「あははっ!にいさま、もっともっと!」  
「ん〜、それ!よいしょ!」  
「わーっ!速いよぉー!!」  
夕暮れ時の帰り道。もう子供の姿も見えない公園で、俺たちは  
ブランコ遊びに興じていた。最初は不安そうにぎゅっとチェーンを  
握っていたリムルルだったが、今ではそんな表情をみじんも見せず、  
はしゃぎながら脚を振っては勢いをつけている。俺もかなりの力で  
押しているから、リムルルは宙に投げ出されそうだ。  
「うわーっ!高い高い!ひゃー!!あははは!!」  
「危ないぞ。そんくらいにしとけよ・・・っと!」  
「すごい!すごいすごーい!!」  
ブランコは確かに楽しい遊びではあるが、そこまでハマらなくても・・・  
と思うほど、リムルルは心底この遊具が気に入ったらしい。  
気がすむまでびゅんびゅんと往復運動を繰り返した後、やっとの  
ことでリムルルはさも楽しそうな表情でブランコから降りてきた。  
「ふぅー・・・これ、すっごく楽しいよ?」  
「そうか、まあそうだろうな」  
「ねえねえ、今度はにいさま乗ってごらんよ、押してあげるー」  
「おいおい、俺はもう小さい頃十分に乗ったよ!いいっていいって」  
「ほらほらぁ!ね、乗ってごらんよぉ」  
「ほぉう、こんな所で乳繰り合いかい?余裕だねェ・・・  
巫女さんとやらが聞いて呆れるじゃねぇか、あぁ?」  
品の無いぶっきら棒な声が、じゃれあう俺たちの会話に割り込んできた  
振り向いたそこには、見るからに妖しい粗末な黒い服を着た、  
やけに血色の悪い、紫色の肌を持つ男がしゃがみ込んでいた。  
「あなた・・・誰?」  
何か尋常でないものを感じ取ったリムルルがブランコから離れ、  
後ずさりする。すると男は、手を突いてその場にぶらりと立った。  
「あぁ〜?ガキが・・・俺のこと覚えてねぇってかぁ・・・うん?」  
根元でまとめてはいるが、地面に届きそうなほどにぼさぼさに  
伸びた髪をなびかせ、かったるそうに俺たちのほうへと近づいてくる。  
その顔はいたって面倒くさそうで、目は閉じられたままだ。  
 
「これで思い出すんじゃねぇか・・・あ?おい、ガキゃ」  
男は、ゆらりと右手を掲げた。すると、部屋の照明を落とすかの  
ようにオレンジ色の空が急に暗くなり、足元をじめっとした紫色の  
霧が漂い始めた。あたりには、ひと一人見当たらなくなっている。  
「う・・・」  
「! こ、これ・・・!この前の!」  
「何だか知らねぇけどなァ、あの野郎、殺りあうなら隠れて  
やれっつーんだよ。まァこの空気の方が俺も肌に合う・・・。  
どうだいお二人さん、死地へようこそ、ってかァ?ヘッヘッへ。  
羅刹丸様が、あの世へご案内だぜぇ・・・」  
辺りの風景こそ同じだが、どうやらここは隔離された別の空間らしい。  
慌てふためく俺たちを見て、羅刹丸と名乗る男が口元を吊り上げる。  
「へへ・・・思い出したかぁ?そうよ、4日だか9日だか前かぁ・・・?  
そんときゃコイツが危うくぶっ壊されるとこだったらしいじゃねェか」  
ぼうっと羅刹丸の手が紫色の霧に包まれたかと思うと、赤黒く変色した刀の  
姿が浮かび上がった。ガチャリ。節くれだった指が、しっかりと柄を握る。  
「やっぱりあの時の!?」  
ニヤリと寒気がするような笑みを浮かべ、羅刹丸はついにその眼を開いた。  
血の色。そうとしか形容できないどす黒い朱色に染まった眼が、  
リムルルを釘付けにする。  
「ハハ・・・殺してぇ・・・久しぶりにこっちに呼ばれて来てみたらよぉ、  
男も女もみーんな腑抜けみてーで殺す価値もねぇと思ったら、テメーだ。  
いい感じじゃねぇか・・・どんな声聞かせてくれるんだぁ・・・あ?」  
リムルルをみつめる、羅刹丸の魔性の瞳がぎょろりと動き、  
口元にあてがわれた刀を、舌でべろりと舐めた。  
「う・・・最低・・・」  
口を押さえ、リムルルはさらに一歩後ろへとその身を退く。  
「たまんねぇ・・・こいつも血がたらねーってよォ、早く斬りてぇ  
殺してぇってよぉ・・・哭いてんだよ・・・わかるよなぁ?ん?ガキぃ」  
「そんなこと知らない!この前のウェンカムイの仲間ね?  
絶対に負けないんだから」  
 
