小気味良いリズムを崩さず先導するシクルゥに併走するリムルルは、白い息を吐きながら、  
寒さ半分、それ以外の理由半分で頬をりんごのように赤く染めていた。  
――なんだろ・・・・・・みんなわたしの事知ってるのかな?なんでジロジロ見てるんだろ?  
かなり遠くからでも、道端の人達がこっちを見つめて目を丸くしているのが分かる。  
その視線に敵意は感じられなかったし、自分を狙っている変なヤツの感触も無い。なのに、  
距離が近づいても相変わらず自分の顔を見ているので、もしかしたら兄の知り合いかも  
知れないなどと思って、リムルルはすれ違う全ての人に笑顔であいさつをしていた。  
――あいさつは元気な方が気持ちいいし、そうしなさいってねえさまも言ってたし!  
そんな風に考えているリムルルの頭は、焦りのせいもあっただろうが、自分の風貌と挙動の  
突飛さが見つめられる原因になっているというところまでは、ついにたどり着けずじまい  
だった。  
「シクルゥ、こっち?あっだめ、止まって!」  
砂利の敷き詰められた駐車場を突っ切り、信号の無い十字路を横切る前に、リムルルは  
シクルゥに待ったをかけた。  
「右、左、右!よしっ、行こ!」  
十字路で足踏みしながら、兄に言われた「右見て左見て右見て」をちゃんとやると、リム  
ルルは左右にずらっと一軒家の並ぶ、かなり見通しの良いまっすぐな道路へと入った。  
すると、向こうから寒そうに背を曲げたおじさんがまた一人歩いてきて、白い霧でまだ  
足が霞む距離だというのに、やっぱりこっちをじーっと見ているのに気づく。  
徐々に近づいて顔が確認できるぐらいになっても、頭の中は疑問符だらけだ。  
――まただ、うーん、ダメ!やっぱり思い出せない・・・誰だっけ・・・ま、いいや!  
「はっ、はっ、おはよーございますっ!」  
「え、あ、お・・・・・・はよう」  
結局思い出せないままだったが、リムルルはすれ違い様に7度目のおはようを決めた。  
おじさんは少し驚いて恐縮した様子だったが、ちゃんと返事をしてくれた。  
やっぱりあいさつして良かったなぁと思っていると、今度はかなり前方で背中をこちらに  
向けて早足で歩いていた人が、ぐるりと振り向いた。その顔を見て、リムルルは驚く。  
――あれ?おじいさんだったんだ!元気だなぁ。でも知らないよ・・・ま、いいよね?  
 
「はっ、はっ、はっ、おはよーございますっ!」  
「元気じゃねーお嬢ちゃん。運動会の・・・・・・」  
知らない人だったが、追い抜かし際にリムルルは8発目の笑顔を決めた。  
おじいさんはあいさつをした途端、しわくちゃな顔をもっと皺にして、とても嬉しそうに  
笑った。その後何か言っていたような気がしなくも無かったが、聞いている暇は無い。  
リムルルが走る理由は、朝っぱらからあいさつを振りまくためではないのだから。  
「シクルゥ、ねっ、どこまで行くの?」  
まだ息は切れていなかったが、先を行くシクルゥがなかなか止まらないので尋ねる。  
「・・・・・・」  
シクルゥは何も答えずまっすぐな道をただ、たたったたっと走るだけだ。あまりシクルゥ  
のような狼と話をした事は無いが、結構無口なのか、それともわざと口をつぐんでいるのか。  
どちらにしろその背中だけが兄と姉の行方を知る限り、今は追い続けるほかに無い。  
整然と並ぶ一戸建てに挟まれた、だだっ広いまっすぐな道。遠くが白く霞むぐらいに長い、  
灰色の道。  
しかしこの道にも、町外れへと続くこの道にも終わりがあって、そこにある物はリムルルも  
良く知っていた。川沿いの自然公園だ。  
この時代に来たばかりで空気に馴染めずに調子を崩した時、兄はここに連れて行ってくれた。  
静かな木々に囲まれていて、草の匂いがして気持ちが良い。この時代におけるお気に入りの  
場所のひとつだ。  
「はっ、はっ・・・・・・ねぇ、この先、まっすぐ?」  
シクルゥが何も言わないまま、急に走る速度を上げた。  
それを見て、行き先は公園なのだとリムルルは確信する。  
「そうなんだね、そうなんでしょっ?!」  
・・・・・・はっ・・・・・・はっ・・・・・・はっ!  
鼓動が早まる。  
全速力で走っているからじゃない。家から10分走ったところで、リムルルの心臓は一言も  
文句を言わない。ただ、消えた兄と姉が公園にいる。その事実を感じた心臓が、どくん  
どくんとリムルルを急かしつけている。  
・・・はっ・・・はっ・・・はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・!!  
道の終わりが、兄と姉の居場所が、まるで足元で巻き取られているかのように近づいてくる。  
 
