第五章 「美しき家族の肖像」  
 
12月17日 早朝・まだ陽の昇らない時間  
 
 レラさんが来て今日で4日目である。家に家族が増えて毎日が賑やかで楽しいし、生活の  
質が向上したというか、早起きと早寝を繰り返して適度(時として過剰ではある)な運動を  
毎日続けるのはかなり身体に良いと感じる。  
あの修行を始めた次の日は、やはりというか筋肉痛があったものの、眠る前にレラさんが  
俺に施してくれたマッサージのおかげで筋肉に残っていた強烈な負荷も幾らか和らいで、  
翌日動けないというほどのものではなかった。剣術武術のみならず、身体の事に関しては  
レラさんはエキスパートのようだ。さすがは戦士の魂の化身だけある。  
そんな横になった俺の脚やら腕やらを丹念に揉むレラさんの側に座りこんで、横目で  
ちらちらこっちを見ながら、コンルを使ってほいほいと冷たそうなお手玉をしてむくれて  
いる子がいた。我が家のお姫様、リムルルだ。  
 お姫様なんて呼び方だけで察しがつきそうなものだけど、リムルルは最近、特にレラ  
さんが来て俺が修行を始めた日・・・・・・あの逃亡事件以来、またひとつ難しくなった。  
いや、さらに思春期というか、「女の子のそういう時期」の真っ只中に突入したというのが  
正しいのだろうか、色々と難しくなって、俺も振り回されている。  
まず残念なことに、あのリムルルが、俺の裸にも自分の裸にもあそこまで無頓着であけっ  
ぴろげだったリムルルが突然、「恥ずかしい」だの「にいさまは男でしょ」だのと言って、  
俺と風呂に入るのを拒否するようになった。  
俺としても何とも複雑な心境だ。なんだかんだ俺も男だから、ぴちぴちの女の子と(それ  
がまだまだ未熟であっても)お風呂に入るのが楽しくないはずが無かった。朝夕の着替え  
さえ洗面所に逃げ込んで見せてくれない。レラさんがいる手前、おかしな口実も作れない。  
今や俺に残されたのは、風呂から上がりたてのリムルルの、濡れた首筋と髪を拭く仕草と、  
赤く染まった頬と、大きなパジャマの胸元から時折無防備に覗く滑らかな肌とかすかな  
膨らみぐらいのもの・・・・・・嗚呼。  
 
 あー、どうしたらいいのか。リムルルの裸も見られないし、だからといってそんな奇跡が  
去ってしまった事を嘆く俺も、男として兄としてどうしようもない。ダブルで苦痛である。  
 しかしそうやってリムルルが急に俺が男だということをやけに意識した行動を見せる反面、  
いきなり甘えてくる事もある。レラさんとの会話に横から盛大な声を出しながら別な話題  
で割り込んできたり、マキリの手入れをしているのにひざの上にのって来たり、コタツに  
はまってテレビを見ていると、コタツの中で俺の足指にちょっかいを出してきたりする。  
 こんな風に前よりも少し感情の起伏が強くなったのも、やっぱり年頃の女の子だったら  
あり得る事なのかもしれない。レラさんのような女性との接触が、リムルルの中で曖昧  
にしかなかった女としての自覚が目覚めるのを促しているとも言える。しかもこの甘えは、  
レラさんが外の捜索に出かけていたりするともっとすごい事になる。俺の一挙一動に反応  
して後ろに着いて来るし、学校の事や何やらでコタツに向かっていると俺の正面でじーっ  
と何も言わずにいつまでも見つめていたり、レラさんのマッサージを真似て揉んでくれる  
のはいいんだけど何だかマッサージしなくていい所まで触ろうとする事があるし、トイレ  
にさえ付いて来ようとするし・・・・・・。まあ悪い気はしないが、いささか過激、やりすぎ  
だと思う。  
 こうとだけ言うと、リムルルはどんどんワガママっぷりを発揮するようになって我が家に  
おける「お山の大将」になってきているとしか見えないかもしれないが、そうではない。  
そこは上品な「お姫様」で、リムルルはどこか、きっぱりと分別がついた印象を受けた。  
俺の修行の事にも口を出さなくなり、家で留守番や家事をして待っていてくれるように  
なった。朝の修行が終わって帰れば、汁物の材料の下ごしらえが終わっているし、その  
手さばきも指を囲むばんそうこうの数に比例してかなり良くなりつつある。  
 
