「頼みがあるんだ、グレイ」  
 と、久しぶりにあった同僚にジャンは昔と変わらぬ明るさで話し掛けた。  
「断る」  
 グレイは当然即却下したが。ジャンはがっくりと項垂れる、振りをする。  
「……いきなりそれか。せめて話くらい聞いてくれても」  
「お前の頼みはだいたい碌なことじゃない」  
 これでもバファルの誇る情報工作員。落ち込んだ素振りに騙されてはいけないとは解ってはいるのだが。  
「頼む、今回はお前じゃないとまずいんだ。バファルにはお前も少しは義理があるだろう?」  
「……」  
 昔から、ジャンの頼みはどうにも断り難い。グレイは溜息を吐きつつ、取り敢えず話だけは聞いてみることにした。  
「とある女性のボディーガードを頼みたい。穏便にバファルから連れ出してほしいんだ」  
「バファルから連れ出す……?」  
 他言無用に頼むぞ、とジャンは言う。  
「先日、イスマス城が落ちたのは知っているな?」  
「ああ」  
 あの難航不落のイスマスがモンスターの襲撃を受け落城したと言う噂は、瞬く間にマルディアスを駆け巡った。  
 大陸中を巡っているグレイも当然、その話は耳にしていた。  
 物騒な世の中になったと、所詮は他人事の気楽さで考えていたのだが。  
「そのイスマス城主には子供が二人いたのは、知っているか?」  
「知っている。この二人だけは死体も見つからなかったんだろう?  
二人の姉弟の行方は杳として知れない、と。既に吟遊詩人の歌にもなっている」  
「そこまで知ってるなら話は早い」  
 ジャンはそう言って、そっとグレイに耳打ちする。  
 
「そのイスマス城主の令嬢、ディアナの警護を頼みたい」  
「……どういうことだ?」  
「まあ、バファルの恥を晒すようで言いにくいんだが……」  
 ジャンはいささか躊躇った後、続ける。  
「彼女はイスマス城が落ちた後、どうやってかブルエーレに流れ着いてな。  
ブルエーレ伯の手の者が拾ったはいいんだが……」  
 これはまだそれ程知られてはいないんだが、とジャンはグレイに説明した。  
「彼女はローザリアの皇太子の許婚でな。伯爵はいい手駒が転がり込んできたとでも考えたらしい」  
「奴にそんな才覚があったのか」  
「ないから困ってるんだろう。  
傷付いた彼女を軟禁状態にしたはいいが、どう使っていいのかさっぱりわからない。  
そうこうしているうちに怪我も治って来て、ローザリアへ帰してくれと当然ディアナは言い出した」  
「……で、まだ出し惜しみして引き留めたと」  
「そうだ。ブルエーレ伯だけの問題ならまだしも、ローバーン公辺りに知られると厄介だ。  
おまけにローザリア皇太子はローバーン公並の野心家と来てる。  
彼女がバファルにいるのが知られたら、婚約者が誘拐されたとでも言いがかりを付けられかねない。  
今なら親切なブルエーレ伯が行き倒れの女性を介抱したで済む」  
 なるほど、とグレイは漸く見えてきた話に頷いた。  
「……で、お前が助け出したと、そういうことか」  
「そういうことだ。詳しい事情は話してないが、彼女も薄々は解っているはずだ。  
一刻も早く出国させたいのだが、ローザリアの王族候補がバファル国内で何かあってはまずい。  
かと言ってバファルの者を付けるわけにもいかない。そういうわけで」  
 いつの間にか真剣な表情に変わったジャンはグレイに頭を下げた。  
「お前に頼みたい。ローザリアまでとは言わん、何とかバファルから無事に出してくれないか?」  
「……」  
 ジャンに真面目に頼まれると、グレイは弱い。  
「……報酬ははずめよ」  
「勿論だ」  
 仕方なくそう言うと、ジャンは嬉しそうに頷いた。  
 
