「出かけるにしても・・・この服じゃなぁ」  
風呂から上がって飯を食った後、俺は肝心なことを忘れていたのに気づいた。  
リムルルの服は、羅刹丸との戦いでかなり酷く傷んでいたのだった。  
破れや傷みのある服でも流行りのお陰で着られるとは言うものの、さすがに  
リムルルには早すぎるし、肌が露出するほどの穴が開いているようでは  
単なる笑いものになってしまう。  
「仕方ないな。もう一着、同じようなの買うか。外に出るときいつもこれ  
ばかりじゃ流石につまらないし、飽きちゃっただろ?」  
「ううん・・・わたし、これ大好きだよ?にいさまが買ってくれたんだもん!  
それにね、だいじょうぶ!直せばまだまだ着れるよ」  
リムルルは、俺から手渡されたパーカーとジーンズをしげしげと眺め、  
穴からこっちを覗き見たり、破れあとを確かめたりしていたが、俺の言葉に  
首を横に振りながらそう言った。  
「直す・・・って?穴塞ぐのか?」  
「うん」  
驚く俺を尻目に、さも当然といった表情だ。  
「お裁縫できるのか?リムルルが?」  
「もうっ、バカにしないでよ!ほらっ、ちゃんと針だってあるんだから」  
リムルルはしかめっ面で、部屋の隅にある肩掛け鞄の底から、小さな筒を  
取り出した。さらにその中から出てきたそれは、現代の物より無骨で太いが、  
紛れも無い針である。  
「あ、ホントだ。悪い悪い・・・こっちの方じゃ、あんまりやらないからさ」  
「えーっ!そうなの?」  
「うん、服は売ってるしね。縫い物は趣味でやってる人が多いかな」  
「そういえばそうだねぇ。わたし達はみんなやってたし、とっても大事な  
お仕事だから、針はいつでも持ってなくちゃいけないんだ」  
リムルルは、久しぶりに取り出したと見える針を指で摘み、俺に見せながら  
そう答えた。  
 
「それにね?この針・・・ねえさまから貰ったんだ。これで縫うと、とっても  
良く縫えるの・・・」  
「へぇ。んじゃさらに大事ってワケだな」  
「そう!」  
「それでだ。重要なのは腕前なワケですが・・・いかがですかリムルルさんは」  
「うふふ!縫い物なら任せなさーい!」  
俺はあんまり自信の無いものかとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。  
リムルルはえっへんとばかりに張った小さな胸を、ぽんと誇らしげに叩いた。  
「へー、随分と自信があるみたいじゃん?」  
「ねえさまとおばあちゃんが、いーっぱい教えてくれたから!それにね、  
『リムルルは上手だね』って!いっつも!」  
男勝りでもガサツでもないし、見た目も女の子らしくて可愛らしいリムルル  
だが、どうにも子供っぽいイメージを抱きがちだった俺にとって、これは  
少し意外だった。  
「そりゃあ楽しみだな。さっそく取り掛かるの?」  
「うん、早くお外に出たいし、服が可哀想だもん。大急ぎでやるね!」  
「そうだな、リムルルも病み上がりだしな。今日は家にいような」  
「うん!」  
物を大事にする姿勢の素晴らしさは、さすがは過去の世界から来ただけある。  
俺は俺で気に入った服や肌着は何年も平気で着る方だが、破けたら直して  
さらに着ようとは思わない。それ以前にそんな技術も無いわけだが。  
リムルルはといえば畳にジーンズを敷き、その前に座り込んで腕を組み、  
何やら考えているようだ。おそらく頭の中でイメージを膨らませているのだろう。  
「う〜ん・・・ここが重要だよね」  
少し難しい顔をして、ズボンの左太股部分に残った鋭い裂け目の様子を  
手にとってみながら、リムルルは口を開いた。見事にぱくりと開いた穴は、  
まるで提灯のお化けのようになってしまっている。  
「・・・・・・」  
羅刹丸によって向こう見ずに振り回された、紙一重の一撃を思い出している  
のだろうか。リムルルの難しい顔に、きっと一瞬緊張のようなものが走った  
ように見えたが、ふぅと息をつくと、再び作業を始めることにしたらしい。  
 