 食後とかの節目の時間には、どこで仕入れたか結局よく分からないあの白い杯で、みんな  
にお茶を出すようにもなった。安物のお茶だというのに、その味も飲むたびに何だかどん  
どん良くなって、冬で寒いこともあってか、部屋の中でみんなで落ち着ける、ゆったりと  
したその憩いの時間がとても大切なものに思えるようになってきてしまった。その時間の  
後は、疲れた身体が不思議なぐらいにひょいと軽くなるのだから。  
 まあこういった感じに、料理とか、家事とか、それからお茶とかのワビサビっぽい部分、  
大げさかもしれないけど日本人の男が夢見る女らしさというか、そういう粛々とした物が  
リムルルに芽生えつつあるのかも知れない。  
 うーむ、娘の成長を見るようで感慨深い。娘なんていた事無いのに。  
 しかしだ。そうやってリムルルは成長しているが・・・・・・だったら俺はどうなのだろうか。  
リムルルにふさわしい男になれるのだろうか?打ち身と切り傷の数に比例して、俺も少し  
でも、リムルルとの未来を目指すに足るだけの男として進化しているのだろうか?  
 ・・・・・・それ以前に、妹のあいつに「好きだ」なんて、どうやって切り出すんだ????  
 まあ・・・・・・こんな具合に俺は自分の現状にちゃんと疑問を抱けている。これならまだ大丈夫  
だろう。  
 さあ今日も朝が始まる。レラさんはもう外だ。眠ったままのリムルルの頬にいつもの様に  
キスをして、修行に行く事にする。我が家の眠り姫さまは、今朝も変わらぬ可愛いさだ。  
 
 
 
「12がつ〜まちは〜クリスマスきぶん〜」って、にいさまが歌ってた日の朝  
 
 
毎朝、にいさまはわたしの頬にちゅっと小さなキスをして、レラねえさまと家を出て行く。  
 
どうやらにいさまは毎朝わたしが眠ったままだと思ってるらしくて、物音を立てないように  
抜き足差し足で部屋の中を動いて、着替えとか準備とかをしている。レラねえさまが布団  
から出てにいさまより先に着替え終わる頃には、わたし、いつだって目を覚ましてるのにね。  
だから・・・・・・にいさまの着替えも、暗いけど内緒でちょっぴり見てたりする。にいさまは  
寒そうにもっそり布団から身体を起こすと、時計を見て、それからいつもこっちを見るの。  
それで、にまって笑う。寝ぼけた顔とくしゃくしゃの髪が子供みたいで可愛いんだ。それで  
ねえさまにぼんやりした声で「おはよう」って挨拶して、一度ぐーっと伸びをして、わたし  
の横を静かに通って、お便所に行って、洗面所で顔洗う音がして、それで戻ってきて、  
パジャマを脱ぐの。  
いつも背中しか見られないんだけど、にいさまは大きくてとっても頼もしい。特にわたし  
が布団の中で起きてるのがバレないように、寝そべったまま薄目でにいさまを見てるから  
かも知れないけど、にいさまはホントに大きく見える。あれがいつも、わたしの事をぎゅっ  
てしてくれる両腕。あれがいつも、わたしが抱きついて腕を巻きつけてる腰。あれがいつも、  
大きいねって言いながらお風呂場で洗ってた背中。後ろから抱きついて、身体をぴたって  
くっつけてた背中・・・・・・。  
自分でも、よくわからない。何でにいさまの背中を見ているだけで、こんなにどきどき  
するんだろう。不思議なおじいちゃんに会ったあの日、色々考えることがあったあの日  
から、にいさまの全部が特別に感じられるようになっちゃったみたいで、にいさまがまるで、  
にいさまじゃなく思えるような・・・・・・そんな感じ。  
 
