ブラッククロス基地が壊滅して一ヵ月後、IRPO本部にて――  
 
「……あ」  
部屋に入ったヒューズは思わず声をあげた。昨日までは空席だった机に、見慣れた姿が座っている。  
「おはよう、ヒューズ」  
ヒューズを認めたタリスは淡々とそう口にした。アイスブルーの瞳が、正面から真っ直ぐ自分をみつめて来る。  
今から一ヵ月前、最後に見た彼女の姿が脳裏に甦った。ブラッククロスの基地から帰還するシップの中、彼女はただ黙りこくって俯いていた。  
自らの細い肩を抱き、全身から拒絶の気配を漂わせて。その気配に押され、結局自分は何の言葉もかけてやれなかった。  
今目の前にいる彼女は、少なくともあの時よりは回復したようには見える。  
「お、おう……早いな」  
彼女の机に近づくと、ヒューズは何気ない風を装って尋ねた。  
「もう出て来て大丈夫なのか?」  
「いつまでも休んでもいられないから。  
さすがにしばらく現場には出られそうにないから、デスクワーク中心になりそうだけど」  
顔の前で組み合わせた両手に額を押しつける。表情からも声音からも苦悩がうかがいとれ、ヒューズは居たたまれなくなった。  
二人の間に、沈黙が落ちる。  
「……ねえ」  
不意に、タリスの方から声をかけてきた。  
「なんだ?」  
「その……報告書に伏せておいてくれたのね。私がされたこと……」  
ブラッククロスが壊滅した後に提出した報告書。それに、ヒューズはタリスが捕らわれて監禁されたことしか書かなかった。  
「上が知る必要のあることじゃねえだろ」  
即答すると、タリスは静かに瞳を伏せた。  
「……ありがとう」  
「気にすんな。それより、無理すんじゃねえぞ」  
真面目な奴程思い詰めやすいんだから……そう、声には出さずに呟くと、ヒューズは自分の机へと向かったのだった。  
 
ここのところ、リージョン界は平穏でめぼしい事件は起きていない。ヒューズは数日前に解決したある事件の報告書をまとめながら、時折タリスの方へと視線を向けた。  
傍目には、普段通り仕事をしているように見える。だが、つきあいの長いヒューズは気づいていた。彼女が仕事に集中しきれていないことを。  
そしてそれは自分も同じだった。タリスの姿を見る度、頭の中に彼女の白く均整の取れた裸身が浮かんで来る。そしてあの変態科学者の姿も。  
監禁されている間、一体どんな風に抱かれたのか、そしてどんな声をあげて応えたのか――。  
Dr.クラインがタリスを犯す様を想像する度に、苛立ちと、嫉妬にも似た奇妙な感情が沸き起こって来る。  
「……くそっ」  
小声で呟くと、ヒューズは立ち上がった。その音に、隣の机のサイレンスが物問いたげな眼差しを向けて来る。  
「煙草が切れた。買って来る」  
 
廊下の自販機で煙草を買って一服すると、多少は気分が落ち着いた。吸い殻を近くの灰皿へ落とすと、部署へと戻ろうと歩き出す。  
廊下の向こうにドアが見えた。そのドアが開いて、中からタリスが出て来る。手には分厚いファイルが数冊抱えられていた。おそらく資料室へ行くのだろう。  
お互いそのまま歩き続け、すれ違おうとした時だった。不意に何かに足を取られたのか、タリスの体が大きくよろめいた。ファイルが彼女の手を離れ、空中へと飛び出す。  
 
