リムルル  第ニ章  
 
次の日。俺はリムルルを連れて少し郊外へと出かける事にした。  
リムルルとしても少しでも自然の近く、  
すなわち姉を感じられる場所へと行きたいようだ。  
「火のカムイはまだ何も教えてくれなかったけど、  
もしかしたらコンルがどこかにいるかもしれないしね!」  
話によれば、夢の中でお告げがあることがあるらしい。  
・・・そういうわけで、キコキコと自転車をこぐことしばし。  
俺の住んでいるあたりはどちらかと言えば片田舎なので、  
自転車に乗って川沿いを一時間も上れば、  
雑木林やら田んぼの広がるかなりの田舎となる。  
「どーだー、何かあるか?」  
時々、後ろのリムルルに尋ねる。そのたびリムルルは  
「う〜ん・・・」とか「あっ!・・・あー、ダメ。違う」  
などと、芳しくない返事をするばかりであったが、ある時  
「にいさま止まって!!」  
ぽすぽすと背中を叩きながら声をかけてきた。  
「ここ・・・ちょっと行ってみようよ、にいさま」  
リムルルの指差す先には急な坂道がある。神社へと続く道への入り口だ。  
「なるほど・・・神社か」  
「じんじゃ?」  
リムルルは首をかしげた。  
「うん、神様を奉ってるんだよ。何の神様だったっけか」  
夏祭りともなれば盛大に夜店が立ち並び、  
年末年始はそこそこの参拝者を集める神社だというのに、  
肝心のことは意外と知らない。かく言う俺も利用するわけだが。  
「・・・寄ってみてもいい?」  
「あぁ、もちろん」  
自転車を止め、カゴの中から刀二本を入れたリュックをリムルルに渡すと、  
二人並んでずんずんと坂道を登っていった。  
 
夏場は、木々の緑に日が遮られて昼でも暗いのだが、今は冬。  
明るい日の光の中、落ち葉が揺れるだけだ。  
それでも樹木はうっそうとしており、小さな神社だが敷地は広い。  
「昨日の公園より、木の本数は多いだろう?」  
木の本数で自然の豊かさを表せるとは思えないが、  
一応の話題をということで、リムルルに話しかける。  
「そうだね。結構古い木もあるみたいだし・・・すぅ・・・はぁ〜」  
冷たい空気を胸いっぱい吸い込み、リムルルは深呼吸して見せた。  
先程まで風一つ無かったが、木々がざわりと枝を揺らした・・・ような?  
やはりこの子には自然の中が一番らしい。  
坂道を登りきると、今度は石段の登場だ。  
もの凄く長い石段というわけではないが、石灯籠が並ぶそのさまは  
人がちっともいないのもあって意外と神秘的である。  
「この上に、その神社があるよ」  
そう言うと、俺は石段を一段一段上り始めた。  
「まあ大した高さじゃないよ・・・って、あれ?」  
リムルルが着いて来ていない。  
石段を登らず、脇の林へと続く獣道を進んでしまったらしい。  
確かにその方が木々は生い茂っているものの・・・  
あわてて石段を駆け下り、後を追った。  
夏場とは違い、雑草も生えていないから歩きやすいとはいえ、  
リムルルの歩くのの速いことといったらない。  
林のど真ん中で立ち止まったリムルルに、やっとの思いで追いつく。  
「どうしたんだよ・・・うん?」  
ドサリ。俺の問いかけに答える代わりに、リムルルはリュックを落とした。  
目を見開き、肩を小さく震わせるリムルルの視線の先には、  
艶やかな黒髪を風になびかせながら、穏やかな笑顔を浮かべる女性がいた。  
 