にいさまの事は大好きだし、わたしのにいさまには絶対変わりないのに、なのに何だか  
突然、にいさまといるだけでどきどきし始めて、わたし恥ずかしくなって、こんな子供っ  
ぽいわたしが、どうしてにいさまみたいな大人の人にこんなに優しくして貰えるのかとか、  
どうしてにいさまは、わたしが少し意地悪したりわがまま言って困らせても許してくれる  
のかとか、そんな、すごくバカな事考えちゃったりする。  
嫌われたら絶対にイヤなのに、なのにそんな意地悪とか悪口とか、もう絶対しない方が  
いいのにしちゃうんだ。わたし、にいさまを試すような事してる。  
だけど、そんな風にわたしの事だけ見ててくれて、いつも気遣ってくれるのがとっても  
嬉しくて、だからイタズラしちゃうんだよ。にいさまがいつまでもいつまでも優しいから、  
それが悪いんだよ!?  
・・・・・・今のはウソだね。わたしのバカ。  
にいさま、ごめんね。でも、ありがとね。  
わたし、ホントはにいさまにあんな意地悪な事したいんじゃないんだよ?だってレラねえ  
さまがいなくなると、わたし、やっぱりおバカみたいににいさまに甘えるでしょ?にいさま  
の事ず―――――っと穴が開くまで見つめたり、お肩とか脚とかを揉んで上げるついでに、  
ちょっぴりお尻とか、お腹とか、おっぱいのトコとか触ったり、お膝で寝かせてもらったり、  
近くの猫の真似して「にゃあにゃあ」ってじゃれてみたりするでしょ?にいさまと二人きり  
だと今まで通りの、えっと、ちょっと甘えすぎかもしれないけど、それでもにいさまの  
知ってる、にいさまが可愛がってくれてたわたしでしょ?  
 ・・・・・・でも、不安なんだ。  
にいさまはこんなにべたべたしてる妹は嫌いじゃないのかな。  
 
その内ある日突然、こんなガキンチョなリムルルは嫌ですって、抱きつこうとしても  
わたしの事跳ね飛ばして「俺はレラさんが好きなんだー」とか言い出して、レラねえさま  
も「わたしもよコウター」とかなんとか言っちゃって、それでふたりだけでどんどん仲良く  
なっちゃって、いっぱいキスとか、そりゃもうあの、テレビで見たみたいにお口とお口で  
ちゅーちゅーして結婚して、子供がじゃんじゃん出来て、それである日突然、朝に出かけて  
いったと思ったらもうぷっつり帰ってこないの。わたしとコンルだけこのおうちに残されて。  
わたしは結局、ねえさまも探し出せないで、この世界でまたひとりに――  
「リムルル、行って来るよ」  
 わわっ?!にいさまが目の前にしゃがんでる!!気づかなかった・・・・・・。  
起きてたのバレてないよね?  
・・・・・・ないよね?ふぅ。よし、大丈夫だったみたい。寝たふり、寝たふり・・・・・・。  
「リムルルその・・・・・・俺、今日も頑張るわ。リムルルとずっと一緒にいたいからな。全然、  
お前の事考えてればな?レラさんの修行なんて屁みたい・・・・・・もちろんウソだけどな。はは。  
んじゃな。今日は手ぇ包丁で切るなよ。無理すんなよ」  
 ちゅっ。  
 にいさまのお口が私のほっぺに近づいて、軽く触れて。  
 玄関の方で靴の音がして、扉がばたんて閉まって、お部屋がしーんてまた静かになって。  
「#@*〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」  
 わたし、布団を頭の上まで被って、その中で意味の無い小さな悲鳴と一緒に、ごろん  
ごろんって、何度も転がっちゃった。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。  
 にいさま、一瞬でも変な事考えてごめんなさい。わたし、にいさまが大好きで、ずっと  
一緒だって、あんな風に約束したばかりなのにもう不安になっちゃって。わたしとにいさま  
の絆、そんな弱いものじゃないってわかってるのに。  
でもね、不安になっちゃうのもわかってね?だってレラねえさまはとっても素敵なんだ  
もん。そんなねえさまと二人っきりで修行してるんだもん、何かあるんじゃないかって、  
わたしだって焦っちゃうよ!  
 
だからわたし、レラねえさまみたいに、見つめられると何だかむずむずしてドキドキする  
ような顔できるように鏡の前で練習したり、もっとおっぱい大きくなれって、もっとお尻も  
大きくなれって、レラねえさまが教えてくれたみたいにもみもみって、お風呂でしてみたり  
してるんだよ?  
 だから、お風呂も・・・・・・一緒に入らないんだ。でもあの時はビックリしたよぉ。にいさま、  
わたしがお風呂誘われたとき「ヤだったらヤだの!」って言った途端、頭抱えて「オウノーっ」  
とか叫んで倒れちゃうんだもん。大げさだよ。  
 でもわたしだって、ホントはにいさまとのお風呂は楽しいから一緒に入りたい。だけど  
お胸を自分でもみもみってしてるトコとか見られたら恥ずかしいし、いやらしい女の子だと  
思われて嫌われちゃう。お股の毛も全然増えないし、おっぱいもなかなか大きくならない  
こんな身体見られるの、どうして前は平気だったのか分からないぐらい今は恥ずかしいの。  
それに、なんかにいさまの裸も見ちゃいけないような気がして・・・・・・おちんちんとか恥ずか  
しいよ!見てるとどきどきするんだもん、変になっちゃうんだもん。  
 にいさまはにいさまだけど、男なんだもん。  
男の人と裸で一緒にいたら・・・・・・いけないんだもん。そんなの、いやらしいもん。コタンに  
だってそんな女の人、いなかったもん。  
 そんな事したら、わたし・・・・・・わたし・・・・・・きっと・・・・・・  
 
