そして戦いがはじまる
「ぐ……っ」
今にもしゃがみこみたくなるような衝撃と、空気を切り裂いてしまいそうな苦鳴とを、
つよく奥歯を食いしばって抑える。モンスターの連撃で、青年と少年の境目にいる
ような彼の呼吸はたえだえになってしまっていた。
ぱっくりと割れた額からは血と泥と汗が混じった液体がだらだらと流れて、左右に
きっちり分けていた薄い色の金髪を乱している。次の攻勢のためにいったん退いた
相手を見つめる視線が、血まじりの咳とともに大きくぶれた。
「アル!!」
がっくりとくずれた彼の後ろで護られていた少女が、声を荒らげて叫ぶ。
その小さな手に携えられた弓が、数え切れないほどの矢を撃ち出した。
「心配しなくても、大丈夫よ、アイシャ」
「そのとおりだよ! 私らは、手加減出来ない性質だからねッ」
荒野を埋め尽くすような、矢の雨。光のなかをかいくぐるようにして、敵のふところ
に飛び込んだのは対照的な影を持つふたりの女性だった。
「いいかい……つなぐよ、バーバラ!」
叫んで飛び出したのは緻密な曲線を描く瞳、薄いが淡くいろづいた唇。端正なつくりを
している顔の下にあるのは、がっちりとした戦士の肩である。張りのある掛け声をあげた
一人目の彼女は、両手持ちの大剣を大上段から袈裟掛けに、勢いよく振り下ろした。
雷霆のごときその一撃は、魔物の動きを完全に縫いとめてしまう。
そして後ろに跳び退り、壁のように少年の前に立った彼女と対をなすように、なよやかな
肢体をもつ女性が、いつのまにか相手の背後にもぐりこんでいた。
「これで、十分だよね」
蒼い片手剣の一閃が、それまで死角にあって狙えなかった急所をするどく切り裂く。
刃を砕くほどに硬い皮膚をもった魔物の最期は、意外なほどあっけないものだった。
『回復の術を使ったわ。ゆっくりでいいから、息を吸って。吐いて、吸って――深呼吸、
してみましょう。少しずつ、少しずつ、痛みがなくなってくるはずだから』
……慈愛と包容に満ちた響きのいい声が、一語一語彼にしみこんでいく。
息を、吸って、吐いて、吸って。そのリズムが彼女の掌から感じる鼓動と徐々に
重なるような気がして、少年は体の痛みを忘れ、きりきりとしたまぶしさを感じた。
しなやかな腕と柔らかな乳房が、自分を子どものように包み込んでくれている。
「アルベルト……大丈夫?」
決して無理はしないでと、優しく口にしているのは、薄い色をした髪の――
「――ねえ、さん?」
「あら、目が覚めた?」
夕闇にうかぶ銀色の髪が、起こした上体のすぐそばで揺れていた。
「あたしのことが、誰だか分かるかしら」
「バーバラさん、」
寸分のゆがみも見受けられない微笑みを目にした、アルベルトはいつもなら真正面から笑みを
返していただろう。だが今は、何故かうしろめたいものを感じて、彼女から視線を外す。
「あなたがそんなふうにするのは、珍しいけど。命に関わる怪我にならなくてよかったわ」
最終決戦のためにバファルからイスマスへ向かっていたが、強敵との戦いで消耗した体力を
癒し、装備を整えるためにクリスタルシティまで脚を伸ばしたのだと聞いて、彼の顔はくもった。
「すみません、私の未熟さで、また足踏みをしてしまって」
背けた顔が、熱かった。意識を失っていても革の鎧を伝わって感じた温もり、その柔らか
さが、覚醒した意識とともにアルベルトの思考を支配する。ほんとうにすまないと感じて
謝ってはいるものの、彼の肩はそんな感情とは無関係に細かく震えていた。
「なに言ってるのよ。アルはよく頑張ってるわ。いつも自分にまっすぐで、いつも自分に
出来ることを全力でやるから、みんながついてきてくれるんじゃない」
「私はまだ、そのように立派な人間にはなれていません」
「――あのねぇ。普通の人間は、それをやろうとするだけで精一杯なのよ?」
「けれど……」
ぽつりと紡いでしまった声に気づいて、バーバラがこちらに視線をやる。
「……いえ、何でもありません」
ずるい逃げ方をしたからではなく、アルベルトの胸はきつく締め付けられた。
それは、少し前の話だ。太陽の祭壇から途切れなく続く階段を登り、神の与える
最後の試練と相対しているときに、バーバラが自分に問いかけた事があった。
『ねえ、アル。あんた、好きな人がいるの?』
自分の斜め、すぐ後ろ。耳に息がかかりそうでかからない距離からひびいた、
――好きな 人が いるの ?
最初は言葉同士のつながりが分からなかったのだが、意味を理解できた瞬間、頬に
熱が帯びるのを感じていた。それにつれて、頭にうすもやのようなものが漂いはじめる。
『……いきなり、こんな所で何の話なんです! い、今はそれどころではないでしょう!』
息を吸って、吐いて、吸ったと同時に吐く。そんなふうにせねば絞りだせなかった
言葉に対して、バーバラは楽しそうな笑みをうかべていた。
『その反応からして、いるんだね? それも、きっとこの中に』
円熟してはいるものの、どこか硝子のように澄み切った輝きをもつ彼女の瞳を、自分は
やはり、直視することが出来なかった。
『いませんッ! からかわないでください!!』
振り返ってみれば、仲間がみな笑っていた。ジャミルは茶化すように、アイシャは少し
だけ頬を赤らめながらくすくすと、シフは豪快に口をあけ、白い歯を見せている。
そして、この状況を作り出した張本人は、余裕たっぷりに片目をつぶってみせていた。
『ふふっ……ごめんなさいね。若い子をみると、ついいじりたくなっちゃうのよ』
――それに、いいガス抜きになったじゃない?