霧の薄れた道の終わりを見たリムルルは思う。  
何をしているのか知らないが、自分一人を部屋に残してしなくてはならない事とは一体。  
家族の中で自分だけを置き去りにするなんて酷すぎる。  
それだけじゃない。まだ一日しか生活を共にしていないのに、誰よりも兄に近しいわたしを  
差し置いて、レラねえさまが大好きな兄を独り占めするなんて許せない。絶対許せな・・・・・・  
――あれ?  
家を出て来た時は、最初に浮かんだ理由だけで突っ走ってきたつもりだったが、何だか  
別の理由の方が今は大事な気がしたところで道が終わりに近づいた。  
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・もう少し!」  
長かった灰色の道は、公園を囲むリムルルの腰よりも背の低い植え込みにぶつかって、  
そこでぷっつりと途切れている。  
その先に小さな歩道を挟んでだだっ広い芝生の公園があり、奥には雑木林が広がっている。  
二人はきっと、この公園の中のどこかにいるに違いない。  
「よぉし!」  
大した高さでもない垣根を飛び越えることなど、リムルルの身軽さなら朝飯前だ。  
目測で距離を取る。速度も勢いも、このまま行けば間違い無い。  
しかし、かなりの勢いに乗ったリムルルはここで再び急ブレーキを余儀なくされる。  
いざひとっ跳びという所で、目の前のシクルゥが垣根の前でスピードを落としたのだ。  
「えっ、ちょっ・・・・・・うわっととととぉ!!」  
がさがさ!ぱきぽきぺき。  
跳ぶものだとばかり思っていた身体が、そのまま常緑種の垣根に頭から突っ込む。世にも  
珍しい、パジャマを着た女の子の小さなお尻が生えた垣根の出来上がりだ。  
「ぷぁ!いたた・・・・・・シクルゥ〜〜、ひどい!」  
リムルルは葉っぱだらけになった上半身をすぽっと引き抜くと、シクルゥに文句を垂れた。  
「急に止まるなんて!もう少し・・・・・・って、聞いてるの?」  
シクルゥは聞いていなかった。代わりに、垣根の根元の間から公園の中を見ていた。  
目線をたどったリムルルの口から、それ以上シクルゥを責める言葉が出る事は無かった。  
 
芝生の向こうで動く、二つの人影。  
一つは、リムルルさえ釘付けにする、熟練した動きを見せるシカンナカムイ流。  
そしてもう一つは、その美しく無駄の無い動きに翻弄され続けるへたっぴ。  
どう見ても、剣を交える姉と兄だった。  
 
