「んっ、ん……コウ……タぁ」 
レラさんは激しく俺の上にのしかかり、熱い唇を重ねたまま、傷だらけの身体を激しく摺り 
寄せてくる。その状態のまま、俺の羽織ったジャケットのジッパーを右手で探り当てて無造作に 
下ろすと、細い指をトレーナーの中に下から滑り込ませてきた。 
長い間冷気に浸されていたのだろう、冷え切った細い鉄棒のような指が、俺の胸をまさぐる。 
冷たい。 
「んっ……ん」 
押し付けあった唇の間から、どちらの声ともつかない押し殺した声が漏れる。右手はなおも 
俺の服と肌の間を動く。かじかんでいるのかどうか、無遠慮に押し入ったその手は小刻みに 
震え、俺の身体よりもただ温もりを探ろうとしているかのようで―― 
「レラ、さっ……んぐッ」 
言葉は許されない。誰もあなたの話なんて聞いてない。ただその身を委ねなさい。 
有無を言わさないレラさんの口付けは、うめきの中にそんなメッセージを込めているようだった。 
ただ溺れればいい。使命も何も無い――あるとするなら、私とこうして一夜を明かすこと。 
呆然としていた俺の口の中に、半ばねじ込まれるようにして差し込まれたレラさんの舌に感じた 
かすかな血の味は、俺にそんな痛切な言葉を投げかけているようで―― 
「んぐっ、ちゅるっ……」 
情熱的な、必要以上に貪るようなキスだった。 
でも、そんな刹那的な行為に没頭しようとしているレラさんの唇も、悲しい使命に翻弄される 
血の味を教えてくれた舌も、全く別なものを求めて震えているようにしか感じられなかった。 
「言葉はいらない」と言うのは嘘で、喉から飛び出しかけている何かを、レラさんは俺の唇を 
ふたにして無理やり押し止めているようにしか―― 
「んはっ、はー」 
夜が終わってしまうかのような、長い、長い口付けだった。レラさんはようやくため息と共に 
唇を離し、俺の上に馬乗りになった。一組の唇が重なっていたのを示す唾液が、つうっと闇に 
輝き、ぷつっと切れ落ち……そのまま、同じ光景を見ていたレラさんとかちりと目が合った。 
レラさんは瞳には真実が宿ると言った。 
見つめれば、それが俺のような特別な人間で無くとも、手に取るようにその内面が見えるのだと 
教えてくれた。 
俺の瞳の奥に入り込もうとしているのか、それとも、俺に伝えるべき真実をひたすら放ち 
続けているのか、レラさんは放心したような寂しげな無表情のままだ。切れ長の目の奥を 
真夜中の水面に映る月のように揺らせたまま、俺の腰の上から動こうとしない。 
俺はひととき、リムルルのことを忘れた。目の前にいる女性に、全霊を傾けた。 
冷たい風が吹き込む。色彩を抜かれたオーロラのようなカーテンがなびき、置き去りにされ 
かけた部屋に時の流れを与える。 
金縛りのごとく、互いに動くことが出来ない状態が続く。またカーテンが風を受ける。 
そういえばレラさんはマフラーを失っていた。そしてまた、弱い風。 
 
そんな中、先に視線をそらしたのはレラさんだった。ふと、見てはいけない何かに気づいて 
我に返ったかと思うと、悔しそうに涙を千切らせながらぐるっと横を向いた。俺から顔を 
背けたという方が正しかったのかもしれない。 
でも、それは、ごくごく自然な事なんだと俺は思った。 
レラさんの言葉を借りるなら、真実が互いに通じ合ったからこそ、そうなった気がした。 
違和感に満ちていた冷たい指先も、封じ込めるような唇も、滑る舌に感じた血の味も。 
全部真実だったのだ。すべては、レラさんの言うとおりになった。 
 