『え、ええ』
しゃっくりのような返事は、自分にだけ向けられた質問に対しては大きすぎるものだった。
……それからだ。
この姉というより、母親のような存在に目を向けると、胸が高鳴りだしたのは。
仲間たちの緊張を解くために自分を茶化した彼女から、目が離せなくなったのは。
彼女の近くに立つと二の腕がかるくしびれて、力が抜ける。すこしずつ息が、浅くなっていく。
明らかに緊張している状態であるはずなのに、その感覚は妙に心地よくて、正体が分からず――
やはりというべきか、アルベルトはこの時この感情を形容できる言葉を思いつかなかった。
「なんだか、あたしがいるとよくないのかねぇ」
ふぅっと息を吐いた、彼女の呼吸が分かるほどに、自分は沈黙を保っていたようだった。
硬度を増した部屋の空気に耐えられなくなったのか、バーバラがぐっと伸びをする。
「あ、いや――そんなことは」
「ほらね。言葉の歯切れが、悪くなってる」
きちんと返事をするよう、父から厳しくしつけられていたのに。そんなことすら忘れて
しまった今の状態を指摘されて、アルベルトは二の句がつげなくなる。
「すみません」
「ううん、気にしないで。ただ、アルがいつもどおりでいないと、戦っているときに
後悔するかも知れないからね。うつむかないよう、今のうちに覚悟をきめときなよ」
「……はい」
ためらいながらも返事をした自分の様子を見て、彼女は立ち上がった。怪我人のために
わざわざ高い個室をとってくれたのだろう、広々とした空間を横切って、ドアへと向かう。
肩甲骨がうっすらと浮いた、なめらかな印象の背中を見て、アルベルトののどが鳴った。
「あ、あのっ!」
なにか球体のようなものに気管をふさがれたような状態を振り払った反動で、大きな声が出る。
「なぁに?」
向けられる端正な顔は、自分が望んでいたはずのものなのに、何故声が出せないのか。
「言いにくいことでもあるんなら、まず、深呼吸してみて?」
どこか心配そうな表情を浮かべているバーバラに従って、息を吸って、吐いて、吸う。
何度目かそれを繰り返して、アルベルトは彼女の眼を見た。じりじりとした思いに
ひきずられて、今にも逸らしたくなってしまう視線を、揺らがせながらもしっかり据える。
「ごめんなさいね、いつもの調子でまくしたてちゃって。気を悪くしたなら、謝るわ」
未熟で頼りない自分を支えようと、彼女が近づいてくる。
意識して、アルベルトはさらに深く息をした。背筋を伸ばして、強くのどに力を入れる。
「バーバラさん。あなたは、私に好きな人がいるかと問いましたよね。
質問の答えが今、よく分かりました。言えずに後悔しないよう、今のうちに答えを言います。
私の、私の好きな人は、バーバラさん――あなたですよ」
「えぇ!?」
綺麗に整っていたはずのバーバラの顔が、一瞬だけ崩れた。大きく口を開け、目を見開いて
――あきらかに、予想外のことを言われたと分かる表情だった。
次の瞬間、彼女の顔はもとにもどり、いつものとおりに薄く笑みをうかべてかぶりを振る。
「アル……その、若気の至りっていうの? 気持ちはありがたいけど、あたしはしがない
旅の踊り子なのよ? 身分もなにも分かんない相手に、お貴族さまの息子が……」
いつもどおり、時にひとをからかって余裕を与えることができるだけの器の大きさをもつ
彼女の口調。けれどその声がうわずっているのは、気のせいだろうか。
その様子をみて、アルベルトの気持ちには少しだけ余裕が生まれた。『いつもどおり』
なんのてらいもなく、自分の思いをバーバラに語ろうと決心してみる。
「確かに、私は最初、バーバラさんのことを身分のあやしい者なのだと考えていました。
いまは仲間であっても、いつかジャミルの言っていたように、踊りや歌などのほかに、
後ろ暗いことをして生計をたてていたのではないかと思っていたこともあったのです。
しかし、一緒に冒険をしているうちに、それは思い違いだったのだと知りました。あなたの
仲間に対する気遣いや、さりげない親切は、貴族として生きていた頃には知らなかった、
知らなくてもよかったことでした。そして、それは私を芯から支えてくださいました。
だから私は、バーバラさんのことをもっと知りたい。あなたを、騎士として護りたい」
「――アル、」
……バーバラが、眼をぱちくりとしていた。
「すみません、少ししゃべりすぎました」
「いや、そうじゃなくって。普通、好きだっていう女の子に向かって『ヤバイ
ことやって生きてきたんじゃないか』なんて、口にするもんじゃないわよ?」
「……う……」
冷静に指摘されて、頭がくらくらとしてきた。
やはり、いまの自分は普通ではないのだろうか。失言を後悔しようにも、意志は
言葉になって、すでに相手に伝わってしまっている。
真っ白になった頭の中で、今はもう居ない姉が自分を叱責する様子がおぼろげに浮かんできた。
けれどその影はゆっくりと消え、蝶のようなバーバラの立ち姿に重なる。
彼女はリズムをとるように軽く上体を揺らしながら、アルベルトの瞳を見つめ返した。
「今の言葉は、ちょっとデリカシーに欠けるかなって思ったけど」
少しだけ悪戯っぽい彼女の視線が、だんだんと真剣なものになる。
「でも、正直だね、アルは。そういうところ、あたしは大好きだよ」
「バーバラさん……」
好き、という言葉が、じんわりと胸に広がっていく。試練を受けていたときだけでなく、
家族を亡くしたという事実がもたらす緊張や心の痛みすら、今は完全に忘れていた。
「でもね、あたしはダメよ。今あなたがあたしを選んだって、それは錯覚だったり、
ただの好奇心だったり、あるいは逃げにつながってしまうかもしれない。
そうして、あなたが後で後悔してしまうかも知れないものなら――それは絶対、恋とか愛じゃない」
しかし、彼女の論理はじつに整然としていた。自分のことを未熟だと自覚し、家族の死を
一生消さぬことの無い記憶として刻みつけねばならない立場を決意したこの身において、
いま何かに対する恋慕に溺れてしまえば、それこそが致命的な迷いになるだろう。
「それに、あの場所であなたの決心を聞いたけど、あたしにはその生き方が正しいものだと
思えない。あたしはひとつの土地や物事に縛り付けられない、つねに危険と背中合わせの人種
だから、たとえ目の前で死んだ人間であっても、それをいつまでも覚えておくなんてことは
