「なかったことにしましょう。それが一番いいわ。今日私達の間には何も起きなかった……こんなことは、何も」
それが、意識を取り戻した彼女が最初に口にした言葉だった。
「ドール、俺は……」
「ヒューズ、わかって。こんなことはなかったの。起きなかったの。お願いだから、忘れて。私も忘れるから」
早口でそれだけを言うと、タリスは横を向いて俯いた。破れたブラウスを隠すかのように、ジャケットを羽織ってボタンを留め始める。
その手が小刻みに震えていた。伏せ気味の瞳には涙の雫が浮かび、唇は白くなる程噛みしめられている。
「…………」
ひどく傷つけてしまったことをすまなく思う半面、彼女を強く抱きしめて完全に自分のものにしてしまいたいという欲望が、頭をもたげて来ていた。
彼女をみつめながら、ヒューズは何一つ口にすることができなかった。ただ灼けつくような苦しさと激しさだけが、心の中に渦巻いていた。
重くわだかまった気持ちを抱えたまま、タリスは帰宅した。
のろのろとカバンを下ろし、纏っていた衣服を全て脱ぎ捨てる。破れたブラウスを見ると、みじめさが今まで以上に押し寄せて来た。
ぶるっと身を震わせると、浴室のガラス戸を開けて中に入る。
栓をひねると、シャワーのノズルから熱い湯が音を立てて全身に降り注いだ。その奔流にしばらく身を任せる。湯を浴びている間は、何も考えずにいることができた。
数分に渡って湯を浴びた後、タリスは栓を捻ってシャワーを止め、石鹸を泡立てて体を洗い始めた。細かな白い泡が、滑らかな肌の上を滑って行く。
肌をこする手が、ふと止まった。視線が泡に包まれた胸元に落ちる。泡の下から幾つもの赤い跡が透けて見えている。つい先程、職場でヒューズがつけた跡だ。
その時のことを思い出し、タリスの体が緊張で強ばった。肌にまだ、ヒューズの体の感触が残っているような気がする。
痛いくらいに自分の胸を握りしめた大きな手や、力任せにのしかかってきた体の重み、肌を灼くかのように思えた彼の吐息、それに何より――
「う……あ、あ……」
タリスは肩を抱き、膝をついて浴室の床にうずくまった。自分の中に無理矢理入り込み、荒々しく蹂躙した彼を忘れることができない。その時彼が浮かべていた、妙に苦しそうな表情も。
「でも、わたしは……」
ヒューズとの行為は合意の上ではなかった。彼は力ずくで自分を犯したのだ。それなのに、自分の体は彼の行為に最終的には感じていた。達したのだ。あの時。
肩を抱く腕に力を込め、ぎゅっと目を閉じる。Dr.クラインに抱かれ続けるうちに、快楽を骨の髄まで教え込まれてしまった自分の体。
いつしか、男であれば誰かれ構わず感じ求めるようになってしまったのだろうか。
「淫乱なんだな、お前は」
ヒューズの言葉が耳に甦る。否定することは、できそうになかった。サイレンスに疼く体を慰められ、ヒューズに犯され……。
愉悦の声をあげよがったのは、紛れもない事実。淫乱と言われるのも、無理のないことだ。
「あ……」
ヒューズとの行為を思い返しているうちに、不意に体の芯が激しく疼いた。下半身が灼けつくような感覚に襲われる。無意識のうちに、太ももに力が入った。
「い、いや……」
股間に伸びそうになった手を、必死で押し留める。資料室での悪夢が、脳裏に甦った。自分のことを淫売と呼んだ、ヒューズの声も、また。
「う……あああっ!」
理性をふりしぼり、タリスは青い栓を力一杯捻った。シャワーから彼女めがけて盛大に冷水が降り注ぎ、体の熱を奪って行く。
体が芯まで冷え切り、歯の根があわなくなるほど震えが来るまで、タリスはずっと冷水を浴び続けた。
気がつくと、ヒューズは深い闇の中にいた。自分がいる場所がどこなのかも、何故ここにいるのかも全くわからない。