 
・・・・・・・・・・・・  
 
 
ぼこん。  
「・・・・・・っく!」  
右手に響くような衝撃が走って、俺は握っていた棒切れを取り落とした。  
「ほらまた、これで何度目?真正面から受けるから耐えられないって言ってるでしょ!」  
日本刀と同じぐらいの長さの棒を芝生に突き立てて、呆れた調子で首を横に振りながら  
レラががみがみと言う。  
――げ、元気だなぁ。尊敬に値するよホント。  
レラの修行は、家を出てからかなり長い川沿いのマラソン、基礎的な筋力トレーニングと  
柔軟から始まって、簡単な戦術と構えの講義を経て、それからはずっとこうした実戦形式の  
練習が続いている。  
しかし修行といっても一方的に教えるのではなく、レラも俺にゲキを飛ばしながら同じだけ  
走り、同じだけ腕を鍛え、柔軟体操では同じ事をしているとは思えないぐらい、深く美しい  
開脚前屈を易々と決め、そして俺より大きな棒切れを振り回して今も大声を上げている。  
なのに、息も絶え絶え、腕を上げるのも精一杯な俺とは対照的に、レラは額に汗を浮かべる  
ぐらいで全く疲れを知らない。  
「力は、受け流す!こう来たら、こう!それが駄目なら小さく、ギリギリ一歩退く!」  
演技にも恐ろしいぐらいに衰えが見られない。定まった構え、決められた体さばきの流れ  
一つ一つをきびきびと示し、飽きることなく分かるまで教えてくれる。  
目の前で動いているのは、戦いに対するプライドと揺るぎ無い信念の権化だった。  
「ふはぁーっ、はーっ・・・・・・はい!」  
ほとばしる覇気とやる気に後押しされ、ぼろぼろの俺はマキリ大の棒切れを拾い、構え直す。  
 
「いくわよ・・・ふっ!」  
武器を拾う事、それはそのまま再開の合図だ。レラの容赦も間髪も無い垂直な一撃が、  
拾うために屈んだ姿勢を直す事もままならない俺の頭の上から降り注ぐ。  
――うわ、あっぶね!  
それを俺は、またとっさに防いでしまうのだ。頭の上に掲げた棒切れで、正面から直に。  
がつっ。  
「ぐぁ・・・・・・」  
これまでの一撃一撃に蓄積された右腕のしびれの上に、またも鮮烈な稲妻がほとばしる。  
左手を添えていなかったらまた棒を落として、頭にこぶの一つも作っていたに違いない。  
・・・・・・既に一つ出来ているのだが。  
「甘いわよ。いつ攻撃が来るなんて誰が教えるというのっ!」  
一発防いだぐらいでレラの追撃は収まらない。何とか防いだレラの棒が、まだ掲げたままの  
俺の得物の上をすっと横滑りした。  
レラの顔が、俺の目を挑戦的に見つめていた瞳が、黒い髪に吸い込まれるようにして消える。  
いや、消えたのではない。長く垂れたマフラーが身体に巻きつくぐらいの勢いで、レラが  
その場でこちらに背を向けぐるんとコマのように一回転したのだ。  
その一連の動作の意味するところをやっと理解した頃には、予想通りにレラの回転を伴った  
素早く水平になぎ払う一撃が、俺の右横っ腹をびしりと打っていた。  
「ぐぁ・・・っ・・・つうゥ〜〜〜〜!!」  
万歳したままの俺はぽろりと得物を落とし、まだしびれの残る右手でわき腹を押さえて  
うずくまった。  
あてがわれた手のしびれの下で、思い切り叩かれたわき腹の肌を刺すような痛み、その  
また下で、内臓を震わす重い重い痛み。  
さすがのレラもやりすぎたと思ったのか、俺の背中をさすってくれる。  
「ちょっと・・・・・・今のは『刀舞術』の動きだから、実戦では使わないかなり派手で分かり  
やすい部類なのよ?まあその分、威力も見た目通り・・・何とか間に合うかと思ったけど、  
駄目だったわね。痛かった?痛いわよねぇ・・・そりゃあ」  
「〜〜〜〜!」  
だが言っている事は、いたわっているのかいたぶっているのかさっぱり分からない。  
 