「あ・・・」  
だが、リムルルは小さな声を上げると気の抜けたような表情をして、  
動き始めたその手をすぐにまた止めてしまった。  
「どうした?」  
「針はあるんだけど・・・布が無いや。糸もちょっぴりしか・・・」  
「あー、なるほど。そういやそうだ」  
「どうしよ?これしかないかなぁ」  
そう言って見つめるのは、傍らに置かれた鞄だった。  
「それをどうすんの?」  
「切れば、当て布にするのにちょうど良いかな・・・って」  
「おいおい、それこそ勿体無いぞ」  
だよね、というリムルルの気持ちが、苦笑いを通じて伝わってくる。  
「そうさな・・・裁縫なんてした事ないけど・・・いっちょお店に行くか」  
「お店って、服の?」  
「いや、違うよ。布とか糸とか、服になる前のものを売ってるお店が  
あるんだよ」  
「わーっ!行ってみたい!!きっと楽しいよ」  
服地のお店と聞いて楽しそうというところなど、今の女の子の口からは  
そう聞けない。時代が変われば文化も変わるとは言え、やはりこういう  
女の子らしさを感じさせる言動には、どうしても弱いものだ。  
「よしよし、行こうな」  
「ふふ!」  
俺はリムルルのすべすべとした頬を撫でると、初めて一緒に外に出た日以来  
しばらく着ていなかった俺の服を着せ、早速表に飛び出した。狭い階段の  
途中で待ちきれなくなったのか、後から着いて来ていたリムルルがすっと  
俺の脇を抜けて、残りをたーっと駆け降りていく。  
「んんんー・・・っは!お外だ!!」  
少し遅れて下に着くと、穏やかな陽の光に照らされながら、リムルルは  
大きな背伸びをしていた。くるりとこちらを向いたすがすがしい笑顔は、  
久しぶりの外出がもたらした幸せで溢れていた。  
 
「気持ちいいか?」  
「うん、とーっても!」  
心底楽しそうなリムルルの声が、自転車を掻き分ける俺の後ろで弾ける。  
「日光浴は体にいいんだよな・・・っと。よし、リムルル・・・」  
「にいさま、見てみて!」  
何台かの自転車をどかし、やっとの事でくたびれた自分の自転車を引っ張り  
出したところで呼びかけに顔を上げると、リムルルは数羽のスズメと戯れていた。  
「お・・・すげぇ」  
「ふふ、かわいいでしょ?」  
かざす両手に一羽ずつ、そして頭の上にもう一羽。どこから飛んできたのか、  
あれほど警戒心の強いスズメを、リムルルはいとも簡単に手なずけている。  
というよりも、何かお互い楽しげにしているところから、話でもしている  
ようにも見えた。  
「どうやったんだ?」  
「え、別に?いい天気だねって。にいさまも来てごらんよ」  
「いや、逃げちゃうからいいよ」  
「脅かさなければだいじょうぶ・・・ほら」  
小声でそう言いながら目配せされた俺は、そろりそろりと近づいた。途端、  
左手の一羽がこちらをくるりと向く。俺はぎくりと止まったが、リムルルは  
首を縦に振っている。来い、ということらしい。徐々に、スズメとの距離が  
詰まる。  
「・・・お、平気だ・・・」  
「ね?」  
「こんなに近くで見たの、初めてだ・・・」  
俺はしばし、身近な野生とのふれあいを楽しんだ。そんな俺の驚く顔を見て、  
リムルルは嬉しそうに目を細めている。  
 
