ハリードに愛する女がいるということに、エレンは薄々気がついていた。
だが、自分がその女に似ているということは全く予想外のことだった。
リブロフの酒場で、ハリードの元家臣だという男がエレンを見て、
目を丸くして「似ている」と感想を漏らしたとき、エレンは当然驚いたが、
それ以上に彼女の心を揺さぶったのはその際のハリードのばつの悪そうな表情だった。
あの顔を見てしまえば、どうして彼が半ば無理やり自分を同行させたのか、という
旅立って以来ずっと抱いていた疑問が大体解消したような気がした。
ハリードにとっての自分の存在意義。
旅立ちの後、しばらくしてから彼に「お前は素質がある」と言われた。
自分にはハリードのような屈強な戦士に同行できる程度の戦闘力があり、
その能力を買われていたのだとエレンは思っていた。
そのことが嬉しくもあり、誇らしくもあった。
自分は彼ほどの人物に認められている、そう信じて疑わなかった。
しかし、真実は違った。
要するに、自分は顔で選ばれたのだ。能力を買われたわけではなかった。
サラを守りたい、強くなりたいと願い続けたのがようやく報われた
(肝心のサラは離れて行ってしまったが)と思っていた矢先、
手ひどい裏切りを受けた気分だった。
ぼふ、とほとんど力の入らない身体を重力に任せてベッドに沈める。
宿屋までどうやって帰ってきたのか記憶が無い。
あの後少なからずショックを受けたエレンは、いつにも増してしこたま酒を飲んだ。
エレンは酒に弱くはない。
普段なら足取りがおぼつかなくなるまで酔うなどということはこれまで無かった。
これではまるで、失恋して自棄酒した惨めな女だ。
(失恋…ね)
半分霞がかかったような頭でぼんやりと考える。
自分が男としてのハリードに惹かれているという自覚は無かった。
ただ、シノンの村にいた頃は到底お目に掛かれなかった生粋の武人である
彼への強い憧憬は、エレン自身も認めていた。
今はもはや、憧れだけではない気持ちがエレンの心を支配している。
皮肉にも、自分によく似た恋敵とも言うべき存在によって
無意識に秘めていた想いに気づかされた。
結局、ハリードはエレンという人間そのもののことは最初から眼中に無かったのだ。
彼の目に映っているのは、エレンでは無くファティーマという愛しい女だけ。
それに気づかず、強い男に力を認められたと思い込み、
嬉々としてここまでついて来てしまった自分が堪らなく情けない。
エレンの頬を涙が一筋流れ落ち、枕に染み込んだ。
嗚咽が漏れそうになり、ううーと意味も無く声を発してごまかそうとする。
思いのほか情けない声が出た。
「エレン?いるのか?」
「!?」
突然扉の向こうからハリードの声がした。
エレンはぎょっとして、慌てて布団をかぶる。
普段エレンにほとんど気を遣わない彼は、例え彼女が着替え中であろうが
声を掛ける事も無くエレンのいる部屋の扉を開けたりする。
大雑把な性格の彼は注意しても聞かないので、エレンもほとんど諦めていた。
案の定何の躊躇いも無くガチャ、と音がした。
布団の中で、急いで涙で乱れた呼吸を整える。
「起きてるんだろ。ずいぶん飲んでたと思えば突然いなくなるから、心配したぞ」
「……」
思いのほか近いところからハリードの声が聞こえてきた。
と思えば、自分の寝ているベッドの背中の辺りが深く沈む。彼が腰掛けたらしい。
「おい。何か言え」
本当に心配しているのか疑いたくなるような口調と横柄な態度。
普段なら余計なお世話よとか言って蹴りの一つや二つ決めてやるか、
意地でも寝た振りを決め込んで結局布団を剥がされて喧嘩になるといったところだが、
いかんせん今日はそんな気力はない。
「……」
布団の中で寝返りをうち、ベッドの縁に座っているハリードの方を向いて
恐る恐るエレンは問うた。
「…あんたがあたしを連れて来た理由って、何?」
