森のなかで野営(野宿みたいなものなんだって)をしていたとき、なぜか急に  
寒くなってきたような気がして、わたしは目を覚ました。耳の近くでは  
たき火のぱちぱちいう音がしてたのに、一体どうしてだったんだろう。  
「ん?」  
……思わずぎくっとなる。低くて落ち着いた感じの声は、聞き間違えようがない。  
今の見張りは、あの人だったんだ――。  
『どうしよう、どうしよう、どうしよう』  
胸のどきどきが、止まらなくなってくる。いま考えたらそのまま起きちゃえば  
よかったんだろうけど、その時のわたしにはとてもそんなことは思いつけなかった。  
『う〜〜〜〜……お願いだから、静かにしてっ』  
気付かれちゃうのも気まずいし、気付かれないのもちょっぴりさびしい。  
どっちつかずな気持ちのまんまで、わたしはとりあえず息をひそめてた。  
うるさいくらいに鳴ってる心臓の音で、今にもばれてしまいそうな気がする。  
突然、背中のほうで草をかきわけるような音がした。  
 
「きゃっ! ……あ」「やっぱり起きてたのか」  
つい起きあがってしまってがっくりする。  
目の前にあったのは、とっくに見慣れてしまった大きな『おなか』。  
「はあー……、お兄ちゃん、おどかさないでよ」  
照れ隠しでわざときつめに言ったわたしの頭を、お兄ちゃんはかるくこづいた。  
「何がだよ、何が。それより、眠くなくて起きたんなら見張り代わってくれよ。  
別に、おしっことかに行きたくて起きたんじゃないみたいだし…っ!」  
「お兄ちゃんのばかっ!!」「な、なにも殴ることないだろ」  
恥ずかしくてたまらなかった。なんでおんなじ男の人なのに、こんななんだろう。  
腕が細かくふるえてる。ほっぺたが熱くて、なんだかくらくらしてきて……  
その時、怒りすぎて恥ずかしくて、何も言えないわたしの頭を大きな手がさわった。  
「ロイくん、彼女だってレディなんだ。気を使わなきゃ駄目じゃないか」  
「レディ? あいつが?」「そうだ。いくら小さくても、女の子に恥をかかせちゃいけないよ」  
優しい声で言いながら、あの人は泣きそうになってたわたしの頭をそっとなでてくれる。  
頭から子供扱いしてるような仕草は、やっぱり別の意味で恥ずかしかったんだけど、  
 
――なんだかとっても、あったかかったんだ。  
 
あの人――キャッシュ・バーガンディさんのことが気になりはじめたのが  
いつからなのか、じつはよく思い出せない。  
オジイチャンを助けるために家族みんなを捜しはじめたわたしのことを  
「辺境騎士のつとめだ」と言って守ってくれようとした時か、  
剣難峡でお父さんと離ればなれになって、落ち込んでたわたしを一生懸命  
なぐさめてくれようとしてくれた時なのか。  
なんだか考えれば考えるほど、よく分からなくなってくる。  
でもね。  
優しくて強くって、正義感があって、ちょっと間の抜けたところもあるけど、  
キャッシュさんはすごくいい人だと思うんだ「ジュディ〜?」  
「な、なに?」  
とっさに背中の後ろに隠した日記に、お姉ちゃんは気付かなかったみたいだった。  
いつもどおりにのんびりと、わたしに声をかけてくる。  
「これから御飯なんですって。宿屋じゃなくて、いいお店があるみたい」  
「へえ、そうなんだぁ」  
「早く行きましょう、みんな待ってるわ」  
「うん!」  
……お姉ちゃんのこういうところは、ちょっとだけありがたかったりする。  
 
外に出ると、暖炉のあった部屋で赤くなっていたほっぺたがちりちりした。  
あったかい気候のサドボスではまず見られない、今日は雪が降っている。  
ひらひらと舞い降りてくるそれはすごく綺麗で、思わず見とれてしまうけど。  
「う〜、寒い……」  
今日は風も強かったんだ……。一歩歩くたびに、ひゅうっと南に吹きすぎてく。  
震えて歯を鳴らしてたわたしを目にして、キャッシュさんがにっこりする。  
「子どもは風の子って言うじゃないか」  
「うん、そうだね」  
そんな台詞を聞いて、わたしは決意を固めてた。  
 
……もう絶対に、わたしが子どもなんかじゃないって、思い知らせてあげるんだから。  
 
『女の子は、好きになった男の人を正面から見てこそだ』って言ったのは、  
レベッカお母さんか、近くに住んでるシェイオラさんか、どっちだろう?  
キャッシュさんのことが気になりだしてから、この言葉も気になっている。  
わたしが術使いだからってだけじゃなくて、わたしはずっとあの人たちに  
守られてばっかりだったような気がするからだ。歩く順番だけじゃなくて、  
わたしはほとんど、キャッシュさんの背中ばっかり見てたような気がする。  
 
「はい、キャッシュさん!」  
「ああ、ありがとう」  
普段はあんまりお酒を飲まないキャッシュさんだけど、今日はなんだか  
違うみたい。グラス一杯に注いであげたのを、ほとんど一気に飲み干す。  
「いいねぇ、キャッシュの旦那ぁ。おいジュディ、こっちにも」  
ゴージュさんがグラスを差し出そうとする前に、ボトルをテーブルの  
真ん中に置いた。「お、おいっ、このガキ! ひでえじゃねえか!!」  
キャッシュさんが笑ってる……わたしにはな〜んにも、聞こえてないんだからね。  
『男なんざ単純だよ、おしゃくをするとすぐに鼻の下伸ばして喜ぶんだからね』  
なんて言ってたのは、ウルスラさんのお母さんで間違いないはず。  
がんばって、色んなことを話したりして、キャッシュさんを振り向かせてみせるんだ!  
 
たまたまテーブルが小さかったおかげで、同じテーブルにはわたしとゴージュ  
さん、キャッシュさんしかいない。ゴージュさんはすねちゃって、もう酔い  
つぶれてる。そっちのほうが、よっぽど子どもみたいだわ。  
キャッシュさんは……何かあったのかな、あんまりしゃべってくれない。  
「ねえ、キャッシュさん。何かあったの?」  
「ん? ああ、騎士団の事だけど……まぁ、大人の事情ってやつでね」  
また、大人ぁ……。  
なんだか妙に腹が立ってきたのは、絶対に気のせいなんかじゃないと思った。  
何か言われてしまう前に、わたしは怒ってるのと緊張してたのとでからからに  
なってた喉をうるおし、キャッシュさんの目を正面から見つめた。  
 
「お、おいジュディくん、大丈夫かい?」  
なんでか心配そうな目をしたキャッシュさんが、私の肩を支えた。  
「にゃ、にゃにがっ……」  
――何だか、おかしい。ふらふらするのが、止まらない。  
空を飛んでるような気持ちになって、その後はどんどん下に落ちてく――。  
 
 ***  
 
「あらキャッシュさん、どうしたの?」  
「ああ、レベッカさん。ジュディちゃんが、僕のグラスと間違えてしまって」  
「お酒を飲んじゃったのね。まったく、あの子ったら……」  
「リキュールでしたから、酔いは軽いと思うんですが。……みんなまだのよう  
ですし、彼女を連れて、先に宿に帰ってきますよ」  
「いいのかしら、そんなことをさせて」  
「ええ、お安い御用です」  
 
――――なんだか遠くのほうで、話し声が聞こえる。  
あったかいせなかに包まれて、わたしはいつのまにかぐっすりと眠っていた。  
 
 
おしまい  
 

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