 
 
はっ  
   
と、とにかく!わたし、レラねえさまには負けない!にいさまがずーっと毎日ほっぺたに  
大好きってしてくれるように頑張るんだ!お料理も最近は上手になってきたし、にいさまの  
身体をほぐすのも慣れてきたよ。お買い物も、近くのお店なら一人でも大丈夫!ほーらわたし、  
レラねえさまに全然負けてないよ!  
あとはこれから大きくなって、ねえさまみたいに綺麗になればいいんだ!おっぱいもぼーんて!  
おしりもぼーんて!  
それでわたしが「うふ〜ん」てしたらにいさま「俺はリムルルが好きだー!愛してる!!」  
って言い出して、そしたらわたしも「わたしもよにいさ・・・・・・コウタ〜」とか言って、それで  
お口とお口でちゅーってして、子供がじゃんじゃかじゃんじゃんできて、みんなで楽しく暮ら  
 
・・・・・・あれ?  
 
わたし、何言ってるの?  
にいさまとわたし、お口でちゅーってするの?にいさまの子供、じゃんじゃかできるの?  
じゃあわたし、にいさまと・・・・・・けっこん、するの?結婚?結婚?けっこんー?  
 
 
 
コウタの家での生活 七日目・日暮れ  
 
 気が付けば早いもので、もう七日も経ってしまった。  
 コウタは毎日、私の修行に音を上げずに着いて来る。正直、武術の経験が何も無い現代の  
男がここまで頑張れるとは思っても見なかった。最初から全力でやって正解だったようね。  
打てば響くとはいかないけれど、どんな無理な要求にもいつかこの男は必ず応える、そう  
思わせるやる気の塊みたいなものが、コウタの真ん中で輝いている。気持ちが身体を突き  
動かして、その人間が持つ力を最大限に発揮させるいいお手本だわ。  
 正直、リムルルが妬けちゃうわね。コウタのリムルルを思う心がどんなに強いかと思うと。  
 ここに来て初日の朝・・・・・・三日前の事。思い出すだけで笑っちゃうわ。何をしていたの  
かしらね、私は。コウタに肌を見せて、一体何をしようとしたのかしら?  
私は女と生まれて、その女を半ば放棄して生きてきた。それが大自然の戦士だと思って  
きた。その女を妹との間だけで分かち合った。この身体で男を抱きとめた事は無い。ナコ  
ルルと一緒で身体も心も、どんな男にも許さぬまま、愛されぬままに生きてきた。  
 その穢れの無い年頃の身体を、私は男の前に晒して、誘惑した。  
もしもあの時コウタが私の質問に呼応して・・・・・・そういう男だったとして、私の身体に後  
から手を這わせ、慰めようと抱きしめてくれたのだとしたら、私は身体を赦したのだろうか。  
妹の目の前で妹の愛する男を寝取ったのだろうか。戦士を捨て本当の女になれた悦びと、  
妹とコウタを引き裂いた背徳とを胸に、自らの命をチチウシで絶っただろうか。  
 ・・・・・・ちょっと馬鹿な想像が過ぎたかしらね。  
あの夜、女としての悦びをリムルルと一緒に風呂場で花開かせ、その幸せを確かに掴んで、  
私はもう死ぬ準備は出来た。そう確かに感じた。そのはずだった。  
 でも次の日の朝私が取った行動は、自分の持つ女を男に見せつけるような行為だった。  
 