「ディアナです、よろしく」  
 ジャンから紹介された女性は、貴族の子女らしい気品溢れる凛とした女性だった。  
「グレイだ、よろしく頼む」  
 簡単に挨拶を済ませると、何を話していいのかよく解らなくなったが。  
「ここからならまたブルエーレに戻るより、ワロン島経由で帰ることをお勧めするよ。  
あそこは体を癒すにも持って来いの所だ。暫くのんびりするのもいいんじゃないか?」  
 ディアナはそうアドバイスするジャンに苦笑した。  
「解っているわ。ブルエーレに戻って伯爵にまた見つかりでもしたら面倒ですものね。  
何だかんだ言ってもお世話になったから、お礼くらい言いたかったけれど」  
 ジャンは笑顔で請け負った。  
「俺から伝えておこう、伯も喜ばれるだろう。……それでは、元気で」  
 ディアナも微笑んで頷く。  
「色々とありがとう、ジャン。あなたも元気で」  
 無事故郷にたどり着けるよう、祈っていると。ジャンはディアナに告げ、グレイに向き直る。  
「グレイ、ディアナを頼んだぞ」  
「ああ」  
 グレイは頷く。ジャンは陽気に手を振って別れ、グレイはディアナと二人残された。  
「……では、グレイ」  
 気を取り直したようにディアナはグレイに向き直り告げる。  
「早速ワロン島へ向かいましょう。あまり長くここにいるわけにはいかないわ」  
「……一応、立場は解っているようだな」  
「勿論よ。私のせいでローザリアとバファルに余計な揉め事の種を作りたくはないわ」  
「……」  
 
 グレイは改めてディアナをまじまじと見る。  
 貴族の娘、しかもローザリアの皇太子の許婚と聞いて、なよなよとしたドレスに包まれた女性を想像していたのだが。  
 どうやらその点については全くの杞憂らしい。  
 気の強そうな女だとグレイは思い、その勘の正しさはすぐに証明された。  
「グレイ、剣の稽古をお願い」  
 ローザリアの騎士隊に属していたというディアナは、船の中でも暇さえあればグレイに挑んで来た。  
「病み上がりじゃなかったのか?」  
 グレイがそう言うと、『剣の女王』と呼ばれる小型剣を握り締めてディアナは頷く。  
「だからこそ、よ。随分と体が萎えてしまったわ。薔薇騎士隊の一員として面目ない」  
「……」  
 グレイとて少しは名の知られた冒険者だ。当然剣の腕にはそれなりの自信がある。  
 だがディアナも貴族の女性の嗜みと言うには逸脱したレベルの腕の持ち主だった。  
 流石に互角とまではいかないが、それでも十本の内、三、四本は取られてしまう。  
 ローザリアでは薔薇騎士隊という女性のみの部隊があるとは聞いていたが、  
王の慰みの為の見世物程度に思っていたグレイは見直さざるを得なかった。  
 そうしてディアナがグレイと深く関わるは、剣の稽古の時のみ。  
 余計なお喋りもせず、些細なことで騒ぎ立てもしない。  
 怪我が癒えたばかりと言うが、体は丈夫で、病気や船酔いもしない。  
 今まで共に旅をした多くの男と比べても、理想的と言っていい旅の連れだったが。  
 一つだけ、どうしても耐えられないことがあった。  
 
 ワロン島への長い航海の間、グレイとディアナは同室だった。  
 部屋がなかったせいだが、ディアナは構わないとあっさり頷き、グレイも渋々了承した。  
 間違いなど起こりようもない性格を互いにしていることはすぐに明らかになり、  
グレイもそして恐らくはディアナも、同じ部屋で眠ることに慣れたが。  
 唯一つ、グレイには耐えられないことがあった。  
 夜、眠ったディアナは酷くうなされるのだ。  
 最初にグレイの目を覚まさせたのは、悲鳴だった。  
 決して大きなものではないが、心に突き刺さるような声。  
「父上、母上……っ!」  
 何事かと起き上がったグレイの耳に飛び込んできたのは、隣のベッドでディアナがそう押し殺して叫ぶ、声。  
 言葉にならない悲鳴はそれから暫く続き。  
「……アルベルト……ごめんなさい……」  
 かすれたような声で最後にそう呟いて、漸く静かになった。  
 そっと気づかれぬよう様子を伺うが、後は静かな寝息だけか聞こえ。  
 グレイも漸く安心して眠りについた。  
 それから毎夜のように同じことが繰り返された。  
 そのまま目覚めてしまうこともよくあるようだった。  
 はっと起き上がり、それから心配そうにグレイの方を見て、起こしていないか確認する。  
 そのまま口を押さえて、音を立てぬように部屋を出て行くのだ。  
 扉を閉める時、すすり泣く声が微かに聴こえる。  
 グレイを慮っているのか、部屋で泣くことのないよう外に出て行くのだろう。  
 だが折角の気遣いも役に立ってはいない。暫くして彼女が戻って来るまで彼も眠れはしなかった。  
 そうして翌朝、何事もなかったのように目覚めの挨拶を交わす。  
 交代で着替えをし、身支度を整えた彼女は昨夜の名残は既にない、気丈な女騎士以外の何者でもなく。  
 ただ、僅か目の縁が赤くなっていることだけに、グレイは気づかざるを得なかった。  
 