「……危ねえ!」  
咄嗟に手を伸ばし、倒れ込む彼女を抱き止めていた。衝撃がして両腕に重みがかかる。  
「あ……」  
ごくごく近い距離に、驚いたように見開かれた彼女の瞳がある。香水かそれとも彼女の肌の匂いか、ふわり、と甘い香りが鼻孔をくすぐった。  
無意識のうちに、唾を飲み込んでいた。触れ合っている部分から、柔らかな感触と温もりが伝わって来る。頭の中にまたしても、あの時見た彼女の裸身が浮かんだ。  
目の前のIRPOの制服の下には、あの女らしい肢体があるのだ……。  
「ヒューズ……」  
こちらをみつめている彼女の瞳は、いつしか怯えに似た色を浮かべていた。  
やや濃い目のルージュを引いた唇が、わななくように震えている。頬が僅かに上気し、桜色に染まっていた。  
気づくか気づかないくらいかの微かさで、体を震わせている。表情、仕草、全てがむしゃぶりつきたくなるような色気に満ちていた。  
手に力が籠もる。抱きしめ、口づけて、肌の滑らかさを確かめたい。どんな顔をするのか、どんな声をあげるのか……。  
「……離して……」  
途方にくれたような言葉に、ヒューズははっと我に返り手を離した。タリスはさっとしゃがみ込むと、廊下に散らばったファイルを拾い集め始めた。  
「ドール……その……」  
彼女の顔は床を向いたまま。自分と視線をあわせようとしない。ファイルのぶつかりあう音だけが、廊下に響く。  
落としたファイルを全て拾い集めると、タリスはそれを胸に抱き込むようにして抱えた。拒絶とも取れる姿勢。  
視線は足許に向けられたままだ。決してこちらを見ようとはして来ない。  
「ごめんなさい……それと、さっきはありがとう……」  
俯いたままかぶりを振ると、彼女は早足で行ってしまった。  
 
ヒューズと別れたタリスは、資料室に駆け込むと勢い良くドアを閉めた。  
「はあ……はあ……」  
部屋の奥へと定まらない足取りで歩く。もう、限界だった。荒い息を吐き、壁に背を預ける。  
「最低だわ……」  
瞳から涙が溢れた。自身の細い肩をぎゅっと抱いて身を震わせる。体の芯が熱い。熱くてたまらない。  
ついさっき、廊下でヒューズに抱き止められた時。彼の筋肉質の体の感触を全身で感じとった時。体の奥の情欲に火がついてしまったのだ。  
「心配してくれているのに……私ときたら……」  
彼に「抱かれる」ことを望んでしまった。あの逞しい体に抱きすくめられ、押し倒されたいと。  
あのままもうしばらく触れ合っていたら、自分は欲情の炎に理性を焼き切られ、恥も外聞もかなぐりすてて、彼に「抱いてくれ」と懇願していただろう。  
恥ずかしさで、ヒューズの顔をまともに見ることすらできなかった。できたのは、彼に背を向けて逃げ出すことだけ。  
そして彼から離れた今も、自分の体の芯は疼き続けている。  
タイを緩めてブラウスのボタンを外す。今は少しでも火照った体を冷やしたかった。  
ボタンを一つ外しただけでは、充分なだけの外気が入って来ない。少し躊躇ったが、二つ、三つとボタンを外して行く。  
ブラジャーに包まれた重たげな胸のふくらみが、あらわになった。  
「あ……」  
片方の手が、乳房の上に落ちた。そのままゆっくりと撫で擦り始める。快感が背筋を走り抜けた。  
一体、自分は何をしているのだろう。そう思うが手を止めることができない。もう片方の手も加わり、両の手が胸を揉みしだく。  
「あ……はあ……駄目……」  
理性がこんなことをしてはいけないと、訴えかけて来る。そもそもここは資料室だ。さほど人の来るところではないが、それでもいつ何時誰かが来ないとも限らない。  
「駄目よ……こんなところで……止めなくちゃ……」  
呟きに反して、手の動きは止まろうとしない。ブラジャーのホックが外れ、乳房が解放された。外気に晒された胸を、わしづかみにする。  
 