「くっくく・・・見えるぜェ・・・テメーの生きのいい心臓が、  
体中に血ィ運んでるのがな・・・スゲェぜ・・・もっとよく見てェ・・・」  
刀を肩に担ぎ、ふらりふらりとこちらににじり寄ってきた羅刹丸の足が  
止まり、唇を震わせた。  
「血ィ・・・しんぞ・・・っおォ・・・・・・コ、こぉおッこオォオオ」  
震えは全身におよび、ガチャガチャガチャと忌まわしい音を  
立てて鳴る妖刀を、羅刹丸はおもむろに自らの胸に押し当て、  
「殺すゥ!!!!!!」  
大声で叫ぶと、刀をざっくりとその胸の上に滑らせた。  
ブシャアァァァァッ!  
「ヒィ――――――――――――ッ!グアハハハァ!!」  
一文字に切り裂かれた厚い胸板から、どす黒い血が派手にほとばしった。  
ビシャリと音を立て、地面が空と同じ色の絵の具で染められてゆく。  
「やだ・・・!ちょ、ちょっと!」  
「うげぇ」  
あまりの血しぶきに、俺たちは返り血を浴びない距離まであとずさった。  
これから闘うべき相手が、突然自傷に走る意味がわからない。  
リムルルは困惑した表情で、むしろ男を心配しているようにも見える。  
俺にいたっては、こみ上げる激しい吐き気を抑えるので精一杯だ。  
「グヒヒヒヒアヒアハハハハハ・・・!ヒィ・・・血ィィ!!」  
恍惚の表情で、上体を反らせ天を仰いでいた羅刹丸の口から  
満足げな声が聞こえると、何と傷口がずくずくと塞がっていった。  
服と地面を汚した血が無ければ、さっきまでの惨状を物語るものは  
何一つとして残っていない。  
「うそ・・・!」  
信じられない光景に、リムルルは驚きの声を漏らす。  
「ハァ・・・ハァ・・・殺す・・・・・・ガキぃ・・・しんぞう・・・」  
ぶらりと両腕を下ろした羅刹丸の眼がギラリと光り、  
「心臓オォォ!!」  
脳を揺さぶる雄叫びとともに、リムルルめがけて大振りの一撃を放った。  
「ひゃあ・・・ッ!」  
 
刀を振るう男の身に起きた、普通ではない現象にあっけにとられていた  
リムルルが、ギリギリのタイミングでその場に伏せた。  
「んんん・・・じゅる・・・ヘェヘェヘェ!やっぱ美味ェ!」  
汚い音を立てて、羅刹丸は妖刀の切っ先をしゃぶった。  
見れば、リムルルの頬を真っ赤な血が伝っている。  
「ぅ・・・油断したぁ」  
低い姿勢からタッと地を蹴り、リムルルは間合いを広げ  
リュックの中からハハクルを取り出した。  
「おいおいおい・・・慌てなくていいんだぜェ?殺し甲斐の  
ねェことしたって、仕方ねェからなぁ?あン?」  
リムルルが急いで腰に刀を結わくその姿を見ると、羅刹丸は  
トーントーンと、刀の峰で肩を叩きながら嘲笑している。  
「く・・・にいさま、下がってて!」  
俺は言われたとおり後ろに下がり、二人の間から十分に距離をとった。  
「そうそう、雑魚は失せろっての」  
そう言うと羅刹丸は、今度は俺に向かってしっしっと手を振った。  
いちいち腹が立つことを言うやつだが、まさか刃向かうことも出来ない  
「にいさまは関係ない!それよりらせつまる、だっけ?一つ教えて。  
あなたを呼び寄せたのは・・・わたしの命を狙ってるのは誰?」  
闘いの準備を終えたリムルルが問いかけた。  
「そんな事聞かれて教えるわきゃねェだろが、ボケクソガキ」  
耳の穴をほじりながら、面倒くさそうに羅刹丸は返事をした。  
「さっきからガキガキってうるさいよ!」  
「ようやく殺れんのか・・・ぶっ潰してやらァ!」  
二人の声がぶつかり合い、ついに闘いは始まった。  
「ったぁ!」  
リムルルがじゃりっと地面を踏みしめ、ぱっと相手めがけて突進した。  
「ヘェヘェ・・・そうだ、近づいて来い・・・うおりゃ!」  
右腕一本で握った妖刀を、羅刹丸はブンと思い切り袈裟懸けに振り抜く。  
 