「・・・さま・・・ねぇさま・・・」  
リムルルはふらふらと、おぼつかない足取りで歩を進める。  
「・・・ねえさま・・・ねぇさまあああっ!!」  
叫び声をあげると同時に、だっと駆け出した。  
林の中を、女性めがけて走ってゆく。愛すべき、唯一本物の家族。  
小さくなる背中を眺めながら、やれやれと俺もゆっくりその後を追う。  
姉であろう黒髪の女性は、もう一度にこやかに笑うと、両手を広げた。  
その胸に飛び込み、ぎゅうと姉を抱きしめるリムルル・・・のはずが。  
「ねえさ・・・っきゃあ!」  
女性の姿は、そのリムルルの目前で一陣の風に掻き消えた。  
立ち止まることのできないリムルルは、落ち葉と枯れ草の中に  
頭から突っ込んだ。両手を地面に突き、頭を上げると、何が起こったのか  
わからないといった表情であたりを見回している。  
ざっざっという俺の足音に気づき、視線を投げかけてきた。  
「にいさま!・・・姉さま、どこ?」  
「き、消えた・・・よな?」  
「フン、コノ程度ノ幻モ見破レントハナ」  
「!!!」  
はるか空高くから、気味の悪い声が突如として響いた。  
二人してはっと頭上を眺めるが、誰の姿も無い。しかし声は続ける。  
「ツクヅク失望サセテクレル・・・貴様ガアノ娘ノ妹ダト?」  
背筋が寒くなるような、声。  
けげんそうな表情で、リムルルは天に向かい声をあげる。  
「あ、あなた誰ですか?ねえさ・・・姉を知ってるんですか?どこ」  
「黙レィ!」  
男とも女ともつかない大声が響く。リムルルはびくっとして口をつぐんだ。  
 
「なこるるナラ知ッテオルゾ・・・シカシナゼ、妹ノオ前ガ?」  
姉−ナコルルというらしい−の事を知っているという存在に、  
こちらの世界で初めて出会ったのがよほど嬉しかったのか、  
リムルルは先程の大声も忘れたかのように、嬉々として答えた。  
「わたし、リムルルと言います!姉を探しに、この時代に来たんです!  
姉は・・・やっぱり生きているんですね!」  
「生キテオル・・・ソノ絶大ナル巫力ヲモッテ、  
我ラコノ世ノ自然全テヲ、今ナオ守リ続ケテオル」  
「よ・・・よかった・・・!姉に会わせてください!」  
ストレートに、リムルルは自分の要求を口にした。  
「ソレハカナワヌ望ミヨノ・・・」  
「そっ・・・そんな!じゃあなんで、わたしをこの時代に呼んだのですか?」  
あまりに夢も希望も無い返答に、リムルルは眉をひそめて反論する。  
「イツ私ガ、貴様ヲコノ時代ニ呼ンダナドトイッタ?」  
「ち、違ったのか!?」  
そうだとばかり思っていた俺も、驚きについつい声が出る。  
風がざわりと木の間を抜けていくと同時に、  
厳しさを増した謎の声が再び降り注いだ。。  
「りむるるトヤラ!イカニ貴様ノ巫力ガ僅カデアッタトシテモ、  
我ラコノ世ノ自然ノ嘆キガ聞コエタデアロウ?感ジタデアロウ!  
カツテ、大イナル災イノ脅威カラ我ラヲ救ッタ、偉大ナル貴様ノ姉ノ  
巫力ヲ持ッテシテモ、破壊サレユク同胞ヲ守リキルコトハデキヌ!  
ソノヨウナ一大事ノ最中、タカガ小娘一人ノタメニ、なこるるが  
ソノ巫力ヲ一時デモ封ジテミヨ・・・コノ世ハ・・・地獄ヘト変貌スル」  
それほどまでに自然の力が弱っていたとは・・・  
だがリムルルは、必死に天に向かって懇願を続ける。  
「お話はよくわかりました!姉が死力を尽くして  
この世界と自然を守っているのもわかりました!  
でも・・・話せなくても!会うだけでいいんです!お願いします!」  
木々をざわめかせる風がふっと止んだ。  
「・・・ソウカ、其レホドマデニ姉ヲ慕ウカ、会イタイカ・・・」  
 