「んん……」  
左手の指を口に含む。唾液で濡らした指で、乳首をきゅっと押し潰すようにしてこすった。  
快感が輪のように広がって体を支配し、腰から力が抜けた。立っていることができなくなり、壁に背を預けたままずるずると床に座り込む。  
「駄目……駄目だってば……」  
力無くかぶりを振り、タリスは呟いた。よりにもよって昼間の職場で、破廉恥な行為に自分は耽っている。  
「あ……ん……」  
いけないと思えば思う程、その行為に没頭していく自分がいる。右手をスパッツの内部に潜り込ませる。手が既に湿っている下着に触れた。  
最も敏感な部分を下着の上からぐいぐい押しつける。とろっと蜜が溢れ出すのが、自分でも感じられた。  
「……くぅん……」  
鼻にかかった甘い声が洩れた。がらんとした資料室で、その声が妙に響いたように思える。一瞬の懸念。  
だがその懸念は即座に快感を求める気持ちに押し流されてしまう。もっと気持ちよくなりたい。痺れるような蕩けるような陶酔感を味わいたい。  
我慢ができなくなり、ウェストに手をかけるとスパッツを下着ごと引きずり下ろした。下腹部に触れた冷たい空気に、一瞬頭が冷える。  
「ああ……」  
IRPOの資料室。ファイルを収めた棚が並ぶその部屋で、昼日中に胸を大きくはだけ、下半身の着衣を半ば下げた状態で、自分で自分を慰めている女。みじめで、あさましい光景。  
「……ああっ!」  
だがそう感じた次の瞬間には、また耐えられないほど体の芯が疼いていた。  
恥ずかしさと情けなさで涙をこぼしながら、タリスは疼く体を慰めるべく、左手で胸を揉み、右手の指を秘裂に這わせた。  
「んっ……あっ……あっ……」  
細い指で膣壁や小さな突起をこする。蜜が今まで以上に溢れ出し、ねっとりと指に絡んだ。喉から洩れる声を殺すまいという意志も、次第に働かなくなって行く。  
「はあっ……ああっ……」  
体を愛撫すればする程、内で燃える情欲の炎は大きくなっていく。静めようした行為は却って、火に油を注いでいた。  
「は、早くイかないと……いつまでも戻らなかったら、変に思われる……」  
 
もしかしたら心配した誰かが自分を探しに来るかもしれない。そしてこんなところを見られでもしたら――。  
羞恥で頬がかっと赤く染まり、全身が今まで以上に熱くなる。タリスは絶頂に達しようと、必死で体を愛撫した。  
だが、焦れば焦る程、望む高ぶりは訪れようとしない。むしろ欠乏感の方が募って行く。  
「ううっ……いや……だ……イキたいのに……イケ……ない……なんて……」  
達することもできず、かといって行為を止めることもできない。絶望でタリスは身を捩った。  
啜り泣きながらタリスが自慰を続けていると、不意にドアノブがかちゃりと音を立てた。  
「……!」  
驚いてはっと息を呑む。ドアに填め込まれた磨りガラスの向こうに、黒い人影が見えた。誰かが、部屋に入って来ようとしているのだ。  
隠れなければ。でなければ、乱れた衣服を直して平静を装わなければ。そう思うが、情欲と快楽によって力の抜け切った体は、思うように動こうとしない。  
ただただ体を堅くして見守ることしかできないうちに、ドアが静かに開いた。  
「……サ、サイレンス!?」  
部屋に入って来たのは、同僚である妖魔の青年だった。彼は後ろ手にドアを閉めると、表情一つ変えることなくタリスを眺めた。  
「あ……その、これは……」  
サイレンスは黙ったまま、淡々と自分を見続けている。頬がまたしても羞恥で赤く染まった。  
彼の視線が付き刺さるように感じられ、タリスは瞳を伏せた。一体どう思われているのだろう。恥ずかしい女か、それともいやらしい女か……。  
深く物思いに沈んでいた為、タリスは気づけなかった。サイレンスがいつしか、自分のすぐ傍らまで来て、膝をついてこちらを見ていることに。  
不意に腕が伸びてくると、タリスの体を抱き上げた。抗議の声をあげる暇もなく、唇が柔らかいもので塞がれる。  
それがサイレンスの唇だと気づくまでに、数秒の時間を要した。体温が自分より低いのか、触れ合っているそれは冷んやりとした感触だ。  
 