できない。そういうことは迷いにつながって、結局自分の足もすくってしまうものだから。
でも、私はこの生き方を今さら変えようとは思わないし、思えない。
――あなたを本当の意味で支えられるのは、地に足のついている人なんだと思うわ」
正しかった。聞けば聞くほど、彼女は正しかった。
決戦の後、生き残れたなら自分はやはり、ローザリアに戻るのだろう。そして、尊敬して
やまぬナイトハルト殿下のような人間を目指して、貴族としての生を選ぶのだろう。
しかしその生き方を、彼女が受け入れられないことは理解できていた。
理解した、その上で、思いを告げたつもりだったのに。
うめき声が、部屋に響いた。女性のまえで、自分は恥も外聞もなく泣いている。
「すみません……すみませんッ!」
少しでも涙を抑えようと、腕を鼻の下にやる。しかし、いくら泣いていても、うつむく
ことはできない。それが彼なりの礼儀であり、ささやかな矜持でもあった。
「ごめんね、アル。ほんとうに、ごめんなさいね」
謝る彼女は無論、泣いてはいなかった。けれど、掛けられる声は少女のように震えていた。
「酔っ払いとかならともかく、あたし、ひとに踊りのこと以外で本気の気持ちをぶつけられた
ことがなかったから。だから、ごめん。嬉しくっても、素直に喜べないのよ」
彼女が近づいてきた。どうすればいいのか分からないまま、年上の女性はアルベルトの頭を
両腕でゆっくりとつつんだ。ふわりとした空気の動き、それと時を同じくして、柔らかな
胸から緊張を保ったまま据えられている鎖骨に、鼻のあたりが触れる。
「あなたが迷うなんて言いながら、あたしが迷ってちゃ、大人げないよね」
「…………」
切ない響きは、いつものアルベルトであれば否定していたはずだったろう。
『そのようなことはありません』などと言って、バーバラを元気づけていただろうに、
今はただ胸が痛くて、彼は何も言ってやることが出来ない。
彼女の手は少年をあやすように、金髪のはねた部分をゆっくりと撫でている。
「あなたの誠意は、よく伝わった。あたしはそれに何を返して、どうやってあなたと
あたしのなかにある迷いを、後悔しないように断ち切ったらいいのかな」
「そんな……そんなことなど、必要ありません。ただ、私は――」
胸にくちもとが押し付けられていて、息が苦しかったが、アルベルトはなんとか言葉を紡ぐ。
そんな彼の頭を離し、視線をあわせて、バーバラはもう一度、こんどは彼の背中に腕をまわした。
「……ねえ、最初で最後、一回だけよ。一回だけ、あたしはあなたの気持ちに応える。
こんなこと馬鹿げてるって思うけど、あたしはあなたになら、構わないわ」
「しかし、それは!」
反論は、硬い感触で押さえ込まれた。軽く歯と歯がぶつかりあった次の瞬間、唇が
こちらのそれに押し付けられていることを知る。半開きの状態だった唇の合間から、
彼女の舌がぎこちなく歯列をなぞり、ゆっくりと少年のなかに分け入ってきた。
かるく舌と舌がからみ、ほどけ、またからみあう。
「ん……はぁ、」
どれくらい、その姿勢でいただろう。苦しくなった口を離すと、アルベルトは信じられない
ものを見るような眼でバーバラの顔を、ほとんど倒れるようにしなだれかかった肢体を凝視した。
重みのあるぬくもり、厳然とした肉と骨の感触が、体の上にあった。
その体に腕を回して応えるべきか、それとも突き放してしまうべきなのか。そのどちらも
選べずに動けないアルベルトに向けて、バーバラは唇の端をつりあげた。
「落胆した? それとも、失望した?」
「そんな、私は……」
私は、という単語に、一体どんな言葉をつなげたかったのか。理性を働かせるよりも先に、
胸の動悸がうつったように、腹の底がふるえて熱をもちはじめるのを感じた。
「私は、バーバラさんがどんな方であっても、人間として好きでいると思います」
「でも、アル。あなた、言葉もからだも、かたくなってるよ」
緊張をやわらげようとしてくれたのだろうか、胸元をくつろげながら言われた言葉が
核心をついた。それを意図したわけでは決してないのだろうが、自分の男としての部分が
反応していることを悟られたアルベルトが、背筋に氷を突っ込まれたような顔つきになる。
「あ……」
羞恥心と罪悪感が、アルベルトの胸をつく。頭の中ではこのような反応をしている自分に
警鐘を鳴らされているのだが、体は一寸たりと動いてくれない。
ただ、はだけられた胸に冷たい空気が触れていることに、どうしようもないくるめきを感じ、
感じたことを恥じ、腕が少したくましくなった胸を隠す。
「こわい? それとも、まだ傷のあとが痛む?」
ゆっくりと自分の服を脱ぎながら問う、バーバラの声もふるえていた。
「いえ、ただ――はずかしくて」
夜が近づいて寒さが増した部屋の温度に反して、アルベルトの体は熱い。人としての倫理に
反する、愛し続けることが出来ないひとの体を弄ぶべきでない。そんなお題目のような考えと、
下半身の衝動が、バランスのとれない机かなにかのようにぐらぐらと揺れている。
口から心臓が飛び出してしまいそうなほどに追い詰められた彼に向けて、彼女はそっと笑った。
「あたしも、恥ずかしいよ。いつも余裕たっぷりにしてても、こんなときはやっぱり恥ずかしい。
……ねぇ、アル。はじらいのある男は魅力的だけど、据え膳を頂かないのは、男じゃないよね」
「――はい」
そこに差し伸べられた声は、あくまでも深く、優しく。彼女の浮かべる表情に、長く感じて
いなかった安らぎを感じて、彼は憑き物がおちたように、自然にうなずいていた。
だが、いくらふっきれたといえど、体の硬直はすぐに解けるものではない。
「それじゃあ、服を脱がせてあげるから。――その間、あなたは深呼吸でもしてて?」
ひきつっているようなアルベルトの腕をとったバーバラは、甘苦く破顔していた。
ベッドに座ったまま、自分の体は思い通りにならず、上半身の服を脱ぎ去った女性に
腿をはさまれる形で乗られている少年のほうも、この状況には苦笑するしかない。
「……あなたは、いつもそれですね」
「うん、そうだね」
苦しまぎれの一言に対する反応は、意外なものだった。
「踊ってるときに、あがってるとダメじゃない。そういうときはさりげなく誰かの呼吸を
見て、それに合わせるのよ。そうしたら、周りに対して鈍感になるっていうか、自分の
