傷だらけの足をひきずって、彼女は逃げ出していた。
怖い、ただひたすらに……怖かった。何もかもを、彼女は
甘く見ていたのだ。気がついたときにはすでに遅く――――
彼女は満身創痍の体で銀色の壁にもたれかかっていた。
「どうして……こんなことに……」
白い頬には赤黒いあざができ、法衣はところどころが裂けている。
あばらが折れたのだろうか、呼吸をすることすら辛かった。
……所詮は人が、神の領域を侵すものではなかったということか。
そう思うと、自嘲にも似た吐息がくちびるからもれた。
あれに比べれば死ぬことなど、この時すでに恐怖ではなかった。
***
石灰質の石につまづいて、ジーンは手にしていたバスケットを
放り出してしまった。「あっ……つぅっ」
擦り傷を作るなど何年ぶりだろう、両の膝がじんじんと痛んでいる。
「大丈夫か?」
地面に転がってしまったパンや林檎を拾い集めつつ、隣にいた
青年が声をかけた。純粋そうな顔が、複雑にゆがんでいる。
「笑うなんて不謹慎だわ、レオン」
「もと神殿騎士が転ぶなんて、お笑いぐさにしかならないよ」
さわやかそうな声とはうらはらに、言うことはなかなかに辛辣だ。
放っておけばいいのに、ジーンもそうはできない。大人気なくも口論に
発展してしまうのを、止められなかった。罵詈が雑言を生み、双方が
他者の言葉に反応する性質なだけに収拾がつかなくなり――――
「その辺にしておくんだ、レオン。お嬢さんをからかっちゃいけないよ」
後ろの方から現れた人影に、レオンの腕がつかまれた。たくましい
体つきは、鎧で武装している彼を凌駕して余るほどである。
「キャッシュ様!」
「やあ、今日も元気そうだね、ジーン。怪我は平気かい?」
にっこりと笑いかけられて、彼女は天にものぼる心地でうなずきを返した。
「……素敵よね、」
ほうっと息をついて、ジーンは誰にともなくつぶやいた。
「気取りがなくて、誰にでも優しくって。正義感もあるし戦いも
できる。まだまだお若くしていらっしゃるし、お顔だって」
隣で剣を手入れしているレオンがまた始まったとでも言いたげに、
やや冷めたため息をついた。
無論、それを聞き逃すジーンではない。
「なあに、レオン。何か言いたいことでもあって?」
「……べつに」
「キャッシュ様を馬鹿にするなんて、この私が許しませんからね!」
「どうして僕が兄さんを馬鹿にするんだよ! ……僕相手に好きだの
魅力的だの言うなら、さっさとそれを本人に言えばいいじゃないか。
なんなら無理やりにでも襲って既成事実を作るとか――――」
心なしか自棄気味に続いたレオンの台詞だが、その途中で視線が
彼女の方へ行き……
見事に固まった。
「そうよ、そうだわ!レオン、あなたは何て頭がいいのかしら!」
彼女の青に近い黒瞳が、きらきらと輝いている。
「お、おい、……まさか、まさかとは思うが」
「面と向かって言うのは恥ずかしいけれど、それなら慣れてるわ。
陰謀をめぐらせていたあの頃の常套手段ですものね」
うんうんと、一人で何度もうなずいている。その姿は神殿騎士団
時代の狂信ぶりに勝るとも劣らないようなものであった。
「わ、悪かったジーン、頼むからもう少し落ち着いてものを考え」
彼のほうを向いた彼女の顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「いい作戦を考えたんだけど…、手伝ってくれるわよね?」
「え?」
「手伝って、くれるわよね?」
にこにことしつつも、その目はあきらかに鬼気迫るようなものだ。
『……ごめんよ、キャッシュ兄さん……』
乙女の底力とでもいうのか、そんなものにはとうてい敵うわけがなかった。
夜の見回りをすませて、キャッシュは町外れの小さな家に帰還した。
最近は魔物の数が多くなっているようで、そのわりに派遣される
神殿騎士の練度が低い。ゆえに、もと辺境騎士の負担が増えるのだ。
とはいえ有望な若者も少なからずいて、もうしばらくすれば
あの二人を冒険に連れていってやれると思うのだが――――。
かるく汗をかいた体を水で濡らした布で拭き、ゆったりとした服に
着替えて寝室へ入る。珍しくはやく床につくことにしたのか、レオン
とともに使っている部屋には明かりが灯っていなかった。
「しょうがないな、あいつは……」
透きとおった光で、かすかに浮かぶ机の上はいつもながらに乱雑
だった。ガデイラやヴァフトームにいたころはそうでもなかったが、
最近は殊にこういった「素顔」を見せることが多い。苦笑しながら
書物をできるだけ綺麗になるように積んで、彼もまた寝台に寝ころがった。