混乱しながら周囲を見回してみる。右の方角から、微かながら人の声のようなものが聞こえて来た。はっとしてそちらの方を向くと、駆け出す。
間違い無い。聞こえて来るのは艶を含んだ女の甘い声。抱かれて感じている声だ。それも、彼女の。
「ああっ……はあっ……」
どれだけ駆けただろうか。闇の中に、一筋の光が差し込む場所があった。その光に照らし出されるようにして、絡み合う男女の姿がある。
足を投げ出して座る男に抱え込まれるようにして、彼女は背後から貫かれていた。彼女の体の影になり、男の顔を見ることはできない。
男の手が背後から彼女の肌を這い回り、胸のふくらみを揉みしだいている。筋肉質の逞しい手が、柔らかな肉をぎゅっと押し潰していた。
「ああっ!」
下から激しく突き上げられ、彼女の体が大きく跳ねた。腰が妖しくくねり、入り込んでいるものを締め上げている。
男の腕が背後から彼女の体を抱きしめた。動きを封じられた彼女は、細かく身を震わせながら嬌声を上げ続けている。
見ているだけで、その声を耳にしているだけで、気が変になりそうだった。
「やめろっ! 俺へのあてつけかっ!? あてつけなんだろうっ!? 俺の前でそんなことをするんじゃねえっ!」
いたたまれなくなり、ヒューズは声を限りに絶叫した。だが目の前の男女の様子に変化はない。ヒューズの言葉など、届いていないかのように。
「あてつけかって? 馬鹿なことを聞くんじゃねえよ」
影から、男の声が聞こえて来た。だがその顔は未だに見えない。
「……誰だてめえ。サイレンスじゃねえな。それにあの変態科学者でもない。顔を見せやがれ!」
笑い声と共に、男が彼女の体を横へとずらした。光の中に晒された男の顔を見て、ヒューズは愕然とせずにはいられなかった。
その男は、ヒューズ自身だった。
「……俺……?」
「そう、俺はお前。お前本人だ」
光の中のヒューズは、彼女を弄ぶ手を止めずにそう答えた。その顔には残酷な表情が浮かんでいる。
「お前は今日、こいつを犯したじゃねえか」
「……それは……」
もう一人の自分が口にした言葉。それは紛れも無い事実だった。自分は今日、職場で彼女を犯した。叫び抵抗する彼女を力ずくでねじふせ、ことに及んだのだ。彼女の涙も懇願も、全て無視して。
「興奮したよなあ。密かにずっとやりたいと思っていたんだしな。邪魔な制服をひっぺがして、こいつの体を思うがままに征服したいって。
いつもの取り済ました表情が、こんな風に快楽に歪むところを見てみたいともな」
男の手が彼女の肌を愛撫する。胸のふくらみを下から撫で上げ、肩のラインを滑らせて首筋を這い、顎へと到達する。太い指が唇を割り、中へと差し込まれた。
「んんっ……」
彼女の喉から掠れたような吐息が洩れ、桜色の舌がちろちろとなまめかしく動いて指をねぶる。
もう一人のヒューズはにっと笑いかけると、空いている方の手で彼女の髪をかきあげ、耳に息を吹き掛けた。
「否定できねえだろ? 俺はお前のことなら全部知っているさ。なんと言ってもお前自身なんだから。
さあ、お前もこっちへ来いよ。思う存分楽しもうじゃないか。あの科学者に先を越されたいうところが癇に触るがな。お前がさっさと行動していれば、こいつの処女だって奪えたのにな」
「ふざけんな! 俺はそんなこと、望んじゃいねえっ!」
叫んだが、もう一人の自分は笑うのみだった。
「おいおい、いい子ぶるなよ。散々こいつをおかずに抜いていたのはどこの誰だ? 下手なエロビデオより過激な内容だったじゃねえか。
今だって表面を取り繕っちゃあいるが、内心じゃあこいつを犯した時の快感が忘れられないんだろう? 違うか?