布団を被っていたせいでくぐもった声がハリードの耳に入ったかどうか、少し不安になる。
しかし、自分の声が彼にしっかり届いていることが分かった。
彼の纏う雰囲気が一瞬緊張を帯びたからだ。
ハリードのその反応で、エレンだけでなく彼自身も、
昼間の酒場での男の発言を気に掛けていたことがエレンにも察することができた。
「…前にも言っただろう。お前は素質があるって」
(嘘ばっかり。大体、答えになってないわ)
彼の煮え切らない態度に、先程の悶々とした思考の事も手伝って、
エレンはだんだん腹が立ってきた。
何か言ってやらないと気が済まない。
鍛えられた足で勢いよく掛け布団を跳ね除けて、がばっと上体を起こした。
ぎょっと驚いた様子でハリードがエレンの方を見る。
ぐいっと胸倉を掴んで無理やり引き寄せ、詰め寄る。
そのままさっき考えていたことを思うがままにまくし立てた。
「何よ、嘘ついてんじゃないわよ。ほんとはあたしなんてどうでもいいんでしょ。結局あんたが見てんのは大好きなお姫様だけ。あたしのことなんか何も見てないのよ。素質があるなんて言われて浮かれてたあたしが馬鹿だったわ。あんたのこと買いかぶってたみたい。最悪だわ」
そこまで一息で吐き出す。完全に支離滅裂だ。
あんぐりと口が半開きの表情でハリードはこちらを見たまま固まっている。
惨めさにまた涙が出そうになった。
ぜえぜえと荒い呼吸を整えようとする。
「…っ!?」
突然身体が重くなり、糸が切れたかのようにがくりと崩れ落ちた。
いきなり激しく身体と口を動かしたせいで、先程の酔いが一気に回ったらしい。
「お、おい、大丈夫か」
慌てた様子のハリードの声が頭上から聞こえてくる。
気づくと、目の前に東洋風の模様に染め抜かれた彼の腰布が目に入った。
どうやら、自分は意図せずともハリードに膝枕されている状態らしい。
藍色の、割と質のよさそうな衣の感触を頬で味わいながら、
靄の掛かったような脳でぼんやり思考した。
(あたしはファティーマ姫じゃない。あたしをエレンとして、見て欲しい…)
どうにかして自分のところに彼を繋ぎとめたい。そのためなら、何だってしてやる。
自然と彼の腰布に手が伸びた。
「!?おいっ、エレン!」
おもむろに不思議な模様の腰布に手を掛ける。
驚いたハリードは、反射的にエレンの身体を引き剥がそうとした。
咄嗟に彼の股間を初々しい手つきで一撫でした。
「っ…!」
瞬時に男の身体が強張った。
そのままエレンは左手で彼の股間を撫でさする。
思うように抵抗する力を一瞬失ったハリードを横目で見ながら、
その隙に右手で何の躊躇いもなく腰布の結び目を解いた。
上着の袷を大きく開き、だぼっとしたシルエットのズボンを下にずらす。
そこまでされて初めて、ハリードはエレンが自分に何をしようとしているのかをようやく理解した。
そうと分かれば、ハリードも覚悟を決めることができた。
下着に小さく柔らかな手が触れる。
そこでふと、先程の大胆な手つきが嘘であるかのようにエレンの動きが止まってしまった。
その初心な反応でハリードは、エレンが男に奉仕するどころか、
男と寝た経験すらないということを察することができた。
俯いたままじっとしているエレンの長いポニーテールをそっと撫でてみる。
ぴく、と女の身体が揺れた。
突然、そのまま豊かな髪の房を掴んでぐいと引っ張り、無理やりエレンの顔を上に向けさせた。
背中を丸めて、驚きを隠せないと言う少女の表情に、息が掛かる距離まで顔を近づけていく。
「!」
視線が交わった。
エレンの瞳に映ったのは、欲情を抑えきれない獰猛な雄の目だった。
思わずエレンは息を呑む。すごい勢いで熱が頬に集まっていくのを感じた。
魅入られたかのように視線をずらすこともできずしばし見つめあった。
「どうした?…咥えろ」
いつもの凛とした声とは異なる、低く掠れ色を帯びた声が間近で聞こえる。
同時に熱のこもった吐息が顔に掛かった。強く酒の匂いを感じた。
