宰相ビスマルクが月を何気なく見上げている。疲れ切っているわけではない。  
特に風流だの何だのと言うわけでもない。ただ何ともなく呆けた様に見上げている。  
 ビスマルクは思う。  
 (今の暗君が最後ならば、今の暗君を戴いてアバロンが英雄達にトドメをさす  
というのか。)  
 ビスマルクはその光景を思い描いた。  
 (ありえん。不可能だ。では、伝承法に関わりのない者が次なる皇帝に即位してから  
決戦をするのか。)  
 皇帝アレックスはビスマルクをはじめ、帝国中枢部に位置する者達を悩ませていた。  
悩ませていると言うより恐れさせ震え上がらせているのかもしれない。  
 
 アレックスは軽装歩兵の父と海女の母の間に生まれ、本人が言うには重装歩兵を  
目指していたらしい。だが彼をよく知る者は  
 「務まるわけがない」と言う。  
 アレックスは我慢ができない。忍耐もできない。継続もできない。アレックスは  
重装歩兵に向かない特徴をその他にも多く兼ね備えていた。  
 皇帝となってからアレックスはつまみ食いこそしなかったものの、宮殿の侍女達を  
口説いたり国庫を無駄遣いしようとしたりして、ビスマルク達はその度に止めて  
回った。部下達の政令提案を聞かせてみたがきちんと聞いたか試すと出鱈目な返答が  
帰ってくるので、署名は全てビスマルクの判断で行われた。幸いにもそれまでの皇帝が  
苦労した甲斐あって皇帝自ら遠征に出かけるようなことはなかった。だがアレックスが  
 「俺は成長するために旅に出る。でっかくなってまた会おう。」  
 と言って旅に出たことがあった。学問もお稽古事も全て嫌な顔をしながらやっていた  
アレックスを知る教育係が後を追うと、案の定旅人にイタズラをしていた。まだ旅は  
始まったばかりだと我慢して教育係は監視を続けたが、怪しい物を買い込んだり  
またイタズラしたり迷惑をかけておいて逆上して喧嘩になりそうになったりしたので  
喧嘩になる寸前の所で連れ帰った。これで、本当に伝承しているのか。  
 
 ビスマルクは何度目かもう覚えていないほど度々思う。  
 (もしも自分が皇帝だったら。)  
 昨日殿中で名うての格闘家二人とイーストガードとデザートガードの喧嘩が  
起こった。だがなんとしたことかビスマルクが一人で全員制圧してしまった。老いた  
宰相が。  
 (鍛錬を怠った覚えはない。だがまさかこれ程までとは。)  
 ただ力技一辺倒でもなく諸々の術も使えないわけではない。後継者として宰相を  
任せれる人間もいる。だが皇帝でない自分が最後の戦いに打って出るとして従う者は  
どれだけいるだろうか。ビスマルクが隠し通したおかげで世間に広まっている  
アレックスの悪い噂は実情の10分の1未満である。帝国中枢部の外でアレックスは、  
少しマヌケな所や少しだらしない所があるが立派にやっていると思われている。最後の  
決戦がまだなのは慎重だからだと言う事になっている。もし皇帝出陣となれば多くの  
兵が皇帝をたたえて集まるだろう。そして皇帝の実態を見て戦う気をなくすだろう。  
それどころか内乱すら起こりかねない。  
 
 長い間見ていた月から目をそらし寝床に帰ろうとしてビスマルクは意外な発見を  
した。女が居る。宮殿内で仕事をする者も宮殿によく訪れる者もビスマルクは全て  
熟知している。そしてこの時間帯に宮殿内にまだいるような者の顔など絵に描ける程  
知っている。だがその女の背格好は見た事がなかった。そして、美しかった。  
ビスマルクは女の後を追った。そして誰何した。何の事はない。明日謁見予定の  
考古学調査隊の広報担当だった。  
 