「それっ、またね!」  
しばらくするとリムルルは両手を羽ばたかせるようにふわりと持ち上げ、  
鳥たちを再び空へと放った。チュンチュンという小気味の良い鳴き声と共に、  
手を離れた三羽のスズメ達は、あっという間に民家の屋根の向こうへと  
飛んでいった。その姿を仰ぐようにして、リムルルはにこにこと見送っている。  
自然と共に生きてきたというだけで、ここまで人間は変わることができるの  
だろうか。あらゆる自然を愛する気持ちで一杯の、リムルルの満面の笑みを  
眺めていると、羨ましくなってしまう。  
「さ、俺たちも行こう」  
「はぁい」  
自転車に飛び乗り、時折ペダルをきしませながら、俺たちは冬の街中を  
のんびりと走り出した。  
「リムルルは動物とも仲良しなんだな」  
「ううん、わたしだけじゃないよ?カムイコタンにはもっとお話が色々  
できる人もいたし、ねえさまはもちろん凄かったなぁ・・・」  
「そっか・・・なぁ、リムルル?」  
「なに?」  
「俺もできるようになるかな?その、さっきみたいに」  
好奇心と憧れが、俺の口を突いて出る。  
「うん、にいさまならきっとできるよ」  
「そっか?」  
「コンルと仲良くできるんだもん。それに、にいさま優しいし」  
優しさがどう関係あるのかピンとこなかったが、素質ありと見込まれて  
俺は素直に嬉しかった。  
「今度教えてあげるね!」  
「おう、そうしてくれ」  
声を聞くだけで、リムルルが楽しそうに笑っているのが目に浮かぶようだ。  
その笑顔に負けないぐらい澄み切った青空の下、俺は道を急いだ。  
 
・・・・・・・・・  
 
その日の晩。夕食を終えると、リムルルは早速お店で買った包みを開いた。  
「すごい・・・やっぱりきれい」  
少し落ち着いたピンク色の布切れをはじめ、色とりどりの刺繍糸に  
うっとりと見とれている。  
「楽しかった?」  
「ごめんねにいさま、いっぱい迷っちゃって」  
店に着くや否や店内を振り回され、悩み続けること数時間。リムルルは  
有り余る元気を爆発させ、とにかく楽しんでいた。鮮やかな布の色が  
瞳に映りそうなほど、いつになくキラキラと輝いていた少女らしい目が、  
印象深く思い出される。  
「あぁ、久しぶりに出かけたんだし良しとしよう」  
「うん、とっても楽しかったよ!ありがとう」  
リムルルはさも大事そうに布に頬を寄せながら、さっきから顔が緩みっぱなし  
である。この笑顔が見られるなら、少しのワガママなど大したことではない。  
「早速始めるの?」  
「うん」  
「そっか。怪我しないようにな。俺は風呂だ」  
「遊びに連れてってくれたし、にいさまの背中流そっか?」  
「あー、いいって。後から肩でも揉んでくれよ」  
「うん、わかった・・・にいさま?」  
タオルを持って風呂場に行こうとすると、俺は後ろから呼び止められた。  
振り向くと、リムルルの手には店で布と一緒に買ってあげた、小さな  
針入れが握られていた。  
「ありがとう・・・この針、ホントに大事にするから」  
「おう、いいってことよ」  
ひらひらと手を後ろに向かって振ると、俺は今度こそ風呂場へと向かった。  
「さ、始めるよ!」  
その背中を見送っていたリムルルは、ぱんぱんと自分の顔を手で軽く叩き  
気合を入れると、新しい縫い針をもう一度蛍光灯の光にかざした。自分や  
コタンの誰もが持っていた針よりもずっと細く、鋭利で繊細だ。  
 
『すごい・・・カムイが作ったみたい』  
きっとこれで心を込めて縫えば、姉の使っていた針で縫うよりもいい物が  
できるに違いない。そう確信していた。道具の良さもさることながら、  
心から慕う兄が自分に贈ってくれた品なのだから。  
『にいさま、わたしがお裁縫出来るって言ったら、驚いてたな・・・』  
朝の光景が鮮明に蘇ると同時に、確かに今まではあまり女性らしいところを  
見せたことがなかったことも思い出した。またとない名誉挽回のチャンスに、  
小さな胸が高鳴る。  
「私の腕前、見せてあげるんだから!」  
リムルルは、兄が入っているであろう風呂場の方に針の先をえいっと指すと、  
ついに作業に入った。  
 
