「マリーさん・・・あの、これを!」
目の前に広がる鮮やかな色彩。
そしてほのかな香りが辺りを漂う。
一瞬、彼女は目を大きく見開いて驚いたが、すぐに優しい微笑みに変わる。
「まぁ、これを私にくださるんですの?」
本当に幸せそうに笑う。
そうだ、俺は、この微笑みにやられてしまったんだ・・・
彼女の家は魔法屋で、彼女も含めて家族全員(父親は違うらしいが)が魔法使いだ。
この辺りでは珍しくないが、彼女の家(店)は森の中で木々と同居して建っている。
彼女が店番をしていると知ったのはいつだっただろうか・・・
とにかく、いつの間にか俺はこの店の常連になっていた。
魔法?そんなものは一切使えない。彼女が魔法を使うからとちょっと調べてみたことはあるが、ほとんど理解できなかった。
店には用事はない・・・ただ、彼女に会いたかった。
彼女はいつもにこにこ笑っていて、挨拶以外、なにも喋らない時も多々あった(本当は、そっちの方が何かを喋った日よりも格段に多い)。
それでも彼女は不審げな顔をしたことはないし、俺は彼女を見るだけで満足だった。
俺と同じように、彼女に惹かれて店に通う者も多い。
時々店の前で鉢合わせしては、気まずい、いや、あからさまな敵意を向けて彼等と接した。
しかし、彼女を前にするとそれまでのわだかまりが一切無くなって、皆一緒に微笑んでしまう。
彼女は、そんな女性だった。
・・・言わなくては。
俺は今日、その一言を彼女に伝えるために、ここに来たんだ。
何時間もかけてこの花を選んで、結局決められずに全部の花を買って、ここにやってきたのは・・・彼女に、自分の気持ちを伝えるためだ。
・・・『好きです』と。
何度もその言葉を考えたし、この時をずっと待っていた。
何度も心の中で呟いて、ここに来るまでずっと、決めていた一言が頭にあった。
しかし、どうしても出て来ない・・・口に出せない。
彼女と俺の間には、巨大すぎる花束。
彼女は・・・相変わらず花を眺めて嬉しそうに笑っている。
俺は・・・
幾枚かの花びらが舞った。
ゆっくりとそれが落ちていく中、より一層深い花の香りに包まれた。
気がつくと、俺は彼女を抱き締めていた。
そう・・・彼女は天使のようだと思った事がある。
風が吹いたら飛んでいってしまいそうな、
手を伸ばしたら消えてしまいそうな。
その彼女が、今、俺の腕の中に・・・
細くて・・・ちょっと力を入れたら折れてしまいそうな彼女の身体。
ばさり、と俺の手から離れた花束が床に転がった。
「あっ」
彼女が花束の方を向こうとし・・・
反射的にその顔を、唇を追い掛けていた。
・・・俺は、なんてことを。
何も言っていないのに、まだ何も告げていないのに・・・
俺は、彼女の唇を奪っていた。
彼女はかすかに震えていたが、抵抗はしない。
このままどれくらい時が流れるのだろうか・・・彼女は動かなかった。
・・・なんとなく、予想通りだったとも言える。
もしも、誰かが彼女をいきなり襲ったら・・・彼女はそのまま受け入れてしまうのではないか、と。
他の誰かが・・・・・
それなら、今、ここで、彼女の全てを奪ってしまいたい。
ふと、俺の頬に何かが触れた。
彼女の手だった。
彼女は俺から口を離し、心配そうに言った。
「泣いているんですの?」
その時初めて、俺は自分が泣いている事に気付いた。
「どうしましたの?何か、悲しいことがありましたか?」
みるみるうちに彼女の顔が悲しそうに、今にも泣き出しそうになった。
こんな顔は見た事がなかった。
俺は、彼女にこんな顔をさせてしまったのか・・・
俺は何も言えず、彼女を抱いたまま立ち尽くしていた。
意外なほどあっさりと、軽やかな仕種で俺の手を振りほどくと、彼女は床に落ちている花束から小さな花を一本抜き取る。
それが俺の目の前に差し出された。
彼女はまだ少しぎこちないが、笑っていた。
ただ、まっすぐに俺を見つめて。
その花を受け取ると、蕾が開くように、彼女の顔が明るくなった。
・・・ああ、俺は・・・
ありがとう。
ごめんな。
一言、二言何か告げて・・・俺は店を後にした。
それから自分の部屋にコップを置いて受け取った花を差し・・・その花がしおれてしまうまで、ずっと眺めていた。
数日後、やはりきちんと謝っておかなくては、と彼女の店を訪れたが、その時は小さな女の子・・・彼女の妹が店番をしていて彼女は不在だった。
だが、店の隅に大きな花瓶に差された、盛大に咲き乱れる花々を俺は忘れるはずもなかった。
-Fin-