次の瞬間、ゴウという強烈な風と共に怒号が降り注いだ。  
「ナラバソノ身ヲモッテ!我ラノタメ、姉ノタメ贄トナレ!!」  
一瞬のうちにさんさんと輝いていた太陽が見えなくなる。  
雲が出たわけでも、太陽が沈んだわけでもない。空が文字通り暗転した。  
そればかりか、あたりは薄気味悪い紫色の霧で囲まれているではないか。  
昼間だと言うのに闇に沈む林の中、さらに叫び声が響く。  
「イカニ未熟トハイエ、巫女ハ巫女!ソノ身体ト魂ヲモッテスレバ、  
マダ暫ク、我ラモ生キナガラエルコトガ出来ヨウゾ!安心シテ逝ケ!!」  
あまりにも傲慢で、狂気に満ちた台詞。本気で俺たちを殺すつもりだ。  
「・・・狂ってる」  
伏し目がちになったリムルルの口から、ぼそりと声が漏れる。  
拳を握りしめ、今度はきっと空を睨む。  
「私たちだって自然の一部だよ!忘れちゃったの?  
そんな自分勝手おかしいよ!!」  
「笑止ィ!昔話ハアノ世デシロ!家族ガ待ッテオルゾ!!!」  
「話を聞いて!・・・まさか、自然の名を騙るウェンカムイ!?」  
「戯ケエエェ!我ラニタテ突ク愚カ者ガァ!」  
「うるさい!姉さまに会うまで・・・絶対に負けないんだから!!」  
虫唾が走るような汚い台詞を連発する謎の声の主に対し、  
リムルルは怒りをあらわにした。  
髪が逆立ったかのように風になびき、眼光は今までに無く鋭い。  
無言でリュックから自分の刀を取り出し、腰にぎゅっと装着する。  
ジーンズとパーカーに小刀という出で立ちだ。  
ピンクのリボンを揺らし、リムルルは俺のほうを振り向いた。  
「にいさま、心配しないで・・・絶対に守るから。だからチチウシをお願い」  
威厳の篭った物言いに、俺は黙って深くうなずいた。  
 
 
「死出ノ準備ハデキタナ!邪アアアァァァァァァ!!!」  
耳障りな奇声と共に、またもや強風が吹き荒れる。  
立ち止まり踏ん張らないと、俺でさえ体が中に投げ出されそうになる。  
リムルルは、俺の懐へぼふっと押し戻されてしまった。  
「! 何だこれ?!」  
「にいさま!気をつけて!」  
そう言いながら、リムルルはぎゅっと俺の服を掴む。  
小さな身体を両腕でかばい、風の止むのを待つが一向に収まる気配は無い。  
ほっそりと目を開き状況を確認すると、そこには目を疑うような  
光景が広がっていた。強い風とともに舞い上がった木の葉や砂埃が、  
ぐるぐると竜巻に変わり、徐々にいびつな両足と胴体を形作ってゆく。  
頭を持つもの、持たないもの。腕が一本のもの。  
全ての竜巻が消え風が弱まる頃には、ゾンビのようなグロテスクな外見を持つ  
落ち葉や土くれでできた3体の異形に、俺たちは完璧に囲まれていた。  
「ククッ。ワザワザコノ私ガ、直々ニ手ヲ下スホドノ事モアルマイ・・・」  
不気味な嘲笑が、林全体に響き渡る。  
「何だよこいつら?」  
「わかんない・・・」  
リムルルは首を横に振るだけだ。  
俺たちの疑問に答えるかわりに、正面の異形が腕を振り上げ  
逆手に持った小刀を振りかざす。動きはあくまでスローだが、危険だ。  
リムルルは両足を開いて腰を落とすと、左手を前に突き出し  
右手を腰のハハクルに回した。  
「にいさま!後ろをお願い!」  
「うっ後ろって!?」  
後ろからは、鈍く光る爪を持った片腕の異形がじりじりと近づいてきていた。  
こちらを見ていたわけでもないのに、どうしてリムルルは敵の接近に  
気付いたのだろうか?だが、今は考えている暇などない。とっさに  
チチウシの入ったリュックを背負い、足元に落ちていた木の棒を拾い上げた。  
 