こいつが知ったらどんな顔をするだろうな。自分の同僚がずっと、あのブラッククロスの連中並の破廉恥な妄想をしていただなんて……今のこいつには耐えられないかもな。
今度こそ完全にぶっ壊れて、お人形になっちまうかもしれねえ。ま、そうなったらそうなったでいいかもな。ずっとこいつを思うがままにできるんだし」
「て、てめえっ……!」
「いい加減にしやがれえっ!」
絶叫するとヒューズは勢い良く身を起こした。部屋の中はまだかなり暗く、かろうじて家具が識別できるくらいである。
どうやら、常日頃よりもずっと早くに目を覚ましてしまったようだ。
「くそっ、なんて夢だ……」
薄暗い部屋の中、ヒューズは血走った目で自分の体を見た。着ているシャツが汗でべったり体に貼り付いている。呼吸も荒く、動悸も早い。
何度も大きく深呼吸をして動悸を静めると、ヒューズは先程の夢の内容を思い返した。タリスを犯していた、もう一人の自分の夢を。
「否定、できやしねえ……」
呟くと、ヒューズは力無くうなだれた。夢の中のもう一人の自分が口にしたこと、それはある意味では当たっている。
かつて妄想の中で、自分は何度となく彼女を犯していた。その妄想を記憶から呼び起こす。
彼女を抱きすくめて押し倒し、体を開かせる。最初は嫌がっていた彼女は次第に感じ始めて従順になり、瞳を潤ませ甘い声をあげて身を捩りながら、自分のものを熱望するのだ。
決して口にはしなかった妄想。だが欲情を抱いて彼女を見たことは、一度や二度ではなかった。
そして昨日触れた彼女の体の柔らかさと温もりが、今も体にまざまざと残っている。それもまた、事実だった。できることなら、もう一度あの体に触れたい。抱きしめて、彼女の全てを感じとりたい。
「最低だ……」
暗い部屋の中、唇がきっと結ばれ、手がぐっと拳を形作った。そして、ヒューズは叫んだ。
「俺は……確かにずっと、あいつを抱きたいって思っていた。けど……けどな……こんなことを望んでいたわけじゃねえよ!」
その翌日、タリスは職場に来なかった。仕事に集中できないまま空の机を眺めていると、上司が傍らに来て真面目にやれと叱責した。
「同僚が心配なのはわかるがね、ヒューズ君。私は君の報告書をずっと待っているのだが」
へいへい、と適当に頷く。上司は不満そうな瞳でヒューズを見すえた。それを無視し、彼女が休んだ理由を尋ねる。
「風邪をひいて熱を出したそうだ。まあ彼女は君と違って真面目だから、仮病の心配などはしていないがね。本当に具合が悪いんだろう」
むっとして上司を睨む。だが上司は気づいてないのかそれとも故意に無視しているのか、そのまますっとぼけた口調で話を続けた。
「だが正直なところ、私はもう彼女は駄目かもしれないと思っているよ」
思わず椅子から立ち上がりかけた。上司がヒューズの肩を押さえ、椅子に押し戻す。
「ああいう経験――悪の組織に捕らわれて監禁される――をした場合、無事に職場復帰できる可能性は低いんだよ。
今までに何度も見て来たよ。捕まった時の恐怖や拷問の苦痛で、駄目になってしまった優秀な奴をな」
それだけ言うと、上司はヒューズの傍らを離れて行った。
ヒューズはタリスが職場に戻った朝の時の様子を思い出した。あの時の彼女は、精一杯前へ踏み出そうとしていた。少なくともあの時までは。
そしてそんな彼女の気持ちを踏みにじったのは――。
「……俺、だよな……」
答える者のいない机に向かい、ヒューズは一人呟いたのだった。
それから一週間後、タリスは職場にようやく姿を見せた。だが彼女の表情は著しく生彩を欠いていた。何よりも印象的だったのは瞳である。
全くといって言いほど光のない、暗く澱んだ瞳。それは数日前に見たものと、同じものとは思えないくらいに異なっていた。
