出身地不明の冒険者とローザリアの女騎士と言う奇妙な連れと知り合って数日。  
 どういう訳かアイシャがディアナというその騎士にすっかり懐き、  
共に旅をしましょうということになったはいいが。  
 ホークには一つだけ許せないことがあった。  
 今日こそは言ってやる、と。宿に戻って皆で食事をしている時に呼びかける。  
「おい、ねーちゃん」  
 ディアナはアイシャと何か楽しげに話していたが、  
「ディアナ、よ。ねーちゃんなんて呼ばないで」  
 振り向いて、そう冷たく答える。  
 いや本人にそのつもりはないかもしれないが、どうにもお高くとまって見えるのは  
ホークの立場からすれば仕方ない。  
「ちょっと言っておきてえことがあるんだが」  
 低くそう言うと、ゲラ=ハが何かを察したように止めに入った。  
「キャプテン」  
 視界に入ったゲラ=ハからディアナが顔を背けるのを見て、遂にホークの堪忍袋の尾がぷちんと切れた。  
「どんなお偉い身分だかしらねえが、何だその態度は! そんなにゲラ=ハが嫌なのか!」  
「え……」  
 驚いたようにディアナがホークを見上げる。  
 何のことやらわからないと言うその顔を見て、ますますホークの怒りが募る。  
「いっつもゲラ=ハ見るとそれだ! 嫌そうに顔背けやがる!」  
 その言葉を聞いて、すっとディアナの顔が青ざめた。  
「私……そんなことをしていた?」  
「何とぼけてんだ、ゲラ=ハとまともに顔合わせたことねえだろうが!」  
 言われて、ディアナは唇を噛み締めて俯いた。  
「……そう、なのね。気づかなかった」  
「気づかないってなあ、そんなあからさまにやって気づかないも何もあったもんか!」  
「キャプテン、落ち着いてください」  
 ゲラ=ハは常と変わらず冷静な態度でホークを諌める。  
彼が全く気にしていないことが、余計に腹立たしい。  
 ホークは昔からゲラ=ハを色眼鏡で見る人間たちに我慢ならなかった。  
 特に怯えたように顔を背けるディアナのような女には。  
 
「何怖がってんだかしらねえが、槍振り回してる怖いもの知らずのあんたが」  
「やめろ」  
 続けようとしたホークの腕をグレイが掴み、短く制した。と、同時に盛大な音が響き渡る。  
「ホークのバカっ!!!」  
 いつの間にやらホークの傍に近づいていたアイシャが精一杯背伸びして、ホークの頬を思いっきりぶったのだ。  
「なんだ、いきなり!」  
 いきり立つホークに負けずにアイシャも怒鳴る。  
「ディアナはねえ、モンスターに襲われて家族なくしたの! 無意識に怖がるの、しょうがないじゃない!  
ゲラ=ハだってグレイだってわかってるから何も言わなかったんでしょ!」  
 どうしてそんなこともわからないのよ! とアイシャはホークをなじる。  
「あ……」  
 言われて、初めてホークは思い出した。  
 ディアナはモンスターの襲撃を受け家族を失ったという話を、確かに最初聞いたのだ。すっかり忘れていた。  
「アイシャ、いいのよ」  
 今度はディアナがアイシャを止めた。それから無理に微笑んで、がたんと立ち上がる。  
「ありがとう、ホーク。自分では気づいていなかったわ」  
 それからゲラ=ハの前に立ち、頭を下げた。  
「ごめんなさい、ゲラ=ハ。許してなんて言えないけれど」  
「私は」  
 ゲラ=ハが何か言う前にディアナは首を振り、それからグレイとアイシャに告げた。  
「今日はもう休むわ。悪いけれど、一人で部屋を使っていいかしら?」  
「ディアナ」  
 珍しく心配する気配を隠さないグレイにディアナは微笑む。  
「一人で考えたいの」  
 階段を上って行くディアナを見て、はっと我に返ったホークは謝ろうと後を追いかけるが。  
 ホークのバカっと泣き出したアイシャに阻まれて果たせなかった。  
 これまた後を追うか悩んでいるグレイに、ゲラ=ハが静かに言う。  
「私が行ってもよろしいでしょうか? 一度、彼女とは話をしておきたかったですし」  
 グレイはその言葉を聞いて頷いた。  
「……頼む。ディアナは別にあんたを嫌っている訳じゃないんだ」  
「わかっていますよ」  
 代わりにキャプテンを頼みますと、ゲラ=ハは泣きじゃくるアイシャとそれを宥めるホークを差して、恐らくは笑った。  
 