俺に剣術の心得があるはずも無い。やむなく正面で構えるが、このままでは・・・  
「リムルル、やばい・・・って?」  
振り替えるやいなや、美しい構えをとっていたリムルルはさらに腰を落とし、  
「ひゅうっ」  
地面を一蹴し5メートルほど先の異形との間を一瞬で詰めた。  
それは「消えた」と言った方が正しかったのかもしれない。  
かざした腕を振り下ろすどころか、相手の姿を感じ取る間もなく、  
懐に潜り込んだリムルルに胴を切り裂かれた異形は、  
音も無く土くれへと還った。  
ハハクルをしまい身をひるがえすと同時に、今度は薙刀のような  
武器を持った異形が、どかどかとリムルルに向かって突進してくる。  
仲間をやられたことに腹を立てたか、それとも本気を出したのか。  
先ほどとは動きが変わり、幾分人間らしい。  
だがリムルルは、ハハクルをしまった姿勢のまま、動かなかった。  
異形はここぞとばかりに左の肩口に狙いをつけ、  
袈裟懸けに大振りの一撃を加えたが、  
「そんなの・・・甘いよっ!」  
リムルルは、膝をおとした姿勢を崩すことなく抜刀すると、  
その軌道は薙刀の柄へと流れるように向かった。  
カツーンという音の直後、槍は単なる木の棒に変わり、  
大きく空振りした異形がリムルルにつんのめると、  
虚空へと突き出されていたハハクルへ、そのまま吸い込まれるように  
突き刺さり、これもまたもとの落ち葉へと還った。  
あまりの瞬間芸に、俺は背後に忍び寄る危険の存在を忘れてしまっていた。  
「にいさま!伏せて!!」  
我に返って「しまった!」と思いながら、  
慌ててその場に頭を抱えて伏せる。  
ブン、という音。背中に嫌な風圧を感じる。異形の攻撃だ。  
だがしかし、こいつも俺がまさか避けるとは思わなかったのだろう。  
その場に伏せた俺につまづくと、頭から突っ込んで派手に転び、  
そのまま形を失った。思った以上にもろい…。  
 
「ホホウ、少シハ出来ルヨウダナ・・・」  
天からの声が、またもあざ笑うかのように降り注ぐ。  
「身体モ温マッタコトデアロウ。アノ世ヘノ餞別ダ、受ケ取レ」  
その声に呼応するかのごとく漆黒の空が渦を巻き、一筋の雷が降り注いだ。  
ドガッシャアァァァァン!地響きと轟音、そして目もくらむほどの  
強烈な光と共に、俺たちの目前へ強烈な一撃を食らわせる。  
「た・・・助かった?」  
すんでのところで命を落としかねない状況だった。  
「違うにいさま!まだだよ!」  
へたんと尻餅を着いた俺を、リムルルがいなした。視線を戻すと、  
稲妻によって落ち葉が火の手を上げ白い煙を吐いていたが、  
煙が紫色へと変わった。何かの光を後ろから受けているのだ。  
「極上ノ妖刀デ屠ッテヤルノダ・・・感謝シテホシイモノダナ。フン!」  
風が巻き起こり、ぶわっと煙が晴れ、落雷の正体がその姿を見せる。  
そこには、赤黒く錆付いているというのに、妖しい紫の光を発する  
日本刀が、地面に突き刺さっていた。  
「サァ!行ケィ、屠痢兜!!」  
正体不明の声がまたも響くと、刀が勢いよく抜け、  
自らその刀身を振り回し、巨大なつむじ風を発生させた。  
そのつむじ風に巻き込まれていくのは、先程の3つの土くれである。  
きりっとした表情で、妖刀の方に対し身構えるリムルル。  
風の中、徐々に形をとりもどしていく土くれ。  
だが、先程とは様子が全く違う。みるみるうちに大人の大きさを  
超えたかと思うと、3メートルはあろうかという大男へとその姿を  
変えたのだ。そしてその手には、空高くまで風を巻き起こし、  
自らの力でその刃を振るう主を作り上げた妖刀が、しっかりと  
握られている。  
「こ・・・これはさすがにヤバいんじゃないの?」  
身構えたままのリムルルに後ろから声をかける。  
「下がってて」  
「た、闘う気なのか?!」  
 