リムルルはそのリーチぎりぎりのところで急に向きを変え、  
羅刹丸の正面からふっと右側に回りこむと、  
「てりゃ!」  
小さな身体を思い切り伸ばし、無防備になった男の右わき腹に  
立ち蹴りを食らわせる。ぼくっ、と曇った音がした。  
「ちィ」  
だが羅刹丸は、クリーンヒットにもかかわらずたじろぐこともない。  
振りぬいた右腕を、そのまま勢いよくリムルルの方へと振り戻した。  
とっさにハハクルを抜いたリムルルであったが、  
「くぅぅっ!?」  
ギィィンという強烈な金属音と共に、空中へと弾き飛ばされた。  
そのまま宙で受け身を取り、くるりと男に向き直るが、とんでもない力である。  
「う・・・腕一本で・・・?」  
攻撃を正面から受けてしまったこともあり、手が痺れる。  
震える手でハハクルをしまい、素手で再び構えなおすと  
ぐっとその場にしゃがみ込んだ。  
「あぁ〜ン、どうしたァ・・・もうおわ」  
「たっ!」  
これ見よがしに羅刹丸はリムルルを挑発したが、その言葉が終わる前に  
リムルル軽快な掛け声を発すると、強靭なばねを生かして跳びあがり  
今度は頭上からの攻撃を試みた。  
「そりゃぁ!」  
俺がリムルルに食らったあのジャンプキックが、見事なまでに  
羅刹丸の顔に突き刺さる。小さな少女に秘められた運動能力を、  
男は完全に見くびっていたようだ。足がめり込みぐしゃりと  
形を変えた顔に、驚きの表情が浮かぶ。  
「うぐぇ・・・」  
小さなうめきをあげ、ぼさぼさの頭がぐらりと揺れた。くるりと  
弧を描いて地面に着地したリムルルは間髪入れず、チャンスと  
ばかりに無防備となった羅刹丸の腹に、左右の掌底をどかどか放つ。  
「ぐぉぐぉおう」  
屈強な男であっても、脳が揺さぶられれば何もできない。  
 
防御も取れぬまま、羅刹丸はリムルルの連携を受けてしまった。  
「それ!」  
流れるような一連の攻撃の最後は、気合の入ったタックルだ。  
「ぐお・・・おうぉ!」  
棒立ち状態の羅刹丸は、リムルルの一撃をもろに腹へ受けると、  
大砲の弾を腹に抱えこむように吹き飛び、ぐしゃりと頭から地面に落ちた。  
「止めだ!」  
再びリムルルが宙を舞い、両手で握ったハハクルを一気に男の胸へ  
突き立てようとしたその時。  
「ガキぃぃ!」  
うつ伏せにぐたりと倒れていた羅刹丸が、怒声とともに仰向けになり、  
振り向く勢いにまかせその得物で空を切り裂いたのだ。  
絶対に攻め落とせるはずだった敵の、思いもよらぬ一撃。  
追い撃ちを決める体制だったリムルルの防御が間に合うはずも無い。  
さっきよりも勢いを増した羅刹丸の力任せの斬撃に、ハハクルは  
おろか小さな身体も文字通り吹き飛ばされた。今度は受身さえ取れず、  
リムルルは地面を転がり背中から樹木に激突した。  
「うぅ・・・痛ぁ・・・」  
背中を走る鈍痛に耐えられず、リムルルはその場に突っ伏すことしかできない。  
見れば、ジーンズの左太ももに血がにじみ、裂けている。  
ハハクルをなぎ払われた後、そのまま斬りつけられていたのだ。  
大した深さではないが、自らの流した血と体中を襲う痛みが、  
リムルルの心を蝕む。  
『あんなに思いっきり殴って蹴ったのに・・・』  
渾身の力を振り絞った攻撃が通じず。  
『あいつ、片腕一本でしか戦ってないのに・・・』  
長きに渡る修行で得た技術をたった一撃で打ち砕く、恐るべき男の腕力。  
ふと視線を向けると、羅刹丸はすでに立ち上がっていた。  
 