「んん……」  
サイレンスの腕を振りほどこうとするが、体に全くと言っていい程力が入らない。それでいながら、触れ合っている唇の感触だけは妙に鮮明だ。  
最初は羽根のように軽かった口づけに、僅かに力が加わり出した。極々些細な力だが、少しずつタリスの唇を開かせて行く。  
「ん……あ……」  
抵抗することができない。開かされた口の中に、舌がゆっくりと侵入してきた。  
口内にその感触を感じとった瞬間、今まで感じたことのないような強い快感が全身を駆け巡った。あまりの強さに、一瞬、呼吸が止まりそうになる。  
たっぷり数分にも渡る長く濃厚な口づけの後に、サイレンスの唇が離れた。  
「サイレンス……」  
かすれた声で彼の名を口にする。妖魔の青年は、静かに自分を見下ろしていた。無表情に近いその表情から、彼が何を考えているのかを伺い知ることはできない。  
「あ……」  
尋ねたいことは山程あった。だがその問いを口に乗せる前に、サイレンスはタリスの胸に手を置いた。ふくらみをやんわりとその手が揉みしだく。  
「やっ……」  
びくん、と体が震えた。サイレンスが首筋に顔を埋め、口づけてくる。その部分から、快い痺れが広がり出した。  
身動き一つできず、ただただサイレンスの愛撫に身を任せることしかできない。サイレンスの唇が次第に下の方へと下がって行く。  
首筋から鎖骨のの辺りをなぞり、それから胸へと滑り降りた。続いて、ふくらみの頂きへと昇って行く。  
「んはあっ!」  
サイレンスが既に尖っていた先端を口に含んで吸い上げた。突然の強い刺激に、悲鳴にも似た声が洩れる。  
「だ、駄目……こ……声が……」  
外へ聞こえてしまう。懸念が伝わったのか、サイレンスが再び唇を重ねて来た。自然と視界が塞がれ、彼が何をしようとしているのかが見えなくなる。  
太ももに、手が触れた。ゆっくりと上の方へと上がって行く。見ることができないせいか、その動きが恐ろしい程鋭敏に伝わって来る。  
「ん……」  
上がって来た手が太ももの付け根に達した。そのまま股間の方へ、秘められた部分へと移動していく。  
 
指が濡れた襞をかきわけ、肉芽をぐっとこすられた。腰が熱く蕩けたようになり、頭の芯が痺れていく。背がのけぞり、体がびくびくと痙攣するように震えた。  
自分を抱きかかえている方のサイレンスの腕に、力が籠もった。体と体がきつく密着し、身を捩ることができなくなる。  
その状態で、彼の指が内部へと入り込んで来た。二本の指が膣内を満たし、別の指がもっとも感じる突起を刺激する。  
唇を塞がれている為声を上げることができず、きつく抱きしめられているが故身を震わすこともできない。  
そのせいか、熱が内部に籠もるような感覚に襲われる。籠もった熱は激しさを増し、タリスを絶頂へと一気に押しやった。  
「……っ!」  
ぎゅっと閉じた瞼の下で白い光が弾け、塞がれた口の下では声にならぬ悲鳴が洩れる。タリスの体はぐったりと力を失い、意識は光の中へと呑み込まれて行った。  
 
