自分の気持ちを打ち明け、そして彼がそれを受け入れてくれた日から1か月。  
いっときも手を離していたくない。キスをしたい。あの腕の中で魔物を気にすることなく眠りたい。  
そんなコーデリアの気持ちとは裏腹に、旅は思ったよりも長く続いていた。  
ナルセス、タイラー、ウィル、そしてコーデリアの4人のパーティはラウプホルツへと続く樹海を旅していた。  
 
「…この辺りは魔物の気配が薄いようだな」  
ナルセスがほっとしたように呟いた。  
「たき火の跡がありますね」  
足元に残る灰を踏みしめながらウィルが笑みを浮かべる。  
「見て!」  
コーデリアが指差した先には、青白い月に照らされたラウプホルツの街が見えた。  
革袋から水を含みながら、タイラーがふっと息をつく。  
「あと半日ってところか」  
「ひとまず今夜はここで休むことにしましょう」  
ウィルの提案に、ナルセスは口端に笑みを滲ませながら言った。  
「まずは私とタイラーが辺りを見回ってくる。お前たちは先に休んでおけ」  
「はい?」  
「いくぞ、タイラー」  
有無を言わさず見回りに向かおうとするナルセスに、コーデリアが叫ぶ。  
「ま、まって!私が先に行く!」  
「なんだ小娘」  
「お年寄りは労らないとだし」  
 
『年寄り』  
 
すたすたとナルセスはコーデリアに近寄り、彼女の右腕を掴んだ。  
「痛っ…!」  
「ナルセスさん!?」  
驚いた声を出すウィルに構わず、ナルセスはコーデリアの右袖をまくり上げた。  
手首に、赤黒く染まった布が巻かれている。  
血だ。  
「さっきのモンスターにやられたんだな」  
「コーデリア…」  
「…」  
コーデリアはナルセスの腕を振払い、そそくさと手首を隠した。  
「だいじょうぶなの、ウィル。心配しないで。ぜんぜんヘーキなの」  
「そうだ、大したことはない」  
コーデリアの言葉をかき消すようにナルセスが続ける。  
「けれど、見回りにケガ人は必要ない。それにお前は、誰のヴィジランツなんだ?」  
「……」  
「わかったらさっさと休んでおけ」  
コーデリアは右手首を押さえ、俯いてしまった。  
ケガが辛くてそうしているのではないことは、朱色に染まった頬のせいでハッキリと分かる。  
「手間がかかる娘だ」  
 
すれ違いざま、ナルセスはウィルにとどめをさした。  
「年寄りの見回りは長いぞ」  
ナルセスの後に続き、タイラーもウィルに目配せをする。  
「ウィル、うまくやれよ」  
なんだか二人とも、すごく楽しそうだ……。  
後ろのコーデリアを振り返ると、彼女はまだ俯いたままじっとしていた。  
 
「いっちゃったよ」  
苦笑しながら、ウィルはゆっくりとコーデリアに歩み寄る。  
「とにかく、座ろう」  
ウィルは荷物から毛布を取り出し、コーデリアの肩にかけた。  
「ありがとう」  
「傷は、痛む?」  
「ちょっとだけ」  
「ごめん、気がつかなくて」  
「隠してたんだもの、当たり前よ」  
そう言って、コーデリアはくすくすと笑った。  
ウィルの胸が痛む。  
隠さなくていいのに。隠す必要はないのに。  
 
杖を取り出し、ウィルは詠唱を始めた。  
「応急処置にしかならないけど…」  
コーデリアの右腕が緑色の光に包み込まれる。と同時に、すうっと痛みが引いて行くのが感じられた。  
「ありがとう…」  
「…コーデリア」  
ウィルの瞳がコーデリアのそれを捕らえる。  
真剣な、深刻な眼差し。  
「隠さないで。僕だって、君を守りたいんだ」  
「ごめんなさい…」  
コーデリアの瞳が、ゆらゆらと揺れている。  
ウィルは腕を伸ばし、彼女の肩に触れ、抱き寄せた。  
 