「さ、もうすぐ夜も完全に明ける頃。そろそろ帰りましょう。あの子も起きる頃だろうしね」  
言いながら俺の落とした棒を拾い、レラは薄雲を透かす朝日を眩しそうに仰いだ。  
――リムルルが、待っている。  
腹のど真ん中に居座るずっしりとした痛みに汗を垂らしながらも、あの笑顔が頭をよぎる。  
「まあ、構えは一丁前に取れるようになったわね。でも実戦の練習は、お世辞にも・・・・・・」  
――こんなに弱くてどうする。俺は一体何度レラの攻撃を避けられた?別れは今すぐにでも  
訪れるかもしれないというのに、羅刹丸が相手じゃあまた一撃でねじ伏せられてしまうに  
違いない。勝とうとかそういう事じゃなく・・・・・・今度こそ命が無い。  
「・・・・・・こそこ頑張ったんじゃないかしら。でもいきなりやりすぎて身体壊されたら・・・・・・」  
―――俺の事を待っていてくれる人がいる。俺も必ず生きてそこに戻るために・・・・・・今を逃す  
訳にはいかないんだ!  
「・・・・・・なのよ。さ、立って。行きましょう?」  
レラの話は全然聞こえていなかったが、最後だけは聞き取った。  
公園を去ろうとした背中を、俺はしゃがみ込んだまま呼び止める。  
「はぁ、はぁ。レラさんっ!もっ、もう一回だけ!」  
レラが、きらりと光る汗を袖で拭いながら振り返った。  
「コウタ・・・・・・初めてにしてはそこそこ頑張ったって言ったじゃない。合格よ?」  
「駄目です・・・・・・まだ、まだ出来ます!このままじゃリムルルを泣かせるだけだ!」  
「気持ちは分かるし、頑張り屋は嫌いじゃないわ。だけどまだ一日は始まったばかりで  
しょう?一度休んでからの方が能率も上がるし、それに私もお腹が空いたしね。帰って  
朝食の準備。先に行くわよ」  
苦笑していたが、レラは俺の注文は一切受け付けない。背中を向けてすたすたと我が家の  
方へと歩いて行ってしまう。  
「あ、ちょ・・・・・・あららっ?」  
無情に遠ざかる背中を追いかけようとした俺は、かくんと膝から折れてすっ転んだ。もう  
ひと頑張りしようとすると気持ちとは裏腹に、終わりの合図に身体が素直に反応してしま  
ったのである。膝どころか太腿のあたりまでけらけら笑い、腕までもが震え出す。筋肉が  
全く言う事を聞かなくて立とうにも立てず、追い打ちとばかりに身体の痛みもぶり返して、  
何だかこれから先の練習をこなす自信がどんどん地面に流れ出ていくようだ。  
 
「ま・・・・・・待って。レラさんてば」  
「ゆっくり来ればいいのよー。朝食までしばらくかかるからー」  
俺の位置からでは、もう手の上に載るぐらい小さくなったレラが、背中を向けたままひら  
ひらと手を振り、そのまま豆粒になって、ついに垣根の向こうに消えてしまった。  
「はぁ、は・・・・・・だー、くそ」  
立つ事を諦めて、俺は仕方なく芝生の上に大の字で寝転んだ。言われたとおり、筋力の  
回復を待つためだ。極限まで脚をいじめると、ただ立っているだけでもどれだけ筋肉が  
常にフル稼働状態にあるかが分かる。それに加えて、体力が軒並み落ちている事も思い  
知らされた。マラソンは人並みに出来たはずだったのだ。  
雑草混じりの芝が生えた地面に爪を立て、思ったより薄雲の多い、しかし明るくなり始めた  
空を視界の全部に収めながら俺は思う。  
何もかもが初日から空回りしてやしないか、と。  
全てを賭けた、たった一つの強い想いだけで昨日の晩、俺はこの道をこじ開けた。  
しかし現実はあまりに厳しい。気持ちだけで乗り切れない物はゴマンとあるという事を、  
文字通り身をもっていきなり教えられてしまった。  
だからといって別にそれで自分に絶望したとか、目的を見失うとか、ヤケクソになるとか  
そんな事は無い。レラの言う事ももっともだと思うし、今の俺が先走っているだけという  
事も渋々ながら認めている。  
それにリムルルへの気持ちは変わらない。ずっと一緒にいるための努力。怠るわけが無い。  
要するに、俺はちゃんとやっているはずなのだ。  
それだけ分かっていても空回りだと感じるのは、やっぱり焦っているからだろうか。  
まだどこかで、リムルルと分かれる事を恐れているのだろうか。  
――あぁ、またネガティブな・・・・・・。  
どんよりした気持ちに支配されると、身体の調子までおかしくなってくる。  
腕の辺りに引いたはずの痛みが浮き出て、袖を捲ってみたら見事な青あざができていた。  
さらにへこむ。  
「いたた・・・・・・何だよ、くそッ」  
脚の筋肉もまだ回復しない。乱れた息が落ち着いてせっかく気持ちに余裕が出来ても、  
今寝転がったままに見ている雲と同じように、どんよりと迫る後ろ向きな感情で心が埋め  
尽くされそうになる。だが、  
 