 皇帝アレックスは驚いた。あのビスマルクが行方をくらました。  
 (確かにぼくは困った皇帝かもしれないけど、あのビスマルクが匙を投げる程じゃ  
ないし、ビスマルクは絶対に逃げたり投げ出さない。)  
 アレックスは不思議に思ったが仕事をすることにした。ビスマルクは散々自分に  
ああだこうだと言って来た。たまには完璧に皇帝を務めてビスマルクを驚かせてやろう。  
若い皇帝は張り切った。ビスマルクが仕事をする時そばにいないのは初めてだった。  
 
 午前の謁見をして昼食して部下の報告や提案を聞いて命令を下し午後の謁見をした。  
ビスマルクが口うるさく言っていた事を片っ端から思い出し、よく考えて、堂々として  
やってみた。ビスマルクが言っていた事は役に立った。そして、アレックスは皇帝の  
仕事がとても面白かった。とても頭を使い、かっこよくて、張り合いがあり、楽しいと  
アレックスは思った。アレックスは飽きっぽい。だが一人前の皇帝として国を治めるこ  
とが、一日出来た。ふと、過去の皇帝をそばに感じた。深く考えるたび、強く感じた。  
 (今日出来た事なら明日は出来る。今日しなかった事でも、ビスマルクに言われた  
ことを思い出してよく考えて堂々としてやってみればうまくいきそうだ。こっそり  
顔を出したビスマルクをうならせてやろう。)  
 そして最後の謁見者が来た。資金援助を頼んでいる考古学調査隊の者だった。  
スマルク達の覚書を今日見た限りでは、出してもよさそうだったが、念の為話を  
聞いてやる事にした。女は調査場所を選んだ理由、移動手段、調査方法、期間などを  
皇帝に説明した。不意に女がうつむいた。  
 「どうしたんだい。」  
 女はまだ黙っていた。アレックスは、より女をしっかりとみつめた。女が顔を上げた。  
女とアレックスはみつめあった。  
 
 72時間後…いまや麗しのアバロンは地獄と化していた…。  
 「くらえッ!この#$%@野郎ッ!」  
 武装商船団のドレイクが叫んで全然効かないライトボールを放つ。  
 「生きて出られそうにないわね。」  
 ホーリーオーダーのマリアがダイアモンドダストを放つ。二人とも突如として現れた  
「ターム」を全滅させるために戦い始めたはずだった。そして皇帝の安否の確認も  
するはずだった。だが気がつけば脱出すら危険な状況になっていた。  
 「ああ、だろうな。だが…ただじゃ死なねえぞ。さあ、来いよシロアリども!!  
武器なんか捨ててかかって来い。それとも武器無しじゃ俺が怖いのか!?」  
 ドレイクはそんなことを言いながらフル装備のままであった。その時突然聞きなれた  
声がドレイクとマリアの耳に入った。  
 「伏せろ。」  
 少しおいて大量の矢と術が作動した。声は遊牧民のボクトツの声だった。  
 「引き上げの時間だ。ついて来い。」  
 見ればボクトツの周りには大勢の生存者がいた。だが、やはり皇帝はいないようだ。  
 「宮殿にはとても近づけない。今は少しでも多くの生存者を逃がそう。」  
 マリアはまだ皇帝が気がかりだったが、ドレイクと同じく諦めてついていくことにした。  
 
 アレックスは窓の外を見る。巨大な塔がそびえたっている。見事な塔だ。そして  
それを建てたのは自分達ではない。下の方を見る。大虐殺があったのはだいぶ前の事  
だが昔ではない。麗しのアバロンはあった。だがそこに生きるのは人間ではなかった。  
高度に発達したシロアリどもだ。アバロンはタームの麗しの都となった。下水道が  
改築工事され、地下通路が作られ、塔が建てられ、まだ何か工事計画があるらしい。  
タームの麗しの都として壮大壮麗になっていくアバロンに一人、人間の自分が  
生きていると言うより生かされている。食料となるか実験に使われるであろう自分が  
生かされている理由はわからない。だが、生かしているのが誰かはわかっている。  
 「来ちゃった。」  
 シロアリどもが神のようにたたえている全てのシロアリどもの母や祖母であるこの  
羽のある青い女こそが、アレックスを生かしている張本人だ。この女の意思に反する  
ことは誰もできない。  
 女を抱いてやる。抱いて横たえてやって、添い寝する。女が擦り寄ってくる。  
どこにでもある光景だが、この女はアレックスの帝都に住む人間を大勢死なせ、  
好きになり始めた帝政を自分から奪い、ビスマルクを殺した。  
 
