなった自分は、みんなにどんな顔をして会えばいいというのだろうか。
「あ・・・」
あれこれ考え込んでいる内に、武器屋から出てくる、緑の髪の男を見つけた。
「ユリアン!」
「エレン!もう起きて大丈夫なのか?」
「うん、まぁなんとか・・・」
スタスタとユリアンがこちらに歩み寄ってくる。懐かしいような気まずいような、複雑な心境。
「いやー、ビックリしたよ。頼みごとをされて森の中に踏み込んだら・・・」
ユリアンは、プリンセスガードの仕事を辞めて、今は旅の身だ、と言っていた。
ツヴァイクに立ち寄ったのはたまたまだったと言う。街の人から「最近、女の子が森に入ったまま長時間帰ってこない日が続いている」との話を聞き、様子を見てくるように頼まれて森の中へ立ち入ったそうだ。
「間に合ってよかったよ」
そう言って、ユリアンはにっこりと微笑んだ。小さい頃から変わらないスマイル。
「うん、ありがとう」
本当に死んでいてもおかしくなかった。
こんなに軽々しい一言では済まないような状態だったのだが、他にいい言葉も思いつかなかった。
「でも、どうしてあんな魔物だらけの森に一人で?魔物退治でも頼まれたのか?」
「・・・」
言えなかった。寂しさから目を背けるために魔物との戦いに明け暮れていただなんて。
「・・・まぁ詳しくは訊かないけどさ。いくら強いからって一人であんなトコ行くなよ」
『強いからって』『一人で』という言葉が、グサリと突き刺さった。
「あたしは、強くなんかないわよ!」
「お、おい、エレン!」
強い調子でそう言って、エレンは、背を向けて宿屋に向かって歩き始めてしまった。
頬を暖かいものが伝っていくのを感じながら。
宿屋に戻ってベッドに横になったら、また眠ってしまっていたらしい。先ほどまで明るかった窓の外はすっかり暗くなっていた。
「・・・」
助けてもらったのに、あんな態度を取ってしまった。久しぶり、の一言も言わずに。
「なんで泣いてたんだろ」
守ってばかりだったユリアンに助けられたのが悔しかったから?
「違う」
弱い所を見せたくなかったから?
「それも違う」
会えなくて寂しかった?
「寂しいだなんて・・・」
寂しい。その言葉を口に出した途端、胸が締め付けられる。
本当は、あのままみんなで旅に出たかったのかもしれない。
守ってきたサラが自分に反抗することで見せた、彼女なりの自立心。
何かと自分に言い寄ってきたユリアンが、急に宮殿住まいのプリンセスガードになってしまったこと。
「寂しかった・・・」
また涙が出てきた。昨日から泣いてばっかりだ。
「ユリアン・・・まだいるかな・・・」
手近にあった塵紙で少々乱暴にゴシゴシと涙を拭うと、自室のドアを開けた。
宿屋の主人に聞いたら、ユリアンの寝室は隣の個室だそうだ。
ドアの前に立って、深呼吸する。
「まずは昼間のこと・・・謝らなくちゃ」
もう一度深呼吸してから、ドアをノックした。
「どうぞ〜」
のんきな声が部屋の中から返ってきた。ノブを回してドアを開けると、椅子に座って外を見ているユリアンの姿があった。
「あ、エレン」
別段、数ヶ月前のユリアンと何も変わらない、たまに見せるボケーっとした表情。
「う、うん」
「足は良くなった?」
「おかげさまで、だ、だいぶ歩くのは楽になったよ」
鼓動が早まっているのを感じる。緊張しているのだろうか。
「あ、あのさ!」
「なに?」
「昼間はごめん!」
勢いよく頭を下げた。
「ん?あぁ、別に気にすること無いのに」
軽い調子で言うと、ニコっと笑った。見ているとホッとする笑顔だった。
「それは置いといて」
今度はユリアンが切り出す。
「久しぶりじゃないか」
それから、この数ヶ月間の事と、小さい頃の話をした。
お互いの荷物の中に入っていた酒を、二人でちまちまと飲みながら。
こちらの気まずさ、寂しさ、嬉しさには気づいていない様子で、数ヶ月間の事を嬉々として話すユリアンは、小さい頃のままのように見えた。
ドアをノックする直前は緊張していたが、一旦話し始めると、話が弾んだ。
懐かしさと、安心感。それは、ただ幼馴染に再会した、というだけのことではないように思えた。
ハリードと過ごしていた頃の事を思い出した。でも、あの時とはまた違った心地よさ。
「でさ、モニカ様ってああ見えて・・・」
ちくり。
「カタリナさんが言ってたんだけど、実はあの人・・・」
胸が痛む。ユリアンの話の中にモニカの名前が出てくる度に。
数ヶ月間宮殿にいたのだから、当然モニカの名前も頻繁に出てくるだろう。
―――――ユリアンは、モニカ様のことが好きなのかしら?
―――――キレイだしね、あの人。護衛してるんだし、長い時間一緒にいたんだろうな。
「・・・それで、その時・・・」
―――――あたしの方が、ずっと一緒にいたのに。
急激に、ユリアンがすっかり違う人になってしまったかのように思えた。
「って、おーい、聞いてる?」
「え?あ、ゴメン、ちょっとボーッとしてた」
見上げたユリアンの顔は、先ほどまでと何ら変わらなかった。
「まだ疲れてるんだな。そろそろ寝ようか」
「・・・うん、そうね」
ユリアンが椅子を立った。それに合わせるように、エレンも椅子を立った。
何となくでお開きムードになって、酒ビンを持ってエレンが部屋に戻ろうとしたドアを閉めかけた時だった。
「あ、オレ、明日にはここ出るつもりだから」
「え、どこ行くの?」
「うーん、決めてないな」
部屋に戻り、風呂から上がって、濡れた髪を拭きながら、エレンは思った。
よくよく考えれば、ユリアンがここに留まっているということは無いのだ。
仕事を辞めてあちこちを旅する身になった以上、またどこかへ行ってしまう。
久しぶりに会ったばかりなのに、もうお別れ。ほんの一時の再開。
お互い離れていれば、そんなものなのだろう。
「・・・寂しいな」
小さい頃からずっと一緒だった。いつまでも一緒ではないとも、分かってはいた。
また明日になれば、寂しさを紛らわすために魔物と戦う日々なのだろうか。
昔はもっとそっけなくしていたつもりだったのに、どうしてこうも寂しいのだろうか。
「ユリアンと一緒に行けないかな・・・?」
一人より、二人の方がいい。それが、気心の知れた相手なら、なおさら。
胸がジンと疼いた。脳裏に、さっきまで一緒に酒を飲んでいたユリアンの顔が浮かんだ。