そんな有様で、タリスはただ淡々と仕事をこなしていた。
「…………」
胸の奥に幾つもの形容したがい感情が渦巻いているのを、ヒューズは感じていた。それは苛立ちとも後悔とも、劣情とも罪悪感とも判別がつかず、ヒューズを更に困惑させていた。
……もしかしたら、それら全てなのかもしれない。
近寄って名を呼びたい衝動に駆られる。だが彼女は常に瞳を伏せ気味にし、一度たりともヒューズの方を見ようとはしなかった。
ヒューズなど存在しないと、そう思い込もうとでもしているのかもしれない。
しばらくちらちらと見守るうちに、コットンが彼女の机に飛び乗って話し掛けた。
「ミュミュミュミュミュー(ドール、大丈夫? まだ具合が悪そうだよ?)」
「……大丈夫よ」
淡々と、タリスはそれだけを答えた。コットンのつぶらな瞳に、心配そうな色が浮かぶ。
「キューキューミューキュキュキュー(風邪が治りきってないんなら、無理をしちゃ駄目だよ。ねえドール、君が心配なんだ。ずっとここに来れなかったでしょ)」
タリスは手を伸ばすと、コットンの柔らかな青と白の毛に触れた。
「本当に大丈夫。熱ならもう下がったし、ちょっとふらふらするだけだから」
コットンは心配そうな瞳のまま、自分の机へと戻って行った。何かあったら言ってね、相談に乗るから、と言い置いて。
ヒューズは視線を逸らし、明後日の方向をみつめた。心の中で、嘘をつきやがって、と呟く。俺に犯されたからショックで憔悴してるんだって、言っちまえばいいじゃねえか、とも。
内心でそう毒づきながらも、ヒューズは心のどこかで悟っていた。彼女は決して、そんなことは口にしないだろうということが。
「……おい」
IRPOの廊下。そこで、ヒューズはタリスを呼び止めた。決して人の出入りの少ない場所ではない筈なのに、今は閑散としている。
だからこそ、声をかけられたのかもしれない。
タリスがびくっと身を震わせ、振り向いた。掠れた声で、彼の名を口にする。
「ヒューズ……」
暗く沈んだ瞳。俯いて、ただ自分の足許の辺りをみつめている。そんな有様が、ヒューズの苛立ちをかきたてた。
「……そんな顔するんじゃねえ」
思っていたのよりも遥かにきつい声が出た。またしても、狂暴な気持ちが沸き起こって来る。やめろ、と頭のどこかで理性が囁きかけた。
お前はまたしても、とんでもないことをしようとしているんだ。今すぐ、その気持ちを静めて彼女に謝れ。でないと……。
「ヒューズ……私、行かないと……」
細い声で呟くようにそう口にすると、タリスは廊下を先へ歩こうとした。彼女の進路を塞ぐかのように、ヒューズが腕を壁に向けて勢い良く突き出す。
「……話があるんだよ。廊下じゃできねえから、ちょっとつきあえや」
何をしたところで、彼女はもう手に入らない。それくらいなら、いっそのこと――。
「入れ」
乱暴に肩を押され、タリスは突き飛ばされるような形で部屋の床に座り込んだ。
すぐ後からヒューズが入って来ると、後ろ手にドアを閉めた。IRPOの取調室。椅子と机と壁面の鏡だけの、殺風景な部屋だ。
立ち上がると、タリスはそっとヒューズの様子を伺った。先程からずっと、彼は何かにとりつかれたかのような表情をしている。
血走った瞳が、狂暴な輝きを帯びてギラついていた。本能的に恐怖を感じる。今の彼は、まともではない。あの時と同じように。
彼に引きずられるようにして、ここに連れ込まれてしまったことを今更ながら後悔する。他の人の目に触れることの方を警戒してしまったが故に、大人しくここまでついてきてしまったが……。
「話って何?」
見当はついていたが一応口にする。ヒューズをこれ以上刺激しないよう、なるべく穏やかな口調で。
「この前のことだよ。お前が前にここに来て、帰る間際に起きた」