やってる事だけに集中できる。そうすると、いつもいい結果が残せるの」
「そういうものなのですか」
状況にそぐわない真摯な答えを聞いて、自然と視線が彼女に向く。瞳に湛えられた輝き
にある、自分に対する気負いのなさに、アルベルトは吸い込まれてしまいそうになった。
「ほら、ね?」
……そうしていたら、片方の腕にひっかかっていた袖がぬけた。いつの間に硬直がとけた
のか、脱力したもう一方の腕からも、するりと布が脱げおちていく。
「やっぱり、若い子は素直だねぇ」
彼女の、わずかに目尻を下げるような笑い方は、少年なりのプライドを傷つけるような類の
ものではなかった。バーバラは決して急くことなく、アルベルトの肉体と精神をほぐしていく。
ふたたび背中にまわされた片腕は、どこまでも彼を許容するようだった。
「う、……っん」
そして鎖骨に触れた唇の、思いがけないやわらかさに、彼は思いがけず声をもらした。
さきほどの口づけでは感じる暇もなかった温もりが、ちりちりと彼の皮膚を焦がす。
――抱きしめられ、肩口から首筋へと唇を這わされ、これではどちらが女なのか分かったもの
ではないが、触れられる皮膚は彼女の熱を体躯に刻みつけようと、急速に鋭敏さを増していく。
皺のよりかけたシーツの硬さ、熱せられた空気のぶれ。普段感じないことが分かってしまう
ほどに、この素直すぎる自身の反応が、少年にはやはり恥ずかしく、わずかにうらめしかった。
そして、彼のそんな状態をみた彼女の感想は、なんらおかしいものではなかっただろう。
「アル――今のあなた、なんだか可愛いね」
「か、かわいい!?」
しかし、貴族の息子として厳しい教育を受けてきたアルベルトにとって、バーバラの
一言は自分自身に対するイメージを根底から揺るがすようなものであった。
「最初、シフが『ぼうや』なんて言ってた気持ち、分からなくもないなぁ」
「……こんなときにまで、からかわないで下さい」
確かに、自分の骨格はどちらかといえば華奢だ。普段は鎧の肩当てやマントで
隠されている体には年相応に筋肉がついているものの、いまだどこか頼りない。
二の腕から肘にかけてのなめらかすぎる曲線と、護るべきものの重みを支えられ
そうに見えない胸は、騎士を目指す彼にとって密かな悩みの種であったのだ。
「べつに、からかったわけじゃないさ」
彼のそんな思いを知っているのかどうか、バーバラは顔を離し、首をかしげた。
「そうだねぇ。なんていうか、いつも自分の限界まで頑張るアルはかっこいいだけど、
今みたいに無防備なアルも素敵だってことかな」
「バーバラ、さん?」
普段からよく言葉を発し、場の空気をほぐす事に長けている彼女ではあったが、今
共にいる少年には、いつも以上に口数が多いように思える。先刻言った『恥ずかしい』
という理由以外の部分で、言動にぎこちなさがにじんでいるような気がするのだ。
「ん、――っく!」
けれど、浮かび上がった疑問を押しながすほどに、襲ってきた感覚は甘美なものだった。
「ど、どうして……」
唾液でたっぷりと湿された彼女の指が触れているのは、アルベルトの乳首である。
普段は存在すら忘れてしまっていた部位に、たとえば乾いた手で触れられていたなら、
痛みやくすぐったさしか感じなかっただろう。だが、濡れた手でかるく愛撫されるその
部分は、うずくような心地よさを感じさせて小さく尖り、みずから湿り気を帯びていく。
「ここを触られて女の子が感じるっていうなら、それは男の子も同じじゃない?
ついでに、女の子は優しくされると感じるから、それは男の子も同じじゃないかなって」
先ほどの違和感は幻だったのだろうか。彼女の行動は、理路整然としている。
息苦しいほどにもどかしい感覚に、アルベルトは二の句がつげなかった。
『若い子を見るといじりたくなる』というのは、なにもこんな事を指しているわけでは
ないだろうに。頭の中は真っ白で、のどが、からからに渇いている。
「う、ぁ……」
ただ息を吐くことにすら、なんらかの声を伴わねばならない状況を、アルベルトは
戦い以外に知らなかった。
「声、我慢しないでいいわよ?」
ちゅ、と音を立てて、バーバラは左の乳首を吸っていた。そうしながら少しずつ彼の
上体を倒し、自由になった腕でもって、胸から腹へと愛撫の手を伸ばし始める。
腰が浮かされた。線の細い印象がある下半身を包む布はかたく丈夫なもので
あったのだが、バーバラは器用な手つきで腿から膝、足へと生地を抜けさせていく。
「あついね、アル」
「――ええ」
その台詞がなにに対して向けられたのか分からないまま返事をすると、彼女は少しだけ
蓮っ葉なものがみえる動作で下半身の衣服を取り去った。
「目的や行動は一本化すべきなのよね。リズムが悪くなるから」
もっとはやくに脱げばよかったとこぼしながら、彼女はアルベルト自身に手を触れる。
「ん……ッ!」
その動作はやや速く、無造作と言って差し支えないような動きに見えたのだが、秘部に
触れた瞬間の彼女の指先は、どこまでも軽く、柔らかかった。先刻の愛撫とおなじで、
与えられる刺激が軽いほどに、アルベルトの体は熱くじらされていく。
寄る波のような快感が砕ける先を求めるように、剛直がぴくりと動いた。
「だいじょうぶ。怖くはないでしょう?」
その瞬間にもれた、ひゅっと息をのみこむような声を聞きつけて、バーバラが笑った。
「べつに壊したりしないから、安心して……」
酒場で歌を歌うときよりも、少しだけ甘く解けるような響きが、耳に染み込んでいく。
そのまま彼女は寝そべるように少年の下半身に寄り添い、豊満とまではいかないが
形のいい胸を両手で支えつつ、彼のたかぶりをはさみこんだ。
「ふ……ッ!」
ふんわりとした感触のなかに、生硬なものが内包されている彼女の乳房。
先刻までも手に触れていなかったそれが、いきなり自分の局部に触れているという
のは、アルベルトには信じがたいことだった。どこまでが彼女の体から感じる鼓動で、
どこまでが自分の脈動なのかが分からないほどに、体が溶かされていく。
「アルは敏感そうだから、指だと痛いんじゃないかな。……そうだねぇ、なんか、
あんまり美しくないけど――もうちょっと潤ってたほうがいいのかねぇ」
首をかしげて言いつつ、バーバラは紅をひかずとも紅い唇を少年の先端にはわせた。