俺はレラさんの瞳の奥に、真実を見た。見えたのだ。 
 
それでもなお、レラさんは偽る。 
「コウタぁ……ねえ、触ってよ」 
涙声だった。レラさんは精一杯の作り笑いで俺の手を取り、自らの胸元へと導こうとしていた。 
痛々しい引っかいたような傷が幾筋も走る胸。その傷を癒すことのできる医者の手とでも 
勘違いしているかのように、レラさんは掴んだ手首を離そうとしない。 
ようやく見つけた医者。「本当の私」を癒してくれる薬を持っている人。それが俺なのだと。 
でも、レラさんは知っているはずだった。それはまやかしだということを。 
癒しが必要なのは確かだ。だがもし俺が触れてしまえば、レラさんの傷ついた胸からは血が 
あふれ出し、破裂して完全に壊れてしまう。二度とは元に戻らない――レラさんはそれさえも 
自覚しているはずだった。 
俺は、胸元に引き寄せられた手を、すんでのところでレラさんの手から引っ込めた。 
「ちょ、ちょっとコウタ」レラさんは一瞬驚いて、俺の胸を冗談ぽく叩いた。「ねえ、さっき 
聞いてなかったの?私、話をしたわよね?私というものが、何なのか」 
言い終える前に再び俺の腕を取ろうとしたレラさんの手を、俺はぱっと払った。 
これ以上、レラさんと一緒にはいられないと感じた。 
「行かなきゃ、俺」 
「行くって、どこへよ」手を払われたレラさんは、信じられないとでも言いたげに顔をこわ 
ばらせていた。「あなた……あなた、もしかして私の話を全然聞いてなかったの?」 
「ありえないんで」 
「何がありえないっていうのよ」 
説明するまでもないと俺は感じた。一番分かっているのはレラさん本人だと確信していた。 
その証拠に、レラさんは感情的になり始めている。だから一言そっけなく、 
「……全部です。全部ありえないです」 
俺はぐるりと身体を捻り、脚を引っ込めて立ち上がった。呆気に取られた顔のまま、レラさんが 
俺の上から横に傾き落ち、どたりと畳に両手を突いた。 
「あなた、往生際が悪いわ」 
俺がリムルルのマキリを拾い上げると、背中からレラさんが侮蔑するような口調で言った。 
「もう手遅れ。何をするつもりか知らないけど……理解できてないみたいだから簡単に言うわよ。 
私もあなたも死ぬ、いいえ、この世が終わってしまうの。魔界の門が開くわ」 
俺はハハクルに結わかれていたリボンを解くと、右の手の平を一周させて手首に結わいた。 
その上から、ぎゅっとハハクルを握り締める。木製のグリップに残る小さな凹凸は、リムルルの 
手指の形だ。使い込まれた証。リムルルの名残だ。 
「言っておくけどあなた、その腕前じゃサケの1匹も仕留められやしない。闘おうにも無様に 
殺されるだけよ。そもそもまだ何も起きていないのに、前兆さえ感じられないのに……あなた、 
どうするつもりよ?」 
「わかりません」 
「だったらいいじゃない」ほら見たことかと、レラさんは背後でせせら笑った。「どうせ 
死ぬのよ、私の本懐を遂げさせるつもりは無い?あなただって男なんだから、まんざらでも 
ない提案でしょ?覚えてるわ。あなた、この前の朝、私の着替えを覗いていたじゃない。 
私を……そういう目でみていたじゃないの!」 
俺は自分のバッグの中から、レラさんから譲り受けたマキリを探し当て、腰のベルトの間に 
差し込んだ。次いで、この日のために作った、リムルルへ送るはずだった鞘を取り出した。 
目の高さで左右に回すと、そいつはいびつなでこぼこ模様を暗闇の中で際立たせて「お前が 
彫ったのだ、この下手くそ」と生意気に自己主張した。 
「ねえコウタ……!そんな物もう役に立たないわ。こっちを向いてよ」 
レラさんの声には、やるせないものを感じずにはいられなかった。 
「守るものなんて、もう何も無いのよ!あの子は帰ってこないわ!だから――」 
「そんなことないと思います」 
俺は自分で喋っている心地がしなかった。この期に及んで、ばかに落ち着いていた。 
「レラさんは守るべきもの、しっかり守ってました。俺……ちゃんと見えたんですよ」 
俺は後ろを振り返ってしゃがんだ。レラさんは座り込んだまま、俺の顔を不安にまみれた表情で 
一瞥し、すぐにまた顔をそむけた。すねた子供のようだった。 
「すごく、苦しい事があったんでしょうけど……その」 
言葉が詰まった。少しだけど、勇気がいった。 
「レラさんが必要としているのは俺じゃないと思います。やけになっちゃだめだと思うんです」 
両手にそれぞれ携えていた、ハハクルと不格好なしつらえの鞘を、俺はレラさんの前でゆっくりと 
ひとつにしてみせた。内部はなめらかで一度の手ごたえも無く、しかも、はまったメノコマキリが 
抜ける気配は無かった。 
どうしてか、不意に胸の奥が熱くなる。 
「ぴったりですね」 
俺は笑ったが、レラさんは横を向いて頭を垂れたまま、何も言おうとはしなかった。 
その反応は、逆に俺を安心させた。全てが狂い始めているかに感じられた世界の中で、強情で 
素直でない「俺の知っているレラさん」は、ちゃんと生きていたのだ。 
「レラさん、元気出してくださいよ?」 
俺はレラさんの足元に、隅っこに追いやられていた宝刀チチウシをそっと置いた。そして、 
闇に巣食う黒い手の群れを蹴散らしながら玄関に走った。 
「すぐ戻りますから。部屋、暖めて置いてください」 
玄関の扉を閉める直前、俺はカーテンのはためく部屋に向けて言った。 
「料理、期待してますから。あとその箱……ケーキ、冷蔵庫にお願いします」 
 