だが、退路は既に絶たれているのだ。この暗闇の中、無事に  
逃げられるとは到底思えない。俺たちにできることはただ一つ。  
勝って生き残ることだった。  
「フフン、特別ニ大キナ餞別ニナッテシマッタナ・・・逝ケ」  
声が終わると同時に、異形はその刀を大きく振りかぶると、  
ブンと一気に振り下ろした。  
異形の目の前の空間が、歪んだように見えたかに思えたその直後。  
「きゃっ?!」  
「うおぉっ!」  
爆発にも似た勢いで、異形の目前からズガガッと地割れが発生したのだ。  
土煙と落ち葉を巻き上げ、かなりのスピードで俺たちの方へ向かって来る。  
地割れの深さは大したことは無い。30センチも無いのではなかろうか。  
しかしながらその勢いが凄まじい。間一髪でそれを避けたが、  
地割れはそのまま、俺たちの後の林へと突っ込んでいった。  
そして一本の木の根元に到達すると、ピラニアに食い付かれた水牛のごとく、  
大木はあっという間になぎ倒され、哀れにもずたずたに切り裂かれてしまった。  
根も、幹も、枝さえ判別できない、土煙の向こうで霞む大木だったもの。  
地割れだと思っていたのは、強烈なかまいたちだったのだ。  
あと一瞬でも遅かったら、ああなっていたのは  
自分であったという事実が、嫌な汗となり背中を伝う。  
引き裂かれた地面の向こう側には、細い腕で顔面をかばうリムルルがいた。  
しゃがんだ構えで、次なる攻撃に備えているのだろうか。  
相変わらず眼光は鋭い。  
俺は一体どうしたらいい?と考えをめぐらせようとしたが、  
そんな余裕を相手は与えてくれるはずも無かった。  
一太刀目を外せば、もう一度その刀を振るうまで。そう言わんばかりに、  
再び巨大な得物を頭上にかざし、振り下ろす異形。轟音を響かせながら、  
またも発生するかまいたち。距離の開いた二人を同時に狙うことはできず、  
地割れはリムルルの方へと疾走した。チータやライオンを思わせる  
強烈な勢いで、獲物めがけて突進してゆく。  
 
「!!!」  
激しい土ぼこりの向こうへ、リムルルは消えてしまった。  
先程よりも勢いが強くなったようにも思われる。  
もうもうと立ち込める煙に目を凝らすが、影さえ見えない。  
相当なスピードを持っていた一撃だ。まさか・・・?不安がよぎる。  
「リムルル!・・・っ?!」  
言いかけたところで俺は、はたと異形の方を振り返った。  
当然ながら次は俺の番だ。じりっとこちらに向きを変え、  
大男が再びゆっくりと得物を振りかざした瞬間。  
リムルルを襲ったかまいたちによって、もうもうと地面から垂直に立ち上る  
煙が一変し、異形の方へとなびくやいなや、何かが突然異形の目の前に飛び出した。  
「りゃあぁーっ!」  
気合の入った女の子の声。リムルルだった。  
3メートルの高さをものともしない跳躍力で、  
煙を引きながら異形のわき腹へと突進した。  
右手に逆手で握られたハハクルが輝き、弧を描く。  
迷いのない切っ先は、異形の右腕の根元を完全に捉えていた。  
ザムッ!草木を鎌でなぎ払うような音。  
ガスゥーンッ!!地面に妖刀が突き刺さる音。  
そして、音も無くひらりと異形のうしろに着地するリムルル。  
一瞬のスキ・・・まだ闘いは始まったばかりだというのに、  
それを見逃すことなく敵を仕留めるとは、もの凄い闘いの才能である。  
「・・・!」  
声を発するための器官を持たない異形が、悲鳴をあげたような気がした。  
膝からどさりと崩れ落ち、そのまま地面に突っ伏した異形は、  
ばふっと煙を上げると、再び土へと還ってしまった。  
だが依然として異形の得物は、次の主を待つかのように  
地面に突き刺さったまま妖しい光を放ち続けている。  
 