薄い舌に控えめなタッチで鈴口を舐められ、茎の部分に唾液を伝い落とされる。
「ん、っく」
「これは……いい感じ、かも?」
ぬめりを帯びて、先ほどよりも双方のからだが密着していた。彼女のほうも興奮
しているのか、霧のようにふいている汗と相まって、肌がしっとりとからんでくる。
「ぁ、うっ――」
何を考えていいのか、分からなかった。
彼女は自らの肌に伝わった感触に手ごたえを感じたらしく、剛直に乳房を擦り付ける
ようにしながら、ふたたび先端の部分をもてあそびはじめる。
張り詰めた裏側の筋や雁首の張った部分を、彼女の舌はかろやかに舞った。その動き
とはまったく別のリズムで乳房が触れ、離れ、絶え間なく性感を刺激される。
じわり、じわりと、自分の昂ぶりからにじむものがあった。
今まで感じていた恋慕の甘さや、夢におちるかのような感覚を洗い流すかのごとく、
肉体に与えられる感覚はあくまで鮮やかだ。突き上げられるような欲望に瞳がかすみ、
快楽は過敏な痛みすら伴ってアルベルトにひびいてくる。
「いいよ。我慢しないで、一回出しちゃっても」
「あ……ッ、あ!」
言われるまでもなく、耐える事などかなわなかった。支えを失ったような上体が反り
かえり、それとは逆に、尻からふとももにかけての筋肉に強く力がはいる。
自分の体が、自分のものでないと、自然に理解できた。絶頂に達した瞬間は情念も
思考も割り込む余地がなく、無軌道に欲望がぶちまけられる。
「ん、ん……」
それを引き込み受容するかのように、バーバラは口中に放たれた流体を飲み込んだ。
どんどんと追い詰められていった自分とは対照的に、バーバラにはなんの迷いも
ためらいもないようだった。人生経験の差というべきか、傍目からみて危なげがない。
けれど。
「……こんな冒険は初めてだったけど、どうやら正解だったみたいだね」
「はじ、めて?」
「うん。こんなことは初めてだったわ」
軽い口調でつむがれた言葉に、アルベルトの頭は急激に醒めていった。
――貴族の息子ともなれば、教養や武術のほかに、房中の術も知っておかねばならない。
褥にあるという最も無防備な瞬間は、後宮にやって来た女性だけでなく、自分のめとった
妻に対しても警戒を怠ってはならない。
その上で、もしも信頼のおける女性が現れたなら、彼女に恥をかかせてはならない。
言葉すくなにそう説明したアルベルトの父は、成人の儀式を迎える少し前から、
息子の部屋に一人の侍女をつかわすようになった。
しかし、自分は彼女に指一本も触れてやることが出来なかった。
自分が不能だというわけではない。年相応に、胸をつくものはあった。
侍女にとっては、貴族の手に触れられることで栄華への道を開き得るかも知れぬこと。
領土を拡大する政策をとるだろうローザリア王国の重要な地点を護るものとして、まずは
自らの命を護らねばならないことなどは、十分に理解できていたのだ。
……しかし、ただ、いやだった。愛も正義もないままに、生々しい行為をすることが。
『大義』という言葉の裏を理解できるほどに、少年は成熟していたが、それを自分の
行動にうつしかえて考えるに、いまだ彼の精神は青く、若きにすぎていた。
「バーバラ――」
「あら。『さん』が、やっと取れたんだね」
顔をあげ、こちらを見る女性にむけた声が、のどにつまる。
どことなく嬉しそうな彼女の言葉とは裏腹に、アルベルトは後悔の念をかくせなかった。
こんなにも、自分は快感を感じているのに。こんなにも、彼女は優しいというのに、
自分の方は彼女にどう触れてやっていいのかが分からない。
いくら剣が強くなっても、結局は何も出来ない、何も知らない自分がただ、悔しかった。
そして、たとえひと時といえど、相手に対して愛を持って向かえず、愛や正義という
『大義名分』をかさにきて、今まで何も知ろうとしなかった自分を心から恥じた。
「――アル、どうしたの?」
違う、あなたのせいではない。
そう思いながらも、アルベルトはバーバラに体を起こされ、その胸に抱かれていた。
心配そうな声音が、彼女の腕越しに耳朶をうつ。こうして受容され、甘やかされる
自分を視るのは久しかったが、それはとても後ろめたく、申し訳ないことだった。
「違い、ます、バーバラさん」
知らず知らずのうちに食いしばっていた歯の奥から、一語一語を喰いしめ噛み切る
ようにして、言葉がでていった。
「でも、あなたやっぱり……苦しそうよ?」
「そのようなことは、ありません」
こちらの迷いが気配で伝わったのだろうか、彼女はなにも言わなかった。
沈黙にありがたさを感じながら、アルベルトは考えた。
――彼女に、恥をかかせてはいけない。彼女の名誉に、傷をつけてはならない。
けれど、バーバラはそのどちらも気にはしないだろう。どう考えても貴族であった
彼自身の主観にしかなってくれない精神の未熟さに、少年はまた恥を感じる。
そして、理詰めで言葉をつむごうとするほどに、のどはふるえてくれなかった。
もどかしさが自分をなおさら縛っていくのを感じながら、彼は体を動かした。彼女の
抱擁からいったん離れ、眼を見ようとして――その手が乳房に触れる。
「あ」
濡れた胸に手のひらがすべり、体勢が崩れかけるのを防ごうと、思いがけず乱暴に
つかみあげるような形になった。呼吸に合わせてゆるやかに上下していたはずのそこ
から、意外なほどに激しい鼓動がつたわってくる。
驚きに表情を崩したアルベルトに向けて、彼女は照れまじりの笑みを浮かべた。
「年を、とるとね。どんなに不得手なことでも、こなし方が分かってくるものなの。
最初に恥ずかしいって、言ったでしょ? こんな時は、誰でも余裕がなくなるのよ」
……さわやかで、思い切りがよく、さっぱりとしている。
そんな印象しか抱いていなかった彼女の、端を吊りあげた唇に、今まで微塵も
感じなかったはずの情感や色っぽさがにじんでいる。
その様子を眼にするに至って、少年は『これは理屈ではない』と、強く感じた。
「――バーバラさん。私はまだ、若いです。若くて、いまだ未熟です。……何も
分からないというのは言い訳にもなりませんが、分からないなりに、やってみます」
「それでこそ、アルだよね」
今まで悩み、迷いながらも、着実に前だけを見据えて歩んできた少年の瞳にある
力を見て、バーバラはひとつうなずく。
「……でもね、アル。なにごとも基本が大事なのよ?