隣の寝台からは、少し前から深く規則正しい息が聞こえてくる。
神経質なまでに注意をはらって、人影は頭までかぶっていた布団を
ずらして上体をおこした。二つの月に照らされている寝顔をのぞき
見るようにして、かすかにのどを鳴らす。「キャッシュ様――」
ついに来る時が、きたのだ。
「ん、……うぅん」
弟のほうとはまたちがった太い声が、快感か違和感かでゆらぐ。
何度か左右に寝返りをうたれて、ジーンはあせっていた。興奮と
もどかしさで、すでに股間は潤っている。局部のうずきが、
もともと判然としなかった思考をさらに混濁させる。
『キャッシュ様……もう、こんなに……』
苦労しながら服をはだけて、ゆるやかに上下している胸部から
筋肉がはりつめた緊張をたもつ下腹部を愛撫する。
「は、あぁ……ん、」
彼の剛直を舐め上げながら、彼女は陶然としたうめきをもらしていた。
その頃、レオンは押し込められたジーンの部屋の中、寝台に頭を
抱えこむような姿勢で座りこんでいた。ときおり所在なげに
かかとが床を叩き、がりがりと乱暴に頭をかきむしる。
そうでもしていないと、頭の中が沸騰してしまいそうだった。
「……キャッシュ兄さんはいつも、」
いつも、そのあとに続く言葉は認識したくは無かった。
母の寵愛も、父の関心も、……愛する少女の心でさえも。
――――兄さんはいつも自分の一番欲しいものを奪い去っていく。
ふと見た鏡に映る自分の目は、抉りたくなるほどに醜かった。
***
「っは…あ……っシュ、さまぁ……」
月の光のなか、どことなく柔らかい彼の体の一点のみが、硬い。
白いほほをうっすらと染めて、ジーンは血管の浮いたそれを
ゆっくりと押しいただいた。あふれる透明な液体をいとわずに、
小さな口にくわえ込む。余った部分をかるく握ると、心なしか
それは体積を増した。たっぷりと唾液をからませたのちに
もう片方の手を自らの股間に忍ばせて、剛直を支えつつ
仰臥するキャッシュの体の上に跨ろうとし、「っ!」
瞬間、後ろから羽交い絞めにされた。
「んっ、あぅ……っ」
音もなく、それでいて素早い動作で床に引き倒され――――
ジーンは夜の闇に浮かぶ、金の髪と青の瞳を同時に目にした。
「レオン……あなたなの?」
人影は、応えない。黙ったままで、強引に彼女の着衣を脱がせ
はじめた。「やっ……いやぁ……レオンっ、どうして……」
高い声をあげようとする彼女を制して、彼は小さくつぶやいた。
「鏡の中の自分が醜いのなら、本質もまたそうなのさ」
「っ、んん……」
恐怖と畏怖と驚愕ゆえの叫びは即座に、冷たくひびわれた唇でふさがれた。
苦みばしった刺激を、のどの奥でかろうじて感じる。時折呼吸を
ふさがれながら、ジーンはレオンのたぎるものに奉仕していた。
「舐めろ。……この姿を兄さんに見られても、構わないのか?」
そうささやかれた時の顔が、脳裏に焼きついている。
それは、冷淡、冷酷、そのものであった。
それが彼そのものだとは、『いや――絶対に、信じたくない』
今は、まだ。
「んっ、ふ、……ぅ、んぅっ!」
まったく唐突に、肉の棒がさらに奥へと突きこまれた。
えづく彼女を無視して、物でも扱うかのように頭が振られる。
「っあ、ぐ……うっ、うぁ……」
口蓋をはねあげるような勢いで、剛直がびくりと動きだした。
「っく……」
のどに張り付くようにして、ねばりのある液体が噴出する。
飲み込もうにも飲み込めずに咳き込んだ彼女を、レオンは
何ものをも表すことのない眼で見つめているのみだ。
「……おねがいっ、レオ、ンっ……もう、ゆるして……」
少なくともここへ来てからは見せることのなかった彼の
「素顔」が、今は心底から怖い。
すがるような哀願するような、心もとない彼女の声に――
彼は、嘲笑った。
「嫌だね」
「んくっ、ふぅぅうっ……」
衣服の帯をとかれて、それを口の中に突っ込まれる。
「楽しみはこれからだよ、ジーン……」
陶然と魔的なものを感じさせるような顔で、レオンは
彼女の耳もとに吐息がかかるように、ささやいてみせた。
上半身の衣服が剥がれ、それでもってして手首を拘束される。
音が響くのを恐れながら遠慮がちに足をばたつかせても、
レオンの動きを止めることなど出来ない。
「男の体をいじってただけで、こんなに感じてたのか」
疑問形ですらないつぶやきを耳もとによこしながら、彼は
ジーンの体をまさぐっていた。湿り気を帯びて硬直した
乳首をつまみ、ねじりながら押しつぶす。あわい紅色の
それは、痛みにも近い感覚を訴えているにもかかわらず