 ディアナは部屋の椅子に座っていた。  
 自分がゲラ=ハにそう言う態度を取っていたことに先程まで全く気づいていなかった。  
 そのことをひどく恥じながら。  
 確かに最初に会った時は驚いた。ゲッコ族に会うのは初めてだったから。  
 多少、あの時のモンスターたちのことを思い出したのも確かだ。  
 奴らの中にはリザードマンもいたのだから。  
 だがゲラ=ハがそういうモンスターとは全く違うことは、ほんの少し話をするだけでわかった。  
 穏やかで優しく、常に冷静沈着。槍の腕も一流の戦士。  
 その人となりをディアナは好ましく思っているのだが。  
 それでも、この身に染み付いた恐怖は消えていなかったらしい。  
 己の怯懦とそれに気づきもしなかった厚顔ぶりに、自己嫌悪に陥っていると。  
 静かに扉を叩く音がした。  
 溜息を吐いて立ち上がり、扉を開いてディアナは息を飲む。  
「申し訳ありません」  
 立っていたのは先程まで考えていた、そのゲラ=ハ。  
 なのに一瞬、体中の筋肉が硬直したことを今度はディアナも自覚した。  
 これではホークも怒るはずだ。  
「まだ休まれていなかったのなら、いいのですが」  
 ゲラ=ハはそう静かに言う。緊張の解けたディアナは慌てて言った。  
「大丈夫よ。こちらこそごめんなさい、気を使わせてしまって」  
 ゲラ=ハはそれを聞いて感情の読めない目でディアナを見つめる。  
 その視線がどうしてもあの時のモンスターたちのことを思い出させるのだと。  
 ディアナは漸く気づいた。  
「お話したいことがあるのですが、構わないでしょうか?」  
 ディアナの怯えに気づいたのかどうなのか。やはり感情の伺えない表情でゲラ=ハは続ける。  
「もし、迷惑でなければ」  
 言外に自分が怖くなければ、と聞かれたような気がして、ディアナは首を振り部屋に招き入れた。  
「どうぞ」  
 
 部屋に入ってもゲラ=ハは入り口の扉の所から奥へは来ようとしなかった。  
 恐らくはディアナを気遣っているのだろう。  
 その心遣いを嬉しく思いながらも、座って、の一言が言えない自分がただ恥ずかしい。  
「……ごめんなさい」  
 離れた位置から呟くようにそう言うと、ゲラ=ハは軽く首を振る。  
「私は全く気にしていませんから。先程はキャプテンが失礼しました」  
 悪気はないので許してやってくださいと。頭を下げるゲラ=ハを見て思わずディアナは笑う。  
「あなたが謝ることじゃないでしょう? それに、ホークの言ったことは正しいもの」  
 最低だわ、と言うディアナに淡々とゲラ=ハは告げる。  
「モンスターが怖いと言うのは、当然の反応です。あなたが気に病まれる必要はない」  
「でも、あなたはモンスターじゃないわ」  
「あなたの故郷を襲ったモンスターを作り出したのは、サルーインです。  
我々ゲッコ族を立たせたのもサルーイン。同じに見えても仕方ありません」  
「違うわ!」  
 感情の読めない表情でそう言うゲラ=ハをディアナは激しく否定した。  
「そんなこと言わないで! あなたはあいつらとは全く違うわ!」  
「……ありがとうございます。そう言っていただけると、とても嬉しい」  
 ふっとゲラ=ハの声が和らいだような気がして、ディアナは驚いた。  
 柔らかな声で、ゲラ=ハは続ける。  
「あなたが怯えているのは知っていました。あなたの過去を思えば、無理もない。  
どうしていいかわからず無視していた私を許してください」  
 もっと早くにお話すればよかったとゲラ=ハは言う。その声は確かに優しかった。  
「ああ」  
 ディアナは漸く、漸く気づいた。  
「ゲラ=ハ、あなたの声は、表情と同じね。いろんな感情が読み取れるわ」  
「……?」  
 ゲラ=ハは黙って首をかしげる。訝しく思っているようだった。  
 