まずはその手に入ってる力を、抜くところから始めてみないかしら」
茶化すように言われて、瞬時に手が体から離れる。
両極端すぎる自分の反応に、アルベルトは口もとを気まずそうにゆがめた。
横たえたバーバラの体は、思っていたよりもたくましかった。すらりと細い線は
感嘆に値するものだが、肌理の細かい肌の下には、引き締まった肉やまっすぐな
骨――今そこにある生命の存在を、たしかに感じ取ることが出来る。
「綺麗だ」
それを美しいと形容するのは何か違うような気がして、アルベルトは思わず声に
出してつぶやいた。自分の体の下で、年上の彼女がわずかに身じろぎをする。
蒼い瞳の視線が緊密に絡み合い、顔を近づけるにつれ閉じられていった。
「ん……」
ゆっくりと、あわてることがないように、唇を重ね合わせる。こちらを導くように
開かれた口内へ、アルベルトは舌を挿し入れた。細かにざらついた舌に自分のそれ
をからませ、温かく潤っている口蓋のかたちをなぞるように動かす。こちらが動く
だけ、バーバラの方も自分の舌を滑り込ませ、こちらの背に腕をまわしてくる。
蕩けそうなその感触は、されるがままの口付けでは分からないものだった。
双方ともに呼吸も忘れて、甘い行為にどんどんとのめりこんでいく。そのまま、
もう息も続かないというところまできて、ようやっと体が離れてくれた。
「……はっ、は……はは……」
「っふ……あはは……」
子どもの戯れのような行為に、自然と頬がくずれる。こみあがってきた感情か衝動か、
そのいずれも抑えずに、ふたりはしばらくの間笑みを止めなかった。
そして、必然としか形容できない間をおいて、少年の顔が真剣なものに変わる。
「――いきますよ、バーバラさん」
「ええ。どこからでも、かかってらっしゃい」
なまめかしさの欠片もない台詞の応酬に、彼の頬に再び笑みが訪れかけた。初めて
触れる女体への興奮は隠せないものの、紅潮した頬はこわばりもひきつりもしていない。
汗と唾液で濡れ光り、力を抜いていてもつんと上を向いている彼女の乳房を、彼は
広げた手のひらで受け止めた。一見しただけでは分からないだろう、剣を振るい続けて
出来たたこやひびわれが、ふんわりとした肌のそこここにひっかかる。
「あん……」
部屋の空気に溶け消えるような彼女の声に、アルベルトの指がふるえた。
それは酒に酔う感覚に、少しは似ているのだろうか。
目がくらむようなくるめきや、感動にも似た焦燥が、アルベルトを支配している。
その感覚を悟られまいと、掌は無意識に彼女の胸に密着した。吸い込まれるような
弾力に惹かれて、大きく開かれた五本の指が肌を押し、包みきれない部分がこぼれだす。
「ん――っん」
……敏感なのは、彼女もかわらないような気がした。
息を吐くのと変わらない大きさであふれるバーバラの声は、彼の鼓動をさらに
煽り立てるようだった。人の肌は安らぎをもたらすものだと思っていたのに、
いま彼女の肌に触れている少年の額には、ねばつく汗がふきだしている。
自身をとりまく緊張に心地よさを感じながらも、アルベルトははけ口を求めるよう
に、バーバラの胸もとへと鼻先を埋めた。音に聴こえるほど深く呼吸を繰り返し
ながらも、彼の手のひらはゆっくりと目の前にあるふくらみを揉みしだいている。
「ぁん!」
断続的に声をあげていた彼女が、一段階高い声をだした。驚いて手もとを確認すると、
指の付け根にできた剣だこが、いつのまにか肥大した乳首をさわっているのに気がつく。
「痛かった、ですか?」
――魔物に手傷を負わせて倒すのは、正義にかなうことだ。しかし、自分の周囲にいる
ひとを傷つけるのは、いかなる場合であっても怖い。恐ろしい。
おそるおそる問いかけた少年に、バーバラは苦しげなはかなげな表情で返事をした。
「ううん、なんか……いたいような……気持ちいい、ような」
へんな感じ、と付け足した彼女は、動きを止めていたアルベルトの手、繊細そうな
外見のなかで唯一無骨に節くれだった指の上に、自身の手を重ねあわせる。
そして、先刻まで彼が愛撫していた時よりも少しだけ強い力で、乳房をゆがめた。
「もっと、つづけて? あたし、今――感じてるから」
「……分かりました」
彼女が気持ちのよいと思う力や律動を、その動きは直に教えてくれる。アルベルトは
その通りに、あるいは乳首に触れた時のように機をずらして、手指をはわせはじめた。
もうずっと触れ続けていたふくらみは、全体に熱をもっていた。汗や熱気で湿りを帯びる
ほどに、触れ合う肌からは隙間がなくなり、自分と彼女との境界が曖昧なものになっていく。
優しく触れればこちらを包み込み、強く圧せば同じだけの力で抵抗する、女性の体。
ともすれば濃密な空気にのまれそうになりながらも、少年はそこから手を離せなかった。
陶然とぶれる彼の視界いっぱいに、彼女の体がうつっている。胸の間にほとんど