「そうはいかねえぞっと。よいしょーっと、あたた、あだだ」  
ジジ臭いもったりした仕草で、痛むながらもとりあえずは動く上半身を俺は起こした。  
そして今度こそ若者らしく胸を張り、曇天に支配されかけた心の中に強い風を起こそうと  
試みる。暗くて何の進展も運んでこない雲を蹴散らして、どこかに飛ばしてしまう風だ。  
――恐いのは仕方が無いだろ?努力して未来をいい方に向けようとしてる限り、それが  
失敗するのが恐いのはずっと着いて回るだろ?それなら・・・・・・それでいいじゃないか。  
立ち込める雲が、ざわりと揺らめく。  
――失敗が恐くない人間なんて、不安の無い人間なんていないんだから。きっとそう  
やって恐がっていられる間は、ちゃんとやっているって事なんだろ。  
「うん、よし。俺なんかいい事言ってるじゃん。やればできるやん」  
結果的に、心の風はネガティブな気持ちを追いやるというよりも、それを半ば甘受する  
ような方に、俺の心の中心に吸い込むようにして吹いた。まるで掃除機だったが、心は  
すっかり暗雲を飲み込んで、穏やかさを取り戻した冬晴れになっていた。  
「この調子で、今日もおてんとさんバッチリ出てこないかな〜」  
開いた右手を、だいぶ明るくなった東の空に突き出してみる。家々の屋根の上、薄雲に  
遮られた少し眩しい日輪を掴むように。  
「もう少しなんだけどな。時間が経ったら晴れるか。レラさんの服も干したい・・・・・・あれ?」  
洗濯物日和まであと一押しの空模様を眺めていると、視界にギリギリ収まっていた下の方、  
さっきレラが帰っていった垣根のあたりに動く影があるのに俺は気づいた。  
掲げていた右手をその人影に向けて下ろし、中指と人差し指の間に姿を収めてみる。  
「・・・・・・!」  
強い驚きをそのまま形にしたような白い息に視界を一瞬霞ませて、俺は立ち上がった。  
見慣れたパジャマに見慣れたどてら、そしてこれまた見慣れたブルーのリボン。  
「リムルル、どうして」  
「にぃさまー!」  
疑問をかき消す大声とともに、何か尋常でないオーラをまといながらリムルルがこっちに  
向かって全力で走ってくる。  
 