俺は静かな夜の世界に再び戻った。アパートの階段を下る。 
飲み会の帰り道では全く感じなかった冬の冷たさが、今になって妙にしみる。 
 
レラさんは、怯えきっていた。 
 
馬乗りになったレラさんと見詰め合ったとき、俺はそれだけを感じた。 
その怯えは、レラさんが言った、世界に迫りくる「死」と「魔界」に対するものではない。 
それは目の前の男……他ならぬ俺へと向けられた純粋な怯えだった。 
出会ってからの短いとは言え濃密だった時間の中で、さっきのレラさんは一度も見たことの 
無い顔をしていた。 
あの時のレラさんにとって、お互いの体勢は真逆だったのだ。 
抗う術を持たない少女――レラさん――は屈強な男に馬乗りにされ、頬を引っぱたかれ、 
服を引き千切られ、腕を押さえつけられ、もはや貞操を奪われるのは免れることは出来ない、 
悲鳴さえ上げられない……そんな絶望が見えた。 
「助けて!助けて!!」瞳の中のレラさんは闇の中でよろめき、声にならない声で泣き叫んでいた。 
「私は命をかけて助けようとしていた物を奪われ、戦士としての誇りを穢され――その上、 
清らかに保ってきた肉体さえも捨てようとしている!」 
「私は私であってそうでない、本当はこんな事したくない、お願いだから――」 
「助けて……たすけて!!」 
そして誰かの名を必死に叫んでいた。 
俺には聞こえなかったが、どこかで耳にした事のある男の名だったように感じられた。 
そんな女性を、どうして抱くことができる? 
「ありえない。そんなことは」 
俺は右手にリムルルのマキリを納めた鞘をぎゅっと握り締め、もと来た道を無茶苦茶に駆けた。 
外はいつの間にか、静かな雪が降り始めていた。 
「コンル、どこにいる?あの日はヒョウだったけど、今日は雪なのかい?やけに優しげ 
じゃないの……疲れたのかな?」 
――まさか、どこかでやられちゃったなんてこと―― 
「ありえないって、そんなのは」 
俺は次から次へと勝手に口を突いて出そうになるバカな考えを押し止めた。そして走った。 
どこに向かうでもなく、少しずつ白く飾り付けられ始めた裏道を、シクルゥの背を思わせる 
銀色の道を―― 
「おーい、シクルゥっ、どこに隠れてる?ハァハァ、頼むから乗せてってよ、ちょっと……俺、 
酔っ払っちゃっててさ」 
――もう隠れて、二度と出てこないなんてこと―― 
「ありえない……たはーッ!」 
にらめっこに負けたような勢いで、俺は雪が舞う空に向かって大声で噴出した。 
「ありえない事が多すぎるッ!」 
笑いながら走る。通り過ぎた車に乗っていた人が、こちらを見ていた。 
角を曲がりながら、今になって思う。そう、あの日、氷が降ってきたんだ。もうここからして 
ヤバい。初めっからでたらめみたいなもんだ。そっから女の子が出てくるなんて、俺は性欲が 
溜まってたんじゃないか。結構恥ずかしい。変な敵にもあった。命が奪われそうな局面も 
二・三度味わった。海には落ちるし地面は裂けるし狼には顔舐められるし、散々だ。ありえない。 
 
「ありえないなァ……アッハハハ!ホントにありえないっ!」 
 
――そう、ありえない!ありえないんだ。 
考えてもみろ、過去からどうして人が来る?どうしてその娘が俺を慕う?俺は何であの娘に 
親切をした?姉探しなんてワケの分からない理由で怪我の手当てまでして、あの娘を守るため 
だのと、剣術まで習って、喜ぶ顔が見たいからって、図工の成績2の俺が短刀使って剣の鞘なんて 
彫り始めて、嬉しそうな顔まで想像して…… 
その先だって……これからもずっと一緒なんだろうって、こんな現実とは違う世界に片足 
突っ込んだまま、異常な状態を引きずったまま、異常なことに執着して、ありえないことに 
一喜一憂して、ありえないものに絶望するまで打ちのめされて……本当にありえない。 
 
ありえない。ありえない、でも―― 
 
そのありえないがくれた、抱えきれないぐらいのこの幸せといとしい気持ちが、 
ありえないはずの君の顔を思い出すたびに溢れかえって止まらないこの涙が、 
 
全部本当に「ありえない事」だったとしたら、どんなにありえないだろう。 
 
「う……うぅ……リムルルぅ……! っあ?!」 
俺は自分で自分の足を引っかけて、転んだ。 
雪で冷え始めた道は、これまたあり得ないぐらいに硬く、叩きつけられた俺の身体に何の 
気配りもせず、そのまま鈍い痛みをくれた。 
いつから我慢していたのか、自分でも覚えていない。レラさんの事で気を遣っている余裕 
なんて、本当は無かったんだ。 
 
「リムルル、リムルル、リ……リムルルうううううう!! うああああああ!!」 
 
俺は起きられないまま、とんでもない大声を張り上げて泣いていた。 
 
 

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