挟まれている状態の耳朶に、自分と変わらない速さで鼓動がひびいてきた。
とくん、とくんと、浅く繰り返される音を聴いたアルベルトの体が、一瞬だけ
固まった。大人の女性が自分の手で乱れるさまに、胸を締め付けてきた切なさを
振りはらい、そうすることが必然であるかのような動作で、彼女の左胸に顔を伏せる。
「はぁ……っは……ぁあん」
すでに充血し、硬さを増していた乳首を吸われて、バーバラがあえいだ。肥大して
薄くなった乳輪の皮膚は、舌のわずかなざらつきも鋭敏に感じ取っているようだ。
空いた右手が、揺れる女性の肩を抱いた。左手は変わらず、乳房に置かれている。
「あ、あ、あ……んんッ」
――手で胸をゆり動かせば、バーバラののどはひくりと鳴り、幼な子のように乳首
を吸えば、バーバラの声は鼻からぬけるようにふるえて伸びた。
そして、そんな彼女の声を耳にするほどに、アルベルトはこの行為にのめりこむ
自分を実感せざるを得なかった。もはや意識からは荒い呼吸を整えることすら失せ、
恋情以外にあった逡巡やかなしみを叩きつけるように、バーバラの体に『ふれる』。
優しさを、やわらかさを意識して触れるほどにひびいてくれる彼女の体が、心が
いとおしい。その思いがますます、少年の理性に火をつけていく。
形のいい胸を圧し上げるように揉みつぶし、同じ動作のなかで乳首をなであげ、軽い
接吻を繰り返しながら、焦がれるように反り返った彼女の背をささえる。
「あ、ぅっ……ア、ル――アルベルトっ」
ふいに感極まったような声をあげて、バーバラはアルベルトを引き寄せ抱きしめた。
血を吐くようにつむいだ名前に、先刻までの響きはみえない。
くるおしげな呼び声は年下の、性を感じない庇護者を可愛がるような愛称の少年
ではなく、対等な立場にある男をこそ求めているように、彼には聴こえた。
「バーバラ……さん……」
「は、ぁ、は……ぁっ、」
こちらの呼びかけに、明瞭な返事はかえらなかった。がっくりと力が抜けて、今にも
くずおれそうな体躯を、彼女はとっさに回されたアルベルトの腕に預けている。
無防備な、先ほどまでの余裕も諧謔もなにもない姿に、少年の心はあまく衝かれた。
「ん……あぁ……」
乱れきった呼吸の邪魔をしないよう、頬や首筋への口付けを繰り返す。彼女の体を
愛撫するうちに、アルベルトの体もまた昂ぶっていたのだが、くるしげに浅く息を
するバーバラの姿を前に、欲望は少しずつ静まってきていた。先刻体を支配していた
凶暴な焦燥感ではなく、彼女に対する思いを、今度はしっかりと捕まえる。
「バーバラさん」
呼吸が落ち着くのを待って、彼はもういちどバーバラに呼びかけた。
「あ、ああ……、ごめん。あたしなら、大丈夫よ」
「ええ。無理も、我慢も、しないでくださいね」
なんのてらいもなく、言えた。つと向けられた彼女の瞳に、強くうなずいてみせる。
……とまどいも、迷いも、ここまできたら関係はなかった。そう思う自分は、強敵を
まえに覚悟をかためた時とそう変わりない表情をしているのだろう。
バーバラは少しの間をおいた後、たのしそうに唇をほころばせた。
「うん、分かってる。あたしも……その、こっちのほうが、限界だしね」
抱き合ったまま言われたが、そこがどこなのかは、教えられるまでもない。彼女の
背中にまわした片腕を離しながら、体を横たえていく。膝がわずかに浮いた瞬間を
ねらって、アルベルトはバーバラの秘所に指をすべりこませた。
「あ……」
足が重力に従って、とんとシーツにつく。その瞬間、バーバラは快感に、アルベルト
は驚きのまじった声を同時にもらした。
反射的に見つめた彼女のそこはもう、十分以上に潤っている。やや肥大した粘膜が
開きかけて、その奥からはじわじわと透明な液体があふれだしていた。
だが、やはり――。
「ほんとうに、綺麗です」
指先でくつろげた肉襞に、色素の沈着はほとんどなかった。しとどに濡れ、夜闇の
なかでも淡い紅色があらわになったその器官の形状は、決して美しいといえるもの
ではないのに、そこは何故か胸に懐かしく、アルベルトの視線は引き寄せられた。
充血した陰唇をなぞる、指はゆっくりとすべっていく。
「そういうことは、面と向かって……言うもんじゃないわよ?」
内股を細かにわななかせながら、バーバラが抗議した。こづくように掛けられた
言葉に団欒のごときぬくもりを感じて、少年の頬は複雑にゆがむ。
そしてまず、彼女の形状を確認するように、そっと指を動かしてみた。申し訳程度に
入り口を隠していた襞をひらき、その内側にあるものを探ってみる。
そこここで彼女は反応を返してくれるものの、それは乳房を愛撫していたときの感覚
とさしたる変化がないようで、少年はいささか調子をはずされたような気分になった。
――こういう場合、どうすればいいのだろう?