「クソガキぃ・・・生きがいいじゃねぇか・・・小突き回しやがってよォ」  
首をゴキゴキと鳴らし、何事もなかったのように服をはたいている。  
そしてその足元には、主を失ったハハクルが転がっていた。  
圧倒的な力の差を見せつける光景。だが、リムルルは必死で  
戦意という名の火を消さぬよう、歯を食いしばった。  
「ケッ・・・ハハハハ!何だオイ?もう終わりかよォ、えェ?巫女さんよォ」  
聞こえよがしに、羅刹丸は大声でリムルルを罵った。その足は  
一歩も間合いを詰めることはなかったが、その代わりに両手で  
妖刀を握りしめ、半分背中を向けて下から刀を振りかぶると、  
「そっちから来ねェんだな・・・ッりゃああァ!旋風ゥ破ァ!!」  
大声と共に、地面を掃くように妖刀を薙いだ。強烈な剣圧に  
穿たれた地面が、砂つぶてとなってリムルルを襲う。  
「きゃあああぁぁっ!あっ、痛っ、いたぁ!!」  
ばしばしと音を立てて、小石のムチがリムルルの全身を打ちのめした。  
「いいぞ・・・もっと泣けェ・・・うりゃあ、うりゃあ!」  
リムルルの悲鳴に歪んだ笑みを浮かべながら、男はさらに妖刀を振るった。  
「いたぃ・・・うあぁ!・・・やっ・・・うぅ〜っ・・・!!」  
顔には小さな切り傷が幾つもでき、服にもいたるところに破れが生じた。  
それは、決して致命傷を与えるための攻撃ではない。リムルルの  
命のともし火を消さずに、その悶え苦しむ姿を見る最高の方法なのだろう。  
男はさも楽しそうに赤黒く淀んだ目を細め、よだれをたらしながら、  
一方的な攻撃をねちねちと何度も加えると、やっと手を止めた。  
「おうおう・・・いい眺めじゃねぇか。我ながら化粧と着付けの才能には  
惚れ惚れするなァ。綺麗だぜェ・・・フッ・・・ヒィイアッハハハハ!!」  
愉快そうに笑う男の視線の先には、ぼろ雑巾のようになった  
リムルルが転がっていた。砂と傷だらけになった身体を丸め、  
ぴくりとも動かない。顔は血に染まり、虚ろな瞳が宙を泳ぐ。  
石と砂の拷問に、リムルルの戦意は既に地に落ちていた。  
男が、縮こまる少女に歩み寄る。  
 