「…」  
コーデリアの右頬に、手袋を外したウィルの手のひらが重なる。  
うっとりとコーデリアの目蓋が閉じられていく。  
ウィルはそこに唇を寄せると、はむように軽く吸い上げた。  
ぴく、とコーデリアが反応を示す。  
目を開ける隙もなく、ウィルの唇は目もとをくだり、鼻を伝い、順序良くコーデリアの唇に重なった。  
「…ん…」  
少しだけ力を強めてから、ゆっくりと唇を離す。  
「…すきだよ、コーデリア」  
「……ウィル、わたしも」  
「無事でよかった」  
「ごめんなさい」  
「これからはこんな目に遭わせない」  
「…」  
「まもるよ、君を」  
ふふ、とコーデリアが笑う。  
「それはわたしの台詞だわ」  
ウィルも釣られて笑った。そして、どちらからともなく腕を伸ばしあい、抱きしめ合った。  
再び、二人の唇が重ねられる。求めあう気持ちは羞恥心をたやすく超えさせ、口付けはたちまち深く濃厚なものになっていった。  
ウィルの舌がコーデリアの口内をくすぐり、奥で凍えるコーデリアのそれを誘う。  
おずおずと差し出された舌先を絡め取り、その柔らかで淫らな感触に酔う。甘い。  
 
「…っ…んっ…」  
言葉を紡ぐ自由を失い、逃げる息の行方さえも支配されたコーデリアの唇。  
包み込むというよりは噛み付くような、普段の彼とはギャップのあるその動きにコーデリアは戸惑い、恐れ、興奮していた。  
私は、彼に求められているのだ。  
「…はぁっ……」  
ようやく唇がそれぞれの自由を取り戻すと、コーデリアはそのままウィルにもたれかかるように倒れ込んだ。  
ウィルは腕の中のコーデリアの顔を覗き込む。  
口付けの余韻を残した、したたるような艶めきの唇。その端から二人の混じりあった口液が溢れ、コーデリアの頬を汚していた。  
ウィルは舌を滑らせてそれを舐め取ると、再び唇を重ねた。  
また深い口付けが始まるのかとコーデリアは咄嗟に身構えたが、ウィルの唇はちゅっとコーデリアの唇を吸い上げただけで離れていった。  
 
「…?」  
予想と違う展開にほっとしているのかがっかりしているのか。  
彼女の戸惑いを知ってか知らずか、ウィルの腕はコーデリアの背中にまわり、その先の手のひらはコーデリアを安心させるように頭の後ろをするすると動いた。  
小さな子どもを寝かし付けるような動き。  
コーデリアはすっかり緊張をほどき、ウィルの胸のなかにすっぽりと身を任せた。  
彼女の頬には、彼の素肌が触れている。はだけたシャツから覗く胸元の皮膚は陽の色に焼け、汗と森の匂いがした。  
彼の心臓の音が大きく、そして早く感じるのは、自分の思い上がりだろうか?  
 
ずっと閉じたままだった瞳を開けると、ウィルの喉元で鈍く光を放つものが目に入った。  
この樹海の中では必然的に足りなくなる石のアニマを補助するためのアクセサリだ。  
円やかな曲線を持つ平たい石に、素っ気ない麻紐が通され、ウィルの喉元に横たわっている。  
そっとその石の上に頬を重ねると、ひやりとした石の冷たさが火照った頬に心地良く馴染んだ。  
コーデリアは再び目を閉じる。  
二人の頭上を風が吹き抜け、ざわざわと木の葉を揺らした。  
 
「コーディ…」  
名を呼ぶ声に顔を上げると、彼の頭上からひらひらと一枚の木の葉が舞い落ち、ウィルの真っ黒な髪の先に静かに着地した。  
コーデリアは腕を伸ばし、ウィルの髪に手を伸ばす。  
「葉っぱ」  
葉を摘み取り、コーデリアが微笑む。  
可愛い。  
ウィルは葉っぱを持ったコーデリアの手首を捉え、衝動的に引き寄せた。  
「きゃっ」  
「コーデリア…」  
耳もとでウィルが囁く。  
重なりあった頬と吐息の熱さが心拍数を上げる。  
「な…に…?」  
「…いい?…ここで…」  
言うが早いか、ウィルの右手がコーデリアの右胸に触れた。  
「!…ちょっと待っ…あっ…」  
首筋をウィルの唇が這い、右胸には遠慮がちながらも確かな力で愛撫が加えられる。  
「…ウィルっ…」  
力を失ったコーデリアの指から葉が離れ落ち、闇に吸い込まれていった。  
 
 

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