 自分一人で治めたアバロン最後の日に謁見した女と見つめ合った後、アレックスが  
気がついたのは同じ場所で、あれから十日経っていた。アレックスの前には羽を広げた  
青い女が立っていた。ほかに人影は無く、謁見の間にアレックスと青い女二人だけ  
だった。  
 女が全てを告げた。アレックスは怒って立ち向かい、また見つめ合った。それから  
アレックスは数え切れないほど女に立ち向かって見つめ合い、負けた。  
 「ごめんなさいあなたの大事な人を大勢殺しちゃって。でもね、あなたもわたしの  
ご先祖様達を皆殺しにしたし、これでオアイコじゃないか知らん。」  
 アレックスはまた襲い掛かった。そして、一瞬で動けなくなった。  
 「あなた、アレックスだっけ。」  
 気がついたアレックスにまた女が声をかける。剣を抜くと見せかけて後ろを向いた  
まま目突きを仕掛け、裸締めにしてやろうとアレックスはした。そして腕を突き出した  
瞬間また動けなくなった。一対一である限り、この女には勝てなかった。それでも  
アレックスは動けるようになるたび刃向かった。許せなかった。  
 アレックスが気がついた。自分は寝室で女に抱かれていた。女の顔が近くにあった。  
強く抱きしめられて力が入らない。術も使えない。頬擦りされている。女の体が触れる。  
ともにほとんど全裸だった。  
 「あなたが私を憎んでるのはわかってる。でも私はアレックスの事好き。できれば  
アレックスの寿命がくるまでに、私の事が好きになってくれたらそれでいい。でも  
やっぱり、早い方がいい。」  
 女が深く抱きしめてくる。アレックスは自分の胸が高鳴ったような気がした。憎き敵に  
抱かれて何をしているんだろう。  
 「少し落ち着いたか知らん。」  
 女が聞く。また聞く。三度も聞く。  
 「もう、殺すのは諦めたよ。」  
 呆けたような干からびたような顔でつぶやいた。女が額にキスをした。それから  
疲れ切ったアレックスは深い眠りについた。目覚めてからアレックスは剣を  
抜かなくなった。女は再び子供達の元へ戻った。そしてまた宮殿に来る。  
 
 アレックスは女に頬擦りされる。そしてくちづけをしてやる。女が微笑む。  
 「またお話して。」  
 女は寝物語をよく頼む。ただの物語ではなく歴代皇帝の史実を望む。書を愛した  
皇帝とアバロンの盗人の恋物語、運河にかけられた橋やそれをかけた者達とそれで  
栄えた者達とそれで困った者達や壊した者、そしてまたかけた者達の物語、地上戦艦と、  
それに挑む珍奇な賢者の物語、命を賭してサラマンダー達を救った皇帝の美談、  
アレックスは実に多くの話をしてやった。その度に女は目を輝かせて聞き入った。  
今日は哀れな海賊の話をしてやった。やはり女はうれしそうに聞く。話が終わり、女が  
眠らせてきた。  
 
 目が覚めると女が出かけるところだった。人間の町を遠征する準備かと意地悪を  
言ってやるつもりだった。  
 「最近、忙しいな。」  
 「最後の決戦が近い。その準備です。」  
 わけのわからないことを言うと思いかけてアレックスは思い出した。  
 英雄達!!  
 皇帝の役目を放棄して忘れかけていた名前を思い出した。シロアリどもは英雄に  
トドメをさしに行くほど余裕ができたようだ。その繁栄の勢いは自分達では到底  
及びそうになかった。おそらくシロアリの勝ちだろう。  
 アレックスは複雑な思いになった。自分達は変心してしまった英雄と戦ってきた。  
だがシロアリどもはモンスターと戦ってたたえられていた英雄への復讐として  
戦っている。  
 「どっちが戦っても、英雄と戦うことに変わらりないよ。」  
 そう言って笑って女は飛んでいった。女が来ない日が数日続き、シロアリどもが  
凱旋してきた。そしてまた女が来た。  
 