「……バーバラさん、少し恥ずかしいかも知れませんが、許してください」
「うん。アルの、好きにしてみて」
少し考えた後に問いかけると、バーバラは真面目な顔でうなずいた。思い切って
下半身のほうへと顔を移していく彼にあわせて、少しだけ大きく脚を開いてやる。
「ん、あっ……ふぅ……」
ぬるついた感触からは、かすかに潮の味がした。無骨な指よりもずっと柔らかく、
面積も広い舌でもって、アルベルトはバーバラを愛撫することにしたのである。
こんな冒険をしている自分自身が信じられなかったが、今はとにかく拙さを工夫で
埋めることしか、彼には思いつかなかった。
「あ、っあ、ああ……ん」
裂け目のほとんどすべての箇所をくすぐられて、バーバラの声が高くなる。その
響きを悪くないと感じて、アルベルトは少しずつ緩急をつけて舌を使ってみた。
会陰のあたりから、入り口の部分に舌先をかるく圧しこむようにし、そこから蒼く
影をおとす茂みのあたりまで、つぅと素早く舐めあげる。
何度目かの動作のおわりに、バーバラの平らに緊張を保った下腹がひきつった。
「んぁッ、う……ア――ル、そこっ!」
「ここ、……ですか?」
顔を離し、指で触ってやると、バーバラは追い詰められたような表情でうなずく。
小さく皮膚にくるまれたそこは、なかば恥丘の盛り上がりに隠されていたものの、
よく見るとじんと充血して、その存在を主張していた。
「うん、そう……指でも舌でもいいから、ゆっくり――さわって」
半開きになった彼女の唇が、自然な白さをもつ肌が、興奮にひかっている。その
反応は、先刻までの愛撫に対するものとはまるでレベルの違うものだったが、
その理由は少年にもなんとなく理解ができるような気がした。
「あ、ああッ……ぁうっ」
乳房のように核心から離れた部分ではなく、快楽の中心に触れられて、バーバラは
こちらが攻めたてられた時と同じような声をあげている。肉の芽を指で転がす度に、
彼女の腰はなにかをねだるように浮き上がっていた。
そして、愛液をにじませていた入り口が、ひくひくと痙攣をしはじめる。
「ちょっ……と、待って」
それが絶頂に近づいた証だろうと思っていると、ふいにその手が止められた。
「なぜです?」
いぶかしげに問うアルベルトに向けて、バーバラは晴れやかな顔で息をととのえる。
「体と心の準備が、できたから。ひとりでいっちゃうより、アルと一緒に――いきたいな」
開いた脚の間に這うような姿勢になっていた相手を誘うように、彼女は彼の瞳を見つめた。
「ダメかな」
「ダメというわけではありません。……私も、そろそろ我慢がきかなくなってきましたから」
「やっぱり。そういうところも、若さよねぇ」
言いながら、彼女は悪戯っぽく片目を閉じる。
「アル。あたしが、上になろうか?」
「いえ。私が、あなたを抱きます」
問いかけられて、アルベルトはためらいの無い動作でバーバラを組み敷いた。長い
愛撫でとろけそうになっている襞の入り口に向けて、先端の狙いを定める。
「く――ぅ、」
一度は上手くいかず、亀頭の部分を秘裂の上部にまで滑らせてしまったが、深呼吸を
した二度目はまっすぐに、彼女のなかへと入っていけた。
「……気持ちいいよ、アル」
バーバラが、満ち足りたような声で言う。
いま、自身の根元までが、彼女のなかにあった。抵抗があったのかどうか、挿入に力が
入ったのかどうか。一瞬前のことも思いだせないほどに、包み込まれる感覚は甘美だった。
「そのまま、動いてみて」
彼女の言うとおりにしながら、『なるほど』と、今になって思う。
「あ……あ、そう、もっと奥のほうまで、きて――」
ぬめりをもった襞は生硬な感触をもって、彼のたかぶりを喰い締めていた。入った
瞬間は分からなかったが、やわらかさのない内部は明らかに慣れていないものだ。
腰をすすめるときよりも、抜く瞬間に無数のざらついた感触がこちらを引きとめ
ようとする。そんな抵抗とはうらはらに、双方の体からは潤滑がにじみだして、
少しずつ少しずつ、楽に動けるようになっていった。
そして、最初は穏やかだった動きが激しくなり、情熱のままに腰と腰がぶつかりあう
ような抽送を行いながら、アルベルトはすべてにおいて納得せざるを得なかった。
……たぶん、自分はもう少しも保たない。
いまのバーバラは快感にあえいでいるものの、愛撫による絶頂からもう一度と攻め
たてることは、とてもではないが出来なかっただろう。互いが溶け合うように
激しい行為による最後は、なにより彼女が考えていた結末にちがいなかった。
――そう感じても、悔しさやふがいなさは浮かばなかった。結局はこんな時にまで
気を遣われてしまうのだなと思いながらも、アルベルトの心は微塵もささくれだつ
ことがなく、彼女の行為をすんなりと受け入れている。
この慈しみを受け入れた上で、きちんと彼女へ誠意を返したかった。
「……バーバラさん、いきますよ」
限界がちかいのは、お互い様だったらしい。バーバラはこちらの動きにあわせて、
腰をゆすりあげるように動かしてくる。直線的な自分の律動と、変則的な彼女の
リズムが複雑に絡み合い、いびつなバランスの快感をもたらしていた。
「あ、――あ、あッ、アル……っ」
終わりそうで、終わらないと思っていたが、唐突な瞬間に、バーバラの中がびくんと
動いた。行き先を導くような蠢動に、アルベルトの下半身が弓のようにしなる。
終わりの瞬間は熱く、白く、彼をどこまでも引きこんでいくようだった。
疲労感が、全身を心地よく支配していた。
荒くなっていた呼吸が部屋に響き、潮のように静まっていく。
「もしかして、初めて……だったんですか?」
いまだ彼女を見下ろすかたちのままのアルベルトが、遠慮がちに問いかけた。
「そうだねぇ、初めてってこともないけど、体はそれほど慣れてないし……
久しぶり、だったかな。風の吹くまま旅してるうちに、人によっては貴族さまの後宮に
招かれたりすることもあるみたいだから、こっちも嗜みみたいに言われてるみたいだけど。
でも、いくら好きで踊ってても、結局はそういう眼でみられるのは嫌だなって。
若いころに好きだなと思ってた人からも、『人より金がとれないんじゃダメだ』なんて
言われたし、そもそも所帯をもとうなんて考えたことも無かったし。
それで、踊りの腕だけはよくなったんだけど、こういうことは知らないままだったの」
彼を慈母のように引き寄せて、腕をまわしてやりながら、バーバラはゆっくりと息を吐く。
「――ありがとね、アル。こうしてたら、胸のつかえがとれた」
「私の方こそ……なんだか、いつも頼りないままで」
「なに言ってるのよ。そっちだって、こういうことには縁が無かったくせして。
正直言ってよくは分かんないけど、初めてであれだけできれば十分以上だわ」
先刻までのことが脳裏によぎったのか、耳のあたりまで赤面する少年を、彼女はゆっくりと
シーツの上にひきよせてやった。彼と入れ違いになるようにして、女性はすっと立ち上がる。
上から見下ろし、下から見上げてているものの、ふたりは対等な視線で見つめあった。
「明日は、決戦だね」
「はい」
「みんなと一緒に、勝てると嬉しいんだけどね」
「本当に」
「ぐっすり、眠りなさい」
「バーバラさんも、よく休んでください」
「もちろんよ。ボスさんの前で、冴えない顔を見せるわけにはいかないもの」
流れるような会話の最後で、ちいさな笑い声がもれた。軽く音をたてて部屋の扉が閉められる。
アルベルトは充足とすがしさを覚えながら眼を閉じ、穏やかな眠りへ引き込まれていった。