リムルルはハハクルをしまうと身をひるがえし、こちらに向き直った。  
「やっぱり・・・刀が!にいさまっ!足元の石!それで叩き折っちゃって!」  
もやの向こうのリムルルが叫ぶ。言うとおりで、足元に漬物石ぐらいの  
ヤツが落ちていた。いつまた攻撃が始まるかわからない。  
両手で石を持ち上げ、妖しく鈍く光る刀へと駆け寄り、  
「そーりゃっ!」  
そのままの勢いで、刀身の真ん中へと石を放り投げた。  
「チィッ!コザカシイ真似ヲ!」  
再び空から例の声が響き渡ると、刀は不気味な紫の光をぶわっと増幅させ、  
あっという間に天高く上っていった。その後には、俺の放り投げた石が  
ごろりとむなしく転がるだけである。  
「フン・・・思ッタヨリヤルヨウダナ・・・シカシ」  
「あなた・・・知ってるんでしょ?姉さまを返してっ!」  
「・・・ムゥ?ムム・・・」  
人差し指を空に向かって突き出し、怒り収まらずといった表情で  
リムルルが叫んだ。こちらを見下しきった声が、急に止まる。  
「ナニ・・・巫力ガ?コンナ馬鹿ナコトガ・・・」  
「姉さまに何かしたら、何かしたら・・・」  
「オォ・・・オオオオ!」  
「絶 対 に 許 さ な い ん だ か ら ね っ !」  
こぶしをぎゅっと握りしめ、思いきり叫んだその時。  
「えっ、うわっ?!」  
リムルルを中心に、ぱあっと太陽の光が戻った。  
いや、正しくはリムルルから、まばゆいほどの光が溢れたのだ。  
陽の光と見間違えるほどの、それほど温かい、気持ちの良い光。  
その光に押し流されるかのように、墨を流したような空には  
あっという間に冬晴れの青空が戻り、気味の悪かった黒い霧も、  
瞬きの直後には掻き消えていた。それどころか、ズタズタに切り裂かれた  
木々が光に包まれると、その形を取り戻してゆくではないか。  
 
林の風景が来たときと変わりなくなると、リムルルの光は収まった。  
ふわふわとなびく髪が落ち着く。  
「はあっ・・・はあ・・・許さな・・・ぃ」  
肩で息をしているようだ。そこまで言うと、怒りに震える体から力が  
抜け、がっくりとひざを突くと、その場にへたり込んでしまった。  
「だっ、大丈夫か!?」  
慌てて駆け寄り膝の上に寝かせてやると、リムルルは目を閉じたまま  
今度は眉を寄せて苦しそうに息をし始めた。  
「ゆるっ・・・はぁ・・・さないぃ・・・ふぅ・・・あっ、はぁっ・・・!」  
「やべ、すごい汗だ・・・おいっ!?リムルルしっかりしろって!リムルル!」  
肩を揺するが返事が無い。俺の膝の上で、ぐったりとするだけだ。  
「素晴ラシイ・・・ちからダ!」  
空の色は戻ったというのに、忌々しい声が再び降り注ぐ。  
「まだ居たのかてめぇっ!」  
「・・・人間風情ガ、ナメタ口ヲ聞クデナイゾ?」  
「うるせぇ!子供相手に何てことしやがる!こいつはもう闘えない・・・  
まだやるってんなら相手してやらぁ!」  
「ヌハハハハハ!威勢ノ良イ事ダナ!!ダガ、オ前ノヨウナ輩ニハ、  
コレ程ノ用モナクテノ・・・用ガアルノハ・・・ソノ娘ダケダ」  
「ぜってー渡さねぇ!こいつは大事な妹なんだ!」  
「驚イタゾ・・・貴様モ見タデアロウ?ソ奴ノちから・・・ソレコソガ、  
大自然ノ巫女ノ持ツちからナノダ・・・マサカ、タダ一度ノ闘イノ中デ、  
ソレ程マデニソノちからを増幅サセルトハ・・・欲シイ!欲シイゾォォォォ!!」  
気の狂った声が、林の中を駆け巡る。確かに、さっきの太陽にも  
似た光・・・そして、ばらばらに砕け散った木々をも一瞬にして治癒して  
しまう、リムルルが持つその力。しかし今はそんなことは問題ではない。  
 