数分程で意識は戻った。先程と同じ体勢のまま、サイレンスが自分を覗き込んでいる。  
あんな行為をした後だというのに、彼の表情は全く変わっていない。  
またしても、頬が赤く染まるのが感じられる。  
そろそろと彼の腕から抜け出す。達したせいか、体の疼きや火照りは治まっていた。だが胸の内には苦いものが渦巻いていた。  
彼とこういう行為をしたかったわけではないのに、結果としてそれに溺れてしまった。快楽に呑まれ、理性を失ったのだ。  
俯いて衣服の乱れを直すうちに、みじめさが押し寄せて来た。身を震わせて唇を噛みしめる。  
タリスの肩に、軽い感触が触れた。驚いてそちらを見ると、サイレンスが肩に手を乗せて首を横に振っている。  
「……気に病むなと言いたいの?」  
 
首が縦に振られる。肩に乗せられた手に、力が籠もった。  
「何故、あんなことをしたの? 別に私としたかったわけではないんでしょう?」  
それが目的なら、最後までしていた筈だ。丁寧な愛撫で絶頂に導いただけで、彼自身は自分を満足させる行為を一切行わなかった。  
サイレンスは頷くと、庇うように手をタリスの前にのばした。警戒するような視線を、ドアの方に向ける。  
「私を、庇って……? あのままにしておいたら、誰かにみつかったから……」  
またしても肯定の仕草がかえってくる。彼の指摘したとおりだった。  
あのままにされていたら、いつまで立っても自慰を止められず、悶え苦しんでいるところを誰か他の人間にみつかっていたかもしれない。  
最悪の場合、完全に理性を失い、体の疼きを静めてくれる相手を探しに彷徨い出てしまった可能性もあるのだ。  
そうなってしまった時のことを想像し、タリスは恐怖で身がすくむのを感じた。  
「……ありがとう」  
まだ微妙に割り切れないものがあったが、彼が自分を助けようとしてくれたことは確かだ。それに、妖魔と人間ではどうしても価値観が違う。  
気にするなとでも言いたげに、タリスの背を軽く叩くと、サイレンスは静かに資料室を出て行った。  
残されたタリスは、床に座り込み、みじめな気持ちで俯いた。  
自分の体は完全におかしくなってしまったらしい。今日のこの醜態は一体何なのだろう? よりにもよって職場でこんな行為に耽ってしまうなどとは。  
「私、もう駄目かもしれない……いったいどうしたらいいの?」  
震える自分の体を抱きしめ、タリスは一人呟いたのだった。  
 
 
「遅えな、あいつ……」  
ヒューズは苛立ちながら時計を眺め、それから未だに空のままの席を眺めた。  
「たかが資料取って戻って来るだけだろうが。何とろとろしてやがる」  
廊下で別れた後、ヒューズはすぐに部屋へと取って返すと報告書をまとめる作業に戻った。それからかなりの時間が経過したが、未だにタリスは帰って来ない。  
吸っていた煙草を灰皿に押しつけ、新しいのを咥えて火を点けた。さっきからこんなことばかり、やっているような気がする。  
廊下でのことを思い出す。あの時の彼女は明らかに様子が変だった。普段の彼女なら――。  
普段。普段とは何だ? あんな目にあったのだ。今までどおりで、いられるわけがない。  
ヒューズは咥えたばかりの煙草を灰皿の上に落とすと、立ち上がった。  
「ちょっと出て来る」  
コットンが身軽に、ヒューズの机の上に飛び乗って来た。煙草の箱を手に取り、首を傾げる。  
「キュウキュウキュキュキュキュウ?(ヒューズ、これまだ沢山入ってるよ?)」  
「煙草買いに行くわけじゃねえよ。詮索すんな、毛玉」  
 