喉の奥に何か塊でもつかえたような苦しさがある。なるべくなら、記憶から消し去ってしまいたいくらいだった。
「……ヒューズ、言った筈よ。あのことは、なかったことにしようって。お互いの為にもそれが一番いいわ。わかるでしょう?」
言うとタリスは瞳を伏せた。この事実がおおやけになれば、自分は被害者として興味本意の視線に晒されることとなり、ヒューズは犯罪者として拘束されることとなる。
どちらも望むことではなかった。彼に手錠などかけたくはない。自分達さえ口をつぐんでいれば、この事実を永久に闇に葬り去ってしまえるのだ。
「落ち着いて、良く考えて。そんなことになったら、あなたは――」
「うるせえっ! お前はどうしてそういう、優等生な台詞しか言えねえんだよっ! 俺はお前のそんなとこが癇に触るんだっ!」
ヒューズの怒号に、タリスの言葉は途切れた。呆然と立ち尽くし、彼を見ることしかできない。
怒りで紅潮した彼の顔。だが同時に、ひどく苦しそうでもあった。
「……私、そんなつもりじゃ……」
ヒューズが乱暴にタリスの肩をつかみ、激しく揺さぶった。
「なんで俺を責めねえんだよ。咎めろよ、責めろよ。俺はお前を犯したんだぞっ! そんな傷ついた顔しときながら、口でだけ忘れようって言われたって、俺は納得できねえんだっ!」
片方の手が顎を捕らえ、顔を彼の方へと向けさせられる。
「そんな顔、見たくねえんだ……お前は俺を責めてるわけじゃないのに、責められてる気分になりやがる……。いや、それだけじゃねえ……」
不意にヒューズがタリスを力いっぱい抱き竦めた。その突然の行為に、頭の中が恐慌状態になる。
「……い、いやっ!」
咄嗟に身を捩って逃れようとする。ヒューズが苛立ったように顔を歪めた。
「お前はどうしてそんなに、俺だけを嫌がるんだ……他の奴なら良くて、なんで俺は駄目なんだ……」
一瞬だが腕の力が緩んだ。その隙をついてタリスは束縛を抜け出し、部屋の隅に逃れることができた。
なんとかしてここから逃げなければならない。だが出口の間にはヒューズが立ち塞がっている。
「ヒューズ、私はただ……」
「逃がさねえ」
ヒューズの手が印を切り、彼の周囲の床に白い文様が浮かび上がる。まずい、と思った時には遅かった。目に見えない縄が全身に絡み付き、全身の自由を奪われてしまう。
「あうっ……」
バランスを崩して床に倒れ込む。自分の意志では、体を全く動かすことができない。本来なら、犯罪者を捕縛するのに使う術の一つだ。
自分に近づいてくる足音がしたかと思うと、逞しい両腕に抱き上げられた。肩の上に荷物か何かのように担ぎ上げられる。拒絶の言葉を発したくとも、声を出すことができない。
「ほら」
椅子の一つの上に下ろされた。両腕が椅子の背の方に回されたかと思うと、かちりという音と共に、両の手首に冷たい金属の重みがかかる。どうやら手錠で椅子の背に腕を固定されたようだ。
ヒューズの手が顎を掴み、顔を上向かせる。正面から瞳があった。ありったけの思いを込めて彼の瞳をみつめ、思い止まってくれることを願う。
彼の瞳が危ぶむように揺れた。お願い、わかって。責めたりはしないから、と心の中で呟く。
だが次の瞬間、ヒューズはタリスの両肩を激しい力でつかみ、大声で叫んだ。
「見るんじゃねえっ! そんな瞳で俺を見るんじゃねえよっ!」
肩が砕けそうな程に強い力だった。喉から声にならない悲鳴が洩れる。
「その瞳がいけねえんだ……」
ヒューズの手が襟元に伸び、タイを抜き取った。黒いタイが頭の周りに巻きつけられ、視界が塞がれる。
再び手が顎にかかると、唇を強く吸われた。むさぼるような、暴力的な激しい口づけ。
「お前を見ていると我慢が効かなくなる……犯りたくてしょうがねえ」