 そんな夜が幾つか続いた、後。  
 その夜もディアナは悪夢にうなされて目覚めた。口から洩れそうになった嗚咽を必死で飲み込む。  
 そのまま半身を起こし、気を落ち着けるように曲げた膝に顔を乗せていたが、気の昂りは止まらず。  
 諦めて外に出ようと思った、瞬間。  
「ディアナ」  
 突然名前を呼ばれた。ディアナは驚いて、いつのまにかベッドの脇に立った男を見上げた。  
「……ごめんなさい、起こしてしまったようね」  
 言い訳も何もせずディアナはそう言うと、無理に微笑んだ。  
「少し気分が悪いから、甲板に出て外の空気でも吸って来るわ。気にせず寝てて頂戴」  
 出来るだけ平静を装い、立ち上がる。  
 グレイは黙ってその言葉を聞いていたが、低くディアナに尋ねた。  
「……俺がいれば、お前は毎晩一人で泣かなくて済むのか?」  
「え……」  
 狼狽したディアナの腕を取り、グレイは自分の胸へと彼女を引き寄せる。  
「お前が一人で泣くのを見るのは、辛い」  
「グレイ……」  
 言葉を失ったディアナの唇を、グレイはそっと塞いだ。  
 身分の違う相手だとは知っていた。戯れに一夜の恋をするような相手でもなかった。  
 それでもあまりに辛そうな彼女を見ていると、手を差し伸べずにはいられなかった。  
 一時の慰めにしかならないとわかっていても。  
 
 抵抗はあまりにもささやかで、むしろ甘やかな誘惑のようだった。  
 恐らくディアナも慰めを求めていたのだろう。すぐに力を抜きグレイに全てを委ねた。  
「ん……っ」  
 微かに開いた唇に舌を差し込むと、おずおずと応じて来る。  
 普段の彼女からは想像し難い、少女のような反応だった。  
 互いの舌を触れ合わせ、絡ませ、ゆっくりと味わう。  
 固く強張っていたディアナの体から緩やかに力が抜けていき、グレイは漸く唇を離した。  
 そのままそっとベッドに横たえると、ディアナは恥ずかしそうにグレイから顔を逸らす。  
 そうしてグレイがしっかりと着込んだ男物の夜着に手を掛けると、急にうろたえた声を出した。  
「服は……脱がないと駄目なの?」  
「当然だ」  
 真面目に頷くとディアナは更に顔を逸らし、ほとんど枕に顔を埋めんばかりにした。  
「……あまり、綺麗なものではないのだけれど」  
「……どういうことだ?」  
 意味がわからず尋ねるが、返事はない。気にせずにゆっくりとボタンを外していき……  
 肌が露わになった時、グレイは思わず手を止めた。  
 ほの暗いランプの明かりでもはっきりと解る、胸から腹にかけて残った傷跡。  
 まじまじと見入るグレイに、ディアナは辛そうに告げる。  
「ドラゴンの牙にやられたの。背中はもっと酷いわ」  
「……」  
 言われるまま、優しくうつぶせに寝かせ今度は背を確認した。ディアナは逆らわない。  
 真っ白な肌に醜く残る、火傷の跡。傷のない部分が美しいだけに余計に目立つ。  
「気持ち悪いでしょう?」  
「……いいや」  
「嫌になったら、言って。構わないから」  
 ブルエーレ伯もこの傷を見た途端、顔を背けて逃げたわ、と。  
 ディアナは淡々とそう言った。  
 