資料室の前で、ヒューズは立ち止まった。いざ来たものの、中へ入ったものかどうか踏ん切りがつかない。  
なんとなく不安になって様子を見に来てしまったものの、はっきりした根拠があったわけではない。  
何も問題などない可能性の方が高いのだ。状況が状況なだけに、タリスは変に気を使われるのを嫌がるかもしれない。  
磨りガラスをはめ込んだドアの前でためらっていると、耳が中から聞こえて来る音を捕らえた。  
女の声。鼻にかかったような、掠れたような甘い声だ。はっとして聞き耳を立てる。間違いない。これは喘ぎ声だ。  
ぎくりとする。動悸が驚愕で激しくなっているのがわかる。からからに乾いた口の中を湿すかのように唾を呑み込むと、ヒューズはそっとドアのノブに手をかけた。  
細くドアを開けると、ヒューズは資料室の中を覗いた。目に入ったのは、棚の並ぶ部屋の中、奥の壁の手前で抱き合う男女。  
女の服ははだけられ、下着はずり落ちている。そんなあられもない格好で、彼女は肌を上気させ喘いでいた。  
「……!」  
思ってもみなかった光景に、ヒューズの頭の中が真っ白になる。妙にぎくしゃくした動きでドアを閉めると、ヒューズはその部屋に背を向けた。  
 
それからどうやって戻ったのか、そして何をしたのか、全くといっていい程記憶に残っていない。コットンが何やらまとわりついてうるさく聞いていたような、それだけを微かに憶えている。  
気がつくとサイレンスもタリスも戻って来ていたが、声をかけることはできなかった。  
二人もお互いに何か話をするでもなく、親しそうな様子を見せるでもなく、ただただそれぞれの仕事をしている。  
さっきのあれは白昼夢なのではないかと、そう考えてしまいたくなるくらい、二人の様子は互いを気にかけていなかった。  
だがそんな二人を見る、ヒューズの方が落ち着かなかった。先程の光景を思い返す度に、ささくれ立つような、そんな不快感に襲われる。  
別におかしなことじゃないさ。ヒューズは声に出さずに呟いた。  
IRPOは別に職場での恋愛を禁止しているわけではない。二人がどんな関係になろうが、それは二人の間のこと。自分が首を突っ込むべき問題ではない。  
当然過ぎて、わざわざ繰り返すのもバカバカしく感じられるぐらいだ。  
それなのに……何故、こんなに胸の奥が灼けるように苦しいのだろう。  
手の中で、乾いた音がした。見れば、筆記具が砕けている。気がつかないうちに、力が籠もっていたようだ。  
喉から乾いた笑いが洩れる。自分は一体何をやっているのだろう?  
いつしか、部屋の中は薄暗くなっていた。同僚も皆姿が見えない。時間が来て、帰ってしまったようだ。そのことにすら、自分は気づかなかった。  
どうも調子が変だ。ヒューズは溜め息をつくと、帰り支度をするべくカバンを開けた。私物をまとめてその中に放り込む。  
その時、部屋のドアが微かな音を立てて開いた。高い足音が、部屋の中に入って来る。  
「ヒューズ、まだ残っていたの?」  
タリスだった。自分を見て、少し驚いたような顔をしている。まあ確かに、仕事が終われば普段はすぐに帰る人間が残っていたら、驚きもするだろう。  
「……ちょっと、な。忘れ物か?」  
「ええ」  
頷くとタリスは彼女の机に歩み寄った。引き出しを開けると、中を探し出す。  
「どうも気が緩んでいるみたい。つまらないミスばかりしてるわ」  
些細な言葉だった。だがその些細な言葉が、ヒューズには引っ掛かった。  
だから、資料室であんなことをしていたというのだろうか……? 狂暴な気持ちが沸き起こって来る。  
「気が緩んでいる……?」  
 