「おーぃてめェ、見てんだろ?こいつは結局こんなモンよ?  
もう殺しちまっていいなァ、おい?!」  
リムルルの頭をこつこつと足でもてあそびながら、男はおもむろに  
空に向かって叫んだ。  
「フム・・・」  
林の中で聞いたあの忌々しい声が、暗い空から降りてくる。  
「少々買イカブリガ過ギタヨウダ。ソノ程度ノ攻メデクタバッテイル  
ヨウデハ、我ラノ贄トスルベクモナイ・・・ヨカロウ羅刹丸、殺セ」  
「へ・・・へ・・・ヒィヒヒヒヒヒヒ・・・殺すぜェ!!!」  
野に放たれた獣のごとく、羅刹丸はひときわ大きな雄叫びをあげると、  
背中を丸めたリムルルを思い切り蹴飛ばした。悲鳴を上げることもなしに、  
リムルルはただ地面を転がることしかできない。  
「おーおー、もう声も出ねェってか。さて、どっから・・・」  
羅刹丸は、カチャリとおぞましい刃をリムルルに突きつける。  
「やめろぉぉぉーっ!」  
たまらず俺は、横から男に体当たりした。すかさずハハクルの元に  
駆け寄り、拾い上げてでたらめに構える。  
「おぅ・・・あぁ〜?何だァ、俺の楽しみの邪魔すんのかァ?」  
「馬鹿野郎・・・うらあぁぁっ!」  
「雑魚は引っ込んでろっていってんだろォ!旋風ゥ裂斬!!」  
怒りに溢れる男の叫びと共に、空を切り裂く刃がぶわりと砂を巻き上げ、  
巨大な竜巻が俺に牙をむく。  
「・・・うっ?!うわぁぁーっ!?」  
男へと向かっていった俺は竜巻に呑まれると、勢い良く宙に投げ出され  
まっ逆さまに地面へと叩きつけられた。辛うじてハハクルを  
手放すことは無かったが、背中を強く打ち、呼吸も身動きも出来ない。  
「ぐぅ・・・」  
たったの一撃で、俺はその動きを完全に封じられた。  
口をぱくぱくさせる俺の元へ、男がにじり寄る。  
 
「ケッ、ざまァねェ!」  
「に・・・にぃさまぁ!ねぇ・・・にいさまは・・・関係ないよぉ・・・やめてぇ!」  
俺の身に降りかかるであろう危険を察したリムルルが、満身創痍の身体を  
引きずり懇願の声を上げる。だが、羅刹丸がその声に耳を傾けるはずも無い。  
俺の頭を踏みつけ、どす黒い輝きを増した妖刀を振りかぶる。  
「俺の邪魔する奴ァ誰だろうとなァ・・・」  
「いやあぁ!やめてっ、やめてぇぇ!!」  
男の冷たい声と、リムルルの痛切な叫びが交錯し、  
「死ぬんだよォォォッ!」  
「にいさまーーーーーーっ!!!」  
地に飢えた刃が、俺の首を抉ろうとした時だった。  
「うぬっ・・・ぐ・・・何ィ!?」  
高々と上げた男の右腕が白い霧に包まれ、その動きが止まった。  
そしてピキピキと音を立て、刀身から腕がガラスのような  
透明な結晶で包まれてゆく。  
「ぐ!つッ、冷てェー!!」  
白いと思ったのは強烈な冷気。そして結晶の正体は氷であった。  
あっという間に太い腕は凍りつき、男は右腕を上げたままたじろぐ。  
「ち、畜生・・・そいつの仕業か・・・このクソガキがァー!」  
怒り狂う男の視線の先、はいくつばるリムルルの頭上には、  
くるくると輝きながら回る、美しい氷の結晶があった。  
「こ・・・コンル・・・助けにきて・・・く・・・れたんだ・・・」  
闘いの最中だというのに、リムルルの顔に安堵が浮かぶ。  
手を差し伸べると、コンルはその上でやさしく揺れた。  
「コンル、お願い・・・にいさまを守ってぇ・・・!」  
消え入るようなリムルルの声が終わると、コンルは再びふわりと  
傷だらけの友人の上に舞い戻った。  
コンルは言葉を発することはないが、冴え渡る冷気を放つその姿は、  
威厳や神々しささえ感じさせる。あれほど傍若無人な態度をとっていた  
羅刹丸も、攻撃の手段を断たれ少し慌てているようにも見えたが、  
この男がそんな自分を認めるわけがなかった。  
 