 「アレックス。踊ろう。」  
 アレックスは女と手をとって誰もいない宮殿で踊ってやった。自分の知っている分を  
踊った後、女の知る分に付き合ってやった。踊り終わって、女はアレックスに  
くちづけした。  
 「アレックス、実はね、楽勝だった。」  
 
 女がベッドで体をよせてくる。胸は小さくない。アレックスの胸にそれが押し当て  
られている。輝くような髪が肌に触れる。女の腕が肩を抱く。女の息がかかる。そして  
二人は身体を重ねた。アレックスの腕が動き、女の胸を脇からなでる。女が息を吐く。  
また、胸をなでる。女の呼気が熱くなる。女がつぶやいた。  
 「今日は私に合わせるんじゃなくて、自分からしてきてくれたんだね。」  
 アレックスは何も言えなかった。無力を感じながら人類の最終皇帝は、タームの  
クイーンに沈んでいっていた。まるで同い年同士のように二人は抱き合って眠りに  
ついた。アレックスは決定的な敗北を喫した。  
 
 アレックスは夢を見た。歴代の皇帝たちがいる。何かヒソヒソと話をしている。  
自分を見た。それから皇帝達は去っていった。  
 アレックスは起きた。女はまだ眠っている。部屋を見回した。剣があった。  
 剣を持ったまま大広間に出た。何度か握りなおしてちょうどいい握り具合を確かめる。  
そして思うままに振るった。  
 流し斬り、水鳥剣、そして無無剣。  
 どれもこれも自分でも驚くほどの冴えであった。そして思った。  
 (やはりぼくは皇帝なんだな。)  
 後ろに気配を感じた。女だった。  
 「やっぱり、皇帝なんだね。」  
 女がため息をつく。  
 「自分の物かはどうあれ、普通じゃない長さの記憶を持つ者同士、やっと似たもの  
同士いい友達が出来たと思ったんだけど、これでまた一人ぼっちか。」  
 アレックスはつばを飲み込んで構えた。  
 (ころすつもりなのか。)  
 だが動く前に女がしゃべった。  
 「最後の人間の町と言うか、ほとんど隠し砦のような所見つけたんだけど、そこに  
だけは決して近づかないよう子孫達には教えてあるんだけれど、どうする。」  
 アレックスは間髪入れず言った。  
 「行くよ。人間が生きてる限り守って導く。」  
 女が泣き笑いながら言った。  
 「それでこそ皇帝。でも、お別れの前にどうしてもやりたいことがあるの。」  
 
アレックスは緊張した。  
 (まさか、ついに、ぼくと…。)  
 アレックスは女と何度と無く夜を共に過ごし、何度も抱き合い、何度も何度も身体を  
重ねた。だが、未だ童貞のままであった。  
 「アレックス、目をつぶって。」  
 女が近づいてくるのが感じられた。アレックスの鼓動が激しくなる。そして…、女が  
噛み付いた。  
 「まさか何かいい事かよからぬ事でも想像してたのかしらん。タームの女王様がただで  
諦めるわけないでしょ。これは諦める代わりの罰。」  
 女は首筋に、肩に、胸に、手首に、噛み付いていった。そしてもう十分だと言いたそうな  
顔になると口を離した。  
 「この痛み、絶対忘れないから。」  
 別れの切なさを言いたいのか恨み言なのか帝国の復讐を言っているのか、言っている  
アレックス自身わからなかった。  
 
 アレックスは女に抱かれて空を飛んでいた。だいぶ飛んで、女が地上に降ろした。  
 「ここから先一緒に行くとあなたに厄介な事になるからわたしはここで。」  
 最後にアレックスを見て心配そうに言った。  
 「絶滅しないようにね。」  
 アレックスは胸を張った。  
 「ぼくらはそんなにヤワじゃない。」  
 「そうですかそうですか。」  
 女は微笑みながら振り向き、アレックスと逆の方向へ飛び立った。  
(完)  
 

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