言いながら立ち上がると、彼女の背後に回った。気づいていないのかそれとも単に気にしていないのか、彼女は振り向きもせずそのまま机の中を探している。  
「あなただから言うけど……ほら、色々あったから……」  
下を向いて引き出しの中を覗き込んでいる。低い位置にある細く白い首筋が、目に入った。  
あの首筋に、触れた男がいる。彼女を監禁した変態科学者だけでなく、自分の同僚までもが――。  
ヒューズの頭の中で、何かが勢い良く切れた。背後からタリスにつかみかかると、その体を羽交い締めにする。  
驚きで彼女の体がすくむのが、はっきりとわかった。白いうなじに口づけると、赤い跡が残るまで力を込めて吸う。  
「何をするの!? 離して!」  
タリスが束縛を振り解こうと身を捩るが、腕力で自分に叶う筈もない。がっちりと抑え込んだまま、豊かな胸を服の上から力いっぱい掴む。  
「……い、痛いわ! 胸をそんなに強い力で掴まないで! ヒューズ、どうかしてるわよ!」  
「うるせえっ! 人のことを言えた義理か!」  
邪魔な布地を力任せに引っ張る。音を立ててブラウスの生地が裂けた。ブラジャーの肩紐が引っ掛かった、丸みのある肩のラインがあらわになる。  
「どういうこと?」  
「さっき資料室で、お前サイレンスと何してやがった!?」  
虚をつかれたのか、タリスの体から一瞬力が抜けた。  
「そんな……見てたの……?」  
「ああ見てたさ!」  
叫ぶと、ヒューズはタリスを力任せに床に押し倒した。彼女の体を正面を向かせると、乱暴にブラウスの残りを引き千切る。  
白い肌がヒューズの視線の許に晒された。情事の跡が残っていないかと、つい探してしまう。  
 
「いやあ!」  
タリスが身を捩る。ヒューズは体重を利用して、彼女の体を押さえ込んだ。  
「うるせ、騒ぐんじゃねえ」  
冷たい床に押し倒され、両手を押さえつけられたタリスは、恐怖と嫌悪が入り混じった瞳でこちらを見上げている。  
破れたブラウスが申し訳程度に上半身にまとわりつき、ブラジャーが胸のふくらみを覆い隠していた。  
「見せろよ」  
ブラジャーをぐいと押し上げると、豊かな乳房がこぼれ落ちた。そのふくらみに顔を埋めると、何ともいえない柔らかな感触と温もりが伝わって来る。  
もっと早くこうすれば良かったんだ、と頭の中で何かが囁きかけた。そうすれば、彼女は完全に自分のものになっていたのだろうから。  
「止めてってば!」  
タリスの叫びに、血が頭に昇った。そんなに自分に触れられるのが嫌なのか……? 彼ならどこを触れられても構わないというのに?  
痣をつけかねないくらい強い力で、胸のふくらみを握りしめる。タリスの喉から悲痛な声が洩れた。  
「痛っ……」  
首の付け根に口づけると、強く吸った。跡がたくさん残ればいい。誰にも肌を見せられなくなるくらいに。首から胸にかけて、赤い跡を散らしていく。  
「下もだ……」  
下半身を覆うスパッツに手をかける。タリスがいやいやをするように首を横に振った。  
「ヒューズ……お願い、もう止めて……こんな形であなたに抱かれるのは嫌なの……」  
手の動きが一瞬止まった。タリスは哀願するような瞳で、こちらを見ている。瞳に涙が滲んでいた。  
自分は何をしようとしているのだ?  
 