「こ、この氷ヤローがぁ!握りつぶしてやらァア!!」  
まくし立て、しゃにむにコンルへと突進する羅刹丸。  
「ヨモヤ、こんるかむいノオ出マシトハ・・・!待テイ、羅刹丸!」  
男の姿に業を煮やしたか、天から制止の声がかかる。  
だが、羅刹丸の耳には、何も届いてはいなかった。  
「オルアァァァ!!」  
片腕を封じられたまま不自由そうにどたどたと突進し、  
空いた左手でコンルを掴もうとしたその時。  
カシャアァァァン。透明な破壊音が冷気漂う闇の世界にこだまし、  
男の右腕と妖刀が、キラキラと輝く破片へと変わった。  
「う・・・ぐぅおぁあぁアァアァア!?う、腕、うでぇ!ヒギィィィ!!」  
氷漬けの腕を粉砕された羅刹丸が、おぞましい悲鳴を上げのた打ち回る。  
「ぐおぉ!がァァ!じ、じぐじょ〜、ぐぅゥ、腕がァァ!!」  
「浅ハカナ・・・右腕ハオロカ、屠痢兜ヲモ失ウトハ!モウ良イ、戻レ」  
完全に呆れ返った口調の天の声が羅刹丸を包み込み、  
その姿を闇の中へと沈ませてゆく。  
「ガキぃ・・・それから雑魚ォ!ゆるっ許さねェ!!その心臓ォ抉るっまでェ、  
俺はッ・・・グゥ・・・俺はあァあ諦めんぞォォ・・・・・・」  
あれだけ派手な傷を負いながら、羅刹丸はその身を滅ぼすべくも無かった。  
怒りと憎悪を糧とする闇の者・・・その眼光は傷を負うことで  
一段と強くなり、闇へと消える間際までその光を放ち続けていた。  
騒々しい男がいなくなり、漆黒の世界に静寂が戻る。危うく命を  
落としかけた俺は、永らえた安堵感と隣り合う死の恐怖でしばらく  
動けなかった。  
「さま・・・にぃ・・・っさま・・・」  
しかし、俺を呼ぶ小さな声が心を呼び戻す。呼吸を整え、  
まだ痛む全身を奮い起こすと、倒れたままのリムルルに  
よろよろと駆け寄り、抱き抱えた。  
「リムルル・・・・・・ひでぇ!」  
「無事・・・だったんだね。よかった・・・」  
浅いながら、全身いたるところを切り裂かれたリムルルが  
傷だらけの顔で健気に笑いかけてくる。  
 
「ね・・・にいさま・・・コンルだよ、助けてくれたんだよ・・・」  
振り返ると、その氷の塊がふわふわと俺の周りを回っていた。  
「ありがとう。本当に、ありがとう」  
俺が触ると、つるりとした氷の感触だけが指を伝わってきた。  
「りむるる!益々面白イ!!」  
平穏を砕く、忌々しい声。  
「こんるかむいト意思を伝エ合イ、羅刹丸ノ右腕ヲモ奪ウトハ・・・見事!」  
味方がやられたというのに、どういうわけか声はリムルルに賛辞を送る。  
「一瞬タリトテ、オ前ヲ殺ソウトシタ非礼、ココデ詫ビテオコウ」  
その上、この前の傲慢な態度とはかけ離れた穏やかな口調で、  
耳を疑うような台詞さえ飛び出した。  
「おい・・・いい加減にしろよ!お前一体誰なんだよ!!」  
「りむるる、モット強クナレ・・・オ前の巫力、無限ノ可能性ガアル。  
なこるるオモ、超エルカモシレヌ」  
声の正体を暴こうとしたが、俺の言葉など耳に届かないらしい。  
この前と同じく、一方的な会話が続く。  
「ねえ、さま・・・くぅっ!」  
姉の名に反応したリムルルが、俺の腕の中で身をよじり喘いだ。  
「あわせ・・・てぇ、会わせて・・・!」  
血がにじむ小さな手を、渦巻く空に伸ばすリムルルだったが、  
その願いに応じる声が聞こえることは無かった。  
ずたぼろの俺達を置いたまま、風景だけが戻ってゆく。  
「ねえさまぁ・・・うっ・・・うぅ・・・」  
リムルルの頬を悔し涙が伝い、嗚咽だけが空しく消えていった。  
 