俺も歩くなりすれば良かったのだが、こっちから動く必要が無いぐらいのスピードだった。  
立ち上がって、あんぐりとしたまま垣根の方を見ていて、人影が「あーリムルルだー」と  
気づいた時には、リムルルの身体は俺の懐に思いっきり収まっていたのだから。  
「にいさまのバカーーーー!」  
「ぐげぇっ」  
タックルと何も違わない勢いで、リムルルの全体重が俺の胸にスピアの如く突き刺ささる。  
「バカ!ばかぁ!!ばかっ!!にいさまのばか!」  
「おいっ、ちょっと!何だってそんな怖い顔してんだよ?」  
「にいさまが悪いんだ!わたしの事残して、こんな所でねえさまと修行なんて!ずるい!  
ひどい!どうしてわたしだけ仲間外れなの?」  
冗談には見えない怒りをありありと顔に浮かべ、やけに感情的な声で不満の全てをぶち  
まけながら、リムルルは俺の胸をぼこすかと小さなこぶしで叩いた。  
寝起きの直後に、どうやってかここを知ってすっ飛んで来たに違いない。顔も真っ赤なら  
目も真っ赤だ。  
「ごめんて。ごめん。仲間外れじゃないよ。別にそういうつもりじゃなかったんだ」  
なだめるのは逆効果になりそうだったので、とにかく謝り、弁明から始める。  
「リムルル良く寝てたし、何だか起こすのかわいそうでさ。一言かけたら絶対着いて来る  
って言うだろうからと思ってな」  
「起こされたぐらい、全然かわいそうじゃない!いつだって一緒って言ったのに!」  
「おいおい」  
大げさだなあと言いかけて、止まる。俺はあと一歩でクソバカに成り下がるところだった。  
昨日の夕方、あれだけ心に思った事を、もうすっかり忘れてしまっていたというのか。  
リムルルを縛り苦しめている悲しみと孤独を笑うような事をしようとでもいうのか。  
「絶対・・・・・・離れたくないって、言ったよぉ。約束したよぉ・・・・・・」  
きつい目でこっちを睨むリムルルの目は充血し切って、ふわふわと涙に包まれ揺れている。  
「ごめんリムルル・・・・・・本当に。ひとりにしてごめん!」  
言葉では足りるはずは無い。少しでも反省を伝えるために、俺はリムルルの後ろ頭を撫でた。  
跳ねた寝癖が残ったままなのが分かる。いくら人のまばらな早朝とは言え、年頃の女の子が  
髪も梳かさずに町中を抜けてきたのだ。  
 
どれだけ焦っていただろう。どれだけ寂しい思いをしただろう――  
――俺は・・・・・・。  
「ばか!にいさま!わたし、すごく心配した!」  
「ごめん!本当に許してくれ。本当に・・・・・・すまない事した」  
いつしか声もなくすすり泣いていたリムルルは、まだ拳を俺の胸にどんどんと打ちつけて  
いる。泣かせるつもりは毛ほども無かったのに、どうして俺はいつもこうなのだろうか。  
「何してたの?!シゥルゥに聞いてここまで急いできたらさ、レラねえさまと二人でさ、  
剣術の練習なんかしてさ!こんな朝からふたりで、わたしひとりだけ寝かしたまんまで!」  
「落ち着けって、だからさ」  
「剣術なんてしなくていいのに!どうしてもって言うなら、わたしがちゃんと教えて  
あげられるのに!なのに何で、昨日来たばかりのレラねえさまに習うの?わたしなら、  
あんなににいさまのことボコボコ叩いたりしない!わたしの方が、ちゃんとにいさまの  
事分かってる!にいさまとずっと一緒にいる!にいさまの事・・・・・・」  
リムルルは垂れてきた鼻水をずびーっとすすり上げた。  
「にいさまの事・・・・・・ぐすっ、誰よりも・・・・・・知ってるんだ。レラねえさまなんか、ぜん  
ぜん、ぜーんぜんダメなんだ・・・・・・えうっ」  
ぐすっ、うぅ・・・・・・  
リムルルが相変わらずの剣幕で苦しそうに息をつかえさせながら涙を拭う。  
ざざっ、ざぁぁぁ・・・・・・  
その呻きにあわせてリボンが揺れ、俺たちを中心にして芝生が円状に波立ち、木々がざわ  
めきだした。  
ざざざざあぁっ。  
「な、何だ?」  
この公園に、二人で始めてきたときの事を思い出させる光景だった。リムルルの不思議な  
力を受けた自然が、息を吹き返すあの光景に似ていた。あの時は確か、跳ね回って走り  
抜けるリムルルの元気をあらゆる自然が受け取っている様子だったが、今度は全く違う。  
リムルルから噴出する激情に耐え切れず、煽られているだけのようなのだ。  
ざざざざざあぁぁぁぁぁ!  
一段と激しい波が枯れ草を吹き飛ばし、木の枝をしならせ、俺の肌をびりびりと刺激する。  
 