「……もう、痛まないのか?」  
 グレイはそっと背中の火傷の傷に手を這わす。ディアナはうつぶせのまま頷いた。  
「ええ、もう痛みはないわ」  
「それなら、いい」  
 グレイはそう呟き、それからその背中に唇を寄せてゆっくりと傷の跡をなぞりだした。  
 口付けでその傷が癒せると言わんばかりに。  
「ん……」  
 ぴくり、とディアナの肩が震える。気にせずグレイは丁寧に唇で背をなぞっていく。  
 愛撫と呼ぶにはあまりに柔らかなその動きに、けれどディアナは徐々に息が上がっていった。  
「グレイ……、無理、しないで。汚いわ」  
 ディアナは掠れた声でそう囁くが、グレイは気にせず続ける。  
 腰の辺りまで残る火傷の跡に全て口付けた後、グレイはディアナの体を今度は仰向けに起こした。  
 グレイが胸に走る傷跡を指で辿ると、ぞくりとした感触がディアナの体を走る。  
 それが不快ではなく、むしろ心地よいことにディアナは目を見張った。  
「……お前らしくて、俺は好きだ」  
 グレイは心からそう思って、こちらの傷跡にも口付けながら告げた。  
 傷一つない乙女たちの白い肌よりも、傷に塗れた彼女の体の方が遥かに美しい。  
 傷跡以外は、ディアナはグレイが想像していた通りの体をしていた。  
 しなやかに引き締まった、若い雌鹿のような体。  
 その中で唯一女性らしく丸みを帯びた部分に手を当てると、あつらえた様にぴったりとグレイの手のひらに収まった。  
 そのまま心地よいその感触を味わっていると、ディアナが紅潮した顔で呟く。  
 
「本当に、胸を触るのね」  
「……どういう意味だ?」  
「話には、聞いていたけれど。男の人は胸が好きだって。でもよくわからなくて」  
 動きにくくて邪魔なものだとしか思ってなかったと言う彼女に、グレイは思わず笑った。  
「邪魔は邪魔だろうが、そんなに悪いものではないと思うぞ」  
 そっと唇を胸に寄せる。乳首を軽く咥えると、ディアナの唇から甘い喘ぎが洩れた。  
「ん……」  
 傷を辿った時よりは執拗に、繰り返し同じ箇所を舌でなぞり、唇で挟み、軽く歯を立てる。  
「何だか……変な、感じ」  
 掠れた声でディアナは囁いた。思わずのように手をグレイの頭に伸ばし、その髪を掴む。  
 その動きに誘われるように、グレイは物足りなさそうな片方に手を伸ばした。  
 指で軽く擦るとぴんと立ち上がり存在を主張する。頭の上でまた甘い声が響いた。  
 暫くの間、場所を変えながらずっと胸の辺りを責め続けると、ディアナが遂に根を上げた。  
「お願い……もう、だめ。耐えられないわ」  
 切なげに眉を寄せ、ディアナは苦しそうにそう囁く。  
 胸を弄られる内に形容し難い熱が腰の辺りに篭って来る。痛みとも心地よさとも違う、熱。  
 けれどどんどんと溜まる内に、どうしようもないもどかしさを伴って来るのだ。  
「……悪くないだろう?」  
 グレイは漸く唇を離すと、ディアナの顔を覗き込んで真面目に尋ねた。ディアナも真面目に答える。  
「悪くない、けど。駄目よ、こんなの」  
「何故?」  
「何故って……変、だもの、この感じ……あっ」  
 ディアナに最後まで言わせず、グレイは手を下腹部に伸ばし柔らかな茂みに触れた。  
 びくっとディアナの体が大きく震える。構わず、グレイは指を更に奥に埋めた。  
 
「ちょっと、グレイ、待って。何なの、これ」  
 グレイの背に縋り付きながら、うわ言のようにディアナはそう繰り返す。  
 剣の稽古をしていた時の自信に溢れた彼女からは想像も出来ない姿だと思って、グレイは素直にその感想を口にした。  
「可愛いな」  
「かわいい……って、こんな時に……んっ」  
 微かな水音を響かせてグレイの指がディアナの中で泳ぐ。その度に切なげな喘ぎがディアナの口からこぼれる。  
 入り口にそっと指を進めると、思わずのようにディアナは目をつぶった。その瞳にそっと口付ける。  
「……痛いか?」  
「大、丈夫よ」  
 まだ誰も受け入れたことがないらしいその場所をほぐすように指を進めながら、グレイは囁いた。  
「こんな時まで、強がらなくてもいい」  
「強がってる、訳じゃないわ。痛くないもの」  
 質問が悪かったと思い、グレイは問いを変えた。  
「怖くないのか?」  
「……怖くなんて、ないわ。知っているもの」  
 知識として知っていた所で、初めての恐怖が薄らぐ訳でもないだろうに、ディアナはそう言う。  
 その気丈さが愛しいと、グレイはふとそう感じ、自分がそう感じたことに驚いた。  
 不意に、優しい愛撫では我慢ならなくなる。  
 今すぐにこの箇所に自分の体を埋めたいと言う欲求で一杯になった。  
 グレイがそっと指を抜くと、ディアナは安心したように息を吐き、それから服を脱ぎ捨てた男の顔を不安を押し殺して見上げた。  
 