唇を離すと、ヒューズはタリスの耳元でそう呟いた。声に含まれた感情にぞっとするものを憶える。
「いいさ……もうこうなったら腰が抜けるまでお前を犯ってやる」
右の手がブラウスの上から、乱暴に胸をまさぐり出した。
「心配すんな。今日は破いたりはしねえよ」
手がブラウスのボタンを探り当てたようだ。ブラウスの前が開かれ、胸が外気に晒される感触がする。
続いて、ヒューズの手が直に肌に触れた。邪魔と言わんばかりに、ブラジャーの肩紐を引っ張っている。
「色気のねえ下着だな……もっと派手なの持ってねえのかよ。今時飾り気のない白なんざ、ガキでもつけねえぞ」
手が背中にまわり、ホックが外れて乳房が解放された。耳に聞こえるヒューズの呼吸が、先程よりもずっと荒くなって来ている。
「何度見ても、たまんねえな……」
無骨な指が胸の上を這い回る感触がする。視界が塞がれている為、次に何をされるのか全く予測ができない。その恐怖感のせいか、感覚がいつもより鋭敏になっている。
胸を撫で回す手には次第に力がこもりはじめていた。痛いくらいに激しく両の手が胸を揉みしだき、埋もれていた乳首を指でこねまわす。
ヒューズの顔が胸に押し当てられた。唇がふくらみの上を滑って行く。ぞくぞくするような感触が、全身に広がり出した。
乳首が濡れた感触に包まれた。柔らかいものと固いものが交互に当たる。乳首が吸われているのだ。
執拗に舐め回されたかと思うと、固い歯が立てられる。乳房に甘やかな痺れが走り、タリスの体の芯が熱を帯び始めた。
息苦しくなり、酸素を求めて大きく喘いだ。声は出せないが喘ぐことだけはできる。
「感じてんのか?」
ヒューズの手が再び顎を掴み、唇を重ねて来た。吹き込まれる息は火傷をしそうなぐらい熱い。
手が後頭部に回され、口内に舌が入り込んだ。抱き合うような形で、深く深く口づけられる。
胸のふくらみがヒューズの体で押し潰される。彼も服を脱いでいるのか、素肌の感触が伝わって来た。引き締まった筋肉質の堅い体。彼の体の帯びている熱が伝わって来る。
「んん……」
気が遠くなりそうだった。ヒューズから与えられる熱が体内を駆け巡り、体の芯が熱く疼く。
女の部分からは蜜が溢れ出し、着ているものに染み込んだ。ぐっしょり濡れた下着の感触が気持ちが悪い。
ヒューズの手が腰を持ち上げ、スパッツだけを引きずり下ろした。下着の上から濡れ具合を確かめるかのように、秘部をゆっくりとなぞる。
「ひどく濡れてんな。淫乱女」
辱めるような口調に、胸の奥がきりきりと痛む。貶められるような言葉は辛い。たとえそれが事実だとしても。
「こんなに濡れてちゃ気分が悪いだろ。今脱がしてやるよ」
下着が引きずり下ろされ、下半身を覆うものがなくなる。手が太ももにかかると、両足を大きく開かせられた。さらけ出された部分にヒューズが顔を埋め、舌を使い始める。
「お前のここ、洪水みたいに溢れてきてるぞ。……相手が俺でも感じるのか? それとも誰でもいいのか?」
ヒューズの舌が敏感な部分を舐め上げた。快楽に慣らされきった体は、びくびくと震えながら今まで以上に蜜を滴らせて行く。
「はあっ……」
喉から切なげな喘ぎが洩れる。ヒューズにこんな形でまたしても抱かれることを恐れ、彼の言葉に傷つき痛む心とは裏腹に、体は彼から与えられる快楽を激しく求め、それに溺れようとしていた。
もうこのまま溺れてしまいたい。何もかも忘れて彼を受け入れ、ただただ快楽に呑まれてしまえば、きっと楽になれる。
だがそれを許してしまうには、タリスは真面目すぎた。必死で快楽に流されまいとする。
「や、や……め……」
意志の力か、はたまた単に術の効力が薄れて来たのか、声が出せるようになっていた。残された力を振りしぼり、ヒューズに止めてくれるよう懇願する。
「うるせえ。今更遅いよ。俺は……もう戻れねえ」