「よっこら・・・せっと」  
背負っていたリムルルを、布団に横たえる。  
あれから、動けなくなったリムルルを背負い何とか帰ってきた。  
俺のコートを着せていたが、脱がせると目を覆いたくなるほどの  
ぼろぼろ姿だ。パーカーは擦り切れ穴が開き、切り裂かれた左ももには  
ハンカチを巻いてはおいたが、それさえ赤い血で染まっている。  
今のリムルルは、まるで容赦の無い拷問を受けた後のようであった。  
「リムルル、服、脱がせるぞ」  
「ん・・・ごめんね、ありがと・・・」  
やさしく、ゆっくり服を脱がせた。コンルも心配そうに俺たちの周りを  
回っている。下着だけを残し布団に横たえた姿は、さらに痛々しかった。  
あざが数ヶ所、切り傷と擦り傷は数えるのも嫌なほどだ。全身を苦しめる  
痛みのせいだろう、リムルルの傷だらけの顔はやつれ、そこにいつもの  
ような明るさは無かった。  
「お薬で消毒するぞ。ちょっと、しみるからな」  
消毒液をしみこませた脱脂綿で、傷口を拭ってゆく。  
「うん・・・っつ!」  
「ごめんな、大丈夫か」  
「へ、平気ぃ・・・うっ」  
全身の傷を消毒し終わるまで、結構な時間がかかった。残り僅かと  
なった消毒液が、リムルルの傷の多さを物語っている。  
「終わったよ」  
「ありがとね・・・」  
ばんそうこうだらけになった顔で、リムルルは力なく笑った。  
左脚には包帯だ。細い身体を満身創痍にした少女に  
俺がしてやれることは、この程度のことだけだった。  
「リムルル、パジャマ着よう」  
抱き起こすと、リムルルは俺の胸に身を寄せてきた。  
「どうした?」  
「にいさま、ごめんね・・・」  
「何もあやまる必要はないよ。もういい、寝るんだ。早く治さないと」  
「へ・・・うん」  
 
俺はリムルルを半ば振りほどくようにして、無理矢理パジャマを  
着せていった。だが、どういうわけかリムルルは細く開いた目を  
俺の方にぼんやりと向けたままだ。  
「ん・・・何だ?」  
「にいさま、どうしたの・・・なんで、泣いてるの?」  
「えっ、いや・・・」  
か細いリムルルの言葉に、はっとなる。リムルルのパジャマに、  
涙の跡がひとつ、ふたつ。部屋の風景が、ぼうっと形を変えて  
揺らいでいる。  
「いや、なんでもねぇよ。ほら、寝ろ。俺風呂に入ってくるわ」  
慌てて涙を拭い、俺はリムルルに布団を被せるとその場を後にした。  
無造作にドアを閉め、ぎゅっとシャワーの栓を捻る。  
「く・・・畜生・・・ちくしょ・・・」  
俺はがっくりと膝をついた。頭の上から、騒々しい音を立てて熱い  
お湯が流れ落ちてくる。2度目の闘いは、あまりにも辛いものだった。  
あれ程に強いリムルルが、化け物相手にあそこまでボロボロにされた。  
そして俺は、男に触れることさえ出来ず、それどころか命まで落としかけた。  
自らに突きつけられた刃。あの瞬間の男の顔。  
「う・・・うぅ・・・」  
震えが来る。肩を震わせ歯を鳴らし、シャワーの下でうめきを漏らす。  
理不尽に与えられる、死。生きながらえたことで味わった、本当の恐怖。  
だが、それよりも辛かったことがあった。  
「なにも・・・何もしてやれてねーじゃん・・・俺」  
ずっと一緒にいてやる。俺はそう約束した。  
もう誰とも離れたくない。リムルルはそう言った。  
「うおぉぉぉ・・・うっ、ぐすっ・・・くそ・・・」  
シャワーの音に隠れ、俺は泣いた。馬鹿みたいに泣いた。  
力の無い俺。死の恐怖。リムルルとの約束。  
その全てがどばどばと溢れてくる。  
「どうして・・・どうしてやれば・・・いい?」  
無慈悲に降り注ぐシャワーの下で、俺はうなだれる事しかできなかった。  

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