 あの時、私の心には「ほころび」が有ったのだと今でははっきり実感しているの。  
 前日には戦って死ぬ事に何の疑問も抱かなかったのに、あの時の私は、男と共に生きる  
事を、自分だけを愛してくれる男との暮らしを、自分が思う女としての本当の幸せを夢想  
していたの。コウタが「そういう男」で無いと判って、自分の女を試すような事をしたの。  
 ・・・・・・戦士としての宿命を逃れるのと何も違わないような事を考えて、あんな愚行を。  
 正直、馬鹿だったわ。それは自分の信念を傷付け、コウタとリムルルに災いさえもたらす  
ような事だった。リムルルとの行為がもたらした昂ぶりと――事実、あの晩は二人が寝静  
まっている中、個室になった厠で声を押し殺し、リムルルの感触をを思い出しながら自分を  
二度三度と慰めた――二人の幸せに向けたちょっとした嫉妬があったとは言え、余りに愚か  
で自分の中から消してしまうべき・・・・・・今までには持ち得ない感情だった。  
 そう、あれは一時の気の迷いだったのよ。  
そんなほころびも今ではきれいさっぱり縫い直して、こうしてシクルゥと一緒に野山を  
駆け抜けては自然に仇なすものを斬り捨て、こらしめ、そしてあの輩の影を追っている。  
戦士としての私を、ちゃんと取り戻しているわ。愛しい家族と大自然を守るために。  
 日に日に増してゆく体のキレと、冴え渡るチチウシの感触を味わいながら戦っている  
間だけは、あの迷いの事は忘れていられるから。  
 でも家に帰ってコウタにじゃれつくリムルルを見れば、迷いがしつこく縫い目から顔を  
出すこともあるわ。  
 分からない。  
 たった一瞬の血迷った気持ちが、どうしてこんなにも忘れられないのかしら。  
 本当の幸せとかそんな物、戦士の自分には訪れないなんて、幾らでも分かっているのにね。  
 リムルルが望むようにナコルルが蘇れば、あの娘の魂に戻るために、思念体の私は消える  
のにね。こんな事、リムルルには言えないけどね。言ったらそれこそ大変だから。  
 
・・・・・・街は多くの人達で賑わっているわ。どうやら今日は祝日と言って、多くの人々が休み  
を取る日みたいね。赤と緑、それにきらびやかな金銀で飾られた街並みの中を、幸せ  
そうな家族や、腕を組んだ男女が歩いているわ。そういう時期なのよね、今は。  
「くりすます」と言うのよね、確か。愛する人に物を送るような儀式も多少あるのよね。  
コウタも最近はマキリの使い方が上達した。あれなら「くりすます」の日にマキリの鞘を  
リムルルに送るのも間に合うかもしれないわ。そのリムルルも何か最近、縫い物を始めた  
みたいね。相変わらず上手、脱帽よ。あの子が作っているのも、多分・・・・・・ふふ、まあいいわ。  
 ああ、何だか空気全体が華やいでいる。  
少し浮かれ気味なこの感じ、決して嫌いじゃないわ。確かに自然は今も苦しみの声を上げ、  
癒されない木々がどこかで泣いているのだけど、何だか今だけは、身勝手な人間の、つかの  
間の幸せのために耐えて欲しい・・・・・・そう思ってしまうわね。大自然の戦士である私さえね。  
 
・・・・・・今日もリムルルを苦しめた奴の影は見付けられなかった。  
一体全体、本当に何者なのかしらね。大自然を苦しめるでもない、こんなに人の集まる  
時期の都に出て、人を食い荒らす魔の者でもない・・・・・・。私の不在にあの二人を狙っている  
様子も無い。  
 それにもう一つ、ここに来てちょっとおかしな事に気付いたの。シクルゥも言っている  
のだけれど、自然を癒すナコルルの力が何処かに流れ出ている感じがするわ。まだ細かい  
所は分からないけれど・・・・・・何か、そんな感じがしてならない。  
あの娘がどんなに弱っているにしても、どんなに自然を苦しめる人間がいるにしても、  
癒されずに痩せ細った木々が多すぎる。辺りの環境に何の問題も無い、恵まれた山中に  
生きる木々でさえ、突然苦しみに喘いでいたりする。この世界全体の大自然から、生きる  
力が失われている・・・・・・そういう感じかしらね。  
 その話と、リムルルを狙った輩とが繋がっている証拠は何処にも無いわ。でも不可解な  
事には裏で結構繋がりがあるものよね。どちらにせよ早く問題を解決しないといけない。  
もう二度と、幸せな「くりすます」を迎える事は出来ないかもしれないのだから。  
 
さあ、家が近づいてきたわ。  
 

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