・・・・・・  
 
風呂から上がり、夜中になってもリムルルの手が休まることはない。せっせ  
せっせと手を動かし、糸を取り、色を合わせ、慣れた手捌きでどんどんと  
刺繍が進んでゆく。リムルルが過去から着てきた服を見れば分かるが、  
裁縫の方法としてはいわゆるパッチワークというか、当て布を縫い付ける  
タイプのものらしい。そして服の箇所や種類によっては、別に刺繍を施す。  
2通りの方法を上手に使い分けることで、あの見事な模様が出来るということ  
なのだそうだ。始める前にあれだけ豪語していただけのことはある。まだ  
小さな破れを修理しているところだが、そこに赤い糸で縫いこまれたツタの  
ような模様は、まるで機械で縫われた刺繍のように正確でありながら、  
ジーンズの上に本物の植物が芽吹いたかのような優しさと強さで満ち溢れていた。  
「・・・上手いな」  
「ぜーんぜん、まだまだこれからだよ」  
俺の言葉にも、リムルルは少しそっけない返事をするばかりだ。  
「けど、肩凝るぞ?風呂に入ってきたらどうよ」  
「ん〜、もうちょっと」  
まるでビデオゲームに没頭する子供のような台詞だが、普段の表情とも、  
闘いのさなかの表情とも違う真剣そのものの顔に圧倒された俺は、それ以上  
話しかけるのを止め、イヤホンを付けてごろりとテレビの前に寝そべった。  
 
「えーさて、次のニュースです。昨日、XX市XX町の林道で、男性8人の  
変死体が発見され、警察では殺人事件として捜査を進めています。  
遺体はどれも刃物で切り付けられ、中には銃で頭を撃たれた死体もあると  
いうことで、副数人の犯行とみて調査をしていますが・・・現場には薬品が  
入っているとみられるドラム缶が多数発見されており、警察では、薬品の  
不法投棄とそれを巡るトラブルが原因となっているとの見方を強め、  
遺体の身元確認と薬品の出所を急ぐと共に、周辺住民への・・・」  
 
『XX市?隣じゃないか。意外と近いな・・・物騒になったもんだ』  
近所で起きた物々しいニュースにあまり良い気分はしなかったが、後半は  
もう俺の耳には届いてきてはいなかった。  
『かわいいなぁ』  
何かに打ち込んでいる人間というのは、どうしてこうも魅力的なのだろうか。  
リムルルの針仕事姿に、俺はテレビなどどうでも良くなってしまっていた。  
黙々と針を進めるリムルルは、いつもよりずっと大人っぽく見える。  
『もしもこれからもずっと一緒にいられるとして・・・いつかはリムルルも  
大きくなったら、誰かと・・・なぁ?』  
妹であり娘のようでもある、不思議な同居人の未来を俺はふと想像した。  
『素直で、性根が優しくて、強くて、何より可愛くて・・・』  
表情ひとつ変えないリムルルの顔を見ながら、計り知れないほどの魅力が  
頭を駆け巡る。  
『できることなら、ずっと俺のそばにいて欲しいなぁ・・・いや、それは  
欲張りってもんか』  
独占欲が顔をのぞかせたところで、俺は頭を振った。  
『こんなかわいい妹が出来ただけ、感謝しろっつーのな、俺は』  
俺は再びリムルルに背を向け、コタツで横になった。始まったばかりだった  
はずのニュースは、いつの間にか天気予報になっていた。  
 