――や、やばい!なんかとにかくリムルルやばい!!  
俺はリムルルの気持ちを少しでも落ち着かせようと、当たりさわり無くそれでいてちゃんと  
自分の真意を伝えるための言葉を俺は選ぼうとした。だが、ただでさえ並ならぬリムルルの  
迫力にビビらされ、その上都合のいい台詞がぽんと飛び出す程俺は口達者ではない。  
「り、リムルル・・・・・・おい、ほんとに、ごめん」  
苦労して口から捻出した言葉は、たったこれんぽっちだった。  
――き、気がきかねェー!  
そうこうしている内にもリムルルから噴出する「波」は勢いを強め、髪がゆらあっと立ち  
上がらせ、瞳から零れ落ちる涙を重力に逆らわせ空中を漂わせるまでになっていた。遠くに  
密集している雑木林にまでも波が届き、がさがさとその腕を振るい、しぶとく残っていた  
枯葉はことごとく振り落とされていた。  
「あわわわ・・・・・・」  
優しいリムルルが、抑え切れない感情を爆発させようとしている。しかも、辺り一面を  
更地にしてしまうんじゃないかという威力を持って。  
あいにく俺の手元にはペンチも無いし、起爆解除コードも知らない。  
俺はもう、どうにもならない状態になった時限爆弾を抱えたまま立ち尽くすしか無かった。  
「わたしが・・・・・・わたしが・・・・・・うぅ」  
「お、おい?」  
だがリムルルは爆発しなかった。代わりに、うろたえる俺を前に小さく、さっきまでの  
迫力とは程遠いか細い声で言った。  
「わたしの方が・・・・・・うぅ・・・・・・にいさまといっしょに、いたいんだ・・・・・・」  
俺の目線ぐらいにまで漂っていた涙がぼとぼとと地面に落ち、風が止み、木々も草も、  
ぴたりと動きを止めた。  
朝の静寂を越えた静寂が訪れる。静か過ぎる空気。  
世界がリムルルを中心に集束して、凍りついた。そんな感じだった。  
「え・・・・・・」  
 
しかし、幕切れは唐突に訪れた。  
「すうっ」  
リムルルが大きく息を吸って、  
 
「絶 対 そ ば に 、 い っ と う 近 く に い る ん だ あ ぁ ! 」  
 
どかーん。  
 
「うわあああああん!!」  
「おあああああ?!」  
太陽さえ霞ませるまばゆい光がリムルルから溢れ出し、大木さえ倒しそうな強烈な波動が  
押し寄せて、至近距離にいた俺はぐらぐらと揺れる地面に仰向けに叩きつけられた。目から  
飛び出した星が、火花を散らしながら飛んでいく。  
「ああああああん!にいさまのばかぁ――――――!」  
強烈な叫びは雲を割り渦巻かせ、公園とこの町の上にぽっかりと青天井を開かせた。なのに  
いきなり大粒の雨が青空から降り注いで、冷たいと思ったらアラレになり、ヒョウになる。  
「たっ!たた!痛てイタ!」  
「もう、もう嫌いだ―――!にいさまなんか知らない!バカ―――――!!」  
喉が千切れるぐらいの叫びと強烈な光を全身から放ちながら、リムルルがその中に霞んで  
いく。自分で打ち出した閃光弾の中に紛れ込むように、小さな背中がオレンジと白に溶け、  
家とは全く逆の方へ、海へと通じる川沿いの道に消えていった。  
そしてしっかりと頭を打った俺の意識も、光の向こうに飲まれていった。  
 

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!