普段とはあまりに違う雰囲気のハリードに魅了され、理性が失われていくのをエレンは感じていた。
顔が発光しそうに熱い。
その熱の正体が彼の吐息なのかそれともアルコールのせいなのか、
エレンには突き止める気も余裕もなかった。
ただエレンに分かっていることが一つだけあった
今のハリードの目に映っているのは、今彼が欲しているのは、
彼の愛しい姫ではなく、エレン自身に他ならないということだった。
吸い寄せられるようにエレンはハリードの股間に顔を埋め、下着から男根をそっと取り出した。
むっと雄の匂いが鼻腔に広がる。
興奮のためか特に嫌悪感はなく、それどころか蝶が花の蜜に誘われるかのごとく
自然に自分の顔がその部分に引きつけられる感じがする。
彼の欲望は熱を帯びていて、すでに緩く形を成していた。
砂漠出身者特有の褐色の肌に比例しているのかその部分は黒く、
それに反して先端の部分は燃えるように赤い。
そのグロテスクな容貌を観察しているうちに、
倒錯的な感覚に陥って息が荒くなっていくのをエレンは自覚した。
エレンはそれに軽く手を添え、恐る恐る一舐めしてみた。
その途端、手の中のものがビクリと蠢き、硬さと大きさを増した。
エレンは驚いて、弾かれたようにハリードの顔を見上げた。
その瞬間、少し苦しそうにも見える、息を詰めた彼の表情と視線が交わった。
一瞬で頬が激しく熱を帯びる。
もっとその顔を見たい。エレンはうまく回らない頭でぼんやりそう思った。
しかしその願いとは裏腹に、すぐに強い力で頭を押さえつけられ、
彼の色を帯びた表情が視界から遮断される。
「…っ、見るな、続けろ…」
「……」
俯き、行為を再開する。
どうすればいいのかもよく分からないままおずおずと舌を這わせていく。
カリの部分に偶然舌が当たると、
頭上からうっ、と男の呻き声が聞こえたと同時に彼の雄がぴくぴくと動いた。
自分の行為でハリードが感じている。
その事実が、エレンをどうしようもなく興奮させ、より舌の動きを大胆にさせた。
幾分か濡れて舌の滑りがよくなった頃、ようやくエレンは欲望を口腔に迎え入れた。
彼女の口内は存外に狭く、粘膜が男根に纏わりついた。
エレンは助けを求めるように目線だけをハリードの顔に向けた。
真っ白な肌を林檎のように紅潮させ、目は潤んできらきらと光を湛えている。
彼女の興奮がはっきりと見て取れ、ハリードはさらに息を荒げた。
「…そのまま上下に顔を動かせ。舌も使えよ。っ…、そうだ、上手いぞ。歯は立てるな」
拙い動きでありながらこれまでに無いくらい自分は欲情し、感じている。
そうハリードは自覚していた。
ハリードは長年の旅の間に女を抱いたことは何度もあったが、
フェラチオをされたのは実のところ片手で数える程度しかなかった。
寝た相手は皆行きずりの女で、自分に近しい女とこのような行為に及んだことは
これまで一度もなかった。
ファティーマのことは、将来を誓った相手とはいえ、
王女である彼女にそう簡単に手を出すことはできなかったし、ハリード自身もそれでよかった。
そのまま契りを結ぶことなく離別するとは思っていなかったが。
昼間、酒場で会った自分の元家臣の言葉を反芻してみる。
エレンがファティーマに似ている。
彼女とロアーヌの酒場で初めて出会ったとき、彼自身も心の中では同じ感想を抱いていた。
かつての恋人の代わりに慰み者にしたい、などという不埒な考えに至ったことはなかったにしろ、
ファティーマの面影を宿す彼女のその容貌が、
自分に同行させたいという思いを駆り立てたのは事実であった。
一緒に旅をするうちに、その中身はファティーマに似ても似つかぬ
がさつなじゃじゃ馬娘であると言うことが理解できた。
だが、それでもハリードは、この自由奔放な若く美しい娘に惹かれているということが
自分で分かっていた。
もしかしたら彼女は、自分の中では