・・・・・・  
 
「いたっ」  
針が指をちくっと突いたところで、リムルルはしばらく振りに手を止めた。  
見つめる指先の上。目には見えないが確かに開いた穴から、すうっと血の  
雫が膨らみ、無機質な蛍光灯の光の中で弱々しくも確かな赤い輝きを見せた。  
『昔は・・・こんな失敗ばっかりだったっけ』  
貰ったばかりの針で、喜び勇んでボロ布や何かに糸を通していていた頃。  
外で遊ぶのも好きだったけれど、寒さの厳しい冬や夕方、家の中で静かに  
縫い物を習うのも大好きだった。姉様やお婆ちゃんから新しい模様を教わる  
たびにワクワクしたし、そうやっていろりを囲んで、楽しくおしゃべりして  
いる時の姉様の笑顔を見るのが大好きだった。その時ばかりは、何かを心配  
しているような様子は無かったからだ。それに、上達すればするほどに  
姉様はまるで自分のことのように喜んでくれた。楽しそうだった。リムルルも  
もちろん楽しかったし、嬉しかった。だから。  
いつもこうだったらいい・・・  
幼心にも姉の事が心配だったリムルルは、そう思っていた。笑顔が戻れば。  
物憂げな表情が晴れれば。指の上の、てんとう虫の背中より小さい輝きの  
向こうに、リムルルはいろりの火に照らされたあの笑顔を見た気がした。  
「ねえさま・・・」  
赤は、姉が好んだ色だった。頭に巻いた鉢巻も赤なら手甲も赤。普段着て  
いた愛用のモウルも、赤の刺繍で飾られていた。そして他のどんな色よりも  
似合っていた。静かな佇まいと微笑みの向こうにある、威厳とも信念とも  
取れる強い意志が、そのまま色になっているかのようだった。  
『だから、赤で縫うの』  
少しでも、いつでも姉様を感じていたい。無事でいて欲しい。早く、早く  
会いたい。ありったけの思いをリムルルは赤い糸に込めながら、一針一針、  
丁寧に縫ってきた。果たしてその思いは、うねる様なつた模様へと姿を変え、  
ジーンズの上に確かに結実している。  
「ねえさま・・・」  
リムルルはもう一度小さな声で求めながら、手の中で垂れる糸を傷口に  
そっと近づけた。細い繊維の間へと血がみるみるうちに染み込み、赤が赤を  
深め、姉の愛した色が、血の色で染め返されてゆく。その光景に、リム  
ルルはいつかも同じような光景を目の当たりにしたような気がした。  
 
少しゆったりとした白地の道着。その白よりも上品で透き通るような、  
近づけば自分の顔さえ映してしまいそうなほどに白いナコルルの肌が、  
真っ赤な血で染められていたような・・・そんな奇妙な既視感。自分の  
中でさえ、現実とも虚構とも、思い出とも想像ともつかないぼやけた  
映像にリムルルは少しの間だけさいなまれていたが、小さな血の玉が  
指先からとうに姿を消し、その後はもう滲み出てくる様子が無いのに  
気づくと、走り去るようにしてそのイメージはリムルルの脳裏から  
遠ざかっていった。  
 
一瞬の空白にぽっかりと置き去りにされたリムルルは顔を上げ、  
少し首を捻ったが、もう何も思い出すことは出来なかった。それよりも、  
疲れた目に飛び込んできた、読み方を覚えたばかりの時計の文字盤に  
驚いてしまった。日付がとうに変わってしまっている。こちらに背を向けて  
テレビの方に顔を向けている兄も、どう見ても眠ってしまっている様子だ。  
「ありゃりゃ・・・」  
だが、止めるわけにはいかない。確かな刺繍の腕を持つリムルルは、  
その先の出来栄えは一本の針に込められた、鬼気迫る程の魂の強さが  
握っていることを知っていた。まして、今縫い込めている文様には  
他ならぬ姉への思いが込められているのだ。一夜明けてしまっては、  
せっかくの気持ちが無駄になってしまいはしないかと、不安だった。  
「頑張るんだもん・・・」  
しょぼつく目をしばたかせ、もう一度針を握ったところで、不意にずしりと  
肩が重くなる。リムルルはうっと呻いた。時を忘れるほどに没頭していた  
ためだろう、若い身体にもそれなりの無理が生じていたのにリムルルは  
気づかなかった。肩から広がった倦怠感は今や全身に行き渡り、眠気に頭の  
リボンがふわんふわんと左右に揺れ、指先からは、針をデニムに通す力さえ  
失われてゆく。  
『だめ・・・ねえさまの分は、今夜のうちに縫わなきゃ・・・』  
そうだ。赤い糸の刺繍が終われば、明日は白い糸でコンルへの友情と感謝を、  
緑の糸で大自然への祈りを、そして最後には水色の糸で・・・兄が好きだといった  
その色で、仕上げをするのだから。  
 