「馬鹿言え!あんたが誰か知らねーけどな、ぜってーに渡さねぇかんな!」  
「我ノ話ハマダ終ワッテオラン・・・口ヲ挿ムナ」  
「んぐむ!?」  
息が詰まる。あろうことか、口が開かなくなってしまったのだ。  
「〜! 〜〜〜!」  
声を発するどころか、うめくことさえも出来ない。  
「小娘ガ欲シイノハ確カダ。ダガ、マダマダソノ程度ノちからデハ足ラヌ・・・  
男ヨ!小娘ニ伝エヨ!ソノちから、存分ニ振ルウ事ガデキル様ニナッタ時、  
再ビアイマミエヨウゾ、ト!」  
一方的で自分勝手な伝言を俺に残したっきり、もう再び空から  
声がかかることはなく、俺にかかっていた呪いのようなものも  
すぐに解けた。  
「・・・っあ!ぷはぁ〜!」  
空には、神社へ来たときと同じ冬の太陽が輝いていた。  
だが、依然としてリムルルは俺の膝の上で息を荒げている。  
「おい、リムルル・・・しっかりしてくれよ・・・なあ!」  
「はーっ、はぁーっ・・・うぅっ・・・んぁ」  
苦しそうに眉間にしわを寄せ、  
真冬だというのに紅潮した顔を玉の汗が伝う。  
「リムルル・・・」  
「は、に・・・にい・・・たまぁ?」  
程なくして、リムルル重いまぶたを、やっとの事で開いてくれた。  
しかしその瞳はうつろで、どうやら視界もはっきりしないらしい。  
「よかったぁ〜、大丈夫か?俺のこと、わかるんだな?」  
もう一度肩を揺すり、小さな手をぎゅっと握りしめる。  
「はぁっ・・・はぁ・・・」  
荒かった息が、少しづつ普段の様子に近づいてくると、  
何やらもう片方の手を、俺の顔の方に差し伸べてきた。  
 
「うん?リムルル?何だ?」  
「にぃ、さま・・・お怪我・・・ほっぺに・・・」  
「えっ、ありゃあ〜」  
今の今まで気づかなかったが、左の頬に少し大きな切り傷が出来ている。  
木屑か小石か何かが頬を掠めたのだろうか。拭うと、血がべっとりと  
俺の手の甲を染めた。  
「ちゃんと・・・治さないと・・・ね」  
そう言うと、リムルルは俺の傷口のあたりをすっと撫でた。  
指先が軽く触れただけなのに、温かくて気持ちが良い。  
「血で汚れちゃうぞ?やめとけって」  
「痛く・・・ない?」  
「おう、全然平気だ。さ、負ぶってやるよ・・・ほら」  
「ん・・・」  
依然ぐったりとしたままだが、意識があるうちにここを抜け出した  
ほうが良い。羽のように軽いリムルルを背中へと回し、何とか  
身体を支えてバランスを取ると、林の中をざくざくと抜けていった。  
両腕を俺の首に回すリムルルが、耳元でささやく。  
「にいさま・・・?」  
「ん?」  
「おけが・・・だいじょ・・・ぶ?」  
片手を回してきて、頬を拭う。  
「ああ、なんとも・・・あれ?」  
垂れてきているはずの血が、一滴さえ手のひらに広がらない。  
もう一度触れてみるが、痛みはおろか傷口さえ無くなっているのだ。  
「・・・!リムルル、お前・・・さっき触ったとき?」  
「すぅ・・・すぅ・・・」  
リムルルは俺の質問に答える代わりに、昨晩と同じような  
安らかな寝息を立てるだけだった。  
 

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