ファティーマ以上のパートナーになりうる存在なのかもしれない。
ふとそう思うことは何回かあったが、
ファティーマへの裏切りともいえるその想いに、彼は必死に蓋をしてきたのだった。
それ故、エレンを現在の行為に駆り立てるものが何なのか、
ハリードには薄々察しがついていたが、目を背けねばならなかった。
それでも、自分を悦ばせようと一生懸命に舌と口を駆使する様を見せ付けられては、
情欲を殺すのは到底無理な話であった。
放浪の旅に没頭するあまり、割と長い間女を抱いていなかった自らの身体は
久しぶりの感触にすっかり夢中にさせられ、上り詰めさせられる。
自分でも見たことが無いほどに大きくなった自分の肉棒に顎を酷使して疲れたのか、
エレンの動きが少し鈍くなった。
その様子を見て取って、ハリードは優しくエレンの小さな頭を撫でてやる。
頭のてっぺんで一つにまとめた髪型が乱れ、ほつれて頬に掛かった髪を、
欲望を抑え込んだ手つきでそっと彼女の耳にかけてやった。
その拍子に指が彼女の柔らかな肌に触れた。
その途端、びく、とエレンの身体が激しく震える。
瞬く間にその形のいい耳が赤く染まるのが見えた。
男の股間を弄繰り回している間に、自らも感じたのだろうか。
驚くほどエレンの身体が敏感になっている。
そのことにハリードは動揺を隠しきれなかったが、
それ以上に自分の指に素直な反応を見せるエレンのことがどうしようもなく愛しく思えた。
恥ずかしさをごまかすかのように、エレンは黙ったまま再びペニスに舌を這わせた。
先程掴んだ要領で、ぱんぱんに張ったカリの部分をなぞるように舐めていく。
「…、く…、っ」
「……っ…」
思わず息を詰めてしまう。ハリードの反応を見て、エレンは一心不乱にペニスを愛撫する。
ぴちゃ、ぴちゃと濡れた音が響いても、唾液が口の端からはしたなく溢れても、気にせず舐め回した。
「……」
淫靡な水音と卑猥な光景に、理性が完全に吹き飛ぶ。
はぁ、はぁと、まるで夏場の暑さにまいった犬のように呼吸が忙しない。
「…エ…レン…」
思わず名前を呼んでしまった。
しまった、と思う間もなく、少女がぴたりと動きを止める。
エレンは恐る恐る、といった様子でハリードの顔を見上げた。
熱に支配された瞳と視線がかち合う。
「…!」
エレンの身体中が、燃え上がりそうなほどに熱を帯びた。
ハリードの欲望に濡れた表情を見て、エレンは当初の自分の願いが叶ったことを理解した。
彼の情熱は、紛れもなくエレンという女だけに向けられたもの。
そこにいくら恋人とはいえ他の女の入る余地は無い。
ひどく満たされた気分で、エレンはハリードの剥き出しの亀頭を口に含んだ。
そのまま舌を絡めてしゃぶり、じゅるじゅると激しく吸い上げた。
「っ、う、…っぐ、ぅ…!」
突然彼の肉棒が破裂しそうに大きく膨らんだかと思うと、
その瞬間エレンの口内に叩きつけるという表現がふさわしい勢いで精を放った。
「うぅ…く、げほっ、げほっ」
三、四度ハリードの雄が痙攣し、その度濃く白濁した液がエレンの口腔へと吐き出される。
いつもよりもずっと量が多いことを自覚していたハリードは、
慌ててベッドサイドに備わっていたちり紙を取ってエレンに差し出した。
しかし彼女はその手を払いのけ、苦しそうな顔をして全て飲み込んでしまった。
ハリードは、唖然としながらその様子を見ているしかできなかった。
(どうして、そこまで)
言いかけて、口を噤む。
どうして。
それは、踏み込んではいけない疑問だった。
二人の感情は決して交差することは無い。今も、この先も。
ハリードの祖国への、そして愛する姫への想いは、
彼が本懐を遂げるまで永遠に消えることは無いだろう。
不器用な二人に許されるのは、不毛な交わりだけだ。
(それでも、自分に向けられる熱は、本物だから)
エレンは白い液体のこびりついた口元を拭い、
これまで誰にも見せたことのなかった女の表情でほくそ笑んだ。
(了)