「……後悔しないか?」  
 今更止める気などない癖に、グレイは気づくとそう言っていた。微かな罪悪感は、それでも残っていたらしい。  
「ええ」  
 ディアナは躊躇なく頷く。如何にも彼女らしく、毅然と。  
「……」  
 その返事を聞いて、グレイは無言で自身を彼女の中へと突き立てた。  
「……ああっ!!」  
 予期していた以上の痛みにディアナの背が大きく仰け反る。  
 悲鳴を吸い取るかのようにグレイはその唇を塞ぎ、宥めるように背を撫でた。  
「大、丈夫。痛みには、慣れてるから」  
 ディアナは無理にそう言うが、グレイはその言葉を聞いて笑えばいいのか呆れればいいのかわからなくなった。  
「……こういう時に、言う科白じゃない」  
 とりあえずそう囁いて、腕を繋がった箇所に伸ばして快楽の源を弄る。ひゃっとディアナの口から奇妙な悲鳴が洩れる。  
 確かに痛みよりも快楽に弱いらしい。執拗に其処を責めるとびくびくとした震えがグレイにも伝わって来た。  
 その震えに促されたように腰を動かし始める。  
 ゆっくりとしたその動きは、だがすぐに耐え切れずに激しさを増した。  
「グレイ、グレイ……っ!」  
 痛みと快感に耐え兼ねて、ディアナがグレイの名を叫ぶ。  
 夜毎うなされていた時と同じようでいて確かに違うその響きに、グレイの体も更に熱くなる。  
「ディアナ……」  
 その熱を押さえ留められなくなった瞬間、グレイはディアナの名を呼び。  
 体中の熱さを彼女の体に流し入れた。  
 
 グレイが目を覚ますと、ディアナがぴったりと寄り添うように隣にいた。  
 腕の中の彼女はよく眠っているようだった。  
 安らかな寝息を立てている彼女を見て安心する。少なくとも今は悪夢には苦しんでいないらしい。  
 部屋に唯一ある丸窓から、朝の光が洩れてきた。もう夜明けだ。  
 その光がディアナの頬を撫でた時、ふっと彼女は目を開いた。彼女を見つめていたグレイと視線が合う。  
 昨夜を思い出したのか、ディアナは微かに頬を染めた。  
 グレイは何と言っていいかわからず暫く黙り込み、結局つまらないことを聞いてしまった。  
「よく、眠れたか?」  
「ええ」  
 ディアナはそう頷き、それから暫く言葉を選んだ後、そっとグレイに呟いた。  
「……ありがとう。こんなによく眠れたの、本当に久しぶり」  
 そう言って微笑んで、裸のまま立ち上がり窓へと歩いていった。  
 朝の光に照らされた彼女の体は、傷跡も何もかも含めて本当に美しいとグレイは思い。  
 そう告げようと、彼も立ち上がり彼女の後を追った。  
「ねえ、見て! ワロン島よ!」  
 だが彼が言葉を言う前に、ディアナは窓から遠くに見える島を見てはしゃいだ声を上げた。  
「それに、この海の色……いつの間に変わったのかしら?」  
 熱帯特有のエメラルドグリーンに煌く海にディアナはうっとりと見蕩れる。  
 その肩を抱いて、グレイは告げた。  
「今日中に上陸できるだろう。陸の上なら、もっと本格的な稽古が出来るな」  
「ええ」  
 ディアナは嬉しそうに頷いて、これからもよろしく頼むわ、とグレイに微笑みかけた。  
 