だがその言葉は、ヒューズには届かなかった。ヒューズの舌が肉芽を探り、なぶるように愛撫する。
「ああっ!」
全身を貫いた強い快感に、タリスは思わず高い喘ぎをあげていた。駄目だ。頭が上手く働かない。
「あんっ……やっ……」
体の芯がずきずきと疼き、満たしてくれるものを欲している。ヒューズが一端顔をあげると、耳元に唇を寄せて尋ねかけてきた。
「……どうした?」
「う……」
もっと強い快楽を与えてほしいなどと、口にできるわけがなかった。最後に残った僅かな理性と羞恥心が、その言葉を口にすることを拒絶する。
「……まあ淫乱なお前のことだから、舌じゃあ物足りなくなって来たんだろ? 今入れてやるよ」
右足が抱え上げられたかと思うと、ヒューズの筋肉質の体が伸し掛かってきた。濡れた股間に、熱く堅いものがあてがわれる。
「……あ……」
心の中に二つの相反する感情がある。早く入れてほしいと思う気持ちと、止めてほしいと思う気持ち。
どうしようもない程熱く火照った体は、一刻も早くそれを入れられることを望んでいる。待ち望んでいた快楽を与えてもらえるだろうから。
だが……それを入れられたら、自分は最後に残る僅かな理性も失い、快楽に流されよがり狂う獣となり果ててしまうだろう。それだけは……嫌だ。
「やっ……やだ……」
「いい加減にしろよ。ここまで来て、俺が止められるわけがねえだろ」
ヒューズのもう片方の腕が背に回され、腰を抱え上げられる。タリスの中に、熱くたぎるそれが荒々しく入り込んで来た。
「ああんっ!」
刺激に体が勢い良く跳ね、下半身から伝わる快感が全身を駆け巡った。もうどうすることもできない。背をのけぞらせ高い声で喘ぎながら、快楽を求めて自ら腰をくねらせる。
「自分から……腰……振ってやがんのか……サカリのついた……雌犬みてえだな……」
貶めるような言葉を呟きながら、ヒューズは更に激しく腰を突き上げて来た。体内に収めた男の分身は、下腹部を灼くかと思える程に熱い。
奥へ奥へと入り込み、ついには根元まで中に入り込んだ。蜜をたっぷりと含んだ女の部分は、それをしっかりと咥え込み締め上げている。
「うううっ……あああああっ!」
獣のような激しい嬌声が上がった。欲望の炎に全ての理性を灼きつくされ、気も狂わんばかりの強い快楽に翻弄されることしかできない。
「……すげっ……すぐに……イッちまいそうだ……」
感嘆の声をあげると、ヒューズが背に回した腕に力を込めて体を密着させた。首筋に唇を這わせて、新たな赤い跡を刻んで行く。
「ああ……駄目……あああっ……」
「くっ……溺れ……ちまいそうだ……。そんな……気の……遠くなりそうな声……出すんじゃ……ねえ……」
男の引き締まった体躯が、タリスの体をきつく抱きしめていた。逞しい胸に豊かな乳房が半ば押し潰されているが、その痛みすらも快感へと変わって行く。
「ああんっ……はああっ……」
「お前の……体……凄いな……凄くいい……」
ヒューズが耳元に囁きかけて来る。その言葉の意味すら理解することができないくらい、タリスは快楽に呑まれていた。
頭の中が真っ白になり、他のことは一切考えられない。わかるのは体に感じる強い快感と、もっと激しくしてほしい、達したいという身を灼く欲情だけ。快感を強め絶頂に達するべく激しく身を捩る。
「あっ……あっ……あああああっ!」
背をのけぞらせて絶叫し、タリスは果てた。そしてそのまま、意識をも手放した。
タリスの中に盛大に精を注いだ後、ヒューズはしばらく彼女に覆い被さったままじっとしていた。
彼女は椅子に繋がれたまま、気を失いぐったりとしていた。全身は未だ桜色に上気し、先程の快楽の強さを伺わせる。
「俺は……何をやっているんだろうな……」