だが次の瞬間には、また資料室での光景が甦った。あの変態科学者とのことだけならまだいい。だがサイレンスとまでとなると――。  
ぐっと唇を噛むと、スパッツと下着を引きずり下ろす。滑らかな太ももと、やや濃い目の翳りに覆われた恥丘が目に入った。  
「やめてえ!」  
「うるせえっ! さんざん男に抱かれまくったくせに、今更何を恥ずかしがってやがるっ! 声まであげてよがってたのはどいつだっ! この淫売!」  
その言葉に、タリスの瞳が愕然と見開かれ、体から力が抜けた。だがそんな彼女に構わず、両の膝を乱暴に開かせる。秘められた部分が目の前にさらけ出された。  
「ここであいつを受け入れやがったんだな……」  
まだ濡れていないその部分に、指を強引に差し入れる。タリスの顔が苦痛に歪められた。  
「……あっ……くぅ……」  
ぐいぐいと指を動かすうちに、秘裂は少しずつ潤ってきた。彼女の喉から悲鳴とも喘ぎともつかない細い声が洩れる。その声が更に激情をかきたてた。  
刻みつけてやりたい。自分という男の存在を、彼女の体に。  
既に男根は痛いぐらいに膨れ上がっている。ズボンのジッパーを下ろすと、存在を誇示するかのようにそそり立った。  
彼女の両足を持ち上げて抱え込み、大きく開かせた足の間に男根をあてがうと一気に腰を突き込んだ。  
充分に濡れていないその部分は、ヒューズをなかなか受け入れようとしない。それすらも彼女の抵抗のように感じられ、ヒューズを苛立たせる。  
「俺に抱かれるのは、そんなに嫌かよ……今までに何度もここに突っ込まれたんだろ?」  
力ずくで無理矢理男根を、彼女の中へとねじ込んで行く。  
 
「うっく……あうっ……」  
泣き声にも似た声をタリスがあげた。抵抗する気を無くしたのか、人形のように大人しくされるがままになっている。  
体を押さえつけ乱暴に抜き差しするうちに、吐き出される息に熱っぽいものが混じり出してきた。  
「段々濡れて来たじゃねえか……こんなに乱暴にされても感じるのか?」  
答えはない。だがヒューズの言葉どおり、結合部からは激しい水音が響き出していた。熱く濡れた肉壁が男の分身をきつく締めあげて来る。  
「……淫乱なんだな、お前は」  
片方の手を伸ばして、堅くしこっていた乳首を摘み上げる。切なげな吐息が唇から洩れた。頬が桜色に上気し、潤んだ瞳はどこともしれない場所をみつめている。  
何故だか、苛立つものがあった。  
「何か言え、言えよっ! 俺がお前を犯してんだぞっ! 辱めるようなこと、言ってるんだぞっ! 何か言うことがあるだろうっ!」  
タリスが力無くかぶりを振った。喉から洩れる声は、艶を帯びた微かな喘ぎだけ。  
「こ、の……」  
心のどこかが重く苦しい。その苦しさを打ち消したくて、一層激しく腰を叩きつけて行く。  
「んんっ……あっ……はあっ……」  
動きに応じてタリスの体が跳ねた。甘く切なげな声をあげて喘ぐ。だが、どこか彼女の様子は虚ろだ。  
体はこんなに熱く蕩けそうになって自分を受け入れてくれているのに、どうしてこいつ自身は駄目なんだ……?  
「くっ……」  
何度も腰を激しく突き込むうちに、頭の中が痺れたようになる。腰が今まで以上に熱くなったかと思うと、ヒューズはタリスの中に精を放っていた。  
「ああ……はあ……」  
 
注がれる拍動にあわせて彼女の体が痙攣するかのように震え、膣がぎゅっと収縮する。大きく息を吐くと、そのまま彼女は気を失った。  
彼女の中から、畏縮した男根を引き抜く。欲望を吐き出した体からは、熱とともに激情もまた、引いていった。  
「ドール……?」  
目の前に意識を失ったタリスが横たわっている。服は無残に引き裂かれ、肌のそこかしこには自分がつけた赤い跡。秘部からは白濁した液体がこぼれ落ちている。  
ぐったりと手足を投げ出し微動だにしないその姿は、さながら壊れた人形のようであった。  
「くそっ、俺は何てことをしちまったんだ……」  
絶望と焦燥がこみあげて来る。自分のした取り返しのつかない行動。どれだけ、彼女を心身共に傷つけてしまっただろう。  
意識のないタリスの傍らに膝をつくと、ヒューズは彼女をきつくかき抱いた。熱いものが瞳の奥にこみあげてくる。  
 
そのまま、ずっとそうしていた。  
 
 

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