ふくらみ、しこりができたように立ち上がる。
「ふぅー……っ、ううぅっ……」
ぬるぬるに濡れそぼってしまっている秘所に、いまだ
どこかにたおやかさを残している指が触れた。
「綺麗だよジーン、ほんとうに綺麗だ」
冷たくこわばったままの顔で、綺麗だと言う言葉でも
足りないとでもいうような口調でささやかれる。
その様子が不可解であると思った彼女が冷静になった一瞬、
珊瑚色をした花びら、興奮を如実に伝えているこわばりに
這わせていた彼の指が、一気に内部に侵入した。
「――――っ!!」
「初めてじゃないんだな……」
あどけなさのにじむ顔と同様に、内部は未成熟で狭い。
複雑にからむ襞をかきわけ、蹂躙するようにレオンの
指が動く。三本の指が内部で開いたとき、きしむような
痛みが下腹部にはしった。ぐちぐちと、卑猥と言うには
いささかむごい音が鮮やかに耳に入ってくる。
「っく、ぅ、……っ、ぁぁぁ……」
くぐもった声が旋律に彩りを与えて、狂的な趣を増す。
感覚が次第に麻痺し、鈍痛とは紙一重の快感がジーンを
侵食しはじめた。「ひぃ、っ――」
うずきが痛みを凌駕し、むず痒いほどに激しい水面下でおこる
感覚の奔流が限界に達して――――「うぁっ、ぃゃあっ!」
彼女は絶頂を迎えた。
獣のごとき四つんばいの姿勢で、ジーンは貫かれた。
「ぁ……あ……っ」
硬く熱をもった剛直に、思わずして襞が並みならぬ執着を
みせている。きゅっと絞り込むような感触には、何よりも
まず彼女本人が気付いていた。
「気持ちいいよ、ジーン……誰にも渡したくないくらいに」
「っく、ぅんっ、ふぅぅ……」
「このまま――キャッシュ兄さんを起こそうか?」
ぴたりと、彼の胸が背中に密着している。涼やかな首筋で
その台詞を聞いて、ジーンは反射的に激しく首を振った。
そうしながらも水音を立てながら、ゆっくりと確実に快感を
与えるように腰が動かされている。
「ひぁ……っ、んっ……ぅ……ぁ」
「なんだって?」
うめきでもあえぎでもないジーンの声に、レオンは
いぶかしげな様子で問いかけた。
布をずらしたすき間から、自失しているかのような彼女の
のどから声がもれだす。
「キャッシュ――――さ、ま……」
「――――!」
青い眼が、勢いよく見開かれた。一瞬にして狂気が醒めた
ように輝きをとりもどし、瞬時にまた歪められる。
物を扱ってでもいるような動作で腰を前後させたまま、レオン
は彼女の体の位置を変えた。寝台に上半身を載せるようにして、
がっしりと太股を抱える。
「……さあ、くわえるんだ。お前が好きな――兄さんのをな!」
もはやその言葉に疑念を抱くことなく、ジーンは目の前にある
硬化が解けたものに口だけでむしゃぶりついた。
「っん……ぁっ、キャッシュさま……キャッシュ様っ」
媚びるようなすがりつくような声にあわせて、レオンもまた
かたくなに腰を叩きつけつづける。
――もはや状況はおろか行為の相手すら、彼女には判断が出来なかった。
「ん……朝、か」
開け放したままだった窓から、暖かい光が差し込んでいた。
夏が近い時期、汗ばんだ体からシーツをはねのけるようにして
キャッシュは体を起こす。鍛えた肉体には一片の疲労も無く、
久しぶりにすっきりとした目覚めを経験したような気がしていた。
「レオン、起きるんだ。朝食の用意をしよう……っ」
「はい……、」
隣の寝台のシーツの下から現れたのは、もと神殿騎士の才媛だ。
目を見開いた彼に向かって、彼女はしずかに落ち着いた笑みをみせた。
居間へ行くと、レオンが朝食の用意をして待っていた。
慣れぬ手つきで切った不ぞろいの燻製に、キャッシュは思わず苦笑する。
細かな事象を捨て置いて、いつの間にかいつもどおりの団欒を、彼は楽しんでいた。
***
石切り場の近くで、レオンは剣を磨いていた。白銀のそれは
丹念に手入れをされ、初夏の陽光にますます映える。
「ねえ、レオン」
彼は、応えない。刀身だけを見つめて、血あぶらの汚れを
丹念に拭き取ろうとしている。
「あれから色々考えたのだけど……キャッシュ様は、私なんか
に興味はないのですって」「……」
「あてつけでもないし、同情でもないけれど」
光線の加減か位置を変えたのか、ジーンの顔が刃に映る。
銀のなかの彼女は、今にも泣き出しそうな表情で笑っていた。
「私――レオンのことを、好きになっても構わないかしら?」
がらん、と剣がおち、空虚な音を大地に響かせる。「……ああ、」
彼女を抱きしめて、レオンは短くうなずく。
堅固な鎧越しからでも、彼女のぬくもりが確かに伝わったような気がした。
− end. −