呪縛の術で動きを封じ、手錠で繋いで彼女を犯した。彼女が感じていたとはいえ、これはレイプだ。
そろそろとタリスの上から降りると、手錠と目隠しを外し力の抜けた体を抱き上げる。睫がほんの僅か震えたが、意識は戻っていないようだった。そのまま床へと座る。
すぐ近くに、意識のない彼女の顔があった。胸の中に罪悪感が込み上げて来る。柔らかい髪をかきあげ、頬に手を押し当てた。
「ドール……俺はな、ずっとお前が欲しかったんだよ。いつかお前を自分のものにしたいって、そう思っていた。
でも、お前はもう絶対に、俺のものにはならないんだろうな……」
白い額や桜色の頬に口づける。愛しさと悔しさを込めて。
「なんでなんだろうな……何がいけなかったんだろうな……」
滑らかな肌の感触を楽しむかのように、指を走らせる。悪戯心を起こして乳首を摘み上げると、タリスの体がぴくっと跳ね、唇から微かな吐息が洩れた。
驚いて様子を伺う。だが瞼は閉ざされたままだった。
「意識が無くても体は感じるのか……」
乳首を指でいじり、乳房をゆっくりと揉みしだいてみる。彼女が身動きし、小さく喘いだ。
「面白えな……」
乳首を口に含んで吸い上げた。その部分が堅くなっていくのがわかる。意識を手放したまま、彼女の体だけが快楽にひたろうとしているのだ。
そんな様子を楽しんでいるうちに、ヒューズの男の部分が反応し始めた。柔らかく温かい女の体を求めて、本能が疼き出す。
「もう一回、犯っちまうか……毒食わば皿までだ」
苦い思いでヒューズはそう呟くと、タリスの両足を開かせた。その部分に男根をあてがい、ぐっと中へ沈める。今度も彼女のその部分は、難なくヒューズを受け入れ、きつく締め上げはじめた。
「やっぱりイイな……こいつの体……抱いても抱いても飽きそうにねえ……俺だけのものに、したかったな……」
もう遅い。全てが手遅れだ。何をしても、きっと彼女は自分のものにはならない。
それなのに、自分は彼女から離れられそうにない。力ずくで犯したのに、思い切ろうとわざと貶めるような言葉を口にしているのに、彼女を思い切ることができない。
抱けば抱く程ますます深みにはまって行く。彼女の全てが欲しくて、何もかもが愛しくてならなくなる。
「くそっ……もう、どうしようもねえのかよ……」
辛い気持ちを振り切るかのように、ヒューズはタリスをまたしても犯したのだった。
あれから、ヒューズはタリスを三度に渡って激しく犯した。そして今、彼女は自分の前で俯いて衣服を直している。
もはや泣く気力も失せたのか、瞳は乾いていた。無表情のまま、のろのろと手だけを動かしている。
「……なあ」
奇妙に乾いた声で、ヒューズはタリスに話し掛けた。憔悴しきった力の無い瞳が、こちらを見る。その瞳を見るだけで、胸が苦しくなった。
「お前の体、凄くいいよな。男に抱かれる為にできた体みてえだ」
瞳に傷ついた光が宿る。わかっている。彼女が傷つくことは。わかっていて、あえて口にしている。
ヒューズはタリスの肩をつかみ、強い調子で続けた。
「これからもお前を抱きたい。時々抱かせてくれれば、他は一切何も言わねえ。誰と寝ようが口出しはしねえよ。だから、抱かせろ」
彼女は答えない。ただ暗い色を浮かべた瞳で、こちらを見続けている。
「お前が抱かせてくれねえってんのなら、お前がどうしようもないサカリのついた淫乱女だってことを、IRPO中に触れ回ってやる。……どうする?」
汚い脅迫だということはわかっている。それでも……それでも彼女が欲しかった。体だけでも、自分の好きにしたかった。
タリスは瞳を伏せ、俯いた。しばしの沈黙が流れた後、彼女はようやく聞き取れるくらいの細い声でこう答えた。
「……わかったわ……あなたの言うとおりにする。……だから、誰にもこのことは言わないで」