『きっと、すごく、すごく素敵なのが出来るなぁ』  
大好きな人たちを表す色とりどりの刺繍で生まれ変わったジーンズに脚を通し、  
皆の前で披露するさまを、リムルルは思い浮かべた。コンルは楽しそうに、  
ひゅるひゅるとリムルルの両脚の間を踊るように通り抜け、ねえさまはあの  
優しい笑顔を浮かべながら、良く頑張ったわねと頭を撫でてくれるに違いない。  
後ろでは、お婆ちゃんがうんうんと嬉しそうに頷き、こちらを眺めているのだ。  
わぁっという驚きの歓声に振り返れば、びっくりした顔のにいさまが  
わたしの事を強く抱きしめてくれて、それでわたしの事を一人前の女の子だと  
認めてくれるんだ。そして・・・  
「にいさまぁ・・・わたし、嬉し・・・ん・・・んにゃ」  
まぶたの下で流れる楽しい未来に、リムルルは幸せそうな顔を浮かべたまま、  
ころんと転がるようにして横になった。  
 
・・・・・・  
 
「・・・お?」  
頬にひんやりとした感触が感じられたので目を開くと、プリズムのように  
くるくると光を映すコンルが俺の顔の正面に居た。  
「んお、コンル・・・あっ、しまった。寝ちまってたか」  
時計を見れば、もう夜中の3時だ。テレビも蛍光灯も付けたままである。  
「起こしてくれたのか?ありがとな、コンル。そうだ、リムルルは・・・」  
ぐるりと首を回すと、リムルルは、部屋の隅でうずくまるようにして  
眠ってしまっていた。起き上がってその周辺を見ると、どうやら縫い物の  
途中で眠気に耐えられなくなったらしい。糸くずやら道具やらが散乱した  
ままになっている。  
 
「やれやれ・・・」  
このままでは布団を敷くことは出来ないので、俺は眠い目を擦りつつ、  
ごみや道具を壁際に押しやり適当に片付けた。だが、リムルルのジーンズを  
見た途端、眠気はどこかに吹き飛んだ。  
「すげ・・・」  
右足側に転々と開いていた小さな穴が繊細な刺繍とパッチワークで塞がれ、  
ぐるりと斜めに回転しながら囲むように、お尻のポケットの辺りから膝までが  
ひとつの模様へと変化していた。子供の業とは思えないその出来栄えに、  
俺は息をのむ事しか出来ない。明日は、例の左足の大穴を塞ぐのだろうか・・・  
いや、膝から下の続きをするのだろうか?  
「ホントに上手い・・・あっ、コンル!いいからいいから」  
見とれる俺の代わりにコンルがリムルルを起こそうとしたので、俺は慌てて  
止めた。そして子犬のように丸くなって寝転ぶ軽い体をそっと抱きかかえ、  
布団の上にふわりと寝かしつけた。  
「すぅ・・・すぅ・・・」  
一日中はしゃぎまわった上に神経を使うことを半日ぶっ通せば、熟睡は  
当たり前だ。起きる気配を微塵も見せず、リムルルは寝息を立てている。  
「こいつ、久しぶりに頑張ったからな・・・さて、コンルもお休み」  
俺の言葉に、コンルは冷凍庫へとすうっと収まった。開けることは出来ても  
中からは閉じられないので、俺が扉を閉める。  
「ふあ・・・寝っか」  
蛍光灯を消し、リムルルの横に滑り込む。間近に迫る愛らしい寝顔の浮かぶ  
頬を指で突付く。温かくて気持ちのよい感触だ。  
「あんまり無理しないでくださいよ、お裁縫屋さん」  
言葉をかけると、夢でも見ているのだろうか、んんんっと身をよじらせ、  
小さな笑顔を作った。  
 
 
リムルルのジーンズと上着の修理が終わったのは、それから3日後だった。  
 

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