 それから暫くの間、二人はワロン島で日々を過ごした。後を追うようにジャンの手紙が届いたからだ。  
 その手紙によると、イスマス城の生き残りが無事クリスタルシティに辿り着いたらしい。  
「よかった……本当によかった」  
 ディアナはその手紙を読んで涙を零したが、グレイは素直に喜べなかった。  
 今までなるべく考えないようにしていたことを、考えざるを得なくなったからだ。  
「すぐにローザリアに向かうか?」  
 当然、と言う答えが返って来るものと思い込んでいたのだが、ディアナはあっさりと首を振った。  
「いいえ。弟には会いたいけれど、すぐに旅立ったと言う話だし、今帰ってもきっと会えないだろうから」  
「……だが、別に会いたい人がいるんじゃないのか?」  
 ディアナは屈託なく答える。  
「そうね、殿下にはお会いしたいけれど、アルベルトがきっと上手くやってくれたと思う。  
あちらに帰っても、私は何の役にも立てないし……」  
 その言葉を聞いて、え、とグレイは思う。まさか。  
「……アルベルトというのは、弟なのか?」  
「ええ。言ったことなかったかしら?」  
 ディアナは不思議そうにそう言ってグレイを見る。  
 今まで勘違いしていたことに漸く気づいて、グレイはぼそぼそとディアナに説明した。  
「婚約者の名前かと思っていた。いつも名を呼んでいたから」  
「婚約者!?」  
 
「ローザリアの皇太子だ。婚約しているんだろう?」  
 ディアナは驚いたように目を見開き、それから自分も漸く思い出したように手を叩いた。  
「ああ……そう言えば、そうだったわね。あんまりいろんなことがあったので忘れていたわ」  
「忘れていた?」  
 幾ら何でもそれはないだろうとグレイが呆れると、ディアナは肩を竦める。  
「仕方ないわよ。婚約の話が出たのは、イスマスが落ちる当日よ? 覚えていろって方が難しいわ」  
「……それでも皇太子との婚約を貴族の女性が忘れるか?」  
「忘れたんだもの、しょうがないでしょう。それに」  
 と少し切なげな顔をする。  
「イスマスが落ちた今、私との婚約は当然解消でしょう。今帰っても殿下に迷惑を掛けるだけだわ」  
「……」  
 そういうものだろうかとグレイは思ったが、返事はしないでおいた。  
 貴族の事情というものは、昔からいまいち理解し難い。だから、とディアナは微笑む。  
「もう暫く旅をして腕を磨きたいわ。何者にも負けない騎士になる為に。よろしくね、グレイ」  
「……ああ」  
 けれど勿論ディアナの申し出はグレイにとっても有難いものだったので、いつものように無愛想に頷いた。  
 
 
※おまけ  
 
 ウェイプのパブで奇妙な三人連れに出会った。  
 グレイとディアナもかなり変だが、タラール族と海賊とゲッコ族の組み合わせはそれを更に上回る。  
 ウソからノースポイント、それからゴドンゴと回って来たらしい三人とすぐに親しくなった。  
 主にディアナとアイシャというタラール族の少女は、だが。  
 女同士会話に花を咲かせる姿を遠目にしつつ、男たちは三人で静かに飲んでいた。  
 海賊の名はホーク、ゲッコ族の名はゲラ=ハ。  
 ウェイプの武器屋に関する奇妙な噂を語り合っていると、がたんとディアナが立ち上がるのが見えた。  
「あなたみたいな年端も行かぬ少女を、殿下は……っ!!」  
 槍を握り締めていきり立つディアナを(ディアナはワロン島に来てから槍の訓練も始めていた)、アイシャが慌てて押し留める。  
「違うのディアナ! そんなんじゃないって!」  
「誇り高きローザリアの王子が、何と言う破廉恥な……!」  
「話を聞いてったら!」  
 ホークはその凛々しい姿を見て思わず呟く。  
「おっかない姉ちゃんだな。ああいうのは勘弁願いたいぜ」  
「そうか?」  
 グレイはよくわからないと言った風にホークを見た。ホークは続ける。  
「やっぱ女は健気で可愛いのが一番だよなあ、ゲラ=ハ?」  
「異性の好みを一般化するのは、不可能ですよ」  
 ゲラ=ハは静かに答えるが、聞いていなかったらしいグレイはホークに何でもないことのように言った。  
「俺の腕の中では可愛いぞ?」  
「……え?」  
 一瞬ホークは幻聴でも聞いたかと思い、グレイの顔をまじまじと見つめる。  
 だがグレイは変わらずクールなままだ。問い返すのも何だか怖い。  
「……とにかく、これからよろしくな、相棒!」  
 取り敢えず聞かなかったことにすることにして、ホークは陽気に笑ってグレイの肩を叩いた。  
 

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