 ディアナは嬉しくなって続けた。なんだ、こうしてちゃんと気持ちが読めるではないか。  
「今まで全然気づかなかったの。何の感情もないようで怖いって、多分思っていたんだわ」  
 あの時もそうだった。  
 淡々と兵を殺して行くリザードマンたちは、耳障りな声で笑い続けるオーガ達よりも恐ろしかった。  
 だが、ゲラ=ハは違う。こうしてディアナを心配してくれているではないか。  
 近づいて、その腕に触れた。人とは違う、ウロコに覆われた肌。それでも確かに温かい。  
「……気持ち悪くはないですか?」  
「大丈夫」  
 ディアナはゲラ=ハの体に腕を回し、その胸に顔を当てた。  
 ゲラ=ハが息を呑んだのがわかる。気にせずにディアナは呟いた。  
「……心臓の音がする。私達と同じね」  
「……ええ」  
 ゲラ=ハは躊躇うようにその手をそっとディアナの肩に置いた。  
 がさがさとした感触のそれも、もう怖くはない。  
 暫くそのままの格好でいた後、漸くディアナは顔を上げ、まじまじとゲラ=ハの顔を観察した。  
 やはり無表情なその顔に、けれどもう得体の知れない恐怖は感じない。  
「もう、大丈夫。今までごめんなさい」  
 ディアナは思わず背伸びしてその頬にキスをした。  
 弟と喧嘩した後、仲直りにする時のように。  
「……」  
 ディアナの唇が触れた場所にゲラ=ハは手を当てた。照れたように見えるのは気のせいだろうか?  
「グレイさんに悪いですよ」  
 ゲラ=ハのその言葉を聞いて、ディアナは首を傾げる。  
 どういう意味か、色事に疎いディアナには掴めなかったからだ。ゲラ=ハは続けて言う。  
「ゲッコ族は生理的に美しい女性が好きですから」  
 ゲラ=ハはそう言って微笑んだ、ようにディアナには思えた。  
「ありがとう」  
 だからディアナも笑って、それから漸く言われた意味に気づいて赤くなった。  
 
「ゲラ=ハ、槍の稽古をお願い」  
 それからディアナとゲラ=ハはよく二人で槍の訓練をするようになった。  
 打槍を極めんとするディアナにとって衝槍使いのゲラ=ハは願ってもない訓練の相手だった。  
 槍に関しては全く門外漢のグレイがその様を観察していると、ニヤニヤ笑うホークにぽんと肩を叩かれた。  
「妬けるか?」  
「……」  
 無視するがホークは続ける。  
「ゲラ=ハはあれでかなりの女泣かせだぞ?  
パイレーツコーストじゃあ、かなりの女があの声と態度にやられたもんだ。  
俺もだいぶ悔しい思いをさせられたもんだぜ」  
 お前も気を付けないとな、と言うホークにグレイは一瞬言葉を失ったが。  
「……俺には関係ない」  
 取り敢えず冷静を装ってそう呟く。  
「あ、そう? そうなのかあ?」  
 やはりニヤニヤしながらホークが更に言うと、アイシャが無邪気に同意した。  
「だってゲラ=ハ、かっこいいし、優しいし、あたしだって大好きだもん!」  
 ゲラ=ハならお嫁さんになってもいい! と言うアイシャに、ホークはあきれて言う。  
「……ガキが何言ってんだ」  
「頭の中身がガキなホークに言われたくないもんねーだ」  
「何だとぉ?」  
「……漫才はよせ」  
 取り敢えず新たなパーティーは、上手くやって行けそうだった。  
 

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